【東本貢司のFCUK!】無国籍化するチャンピオンズ
2015.02.26 09:09 Thu
▽ほぼきっかり20年前の今頃、ハイベリーのスタンドで見守ったゲームをふと思い出す。相手は確かユヴェントス(ミランだったか? )。記憶をたどると緊迫感と長閑さがない交ぜになった奇妙な後味が蘇る。スコアは覚えていない。当時はセリエAがそこかしこと席巻していた時代。ガナーズサポーターの心境は「胸を借りる」だったのか、今でもひときわ印象深く思い起こされるのは、そばにいた一人が「あれ? 〇〇(アーセナルのプレーヤー:確か、ケヴィン・キャンベルだったと思う)ってこんなに上手かったっけ? 」と、諦め半分のからかい気味に叫んだ一声。とはいえ、アーセナルイレヴンの奮闘はそこそこに見所があった。それが、ファイナルホイッスルが鳴って引き上げる彼らの、「やっぱりダメか」の失意にすら清々しさと満足感をまとう所作と表情に見て取れた。いい時代だった。
▽「いい時代だった」? そう、今よりもはるかに「素朴にゆったりと」このスポーツの熱気が楽しめた時代―――個人的な、身勝手な印象かもしれないし、ひょっとしたらこのゲームに限っての感触にすぎなかったかもしれない。しかし、TV画面を通してのこととはいえ、やはりどこか、何かが違う。ものものしさ、殺気立った雰囲気はある程度共通するとしても、何と言うべきか「張りつめ方、落差が違う」気がするのだ。アーセン・ヴェンゲルが「easy draw 」と呼んだ、彼の古巣モナコをホームに迎え撃っての対戦は、めいっぱいのフラストレーションを貯め込んだ末に、無残な完敗に終わった。元ガナーのマーティン・キーオンが呆れ気味に吐き捨てる。「これじゃ、プロ(のプレー姿勢)とは言えまいな」。心配なのは、この失意がプレミアやFAカップにも波及しまいかということ。キーオンがしょんぼりと続ける。「ヴェンゲルのことだから切り替えはできるだろうが」?
▽誰もあえて触れない。触れても詮無いことと割り切っている(はず)。が、今更ながらについ舌打ちしたくなる。ガーディアン紙のある記者の感想:「ヴェンゲルは敵を知悉しているんじゃなかったのか? フランスのフットボールをわかっていたはずなんじゃ? そのせいか、いつにもまして慎重なスタート。にもかかわらず早々に先制弾を許した。最近の定番だ。アーセンはこの呪いを断ち切ろうと内心あくせく模様だったと思うが、今夜はとにかく悲劇に終わった」。辛口でも何でもない。ほとんど諦観。だが、筆者はその“頭の物言い”がひっかかる。モナコを、フランス(のスタイル)を? 近年のモナコがどんなチームなのか、その詳細はよく知らないが、かつて彼が率いていた頃と変わっていないなどと、今言えるのか。外国人だらけ。それはアーセナルとて同じ。つまり、無国籍。これで果たして「イングランドとフランスの対決」のように総括してしまえるのだろうか?
▽昨日のマン・シティーvsバルセロナも似たり寄ったりだ。シティーはこれでもイングランドのチームと言えるのか、バルサのスパニッシュはひところほどもう目立てないようじゃないのか? だからなのか、シティーが、アーセナルが負けてもさほど悔しさは募らない。勝っても、少々胸を撫で下ろすくらいの後味のみ。そのことが、そのことこそが、ずっともどかしく後を引く。昨今、地球レベルに悩ましさを蔓延させ、増幅する一方の、経済のグローバリズム、グローバリゼーション。趣向は違えど、ヨーロッパのプロフットボールも、グローバリゼーションに蝕まれて時を重ねるごとに興趣が殺がれていく。実力と華のあるスターが入り乱れる“目新しさ”に、当事者のクラブどころか、ファンもメディアも取り込まれてしまっている。イングランド人で固めたイングランドのチームがチャンピオンズで勝てるわけがない、いや、プレミアすら制する理屈はもう通らない・・・・のか?
