常勝軍団・鹿島の“象徴”MF小笠原満男が引退の理由を語る「ピッチの上で勝たせることができなくなった」
2018.12.28 14:38 Fri
▽28日、2018シーズン限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)の引退会見が行われた。
▽1998年に大船渡高校から鹿島に入団した小笠原は、1年目にJリーグデビューを果たすと、2年目以降は出場機会を増やしていき、その後はレギュラーとしてプレーした。
▽引退会見は、小笠原が長年プレーした本拠地の県立カシマサッカースタジアムで行われ、多くの報道陣が駆けつけた。
▽小笠原は会見の冒頭で引退を決断した理由について「最大の理由としては、今シーズン1年を振り返ってみて、なかなか試合に出る機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなってきたということです」と明かした。
▽また、「今の心境としてはサッカーが大好きだし、アントラーズが大好きだし、まだまだサッカーをやりたいという気持ちがあるっていうのが正直な気持ちです」としつつ「チームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくためには、自分が出場するよりもっとこれから若い選手、これからの選手にピッチに立って欲しいと思ったのも一つです」とコメント。「アントラーズが強くなるために必要なことだと思ったので、自分は身を引くときかなと思い決断しました」と理由を明かした。
▽21年間応援をしてくれたファン・サポーターに向けては「これまで応援していただいたサポーターの皆さんには感謝の気持ちしかないですし、良い時も悪い時も鹿島アントラーズ、自分を応援してくれて、その声援のおかげでここまでやってこれました。すごく感謝していますし、これからも鹿島アントラーズを応援していって欲しいなと思います」とメッセージを送った。
▽小笠原はJリーグ通算525試合69得点、Jリーグカップ通算63試合8得点、天皇杯通算59試合11得点を記録。Jリーグ優勝7回、Jリーグカップ優勝5回、天皇杯優勝4回、ACL優勝1回を経験し、クラブの20冠のうち17冠を達成した常勝軍団・鹿島の象徴。2001年から2005年、2009年にはJリーグベストイレブン、2009年には最優秀選手賞を受賞した。
※記者会見の全容は後ほど掲載します
▽1998年に大船渡高校から鹿島に入団した小笠原は、1年目にJリーグデビューを果たすと、2年目以降は出場機会を増やしていき、その後はレギュラーとしてプレーした。
▽小笠原は会見の冒頭で引退を決断した理由について「最大の理由としては、今シーズン1年を振り返ってみて、なかなか試合に出る機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなってきたということです」と明かした。
▽また、「今の心境としてはサッカーが大好きだし、アントラーズが大好きだし、まだまだサッカーをやりたいという気持ちがあるっていうのが正直な気持ちです」としつつ「チームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくためには、自分が出場するよりもっとこれから若い選手、これからの選手にピッチに立って欲しいと思ったのも一つです」とコメント。「アントラーズが強くなるために必要なことだと思ったので、自分は身を引くときかなと思い決断しました」と理由を明かした。
▽また、今後については「鹿島アントラーズにここまで育ててもらったので、これからは自分が恩返しして行きたい気持ちが強くなりました」とコメント。「具体的なことはこれから話をさせてもらいますが、アントラーズが強くなるために、もっともっと成長していくために、そこの力になれることを自分なりに見つけたいと思います」と語った。
▽21年間応援をしてくれたファン・サポーターに向けては「これまで応援していただいたサポーターの皆さんには感謝の気持ちしかないですし、良い時も悪い時も鹿島アントラーズ、自分を応援してくれて、その声援のおかげでここまでやってこれました。すごく感謝していますし、これからも鹿島アントラーズを応援していって欲しいなと思います」とメッセージを送った。
▽小笠原はJリーグ通算525試合69得点、Jリーグカップ通算63試合8得点、天皇杯通算59試合11得点を記録。Jリーグ優勝7回、Jリーグカップ優勝5回、天皇杯優勝4回、ACL優勝1回を経験し、クラブの20冠のうち17冠を達成した常勝軍団・鹿島の象徴。2001年から2005年、2009年にはJリーグベストイレブン、2009年には最優秀選手賞を受賞した。
※記者会見の全容は後ほど掲載します
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