横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が引退、“ウルトラレフティー”が26年の現役生活に幕
2022.10.18 12:05 Tue
横浜FCは18日、元日本代表MF中村俊輔(44)の現役引退を発表した。今シーズン限りでの現役引退となる。神奈川県横浜市で生まれ育った中村は、日産FCジュニアユース(後に横浜マリノスジュニアユース)に所属。しかし、ユースに昇格できず、桐光学園高校へと進学した。その桐光学園では、3年次に全国高校サッカー選手権で準優勝。その左足のキックはすでに注目の的であり、1997年に横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)へと入団する。
プロ1年目から出番を得ると、直接FKを叩き込むなどチームを支え、新人賞を獲得。1999年には背番号10を背負うと、ベストイレブンにも選出された。2000年にはJリーグの最優秀選手賞を受賞した。
2002年の日韓ワールドカップ(W杯)に出場が期待されていた中で落選したが、その年の7月にセリエAのレッジーナで欧州に挑戦。左足のキックで世界を魅了し、2005年にはセルティックへと完全移籍した。2006年にはチャンピオンズリーグ(CL)でマンチェスター・ユナイテッドから2試合連続で直接FKを決めたことは日本のみならず、世界でも大きな話題となった。
その後も活躍を続け、セルティックのレジェンドにもなった中村は2009年6月にエスパニョールへと完全移籍。ラ・リーガに挑戦するも適応に苦しみ、半年でチームを退団。横浜FMへと復帰する。
近年はケガの影響もあり出番が減少。今季もチームはJ1復帰を果たす中、中村はJ2で5試合の出場にとどまっている。
JリーグではJ1通算408試合73得点、J2で15試合1得点、リーグカップで43試合7得点を記録。日本代表としても2006年、2010年と2度のW杯に出場。98試合で24得点を記録していた。
クラブを通じてフットボールキャリアを振り返りながら、数々のサポートに感謝の言葉を送っている。
「今シーズンをもち現役から退く決断をしました。幼稚園のときにサッカーボールを蹴り始めてから、40年もの月日が経ちました。はじめは、楽しいという思いだけで始めたサッカー。そのサッカーが仕事となり、プロサッカー選手として26年間も過ごすことができました。長いサッカー人生の中で、幾度となく苦悩や挫折がありましたが、いつも誰かが自分のことを支えてくれ、背中を押してくれました」
「一緒に戦ってくれたチームメイト、指導をしてくださった監督・コーチ、ケガの治療やケアをしてくれたドクター・トレーナー、クラブに携わっていただいた方々、そして、いつも熱い応援をしてくださるファン・サポーター、全ての皆様に感謝申し上げます。本当に多くの支えがあったからこそ、これまでサッカー選手として闘い続けることができました。26年間多くのご声援、ご協力をいただき誠にありがとうございました」
2002年の日韓ワールドカップ(W杯)に出場が期待されていた中で落選したが、その年の7月にセリエAのレッジーナで欧州に挑戦。左足のキックで世界を魅了し、2005年にはセルティックへと完全移籍した。2006年にはチャンピオンズリーグ(CL)でマンチェスター・ユナイテッドから2試合連続で直接FKを決めたことは日本のみならず、世界でも大きな話題となった。
その後も活躍を続け、セルティックのレジェンドにもなった中村は2009年6月にエスパニョールへと完全移籍。ラ・リーガに挑戦するも適応に苦しみ、半年でチームを退団。横浜FMへと復帰する。
復帰後は再び横浜FMで輝きを放つが、2017年にジュビロ磐田へと移籍。そして2019年から横浜FCでプレーしていた。
近年はケガの影響もあり出番が減少。今季もチームはJ1復帰を果たす中、中村はJ2で5試合の出場にとどまっている。
JリーグではJ1通算408試合73得点、J2で15試合1得点、リーグカップで43試合7得点を記録。日本代表としても2006年、2010年と2度のW杯に出場。98試合で24得点を記録していた。
クラブを通じてフットボールキャリアを振り返りながら、数々のサポートに感謝の言葉を送っている。
「今シーズンをもち現役から退く決断をしました。幼稚園のときにサッカーボールを蹴り始めてから、40年もの月日が経ちました。はじめは、楽しいという思いだけで始めたサッカー。そのサッカーが仕事となり、プロサッカー選手として26年間も過ごすことができました。長いサッカー人生の中で、幾度となく苦悩や挫折がありましたが、いつも誰かが自分のことを支えてくれ、背中を押してくれました」
「一緒に戦ってくれたチームメイト、指導をしてくださった監督・コーチ、ケガの治療やケアをしてくれたドクター・トレーナー、クラブに携わっていただいた方々、そして、いつも熱い応援をしてくださるファン・サポーター、全ての皆様に感謝申し上げます。本当に多くの支えがあったからこそ、これまでサッカー選手として闘い続けることができました。26年間多くのご声援、ご協力をいただき誠にありがとうございました」
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