【六川亨の日本サッカーの歩み】羽中田さんと鈴井コーチの巡り合わせ2018.02.12 18:45 Mon

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▽今週は、ちょっと地味だが2016年にJFL(ジャパン・フットボールリーグ)に昇格したものの、2017年は年間15位で再び関東リーグに降格したブリオベッカ浦安について取り上げたい。元日本代表DF都並敏史さんの長男がプレーしていたクラブで、2014年には都並さんもテクニカルダイレクターに就任し、チームはJ3昇格を目指していた。

▽監督の齋藤芳行さんは、都並さんが仙台やC大阪、横浜FCの監督を務めていた時のヘッドコーチで、都並さんの右腕とも言える参謀だった。しかし2017年は成績不振によりシーズン途中で解任される。後任には、都立石神井高校初のJリーガーで、松本山雅ユースのアドバイザーを務めていた柴田峡を招へいしたが、浮上のきっかけをつかめないまま契約満了で退任した。

▽再び関東リーグでJFL昇格を狙うチームの監督を任されたのが、讃岐などの監督を歴任した羽中田昌(はちゅうだ まさし)さんだった。羽中田さんのプレーを初めて見たのは彼が韮崎高校1年の時の選手権だった。大宮サッカー場で行われた試合では、泥田のようなピッチコンディションでも足に吸い付くようなドリブルに度肝を抜かれた。羽中田さんと同学年の保坂孝さんもドリブルを得意とする大型ストライカーで、2人は将来を多いに嘱望されたものだ。

▽残念ながら高校選手権ではベスト4が1回、準優勝が2回と頂点に立つことはできなかった。そして羽中田さんはバイクを運転中に転倒し、脊髄損傷で車椅子での生活を余儀なくされた。一度は山梨県庁に勤めたものの、1993年のJリーグ開幕に刺激を受けて指導者の道を志す。選んだのは憧れの選手ヨハン・クライフが指揮を執るバルセロナだった。

▽1995年に行われたスペイン留学の送別会にはセルジオ越後氏も出席し、羽中田さんのことを「彼は僕のチェアー(椅子=車椅子)マンです」と、川淵チェアマンにひっかけて紹介したことを今でも覚えている。

▽帰国後はたゆまぬ努力でS級ライセンスを取得。身体障害者としては史上初の快挙だった。その後は讃岐の監督や、関西1部リーグの奈良クラブ(現JFL)、東京23FC(関東リーグ)の監督を歴任し、東京23FCでは関東リーグで優勝したが(2016年)、地域CLは1次ラウンドで敗退してJFLの昇格はかなわなかった。

▽そんな羽中田さんが、再び指導者として関東リーグのブリオベッカ浦安を率いてJFL昇格に挑戦する。讃岐時代は四国リーグで優勝し、奈良クラブでは関西1部リーグで2位までチームを躍進させた。東京23FCでも関東リーグで優勝したものの、いつもその先の“壁”を破れずにいるのは、羽中田さん自身が一番歯がゆく感じていることだろう。

▽捲土重来がなるか。彼とは出会ってから40年近くが経ち、毎年交換している年賀状には近況報告と同時にいつも抱負が添えられている。思い返せば高校選手権から彼のサッカー人生は挫折の連続だった。高校選手権では、破れた試合後のロッカールームで悔し泣きしていている羽中田さんと保坂さんを3年間取材した(当時はロッカールームでの取材はフリーだった)。

▽それでも何度となく立ち直り、新たな試練に挑んでいる。地域リーグやJFLの苦労を熟知しているだけに、ブリオベッカ浦安での成功を願わずにはいられない。

▽そして羽中田監督を補佐するコーチに、鈴井智彦氏が就任したのにも驚かされた。彼は東海大学を卒業後、サッカーダイジェストへの入社を希望したため面接をし、編集部員として採用した。その後は紆余曲折を経ながらもサッカー界で仕事を続けたが、まさかブリオベッカ浦安のコーチとして羽中田監督をサポートするとは予想外の出来事だった。

▽そんな鈴井氏についての話は長くなるので、来週のコラムで紹介したい。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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森山泰行が3度目の現役復帰を果たす/六川亨の日本サッカーの歩み

