サッカーはアフリカ部族の対立を深めるのか? 大虐殺から20年、部族間融和の真実に迫る衝撃のドキュメンタリー「FCルワンダ」東京国際フットボール映画祭上映作品
2015.02.01 18:00 Sun
2015年2月7日(土)、8日(日)、11日(祝・水)に秋葉原UDXシアターで開催する東京国際フットボール映画祭が開催される。上映作品の「FCルワンダ」では、アフリカにおけるサッカーと部族間の対立が濃密に描かれている。サッカーは悲劇を乗り越える助けになるのか? あるいはその逆か? 観る者の心を深くえぐる衝撃のドキュメンタリーだ。
■ルワンダ全人口の10~20%が消えた大虐殺
1994年4月6日、ハビャリマナ大統領の乗った飛行機がルワンダの首都キガリ上空で爆破されてから数時間後、国内全域で大虐殺が始まった。ツチ族とフツ族穏健派が、フツ族過激派に片端から襲われて殺されるというジェノサイド(集団的大虐殺)は100日間あまり続いた。犠牲者数は80万人から100万人と推定され、たった3ヶ月あまりでルワンダ全人口の10~20%が消えた。国外に逃亡した人たちも多く、ツチ族だけでなく、報復を恐れたフツ族の人たちも多くが難民となった。国内から成年男子の姿がほぼ消え、ルワンダは大げさでなく国としての存続も危うかった。
大虐殺から20年がたった今、ルワンダは復興の道を歩んでいる。そこでルワンダ国民が最も熱い関心を寄せるサッカーを通して、虐殺について、また部族間融和について、人々の本音に迫ったドキュメンタリーが「FCルワンダ」である。
サッカー選手、軍人、ジャーナリストたちのインタビューをはさんで、ルワンダの今を伝える映像が流れる。通りには人があふれ、笑顔がこぼれ、子どもたちは土ぼこりをあげながらストリートサッカーに興じている。虐殺の悲惨さは、一見したところあまり感じられない。
だが中には、自身の家族に起こった悲劇について語るAPRの選手もいる。母がツチ族で父がフツ族だった家庭を、ある日フツ族過激派が襲った。父がカネを渡してなんとか追い払おうとしたが、結局妹と弟が連れて行かれるのを彼は隠れ場所からそっと見送るしかなかった……そんな悲劇を、彼は感情を押し殺した顔で淡々と語る。平板な口調や無表情であるためにいっそう、20年前の怒りや悲しみが今も消えていないどころか強まっていることが読み取れる。
■サッカーがさらなる悲劇を生んでしまうのか?
現大統領であるツチ族出身のポール・カガメは、虐殺が勃発すると、ルワンダ愛国戦線を率いて亡命先のウガンダから戻り、極度の混乱状態にあった国に安定をもたらすため、軍事力と政治力を駆使した。国の復興のために、彼が何よりも力を注いだのが、部族間の融和をはかることだった。以前は身分証明書に部族を記すことが義務づけられていたが、その制度は撤廃された。また大統領は熱烈なサッカーファンで、APRに資金も出している。フツ族とツチ族の選手が混じるAPRは、彼が掲げる部族間融和を象徴する存在なのだ。
そのことに不満を持つのがAPRのライバルチームであるレイヨン・スポーツのサポーターたちだ。「APRは軍と政府のチームだが、レイヨン・スポーツは俺たち市民のチームだ」と、チームカラーである青と白を全身にペインティングした熱烈なサポーターたちが叫ぶ。「ルワンダの人口の7割がレイヨン・スポーツのサポーターだ」とスポーツジャーナリストはいう。
市民のチームとはつまり、国の人口の84%をしめるフツ族を代表していることを意味している。ツチ族の大統領が支援するAPRは、フツ族にとってツチ族のチームなのだ。たとえAPRの所属選手に、フツ族出身者が混じっていても関係ない。
映画はAPRとレイヨン・スポーツの「ナショナルダービー」で盛り上がりを見せる。どちらのチームの選手もサポーターも興奮をあらわに、得点でも入ろうものならスタンドは熱狂のるつぼだ。だが、APRのチームカラーである黒白と、レイヨンの青白にくっきり分かれたスタンドは、「サッカーがルワンダを一つにする」とは言いがたい空気に包まれている。
この映画では、インタビューで一見冷静に語る一人ひとりの表情にぜひ目をこらしてほしい。人々の本音はどこにあるのか? 国の成人男子の大半が殺された虐殺の悲劇を、人々はサッカーによって本当に乗り越えられるのか? サッカーの力で人々は一つにまとまるのか? いや、むしろサッカーによって対立は深まっているのではないか?
