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【六川亨の日本サッカーの歩み】東京五輪の公式ソングを歌うのは?

▽まだ2年先の話ではあるが、2020年東京五輪・パラリンピックの開閉会式を演出する総合統括に、狂言師の野村萬斎さんが就任した。そして五輪統括には映画監督の山崎貴さん、パラリンピック統括には広告クリエーティブディレクターの佐々木宏さんが就任した。五輪は野村さんと山崎さん、パラリンピックは野村さんと佐々木さんが中心となって具体的な演出と企画をする。 ▽狂言師の野村さんに加え、山崎さんは映画「ALWAYS三丁目の夕日」や「永遠の0」で日本アカデミー賞最優秀監督賞を2度受賞。佐々木さんは、16年リオ五輪・パラリンピックのハンドオーバーセレモニー(東京大会への引き継ぎ式)の演出チームとして活躍した。いずれも現在の日本を代表するクリエーターだけに、どんな開閉会式になるのか楽しみだ。 ▽こうした国際的なイベントに欠かせないのが「大会公式ソング」だろう。54年前の東京五輪では三波春夫さんが和服姿で「東京五輪音頭」を歌っていた。当時小学1年生だった僕は、オリンピックという国際的なイベントと夏祭りで踊っていた「音頭」の組み合わせに違和感を覚え、子供心に気恥ずかしさを感じてしまった。 ▽いま振り返ると、当時はニューミュージックもJポップもない時代であり、歌謡曲や演歌が全盛だっただけに、国民的な歌手である三波さんが歌ったのは当然のことだったのだろう。 ▽さて2年後の東京五輪である。もしも公式ソングを作るとして、歌うのは幅広い層のファンを持つサザンオールスターズか。あるいはEXILEやテノール歌手の秋川雅史さんあたりが候補になるのだろうか。 ▽そこで個人的な提案である。W杯では98年フランス大会から公式テーマソングが採用された。リッキーマーティンが歌ったノリノリの曲を覚えている読者も多いことだろう。しかし02年日韓大会や06年ドイツ大会はどうも印象が薄い。むしろ10年南ア大会で女性シンガーのシャキーラ(バルセロナのピケと結婚)が歌った「Waka Waka」はいまも耳に残っているし、なぜかロシアW杯でも流れていた。 ▽その後のブラジルはもちろん、ロシアでもFIFAの公式テーマソングはあったが、スタジアムで耳にした記憶はない。そんなロシアのスタジアムでいつも流れていたのは「トロイカ」であり「カリンカ」だった。いずれもロシア民謡として50代以上の年齢層には聞き覚えのあるメロディーだ。 ▽ちなみに日本のサポーター集団であるウルトラスもロシア大会ではこの「トロイカ」を応援ソングに採用した(98年フランス大会はフランスの歌手ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」、06年のドイツ大会は西ドイツの音楽グループ、ジンギスカンの「ジンギスカン」を採用)。 ▽日本対コロンビア戦の2日後、JFA主催の懇親会で田嶋会長と飲んだ時も、同世代ということもあり、スタジアムで流れている「トロイカ」は「小学生の頃に音楽の時間に歌った記憶がある」ということで意見が一致した。 ▽話を20年東京五輪に戻そう。大会公式テーマソングを作るのもいいが、海外から訪れる多くの観客や選手、関係者に対し、ロシアW杯で採用した「トロイカ」ように誰もが知っている馴染みの曲を使うのも1つの方法ではないだろうか。 ▽と提案したところで、世界的にヒットした日本の歌はというと、坂本九さんの「スキヤキ」か由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」くらいしか思いつかない。もしかしたら若い世代にはアニメソングの方が有名かもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.08.06 19:00 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】やはり3決はテンションが上がらず再考が必要か

▽長かったロシアW杯も、7月15日の決勝戦でフランスがクロアチアを4-2で下し、20年ぶり2回目の優勝で幕を閉じた。正直な感想は、「やはり、そう簡単に新たなW杯優勝国は出現しないな」というものだった。 ▽それでもクロアチアはよく頑張ったと思う。3試合連続して延長戦を戦った後での決勝戦。にもかかわらず、守備を固めてカウンターを狙うのではなく、試合開始から積極的に攻撃を仕掛けた。彼らのそうした姿勢が、ともすれば“ガチンコ勝負”で退屈な試合になりがちな決勝戦を盛り上げたのだと思う。 ▽これでW杯は4大会連続してヨーロッパ勢が制覇した。ブラジルをはじめアルゼンチンやウルグアイといった南米ビッグ3がこれほど早い段階で姿を消したのは、組み合わせのせいだけではないだろう。 ▽そうした大会全体の総括や決勝戦のレビューについては今週木曜のコラムに譲るとして、今回は3位決定戦について考察してみた。 ▽大会前のイングランドは、けして下馬評の高いチームではなかった。ダイア-、スターリング、ケインら若返りに成功したとはいえ、得点力不足に課題を抱えていた。グループステージではパナマに6-1と大勝するなど2位でラウンド16に進出し、コロンビア(PK戦)とスウェーデンを連破したことで52年ぶりのベスト4に進出した。 ▽しかし準決勝でクロアチアの前に延長戦で力尽きて3位決定戦に回った。それでもイングランドにとっては66年イングランド大会の優勝に次ぐ最高成績を残すチャンスだった。それは対戦相手のベルギーも同様で、86年メキシコ大会の4位(3決でフランスに敗退)を上回る絶好の機会だ。このため好ゲームを期待したのだが……。 ▽イングランドにとって、クロアチアとの延長戦に加え中2日(ベルギーは中3日)の日程は体力的に厳しかったのかもしれない。さらに、ベルギーはイングランドの長所を見事に消してきた。 ▽今大会のイングランドの基本システムは3-5-2で、3バックの前に攻守のつなぎ役としてヘンダーソンを置き、インサイドハーフは右リンガード、左アリで、左右のウイングバックにトリッピアーとヤングを配し、ケインとスターリングの2トップというフォーメーション。 ▽左右のウイングバックは守備時にDFラインまで下がり5バックとなるが、特徴的だったのはマイボールになると左右に大きく開いていたことだ。ボールを持ってカットインすることも、ダイアゴナルランでゴール前に飛び込むこともほとんどない。コンパクト&スモールフィールドが常識の現代サッカーにおいて、異質とも言えるスタイルだった。 ▽左右に大きく開くことで、サイドチェンジは有効になる。しかしDFトリッピアーとヤングに与えられた役割は、2トップと彼らとの間にオープンスペースを作ることだった。意図的に味方の選手と距離を取ることで、相手DF陣をワイドに広げる。そしてできたスペースにインサイドハーフのリンガードやアリが侵入して3トップや4トップを形成する。準々決勝で対戦したスウェーデンは彼らを捕まえきれずに苦戦した。 ▽ところが3位決定戦のベルギーは、いつもの3バックに加え、サイドハーフのムニエとシャドリが戻り5バック気味にしてスペースを消したことと、イングランドはリンガードとアリ、ヤングをベンチスタートにしたため前半の攻撃は手詰まり状態が続いた。 ▽なんとか後半は選手交代から攻撃は活性化したものの、決定機は後半25分にワンツーからダイア-が抜け出しGKと1対1になったシーンのみ。体力、技術、戦術ともベルギーが1枚上手だった。スコアこそ0-2だったものの、ベルギーの完勝と言える。 ▽正直、試合内容は期待を裏切られた。イングランドの実力からすれば、それも仕方ないかもしれないが、両チームとも勝つか負けるかで「天国と地獄」というヒリヒリするような緊張感は、残念ながら今回の3位決定戦にもなかった。 ▽そして表彰式では、敗れたイングランドの選手は表彰されるベルギーの選手をピッチで見守るだけで、セレモニーが終わると静かにピッチを後にした。敗者が残る必要があるのか疑問の残るセレモニーである。 ▽敗者はもちろんのこと、勝者にも笑顔のない3位決定戦。6万を越える大観衆を集め、興業的には大成功かもしれないが、改めて存在意義を見直す必要があるのではないだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.17 14:00 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】寝台車が1時間も早く逆方向へ出発

▽ロシアW杯は、7月9日はレストデーということでつかの間の休息。残すは10日、11日の準決勝2試合と、14日、15日の3位決定戦と決勝戦のみとなった。ここまで来ると、長丁場のW杯も「あっという間だったな」というのがいつもの感想だ。 ▽今回のW杯はヨーロッパで開催されたため、国内移動に飛行機は一度も使わず、すべて寝台車を利用した。順を追って紹介すると以下のようになる。 ▽6月18日 カザン→サランスク 00:54発 翌日09:54着 8時間 6月22日 カザン→エカテリンブルグ 20:08発 翌日10:22着 14時間14分 6月25日 エカテリンブルグ→カザン 08:12発 21:37着 13時間25分 6月26日 カザン→ヴォルゴグラード 12:21発 翌日11:48着 23時間27分 6月29日 ヴォルゴグラード→モスクワ 10:20発 翌日10:38着 24時間18分 7月1日 モスクワ→ロストフ 12:20発 翌日11:19着 23時間 7月3日 ロストフ→モスクワ 14:30発 翌日07:35着 17時間5分 7月5日 モスクワ→カザン 23:08発 翌日10:45着 11時間37分 7月8日 サマラ→モスクワ 03 :42発 22:25着 18時間17分 ▽これにあと2日、モスクワ-サンクトペテルブルクの2往復があるが、こちらは近距離のため乗車時間はそれほど長くない。上記の移動時間を合計すると、6日と9時間18分ほどを寝台車で過ごした計算になる。車中では、同乗者がいなければコンパートメント(上下2段ベッドの4人乗り)の机で仕事ができるが、同乗者がいればそうはいかない。さらに停車した駅以外ではネットがまったく通じないため、ほとんどの時間を寝るか本を読んで過ごすしかなかった。 ▽車中ではロシアやポーランドのサポーターと同室になることも多く、彼らは一様にコロンビア戦の勝利やセネガル戦の引き分けを讃えてくれた。そんな寝台車の移動で、一度だけトラブルに見舞われたので、恥を承知で公開したい。 ▽寝台車に乗る際は、乗り場で乗車券(A4の予約表)とパスポートを提示し、係員がリストと照合してからになる。忘れもしない6月19日、いつものように早めに駅に着くと、目的の列車が発車するプラットフォームを確認。すでに列車が到着しているので、乗車券とパスポートを係員の女性に提示すると、「コンパートメントは1号ね」と親切に教えてくれた。 ▽今回の移動はカザンのアパートを引き払い、モスクワのアパートに移り住むため大型と小型のスーツケース2個を持参だ。このため早めにスーツケースをコンパートメントに運び込み、駅のホールに戻って水と昼食用の菓子パンを買って自分のソファー(兼ベッド)に戻って一息ついた。 ▽すると、出発まで、あだ1時間はあるのに、突然列車が動き出したからビックリ。この寝台車には記者仲間も乗るため、急きょ出発が早まったなら連絡しないといけない。そう思いつつ目の前のロシア人夫婦に「モスクワ行きですよね」と確認すると、なんと返ってきた答は「ソチ行きだよ」という。 ▽寝台車を乗り間違えた! 1本前の列車だった。その瞬間、頭の中は真っ白。「取りあえずヴォルゴグラード1駅に戻らないといけない」――そう思い乗務員に次の停車駅と時間を聞くと、「今夜の0時過ぎにソチに止まるまで、ノンストップよ」と言われてしまった。さらに、「ソチから寝台車でモスクワに行くなら到着は7月3日の深夜1時になるわ」と言いつつ紙に書いてだめ押しの一撃。これでは2日の日本対ベルギー戦に間に合わない。 ▽モスクワにスーツケースを置いてからロフトスへ移動するのが本来の目的だ。そうした事情を知らずに集まってきた女性乗務員たちは、口々に「日本の次の試合会場はロストフでしょ」とか、「なんで直接ロストフ行きの列車に乗らなかったの」と(たぶん)言ってくる。もうお手上げ状態だ。 ▽するとそこへ、乗車の際にパスポートと乗車券をチェックした英語の話せる女性乗務員が顔を出したので、持っている乗車券を見せると自分の間違いに気づいたようで、右手を額に当て「Oh、No」といった(かどうかは分からないが)感じで顔を曇らせる。 ▽そこで、ヴォルゴグラードからモスクワへ行き、さらにモスクワからロストフへ行く予定であることを、予約してある乗車券を示して説明しつつ、スーツケースをモスクワでドロップすることを伝えた。彼女も理解してくれたようで、一度姿を消して待つこと10分。戻って来た彼女は「次の駅で停車するので、そこで降りて。そこからバスかエレクトリック・トレインでヴォルゴグラード1駅に戻りなさい。列車を降りたら駅員にこの紙を見せて」と、破ったノートにロシア語で走り書きしてくれた。 ▽あとでロシア語を読めるカメラマンに訳してもらったところ、そこには「私はヴォルゴグラード1駅に戻る必要があります」と書いてあるとのことだった。 ▽止まるはずのない駅で降りると、すでに降車口には2人の駅員が待機していて、スーツケーを駅舎まで運んでくれる。そして駅舎に入ると女性が待ち受けていて、パスポートとIDを確認しながら英語とロシア語の氏名を書き写すと事務所へと消えた。その間、待つこと5分、スマホで顔写真も撮影された。 ▽やがて戻って来た女性は、次の電車の最後尾に乗るよう身振り手振りで示してくれる。乗ったら乗ったで、車内の添乗員が「スーツケースは出口に置いておいていいから、こちらのシートに座って」と同じく身振り手振りで示してくれた。 ▽初めて乗ってみて気づいたのだが、これはガイドブックで紹介されていた市内近郊を走るエレクトリーチカ(電気電車)という電車で、長距離の寝台車が止まる駅ではない。間違いに気づいた女性乗務員は、間抜けな日本人のために寝台車を急きょヴォルゴグラード1駅に戻れる駅に緊急停車し、その後のフォローを駅の乗務員に託してくれたのだった。 ▽無事、ヴォルゴグラード1駅に戻ると、ここでも降車口に3人のボランティアが待っていた。リーダーらしき女性に付き従い切符売り場に案内されると、「新たに乗車券を買う必要があるけど買いますか」と言うので「ダー(イエス)、ダー」と連呼。すると彼女は番号札を引き抜き窓口に行って係員と一言二言かわすと、いきなりデジタル表示がいま引き抜いたばかりの番号に変わり、待つことなく乗車券を買えた。 ▽当初の乗車券はヴォルゴグラード10時20分発でモスクワ到着は翌日の10時38分だった。新たに購入した乗車券は3等列車のため6人乗りの寝台車と狭かったものの、15時30分発なのに、モスクワには翌朝の7時過ぎに到着する。8時間近い短縮だ。 ▽無事にモスクワ行きの寝台車に乗れて、改めて彼女の機転とその後のフォローには感謝せずにはいられない。列車を降りるたびに駅員やボランティアが待ち受けていて、先導して案内してくれる。ちょっとVIPになった気分もしたが、むしろ1人で初めて海外旅行する小学生を、行く先々でキャビンアテンダントがフォローしたと言った方が正しいかもしれない。 ▽彼女、彼らには別れ際に何度も「スパシーバ(ありがとう)」と繰り返したのは言うまでもない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.10 20:00 Tue
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【2022年カタールへ期待の選手①】吉田麻也とともにファルカオ、ニアン、ルカク封じに奔走。次世代の日本の守備の要へ/昌子源(鹿島アントラーズ)

