【東本貢司のFCUK!】無冠の英雄への惜別
2015.04.22 12:20 Wed
▽おそらくブレンダン・ロジャーズは2014-15のFAカップを、去りゆくスティーヴン・ジェラードの長年の貢献に捧げ、花道を飾る勲章としてお膳立てしたつもりだったのだろう。準決勝から決勝への舞台はウェンブリー。前スリーライオンズのキャプテンにこれ以上の出来過ぎた、もとい、ふさわしいドラマのシナリオはあるまい。だからこそ、チャンピオンズ・レアル戦や宿命のライバル・ユナイテッド戦では(故障明けで万全ではなかったにしても)彼を“温存”し、必勝予定を念押しするかのように、アストン・ヴィラ戦を90分間、偉大なキャプテンに預けたのだ。しかし、そのグランドプランは無情にも潰えた。あの、イスタンブールでの奇跡をほぼたった一人で手繰り寄せた英雄ジェラードの神通力の再現も幻に終わった。それもやはり衰えの故なのか。いやそうは思いたくない。
▽振り返れば、ちょうど一年前、リヴァプールはノリッチに勝って勝ち点5差の首位に立ち、残り3試合を残すのみで念願のプレミアリーグ初制覇に王手をかけていた。ならば、これは一種のデジャヴなのか。その“約束された”栄冠が無残に掌中から零れ落ちてしまったとき、多くのファンが肩を落とし、そこはかとない「まさか・・・・」の不埒な予感とともに一抹の不安を宿したデジャヴ。レッズファンならずとも「正当な言い訳」はできるだろう。絶対エース、ルイス・スアレスの退団、覚醒した若きホープ、ダニエル・スタリッジの故障長期離脱。急遽招き入れた案の定の問題児マリオ・バロテッリは案じた通りの不発、サンダランド正式譲渡を反故にしてまで留め置いたファビオ・ボリーニは結局飼い殺しのまま・・・・今シーズンのリヴァプールはとにかくストライカー難に終始した。だが、それでも、レッズは昨年11月に始まる驚異的な巻き返しで優勝戦線に這い上がってみせたではないか。
▽ある人はつぶやく。これはとどのつまり、その快進撃の最中にロジャーズがジェラードに対して「もはや常時出場の保証はない」と引導を渡した重いツケだ、そのショックが総じて若いレッズイレヴンを委縮させてしまった結果ではないのか、と。だが、座して見守るにしかず、脱ジェラードのショック療法を施して明日を見据えさせたロジャーズのチーム戦略を、否定し非難する識者はいない。そして、その通りだと思う。ややもすれば即物的な目先の結果にとらわれがちな昨今、チームとしての真っ当で必然の成長力に期待する決断こそ、名将の器を映し出すもの。あえて、インス、ヒューズ、カンチェルスキスを放出して「92年FAユースカップメンバー」に賭けた(その時点でカントナ獲得はプランにもなかった)アレックス・ファーガソンの先例を引き合いに出すまでもなく、それが本来の姿だからだ。海外の大物助っ人と異邦の大物指導者で「今」を仕切ろうとする、味もそっけもない荒療治ブームに一石を投じる、さすがの名門復活にふさわしい在りようであると。
▽ボタンの掛け違えは・・・・ない(はずだ)。あるとすれば「ちょっとした運命のいたずら」、もしくは「すれ違い」。今でもまざまざと蘇る。マナウスでジェラード率いるスリーライオンズに(ないことに?)ミソをつけたのがバロテッリ。そこに、伏兵コスタリカの大健闘に苦戦したウルグァイがまなじりを決して立ちはだかり、悪夢の使者を演じたのがスアレスだったとは! 無用な“脚色”だとは思わない。そのスアレスがイタリア戦で“おいた”をしたのが“見切り”の引き金になったのは容易に想像可能だし、発想転換でにっくきバロテッリをジェラード(とスタリッジ、スターリング)の味方に引き入れたのは、良い意味でのショック療法だったと考えてもいい。すなわち、ロジャーズは仮にほとんど無意識だったとしても、運命を善き方向に再構築しようとしたのではなかったか。そう思えば、年を跨いでの快進撃にひと工夫ならぬ梃入れを策したのも頷けないでもない。なにしろ、スタリッジとバロテッリ(とボリーニ)はその間、何の役にも立たなかったのだから。
