民主化デモで結束したライバルクラブのサポーターたち「イスタンブール・ユナイテッド —サポーター革命—」東京国際フットボール映画祭 特別上映作品

2015.02.06 22:00 Fri
2015年2月7日(土)、8日(日)、11日(祝・水)に秋葉原UDXシアターで東京国際フットボール映画祭が開催される。特別上映作品の「イスタンブール・ユナイテッド —サポーター革命—」(ジャパンプレミア上映)は、犬猿の仲であるはずのガラタサライ、フェネルバフチェ、ベシュクタシュのサポーターが協力してトルコの民主化デモの先頭に立った様子を描いている。彼らはなぜ手を取り合ったのか?

■相互に敵対心をもつ3大クラブのサポーター

トルコには三つの人気クラブがある。ベジクタシュ、ガラタサライ、フェネルバフチェ。クラブ創設100年を超えているものもある。商業主義のサッカーに反対し、相互に敵対心を持っている。むろん、拮抗するクラブとはどこの国でもそんなものだろう。彼らを撮る映画には、まったくと言っていいほど試合の風景が映らない。選手たちの顔は一度も画面を占領しない。サポにはほぼ男しかいない(後半、女性の姿もちらほら映る程度)。トルコ語がわからない人間には、彼らのチャントの意味がわからない。どうやら「騒ごうぜ、ゴール裏!」とかそんなことらしい。どこも同じ、ということか。ちょっと驚くのは、映画の途中で、3つのクラブのサポーターは、イスタンブールの中では単独行動してはならない、ということが語られるくだりだ。何度も暴力事件が起こっていて、身に迫った危険もあるのだから、複数で行動せよ……。危険きわまりないサポーターの抗争、などと思いながら映画を観ていると、局面が大きく動く。
2013年6月。トルコで大規模な反政府デモがあった。イスタンブール中心部の公園を取り壊して、ショッピングモールにする、という決定が下ったのだ。この決断をしたのはイスタンブール市長。彼の独断だった。公園に隣接するタクシム広場には人々が集まり、広場に向ってデモ行進をする数は4万を数えた。映画の後半部はこの風景が映し出されている。夜通し音楽を演奏し、踊る人々。楽天的な風景はしかし警察の介入によって一変する。大量の催涙弾が投げ込まれる。タクシム広場を占拠する人々は「ただここにいるだけじゃないか」と怒りをあらわにする。「この国はだんだんひどくなってきている。女性や同性愛者には人権はないの」と、映画の中でインタビューに答えている女性は明言する。政治に対する、純粋な怒りだ。エルドアン首相はテレビで、お好きなようになさい、私たちは決めたことはやりとげる、と挑発とも取れる発言をする。タクシム広場は警察による暴力で混乱を極める……。

■体制側を相手に結束した彼らがもたらした変化
正直、ここまでの内容は、サッカーと政治が混ざることもなく映し出されているだけである。いったい映画のタイトルの「ユナイテッド」とはどういうことなのか? 疑問がわき始める頃、突如、ガラタサライのサポの中心メンバーが声に出すのだ。「行った方がいい。すぐに仲間を集めよう」と。そう、ここからがこの映画の素晴らしいところだ。サポーターという「ならず者」がタクシム広場に姿をみせる。ベジクタシュもガラタサライもフェネルバフチェもない。垣根を越え、3クラブのサポが自然に集結する。「ゴールを決めろ、警棒がなけりゃ、お前たちはいつもへっぴり腰だ」。警官を挑発し、エルドアン首相をこき下ろす。

彼らは別に「英雄」ではない。だが、とにかく、このシーンのサポたちはカッコいい。警察の蛮行を携帯で撮影したに違いない粒子のあらい動画や、コマ送りしているような風景も混じっている。でも彼らはカッコいい。映像のクオリティとか、ひとまずどうでもいい。タクシム広場に現われる、それぞれのクラブのシンボルカラーを身にまとったサポーターの逞しさに、涙を禁じ得ないのは、おそらく私だけではない。

そして何かが変わった。その「何か」を形容することはできないし、する必要もないのではないか。一緒になった、というわけではない。それが何なのか。映画の最後を飾るベジクタシュとガラタサライのダービーは「それ」を映している。映画を観る私たちは、「それ」を感受し、自分の「それ」として考え始めるのだ。ボールは私たちの足元にパスされている。

text by 陣野俊史

■「イスタンブール・ユナイテッド —サポーター革命—
2/7(土) 11:50
木村元彦(ジャーナリスト)

2/11(水/祝) 16:25
陣野俊史(文芸評論家)

東京国際フットボール映画祭 公式ホームページ

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