▽わずか10秒足らずの電光石火のカウンターからナセル・シャドリ(WBA)の逆転弾が決まり、直後にタイムアップの笛が空しく鳴り響いた瞬間、日本代表スタメン最年少であり、唯一の国内組として奮闘した昌子源(鹿島)がピッチに倒れ込んで号泣した。時間が経っても立ち上がれず、長友佑都(ガラタサライ)に抱きかかえられるように起き上がったが、それほどまでに8強の壁を破れなかった悔しさを誰よりも強く感じていたのだろう。 ▽「相手のすごいカウンターってこういうのかなと。僕の全速力で追いかけたけど、追いつけないスピードっていうか、加速していくし、スピードが落ちることなく、気付けば僕らのゴール前にいるしね。最後のスライディングも僕やったし、なんで追いつけんのやろっていう悔しさと…。なんか不甲斐なかったですね、いろいろと」と背番号3を背負って、吉田麻也(サウサンプトン)とともにロメル・ルカク(マンチェスター・ユナイテッド)封じに全身全霊を注いだ男は、最後の砦になり切れなかったことを悔やんだ。 ▽それでも今回の2018ロシアワールドカップで昌子が果たした役割は大いに目を引くものがあった。大会前の予想では、吉田の相棒は槙野智章(浦和)だと見られていたが、最後のテストマッチだった6月12日のパラグアイ戦(インスブルック)での安定感あるパフォーマンスが西野朗監督の琴線に触れ、13日にベースキャンプ地・カザン入りしてからはずっとレギュラー組に入っていたという。 ▽迎えた19日の初戦・コロンビア戦(サランスク)。背番号3に課せられた仕事は相手エースFWラダメル・ファルカオ(モナコ)封じ。開始早々の3分に相手に退場者が出て、香川真司(ドルトムント)のPKで1点をリードするという追い風が吹いたことも大きかったが、昌子はファルカオに徹底マークを見せ、仕事らしい仕事をさせない。その冷静さと落ち着きはワールドカップ初参戦とは思えないほどだった。ファン・フェルナンド・キンテーロ(リーベル・プレート)に直接FKを決められ、無失点試合ができなかったことはチームとして悔やまれるところだったが、昌子の守備は高評価を与えられるべきものだった。 ▽「『国内組唯一』とか『俺がJリーグを背負ってる』というのは全くなかった。むしろワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦(2017年8月=埼玉)の方が緊張しましたね。今回はそれに比べたらそんなに緊張することなく落ち着いてやれたかな」と本人は大舞台にめっぽう強い自分に胸を張った。 ▽首尾よく初戦で勝ち点3を得た日本は、続く24日のセネガル戦(エカテリンブルク)でも勝ち点1を手に入れる。この試合も2度のリードを許す苦戦を余儀なくされたが、乾貴士(ベティス)と本田圭佑(パチューカ)が同点弾を決めるという劇的な展開だった。昌子の今大会2度目の大仕事はエムバイェ・ニアン(トリノ)封じ。体格的に大きく下回るだけに体をぶつけ、相手の自由を奪うことに徹する。今大会はVAR判定が導入されているから、不用意に手を使ったり、体当たりをするようなことがあれば、即座にPKやレッドカードの対象になりかねない。細心の注意を払いながら相手エースFWの失点を許さなかったことで、彼の地位は確固たるものになった。 ▽28日の3戦目・ポーランド戦(ボルゴグラード)は先輩・槙野に先発の座を譲ったが、何とか2位通過したことで、待望の決勝トーナメントの舞台に立つことができた。その相手・ベルギーはFIFAランキング3位の優勝候補に挙げられる強豪。ルカク筆頭に、エデン・アザール(チェルシー)、ケビン・デ・ブライネ(マンチェスター・シティ)らイングランド・プレミアリーグで華々しい活躍を見せるタレント集団だ。前日会見に出席したアザールは「もうブラジル戦のことを考えているのではないか?」と問われて「日本に勝てるかどうか分からない」と謙虚な物言いを見せたが、本音の部分では「昨年11月の親善試合(ブルージュ)でアッサリ倒した相手に負けるはずがない」という余裕が見て取れた。 ▽そんな彼らの鼻をへし折ることが日本に求められたが、前半から一方的に押し込まれる。そこで体を張ったのが吉田と昌子。彼らのルカク封じは確かに見る者の心を打った。「僕のルカク選手のイメージは、とてつもないところにあった。それで実際にやってみて、その通りかそれ以下だった方が楽じゃないですか。でもルカク選手はイメージと同等、もしくは上に来たから、すごいいっぱいいっぱいでしたね」と背番号3は述懐したが、それでも結果的にルカクにゴールを許していない。そこは誇れる点だろう。 ▽ただ、日本としては4試合7失点。守備陣としてはその現実を受け止めなければならない。「日本を守れる男になりたい」と昌子は痛感したというが、だったら本当にそういう存在になってもらうしかない。今大会を最後に長谷部と本田という10年以上、代表で戦ってきたベテランが去り、吉田を中心とした新たな陣容で4年後に向かっていくことになるが、昌子が担う仕事も少なくない。これからは「スタメン最年少」ではなく、「日本の大黒柱の1人」としてチームを引っ張らなければならない。それを強く自覚して、彼にはさらなる高みを目指してほしい。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.07.07 19:00 Sat
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【六川亨の日本サッカーの歩み】ポーランド戦のパス回しとロシアの勝利

▽この原稿を書いているのは7月1日の午後20時近く。モスクワからロストフへの寝台列車の中だ。今日17時から始まったラウンド16のロシア対スペインは、ロシア人サポーターがiPadで観戦中だったので、客室にお邪魔して一緒に見させてもらった(ビールも奢ってくれた)。 ▽FKからOGでスペインに先制を許すと、「仕方ない」といった表情で口数が少なくなる。彼らにしても、グループステージを通過すればスペインかポルトガルが待ち受けていただけに、あまり多くを期待していなかったのかもしれない。 ▽さて本題である。日本対ポーランド戦の後半40分過ぎからの日本のパス回し。0-1で負けているにもかかわらず、2位セネガルがコロンビアにリードを許したため3位に転落し、日本が2位に浮上したから西野監督も指示したのだが、これについて賛否両論が出た。 ▽それはそれで健全な証拠だと思う。グループステージ最終戦で前回優勝国のドイツを倒した韓国からすれば、溜飲を下げつつもグループステージで敗退しただけに、ベスト16に進んだライバル日本に対し「潔くない」と批判の意見が出るのは十分に予想できた。 ▽他にも世界各国から賛否両論の意見が出た。例えば、大会のレギュレーションに従えば2位以内に入るのがグループステージの戦い方であり、日本が批判されるのは見当違いだという好意的な意見もあれば、W杯と日本の価値を貶める行為と非難する声もあった。 ▽個人的には、どちらも当てはまらないと思う。なぜなら、あのメンバーではポーランドからゴールを奪うことは不可能と思えたからだ。セネガルの失点は僥倖のようなもの。西野監督としては残り時間を耐えて、あとは運を天に任せるしか選択肢はなかっただろう。 ▽6人のメンバーを入れ替えた理由を西野監督は主力の疲労によるものと説明した。それは理解できる。しかし、宇佐美貴史は攻守とも貢献したシーンは皆無に近い。なぜ西野監督が選んだのか不思議でもある。酒井高徳は必死に酒井宏樹に攻撃のスペースを作ろうとしたが、慣れないポジションのためか効果はなかった。槙野智章はやはり守備に不安があり、すぐに手を使う癖は抜けていない。 ▽西野監督は負傷の岡崎慎司に代え大迫勇也、宇佐美に代え乾貴士を投入した。残り1枚のカードは守備固めに長谷部誠を使ったが、例え香川真司か本田圭佑を起用しても、あのメンバーではゴールの匂いがまったく感じられなかった。 ▽裏返せば、日本の選手層はかなり薄いことをポーランド戦では露呈した。だから、「あのメンバー」では1点のビハインドでもボールを回すしかなく、セネガルの失点と、ポーランドの消極的な試合運びという二重の幸運も日本に味方した。 ▽もしも、日本がドローを目指して攻撃に出る、あるいはブーイングに怖じ気づいてロングキックに逃げる――実際、コロンビア戦やセネガル戦ではそうした時間帯もあったが――ことこそ恐れた。 ▽なぜなら日本は、過去にW杯出場まであと数十秒と迫りながらカウンターを食らい、アディショナルタイム(当時はロスタイム)にCKから同点ゴールを許してW杯初出場を逃した苦い経験があるからだ。こうした過去を踏まえて、今回のポーランド戦の日本のプレーを解説した欧州や南米のメディアはない。そこまでは知る由もないだろうから、気にする必要もない。 (C)Toru Rokukawa▽といったところで、通路から歓声が上がり、大騒ぎしているようだ。通路に出てみると、ロシア人サポーターが重なり合うように、iPadのある客車に群がっている。どうやらロシアがスペインを下したようだ(1-1の延長からPK戦を4-3で下す)。ホストカントリーが勝ち上がれば、それだけ大会も盛り上がるので、今後の快進撃を期待したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.07.02 21:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】VARの功罪とは

▽6月14日のロシア対サウジアラビアで開幕したW杯も12日が過ぎ、各グループとも2試合を終え、今週からは最終戦を迎える。すでにグループステージ突破を決めた国、敗退の決まった国もいるが、ドイツやアルゼンチン、ブラジルら、どちらかというと下馬評の高かった国の苦戦が目立つ。 ▽そんななか、大会序盤から話題を呼んだのが、今大会から導入された「ビデオ・アシスタント・レフェリーシステム」、いわゆるVARシステムである。幸いにもというべきか、日本はまだ新システムによる“被害”も“恩恵”も受けていない。 ▽このVAR、個人的には反対派だ。まず試合の流れが止まり、緊迫感が薄れること著しい。そして、例えばテニスでは選手が要求すれば高速スローの映像で、選手、審判、コートの観客はもちろん、TV視聴者にもジャッジの正誤がわかる。しかしVARでは、問題のシーンはスタジアムとTVで繰り返されても、具体的にどのプレーを主審はファウルと判断したのか分かりづらい。 ▽大会序盤、VARで増えたのがPKの数である。正当なファウルと主審が判断してプレーオンにしても、このVARで判定が覆ってPKとなるシーンをかなり見た。それだけ主審はPKを見逃してきたのか。あるいはVAR導入により、試験的にPKをなるべく取らないようにしているのか。こちらは大会後の総括で明かされるだろう。 ▽これまでペナルティーエリア内で攻撃側の選手が倒されてもPKにならないシーンがあった。攻撃側の反則、いわゆるシミュレーションである。近年のFIFA(国際サッカー連盟)は特にシミュレーションを厳密に取るよう通達してきた。 ▽ところが今大会はシミュレーションによる警告やFKが少ないような気がする。ドリブルを仕掛けてペナルティーエリアに入る。その一瞬、攻撃側の選手がファウルを誘ったり、自らダイブしたりしたかどうか。その判断は前後のプレーも含め、瞬時に決めなければならない。 ▽これなどは、VARでの判定はかなり難しいのではないだろうか。最新の映像技術で繰り返し問題のシーンを見直しても、選手の内面までは映し出すことはできないからだ。「現場の空気感」、あるいは「主審の直感」が選手の精神状態を把握できるのかもしれない。もちろん、触れていないのにダイブするような選手は、もはやファン・サポーターに笑われ者であることは言うまでもない。 ▽VAR導入で増えた見苦しいプレーもある。それはファウルを受けたと主張する選手が、主審同様に両手でボックスのジェスチャーをしてVAR判定を求めることだ。アクチュアルプレイングタイムを増やすためにも、不必要なアピールには口頭で注意を与えるなど試合のスピードアップに努めて欲しい。 ▽いずれにしても、VARについては問題となったシーンや大会後に総括として触れざるを得ないと思っている。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.26 14:30 Tue
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【ロシア注目選手①】究極のポリバレントプレーヤー。3バックでも4バックでも力強く西野ジャパンを支える/原口元気

▽5月31日に2018年ロシアワールドカップ最終登録メンバー23人が決まり、2日から直前合宿地であるオーストリア・ゼーフェルトで調整している日本代表。ドイツ国境に近い現地は標高1200mの高地で、ノルディック複合の渡部暁斗(北野建設)が平昌五輪銀メダル獲得前にワールドカップ3連覇を果たした縁起のいい場所でもある。 ▽ただ、代表が現地入りしてからは天気の変化が目まぐるしい。晴れ間がのぞく日中は25度前後の暑さになるが、連日のように雷雨に見舞われ、夕方以降は気温が15度以下に急降下する。寒暖差が大きいだけに、調整に失敗するとロシア本番に支障が出かねない。香川真司(ドルトムント)は「海より山の方がいいですね。静かで集中できるし」と話していたが、この環境をプラスに活用していくことが突貫工事を迫られている今の日本代表にとっては重要だろう。 ▽西野朗監督は5月30日のガーナ戦(日産)でトライした[3-4-3]の新布陣と、これまでの4バックをベースとしたフォーメーションを併用すべく練習に励んでいる。「監督が言っていたのは、4枚は積み上げてきた部分があるし、すぐに立ち返れるから、3枚をできるようにするということ」と原口元気(デュッセルドルフ)が話すように、戦い方の幅を広げるべく鋭意奮闘中だ。2週間足らずの準備期間でこうしたアプローチはリスキーだが、それをやり切るには選手たちの高度な柔軟性と適応力が強く求められてくる。1人何役もこなせる原口のような存在がキーマンになるのは間違いないだろう。 ▽実際、原口のカメレオンぶりは凄まじいものがある。[3-4-3]システムで右ウイングバックと右シャドウをこなしたと思いきや、4日の紅白戦では[4-2-3-1]の右MFでプレー。3本目の途中にはダイナミックなドリブル突破から豪快な一撃を決めている。ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督時代には左MFやボランチ、右サイドバックでも使われ、ヘルタでも1トップに入ったことがあるほど。そのマルチぶりは危機に瀕するチームにとって本当に頼もしい。 ▽「自分はどこでもできるとは思ってる。4枚の前(2列目)は一番得意だし、やりたいと思ってるけど、自分のよさは『やれ』と言えわれたことをやり切れたり、求められてることを深く表現してできること。そこは僕の強みだし、しっかり表現できたらいい」と本人も自信をのぞかせる。 ▽4月の監督交代によって、本田圭佑(パチューカ)、岡崎慎司(レスター)、香川の「ビッグ3」らザックジャパン時代の中心選手が形になった今回のチームだが、ワールドカップ初参戦のフレッシュなメンバーが奮起しなければ、ミラクルは起こせない。2016年9月のタイ戦(バンコク)を手始めに、10月のUAE(埼玉)・オーストラリア(メルボルン)、11月のサウジアラビア(埼玉)と最終予選4戦連続ゴールの日本新記録を樹立した原口はその筆頭だろう。 ▽この大活躍の後、彼は所属していたヘルタ・ベルリンで移籍騒動に巻き込まれ、ドイツでの出場機会が激減。「試合に出ていない選手は呼ばない」というハリル前監督の方針もあり、代表でも厳しい立場に追い込まれた。ロシア切符を手にした昨年8月のオーストラリア戦(埼玉)でも乾貴士(エイバル)にスタメンの座を奪われる事態に直面。本人も焦りをにじませた。 ▽しかしながら、今年1月のドイツ・ブンデス2部・デュッセルドルフ移籍によって再び出番を勝ち取り、復調のきっかけをつかんだ。2月2日のザントハウゼン戦での脳震盪という予期せぬアクシデントにも見舞われ、一時は起き上がることも、携帯を見ることも禁止される状態に陥ったが、ともと誰よりもタフで負けん気の強い男は奇跡的な回復を遂げ1カ月でピッチに戻ってきた。この苦しみもロシアへの思いを深める大きな原動力になったはずだ。 ▽代表でのゴールはすでに1年半も遠ざかっているが、ゼーフェルト合宿での一挙手一投足を見ると、鋭い得点感覚が戻りつつある印象だ。直近には8日のスイス戦(ルガーノ)、12日のパラグアイ戦(インスブルック)という2つのテストマッチも控えている。指揮官はそこでも3バックと4バックを目まぐるしく変え、原口のポジションも頻繁に入れ替えると見られる。そこで自身の役割を深く考えすぎず、自然体を貫き、伸び伸びとプレーできれば、ゴールという結果はきっとついてくるだろう。 ▽今年に入ってからの日本代表は、3試合の総得点がわずか2。今回落選した中島翔哉(ポルティモネンセ)が3月のマリ戦(リエージュ)で奪った1点と、ウクライナ戦(同)で槙野智章(浦和)がリスタートから決めたゴールしかない。だからこそ、前線のアタッカー陣は目に見える数字が強く求められる。最終予選序盤戦をけん引した男に託される期待は非常に大きい。原口が停滞感を打ち破ってくれれば、西野ジャパンにも光が差し込む。どうしても守備やハードワークに時間を割かれがちではあるが、一発のチャンスに集中して枠を捉えること。そこに集中して、日本の救世主になってほしいものだ。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.06.08 23:30 Fri
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】今季ブンデス出場機会大幅減もW杯では何かをやりそうな予感。2002年の稲本を目指せ! 浅野拓磨