そんな問いかけに対し、彼らの表情は口から出てくる言葉とは違う答えを物語っている。今こそあえて本音を語り合うこと、それが大虐殺を乗り越え、部族間対立を融和させるために重要なのだ、という一人のジャーナリストのメッセージは、とてつもなく重い。
奇をてらわず淡々と撮られてはいるが、濃密な内容のドキュメンタリーである。
text by 実川元子
■「FCルワンダ」上映スケジュール
2/7(土) 14:05~
2/11(祝・水) 10:00~
【東京国際フットボール映画祭 公式ホームページ】
http://football-film.jp/post/91/
チケットはこちらから
■ルワンダ全人口の10~20%が消えた大虐殺
1994年4月6日、ハビャリマナ大統領の乗った飛行機がルワンダの首都キガリ上空で爆破されてから数時間後、国内全域で大虐殺が始まった。ツチ族とフツ族穏健派が、フツ族過激派に片端から襲われて殺されるというジェノサイド(集団的大虐殺)は100日間あまり続いた。犠牲者数は80万人から100万人と推定され、たった3ヶ月あまりでルワンダ全人口の10~20%が消えた。国外に逃亡した人たちも多く、ツチ族だけでなく、報復を恐れたフツ族の人たちも多くが難民となった。国内から成年男子の姿がほぼ消え、ルワンダは大げさでなく国としての存続も危うかった。
サッカー選手、軍人、ジャーナリストたちのインタビューをはさんで、ルワンダの今を伝える映像が流れる。通りには人があふれ、笑顔がこぼれ、子どもたちは土ぼこりをあげながらストリートサッカーに興じている。虐殺の悲惨さは、一見したところあまり感じられない。
インタビューでも人々は口を揃えて言う。「今ではツチとかフツとかいう言葉を出す人さえいない。私たちは皆、ルワンダ人なんだ」。APR(ルワンダ愛国戦線チーム)所属のサッカー選手は強調する。「チーム内で出身部族をあきらかにすることはない。我々はチームとして一つにまとまっている」
だが中には、自身の家族に起こった悲劇について語るAPRの選手もいる。母がツチ族で父がフツ族だった家庭を、ある日フツ族過激派が襲った。父がカネを渡してなんとか追い払おうとしたが、結局妹と弟が連れて行かれるのを彼は隠れ場所からそっと見送るしかなかった……そんな悲劇を、彼は感情を押し殺した顔で淡々と語る。平板な口調や無表情であるためにいっそう、20年前の怒りや悲しみが今も消えていないどころか強まっていることが読み取れる。
■サッカーがさらなる悲劇を生んでしまうのか?
現大統領であるツチ族出身のポール・カガメは、虐殺が勃発すると、ルワンダ愛国戦線を率いて亡命先のウガンダから戻り、極度の混乱状態にあった国に安定をもたらすため、軍事力と政治力を駆使した。国の復興のために、彼が何よりも力を注いだのが、部族間の融和をはかることだった。以前は身分証明書に部族を記すことが義務づけられていたが、その制度は撤廃された。また大統領は熱烈なサッカーファンで、APRに資金も出している。フツ族とツチ族の選手が混じるAPRは、彼が掲げる部族間融和を象徴する存在なのだ。
そのことに不満を持つのがAPRのライバルチームであるレイヨン・スポーツのサポーターたちだ。「APRは軍と政府のチームだが、レイヨン・スポーツは俺たち市民のチームだ」と、チームカラーである青と白を全身にペインティングした熱烈なサポーターたちが叫ぶ。「ルワンダの人口の7割がレイヨン・スポーツのサポーターだ」とスポーツジャーナリストはいう。
市民のチームとはつまり、国の人口の84%をしめるフツ族を代表していることを意味している。ツチ族の大統領が支援するAPRは、フツ族にとってツチ族のチームなのだ。たとえAPRの所属選手に、フツ族出身者が混じっていても関係ない。
映画はAPRとレイヨン・スポーツの「ナショナルダービー」で盛り上がりを見せる。どちらのチームの選手もサポーターも興奮をあらわに、得点でも入ろうものならスタンドは熱狂のるつぼだ。だが、APRのチームカラーである黒白と、レイヨンの青白にくっきり分かれたスタンドは、「サッカーがルワンダを一つにする」とは言いがたい空気に包まれている。
この映画では、インタビューで一見冷静に語る一人ひとりの表情にぜひ目をこらしてほしい。人々の本音はどこにあるのか? 国の成人男子の大半が殺された虐殺の悲劇を、人々はサッカーによって本当に乗り越えられるのか? サッカーの力で人々は一つにまとまるのか? いや、むしろサッカーによって対立は深まっているのではないか?
そんな問いかけに対し、彼らの表情は口から出てくる言葉とは違う答えを物語っている。今こそあえて本音を語り合うこと、それが大虐殺を乗り越え、部族間対立を融和させるために重要なのだ、という一人のジャーナリストのメッセージは、とてつもなく重い。
奇をてらわず淡々と撮られてはいるが、濃密な内容のドキュメンタリーである。
text by 実川元子
■「FCルワンダ」上映スケジュール
2/7(土) 14:05~
2/11(祝・水) 10:00~
【東京国際フットボール映画祭 公式ホームページ】
http://football-film.jp/post/91/
チケットはこちらから
|