森山泰行というストライカーを覚えているだろうか。岐阜の笠松中学時代に全国中学校大会で3位に入賞。周囲は県内の名門高校である岐阜工業高校に進学すると思ったが、東京の帝京高校に進学。当時は県内のサッカー関係者から「裏切り者」扱いされた。 帝京では天才的なゲームメーカー礒谷洋光とのホットラインで活躍したものの、準々決勝で優勝した東海大一に敗れ、全国制覇は果たせなかった。その後、順天堂大学では3年生の時に関東大学リーグの得点王を獲得。大学卒業後は名古屋グランパスエイトに入団し、途中出場で高い得点力を発揮し、スーパーサブとして活躍した。 名古屋では148試合で51ゴールを決め、その後は平塚、ヒット・ゴリツァ(スロベニア)、広島、川崎F、札幌などを渡り歩き、38歳の2004年に現役引退を表明した。しかし翌05年、地元の岐阜で将来Jリーグの参入を目指す岐阜FC(当時は東海社会人リーグ2部)で選手兼監督補佐として現役に復帰。08年に岐阜がJ2に昇格すると、このシーズンを最後にユニホームを脱いだ。 J1では通算215試合で66ゴールを記録したが、そのうち23ゴールは途中出場(86試合)での得点で、2011シーズンに播戸竜二(124試合で27ゴール)に破られるまでJリーグの記録だった(現在は2位)。 身長171センチと背は高くなかったが、ボール保持者と相手GKとゴールを同一視野にとらえるアザーサイドでのポジショニングとプルアウェイの動きなどでマークを外すのが上手かった。現在なら大久保嘉人と同じタイプのストライカーと言えるだろう。ヘディングシュートの際は「ゴールの方向に顔が向いてないと決まらない」というのが持論だった。 シュートの巧さは帝京高校時代に繰り返した練習の成果と語る。当時の帝京高校は野球部と共同使用のため、フルコートは取れない狭いグラウンドだった。このため4カ所にゴールを設置し、主力選手は4カ所のゴールを回ってひたすらシュート練習を繰り返した。 ボールを投げるのはサブの選手で上級生もいた。このため、わざと難しいボールを出してくることもある。それらを頭と両足を使って延々とシュート練習を繰り返したのが上達に役立ったそうだ。 ランニングは板橋区にある高校を出ると、荒川の土手沿いに江東区まで往復。夏合宿ではOBの差し入れを残すことは許されず、てんこ盛りのどんぶりご飯を4~5杯食べないといけない規則だった。このため選手はトイレに行くふりをして、喉に指を入れて無理矢理に吐いては食べることの繰り返しだった。 2度目の現役引退後はサッカー解説者として活躍していたが、2014年4月に埼玉県の浦和学院高校サッカー部の監督に就任。残念ながら高校選手権には出場できず、昨年で監督を退任すると、今月12日、愛知県岡崎市にあるJFL(ジャパンフットボールリーグ)のFCマルヤス岡崎でTD(テクニカル・ダイレクター)兼任で3度目の現役復帰を果たした。 彼からその話を聞いたのは、2月9日に沖縄で行われたプレシーズンマッチの名古屋対FC東京戦の前だった。今年の5月1日で50歳になるものの、森山は「カズさん(三浦知良)も51歳だから、負けていられませんよ」と笑っていた。果たして50歳のチャレンジがどんな影響を日本サッカー界に及ぼすのか。まずは結果よりも、その波及効果に期待したいと思っている。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.23 18:55 Sat
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キックオフカンファレンスでの出来事/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグのシーズン到来を告げる「2019Jリーグキックオフカンファレンス」が2月14日、都内の貸しホールでJ1全18チームの監督と選手を招いて開催された。例年だとJ1に加えJ2とJ3(FC東京U-23とG大阪U-23、C大阪U-23を除く)の全チームを招いて行われてきたが、今年は試験的にJ1チームだけにした。 その理由をJリーグ関係者に聞いたところ、「J2とJ3のチームは全国各地に散らばっているが、それらのチームのブースを訪れて取材している新聞、テレビなどはいずれも地元のメディアです。取材する方もされる方も地元同士。それなら、『わざわざ交通費とホテル代をかけて上京する必要はないのではないか』という意見が出たからです」と教えてくれた。 それはそれで正しい意見だが、チーム数が減った割に18チームを取材するエリアは狭すぎて、すれ違うのも容易ではなかった点は改善を期待したい。 カンファレンスそのものは、最初に22日のフライデーナイトで対戦するC大阪の都倉と神戸のイニエスタが登場し、その後も開幕戦で対戦するチーム同士の選手が次々と登場と「選手ファースト」だったのは良かった。最後に登壇した村井チェアマンが今年の開幕宣言をして第1部は終了した。 えてしてこうしたイベントでは、最初にエライ人が出てきてスポンサーへの感謝を述べたり、長々と挨拶したりと、しきたりを重要視しがちなもの。しかし戦うのは選手であるため、彼らが全面に出てくるのは良かったし、選手への質問も1~2問にとどめたのは、槙野(浦和)は別にして口べたな選手もいるかもしれないので、答える方も気楽だったのではないだろうか。 2部のクラブプレゼンテーション(クラブブースでの自由取材)では、神戸のイニエスタと鳥栖のフェルナンド・トーレスは別格扱いで、2人だけはテレビの共同インタビューを受け、クラブブースでの取材はなかった。たぶん実施すれば、ただでさえ狭いクラブブースが大混乱に陥った可能性がある。これはこれで主催者側の好判断と言っていい。 今年のキックオフカンファレンスでもう1つ目についたのが、UAEで開催されたアジアカップでの健闘が光ったタイ人選手の登場だ。札幌のチャナティップは昨シーズンのベストイレブンにも選出された実績を持つが、アジアカップのグループステージのバーレーン戦では決勝点を決めて初勝利に貢献した。 神戸から横浜FMに移籍したティーラトンに加え、今シーズンからは大分初の東南アジアの選手となるティティパンは、アジアカップのグループステージのUAE戦で1-1の同点ゴールを決め、チームのベスト16進出に貢献した選手だ。その3人が、2部のクラブプレゼンテーションも終盤に差し掛かり、取材陣もまばらになると記者の求めに応じて3人で肩を組み、笑顔で撮影に応じる姿をみるのはなんとも微笑ましい光景だった。 彼ら3人に共通していたのは、1部で司会者からショートインタビューを受けたあとに、退場する際はマイクを両手ではさむように手を合わせてお辞儀をしていたこと。信心深いタイ人らしいなと感じたし、彼らの活躍によってタイでもJリーグへの注目度が高まり、さらに新たな選手が来るかもしれないということ。 Jリーグのアジア戦略は、徐々にではあるが、確実に実を結びつつあるのかもしれない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.16 08:30 Sat
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Jの外国人枠拡大/六川亨の日本サッカーの歩み