▽2018年ロシアワールドカップ本大会に挑む日本代表の直前合宿が21日からスタート。初日は欧州組10人が参加する形で西野朗新監督率いる新生ジャパンが船出した。 ▽3度目の本大会出場を目指す本田圭佑(パチューカ)、岡崎慎司(レスター・シティ)ら実績ある面々に交じって、2016年リオデジャネイロ五輪世代の浅野拓磨(ハノーファー)が精力的な走りを見せていた。 ▽今季の浅野はドイツ・ブンデスリーガ1部で15試合出場(うち先発7試合)という低調な結果に終わった。その数字も全てシーズン前半のもので、2018年に入ってからはリーグ戦出場ゼロ。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が指揮を執っていた3月のマリ・ウクライナ2連戦(リエージュ)はクラブでの実情を理由にメンバーからも外された。 ▽だが、西野監督は爆発的スピードと推進力を誇る快足FWを「必要な存在」だと捉え、あえて抜擢に踏み切った。 ▽「ここで代表に入ることができなかったら、アピールする場がそもそもないという考え方だった。チャンスを与えてもらった分、僕は持っているものをこの期間で出すだけかなと。今年に入ってアピールは1つもできていないので、クラブでできなかったことを全部出し切る感じですかね」と浅野は初練習後に力強くコメントしていた。 ▽今回の代表は彼や井手口陽介(クルトゥラル・レオネサ)のように所属クラブで出番を得られなかった選手、香川真司(ドルトムント)や岡崎のようにケガの不安を抱えている選手も招集されていて、選考自体を否定的に見る向きも根強い。 ▽浅野が入るであろう右FWも、今季ベルギー1部で11得点を挙げた久保裕也(ヘント)やオランダ1部で9得点の堂安律(フローニンヘン)、Jリーグで活躍中のスピードスター・伊東純也(柏レイソル)がリスト外になったこともあって、「なぜ試合に出ていない浅野なのか」という声は聞こえてくる。 ▽そこを本人も認識したうえで、「自分のプレーを出せる自信はありますし、ゴールという結果を残せる自信もある。そんなにコンディションが悪いとも思ってないです」と改めて語気を強めたのだ。そう発言した以上、今の浅野がやるべきなのはゴールに直結する仕事。そこに集中するしかないのだ。予選突破を決めた昨年8月31日のオーストラリア戦(埼玉)で先制弾を挙げたように、30日のガーナ戦(日産)でその再現を見せ、さらにロシア本番でも抜群のスピードで世界一線級の相手をかく乱することができれば、彼の選出に誰もが納得するはずだ。 ▽過去のワールドカップでも、大会直前に何らかの問題を抱えながら活躍した選手はいる。その筆頭が2002年日韓ワールドカップで2ゴールを挙げた稲本潤一(北海道コンサドーレ札幌)だ。当時所属のアーセナルで1年間公式戦出場から遠ざかっていた彼は初戦・ベルギー戦(埼玉)と第2戦・ロシア戦(横浜)で連発。一躍、時の人となった。その稲本と同じアーセン・ヴェンゲル監督に才能を買われ、アーセナルに引っ張られた浅野としては、偉大な先輩と同じ道を歩みたいところだ。 ▽「短期決戦のワールドカップは何も考えない『野性児タイプ』の方が意外と活躍できたりする傾向が大きい」と2010年南アフリカワールドカップ16強戦士の松井大輔(横浜FC)も冗談交じりに語ったことがあったが、確かに当時の稲本も、今の浅野もそのカテゴリーに属する。1つ1つのことを深く考える繊細さと緻密さは、時としてプレーの足かせになってしまうが、大胆不敵なスピードスターの浅野にその心配はなさそうだ。むしろ半年間試合に出ていない分、「ロシアで思い切り暴れまわってやる」といい意味で割り切って走り回れるのではないか。それが浅野の魅力でもある。 ▽今回からサンフレッチェ広島時代の恩師・森保一コーチも代表スタッフ入り。彼にはよりやりやすい環境が用意されたと言ってもいい。 ▽「森保さんも僕への理解は他の指導者より多いと思いますし、僕も森保さんに対する信頼は強い。代表というピッチで一緒にやれるのは、僕にとってすごく大きなプラスかなと思います」と本人も広島時代に積み上げてきたものを積極的に活用して、虎視眈々と生き残りを図っていくつもりだ。 ▽いずれにしても、FW陣で圧倒的なスピードと裏への飛び出しの鋭さを前面に押し出せるのは浅野だけ。そこは足元の技術に優れた本田や香川真司(ドルトムント)、ポリバレント型の宇佐美貴史や原口元気(ともにデュッセルドルフ)らとの違いだ。彼にしかない武器を日本躍進のためにどうやって有効活用するのか。そこにフォーカスして、浅野にはまずガーナ戦までの期間をしっかりと過ごし、23人滑り込みを果たしてほしいものだ。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.05.28 14:00 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】代表練習で感じた変わらぬ本田の姿勢

▽5月30日にキリンチャレンジカップでガーナと対戦する日本代表のキャンプが21日にスタート。この日はすでに帰国している海外組の岡崎慎司、本田圭佑、吉田麻也、香川真司、大迫勇也、酒井高徳、原口元気、宇佐美貴史、武藤嘉紀、浅野拓磨の10選手が1時間10分ほどの練習で汗を流した。 ▽ただし、岡崎だけは終始別メニューで、ランニングやサイドステップ、バックステップ、ストレッチなどの軽めの練習。2月上旬に膝を、4月には足首を傷めて実戦から遠ざかっていたが、走り方にもぎこちなさを感じさせ、全力でプレーできる状態ではなかった。30日のガーナ戦に間に合うのかどうか疑問であり、6月19日のコロンビア戦までに万全の状態に回復すると判断できなければメンバー外となる可能性もあるかもしれない。 ▽練習終了後は西野監督が囲み取材に応じ、本田について質問されると「非常にいいパフォーマンス。彼らしいスタイルで入ってきたかな」と高く評価していた。その本田、9分間のフリーランニング後、早川コンディショニングコーチから「テンポを上げて6分間」と指示が出て5分が経過し「そろそろダウン」と言われても、浅野と競うようにランニングのペースを上げて酒井高を追い抜くなどアグレッシブに練習に取り組んでいた。 ▽ただし、練習終了後のミックスゾーンでは、他の選手が報道陣の取材に応じているのに、本田だけは「お疲れ様」と言って足早に通り過ぎた。この日のミックスゾーンの目玉は本田、岡崎、香川の“ビッグ3"だっただけに、報道陣は肩すかしを食らった格好だ。ただ、それも本田らしいと思った。 ▽思い出されるのは8年前、南アW杯前にスイスのサースフェーで行われた事前合宿だ。当時のエースは中村俊輔だったが、持病の足首痛に悩まされ、早川コンディショニングコーチが付きっきりで1人別メニューの練習を続けていた。当時のシステムは4-4-2で右MFが中村俊の定位置だった。もしも中村俊が間に合わなければ、そのポジションは同じレフティーの本田が起用される可能性が高かった。 ▽中村俊はなかなか取材できないため、必然的に練習後の報道陣は本田にコメントを求めた。当初は取材に応じていた本田だったが、ある日のこと、囲んだ報道陣に対して自分から口を開き、「毎日毎日、質問されても同じ練習をしているので答えようがない。これが試合後や試合前には違ったことを話せるかもしれない。なので、これからは自分から話すことがあったら話します」といった趣旨のコメントで報道陣の理解を求めた。 ▽その時の本田は24歳で、まだチームの中心選手とは言えなかった。それでも当時の状況から本音を語ったことに、報道陣を無視した中田英寿との違いに感銘を受けたものだ(スポーツ紙は反発したが)。 ▽たぶん中村俊のコンディションが良ければ、毎日の取材の取材に応じ、今日の練習の目的や自分の役割、チームメイトのエピソードなど日替わりで話題を提供しただろう。それだけリップサービスのできる余裕があった。 ▽パーソナリティーの違いと言ってしまえばそれまでだが、本田は8年経ってもストイックな姿勢は変わらないことを再確認した21日の練習取材でもあった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.22 15:20 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】J開幕から25年。もう一度聞きたいチアホーン

▽昨日14日は、ロシアW杯に臨む選手35名の予備登録が行われた。ただ、これはFIFA(国際サッカー連盟)に提出する必要があるだけのため、JFA(日本サッカー協会)はリストを公表しないし、チームにも連絡はないそうだ。明日はルヴァン杯があるし、週末にはJ1リーグの試合があり、代表チームの活動は週明けとなる。このため、あえて公表する必要はないと判断したのだろう。FIFAもJFAの意向を受けて公式サイトでの公表を控えている。 ▽昨日、取材に応じた西野監督は香川や岡崎、本田の招集を示唆したようだが、18日にはキリン杯に臨む28名を発表する予定だ。当然35名の中から絞られた28名のため、予備登録の35名を発表する必然性はない。そして18日に発表される28名から、5名が篩いにかけられる。先週末のJ1リーグの報道は、試合の結果より代表候補の選手のプレーがクローズアップされていた。おそらく今週末のJ1リーグでは、その傾向にますます拍車がかかるだろう。 ▽といったところで、今日5月15日はJリーグが誕生して25年の節目を迎えた。25年前の今日、国立競技場でヴェルディ川崎vs横浜マリノスの開幕戦が行われたことは周知の事実。そして翌16日に残りの4試合が行われ、カシマスタジアムでは鹿島が名古屋に5-0と圧勝。ジーコはハットトリック第1号の活躍でチームを牽引し、サントリーシリーズの覇者となった ▽そのジーコが25周年記念のイベントのため来日しているが、Jリーグの村井チェアマンは派手な記念イベントを開催する気はないようだ。14日はJリーグが「社会と連携していく未来を探る」ためのワークショップを開催するにとどめた。過去を振り返るのではなく、あくまで未来志向の村井チェアマンらしい発想によるイベントだった。 ▽話は変わり、海外ではユベントスが7連覇を達成し、バルセロナやバイエルンなど「いつもの」チームが順当にリーグを制覇している。ところがJリーグは、首都圏のビッグクラブが毎年優勝争いを演じることの少ない、珍しいリーグでもある。 ▽記念すべきJリーグの開幕戦に登場し、初代の王者となったヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)は2009年にJ2リーグに降格して以来、1度もJ1に復帰できずに低迷が続いている。毎年のように主力選手を放出しては、クラブの存続に懸命の努力を続けている。 ▽同じことは「オリジナル10」の仲間であるジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)にも当てはまり、こちらは1年遅れの2010年にJ2に降格してから、昇格プレーオフに進んだこともあったが、最後の壁を突破できずJ2に甘んじている。 ▽ジェフは元々、JSL(日本サッカーリーグ)の名門・古河とJR東日本がタッグを組んだ最強チームのはずだった。しかし両社の関係は必ずしも良好とは言えず、先週、味の素スタジアムで会った元強化部長の川本氏は「もう古河OBは1人も残っていません」と言うように、川淵、小倉の元JFA会長や現会長の田嶋氏ら、多くの優秀な人材が流出した。25年も経てば、古河サッカー部の関係者の多くは定年を迎えている。そして現チームの主導権はJR東日本の関係者が握っているだけに、近年の低迷も致し方ないのかもしれない。 ▽そんなチームでも川本氏は愛着があるのか、「1度でいいから岡ちゃん(岡田武史・元日本代表監督)にジェフの監督をやってもらいたかった」と漏らした。もしかしたら岡田監督なら、低迷するチームを立て直すことができたかもしれないと思わずにはいられない。 ▽いまでは考えられないかもしれないが、25年前はジェフの試合でも国立競技場が満員の観客で埋まり、「カテゴリー1」というJリーグのオフィシャルショップで売られていたチアホーンの甲高い音がスタジアムにこだましていた。 ▽チームカラーで塗装したチアホーンは、一時は品切れになるほど爆発的に売れた。しかしスタジアム近隣の住民による騒音の苦情からチアホーンの販売は中止され、各チームもファン・サポーターに使用の自粛を求めたことで、短期間でチアホーンは姿を消した。あのチアホーンはどこにいったのか。いまとなっては懐かし、Jリーグ開幕の熱狂を想起させる、もう1度聞きたい音色でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.15 19:20 Tue
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】3年のスペイン2部経験はロシアで生きる。日に日に高まる吉田のパートナーに推す声 鈴木大輔

▽6月の2018年ロシア・ワールドカップに挑む日本代表の新たな指揮官に西野朗監督が就任してから約1カ月。新監督はヴァイッド・ハリルホジッチ前監督時代の主力メンバーの現状をチェックすると同時に、新たな武器になりそうな選手を洗い出しているという。 ▽4月下旬から赴いた欧州視察では、3月のマリ・ウクライナ2連戦(リエージュ)で選出から漏れた井手口陽介(クルトゥラル・レオネサ)や浅野拓磨(シュツットガルト)のところにも足を運び、コンディションをチェック。5月21日から東京近郊で行う直前合宿に呼ぶ意向を示しているようだ。 ▽5月14日にはFIFA(国際サッカー連盟)に提出する予備登録35人が明らかになる。そこに入っていなければ、ロシア行きのチャンス自体が潰えるわけだが、西野監督にどうしても手元に呼んでほしい選手が1人いる。それはスペイン2部のヒムナスティック・タラゴナでプレーするセンターバック・鈴木大輔。10代の頃から年代別代表の守備陣を担い、2012年ロンドン五輪でも吉田麻也(サウサンプトン)とコンビを組んで日本の4強入りの原動力になったDFである。 ▽そもそも鈴木はロンドン五輪直後に日本代表入りしていい存在だった。が、当時のアルベルト・ザッケローニ監督は今野泰幸(ガンバ大阪)を重用。吉田と長くコンビを組ませた。しかし、2013年6月のコンフェデレーションズカップ(ブラジル)で日本守備陣が3試合合計で大量9失点を喫すると、突如としてバックアップ探しに乗り出す。そこで目をつけたのは、森重真人(FC東京)。鈴木も2013年8月の東アジアカップ(韓国)に呼ばれたが、森重と栗原勇蔵(横浜F・マリノス)の下という位置づけにとどまった。 ▽その後も「鈴木は有力なセンターバック候補の1人」と言われ続けながら、代表定着は叶わず、2014年ブラジルワールドカップも逃した。清武弘嗣や山口蛍(ともにセレッソ大阪)らロンドン五輪メンバーの何人かが世界舞台に立つ姿を目の当たりにした鈴木は、自分に足りないものを求め続け、2016年2月に海外行きを決断する。2部と言えども、スペインリーグは世界屈指のレベル。そこに身を投じることで、自分に足りなかった泥臭い守備を学び、球際や寄せの部分に磨きをかけ、ここまでやってきたのだ。 ▽目下、日本代表のセンターバック候補者は、最終ラインの柱である吉田とハリルホジッチ監督の下で大きく成長した槙野智章(浦和レッズ)、最終予選途中までレギュラーだった森重、最終予選終盤に先発の座をつかんだ昌子源(鹿島アントラーズ)、日本人離れした高さと強さがウリの植田直通(鹿島)の5人。吉田に関しては、西野監督が真っ先に訪問したほど重要な存在ではあるが、彼のパートナーは依然として定まっていない。 ▽3月2連戦では槙野のリーダーシップが大いに光ったが、今季の浦和でのパフォーマンスを見る限りでは不安定な部分も垣間見える。森重も今季頭から復帰してはいるものの、代表でレギュラーを張っていた頃のような安定感は示せていない。鹿島の2人もチーム状態が悪いこともあるのか、ちょっとしたスキを作る場面が見られる。昌子に関してはケガも抱えていて、欠場を余儀なくされることも少なくない。つまり現段階で、4人の中で絶対的な選手はいないのだ。 ▽そういう状況だけに、鈴木を加えて競争を煽るのは、1つの有効のアイディアではないか。柏レイソル時代の鈴木は多少なりとも甘さが感じられたが、今では言葉の通じない異国で堂々と周囲に指示を出せるほどのタフさを身に着けたという。スペインの屈強なDFをリスタート時に封じたり、技術の高いアタッカーと1対1で徹底マークすることも多かったはず。その経験値はやはり海外にいるからこそ、得られたものに違いない。それはロシアの大舞台でも生かされる。彼自身も困難な環境で磨いた部身を日本のために発揮できるのなら感無量に違いない。 ▽もっと言えば、鈴木がハリルホジッチ前監督にここまで呼ばれなかった理由もこれまでハッキリしなかった。181㎝という身長が引っかかったのかもしれないが、彼が高さがない分を経験値でカバーできる選手であれば、代表入りは全く問題ないはずだ。 ▽西野監督も鈴木と同じスペイン2部の井手口のことを気にかけ、ドイツ2部でプレーする原口元気や宇佐美貴史(ともにデュッセルドルフ)のところにも足を運んだというから、新指揮官は欧州2部リーグ所属選手でも特に支障はないと考えている様子。鈴木の抜擢があってもおかしくはない。今回の予備登録メンバーに彼を加える意向はあるのか否かは非常に興味深い点と言っていい。 ▽いずれにしても、28歳になった鈴木大輔がどこまで戦えるDFになったのかはぜひ見てみたいところ。まずは21日から東京近郊で始まる直前合宿に呼んで、彼が真価を示すチャンスを与えてほしいものである。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.05.11 11:00 Fri
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【六川亨の日本サッカーの歩み】元日本代表監督の石井氏とのエピソード

