中村憲剛引退に重なる横浜Fのフィナーレ/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.11.03 14:00 Tue
11月1日、10時50分のことだった。川崎Fから「【重要】記者会見実施のお知らせ」というメールが届き、URLが添付されていた。
一昨日はルヴァン杯準決勝で敗れたFC東京を一方的に攻め立て、スコアこそ2-1の僅差だったが力の差をまざまざと見せつけて完勝した。それから一夜が過ぎて突然の「重要会見」のメールである。
すぐに親しい記者と連絡を取って情報交換をした。選手の海外移籍――例えば田中碧にオファーが来ていた――ならスポーツ紙が報じていただろうし、クラブはリリースを出すのが常で会見まではやらない。
鬼木監督が代表のスタッフに加わるという話は聞いたことがないし噂すらない。となると残る可能性は選手の引退だが、チーム最年長の中村はケガから復帰したばかりで昨日は決勝点を決めている。さりとて他に該当する選手は見当たらないので、やはり「憲剛に何かあったのかな」ということに落ち着き、クラブの公式You Tubeチャンネルでライブ配信される会見が始まるのを待った。
結果はすでにご存じの通り、中村は今シーズン限りでの現役引退を発表した。会見によると、すでに35歳の時から引退の時期を考えていたというが、情報化時代にあってメディアに一切漏れなかったのはチームメイトにすら直前まで伝えていなかったからだろう。それも憲剛なりの美学だったのかもしれない。
これで残すタイトルは16年にランナーズアップに終わった天皇杯だけになった。
中村は引退会見で「残り2カ月。1日も無駄にしたくない。タイトルを取りたいという気持ちは今までで一番強い」と言い切った。
11月2日現在、残り2カ月でリーグ戦は9試合だが、川崎Fはあと4勝すれば3度目のリーグ優勝が決まる。もう川崎Fのリーグ制覇は時間の問題で、早ければ11月21日のアウェー大分戦がXデーだ。
そしてリーグ戦で上位2位に入れば自動的に天皇杯の出場権を与えられ、準決勝でJ2とJ3の勝者との対戦が濃厚だ。これに勝てば元旦に国立での決勝戦ということになるが、今年の天皇杯は川崎Fに初戴冠の予感が漂う。
かつて横浜にはフリューゲルスというチームが存在した。しかし1998年、遠藤保仁が加入した年に、出資会社の佐藤工業が経営不振に陥り、同じく出資会社の全日空も赤字でクラブを運営することができなくなった。そこで10月に、同じ横浜をホームにする横浜Mとの合併が決定した。
11月7日、ホーム三ツ沢の最終戦でリーグは終了した。残すは第78回天皇杯のみ。これに敗れればチームとしての活動は終わりクラブも消滅する。ところが3回戦からの登場では大塚製薬(現徳島)に4-2、甲府に3-0と勝ってベスト8に進出。
そして準々決勝ではリーグ2位の磐田に2-1で競り勝つと、準決勝でも鹿島に1-0の勝利を収めて元旦の国立行きを決めた。迎えた決勝戦では清水に2-1の逆転勝ちを収め、MF山口素弘、GK楢崎正剛らはロイヤルボックスでカップを掲げて雄叫びをあげた。
川崎Fの選手は誰もが憲剛と1日でも長く一緒にプレーしたいと願っていることだろう。それはリーグ戦にとどまらず、天皇杯に賭ける思いも憲剛と同じなのではないだろうか。まして天皇杯は唯一取り逃している国内タイトルだ。
西日の差す元旦の国立に、チームメイトの手により宙に舞う憲剛。そんなフィナーレの光景がいまから目に浮かぶようだ。
【文・六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
一昨日はルヴァン杯準決勝で敗れたFC東京を一方的に攻め立て、スコアこそ2-1の僅差だったが力の差をまざまざと見せつけて完勝した。それから一夜が過ぎて突然の「重要会見」のメールである。
鬼木監督が代表のスタッフに加わるという話は聞いたことがないし噂すらない。となると残る可能性は選手の引退だが、チーム最年長の中村はケガから復帰したばかりで昨日は決勝点を決めている。さりとて他に該当する選手は見当たらないので、やはり「憲剛に何かあったのかな」ということに落ち着き、クラブの公式You Tubeチャンネルでライブ配信される会見が始まるのを待った。
結果はすでにご存じの通り、中村は今シーズン限りでの現役引退を発表した。会見によると、すでに35歳の時から引退の時期を考えていたというが、情報化時代にあってメディアに一切漏れなかったのはチームメイトにすら直前まで伝えていなかったからだろう。それも憲剛なりの美学だったのかもしれない。
彼に関するエピソードは多くのメディアが紹介しているので省くことにする。03年に当時J2の川崎Fに加入して18年、2000年代はJ1リーグもJリーグカップも最高成績が2位で「シルバーコレクター」とチームは揶揄されたこともあった。しかし17年にリーグ初優勝を果たすと翌年も連覇し、19年にはリーグカップも獲得した。
これで残すタイトルは16年にランナーズアップに終わった天皇杯だけになった。
中村は引退会見で「残り2カ月。1日も無駄にしたくない。タイトルを取りたいという気持ちは今までで一番強い」と言い切った。
11月2日現在、残り2カ月でリーグ戦は9試合だが、川崎Fはあと4勝すれば3度目のリーグ優勝が決まる。もう川崎Fのリーグ制覇は時間の問題で、早ければ11月21日のアウェー大分戦がXデーだ。
そしてリーグ戦で上位2位に入れば自動的に天皇杯の出場権を与えられ、準決勝でJ2とJ3の勝者との対戦が濃厚だ。これに勝てば元旦に国立での決勝戦ということになるが、今年の天皇杯は川崎Fに初戴冠の予感が漂う。
かつて横浜にはフリューゲルスというチームが存在した。しかし1998年、遠藤保仁が加入した年に、出資会社の佐藤工業が経営不振に陥り、同じく出資会社の全日空も赤字でクラブを運営することができなくなった。そこで10月に、同じ横浜をホームにする横浜Mとの合併が決定した。
11月7日、ホーム三ツ沢の最終戦でリーグは終了した。残すは第78回天皇杯のみ。これに敗れればチームとしての活動は終わりクラブも消滅する。ところが3回戦からの登場では大塚製薬(現徳島)に4-2、甲府に3-0と勝ってベスト8に進出。
そして準々決勝ではリーグ2位の磐田に2-1で競り勝つと、準決勝でも鹿島に1-0の勝利を収めて元旦の国立行きを決めた。迎えた決勝戦では清水に2-1の逆転勝ちを収め、MF山口素弘、GK楢崎正剛らはロイヤルボックスでカップを掲げて雄叫びをあげた。
川崎Fの選手は誰もが憲剛と1日でも長く一緒にプレーしたいと願っていることだろう。それはリーグ戦にとどまらず、天皇杯に賭ける思いも憲剛と同じなのではないだろうか。まして天皇杯は唯一取り逃している国内タイトルだ。
西日の差す元旦の国立に、チームメイトの手により宙に舞う憲剛。そんなフィナーレの光景がいまから目に浮かぶようだ。
【文・六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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