【東本貢司のFCUK!】新たな王朝への旅立ち
2015.05.07 09:37 Thu
▽気の早い話だと思うかもしれない。しかし、ジョゼ・モウリーニョという指揮官に限ってそんな物言いこそふさわしいのだ。“予定通り”のプレミア復帰制覇に至る前でさえ。「3年目のジンクス」。これまで4つの国で都合8つのリーグタイトルを手中にした、史上かつて誰も成し得なかった快挙も、彼が一度として一つのクラブを4シーズン以上率いたことがないという事実あってこそ。今、多くのチェルシーファンの胸の内に蠢く疑問、もしくは不安の種とは「果たして今回の3年目(来シーズン)はどうなる?」なのではあるまいか。まさしく「前回」がそうだった。レアル・マドリードからの、たってのお声掛かりのゆえだったとしても、インテルでの、そしてそのレアルでの政権も「3年」で終わった。それぞれ、その都度の事情は異なる。だが、ジョゼ・モウリーニョという稀有な“成功印”の指導者に「3年目の壁」という“合言葉”がつきまとう事実からは逃れられない。
▽その「優勝請負人ぶり」を良しとする人もいるだろう。が、モウリーニョ自身は、過去のさまざまな言動を総合すると、なんとしても払拭したい、最大の“キズ”と捉えている節がある。なぜなら、そこには彼が畏敬してやまないサー・アレックス・ファーガソンの存在があるからだ。奇しくも、チェルシーの凱旋優勝を果たしたモウリーニョの現年齢は、ファーガソンが初めてマンチェスター・ユナイテッドにリーグタイトルをもたらしたときと同じ、52歳。この“ささやかながら象徴的な偶然”を、どうやらモウリーニョは「生涯の目標への旅立ち」(にふさわしい)と受け止めているらしい。世にいう「ファーギー王朝」。この、並び、あるいは塗り替えることなどまず不可能と思える業績の代名詞への挑戦。ジョゼ君は今、かつてなく燃えている。天はわたしにその使命を貫く啓示を与えてくれた、と。しかし、それは現実的に可能なのか。乗り越えるべき“障害”は少なくない。
▽何よりも、特異なキャラクターの持ち主で何かと一筋縄ではいきそうにないオーナーの存在がある。ロマン・アブラモヴィッチには“それだけの前科”がある。誰に恥じることもない二冠王者のシンボルに見切りをつけた(アンチェロッティ)。悲願のチャンピオンズリーグ制覇をもたらした英雄すら顧みることがなかった(ディ・マッテオ)。いや、誰よりもモウリーニョ自身が“全身”で体感している。50年ぶり2度目のリーグ制覇(イングランドにおいてこれ以上の栄誉はない)からの2連覇にもかかわらず、「些細な行き違い」から厄介払いされた。二度はない、と信じるにはどうにも心許ない。モウリーニョ自身も優勝決定後、真っ先にこう述べている。「クラブ(オーナー)が異論を持ち出さない限り、わたしはチェルシーの監督であり続けたい」。その“願い”が通じるのかどうか。チェルシーファンならずとも、謎めいたオーナーの胸の内を忖度する手がかりを持たない・・・・。
▽戦力、戦術絡みについての課題もある。いかに当代きっての名将であろうと、ピッチにおけるパフォーマンス、その安定性、持続性、発展成長性を自在に左右することはできない。端的に、モウリーニョにはこれまでのキャリアを通じて、若いドメスティックタレントを育て、大成に導いた実績がない。「最大3年」ではそんな芸当は望むべくもない。ファーギーへの「憧憬、もしくは“劣等意識”」の所以もまさにそこにある。だからこそ、彼はチェルシー長期政権を望んでいるとも受け取れる。ちなみに、彼は、アブラモヴィッチとの苦い軋轢経験にもめげず、スタンフォード・ブリッジこそ「マイホーム」だと明解に断じている。ジュゼッペ・メアッツァ、サンティアゴ・ベルナベウでは一度として実感したことのない、郷愁にも似た感覚を。じっと、噛みしめるように。それはもはや、いつそっぽを向くか知れないオーナーへの、あえて一歩引いてみせたラヴコールにすら聞こえる。
