【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.4 “キング・カントナ”ダブル達成/マンチェスター・ユナイテッド[1993-94]
2019.04.05 12:00 Fri
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。

プレミアリーグが創設された1992-93シーズンにアレックス・ファーガソン就任後、初めてイングランド王者となったユナイテッドは、翌シーズンもほぼ同様のスカッドで継続路線を歩む。
プレミアリーグでは、第15節までで13勝を記録する圧巻のスタートダッシュを記録。その後も、チェルシーにこそシーズン・ダブルを喫したが、大きく崩れることなく首位の座をキープする。最終的には、アラン・シアラーを擁する2位ブラックバーンに勝ち点8差をつけて連覇を達成した。
また、このシーズンは国内カップでも躍進した。リーグカップこそ決勝でアストン・ビラを前に涙をのんだが、FAカップ決勝ではカントナの2ゴールなどでチェルシーに4-0と完勝。20世紀に入ってから4クラブ目となるダブル(2冠)を達成し、大成功のシーズンを収めた。
攻守にバランスの取れた好チームだった。守護神は、1991年から8年間にわたって在籍したシュマイケル。足元のプレーが拙く、判断を誤ることも少なくなかったが、それを補ってあまりあるセービング能力や統率力を誇った。また、元ハンドボール選手であることから、ハーフウェイラインを超すロングスローを武器とし、カウンターの際の貢献度は非常に高かった。
中盤から前線では、当時のチームあたりから、「ユナイテッドと言えばサイドアタック」というスタイルが確立されていった。中央では、ロイ・キーンとインスのハードタックラーコンビがバランスを取った。そして、トップ下へと降りてくるカントナを経由しながら、カンチェルスキスとギグスという、スピード豊かなウインガーがサイドから仕掛けていく。抜群の決定力を誇る“スパーキー”ことヒューズは、彼らのお膳立てを効率よく生かしてネットを揺らしていった。
FWエリック・カントナ(27)
低調なシーズンを送っていたユナイテッドを常勝軍団に押し上げた“背番号7”。1992年にユナイテッドに加入したカントナは、すぐさまチームに順応し、ユナイテッドをプレミアリーグ初代王者に導く。翌1993-94シーズンには完全にチームの王様となり、卓越したテクニックと確かなキープ力、決定力を発揮。公式戦49試合25ゴールを記録し、PFA年間最優秀選手賞を受賞した。
日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。
vol.4
1993-94シーズン/マンチェスター・ユナイテッド
〜キング・カントナ〜

(C)CWS Brians,LTD.
監督:アレックス・ファーガソン(52)
主なタイトル実績:プレミアリーグ、FAカップ
攻撃力8:★★★★★★★★☆☆
守備力8:★★★★★★★★☆☆
タレント8:★★★★★★★★☆☆
連係9:★★★★★★★★★☆
選手層6:★★★★★★☆☆☆☆
ダブル達成
プレミアリーグが創設された1992-93シーズンにアレックス・ファーガソン就任後、初めてイングランド王者となったユナイテッドは、翌シーズンもほぼ同様のスカッドで継続路線を歩む。
プレミアリーグでは、第15節までで13勝を記録する圧巻のスタートダッシュを記録。その後も、チェルシーにこそシーズン・ダブルを喫したが、大きく崩れることなく首位の座をキープする。最終的には、アラン・シアラーを擁する2位ブラックバーンに勝ち点8差をつけて連覇を達成した。
キング・カントナ
攻守にバランスの取れた好チームだった。守護神は、1991年から8年間にわたって在籍したシュマイケル。足元のプレーが拙く、判断を誤ることも少なくなかったが、それを補ってあまりあるセービング能力や統率力を誇った。また、元ハンドボール選手であることから、ハーフウェイラインを超すロングスローを武器とし、カウンターの際の貢献度は非常に高かった。
バックラインは、右サイドバックからパーカー、ブルース、パリスター、アーウィンが不動のメンバーだった。フィジカルと空中戦に強いブルースと、カバーリング能力に長けるパリスターのコンビは鉄壁。両サイドバックの安定感も魅力だった。
中盤から前線では、当時のチームあたりから、「ユナイテッドと言えばサイドアタック」というスタイルが確立されていった。中央では、ロイ・キーンとインスのハードタックラーコンビがバランスを取った。そして、トップ下へと降りてくるカントナを経由しながら、カンチェルスキスとギグスという、スピード豊かなウインガーがサイドから仕掛けていく。抜群の決定力を誇る“スパーキー”ことヒューズは、彼らのお膳立てを効率よく生かしてネットを揺らしていった。
ピックアップ・プレイヤー
FWエリック・カントナ(27)
低調なシーズンを送っていたユナイテッドを常勝軍団に押し上げた“背番号7”。1992年にユナイテッドに加入したカントナは、すぐさまチームに順応し、ユナイテッドをプレミアリーグ初代王者に導く。翌1993-94シーズンには完全にチームの王様となり、卓越したテクニックと確かなキープ力、決定力を発揮。公式戦49試合25ゴールを記録し、PFA年間最優秀選手賞を受賞した。
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