「チームのために走る」高校時代の挫折で作られたスタイル、横浜FMの前田大然が東京五輪への想いを語る「いよいよ始まるな」
2021.06.29 18:25 Tue
横浜F・マリノスのFW前田大然が、東京オリンピックに臨むU-24日本代表に選出され、改めて心境を語った。
森保一監督は22日、東京オリンピックに臨むU-24日本代表の18名を発表。前田は18名に名を連ね、五輪出場の切符を掴んだ。
山梨学院大学附属高校から2016年に松本山雅FCに入団しプロキャリアをスタートさせた前田は、2017年に水戸ホーリーホックへと期限付き移籍。そこで大ブレイクすると、2018年には松本に復帰した。
2019年にはコパ・アメリカに臨む日本代表に選出されると、同年7月にポルトガルのマリティモへと期限付き移籍。プリメイラリーガで23試合に出場し3得点を記録。2020年に日本に復帰すると、横浜FMへと期限付き移籍。2021シーズンからは完全移籍に切り替わった。
今シーズンは明治安田生命J1リーグで18試合に出場し9得点と活躍。それもあり、U-24日本代表に選出された。
松本入団時の会見では東京オリンピックに出るというコメントをした前田。その目標が叶うこととなるが「FWなので点を獲ることが大事ですし、チームが勝つために僕自身もたくさん走らないといけないので、攻撃と守備の両方を見せられればと思います」とコメント。オリンピックでの舞台でも日頃のプレーを見せたいと語った。
ここまでのサッカー人生での苦難は前田には多くあり、高校時代の事が辛かったと明かした。「自分が高1の時に悪さをして、高2で丸々1年サッカーをやっていなくて、サッカーを辞めようかなと考えるぐらい色々ありました」とコメント。「色々辛いことはありましたが、そこは大変でしんどかったです」とした。
山梨県の名門・山梨学院出身の前田。小学6年生の時に観た全国高校サッカー選手権の決勝で優勝したのを目にし、中学時代から山梨学院への進学を目指していた。その夢が叶った中、自身の不祥事により部活で謹慎。その間、社会人チームでプレーをするなど、キャリアでも苦しい時期を過ごした。
その当時を振り返った前田は「それがあるまでは自分が自分がという風な感じでしたが、そういったことがあってから、1人ではサッカーはできないですし、生活もできないですし、たくさんの人の支えがあるからプレーできていると思うようになりました」と改心。「チームのために走るとかはそこで学ばせてもらいました」と語り、現在のプレースタイルもその挫折があったことで生まれたとした。
また「サッカーしていないときに社会人の人含めて色々な人に支えてもらったので、その人たちのために何かをしないとと思いました。ピッチの外でもたくさんやりましたし、ピッチではチームが勝つために、何をしたら楽になるのかを考えました」と、謹慎時の経験から今のスタイルが確立されたという。
サッカーを辞めることまで一時は考えた前田だが「サッカーは好きでしたし、それが一番にありますけど、家族の後押しや社会人のチームでも可愛がってもらえたので、そういった人の気持ちも背負ってサッカーをしないといけないと感じたので、辞めなかったのかなと思います」とコメント。苦しい時期に支えてくれる人のお陰だとし、「色々な人に迷惑を掛けたので、そういった人たちの分も頑張らないとダメだとなったので、それがあったからここまで来れたのかなと思います」と、その経験がしっかりと生きていると明かした。
前田は大阪府出身で5人兄弟。両親も支えてくれる中、教育方針は「親は自分のやりたいように、好きなことをやって良いという感じでした。自然とのびのびやってくれという方針でした」とコメント。名前の「大然」も「家族全員が自然の名前で、僕の場合は大自然から」と名前の由来を明かしてくれた。
自由に自然体で生きる前田。やんちゃもした中で、しっかりとキャリアを積み、東京オリンピックの切符を掴んだ。幼少期に体操でのオリンピック出場を夢見た前田は、サッカーでオリンピックに出場する。意識したのは「初めて世代別の代表に選ばれてから」とし、プロ入り時は「オリンピックに出たいと言っていましたが、まだその時はそのレベルに達していなかった」と実力が足りないと感じていたようだ。
それでも、海外移籍も経験し、しっかりと成長した。マリティモ時代に感じたことについても「走り回るということは海外でも通用しました」と語り、自身のプレースタイルは世界でも通用するとコメント。また「マリノス自体は走らないと試合に出られないですし、チームのために戦わないと試合に使ってもらえないので、教えてもらったというよりは、チームのみんながそうしているので、僕はその中でやっているというだけです」と、今のチームのスタイルも合っているようだ。
東京オリンピックでは金メダルを目指し、その先にはA代表という道が待っている前田。「もちろん、あの時よりは自分は成長していると思いますし、まだまだ成長できると思っています。ああいった経験もサッカー人生にあって良かったなと思います」と2年前のコパ・アメリカからの成長を実感している様子。「次の取材の時には良い報告ができるように頑張っていきたいと思います」と、東京オリンピックから帰ってきた時に良い報告がしたいと静かに闘志を燃やした。