▽ただし、肝心のヴィラ戦でのリヴァプールには“芯”もなければ“心”も感じられなかった。ジェラードに花を持たせる意識が“彼ら”を委縮させていたのか、それとも、ロジャーズ自身に平常心が薄れ「何かそれなりの形を」との強迫観念が乗り移っていたのか。チーム戦術(?)が猫の目のように変わるがごとく、攻めも守りも普段通り徹しきれなかった印象がある。今や虎の子のエース、コウティーニョが硬直したように最後までパサー役に“徹した”のは、その最大の象徴だった。おそらく、ロジャーズもいたく悔いているに違いない。ジェラードの花道を意識し過ぎた・・・・ただ単に、キャプテンがほぼ万全で戻ってきたという前提にこだわればよかった・・・・。いや、すべては拙い憶測の類。少なくともロジャーズ解任の愚だけは冒して欲しくない。それこそ、80年代を席巻した大名門の復活をさらに遠ざけることになってしまいかねない。再出発は一年前ではなかった。ヴィラ戦に敗れた「このとき」。それを深く噛みしめているクラブとファンであって欲しいと思う。無冠のキャプテン、ジェラードへの大いなる感謝と惜別の意味も込めて。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽振り返れば、ちょうど一年前、リヴァプールはノリッチに勝って勝ち点5差の首位に立ち、残り3試合を残すのみで念願のプレミアリーグ初制覇に王手をかけていた。ならば、これは一種のデジャヴなのか。その“約束された”栄冠が無残に掌中から零れ落ちてしまったとき、多くのファンが肩を落とし、そこはかとない「まさか・・・・」の不埒な予感とともに一抹の不安を宿したデジャヴ。レッズファンならずとも「正当な言い訳」はできるだろう。絶対エース、ルイス・スアレスの退団、覚醒した若きホープ、ダニエル・スタリッジの故障長期離脱。急遽招き入れた案の定の問題児マリオ・バロテッリは案じた通りの不発、サンダランド正式譲渡を反故にしてまで留め置いたファビオ・ボリーニは結局飼い殺しのまま・・・・今シーズンのリヴァプールはとにかくストライカー難に終始した。だが、それでも、レッズは昨年11月に始まる驚異的な巻き返しで優勝戦線に這い上がってみせたではないか。
▽ある人はつぶやく。これはとどのつまり、その快進撃の最中にロジャーズがジェラードに対して「もはや常時出場の保証はない」と引導を渡した重いツケだ、そのショックが総じて若いレッズイレヴンを委縮させてしまった結果ではないのか、と。だが、座して見守るにしかず、脱ジェラードのショック療法を施して明日を見据えさせたロジャーズのチーム戦略を、否定し非難する識者はいない。そして、その通りだと思う。ややもすれば即物的な目先の結果にとらわれがちな昨今、チームとしての真っ当で必然の成長力に期待する決断こそ、名将の器を映し出すもの。あえて、インス、ヒューズ、カンチェルスキスを放出して「92年FAユースカップメンバー」に賭けた(その時点でカントナ獲得はプランにもなかった)アレックス・ファーガソンの先例を引き合いに出すまでもなく、それが本来の姿だからだ。海外の大物助っ人と異邦の大物指導者で「今」を仕切ろうとする、味もそっけもない荒療治ブームに一石を投じる、さすがの名門復活にふさわしい在りようであると。
▽ただし、肝心のヴィラ戦でのリヴァプールには“芯”もなければ“心”も感じられなかった。ジェラードに花を持たせる意識が“彼ら”を委縮させていたのか、それとも、ロジャーズ自身に平常心が薄れ「何かそれなりの形を」との強迫観念が乗り移っていたのか。チーム戦術(?)が猫の目のように変わるがごとく、攻めも守りも普段通り徹しきれなかった印象がある。今や虎の子のエース、コウティーニョが硬直したように最後までパサー役に“徹した”のは、その最大の象徴だった。おそらく、ロジャーズもいたく悔いているに違いない。ジェラードの花道を意識し過ぎた・・・・ただ単に、キャプテンがほぼ万全で戻ってきたという前提にこだわればよかった・・・・。いや、すべては拙い憶測の類。少なくともロジャーズ解任の愚だけは冒して欲しくない。それこそ、80年代を席巻した大名門の復活をさらに遠ざけることになってしまいかねない。再出発は一年前ではなかった。ヴィラ戦に敗れた「このとき」。それを深く噛みしめているクラブとファンであって欲しいと思う。無冠のキャプテン、ジェラードへの大いなる感謝と惜別の意味も込めて。
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】
1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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