▽去る4月26日、元日本代表監督の石井義信氏(享年79歳)がご逝去され、通夜が5月1日に催された。石井氏は広島県生まれで、高校卒業後に一般試験で東洋工業(現マツダ)に入社。サッカーは高校時代に始めたが、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)でレギュラーに定着すると、1965年に創設されたJSL(日本サッカーリーグ)では67年まで3連覇を達成すると、65年と67年の天皇杯優勝にも貢献した。 ▽1975年にはフジタ工業サッカー部(現湘南ベルマーレ)の監督に就任し、マリーニョやカルバリオらを擁して攻撃的なサッカーで、77年と79年にリーグタイトルと天皇杯の2冠獲得を達成した。そしてフジタの監督を退いた1980年からはJSLの常任運営委員に就任し、後のJリーグ創設にも貢献した。 ▽そんな石井氏が1986年に日本代表の監督に抜擢される。前任の森孝慈監督(故人)は85年10月26日のメキシコW杯アジア最終予選の第1戦に続き、11月3日の第2戦でも韓国に敗れ、W杯出場の夢を断たれる。森監督は強化のためにはプロ化が急務と考え、まず監督のプロ化の必要性を訴えたもののJFA(日本サッカー協会)は時期尚早と判断。森氏は代表監督から退いたため、石井氏に白羽の矢が立った。 ▽通夜にはフジタ時代の主力選手だったマリーニョさんや、日本代表の一員としてソウル五輪予選を戦った奥寺康彦さん、都並敏史さん、水沼貴史さん、金子久さんと谷中治さん、前田治さんら帝京高校OBなど懐かしい顔が揃い、故人を偲んでいた。 ▽そんな石井氏にとって忘れられない出来事がある。日本代表の監督時代はフジタの攻撃的なサッカーから一変、守備的なサッカーを採用した。ライバルの韓国は予選に参加していないものの、それでも日本の実力はかなり低いと判断したからだ。 ▽当時はセネガルに2-2で引き分けたり、広州市、広東省、上海市ともドローを繰り返したりしていた。監督に就任して強化の時間も少なかったが、ラモスやレナト・ガウショらブラジル人選手のいる日本リーグ選抜に0-1、韓国のクラブチームである大宇に1-2で敗れるなど低調な試合が続いた。 ▽そこで当時務めていたサッカー専門誌で石井ジャパンに批判的な記事を書いたところ、西が丘での練習後の囲み取材で質問したら一切無視された。普段は柔和な石井監督が質問を無視したのだから、よほど批判が気に入らなかったのだろう。 ▽それでも石井ジャパンはソウル五輪予選を勝ち上がり、中国との最終予選に進出した。第1戦は87年10月4日、アウェー広州での試合だった。この試合を水沼のアシストから原博実のゴールで1-0と逃げきる。 ▽6万人の大観衆が詰めかけた試合では、中国代表は東北部の遼寧省の長身選手が主力だったが、南部の広州での試合とあって、遼寧省の選手がボールを持つと中国ファンから大ブーイング。そして広州の小柄な選手がボールを持つと大声援という応援スタイルに、他民族国家の複雑さと同時に、サッカーの応援スタイルではヨーロッパに近く、「日本よりもファン、サポーターは先進的だ」と痛感したものだ。 ▽そして試合翌日、日本代表は朝6時のバスでホテルを発ち、日本に帰国する。そんな彼らを見送ろうと、寝起きの短パンTシャツ姿でバスの前で待っていると、石井監督は近寄ってきて握手を求めてきた。批判的な記事を書いてきただけに嫌われていると思っていたので意外だったが、それだけ石井監督にとっても会心の勝利だったのだろう。正直、うれしかった。 ▽ホームでの第2戦は引き分けさえすれば20年ぶりの五輪出場が決まる。霧雨の降る試合だったと記憶している国立競技場。開始直後に手塚聡が絶好のシュートチャンスを迎えたものの、ピッチの窪地に足を取られて外してしまう。そして試合は0-2で敗れ、石井ジャパンの挑戦は終わった。 ▽試合後の記者会見では、どこから紛れ込んだのか1人のファンが最前列で嗚咽をもらしていた。メキシコW杯に続くソウル五輪の最終予選での敗退。奇しくもその日は2年前のメキシコW杯アジア最終予選が行われた10月26日。オールドファンにとっては忘れられない忌まわしい10・26でもある。 ▽その後、石井氏は1999年に東京ガスの顧問に就任し、FC東京の創設とJリーグ参入に尽力した。練習場の小平や味の素スタジアムでは、いつもの柔和な顔で孫に近い選手を見守っていた。通夜では読経の前に弟さんが「サッカーに関われて幸せな人生だった」と故人の生前の声を伝えた。改めて石井さんのご冥福をお祈りします。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.07 22:25 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】過去にもあった代表監督解任に歴代JFA会長は…

▽4月7日に解任された元日本代表監督のハリルホジッチ氏が、4月27日に記者会見を開いた。同氏は約1時間20分にわたって熱弁を振るったが、内容は志半ばでの解任による悔しさと、解任理由がコミュニケーション不足であったことに疑問を呈した。そして、なぜ田嶋会長や西野技術委員長が「ハリル、問題が起こっているようだがどうなんだ」と一声相談するなり、フォローがなかったことに失望の念を表した。 ▽コミュニケーション不足を解任の理由に挙げられては、ハリルホジッチ氏も納得できないだろう。なぜならキャンプ中は毎晩、午後9時から15分間隔で、GK陣、DF陣、MF陣、FW陣とミーティングを開いていたからだ。海外組とも現地で試合を視察したり、電話などで連絡を取り合ったりしていた。 ▽一部の選手からは「ハリルではW杯を戦えない」という声も上がったそうだ。しかし、試合で使ってもらえない選手から不満が出るのは万国共通のはず。そのために西野技術委員長がいたはずだが、どうやらうまく機能していなかったようだ。 ▽JFAが代表監督を任期途中で解任するのは、これで2度目だ。最初の解任は97年10月4日、フランスW杯のアジア最終予選でカザフスタンと引き分けたため、当時の加茂監督が更迭された。その伏線は95年の暮れに遡る。フランスW杯のアジア予選に向け、加藤久技術委員長や田嶋技術委員らは、「加茂氏ではW杯予選を勝ち抜けない」と判断し、ネルシーニョ氏を次期代表監督に推薦した。 ▽しかし、年俸があまりに高額のため長沼会長(故人)はネルシーニョ氏の招聘を断念。いわゆる「腐ったミカン事件」である。これは後に判明したことだが、どうやら契約書が当初のものと書き換えられていたようで、それを長沼会長は「知らなかった」と後に述懐していた。 ▽加茂監督の続投は決まった。しかしながら記者から「もしもW杯の出場権を逃したらどう責任を取るのか」という質問に、長沼会長は決然と「加茂でフランスに行けなかったら、私が会長を辞める」と断言した。 ▽結果的に、加茂監督は任期途中で更迭された。その決断を下したのは、他ならぬ長沼会長だった。加茂ジャパンをサポートしつつも、最終的には苦渋の決断をしなければならなかった。長沼氏の責任を問う声に対しては、「任期満了をもって責任を全うする。それがサッカー界におけるやり方だ」と反論し、W杯後に会長職を岡野氏(故人)に譲った。 ▽そして4年後にも代表監督解任の危機はあった。トルシエ監督は99年のコパ・アメリカで惨敗を喫する。その他にも決定力不足や強化推進本部とのコミュニケーション不足、エキセントリックな性格からくる選手やメディアとの軋轢など様々な問題を抱えていた。 ▽強化推進本部の7人による投票の結果は、4対3でトルシエ監督の解任を決定。一般紙にも「トルシエ監督解任、W杯はベンゲル監督」と報じられた。ただ、最終的な結論は岡野会長に一任されたことで状況は変わる。強化推進本部に監督解任の決定権はなく、あくまで理事会の承認が必要だったからだ。 ▽そして岡野会長はトルシエ監督の留任を決定し、同氏に万全のサポート態勢を約束した。留任の理由については自著の「雲を抜けて、太陽へ!」で次のように説明している。 ▽「私自身はトルシエ氏の欠点を知っていたが、世界ユース選手権で日本を初めて準優勝に導いただけでなく、大会中に選手を孤児院に訪問させるなど、サッカー以外の体験をさせる指導方針を評価していた。また、オリンピック関係の会議でフランス人役員の絶対に謝らない気質を知っていたし、かつてのドイツのデットマール・クラマーの来日当初、通訳を務めた経験上、外国人コーチの孤立感を理解できた」 ▽コミュニケーション不足や選手との対立は、トルシエ監督の時代が最も激しかった。それをサポートしたのが現場では山本コーチであり、岡野会長だった。「フランス人気質と外国人コーチの孤立感」を理解したからこそ下せた決断である。 ▽長沼会長と岡野会長には、日本サッカーの将来を見据えた揺るぎない決断と、無限の包容力を感じるのは私だけではないだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.30 16:00 Mon
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】フレッシュな人材が求められるサイドアタッカー。ブンデス1部で活躍中の20歳に注目 伊藤達哉

▽4月7日に電撃解任された日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が21日に再来日し、世間を騒がせている。前指揮官は「まだ終わっていない」と強調していて、約1カ月半後に迫った2018年ロシア・ワールドカップ参戦に強い未練をのぞかせている。 ▽しかしながら、日本サッカー協会の田嶋幸三会長にとっては「もう終わったこと」と他人事。西野朗後任監督も近日中に欧州視察に出かける予定で、前任者に会うつもりはないという。日本の要人たちのこうした立ち振る舞いを見ているとハリルホジッチ監督が哀れに思えてくるが、一度下された決定が覆ることがないのがサッカー界の常識。ロシアには新体制で挑むのは間違いないはずだ。 ▽そういう中、注目されるのが、西野新監督がどのようなメンバー選考をするのかという点。川島永嗣(メス)や吉田麻也(サウサンプトン)、長友佑都(ガラタサライ)といったベースとなる人材は外せないが、前任者も流動的な起用を見せていたサイドアタッカーは別。そのタイミングで調子のいい人間を使うという方向を西野監督も採るのではないだろうか。 ▽そこで急浮上する可能性が出てきたのが、ドイツ・ブンデスリーガ1部のハンブルガーSV(HSV)で最近4試合連続スタメンを勝ち得ている20歳の伊藤達哉。ドイツには原口元気や宇佐美貴史(ともにデュッセルドルフ)のような年長者が何人かいるが、彼らがプレーしているのはブンデス2部。1部の浅野拓磨(シュツットガルト)は2018年に入ってから一度も公式戦出場機会を得ていない。彼らに比べて伊藤の活躍ぶりが目立つのは確かだろう。 ▽東京・台東区出身で、柏レイソルのアカデミーで育った166㎝の小柄なアタッカーは2014年4月にUAEで開催されたアルアイン・インターナショナルチャンピオンシップでHSVのスカウトの目に留まり、2015年7月に正式契約を結ぶことになった。 ▽そこからしばらくはセカンドチームで自己研鑽に励んでいたが、今季に入ってからマルクス・ギスドル元監督によってトップチームに引き上げられた。9月24日のレバークーゼン戦で後半37分からピッチに送り出された時点ではテスト的な抜擢だと見られたが、そこから7試合連続出場を果たし、完全なる戦力と位置付けられていった。 ▽Jリーグ経験者の鎌田大地(フランクフルト)や関根貴大(インゴルシュタット)でさえ、出番を得られていないのに、J経験のない若武者がブンデス1部の名門クラブで高評価を得たのは、やはり驚きに値する。「タツは確かに非凡な才能を持った選手だけど、あんまり持ち上げないでください」と同じクラブのキャプテン・酒井高徳がプレッシャーから守ったことも本人にとってはプラスに働いたのだろう。 ▽今年1月にギスドル監督が解任され、ベルント・ホラーバッハ監督、3月にはクリスティアン・ティッツ監督に指揮官が変わっても、伊藤が冷遇されることはなかった。とりわけ現体制になってからは、左MFの定位置を獲得。2部降格危機に瀕する名門を持ち前のハードワークと献身的な姿勢、高度なドリブルテクニックとゴールへの推進力で支えている。4月21日のフライブルクとの下位直接対決でも後半43分まで出場。全身全霊のこもったプレーで1-0の勝利に貢献してみせた。こういった一挙手一投足を見るにつけ、今の日本代表に必要な人材ではないかと感じる人も少なくないはずだ。 ▽ドイツの屈強な男たちと堂々と渡り合っている現状を踏まえると、フィジカル的な部分は全く問題ない。外国人慣れしているからメンタル的に臆することもない。そして何より大きいのは自ら大胆な仕掛けができること。3月のマリ戦(リエージュ)でA代表デビューを飾り、初ゴールを挙げた中島翔哉(ポルティモネンセ)と似たタイプと見られることもあるだろうが、伊藤の方が間違いなく守備やハードワークができる。そこはワールドカップの大舞台を戦ううえで必要不可欠な要素。伊藤は今、そのメンバーに選ばれるだけのポテンシャルを備えているのだ。 ▽左サイドは原口、宇佐美、中島に加え、西野監督が好む司令塔タイプの清武弘嗣(セレッソ大阪)や倉田秋(ガンバ大阪)など候補者が数多くいる。ただ、そのいずれも決定的な決め手がない。であれば、今後の日本サッカー界のためにも若く伸び盛りの伊藤を連れていくのはありではないか。右サイドに関しても、今、欧州で最も活躍している堂安律(フローニンヘン)を抜擢したら面白い。2020年東京五輪世代の2人を両サイドに据えるのはリスクが高いかもしれないが、そのくらいのリスクを冒さない限り、沈滞ムードの色濃く漂っている日本代表は変わらない。監督交代という大ナタが振るわれた今だからこそ、大胆な選手抜擢もできるはずだ。 ▽果たして西野監督はどう考えているのか。今回の欧州視察ではHSVに足を運ぶという情報もあるだけに、非常に興味深い。ここでベテランや経験豊富な人間ばかりを選ぶという消極的なメンバー選考をせず、近未来の日本代表に希望が見えてくるような人選を、ぜひともお願いしたいものである。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.04.26 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカーの歩み】日曜のJ2取材は町田で多くの新鮮な発見

