【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.14“イルレタのスーペル・デポル(1)”クラブ史上初のリーガ制覇/デポルティボ[1999-2000]

2019.04.10 12:00 Wed
Getty Images
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。
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日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。
vol.14

1999-2000シーズン/デポルティボ
〜イルレタのスーペル・デポル(1)〜


(C)CWS Brians,LTD.

監督:ハビエル・イルレタ(51)
獲得タイトル:リーガエスパニョーラ
攻撃力7:★★★★★★★☆☆☆
守備力7:★★★★★★★☆☆☆
タレント7:★★★★★★★☆☆☆
連係9:★★★★★★★★★☆
選手層6:★★★★★★☆☆☆☆


クラブ史上初のリーガ制覇

3部に降格するなど低迷した70年、80年代の暗黒時代を経験したデポルティボは、1988年に現会長であるレンドイロが就任して以降、黄金期を迎える。1993-94シーズン、優勝したバルセロナと同勝ち点の2位でフィニッシュすると、翌年もレアル・マドリーの後塵を拝すものの、2位の座を確保。クラブ史上初のリーガ制覇も近いと感じさせる強さを誇った。悲願が達成されたのは、1999-2000シーズンだった。1998年に指揮官に就任したスペイン屈指の戦術家であるイルレタは、着実にチーム力を上げていく。このシーズンは、開幕から第5節までで2勝2分1敗と波に乗り切れなかったが、第10節でバルセロナを下して以降に勢いが増し、そこから7連勝を達成する。最終的には、2位のバルセロナとバレンシアに勝ち点5差をつけて群雄割拠のリーガを制覇。悲願であるクラブ史上初のリーガエスパニョーラ戴冠を果たした。
この時代のデポルティボは、とりわけ本拠地リアソールでの強さが際立っていた。このシーズンもホームで行われたリーグ戦19試合で、16勝1分2敗という素晴らしい記録を残している。リアソールでの抜群の強さが、悲願のリーグ制覇に大きく影響したことは間違いない。

サイドアタックとジャウミーニャのアイデア

イルレタのデポルティボは、当時はまだそれほど普及してなかった4-2-3-1という布陣を、より一般的にしたと言っていいだろう。サイドバックのマヌエル・パブロとロメロは一対一の守備に強く、惜しみないアップダウンを可能とする運動量を兼ね備える。統率力のあるナイベトと、当時37歳のベテラン・ドナトがコンビを形成するセンターラインは、スピード不足を補ってあまりあるポジショニングセンスを武器に、大崩れすることはほとんどなかった。
中盤の底には、強靭なフィジカルを誇るマウロ・シルバが君臨。バイタルエリアを締める役割を担った。相棒のコンセイソンはバックラインと前線とを繋ぐリンクマン。サイドアタッカーには明確な特徴があり、右のビクトルはスピードを活かした直線的なドリブル、逆サイドのフランは左足の高精度クロスでチャンスを演出した。

縦に早いサイドアタックが売りのチームに、トップ下のジャウミーニャがアクセントを付ける。そして、決定力抜群のオランダ人ストライカー、マカーイが相手を翻弄。カウンター時にはサイドに流れてボールを受けてアシスト役も担ったマカーイは、このシーズンのリーグ戦で22ゴールを奪取し、リーガ制覇に多大な貢献を果たした。

ピックアップ・プレイヤー

MFジャウミーニャ(29)

1997年にデポルティボに加入したジャウミーニャは、このシーズンまでの3シーズンで87試合に出場し、26ゴールを記録。1999-2000シーズンは、10ゴールを挙げる活躍で優勝に貢献した。ジャウミーニャの持ち味は何と言っても、遊び心があるファンタジックなプレー。公式戦でヒールリフトを成功させた選手としても知られているとおり、足元のテクニックは非凡。その足から繰り出されるトリッキーなスルーパスは、多くの人々を魅了した。ちなみに、1994年には3カ月だけ清水でプレーしたキャリアがある。

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