▽実を言うと、潮目は確かに変わりつつあるようだ。アブラモヴィッチの側近周辺から断続的に伝わってくる「オーナーは常に学んでいる」の示唆。ヴィジョンに乏しいクラブ経営ポリシーが、徐々に有意義で理に適った“実在”に成長を遂げてきている、と。無論、モウリーニョの方からも歩み寄りがある。そもそも、以前の両者の決裂要因となったのは「戦力をじっくり育てたい/そんな暇はない(から即戦力を補強する)」の、真っ向から相反する食い違いにあった。そこに「一致と和解」があれば、相思相愛・結束のハネムーンは修復、もとい、再構築可能だ。いや、今回の優勝がそれをほぼ決定づけた、とする識者の意見も少なくない。それほどのインパクトがあるということを、ここで是非喚起しておきたい。無論、拙速は禁物。「若い自前の戦力養成」はこれから始まる。それが一年後、二年後にはっきり目に見えてくるようになれば、モウリーニョ王朝確立の希望も広がる。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽その「優勝請負人ぶり」を良しとする人もいるだろう。が、モウリーニョ自身は、過去のさまざまな言動を総合すると、なんとしても払拭したい、最大の“キズ”と捉えている節がある。なぜなら、そこには彼が畏敬してやまないサー・アレックス・ファーガソンの存在があるからだ。奇しくも、チェルシーの凱旋優勝を果たしたモウリーニョの現年齢は、ファーガソンが初めてマンチェスター・ユナイテッドにリーグタイトルをもたらしたときと同じ、52歳。この“ささやかながら象徴的な偶然”を、どうやらモウリーニョは「生涯の目標への旅立ち」(にふさわしい)と受け止めているらしい。世にいう「ファーギー王朝」。この、並び、あるいは塗り替えることなどまず不可能と思える業績の代名詞への挑戦。ジョゼ君は今、かつてなく燃えている。天はわたしにその使命を貫く啓示を与えてくれた、と。しかし、それは現実的に可能なのか。乗り越えるべき“障害”は少なくない。
▽何よりも、特異なキャラクターの持ち主で何かと一筋縄ではいきそうにないオーナーの存在がある。ロマン・アブラモヴィッチには“それだけの前科”がある。誰に恥じることもない二冠王者のシンボルに見切りをつけた(アンチェロッティ)。悲願のチャンピオンズリーグ制覇をもたらした英雄すら顧みることがなかった(ディ・マッテオ)。いや、誰よりもモウリーニョ自身が“全身”で体感している。50年ぶり2度目のリーグ制覇(イングランドにおいてこれ以上の栄誉はない)からの2連覇にもかかわらず、「些細な行き違い」から厄介払いされた。二度はない、と信じるにはどうにも心許ない。モウリーニョ自身も優勝決定後、真っ先にこう述べている。「クラブ(オーナー)が異論を持ち出さない限り、わたしはチェルシーの監督であり続けたい」。その“願い”が通じるのかどうか。チェルシーファンならずとも、謎めいたオーナーの胸の内を忖度する手がかりを持たない・・・・。
▽実を言うと、潮目は確かに変わりつつあるようだ。アブラモヴィッチの側近周辺から断続的に伝わってくる「オーナーは常に学んでいる」の示唆。ヴィジョンに乏しいクラブ経営ポリシーが、徐々に有意義で理に適った“実在”に成長を遂げてきている、と。無論、モウリーニョの方からも歩み寄りがある。そもそも、以前の両者の決裂要因となったのは「戦力をじっくり育てたい/そんな暇はない(から即戦力を補強する)」の、真っ向から相反する食い違いにあった。そこに「一致と和解」があれば、相思相愛・結束のハネムーンは修復、もとい、再構築可能だ。いや、今回の優勝がそれをほぼ決定づけた、とする識者の意見も少なくない。それほどのインパクトがあるということを、ここで是非喚起しておきたい。無論、拙速は禁物。「若い自前の戦力養成」はこれから始まる。それが一年後、二年後にはっきり目に見えてくるようになれば、モウリーニョ王朝確立の希望も広がる。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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