▽22日は、J2のFC町田ゼルビアvsレノファ山口FCの試合を取材した。今シーズンから山口の監督に就任した霜田正浩氏は旧知の間柄ながら、なかなか山口まで取材に行くことは難しい。そこで町田ならと取材を思い立った。 ▽カードとしても上位争いをしている2チームだけに悪くはない。といったところで、ヴァイッド・ハリルホジッチ元監督が来日し、27日に記者会見を開くという。霜田氏は技術委員時代にハリルホジッチ元監督を招へいした当事者だ。このためJ2にしては異例とも言えるスポーツ紙の記者が集結した。誰もがハリルホジッチ元監督について霜田監督からコメントを引き出したかったのだろう。 ▽残念ながら試合後の記者会見では、町田の広報から「質問は今日の試合に関してのみお願いします」というガードがあり、帰り際に「ハリルとは電話で話しました」と聞くのが限界だった。 ▽さて、町田である。埼玉に近い板橋区から車で約2時間弱。やはり遠い。中央高速の府中インターまで、空いていれば40分もかからないが、インターを降りてからの一般道が長い。一度、神奈川県に入り、再び東京都に入る。電車なら小田急線の鶴川駅からバスかタクシーと、アクセスに悩まされるスタジアムでもある。 ▽しかしながら時間に余裕を持って到着したため、町田名物のピリ辛と甘い豚角煮のトッピングされた「YASS(ヤッス)カレー」を堪能した。2012年のJリーグ・スタジアムグルメ大賞に輝いた一品だ。そして晴天のグルメ広場では、カレーを食べながら特設ステージで地元・町田出身の7人組のコーラスグループ、『Machida Girls′Choir(まちだガールズクワイア)』の歌声も楽しめた。オリジナル曲もあれば、懐かしいキャンディーズや松田聖子の歌もある。 ▽ステージ後方では町田のユニホームを着た男性サポーターが熱い声援を送り、ステージ終了後はグッズを購入したファンと記念撮影に興じている。これはこれで、町田にJリーグが根付いていることを感じたし、関係者の努力の賜物でもあるだろう。 ▽試合は前半の町田の猛攻をしのいだ山口が先制。しかし後半立ち上がりに町田のFW杉森考起が同点弾を冷静に決める。しかし山口は後半25分にPKから再びリードを奪い、その後の町田の猛攻を跳ね返して2-1の勝利を収めた。 ▽といったところで、町田の同点ゴールを決めた杉森の名前を覚えているファンは少ないのではないだろうか。名古屋グランパスの下部組織出身で、17歳でプロ契約を結んだのはクラブ史上初。それよりも、14年ブラジル・ワールドカップ(W杯)でトレーニーとして参加した選手と紹介した方が「ああ、そんな選手もいたね」と思い出すかもしれない。 ▽ブラジルW杯では坂井大将(現アルビレックス新潟)とともにトレーニングパートナーに選ばれ、大会直前合宿から本大会まで帯同。イトゥーのキャンプ地では紅白戦要員に借り出されたり、チームの全体練習終了後は霜田技術委員とマンツーマンで指導を受けたりしていた。 ▽W杯のトレーニングパートナーに選ばれるのだから、将来を嘱望された選手でもあるだろう。しかし彼らがその後、アンダーカテゴリーの代表チームに名を連ねたものの、日本代表の一員になることはなく現在に至っている。ここらあたりもサッカーというチームスポーツの難しさかもしれない。指導者との出会い、チームとの出会いで環境は激変するからだ。 ▽霜田監督に会うのが目的の取材だったが、現場には様々な驚きや新鮮な発見がある。やはり試合はライブで見るに限る。そう、改めて感じたJ2取材の日曜日だった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.24 10:30 Tue
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】絶体絶命の危機に瀕する日本代表攻撃陣、残されたもう1枚のFW枠はやはりこの男! 岡崎慎司

▽3月のマリ・ウクライナ2連戦(リエージュ)で1分1敗と結果が出せず、欧州組を含めたフルメンバーのチームでは昨年10月のハイチ戦(横浜)から5戦未勝利と低迷が続く日本代表。日本代表もついにヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任に踏み切った。 ▽後任には西野朗技術委員長が就任することになったが、いくら船頭を挿げ替えたところで、選手たち自身が苦境を何とかしなければ、2018年ロシアワールドカップ惨敗は避けられない。絶対的左サイドバックの長友佑都(ガラタサライ)も「今の代表はみんなが考えすぎて全然イキイキしてない。何かオドオドしているというか、怖がっているように見える。ミスを怖がっていたら、全部ネガティブな方向に行ってしまう。もっと堂々とやった方がいい」とメンタル面の問題を指摘していたが、こういう苦境こそ、タフで逞しい選手が強く求められる。 ▽その筆頭と言えるのが、岡崎慎司(レスター)ではないだろうか。国際Aマッチ111試合出場50得点という傑出した代表実績を誇りながら、一度もチャレンジャー精神を忘れたことはない。どんな状況でもガムシャラに食らいつき、積極果敢に相手に向かっていく。そういう姿勢を前面に出せるから、彼や2010年南アフリカ、2014年ブラジルの両ワールドカップでそれぞれ1点ずつを奪えている。最終的には粉砕されたものの、ブラジル大会最終戦・コロンビア戦(クイアバ)で前半終了間際に決めた一撃は、岡崎のそんなメンタリティを如実に表していた。こういう存在は今のように停滞感の漂うチームには必要不可欠ではないか。 ▽ハリルホジッチ監督が考えていた1トップ像は、まず長身で、ボールを収める力があること。2~3人に囲まれてもしっかりとキープして他の選手が上がってくる時間を作れることが必須だった。この条件を最も満たしているのが大迫勇也(ケルン)であった。確かに大迫のポストプレーのうまさとタメを作る力は頭抜けている。彼抜きでタテに速い攻撃は考えられなかった。 ▽しかしながら、西野監督は柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスを率いた過去を見ると、必ずしもタテに速いスタイルには固執しない。大迫はもちろん最終登録メンバー23人に選ぶだろうが、3月2連戦に帯同した杉本健勇(C大阪)と小林悠(川崎)の両国内組、ドイツ・ブンデスリーガ1部で今季7ゴールを挙げている武藤嘉紀(マインツ)、岡崎らをフラットな目で見比べて、ベストだと考えられるコマを選択するはずだ。 ▽岡崎はご存知の通り、マインツでプレーしていた13-14、14-15シーズンにブンデス2シーズン連続2ケタ得点を達成。イングランドにステップアップした15-16シーズンにはレスターでプレミアリーグ制覇の偉業を果たしている。イングランドに赴いてからは1年目が5点、2年目の昨季が3点、今季もここまで6点と目標の2ケタには届いていないが、ここ一番の勝負強さは折り紙つき。この4年間、代表で起用されてきた1トップ候補の中で誰よりもゴールの匂いを漂わせていると言ってもいいだろう。 ▽ハリルホジッチ監督は岡崎を「求めているポストプレータイプとは違う」と考えていたようだが、3月2連戦ではハイラインで戦ってきた相手の裏を取れる選手が誰1人としていなかった。本番でもコロンビアやセネガルは高いラインを取ってくる可能性があるだけに、岡崎の使い道は十分に考えられる。 ▽しかも、彼は無尽蔵の運動量で前線からボールを追いかけ続けることができる。「前からはめる守備」を重要視するのえあれば、守りのスイッチを入れてくれるこの男を使わないのはあまりにもったいない。 ▽ともに「日本代表ビッグ3」を形成する本田圭佑(パチューカ)も「選ばれるかどうか半々」と自己評価している様子で、香川真司(ドルトムント)も長期離脱からの復帰が遅れている状況で、3人全員落選という恐れも否定できない。が、それではチームの柱がいなくなってしまう。「ベテランは入れた方がいい」と過去のワールドカップ経験者の多くが口を揃えているだけに、彼らの1人か2人はチームに残すべきだ。 ▽岡崎であれば目下、コンディションも悪くないし、先発でもサブでもベンチでも行ける。実際、7日のプレミアリーグ・ニューカッスル戦でも後半途中からピッチに立ち、ジェイミー・ヴァーディーの1得点をお膳立てする仕事を見せている。仮にベンチに居続けたとしても、縁の下からチームを支えることも厭わない。「ハセ(長谷部誠=フランクフルト)の次のキャプテン候補はオカがいいんじゃないかな」と川島永嗣(メス)も語ったことがあるほど、岡崎の人格は高く評価されている。 ▽西野新監督もそこに目を向け、しっかりとした決断を下すべきではないか。5月21日から発足する新生ジャパンの成否のカギは、間もなく32歳のなる雑草ストライカーが握っていると言っても過言ではない。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.04.11 19:00 Wed
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【六川亨の日本サッカーの歩み】ハリル解任

▽ハリルホジッチ監督解任――4月9日、日本サッカー界に激震が走った。ワールドカップ(W杯)を2カ月後に控えての監督交代劇。1997年10月のフランスW杯アジア最終予選、カザフスタン戦でドローに終わったあとに、当時の長沼健JFA(日本サッカー協会)会長が、加茂周監督を更迭し、岡田武史コーチを監督に昇格させて以来のショッキングな監督交代劇だった。 ▽これまでも何度か書いてきたように、ハリルホジッチ監督はW杯でジャイアントキリングを起こすために招聘された監督だった。しかし3月のベルギー遠征では選手から縦パスばかりの攻撃に不満が漏れ出した。 ▽若手選手が多かったせいもあるが、ハリルホジッチ監督を招へいした霜田正浩 元技術委員長がいれば両者の意見を汲んで進むべきベクトルを合わせることもできただろう。裏返せば、それだけ西野朗 技術委員長と手倉森誠コーチら代表スタッフは機能していなかったことの証明でもある。 ▽元々、西野技術委員長は「勝負師タイプ」の監督である。技術委員長に就任した際も、「スーツよりジャージの方が似合っているし、室内にいるよりグラウンドにいた方が気楽だ」と話していた。また、ガンバ大阪の監督を辞めて浪人中も、「自分はマグロのようなもの。回遊魚なので止まったら死んでしまう。ピッチにいないと息苦しい」と本音を漏らしていた。 ▽そんな西野氏に、「技術委員長は慣れましたか」と聞くと、決まって「慣れるわけないだろう!」という返事が返ってきた。元々、技術委員長のタイプでなないのだ。JFAのミスマッチは、この時点で明白だった。 ▽さらに3月のベルギー遠征では、選手の不満をスポーツ紙に漏らしたスタッフがいたと聞いた。西野氏の代表監督就任により、あるコーチがスタッフから外れるのは偶然なのか疑問が残る。 ▽こうした齟齬の積み重ねがハリル・ジャパンを蝕んでいたことは想像に難くない。そして、本来であればハリルホジッチ監督を解任するのは西野技術委員長のはずである。にもかかわらず田嶋会長が「渦中の栗」を拾う格好で解任会見を開いた。田嶋会長にしては珍しいとも思ったが、さすがに西野技術委員長がハリルホジッチ監督の解任をメディアに伝えつつ、「自分が後任監督を務めます」と言うことはできない。解任せざるを得なかった責任の一端は、技術委員長にもあるからだ。 ▽先にも書いたように、西野技術委員長は「タイプ」ではない。勝負師である。そんな西野氏を技術委員長に起用した田嶋会長は、ハリルホジッチ監督の更迭も視野に入れて西野氏を抜擢したのではないかと疑いたくなってしまう。 ▽かつて加茂氏が日産時代に代表監督待望論があったように、西野氏も過去には「代表監督を日本人にするなら」と待望論があった。名古屋グランパスやヴィッセル神戸の監督で結果を残せなかったため、そうした声は霧消したものの、1996年のアトランタ五輪では西野監督、山本コーチ、田嶋技術委員という間柄でもあった。 ▽当時は優勝候補筆頭のブラジルを倒し、「マイアミの奇跡」と賞賛されたものの、グループリーグで敗退し、西野監督は批判にさらされた。その復権を田嶋会長が期待したとしても不思議ではない。12日に予定されている会見で西野監督は何を語るのか。2010年南アフリカW杯の岡田監督以来となる日本人監督だが、昨日、岡田氏がS級ライセンスを返上したことが明らかになったのは、単なる偶然なのだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.10 13:30 Tue
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】日本人ブンデス組でトップの7ゴール。前線で体を張れるこの男の存在価値を見直せ!武藤嘉紀

▽2か月半後に迫った2018年ロシアワールドカップ本大会に向け、3月23・27日のマリ・ウクライナ2連戦(リエージュ)は非常に重要な最終調整のチャンスだった。 ▽ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も仮想・セネガルと仮想・ポーランドと位置付けられる相手に勝って、停滞感を打破するとともに、チームに弾みをつけようと考えていたが、マリ戦は格下相手に1-1のドローが精一杯。ウクライナ戦も1-2の敗戦を喫し、不安ばかりが募る直前テストマッチになってしまった。 ▽昨年11月のブラジル(リール)・ベルギー(ブルージュ)2連戦でも言えることだが、攻撃の迫力を全くと言っていいほど出せないのが、今のハリルジャパン。香川真司(ドルトムント)のように変化をつけられるアタッカーがいないこともあるのか、攻めのスイッチを入れる選手が見当たらない。 ▽最終予選序盤に4試合連続ゴールを奪った原口元気(デュッセルドルフ)も、2017年3月のUAE(アルアイン)・タイ(埼玉)2連戦で2ゴール3アシストと大ブレイクした久保裕也(ヘント)も足踏み状態が続いている。誰がどうやって点を取るのか。その解決策が見えない状態が続いている。 ▽その切り札の1人として、新たに推したいのが武藤嘉紀(マインツ)だ。今季ドイツ・ブンデスリーガ1部・7得点というのは、目下ハリルジャパンの絶対的1トップに君臨する大迫勇也(ケルン)の4ゴールより数字的には上回っている。 ▽加えて言うと、目下、2部3位とのプレーオフに回る16位に沈んでいるマインツはなかなか攻撃チャンスが巡ってこない。決定機らしい決定機は1試合に2~3回あればいい方。つねに主導権を握って優位に戦えるようなドルトムントのようなチームにいる香川とは置かれた環境が違いすぎる。終始劣勢に追い込まれ、守備負担も大きい中で7ゴールを取っているのは評価に値する。ハリルホジッチ監督はブンデス2部で宇佐美貴史(デュッセルドルフ)が2〜3月にかけて4試合連続ゴールを奪ったことを絶賛していたが、こちらも相手のレベルが低いのは事実。武藤の実績はもっとリスペクトされるべきなのだ。 ▽本人もそのあたりを不満に感じているのか、3月欧州2連戦のメンバーから漏れたことに対し「どういう選考基準かってことが定かではない」と顔を曇らせた。実際、ハリルホジッチ監督就任当初の2015年はコンスタントに代表に呼ばれていたから、「なぜ自分が冷遇されるのか」という不可解な感情が拭えないのだろう。 ▽しかしながら、彼が2015年秋から右ひざ負傷で長期離脱していた間に大迫や杉本健勇(セレッソ大阪)といった新たな1トップ候補が台頭した。代表50ゴールという傑出した実績を残している岡崎慎司(レスター・シティ)でさえ、ここ半年間メンバーから外されているのを見れば、競争の厳しさが分かるだろう。左サイドにしても、原口や乾貴士(エイバル)、今回の2連戦でインパクトを残した中島翔哉(ポルティモネンセ)のような新顔も現れた。1トップなのか、左サイドなのかという位置づけが難しい武藤が厳しい立場に立たされているのは間違いない。 ▽それでも、3月2連戦での攻撃陣が今一つだったこともあって、彼の逆転ロシア行きの可能性は残されている。複数ポジションをこなせる武藤のユーティリティ性はイザという時に重宝する。182㎝という身長にもかかわらず、跳躍力が日本人離れしている点も心強い。高さという面で不安を抱える日本にとって、空中戦で競り勝てる存在はやはり貴重だ。スピードやスプリント回数、運動量という部分でも武藤は秀でている。ハリルホジッチ監督は彼を使うポジションをなかなか見つけられないから、再招集をためらっているのかもしれないが、本当に使いどころがないのかどうか今一度、再検証してほしい。 「もちろんワールドカップに行きたい気持ちもありますけど、今はまずマインツを残留させること。とにかく自分はやり続けるしかない、自分のベストを尽くして、いい結果を出して呼ばれなかったらしょうがない。ワールドカップのためにサッカー選手になったわけじゃないし、ワールドカップなくてもこれからもサッカー人生続くので、自分自身のゴールとマインツの残留に全てを賭けたい。そこからどうなるか見てみたいなとは思います」と武藤は今の偽らざる本音を打ち明けたが、ここからの終盤戦でゴールラッシュを見せ、マインツ残留の立役者になることができれば、ボスニア人指揮官の見る目もガラリと変わるかもしれない。 ▽アルジェリアを率いていた4年前も、ハリルホジッチ監督は3月に呼んでいたメンバーを大幅に変えた実績がある。「私が選ぶのは今、いい選手」と公言しているように、武藤のパフォーマンスが光り輝いていれば、放っておくわけにはいかなくなる。その状況を作れるのは彼自身だけ。インターナショナルウイーク中に蓄えた力をここから出し切ってほしいものである。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.03.28 18:00 Wed
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【六川亨の日本サッカーの歩み】中島翔哉のカットインシュートの秘密

