【超WORLDサッカー!再始動特集】「ビールを飲みながら、取材をするために」会員数15万人、年商5億円超え!敏腕元編集長・是永大輔の仕事術

2025.08.05 07:00 Tue
©超ワールドサッカー
「超WORLDサッカー!」は、終わらない──。
2025年7月1日。
サービス終了が発表されたはずのサッカー専門Webメディアが、電撃復活を遂げた。

新たなコンセプトは「世界と、つながれ」。

世界で活躍するスター選手と、その舞台を目指すジュニア選手の繋ぎ目となる情報サイトを目指し、新たな舵を切る。
7月某日。

再始動にあたり「超WORLDサッカー!」の礎をつくりあげた、是永大輔氏に話をうかがうことに。
2002年に編集部にジョインしわずか1年でトップに登り詰め、国内最大級のサッカーモバイルメディアへと急成長させた敏腕元編集長の、“仕事術”に迫る。

インタビュー=北健一郎
文=青木ひかる


【会社には利益を、自分には自由を】

北:2003年に編集長に就任し、当時まだ紙媒体が強い中で、サッカー専門のモバイルサイトの草分けとして、『超WORLDサッカー!』を成長させていきました。編集長になってからも現場に取材に来ていましたよね?

是永:はい、現場に行っていたし、自分で記事も書いていました。それが好きなことだったから(笑)。

北:たしか僕も、その頃くらいに是永さんと知り合った気がするんですよね。日本代表取材の時に、やたら背が高くて目立っていたなという印象でした。

是永:懐かしい!ジーコさんの時と、その後のオシムさんの時は日本代表の公開練習には全部行っていましたね。監督交代した時の変化を見ることができたのは、めちゃくちゃおもしろかったなあ。

ヨーロッパには年の3分の1くらい行っていましたね。

日曜日にビールを飲みながら2部や3部リーグの試合を観て、原稿を書く。子どもの頃から大好きなバルセロナにもしょっちゅう訪れる。あの時が一番幸せだったかもしれないです(笑)。

北:今じゃちょっと信じられないですね。

是永:だけど、実際編集長になって3年目くらいで、『超WORLDサッカー』がある一部上場企業に買収されることになったんですよ。上場企業の傘下に入るとなったら、そんな自由な働き方はできなくなる可能性が高い。

じゃあどうしようかとなった時に、ただ取材するだけじゃなくてリアルな仕事をつくらなきゃいけないな、と。

北:自分が理想とする仕事や、働き方をするためにということですね。

是永:そう。それで、日本人として初めてFCバルセロナでインターンをしていた斎藤聡さんにインタビューのために伺いました。そのとき「バルサの公式モバイルサイトを作りませんか?」と提案をしたんです。

北:取材を兼ねての、提案営業を?

是永:そう。バルサにしてみれば、海外でサブスクリプクションモデルのビジネスをまだやったことがなかったから、最初はハードルが高かったんですよ。携帯サイトという文化もヨーロッパにはなかった。

でも(斎藤)聡さんにも協力をしていただいて、最終的にはバルサと共同事業を立ち上げることとなりました。

そして頻繁に「大事な打ち合わせがあるから行かないと」と言ってバルセロナへ……。そうやって、会社に利益をもたらすことと、自分のやりたいことをかけ合わせながら仕事をしていました。

北:ものすごいバイタリティですね。

是永:その後、マンチェスター・ユナイテッドにも、モバイルサイトをつくらないかという提案をファックスで代表番号に送りました。当時はスター選手がたくさん在籍していたので、ミーハー気分もありました(笑)。

すると、バルセロナから事前に話を聞いて興味をもってくれていたみたいで、すぐに返事が来たんです。早速、翌日か翌々日には現地に行ったと思います。「次はマンチェスターに打ち合わせに行かなきゃ……」と(笑)。

マンチェスター・ユナイテッドのモバイルサイトの開設準備をしたりしているうちに、今度はリバプールからモバイルサイト事業をやりたいと連絡が来ました。

北:リバプール側からの逆オファーですか!

是永:実は、マンチェスター・ユナイテッドのスタッフに熱烈なリバプールファンがいたんです。たぶん彼女が熱心に情報を流してくれたのでしょう(笑)。

北:今では当たり前となった、サブスクリプションモデルのビジネスを、国内でも世界でも展開していたということですよね。『超WORLDサッカー!』の会員数は何人くらいだったんですか?

是永:月額300円で、一番多い時は有料会員数は15万人以上はいました。日韓ワールドカップ以降、日本サッカーもどんどん盛り上がっていくにつれて、競技人口やファン人口も増えていった流れにうまく乗れたんだと思います。

北:15万人......!月額300円のサービスで、 単純に計算したら、月4,500万円じゃないですか。サブスク課金だけで少なくとも、年商5億超えていたということですね。すごすぎる。

是永:それに加えて広告掲載での収益やマーチャンダイズなどもやっていました。ほかにも会社として様々な事業がありましたので、売上はもっと大きかったですね。

北:マーチャンダイズは具体的にはどんなことを?

是永: 最も記憶に残っているのは、FCバルセロナ×キティちゃんのコラボグッズですかね。あと、CDも出したんですよ。

北:CDですか!?

是永:2006年ドイツW杯の時です。サッカーっぽい曲をテクノアレンジして収録して『超WORLDサッカー!』名義で出しましょうと提案があって。なんと、オリコン初登場124位…!これがいいのか悪いのかちょっと分からないですけど(笑)。

ポッドキャストも配信していました。「居酒屋で話すようなサッカー談義をしよう」というコンセプトで社長や上司を説得して、実際に会社でビールを飲みながら収録していましたね(笑)。

【サッカーの仕事は、いくらやっても疲れない】

北:現場での取材と同時並行で新しいことにチャレンジをしたり、ビジネスを展開していたんですね。

是永:もちろん全部を1人でやったわけではないですし、たくさんの方々の協力があってこそ。でも「あれやろうよ、これやろうよ」と大きな声は常に出していました。

サッカーの仕事っていくらやっても疲れないんですよ。仕事だと思っていないから(笑)。

講演などで今でも若い子たちに言っているのは「寝なくても大丈夫なことを仕事にしようよ」ということ。

もちろん「本当に寝るな」って言っているわけじゃないですよ。だけど、自分が心の底から「楽しい」と思えることじゃないとやる気が出ない。上達もしない。

ビジネスの世界でも『1万時間の法則』などがありますが、自身がある程度の成果を残すためには、一定以上そのことにかける時間が必要ですから。

北:今でこそ、サッカーメディアがいろんなビジネスに挑戦することが当たり前になってきてますけど、当時は「メディア=記事書いて終わり」という時代でしたよね。

是永:それでは生き残れないので、とにかく差別化だと思っていました。当時は現在よりも記者クラブの発言力が強い時代で、普通の取材もままならなかった。だったら、普通じゃないことをやるしかないよねって。

『超WORLDサッカー!』の編集長をやっている時は、「サッカーに関連していれば何をやってもいい」と思って、様々なことに取り組んでいました。

北:前例がないことをやってみて、ちゃんとビジネスにしてしまうのは、本当にすごいです。

是永:自分が、というより、よく許してくれたなと(笑)。当時の社長も上司も、本当に度量が大きい方たちでしたし、本当にありがたい経験をさせていただきました。

今振り返って思うのは、走り続けていた20代の時間はすごく重要だったなあ、ということ。その時期の過ごし方でおおまかに人生は決まるんだろうなあ、と感じています。

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