日本サッカーに革命を起こす「マルバ・メソッド」──サッカーとフットサルの融合が生む新しい育成の形
2025.10.21 12:00 Tue
バーモントカップで全国優勝を果たし、日本代表FW上田綺世をはじめとする多くのタレントを輩出してきた「マルバサッカースクール」。その指導哲学の中心にあるのが、浅野智久代表が掲げる“サッカーとフットサルの融合”だ。いまや日本の育成年代で広く知られる「マルバ・メソッド」は、どのように生まれ、どこへ向かおうとしているのか。
■ 小さなコートから始まった挑戦
マルバの原点は、今から約30年前にさかのぼる。
1996年、浅野氏は自身のフットサルチームを立ち上げた。きっかけは、イタリアで体験した“狭い局面のトレーニング”だったという。
「フットサルをやりたかったというより、サッカーの練習の一環として、狭いエリアで学びたかったんです。そこで得た感覚を日本でも続けたいと思ったのが始まりでした」
家賃84万円の倉庫を借り、地面はコンクリート。ボールが跳ねすぎて練習にならない日もあった。
それでも「1時間、インサイドキックとコントロールの練習だけをする」ことを徹底した。
そのストイックな指導が口コミで広がり、1年で100人を超える生徒が集まった。
「最初は“こんなところでサッカー教えるの?”って言われました。でも、狭い空間だからこそ技術と判断が磨かれるんです」
■ “運ぶ”と“入れ替わる”。マルバ・メソッドの核心
浅野氏が全国区の注目を浴びたのは、ヴェルディを破って全国優勝を果たした2000年代前半のバーモントカップだ。
その戦い方の根底にあったのが、のちに「マルバ・メソッド」と呼ばれる原理だった。
「1対1で相手に塞がれたら、逆へ“運ぶ”。シンプルだけど、サッカーの本質なんです。ドリブルは技術じゃなく、目的を達成するための手段。どこに運べば取られないかを整理して、子どもに直感的に伝えたいと思った」
「運ぶ」だけでは終わらない。
相手の守備をずらす“入れ替わり”の動き、ハイ・ミドル・ローと使い分ける“三層守備ライン”の構築など、浅野氏の指導は一貫して「整理」と「再現性」に支えられている。
「勝つことより、プレーの“狙い”を持つこと。なぜそこに動くのか、なぜその選択をするのかを子ども自身が考えられるようにする。それが成長の軸になるんです」
■ OBが証明する“再現性”。上田綺世、大津祐樹たちの共通点
マルバの卒業生には、日本代表FW上田綺世(フェイエノールト)、大津祐樹(元横浜F・マリノス)、古賀太陽(柏レイソル)らが名を連ねる。
彼らに共通するのは、ボールを「受ける前」に判断し、意図をもってプレーできる点だ。
「綺世は中学時代、週2〜3で通って、試合のあとにも来てました。練習後にさらに練習して、1本ずつ蹴る音が違う。あの“音”で、もう違いが分かるんです」
上田が現在も浅野氏に「海外のCBにどう当たるか」「くさびの受け方」を相談するというエピソードは、メソッドが単なる子ども向けの理論ではないことを物語っている。
「“靴1個分のズレ”を意識する。フットサルの感覚があるから、そういう世界基準の細かさを話せるんです。彼らとの対話が、スクールの教えをアップデートしてくれる」
■ “勝敗”よりも“狙い”を評価する時代へ
バーモントカップで優勝を果たしたいまも、浅野氏は“結果”より“過程”を重視する姿勢を貫く。
「勝敗やタイトルの再現性はもう確立しています。でも、これからは“狙いを持ってプレーしたかどうか”を評価軸にする。勝った負けたは、その先にある結果にすぎないんです」
全国大会で小3の選手を起用し、実際に得点を決めた例もある。
「体格差より“狙いを持てるか”を基準に起用する」と語るように、マルバの指導は年齢や結果に縛られない。
子どもたちが自分の意思で判断し、学び、挑戦できる環境を最優先にしている。
「目標は、10〜15年以内に“バロンドール級”の選手を輩出すること。でも、それは夢物語じゃない。選手の価値を世界基準で考え、技術・認知・判断力を全部そろえていけば、日本人にも十分可能性がある」
■ “狭いピッチ”から世界へ
今や全国に広がるマルバのネットワークは、単なるスクールの枠を超えている。
卒業生たちは国内外の舞台でプレーし、その経験を再び後輩たちに還元する。
浅野氏は、その循環こそが「日本サッカーの未来」を変える原動力だと信じている。
「小さなコートから、世界を見てほしい。子どもたちが“考えるサッカー”を楽しむこと。それが広がれば、日本の育成はきっと変わる」
30年前、コンクリートの倉庫で始まったマルバ。