▽日本代表は今日からベルギーへ移動して、マリ戦と(23日)とウクライナ戦(27日)に向けて合宿に入る。そこで凄いと感心したのは日刊スポーツ紙のY記者だ。先週のメンバー発表の際はポルトガルにいて、A代表初招集のポルティモネンセの中島翔哉に単独インタビューを敢行。さらにその後はキャンプ地のリエージュに入り、現地は極寒であるとレポートした。 ▽Y記者は昨年のベルギー遠征の際も、試合後はドルトムントに赴き、招集外だった香川に単独インタビューを敢行している。会社や上司の理解あってのことだろうが、目のつけどころが違うと大いに勉強になった。 ▽さて今週は、その中島について昔話を紹介しよう。彼の持ち味は左サイドから切れ味鋭いドリブルでカットインしてからのミドルシュートにある。2016年1月のリオ五輪予選を兼ねたAFC U-23選手権の準々決勝イラン戦ではニアとファーに鮮やかなシュートを突き刺した。 ▽そんな中島は、Uー23日本代表はもちろんのこと、当時所属していたFC東京でも全体練習終了後、必ず居残ってシュート練習を繰り返していた。サッカーが好きで、好きでたまらない「少年」といった印象を誰もが持ったことだろう。 ▽ニアへのインステップによる強シュート、右足インフロントに巻いてファーの上を狙ったシュートは中島の代名詞と言えるが、中島に話を聞いたところ「ゴールとGKの位置は確認して打っています」とのことだった。 ▽ただ、インパクトの瞬間はボールを見ていることは一目瞭然だ。そんな中島のプレーについて、若い頃に彼を指導した東京Vの元川勝監督は、「大黒に似ている」と話していた。元日本代表FWで、現在は栃木でプレーしているが、大黒のシュートはGKの肩口や脇の下など、普通なら止められそうなシュートでも決まってしまう。 ▽そのことを不思議に思った川勝監督が大黒に聞いたところ、「シュートの際にGKは見ていません。感覚でゴールの位置がわかるので」という返答を聞いて納得したという。 ▽J1クラスのGKになれば、FWの視線でシュートはどこを狙っているのか予想できるという。ところが大黒のようにGKやゴールの位置を確認しないで、視線を下に向けたままシュートを打たれると、体の近くに飛んできても反応が遅れてしまうそうだ。それが大黒の、ストライカーとしての本能的なプレーだったと川勝氏は驚いていた。 ▽そして中島である。彼もまた、カットインからシュートまでの動作は流れるようで、キックフェイントを交えながらどのタイミングでシュートを打つのかGKは判断しづらい。そしてインパクトの瞬間はボールに集中している。川勝氏は大黒同様に中島のシュートは予測しにくいと、彼がまだ若い頃から高く評価していた。 ▽そんな中島がマリ戦やウクライナ戦でゴールを決めるのか。ベルギーといえば「小便小僧」が有名だが、日本の「サッカー小僧」が世界へ羽ばたくのか、今から試合が楽しみでならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.20 13:00 Tue
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【六川亨の日本サッカーの歩み】浦和のジンクス

▽J1リーグはまだ2試合を消化したに過ぎず、現在の順位はあくまで暫定に過ぎない。とはいえ今シーズンはちょっとした“異変”が起きているようだ。まず昨シーズンのアジア王者である浦和が、開幕2試合で1分け1敗の未勝利により13位と出遅れた。 ▽昨シーズンのメンバーがほとんど残り、ドリブラーのマルティノスと重量FWの武富を補強して、チームの完成度も高いと思われた。FC東京との開幕戦は後半早々に失点したものの、すぐに槙野が同点ゴールを決めるなど勝負強さを見せた。第2節の広島戦では先制しただけに、勝利は確実かと思われたが、予想外の逆転負け。開幕2戦で未勝利は08年以来10年ぶりで、当時のオジェック監督は前年にACLで優勝しながら、開幕2試合で解任された。 ▽浦和以外にも、Jリーグで優勝経験のある磐田とG大阪は2戦2敗で18位と17位に沈んでいる。代わって首位に立っているのが開幕2連勝の名古屋で、同じ勝点6で広島と仙台が続いている。 ▽正直、今シーズンの名古屋は降格候補と思っていた。というのも、2月10日に沖縄糸満市で行われたFC東京との練習試合では、DF陣が連係ミスから何度もボールを奪われたからだ。風間監督のスタイルなのだろうが、GKは必ずペナルティーエリアの外にいるDFにパスを出し、DF陣からのビルドアップにトライ。しかしFC東京のプレスに簡単にボールを失い、GKのランゲラックと1対1になるシーンが3回もあった。いずれもGKの好プレーで失点を免れたが、FC東京のGKやDFらのロングパス1本で簡単に裏を取られるシーンも多く、決勝点もそうしたプレーから生まれた。 ▽試合後の風間監督は「いまはやろうとしていることにトライしている。成功も失敗もあるが、たくさんトライすることが大事。背後を狙われたのもトライしているから。体のコンディション作りと頭を使うことをやってきたので、整理できて全員が1歩前進した」と収穫を口にした。ただ、川崎Fと比較すると「まだまだ」と風間スタイルの完成は道半ばであることを認めた。 ▽その試合のメンバーと第2節の磐田戦では4人が代わっていて、一番の違いは昨シーズンのブラジル・リーグ得点王でMVPのFWジョーの存在だろう。ただ、1人の選手の存在でチームが劇的に変わるとも思えない。ここしばらくは注目したい名古屋である。 ▽話は変わり、J1リーグは2005年より18チームになり、1シーズン制を2014年まで採用した。その後2年間は2シーズン制に戻し、再び17年から1シーズン制になった。その間の優勝チームは鹿島が3回、G大阪と広島が2回、川崎F、柏、名古屋、浦和が各1回となっている。 ▽そこで興味深いのが、開幕戦で浦和と対戦したチームのリーグ制覇が、開幕戦の勝敗に関係なく5回もあることだ。まず06年は浦和が優勝したので当然として(開幕戦は1-1G大阪)、09年は鹿島が浦和と対戦している(2-0浦和)。そして12年からは3年連続して広島(1-0浦和)、広島(1-2浦和)、G大阪(0-1浦和)と、優勝チームはいずれも開幕戦で浦和と対戦しているのだ。 ▽この法則でいくと18年はFC東京ということになるのだが、果たして結果はどうなるのか。ちなみに開幕戦で横浜FMは3回も浦和と対戦している(07、08、17年)が、残念ながらタイトルは取れなかった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.05 17:30 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】キング以外にも“鉄人”のいるJリーグ

▽26年目を迎えたJリーグが2月23日に開幕した。25日にはJ2もスタートし、26日で51歳になる三浦知良はベンチ入りこそしたものの出場の機会はなかった。昨年はリーグ戦における最年長選手のゴールを更新し、今年のキックオフカンファレンスではギネス記録の贈呈式も行われた。 ▽キングの記録を破る選手はそうそう出てこないだろうが、もっと注目してもいい選手がいる。それは横浜FMの中澤佑二だ。25日に40歳の誕生日を迎えた中澤は、J1出場572試合(2018年2月26日現在)という実績がある。カズより11歳年下とはいえ、カズのJ1(321)とJ2(237)の出場記録558試合をすでに凌駕していることはあまり知られていない。 ▽そんな中澤の上を行くのが名古屋のGK楢崎正剛(631試合/2018年2月26日現在)だが、昨シーズンは29試合に出場したものの、今シーズンの開幕戦はオーストラリア代表GKのランゲラックにポジションを譲り、ベンチ入りもできなかった。果たしてこのまま選手としてのキャリアを終えるのかどうかはわからないが、中澤は今シーズン限りでの引退を表明しているだけに、全試合に出場しても楢崎の記録を抜くことはできない。 ▽今年の天皇杯決勝でのプレーを見る限り、まだまだ現役を続行してもいいと思ったし、スピードこそ衰えたとはいえ空中戦の強さは健在だ。もしも現在負傷中の吉田麻也(サウサンプトン)のケガが長引き、ロシアW杯に間に合わないようであれば、彼の代わりに代表に呼んでもいいと思っている。 ▽そんな中澤の記録を追っているのが、現在38歳で、J1では569試合出場(2018年2月26日現在)を誇る遠藤保仁だ。今シーズンからトップ下にポジションを移し、名古屋との開幕戦は敗れたものの21年連続ゴールと自らの持つ連続記録を更新した。遠藤は鹿児島実業高校から横浜フリューゲルスに入団した1998年3月21日の開幕戦、対横浜マリノス戦でプロ初ゴールを決めて以来、移籍した京都やG大阪でも毎年欠かさずゴールを決めてきた。これはこれで凄い記録と言っていいだろう。 ▽まだ(?)38歳の遠藤が、今シーズンと来シーズンにフル出場すればJ1トータル637試合となって楢崎を抜く可能性もある。カズ以外にも“鉄人"がいるJ1リーグ、今年は中澤や遠藤のプレーにも注目してみてはいかがだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.26 22:00 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】鈴井コーチ誕生の経緯

▽今週は先週に引き続き、JFLから関東リーグに降格したブリオベッカ浦安のコーチに就任した鈴井智彦くんを紹介したい。今年で46歳になる彼の指導者としてのスタートは、09年にFC琉球のヘッドコーチから始まった。JFA(日本サッカー協会)公認A級コーチの資格を取得し、その後は秋田 U-18 監督やアカデミーダイレクター、栃木のスカウティング、大分U-18の監督などを歴任し、今シーズンから浦安のヘッドコーチに就任した。 ▽彼と初めて出会ったのは、東海大学を卒業する前だった。静岡学園、東海大とサッカーの名門校を歩み、大学時代はレギュラーではなかったものの、草サッカーでは群を抜いていた(当然ではあるが)。 ▽そんな彼が、当時務めていたサッカーダイジェストに入社を希望していると、部下だった金子達仁くんから相談を受けた。金子くんは、東海大のエースで、その後はGK大阪でプレーし、現在は宮大工をしている礒貝洋光くんと親交が深かったため、礒貝くんを通じて鈴井くんを紹介されたのだった。 ▽会ってみると、とても素直な好青年だった。そのまますんなり入社が決まったものの、サッカー一筋の人生だったため、記者・編集者としては金子くんや上司で現在はフリーの記者として活躍している戸塚啓くんから厳しい指導を受けた。 ▽そんな彼の転機となったのは、やはり金子くんの存在が大きかったのだろう。金子くんは95年の結婚を契機にダイジェストを退社し、憧れだったヨハン・クライフが監督を務めるバルセロナへ移住する。バルセロナには当時、専門誌の契約カメラマンが長く在住していたため、その縁もあって移住しやすかった。 ▽そんな金子くんを追って、同年には羽中田昌くんが指導者を目指してバルセロナへ旅立つ。さらに翌年、鈴井くんも「記者ではなくフォトグラファーになりたいんです」と相談を受け、ダイジェストを辞めた。 ▽その後、鈴井くんは08年までバルセロナに滞在し、フォトグラファーだけでなくスポーツライターとしてもナンバーなどで活躍。帰国後は金子くんが経営に関わっていたFC琉球の広報としてチームを支えていたが、いつのまにか指導者の道に転身し、J2の複数のチームを渡り歩き、今シーズンから浦安のヘッドコーチに就任した。 ▽思い起こせば金子くんの後を追ってバルセロナに渡った羽中田くんと鈴井くんが、同じチームで夢を追うのは当然のことかもしれない。2人とも指導者として成功を収めたとは言い切れないが、だからこそ浦安で頑張って欲しいと願わずにはいられない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.19 19:00 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】羽中田さんと鈴井コーチの巡り合わせ

▽今週は、ちょっと地味だが2016年にJFL(ジャパン・フットボールリーグ)に昇格したものの、2017年は年間15位で再び関東リーグに降格したブリオベッカ浦安について取り上げたい。元日本代表DF都並敏史さんの長男がプレーしていたクラブで、2014年には都並さんもテクニカルダイレクターに就任し、チームはJ3昇格を目指していた。 ▽監督の齋藤芳行さんは、都並さんが仙台やC大阪、横浜FCの監督を務めていた時のヘッドコーチで、都並さんの右腕とも言える参謀だった。しかし2017年は成績不振によりシーズン途中で解任される。後任には、都立石神井高校初のJリーガーで、松本山雅ユースのアドバイザーを務めていた柴田峡を招へいしたが、浮上のきっかけをつかめないまま契約満了で退任した。 ▽再び関東リーグでJFL昇格を狙うチームの監督を任されたのが、讃岐などの監督を歴任した羽中田昌(はちゅうだ まさし)さんだった。羽中田さんのプレーを初めて見たのは彼が韮崎高校1年の時の選手権だった。大宮サッカー場で行われた試合では、泥田のようなピッチコンディションでも足に吸い付くようなドリブルに度肝を抜かれた。羽中田さんと同学年の保坂孝さんもドリブルを得意とする大型ストライカーで、2人は将来を多いに嘱望されたものだ。 ▽残念ながら高校選手権ではベスト4が1回、準優勝が2回と頂点に立つことはできなかった。そして羽中田さんはバイクを運転中に転倒し、脊髄損傷で車椅子での生活を余儀なくされた。一度は山梨県庁に勤めたものの、1993年のJリーグ開幕に刺激を受けて指導者の道を志す。選んだのは憧れの選手ヨハン・クライフが指揮を執るバルセロナだった。 ▽1995年に行われたスペイン留学の送別会にはセルジオ越後氏も出席し、羽中田さんのことを「彼は僕のチェアー(椅子=車椅子)マンです」と、川淵チェアマンにひっかけて紹介したことを今でも覚えている。 ▽帰国後はたゆまぬ努力でS級ライセンスを取得。身体障害者としては史上初の快挙だった。その後は讃岐の監督や、関西1部リーグの奈良クラブ(現JFL)、東京23FC(関東リーグ)の監督を歴任し、東京23FCでは関東リーグで優勝したが(2016年)、地域CLは1次ラウンドで敗退してJFLの昇格はかなわなかった。 ▽そんな羽中田さんが、再び指導者として関東リーグのブリオベッカ浦安を率いてJFL昇格に挑戦する。讃岐時代は四国リーグで優勝し、奈良クラブでは関西1部リーグで2位までチームを躍進させた。東京23FCでも関東リーグで優勝したものの、いつもその先の“壁”を破れずにいるのは、羽中田さん自身が一番歯がゆく感じていることだろう。 ▽捲土重来がなるか。彼とは出会ってから40年近くが経ち、毎年交換している年賀状には近況報告と同時にいつも抱負が添えられている。思い返せば高校選手権から彼のサッカー人生は挫折の連続だった。高校選手権では、破れた試合後のロッカールームで悔し泣きしていている羽中田さんと保坂さんを3年間取材した(当時はロッカールームでの取材はフリーだった)。 ▽それでも何度となく立ち直り、新たな試練に挑んでいる。地域リーグやJFLの苦労を熟知しているだけに、ブリオベッカ浦安での成功を願わずにはいられない。 ▽そして羽中田監督を補佐するコーチに、鈴井智彦氏が就任したのにも驚かされた。彼は東海大学を卒業後、サッカーダイジェストへの入社を希望したため面接をし、編集部員として採用した。その後は紆余曲折を経ながらもサッカー界で仕事を続けたが、まさかブリオベッカ浦安のコーチとして羽中田監督をサポートするとは予想外の出来事だった。 ▽そんな鈴井氏についての話は長くなるので、来週のコラムで紹介したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.12 18:45 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】平昌五輪開幕、南北合同チーム結成で思い出す北朝鮮の3人枠