▽時代錯誤と言われればそれまで。何事も時の流れには逆らえない。世界の羨望の的だったソニーも、今は青息吐息。変わらなければもはや勝ち目がない・・・・? かくて筆者のチャンピオンズにまつわる期待、見所、勝ち負けの“実体”はフェイドアウトしていく。せめて(国際級のスターがうようよしていようとも)、時代を切り開き、抗うような戦術、すなわちそのチームならではの個性が際立っているならば、まだ救いは、もとい、熱を帯びた注視に値するのだが・・・・それもまず望めそうにない。いや、ならば、劣勢に立ったシティーとアーセナルに、ペジェグリーニとヴェンゲルに、3月のアウェイのリターンマッチで胸のすくような“新味”を見せつけてくれまいか(と、淡い期待感を抱く)。おそらく、それは“自分たちより強い”相手に対するチャレンジャー精神から生まれる。理屈は奇妙でいてありきたりだが、そう信じる。念のために・・・・勝ち負けはもう棚に上げた上で?!
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
▽「いい時代だった」? そう、今よりもはるかに「素朴にゆったりと」このスポーツの熱気が楽しめた時代―――個人的な、身勝手な印象かもしれないし、ひょっとしたらこのゲームに限っての感触にすぎなかったかもしれない。しかし、TV画面を通してのこととはいえ、やはりどこか、何かが違う。ものものしさ、殺気立った雰囲気はある程度共通するとしても、何と言うべきか「張りつめ方、落差が違う」気がするのだ。アーセン・ヴェンゲルが「easy draw 」と呼んだ、彼の古巣モナコをホームに迎え撃っての対戦は、めいっぱいのフラストレーションを貯め込んだ末に、無残な完敗に終わった。元ガナーのマーティン・キーオンが呆れ気味に吐き捨てる。「これじゃ、プロ(のプレー姿勢)とは言えまいな」。心配なのは、この失意がプレミアやFAカップにも波及しまいかということ。キーオンがしょんぼりと続ける。「ヴェンゲルのことだから切り替えはできるだろうが」?
▽誰もあえて触れない。触れても詮無いことと割り切っている(はず)。が、今更ながらについ舌打ちしたくなる。ガーディアン紙のある記者の感想:「ヴェンゲルは敵を知悉しているんじゃなかったのか? フランスのフットボールをわかっていたはずなんじゃ? そのせいか、いつにもまして慎重なスタート。にもかかわらず早々に先制弾を許した。最近の定番だ。アーセンはこの呪いを断ち切ろうと内心あくせく模様だったと思うが、今夜はとにかく悲劇に終わった」。辛口でも何でもない。ほとんど諦観。だが、筆者はその“頭の物言い”がひっかかる。モナコを、フランス(のスタイル)を? 近年のモナコがどんなチームなのか、その詳細はよく知らないが、かつて彼が率いていた頃と変わっていないなどと、今言えるのか。外国人だらけ。それはアーセナルとて同じ。つまり、無国籍。これで果たして「イングランドとフランスの対決」のように総括してしまえるのだろうか?
▽時代錯誤と言われればそれまで。何事も時の流れには逆らえない。世界の羨望の的だったソニーも、今は青息吐息。変わらなければもはや勝ち目がない・・・・? かくて筆者のチャンピオンズにまつわる期待、見所、勝ち負けの“実体”はフェイドアウトしていく。せめて(国際級のスターがうようよしていようとも)、時代を切り開き、抗うような戦術、すなわちそのチームならではの個性が際立っているならば、まだ救いは、もとい、熱を帯びた注視に値するのだが・・・・それもまず望めそうにない。いや、ならば、劣勢に立ったシティーとアーセナルに、ペジェグリーニとヴェンゲルに、3月のアウェイのリターンマッチで胸のすくような“新味”を見せつけてくれまいか(と、淡い期待感を抱く)。おそらく、それは“自分たちより強い”相手に対するチャレンジャー精神から生まれる。理屈は奇妙でいてありきたりだが、そう信じる。念のために・・・・勝ち負けはもう棚に上げた上で?!
【東本 貢司(ひがしもと こうじ)】 1953年大阪府生まれ 青春期をイングランド、バースのパブリックスクールで送る。作家、翻訳家、コメンテイター。勝ち負け度外視、ひたすらフットボール(と音楽とミステリー)への熱いハートにこだわる。
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