アジアカップの取材から帰国したのが2月4日、そして6日からはJリーグの取材のため沖縄に滞在している。昨日はG大阪対FC東京の練習試合を取材した。試合は45分×3本で、両チームとも選手を積極的に代えながら、2月23日に向けた開幕へチーム作りの試行錯誤を繰り返していた。 試合は最初の45分×2本が両チームとも主力組をベースにしたチーム編成で、結果は4-2でFC東京が勝利を収め、3本目はサブ組主体で1-1の引き分けに終わった。 今シーズンからJ1リーグは外国籍選手の登録枠と出場枠を『3』から『5』に拡大した。このためG大阪はスタメンにDFキム・ヨングォンとオ・ジェソク、FWにファン・ウィジョとアデミウソン(ブラジル)の4選手を起用した。このうち韓国人選手の1人はアジア枠として外国籍選手として扱わないため、最大で登録枠と出場枠はさらにもう2枠増やすことができる。 一方、FC東京がスタメンで起用した外国籍選手はディエゴオリヴェイラ(ブラジル)1人だけだったが、途中からチャン・ヒョンスと新加入選手のイ・サンホを起用。さらに3本目では新加入のナッタウット・スタム、アルトゥール・シルヴァ(ブラジル)、ユ・インスの3人を起用した。トータルで6人の外国籍選手となるが、ナッタウット(タイ)はJリーグ提携国枠の選手として、韓国人選手の1人(例えばチャン・ヒョンス)はアジア枠のため、こちらも2枠の追加が可能だ。 こうした例はG大阪やFC東京に限った話ではなく、外国籍選手の出場枠拡大をどのチームも積極的に活用することだろう。彼ら外国籍選手の起用方法も今シーズンは監督の『腕の見せどころ』となってくるかもしれない。 そんな外国籍選手の活用にアジア枠と提携国枠を積極的に活用せず、純粋に戦力を補強したのが神戸だ。アジア枠はGKのキム・スンギュだけ。残りの4選手、ダビド・ビジャとアンドレス・イニエスタはスペイン、ウエスクレイとウェリントンはブラジル、そしてルーカス・ポドルスキはドイツといった具合に実力と実績を兼ね備えた補強を敢行した。 できれば神戸には、“先行投資”に見合う“結果”を残して欲しいと思っている。神戸が成功を収めれば、投資に“二の足”を踏んでいるチームも考え方を改めるかもしれないからだ。くれぐれもC大阪の二の舞にはならないことを祈るばかりでもある。 さてJリーグがこれまで外国人枠を3人に制限してきたのは、自国選手の育成が目的だった。しかし、J1リーグで活躍した韓国人選手やブラジル人選手は潤沢なオイルマネーやチャイナマネーから中東と中国へ移籍し、日本人選手の若手有望株もここ1~2年でその多くがヨーロッパへ移籍した。必然的にJリーグ全体のレベルは下がる。 実際、FC東京に加入したイ・サンホは、「自分はイングランドのクラブに行きたいので、そのステップアップのために日本に来た」と公言してはばからない。それはいま現在も活躍中の、多くの韓国人選手の気持ちを代弁しているのだろう。 ヨーロッパの主要リーグもEU枠の選手は外国人扱いしないことでグローバル化し、互いに刺激し合ってレベルアップにつながった。Jリーグも同じ道をたどることができるのか。短期間で成果が出るとは思えないので、ここは中長期的に日本のレベルアップに期待するとしよう。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.02.07 19:30 Thu
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森保ジャパンのチーム作りの基本コンセプト/六川亨の日本サッカーの歩み