▽いよいよ今週金曜の9日から、平昌冬季五輪が開幕する。東アジアでの国際大会は時差を気にせず観戦できるのが一番の利点と言えるだろう。それは2年後の東京五輪にも当てはまるので、多くのファンが様々はオリンピック・パラリンピックを楽しむことになるだろう。 ▽そんな平昌五輪で、いまだ不透明なのが北朝鮮の参加だ。女子アイスホッケーの登録枠はどのように対処するのか。すでに決まっている韓国代表に北朝鮮の選手を加えたら、1ヶ国だけ大所帯になり不公平感は否めない。だからといって韓国の選手を削って北朝鮮の選手と入れ替えるのも、韓国のファンからすれば納得できない措置だろう。 ▽過去88年のソウル五輪、02年の日韓W杯の際も韓国は北朝鮮に合同チームの結成を呼びかけてきた。それは韓国で開催される国際大会を無事に開催するための、方便であったような気がする。融和ムードを提案しつつ、北朝鮮は参加を拒むだろうという推測での合同チーム結成だった。 ▽核開発を巡り対決姿勢を強めている北朝鮮だけに、これまで以上に頑なな態度で参加を拒否する――と思っていたところ、思惑が外れたような気がしてならない。雪不足に加えて強風も吹く、過去、最極寒の地で大なわれる平昌五輪。果たして大会は成功裏に終わるのだろうか。 ▽といったところで前置きが長くなってしまったが、今回はサッカー北朝鮮代表についてのトリビアを紹介しよう。昨年12月のEAFF E-1選手権での北朝鮮は、最下位に終わったものの讃岐所属のボランチ李榮直(リ・ヨンジン)の活躍が評価され、東京Vへの移籍を果たした。彼以外にも、町田DF金聖基(キム・ソンギ)、熊本FW安柄俊(アン・ビョンジュン)という3人の在日Jリーガー選手がいた。 ▽北朝鮮のサッカー事情詳しい知人が教えてくれたのだが、いつしか北朝鮮には「3人のJリーガー枠」というものができていたという。E-1選手権の日本戦でも、アウェーのゴール裏ではたぶん東京や大阪の朝鮮高級学級の生徒とおぼしい女性たちが、きれいなコーラスで声援を送っていた。日本で試合をする際に、母校のOBが代表チームにいれば応援にも熱が入るのだろう。 ▽そんな「Jリーガー枠」のピークが10年南アW杯の北朝鮮代表だった。MF安英学(アン・ヨンハ/当時は大宮)、MF梁勇基(リャン・ヨンギ/仙台)、FW鄭大世(チョン・テセ/川崎F)と3人の主力が母国を44年ぶりのW杯に導いた。 ▽では、いつから代表チームに「在日北朝鮮人枠」ができたのかというと、明確な記録はない。初めて在日朝鮮人でありながら代表チームに抜擢されて日本戦に出場したのは、85年メキシコW杯1次予選に出場した、当時は在日朝鮮蹴球団に所属していた金光浩(キム・ガンホ)さんだった。大型FWで、日本代表DF加藤久さんとは名勝負を繰り広げたものだ。 ▽ただ、当時は日本がW杯1次予選で北朝鮮を1勝1敗で下したものの、実力的には北朝鮮の方が上だったので、あえて日本在住の選手を起用する必要はなかっただろう。逆に言うと、それだけ金光浩さんは抜きん出た存在だったとも言える。 ▽その後もイタリアW杯予選ではキム・ジュソンさんやキム・シノンさんらが北朝鮮の代表チームで活躍するなど、その存在感を発揮し始める。そしてJリーグ誕生後は、年を重ねるごとに韓国代表もJリーグに参戦し、切磋琢磨して今日につながっている。 ▽スポーツが外交に寄与する時代は過ぎ、新たにドーピングという国際的な問題も持ち上がっている。平昌五輪は競技はもちろんのこと、運営やインフラ、ボランティア活動といったあらゆる面で無事に閉幕を迎えることができるのか。それはそのまま、20年の東京五輪の課題にもつながるだけに、競技を楽しみつつ注目したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.05 18:00 Mon
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【六川亨の日本サッカーの歩み】かつて“怪物"と呼ばれたストライカーが現役を引退

▽先週末のことだ。“怪物"と呼ばれたストライカーが現役生活に別れを告げた。仙台のFW平山相太である。彼のプレーを初めて見たときは衝撃的だった。第82回高校選手権で、平山や1年生ながら国見高校のエースとして活躍し、得点王となってチームを優勝に導いた。 ▽190センチの長身を利したヘディングの強さはもちろんのこと、リーチの長さを生かした突破からのシュートも正確だった。爆発的なスピードがあるわけではないが、ワンフェイク入れて外やタテに持ち出してのシュートは、リーチが長いためDFが足を出しても届かない。その長身を活用したプレーで、高校選手権で優勝2回と史上初となる2年連続(2002、2003年)の得点王、さらにインターハイや高円宮杯優勝と、高校時代はタイトルを総なめした。 ▽高校卒業後の2004年は筑波大学に進学。国見高校の小嶺監督は「相太は成績優秀だから、学力でも国公立大に進学できる」と話していたが、真偽のほどは分からない。筑波大学では、デビュー戦となった駒沢陸上競技場には数多くのメディアが詰めかけた。そうしたプレッシャーにも負けず、平山は決定力の高さを発揮して筑波大のリーグ優勝に貢献。その間には病気で離脱した高原直泰に代わりU-23日本代表の一員としてアテネ五輪も経験した。 ▽その後は筑波大学を中退してオランダに渡り、ヘラクレスで2シーズンほどプレーした後、FC東京への復帰を果たした。ヘディングが武器の平山だったが、当時の監督である原博実氏は、全体練習終了後に自ら手でボールを投げて、平山にヘディングの特訓を施していた。それは彼に対する期待の表れだったと言える。 ▽2010年は岡田ジャパンに招集され、デビュー戦となったイエメン戦ではハットトリックを達成。これは80年ぶりのタイ記録である。こうして順風満帆なサッカー人生を送ってきた平山だったが、2011年の4月10日の練習試合中に頸骨と腓骨を骨折する。ここから彼のケガとの戦いが始まった。 ▽2012年に復帰したものの、5月に腓骨と短腓骨筋を挫傷し再び離脱。この2シーズン初めて無得点に終わった。その後も指揮官が代わるなか、2人の外国人監督は平山の長身を高く評価するも、2014年に右足首を骨折すると、2015年は固定していた髄内釘を除去する手術に踏み切ったため、ケリハビリに明け暮れる毎日が続いた。 ▽すでに体調をベストに戻すことは難しかったが、2016年は可能な限り練習に参加してコンディションを維持し、交代出場が多かったものの15試合に出場して5ゴールを決めた。6月25日の第19節、横浜FM戦では試合終了間際の小川のFKから得意のヘッドで決勝弾を決め、5試合ぶりの勝利(1-0)をもたらした。 ▽試合後の平山は、「セットプレーはチームとしてDFもFWも練習しているので、それが結果につながった。(シュートは)一瞬、止められるかなと思ったけど、クロスのスピードがあったので相手GKの手を叩くことができた。勝利に近づけてうれしかった」と、気負うことなく話していた。 ▽2017年は心機一転、仙台への完全移籍を決断したものの、開幕直後に左足首を負傷して、再び長期離脱を余儀なくされる。そしてプロ入り後は初めてとなる公式戦に出場がないまま2017年を終了。クラブは契約を更新する予定でいたが、平山自身が引退を決意した。 ▽高校時代の強烈なイメージが強すぎるせいか、平山は、記録はもちろん記憶にも残りにくいプロサッカー選手としての人生だった。彼の引退の報を新聞で知ったとき、かつてのチームメイトだった石川直宏を思い出した。まだまだ現役を続けたいものの、自分の体が思うように動いてくれないもどかしさは、本人が一番感じていることだろう。 ▽できれば、もう1シーズン、J1に初昇格となる長崎で平山のプレーを見たかったというファンも多いのではないだろうか。ともあれ、平山は引退を決意した。彼のセカンドキャリアを暖かく見守りたいと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.29 17:30 Mon
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】国際実績はピカ1。8年ぶりのJリーグでフル稼働できれば悲願のロシアの道も開ける・内田篤人

「体が動けるうちには戻ってきたいと思っていたんで、嬉しいです」 ▽1月10日の鹿島アントラーズ新体制発表会見。8年ぶりに古巣復帰を果たした内田篤人は爽やかな笑みをのぞかせた。本人が「文化と歴史が違う」と繰り返し口にしたサッカー大国・ドイツから日本に復帰することは、どうしてもネガティブな見方をされることが多い。しかし彼自身は「僕は海外でやりたくて仕方ないってタイプの選手じゃない。何となく流れで出て、契約延長を何回かしてたら長くなっちゃった感じ」と実にアッサリしたもの。原点に戻ってサッカーできる喜びが今は何よりも大きいのだろう。 ▽日本代表として2010年南アフリカ、2014年ブラジルの両ワールドカップに参戦し、シャルケでもUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)ベスト4を経験するなど、この男の卓越した国際経験値は誰もが認めるところだ。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が右ヒザ負傷を抱えた状態の内田を2015年3月のチュニジア(大分)・ウズベキスタン(東京)2連戦でわざわざピッチに立たせ、2016年5月の欧州組合宿にも招集したことからも、期待値の高さが色濃く伺える。「協会とか代表スタッフの人がつねに連絡を入れてくれてましたし、ヒザの状態、試合復帰が近づいてきたといった手術からの経過は全て知ってくれている」と本人も話していたが、指揮官にとって内田は特別な存在なのかもしれない。 ▽そこまで思い入れのある選手でも、以前のように国際舞台でタフなバトルを繰り広げることができる状態にならなければ、再招集には踏み切れない。実際、内田は2015年3月のホッフェンハイム戦以来、ほとんど公式戦に出ていない状態だ。シャルケ時代は2016年12月のUEFAヨーロッパリーグ(EL)・ザルツブルク戦で約10分間ピッチに立ったが、そこから2017年8月にチームを離れるまで出番は訪れなかった。出場機会を求めて赴いたウニオン・ベルリンでも9月に2試合に出ただけ。10月以降は左太もも肉離れを起こして長期離脱を強いられた。 「ちゃんと練習を取材に来てる人は分かってると思いますけど、練習からガツガツやってますし、まあやれます」と彼は11~12月にかけてピッチに立てなかった要因がコンディションの問題ではなかったことを示唆した。現に鹿島に戻ってからの宮崎キャンプもフルにこなしていて、体自体は動けている様子ではある。が、やはり気になるのは、インテンシティの高いプレーをコンスタントに見せられるかどうか。それは2月にアジアチャンピオンズリーグ(ACL)とJリーグが始まってみないことには何とも言えない。ハリルホジッチ監督も自分の目で確かめるまでは代表再招集には踏み切れないはずだ。 ▽しかも、今季の鹿島には西大伍、伊東幸敏、東京ヴェルディから新たに加わった安西幸輝もいて、右サイドバックを巡るポジション争いはし烈だ。昨年末に負傷で手術に踏み切った西は開幕に間に合わないものの、伊東は昨季も計算できる戦力として大岩剛監督から信頼を寄せられていた。安西もJ2時代はフル稼働していて、勢いと伸びしろは大いにある。3年間公式戦から離れていた内田が絶対的な地位を得られる保証はないのだ。 「ポジション争いはプロになった瞬間から始まってますし、シャルケでもそれを繰り返して試合に出てきた。今さら何とも思わない」と本人も少なからず自信をのぞかせたが、やはりケガのリスクは不安視される部分。そういう周囲の懸念やネガティブな目線を払拭するようなパフォーマンスを見せてくれるなら、内田を代表に呼び戻すことに何ら支障はない。 ▽むしろ、彼がいた方がチームとしての経験値は上がる。昨年末の東アジアカップ(E-1選手権)の日韓戦(東京・味の素)のような困難な局面にぶち当たった時でも、内田なら冷静な対処をしてくれるはず。そういう安心感をもたらせる選手は今のハリルジャパンには少ない。彼の価値は大きいのだ。 ▽右サイドバックの陣容を考えても、酒井宏樹(マルセイユ)のここ1~2年の成長ぶりは間違いないが、両サイドのバックアップ要因である酒井高徳(HSV)が所属クラブでボランチ起用されるなどやや不安定な状況にいる。内田が戻ってきて宏樹との2枚体制になり、高徳は左で長友と併用できるような状態に戻れば、選手層は確実に厚くなる。右サイドバック専門の選手を2枚入れること、ブラジル大会と同じサイドバックの陣容で行くことの是非はもちろんあるだろうが、内田がいることで宏樹や高徳、長友にとって心強い部分は少なくない。そこは前向きに評価すべきだ。 ▽内田が半年後の2018年ロシアワールドカップメンバーに滑り込むためには、2月からトップの状態を維持し、3月の欧州遠征に名乗りを上げること。それが必要不可欠だ。仮に3月遠征に選ばれなければ、ロシア行きの確率は大きく下がる。それを本人も強く認識し、これまで3年間蓄えてきた力と気持ちをこの1~2か月間に凝縮させていくことが肝要だ。内田篤人の今後の動向が日本代表のロシアでの成否を大きく左右すると言っても過言ではない。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.01.24 12:10 Wed
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【六川亨の日本サッカーの歩み】卓球界を始めとする早熟の天才児たちに期待

▽昨日は、珍しくテレビで卓球の全日本選手権に見入ってしまった。こんな経験は小学生以来かもしれない。女子シングルス決勝では17歳の伊藤美誠が同学年のライバル、平野美宇を下して3冠を達成。そして男子シングルでは14歳の張本が、王者・水谷の5連覇を阻み、史上最年少で日本の頂点に君臨した。 ▽かつては21点制で2ゲーム先取するシステムだったが、現在は11点制で4ゲーム先取すると勝利が決定する。そんなシステム変更を知らないほど、卓球とは疎遠になっていた。子供の頃は町中に卓球場やビリヤード場があってよく通ったが、いまはほとんど見かけない。大型の複合娯楽施設にでも行かないとできないのかもしれない。 ▽彼らの視線の先には20年東京五輪での金メダル獲得という目標があるのは間違いない。来月からは平昌五輪が始まるが、そこでも女子スキージャンプの高梨や、男子フィギュアスケートの宇野ら若い世代の台頭は著しい。何とも羨ましい限りだが、男子サッカーも負けてはいない。 ▽東京五輪を目指してスタートした森保ジャパンは 中国で開催されたAFC U-23選手権中国2018で、グループリーグを3連勝で通過した。残念ながら準々決勝でウズベキスタンに0-4と大敗したが、やはり2歳の年齢差は連戦になればなるほど大きかったのかもしれない(ベトナムのベスト4進出には驚かされた)。 ▽ただ、森保監督によると、今回は疲労を考慮して招集を見送った久保や平川らを3月のパラグアイ遠征に帯同させるという。日本の誇る“天才児”がどのような刺激をチームに与えるのか楽しみなところだ。 ▽その久保だが、いまさら彼のプレーの特長を紹介する必要はないだろう。久保を取材して驚かされるのは、技術的なことよりも、サッカーに対する洞察力の深さだ。昨年5月6日のJ3リーグの琉球戦でのこと。後半に40メートル近くもドリブルで突破してゴールに迫った。そのプレーについて久保は、「早い時間に退場者が出て(前半18分で小川が警告2回で退場)、後半も1人少なく厳しい試合になりました。1人少ないので、攻撃は個でやるしかないと思いました。何回かは個を出せたかな」と自身の判断でプレーを変えたことを明かした。当時はまだ15歳。にもかかわらず冷静に試合の状況を把握していた。 ▽そしてFC東京の石川と徳永のラストマッチ(石川は引退、徳永は長崎へ移籍)となった12月2日のJ1リーグの G大阪戦では、後半35分に東と交代で出場すると、後半アディショナルタムに右からのカットインで左足を振り抜き決定的なシュートを放った。ゴール左上を襲った一撃はGK東口の好セーブに阻まれ得点には結びつかなかった。 ▽試合後の久保は「短い時間の中でチームの力になれるよう、自分なりに頑張りました。チームとしては(石川と徳永を)勝利で送り出したかったのが本音です。(シュートは)残り時間が少なかったので、0-0を動かせればよかったのですが、あそこは(GKに)読まれていました」と淡々と振り返った。 ▽普通の選手なら悔しがるところだろう。まして10代の選手なら、日本代表GKに阻まれてもシュートまで持ち込んだことに手応えを感じてもおかしくない。しかし久保はあくまで冷静だ。 ▽彼が10代の無邪気な一面を見せたのは1回しか遭遇していない。プロ契約した11月、トップチームの練習とファンサービスを終えてクラブハウスへ引き上げる際のことだ。これからナイターの練習に向かうFC東京U-18のチームメイトか後輩に向かい、笑顔で手にしていたマジックペンを振って「サインしてやろうか」とおどけていた。 ▽彼もまた、東京五輪で注目される選手の1人であることは間違いないだろう。唯一の気がかりは、2年後の6月には18歳になっているということ。すでに現在もヨーロッパのビッククラブから高額のオファーが届いており、そのためクラブは早めにプロ契約に踏み切ったと聞く。ここら当たりが久保裕也の例を出すまでもなく、他の競技と違う五輪サッカーの難しさでもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.23 19:00 Tue
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【座間健司の現地発! スペインの今】スペインのワールドカップ出場権剥奪は悪い冗談

