メキシコとの3位決定戦。53年前を再現/六川亨の日本サッカー見聞録
2021.08.05 21:20 Thu
いよいよ五輪男子サッカーも3位決定戦と決勝戦を残すのみとなった。日本の3位決定戦の相手はご存じのようにグループリーグで2-1と勝ったメキシコだ。
両チームが五輪で対戦するのは、53年前の68年メキシコ五輪の3位決定戦が初対戦で(2-1)、その後は12年ロンドン五輪の準決勝(1-3)と今回のグループリーグ、そして3位決定戦で4回目となる。そのうち3回がメダルを賭けた戦いだけに、因縁の相手と言えるかもしれない。
そこで今回は53年前の大会を振り返ってみたい。
64年東京五輪に続き2大会連続の出場となった日本は、初戦でナイジェリアをエース釜本邦茂(メキシコ五輪得点王、元JFA副会長、元G大阪監督)のハットトリックで3-1と一蹴した。五輪でナイジェリアと対戦したのもメキシコ五輪が初めてだったが、その後も96年アトランタ五輪(0-2)、08年北京五輪(1-2)、16年リオ五輪(4-5)と日本の行く手を阻んできた因縁の相手である。
第2戦はブラジルだ。初戦で主将のMF八重樫茂生(故人)が相手のラフプレーでその後のプレーが続行不可能となったため、釜本を中盤に起用。しかしブラジルに左CKから先制を許したため、釜本を前線に上げて反撃に転じる。
グループリーグ最終戦の相手はスペインだった。2試合を終えて日本は1勝1分けの勝点3(当時は1勝で勝点2だった)、スペインは2勝の勝点4。日本がスペインに勝てば勝点は5になりスペインを抜いてB組の1位になる。
もしも日本が引き分ければ勝点は4で、スペインが勝点5のB組1位となる。準々決勝の相手はA組で、1位のフランスか2位のメキシコだった。
ここで長沼監督は岡野俊一郎コーチ(故人。元日本代表監督、JFA会長)と相談し、「準々決勝の相手としてはフランスが望ましい」としながらも、同じB組のブラジル対ナイジェリア戦の結果次第では「日本が準々決勝に進出できなくなる可能性もある」ので、「まずスペインに勝つこと」を前提にスペイン戦に臨んだ。
スペイン戦は序盤こそ相手の個人技に苦戦したが、徐々に日本も盛り返す。そして前半を終了してナイジェリアがブラジル相手に3-0とリードしていることが日本ベンチに伝わった。日本が勝つと準々決勝の相手はメキシコだ。ホームの利があること、1位抜けすると移動の負担が大きいこと、チームのタイプとしてフランスの方が戦いやすいこと。
こうした判断から残り25分となったところで、ベンチは交代選手に「点を入れるな。しかし点を取られるな。引き分けにしろ」と全員に伝えるよう指示した。
ところが、その後は日本が一方的に攻めだした。森孝慈(故人。元日本代表監督、元浦和、福岡監督)のシュートがポストを叩き、釜本がGK1対1から放ったシュートはバーに阻まれる。それでも0-0でタイムアップを迎え、日本は2位で準々決勝に進出した。
フランス戦では再び釜本が輝いた。先制点に続き逆転の決勝点を決め、渡辺のダメ押しの3点目をアシストした。ブラジルとフランスに勝ち、スペインを圧倒しながら引き分ける。今なら大健闘といったところだが、当時の対戦相手はいずれもアマチュアの代表だ。
大会中、地元メキシコやブラジル、コロンビアにはプロの選手も含まれていると話題になったが、FIFAは「五輪はアマチュアの大会であり、東欧の選手についても我々はアマと考えている。それでもプロがいるという非難があるが、それは国内オリンピック委員会の問題だ」として関与しなかった。
しかし、準々決勝の相手であるハンガリーは間違いなくワールドクラスのチームだった。前半こそ1失点と健闘したものの、後半は4連続失点で0-5と完敗した。
そして迎えた3位決定戦(メキシコは準決勝でブルガリアに2-3と敗戦)、日本は左ウイング杉山隆一(元ヤマハ監督)と釜本の黄金コンビで2点を奪いリードを広げた。メキシコは後半に獲得したPKもGK横山謙三(元日本代表監督、浦和監督)にストップされるなど拙攻が目立つ。するとスタンドの観衆もメキシコの拙い試合運びに「ハポン(日本)・ハポン・ラ! ラ! ラ!」と日本を応援するようになった。
試合は2-0のまま終了し、日本は五輪で初めてのメダルを獲得した。
あれから半世紀以上の時が過ぎ、今度は日本がホームでメキシコと銅メダルを賭けて対戦する。明日の埼玉スタジアムではどんなドラマが待っているのかわからないが、53年前を思うと無観客試合ということが残念でならない。
【文・六川亨】