アジアカップも残すは日本対カタールの決勝戦を残すのみとなった。1月31日に決戦の舞台となるザイード・スポーツシティ・スタジアムで行われた前日会見には森保一監督とキャプテンの吉田麻也が出席し、日本はもちろん現地UAEや対戦相手であるカタールの記者からの質問を受けた。 ここまで森保ジャパンは6試合を戦い、準決勝のイラン戦こそ3-0で快勝したが、それ以外は1点差という僅差の試合を粘り強く戦い勝利に結びつけてきた。 試合前と試合後の森保監督は、記者から質問が出ないせいもあるが、選手交代の理由をはじめ、選手個々について言及することは一度もなかった。オマーン戦後にホテル中庭で行った日本人プレスとの囲み会見でも、長友佑都や大迫勇也ら経験値の高い選手が若手選手に対し、「もっと自分を出せ」といったニュアンスのアドバイスについても、次のように答えた。 「選手それぞれでキャラクターは違いますし、その選手がどういう形で力を発揮するのか、選手個々で違うと思うで。ただ、ガムシャラにやっているのは皮膚感覚でわかりますし、キャリアを重ねた先輩たちのアドバイスに刺激しあっていると思います」と若手選手に無理強いすることはしなかった。 そんな森保監督が試合前後の会見で繰り返したのが、「しっかりと準備をする」、「最善のトライ」、「全力を尽くす」といった言葉だった。森保サッカーの“キーワード”と言えるかもしれないが、これだけでは抽象的なためイメージもわきにくい。 ところがカタール戦に向けて日本の強みを聞かれたところ、その答えに森保サッカーのエッセンスがあったので紹介しよう。質問は、カタールがアルサッドの選手を中心に国内組が主力で、監督にも継続性がある。そんなチームに対して日本のアドバンテージを森保監督は簡潔に説明した。 「選手はボールを握って攻めること(=遅攻)、速く攻めること(=カウンター)、守備ではプレッシャーをかけて守ること(=前線からの守備)、ガマンするところはガマンして(=リトリートして守備ブロックを作る)流れを持ってくることを学びながら、ここまで来ることができました。明日の試合も選手は対応力と修正力を持って、集中を切らさずやってくれると思う」 これが森保サッカーの目指すスタイルであり、だからこそ選手個々のプレーのディテールを指摘しても意味のないことがわかり、これまでのコメントが抽象的だった理由がストンと腑に落ちた。 と同時に、これは凄いことだとも思った。「対応力」や「修正力」は個人の判断によるところが大きいし、チームとしても必要になる。しかし実践するには時間がかかるだろう。クラブチームならいざ知らず、集散を繰り返す代表チームでそれが可能なのかどうか。それは歴代の代表監督が頭を悩ませてきた難問でもある。 それを森保監督は1ヶ月という限られた期間ながら、確実に遂行して結果を残してきた。明日の決勝の結果はどちらに転んでも、森保監督のチーム作りは着々と進み、冨安健洋や堂安律ら若手選手は貴重な経験を積んだことは間違いない。 3月のキリンチャレンジ杯で森保監督はどんな選手を招集するのか。いまから楽しみな森保ジャパンでもある。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.31 22:50 Thu
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サウジの変貌とアジアカップの醍醐味/六川亨の日本サッカーの歩み