その“狭さ”が生んだ創造性は、いまや日本サッカーを動かす大きなうねりとなっている。
「運ぶ」「入れ替わる」「狙いを持つ」――。
この3つの言葉が、次の世代を世界へ導く羅針盤になる。
取材・文=北健一郎
■ 小さなコートから始まった挑戦
マルバの原点は、今から約30年前にさかのぼる。
「フットサルをやりたかったというより、サッカーの練習の一環として、狭いエリアで学びたかったんです。そこで得た感覚を日本でも続けたいと思ったのが始まりでした」
2000年、地元の水戸で4人の生徒からスクールをスタート。
家賃84万円の倉庫を借り、地面はコンクリート。ボールが跳ねすぎて練習にならない日もあった。
それでも「1時間、インサイドキックとコントロールの練習だけをする」ことを徹底した。
そのストイックな指導が口コミで広がり、1年で100人を超える生徒が集まった。
「最初は“こんなところでサッカー教えるの?”って言われました。でも、狭い空間だからこそ技術と判断が磨かれるんです」
■ “運ぶ”と“入れ替わる”。マルバ・メソッドの核心
浅野氏が全国区の注目を浴びたのは、ヴェルディを破って全国優勝を果たした2000年代前半のバーモントカップだ。
その戦い方の根底にあったのが、のちに「マルバ・メソッド」と呼ばれる原理だった。
「1対1で相手に塞がれたら、逆へ“運ぶ”。シンプルだけど、サッカーの本質なんです。ドリブルは技術じゃなく、目的を達成するための手段。どこに運べば取られないかを整理して、子どもに直感的に伝えたいと思った」
「運ぶ」だけでは終わらない。
相手の守備をずらす“入れ替わり”の動き、ハイ・ミドル・ローと使い分ける“三層守備ライン”の構築など、浅野氏の指導は一貫して「整理」と「再現性」に支えられている。
「勝つことより、プレーの“狙い”を持つこと。なぜそこに動くのか、なぜその選択をするのかを子ども自身が考えられるようにする。それが成長の軸になるんです」
■ OBが証明する“再現性”。上田綺世、大津祐樹たちの共通点
マルバの卒業生には、日本代表FW上田綺世(フェイエノールト)、大津祐樹(元横浜F・マリノス)、古賀太陽(柏レイソル)らが名を連ねる。
彼らに共通するのは、ボールを「受ける前」に判断し、意図をもってプレーできる点だ。
「綺世は中学時代、週2〜3で通って、試合のあとにも来てました。練習後にさらに練習して、1本ずつ蹴る音が違う。あの“音”で、もう違いが分かるんです」
上田が現在も浅野氏に「海外のCBにどう当たるか」「くさびの受け方」を相談するというエピソードは、メソッドが単なる子ども向けの理論ではないことを物語っている。
「“靴1個分のズレ”を意識する。フットサルの感覚があるから、そういう世界基準の細かさを話せるんです。彼らとの対話が、スクールの教えをアップデートしてくれる」
■ “勝敗”よりも“狙い”を評価する時代へ
バーモントカップで優勝を果たしたいまも、浅野氏は“結果”より“過程”を重視する姿勢を貫く。
「勝敗やタイトルの再現性はもう確立しています。でも、これからは“狙いを持ってプレーしたかどうか”を評価軸にする。勝った負けたは、その先にある結果にすぎないんです」
全国大会で小3の選手を起用し、実際に得点を決めた例もある。
「体格差より“狙いを持てるか”を基準に起用する」と語るように、マルバの指導は年齢や結果に縛られない。
子どもたちが自分の意思で判断し、学び、挑戦できる環境を最優先にしている。
「目標は、10〜15年以内に“バロンドール級”の選手を輩出すること。でも、それは夢物語じゃない。選手の価値を世界基準で考え、技術・認知・判断力を全部そろえていけば、日本人にも十分可能性がある」
■ “狭いピッチ”から世界へ
今や全国に広がるマルバのネットワークは、単なるスクールの枠を超えている。
卒業生たちは国内外の舞台でプレーし、その経験を再び後輩たちに還元する。
浅野氏は、その循環こそが「日本サッカーの未来」を変える原動力だと信じている。
「小さなコートから、世界を見てほしい。子どもたちが“考えるサッカー”を楽しむこと。それが広がれば、日本の育成はきっと変わる」
30年前、コンクリートの倉庫で始まったマルバ。
その“狭さ”が生んだ創造性は、いまや日本サッカーを動かす大きなうねりとなっている。
「運ぶ」「入れ替わる」「狙いを持つ」――。
この3つの言葉が、次の世代を世界へ導く羅針盤になる。
取材・文=北健一郎
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