両チームが五輪で対戦するのは、53年前の68年メキシコ五輪の3位決定戦が初対戦で(2-1)、その後は12年ロンドン五輪の準決勝(1-3)と今回のグループリーグ、そして3位決定戦で4回目となる。そのうち3回がメダルを賭けた戦いだけに、因縁の相手と言えるかもしれない。
64年東京五輪に続き2大会連続の出場となった日本は、初戦でナイジェリアをエース釜本邦茂(メキシコ五輪得点王、元JFA副会長、元G大阪監督)のハットトリックで3-1と一蹴した。五輪でナイジェリアと対戦したのもメキシコ五輪が初めてだったが、その後も96年アトランタ五輪(0-2)、08年北京五輪(1-2)、16年リオ五輪(4-5)と日本の行く手を阻んできた因縁の相手である。
第2戦はブラジルだ。初戦で主将のMF八重樫茂生(故人)が相手のラフプレーでその後のプレーが続行不可能となったため、釜本を中盤に起用。しかしブラジルに左CKから先制を許したため、釜本を前線に上げて反撃に転じる。
そして長沼健監督(故人。元JFA会長)は残り15分で松本育夫(元川崎F、鳥栖の監督などを歴任)に代えて渡辺正(故人。元日本代表監督)を投入。この交代策が的中し、2分後に渡辺は値千金の同点ゴールを決めた。
グループリーグ最終戦の相手はスペインだった。2試合を終えて日本は1勝1分けの勝点3(当時は1勝で勝点2だった)、スペインは2勝の勝点4。日本がスペインに勝てば勝点は5になりスペインを抜いてB組の1位になる。
もしも日本が引き分ければ勝点は4で、スペインが勝点5のB組1位となる。準々決勝の相手はA組で、1位のフランスか2位のメキシコだった。
ここで長沼監督は岡野俊一郎コーチ(故人。元日本代表監督、JFA会長)と相談し、「準々決勝の相手としてはフランスが望ましい」としながらも、同じB組のブラジル対ナイジェリア戦の結果次第では「日本が準々決勝に進出できなくなる可能性もある」ので、「まずスペインに勝つこと」を前提にスペイン戦に臨んだ。
スペイン戦は序盤こそ相手の個人技に苦戦したが、徐々に日本も盛り返す。そして前半を終了してナイジェリアがブラジル相手に3-0とリードしていることが日本ベンチに伝わった。日本が勝つと準々決勝の相手はメキシコだ。ホームの利があること、1位抜けすると移動の負担が大きいこと、チームのタイプとしてフランスの方が戦いやすいこと。
こうした判断から残り25分となったところで、ベンチは交代選手に「点を入れるな。しかし点を取られるな。引き分けにしろ」と全員に伝えるよう指示した。
ところが、その後は日本が一方的に攻めだした。森孝慈(故人。元日本代表監督、元浦和、福岡監督)のシュートがポストを叩き、釜本がGK1対1から放ったシュートはバーに阻まれる。それでも0-0でタイムアップを迎え、日本は2位で準々決勝に進出した。
フランス戦では再び釜本が輝いた。先制点に続き逆転の決勝点を決め、渡辺のダメ押しの3点目をアシストした。ブラジルとフランスに勝ち、スペインを圧倒しながら引き分ける。今なら大健闘といったところだが、当時の対戦相手はいずれもアマチュアの代表だ。
大会中、地元メキシコやブラジル、コロンビアにはプロの選手も含まれていると話題になったが、FIFAは「五輪はアマチュアの大会であり、東欧の選手についても我々はアマと考えている。それでもプロがいるという非難があるが、それは国内オリンピック委員会の問題だ」として関与しなかった。
しかし、準々決勝の相手であるハンガリーは間違いなくワールドクラスのチームだった。前半こそ1失点と健闘したものの、後半は4連続失点で0-5と完敗した。
そして迎えた3位決定戦(メキシコは準決勝でブルガリアに2-3と敗戦)、日本は左ウイング杉山隆一(元ヤマハ監督)と釜本の黄金コンビで2点を奪いリードを広げた。メキシコは後半に獲得したPKもGK横山謙三(元日本代表監督、浦和監督)にストップされるなど拙攻が目立つ。するとスタンドの観衆もメキシコの拙い試合運びに「ハポン(日本)・ハポン・ラ! ラ! ラ!」と日本を応援するようになった。
試合は2-0のまま終了し、日本は五輪で初めてのメダルを獲得した。
あれから半世紀以上の時が過ぎ、今度は日本がホームでメキシコと銅メダルを賭けて対戦する。明日の埼玉スタジアムではどんなドラマが待っているのかわからないが、53年前を思うと無観客試合ということが残念でならない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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