森保一監督は22日、東京オリンピックに臨むU-24日本代表の18名を発表。前田は18名に名を連ね、五輪出場の切符を掴んだ。
2019年にはコパ・アメリカに臨む日本代表に選出されると、同年7月にポルトガルのマリティモへと期限付き移籍。プリメイラリーガで23試合に出場し3得点を記録。2020年に日本に復帰すると、横浜FMへと期限付き移籍。2021シーズンからは完全移籍に切り替わった。
今シーズンは明治安田生命J1リーグで18試合に出場し9得点と活躍。それもあり、U-24日本代表に選出された。
前田は29日にオンラインでのメディア取材に応対。改めてオリンピックに向けての心境については「次の試合を最後にチームに合流するので、いよいよ始まるなという気持ちと、オリンピックは僕たちはプレーするだけですが、プレーするにあたってたくさんの人々が手伝ってくれているので、僕たちはプレーでそういった人たちを元気にできればと思います」とコメント。気持ちの面で近づいてきた感じがあると語った。
松本入団時の会見では東京オリンピックに出るというコメントをした前田。その目標が叶うこととなるが「FWなので点を獲ることが大事ですし、チームが勝つために僕自身もたくさん走らないといけないので、攻撃と守備の両方を見せられればと思います」とコメント。オリンピックでの舞台でも日頃のプレーを見せたいと語った。
ここまでのサッカー人生での苦難は前田には多くあり、高校時代の事が辛かったと明かした。「自分が高1の時に悪さをして、高2で丸々1年サッカーをやっていなくて、サッカーを辞めようかなと考えるぐらい色々ありました」とコメント。「色々辛いことはありましたが、そこは大変でしんどかったです」とした。
山梨県の名門・山梨学院出身の前田。小学6年生の時に観た全国高校サッカー選手権の決勝で優勝したのを目にし、中学時代から山梨学院への進学を目指していた。その夢が叶った中、自身の不祥事により部活で謹慎。その間、社会人チームでプレーをするなど、キャリアでも苦しい時期を過ごした。
その当時を振り返った前田は「それがあるまでは自分が自分がという風な感じでしたが、そういったことがあってから、1人ではサッカーはできないですし、生活もできないですし、たくさんの人の支えがあるからプレーできていると思うようになりました」と改心。「チームのために走るとかはそこで学ばせてもらいました」と語り、現在のプレースタイルもその挫折があったことで生まれたとした。
また「サッカーしていないときに社会人の人含めて色々な人に支えてもらったので、その人たちのために何かをしないとと思いました。ピッチの外でもたくさんやりましたし、ピッチではチームが勝つために、何をしたら楽になるのかを考えました」と、謹慎時の経験から今のスタイルが確立されたという。
サッカーを辞めることまで一時は考えた前田だが「サッカーは好きでしたし、それが一番にありますけど、家族の後押しや社会人のチームでも可愛がってもらえたので、そういった人の気持ちも背負ってサッカーをしないといけないと感じたので、辞めなかったのかなと思います」とコメント。苦しい時期に支えてくれる人のお陰だとし、「色々な人に迷惑を掛けたので、そういった人たちの分も頑張らないとダメだとなったので、それがあったからここまで来れたのかなと思います」と、その経験がしっかりと生きていると明かした。
前田は大阪府出身で5人兄弟。両親も支えてくれる中、教育方針は「親は自分のやりたいように、好きなことをやって良いという感じでした。自然とのびのびやってくれという方針でした」とコメント。名前の「大然」も「家族全員が自然の名前で、僕の場合は大自然から」と名前の由来を明かしてくれた。
自由に自然体で生きる前田。やんちゃもした中で、しっかりとキャリアを積み、東京オリンピックの切符を掴んだ。幼少期に体操でのオリンピック出場を夢見た前田は、サッカーでオリンピックに出場する。意識したのは「初めて世代別の代表に選ばれてから」とし、プロ入り時は「オリンピックに出たいと言っていましたが、まだその時はそのレベルに達していなかった」と実力が足りないと感じていたようだ。
それでも、海外移籍も経験し、しっかりと成長した。マリティモ時代に感じたことについても「走り回るということは海外でも通用しました」と語り、自身のプレースタイルは世界でも通用するとコメント。また「マリノス自体は走らないと試合に出られないですし、チームのために戦わないと試合に使ってもらえないので、教えてもらったというよりは、チームのみんながそうしているので、僕はその中でやっているというだけです」と、今のチームのスタイルも合っているようだ。
東京オリンピックでは金メダルを目指し、その先にはA代表という道が待っている前田。「もちろん、あの時よりは自分は成長していると思いますし、まだまだ成長できると思っています。ああいった経験もサッカー人生にあって良かったなと思います」と2年前のコパ・アメリカからの成長を実感している様子。「次の取材の時には良い報告ができるように頑張っていきたいと思います」と、東京オリンピックから帰ってきた時に良い報告がしたいと静かに闘志を燃やした。
|
関連ニュース