▽スペイン代表のピッチ内の話題とピッチ外のそれは対照的だ。 ▽ロシアでのワールドカップ本大会を約半年後に控え、国民の代表に対する期待は高い。2017年12月1日に行われたワールドカップ組み合わせ抽選会後にスペイン紙「マルカ」が行ったインターネット投票では約4万人の投票の内、実に29パーセントの人がスペイン優勝を予想し、24パーセントのブラジル、23パーセントのドイツよりも多く票を集めた。2014年ワールドカップでグループリーグ敗退、2016年欧州選手権では決勝トーナメント1回戦敗退とメジャー大会3連覇の後に国際大会では惨敗しているが、ロシアでは優勝候補にふさわしい戦力を持ち、すばらしいパフォーマンスを示すだろうと国民の胸は高鳴っている。その期待は単なる願望を込めた希望的な観測ではない。裏付けがある。 ▽スペインは、ワールドカップ予選で10試合9勝1分36得点3失点という文句のつけようがない結果を残した。内容でも、3-0で完勝したホームのイタリア戦などスペインのアイデンティティとも言える高いスキルを土台にしたボールポゼッションを高めるスタイルを体現し、観衆を魅了した。2016年の欧州選手権後に就任したフレン・ロペテギ監督は、イスコ、チアゴ・アルカンタラ、デ・ヘアなど彼がかつて率いた2013年U-21欧州選手権のメンバーとセルヒオ・ラモス、ピケ、イニエスタらメジャー大会制覇の経験のある選手たちを融合させ、スペインを再興した。スペイン代表は、ピッチ内ではこれ以上ないほど見事な形でプロジェクトが進められている。 ▽その一方でピッチ外は、華麗な代表チームとはほど遠い醜態を露呈した。 ▽決勝トーナメントに進出しても準決勝まではドイツ、ブラジルと当たらないというスペインにとっては不満がないワールドカップ組み合わせ抽選会から2週間後、国際サッカー連盟(FIFA)が本大会出場権を剥奪する可能性が報じられた。 ▽事の発端は、昨夏までさかのぼる。 ▽7月18日にスペインサッカー連盟(RFEF)会長アンヘル・マリア・ビジャール、彼の息子のゴルカ・ビジャール、同連盟の経営部門副会長フアン・パドロン、テネリフェ島連盟秘書官ラモン・エルナンデスの4人がスペイン治安警備隊に逮捕された。逮捕の動機は、不正な取引、書類、汚職、資金横領の疑いだ。同日にマドリード郊外にある同連盟の施設が同会長の立ち会いのもと、捜索された。 ▽ビジャールは8期連続で会長選挙に当選し、約30年間同連盟の会長の座に就いていた。現役時代にスペイン代表に選出され、アスレティック・ビルバオで活躍したビジャールは、FIFAとUEFAの副会長も兼任するサッカー界の権力者だ。逮捕された息子は、弁護士だが、父親の後ろ盾もあったのだろう。南米サッカー連盟(CONMEBOL)の役員を務めていた。彼らはスペイン代表の国際親善試合の利益を不当に自分たちの懐に入れ、そして不正に資金を回し、地方の各連盟の会長選挙での票を買収したという疑いがかけられた。 ▽高い地位に長くおり、魔が差したのか。もしくはあまりにも長いので、そういう組織が構築されてしまったのか。 ▽前人未到のメジャー大会3連覇を達成したスペイン代表は人気が高く、親善試合の需要は高くなり、スペイン代表は親善試合1試合につき、最高で300万ユーロ(約3億9000万円)のギャラを手にしていた。同国の治安警備隊は、2010年から2013年の間に北米、南米で行われた親善試合10試合で不正があったのではないかと捜査している。つまりビジャールらは、スペインの黄金期を利用し、私腹を肥やしたと疑われている。 ▽逮捕されたビジャールは2週間勾留されたが、30万ユーロ(約4000万円)の保釈金を払い、出所した。FIFAとUEFAの副会長を辞任したが、スペインサッカー連盟からは会長の資格停止処分を受けているだけ。そして本人は横領などの不正を否定し続けている。ビジャールの逮捕を受け、同国の政府の機関であるスポーツ評議会(CSD)が、同連盟に対して、会長選挙のやり直しを要求した。しかし、それがFIFAからは政治介入と見なされ、ワールドカップ出場権剥奪の可能性があると報じられたのだ。 ▽ビジャールは12月18日に記者会見を開き、声高に政府を批判した。 「スペインがワールドカップに行かなければ、政府の責任になるだろう」 「留置所には戻らないだろう。悪いことはしていない」 ▽ビジャールは政府の政治介入が悪いと同国首相ラホイの名を挙げた。その他にもスペインプロリーグ機構(LFP)会長のテバスなど多くの人を批評し、自身の潔白を訴えている。その会見を受けたスポーツ評議会の長官ホセ・ラモン・レテは「法律の責任を果たすことはFIFAも理解するだろう」とコメントしている。スペインプロリーグ機構会長テバスも「政府を支持すべき」と話した。スペインの政党「ポデモス」の党首パブロ・イグレシアスはこの件について「スペインサッカーにはビジャールがいない方がいい」と言及した。 ▽国民の大半もそう思っているに違いない。 ▽ビジャールの会見が掲載された「マルカ」の紙面にはイタリアからの寄稿の囲み記事があり、「ビジャールはイタリア人に希望を与えている」とタイトルがつけられていた。皮肉だ。本人は否定するが、スペイン国民の大半はビジャールを汚職をした政治家と同列と見なしている。 ▽そして12月28日付の「マルカ」にはこんなタイトルの記事が掲載された。 「ビジャールがビデオアシスタトレフェリーのチーフになることで、和平に合意」 ▽ビデオアシスタントレフェリーは、リーガ・エスパニョーラでは今シーズンはまだ導入されていないが、来シーズンから採用されることが決まっている。そんな新設される機関の役職が与えられることになることで、ビジャールもそれに納得し、同国連盟会長から退くというものだった。つまりビジャールにとってあの会見は交渉のカードだったわけだ。FIFAでも副会長だっただけに、ワールドカップ出場権剥奪というのもビジャールが保身のために起こしたものだったかもしれない。逮捕されてもなおビジャールは、いまだに権力や地位を欲しているのだろう。政治風刺など笑い話が好きなスペイン人が、こぞって酒の肴にしそうな悪い冗談がまた生まれた。座間健司(ざま・けんじ) 1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中から「フットサルマガジンピヴォ!」の編集を務め、卒業後もそのまま「フットサルマガジンピヴォ!」編集部に入社。2004年夏に渡西し、2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。 2018.01.19 16:00 Fri
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【六川亨の日本サッカーの歩み】日本サッカー・プロ化の契機となった岸記念体育館の移転と東京五輪との不思議な関係

▽先週末よりJの各チームは新体制の発表をしたり、必勝祈願をしたり、早いチームはキャンプインするなど、新シーズンに向けて動き出した。13日はFC東京の始動と新体制発表会を取材したが、そこで面白かったのが長谷川新監督のコメントだった。 ▽記者から「FC東京でもガンバのサッカーをするのか」という質問に対し、長谷川監督は「別にガンバのサッカーがこういうサッカーというのはない。自分には自分のサッカーがあるだけ」と話し、続けて「ガンバのサッカーは遠藤のサッカー」と断言したのだ。竹を割ったような性格の長谷川監督らしい発言だと感心してしまった。そして「東京には東京の良さがあるので、それを生かしたサッカーがしたい」と、しっかりフォローすることも忘れなかった。 ▽さて今回は、スポーツ紙の片隅に載っていた記事を紹介したい。13日に、JR原宿駅から徒歩5~6分のところにある岸記念体育館にメキシコ五輪の銅メダリストやサッカー関係者が集ったという記事があった。 ▽いまの読者は知らないだろうが、岸記念体育館といっても、室内で競技のできる体育館があるわけではない。地下1階、地上5階の普通のオフィスビルだ。ただしスポーツ関係者にとって、この体育館を知らない者はいない。何しろ日本体育協会やJOC(日本オリンピック委員会)を始め、日本のアマチュアスポーツのほとんどの連盟がこのビルに集結しているからだ。 ▽JFA(日本サッカー協会)も1964年から1994年までは、このビルの3階に、他団体と比べてかなりスペースの広いオフィスを構えていた(301号室)。専門誌の記者になってからというもの、森ジャパンの就任と退任、石井ジャパンの就任と退任、そして横山ジャパンの就任と退任を始め、80年代は多くの記者会見がこのビルで行われた。 ▽JSL(日本サッカーリーグ)の事務局も当時はJFA内の片隅ににあったため、日程の発表やベストイレブンなどもここで行われ、シーズン後の表彰式は地下1階にある講堂で、見守るファンもなくひっそりと執り行われた。 ▽1階にある売店では日の丸のピンバッジが1個150円くらいで売っていたので、86年メキシコW杯や88年西ドイツEURO、90年イタリアW杯の前には30個くらいまとめて購入した。現地で他国の記者と交換するためだ。当時から日本ではあまり人気のないピンバッジだったが、海外ではW杯に訪れるサポーターを含めピンバッジのコレクターがかなりいた。 ▽ただ、時代の移り変わりとともにピンバッジの価値も変わり90年代から2000年代にかけては「ドラえもん」や「ピカチュウ」のピンバッジを求められることも多くなり、テレビ局の知人に分けてもらって交換することも多々あった。そんな習慣も、2006年のドイツW杯以降、ぱったりと消えてなくなった。 ▽雑誌や新聞は時差の関係ですぐに原稿や写真を送らなくてもいい時代から、インターネットの普及により、各誌紙はデジタル版を展開することで、仕入れた情報は24時間際限なく送らなければならなくなった。かつてのような牧歌的な取材は過去のものとなった。 ▽話が脱線したので元に戻そう。1983年12月、JSL事務局は岸記念体育館を離れる。プロ化を推進するのに、アマチュアの総本山とも言える岸記念体育館にいては身動きが取れにくい。そう判断した森健兒JSL総務主事の大英断だった。森氏は自身の所属する三菱重工が神田小川町に借りているビルの2階と3階を、会社には無断でJSLに又貸ししたのだった。 ▽後に森氏は総務主事を川淵氏に譲るが、川淵総務主事を初めてインタビューしたのは岸記念体育館ではなく小川町のJSL事務局で、ハンス・オフト監督をインタビューしたのも同じビルの2階だった。ここから日本のサッカーはプロ化へと大きく舵をきった。もしもあのままJSL事務局が岸記念体育館にあったら、プロ化の波が加速したかどうか。それは誰もわからない問いかけだろう。 ▽JSLは93年にJリーグとして生まれ変わり、爆発的な人気を博した。時を同じくして日本代表は1992年のアジア杯に初優勝し、93年のアメリカW杯でも最終予選に進出して初出場に期待が膨らむなど追い風が吹いた。JFAが岸記念体育館にとどまる必要性もなくなったため、JR渋谷駅から徒歩5分のビルに引っ越した。そして2002年の日韓W杯の成功により、現在のJFAハウスを購入するに至った。 ▽JFAが渋谷に移転して以来、岸記念体育館に行くことはなくなった。そして来夏には新宿区に移転するという。2020年の東京五輪を控えて、その規模も拡大することだろう。1964年の東京五輪に現在地に移ってから55年、再び巡ってきた東京五輪での移転に感慨深いものを感じてならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.15 20:00 Mon
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【元川悦子の日本代表にこの選手を呼べ!】未来の日本を担う188㎝の大型DF。ベルギー移籍の動向次第でロシア滑り込みも? 冨安健洋

「世界的に有名な選手になりたいですし、もちろんA代表に行って中心としてやりたい気持ちもあります。そのためにも海外にはできるだけ早く行きたい。しっかりステップを踏んで上のレベルに上がっていきたいです」 ▽昨年5月のU-20ワールドカップ(韓国)直前、近未来の日本代表を担うと目される188㎝の大型センターバック・冨安健洋(当時福岡、現シントトロイデン)は大いなる野心を口にしていた。 ▽当時18歳の彼はU-20日本代表の主力として韓国に赴き、中山雄太(柏)とともに最終ラインを力強く統率。ベスト16入りの原動力となった。しかし、日本はラウンド16で最終的に準優勝するベネズエラに延長の末、0-1で敗れてしまう。悔しいことにその失点に絡んだ冨安は「苦い経験を忘れることなく今後に生かさないといけない」と自らに言い聞かせ、自己研鑽に励み続けた。 ▽その努力は昨季のアビスパ福岡でのJ2・35試合出場という目覚ましい働きにつながったが、第1目標だったJ1昇格は果たせなかった。それでも個人として前々から希望していた海外移籍の道は開けた。彼は今月からベルギー1部のシントトロイデンへ赴くことが決定。フィジカル色の強い異国のリーグで、より一層の高みを目指せる状況になったのだ。 ▽かつて吉田麻也(サウサンプトン)がオランダ1部のVVVフェンロで欧州での一歩を踏み出し、2012年ロンドン五輪での活躍を機にイングランド・プレミアリーグへステップアップしたように、高さの部分で外国人選手に引けを取らない冨安には10歳年上の先輩と同じようなキャリアを積み重ねられる可能性がある。現時点ではスピードや強さなど足りない部分は少なくないが、鋭い戦術眼、冷静沈着な1つ1つの対応、メンタル的な落ち着きといった強みがある。こうした長所は19歳時点の吉田を上回っているかもしれない。 ▽非凡な能力の一端は、2016年リオデジャネイロ五輪直前のU-23ブラジル代表とのテストマッチでも如実に表れた。出場時間は25分足らずだったが、ネイマール(PSG)やガブリエル・ジェズス(マンチェスターC)らを擁する攻撃陣に物怖じすることなく真っ向からぶつかり、攻守両面で持ち味を出したことで、評価を一気に上げた。ベルギーにはネイマールのような爆発的な速さ、ジェズスのようなパワフルさを備えた選手が少なくないだけに、そういう面々と常日頃から対峙してスピードや当たりの強さに慣れていけば、早い時期にA代表でプレーできるメドが立つこともあり得るのだ。 ▽今のヴァイッド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表センターバック陣を見ると、吉田を筆頭に、昨年後半から存在感を高めている槙野智章(ケルン)、2014年ブラジルワールドカップ経験者の森重真人(FC東京)、2018年ロシアワールドカップ最終予選終盤に出ていた昌子源(鹿島)、昨年12月の東アジアカップ(E-1選手権)でAマッチデビューを飾った植田直通(鹿島)、三浦弦太(G大阪)らがロシア行きの候補者。けれども、吉田と槙野以外は不安要素が少なくない。森重はケガで昨シーズンの大半を棒に振り、残る半年間でどこまで本来のパフォーマンスを取り戻せるか分からないし、昌子もE-1選手権・韓国戦で評価を大きく落とす結果となった。植田と三浦は代表経験値が乏しく、ワールドカップで戦えるかどうかは全くの未知数。そういう意味では、冨安とほとんど条件的には変わらないことになる。 ▽仮に冨安が新天地・シントトロイデンで瞬く間にセンターバックの定位置を確保し、ある程度の仕事ができることを実証すれば、ハリルホジッチ監督も一気に若武者の抜擢に踏み切るのではないだろうか。指揮官は1~2月は日本に戻らず、欧州視察に回るというから、そこで冨安が琴線に触れれば、サプライズ選出も起こり得るのだ。 ▽近未来の日本サッカー界を考えても、吉田の後継者たる存在をそろそろ作っておく必要がある。「日本はセンターバックの人材不足が大きな問題。そこを何とかしないといけない」と吉田も常日頃から危機感を口にしているほどだ。188㎝の長身と賢さを誇る冨安が風穴を開けてくれれば、今後に光が見えてくる。むしろ、そうなってもらわなければ困ると言っても過言ではない。 「ベルギーに行ってから、守備の駆け引きの部分など積極的に仕掛けるディフェンスで、ボールが入る前にどれだけ優位に立てるかを意識したい。吸収と改善を繰り返しながらしっかりと成長し、まずは試合に出られるように頑張りたい」と本人も欧州挑戦に向けて強い意気込みを口にした。その言葉通り、屈強なフィジカル誇る外国人FWと互角に渡り合う駆け引きや攻撃的守備を短期間で身に着けてくれれば、ロシアに手が届くかもしれない。日本中に驚きを与えるような急成長を19歳の大型DFには大いに期待したいものだ。【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。 2018.01.10 12:00 Wed
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