1月21日のアジアカップ2019の決勝トーナメント1回戦で、日本はサウジアラビアを冨安健洋のゴールで1-0と下してベスト8に進出した。2大会連続とはいえ、前回までは参加チームが16か国だったため、グループステージを突破すればベスト8だったが、今回は8チーム増の24か国のためラウンド16が加わった。 W杯もそうだが、グループステージを突破しても、ベスト8進出のためのラウンド16を無事に突破できるかどうか。組み合わせにもよるが、多くのチームにとってラウンド16は鬼門でもある。 今大会でもグループA1位のヨルダンがグループD3位のベトナムにPK戦で敗れたほか、ウズベキスタンは同じくPK戦でオーストラリアに敗退。ベスト8に勝ち進んだものの中国はタイ2-1、地元UAEはキルギスに3-2と苦戦を強いられた。そうしたなかで、日本は先制点をきっちり守って最少得点差ながら、サウジにほとんど決定機を作らせず1-0のまま試合を締めた。 イタリア人は1-0の試合を「最も美しい」と言う。サッカーはミスのスポーツだが、無失点で勝つということは、ミスがなかったからに他ならないからだ。実際、試合を見ていても、押されてはいたがサウジのシュートミスにも助けられ、GK権田修一を脅かす場面はほとんどなかった。 日本に敗れたサウジにしても、もしもベスト8に勝ち残っていれば優勝候補の一角に数えられただろう。それだけ彼らのボールポジションの能力の高さには驚かされた。なぜなら伝統的に堅守からのカウンターがサウジの“お家芸”であり“伝統”だったからだ。 初めてサウジの試合を現場で取材したのは1984年のロス五輪アジア最終予選だった。シンガポールでセントラル開催された大会で、サウジは日本とグループは違ったものの、圧倒的な強さでロス五輪行きを決めた。 当時からサウジはスピード豊かな強力2トップを擁し、2~3人でゴールを陥れてしまう。敏捷性に優れ、しなやかな肉体を持つ黒人選手を称え、地元紙のシンガポール・ストレートタイムスは「アラビアンナイト」とか「ブラックダイナマイト」と形容したものだ。 残念ながらロス五輪では3戦全敗で終わったものの、10年後のアメリカW杯ではFWオワイランを擁し、グループリーグのベルギー戦ではオワイランが4人抜きのゴールを決めてベスト16に進出。いまでもサウジのW杯における最高成績だ。 そんなサウジが短期間でカウンタースタイルからボールを保持してパスをつなぐサッカーで日本を圧倒したのだから、驚いたのも当然だろう。ただ、日本を終始押し込む試合展開のため、逆に得意とするカウンターを仕掛けるシーンは皆無に近かった。なぜなら長友佑都が「スピードモンスター」と形容した1トップのアル・ムワラッドが、スピードを生かすためのオープンスペースがほとんどなかったからだ。自らスペースを消してしまったとも言える。 もしかしたら森保監督は、それを見越してあえて自陣に引いて「サウジにボールを持たせた」のなら、かなりの策士である。そしてそれを忠実に遂行して1-0の勝利を収めたのであれば、選手も“したたかな戦い”ができるまで成長したと言える。 サウジ戦では長友、遠藤航、柴崎岳、武藤嘉紀、酒井宏樹、吉田麻也のW杯戦士6人が出場した。彼らがロシアで経験した“駆け引き”がサウジ戦では生きたのかもしれない。サブ組ながらウズベキスタン戦で同点ゴールを決めた武藤は、試合前日に「ワールドカップは3戦目(ポーランド戦)で戦い、負けてしまったら非難された。もうこういう思いはしたくないという思いがありました」と、負けていながら時間稼ぎをした屈辱をいまも忘れていない。 そしてサウジ戦では「4年前の経験があるので、先を見据えず、サウジ戦がすべてです。チーム全員で勝ちに行きたい」と決意を語り、その言葉通りチーム全員で勝利をつかんだ。 次の試合は24日の準々決勝ベトナム戦である。ベトナムは中3日、日本は中2日とインターバルの違いはあるが、両国の過去の対戦成績からすれば日本の優位は動かないだろう。ウズベキスタン戦で採用したターンオーバーの経験がベトナム戦では生きるかもしれない。 ただ、油断や慢心は禁物だ。今大会はグループステージから“ジャイアントキリング”が起こっている。ベトナムもその主役の一人でもある。昨日は優勝候補の韓国がバーレーンを相手に先制点を奪いながら、後半にロングシュートの流れから同点弾を許して延長戦に突入した。何とか延長前半のアディショナルタイムに元新潟DFのキム・ジンスが決勝点を奪って粘るバーレーンを突き放したが、どのゲームも“紙一重”の接戦という決勝トーナメント1回戦だった。 大会は終盤にさしかかり、アジアカップはここからが本番と言ってもいいだろう。予断を許されない戦いが続くが、これもアジアカップの醍醐味と言える。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.01.23 12:35 Wed
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