ランパード監督のスタンフォード・ブリッジ凱旋とサポーターに見せた確かな手腕/編集部コラム
2018.11.15 22:30 Thu
▽10月31日──日本をはじめ世界中がハロウィンで盛り上がる中、チェルシーにとっては忘れられない1日となった。クラブのレジェンド・オブ・レジェンド、フランク・ランパードがスタンフォード・ブリッジに帰還した。それも、選手ではなく監督として─。
▽このニュースに世界中のチェルシーファンが心を躍らせた。
◆チェルシーとランパードの出会い
▽加入後まもなくして、ランパードは当時指揮を執っていたクラウディオ・ラニエリ監督の下でレギュラーの座を掴んだ。
▽ジョゼ・モウリーニョ、フース・ヒディンク、カルロ・アンチェロッティ、ロベルト・ディ・マッテオ……。指揮官の就任と解任を繰り返すチェルシーにあって、ランパードは不変、唯一無二と呼べる存在だった。
▽在籍13年間の中で、ランパードがチェルシーで獲得したタイトルは「14」に上る。3度のプレミアリーグ制覇や4度のFAカップ優勝、2011-12シーズンには念願のチャンピオンズリーグも獲った。“ビッグクラブ”と呼ばれるようになって日が浅いチェルシーをここまでの存在させたのは、ランパードの功績が大きいことは間違いない。
◆別れと1度目の凱旋
▽そして、その日はやってくる。2014年9月21日、エティハド・スタジアムで行われたマンチェスター・シティvsチェルシーの一戦。チェルシーが1点をリードして迎えた78分、ランパードはDFアレクサンダル・コラロフに代わって途中出場を果たした。しかも、同点弾というプレゼント付きで。
▽日本ではこれを「恩返し弾」と言うが、どこが恩返しだろうか。「やってくれる…」、まさかランパードにこんな感情を向けることになるとは思っていなかっただろう。
▽そんなこともありながら、その後ニューヨーク・シティで1年プレーしたランパードは2017年2月に自身のフェイスブックで引退を発表。チェルシーでともにキャプテンとしてチームを支えたDFジョン・テリーは「君が居なくなって寂しくなる。一緒にプレーできたことは本当に名誉なことだった。君との思い出は一生忘れない」とコメント。ほかにもディディエ・ドログバやミヒャエル・バラックなどかつての仲間や盟友たちから多くの激励の言葉が寄せられた。
◆ランパード監督誕生
▽監督就任に際しランパードは「これは監督として初めての仕事だ。だが、これまで素晴らしい監督を近くで見てきた。自分の力に自信を持っている」と豪語。その言葉通り、ランパード率いるダービーは昨季プレミア昇格プレーオフ決勝まで進んだ勢いそのままに、ここまで8勝4分け5敗で6位に位置。首位のシェフィールド・ユナイテッドとは勝ち点差5としている。
▽しかし、好調さはこれだけにはとどまらなかった。ダービーは9月26日にEFLカップ3回戦でマンチェスター・ユナイテッドと対戦。率いるのはかつてチェルシーで師弟関係にあったモウリーニョ監督だ。
▽試合前に「勝てるかどうかは正直かなり難しいところだ。だが我々はファンに恥ずかしくない試合をしなければならない」と控えめなコメントを残していたが、始まってみれば、ユナイテッドに引けを取らない勇ましい姿を見せた。ダービーは相手のシュート数を上回る試合内容で、見事にPK戦の末に勝利。試合後、ランパード監督は「隣に立てただけでとても光栄」と謙虚な姿勢を貫いた。
▽“ランパード率いる”ダービーがユナイテッドを下したことに、チェルシーファンは驚くとともに誇らしげだったことだろう。だが、彼らををさらに驚かせたのはこの後のことだった。4回戦の組み合わせ抽選の結果、ダービーはチェルシーと対戦することが決定。舞台はスタンフォード・ブリッジ。期待していたような、していなかったようなことが現実になった。
◆2度目の凱旋と未来への期待
▽迎えた試合当日、世間がハロウィンで盛り上がる中、その男はチェルシーという“家”にやってきたのだ。スタンドのファンやサポーターに拍手で迎えられ、ランパードもそれに応える。チェルシーのスタッフと握手をし、マウリツィオ・サッリ監督と挨拶を交わした。
▽固唾を呑んで見守られる中始まった試合は、ダービーが2度のオウンゴールで得点を与えてしまうなど、チェルシーが3-2で勝利。しかし、勇猛果敢にチェルシーに挑んだダービーは内容では劣っていなかった。
▽内容の充実度は試合後のコメントからも見て取れた。「チェルシーは3点決めたけど我々は4点だったかな? それは冗談だがチームを誇りに思うよ」とランパード監督が語るように、チェルシーは敗れていたもおかしくなかった。それほど、ダービーは監督の戦術を理解し規律を守ったうえで格上と互角以上に戦ったのだ。
「これはランパードがチェルシーを率いるのはそう遠くない」
▽こんなことを感じざるを得ないほど、ランパード監督の指示や戦術は的確だった。
▽そして、今月11日、ダービーはチャンピオンシップ第17節でアストン・ビラと対戦。アストン・ビラは先日現役引退を発表したジョン・テリーがアシスタントコーチを務めており、チェルシーやイングランド代表でともにした盟友が敵として向かい合ったのは、2001年3月7日のウェストハムvsチェルシー以来のことだった。
▽当時はランパードとジョン・テリーはそれぞれウェストハムとチェルシーでプレーしていたが、今回は全く違う立場で激突。試合はアストン・ビラが3-0で勝利したのだが、この2人がピッチの外でライバルになるなんて誰が想像しただろうか。
▽もしかすると、ブルーズを愛した2人のレジェンドがスタンフォード・ブリッジで再び共闘する姿が見られるかもしれない。そんな夢物語を今は胸にしまっておきたい。
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「ランパードが帰ってくる」◆チェルシーとランパードの出会い
Getty Images
▽2001年にウェストハムからチェルシーにやってきたランパードは、元イングランド代表DFフランク・リチャード・ジョージ・ランパード、通称フランク・ランパード・シニアを父に持ち、当時から名の知れた存在であった。▽加入後まもなくして、ランパードは当時指揮を執っていたクラウディオ・ラニエリ監督の下でレギュラーの座を掴んだ。
▽2003年、現オーナーのロマン・アブラモビッチ氏がクラブを買収し、多額の移籍金で大物選手を爆買いしていく中でも、ランパードの地位は揺るがなかった。それは監督が交代しても同じだった。
▽ジョゼ・モウリーニョ、フース・ヒディンク、カルロ・アンチェロッティ、ロベルト・ディ・マッテオ……。指揮官の就任と解任を繰り返すチェルシーにあって、ランパードは不変、唯一無二と呼べる存在だった。
▽在籍13年間の中で、ランパードがチェルシーで獲得したタイトルは「14」に上る。3度のプレミアリーグ制覇や4度のFAカップ優勝、2011-12シーズンには念願のチャンピオンズリーグも獲った。“ビッグクラブ”と呼ばれるようになって日が浅いチェルシーをここまでの存在させたのは、ランパードの功績が大きいことは間違いない。
◆別れと1度目の凱旋
Getty Images
▽しかし、会うは別れの始め。ブルーズの最高選手“スーパーフランク”は2014年夏に退団。移籍先はメジャー・リーグ・サッカー(MLS)のニューヨーク・シティであった。しかし、シーズン開幕までの間、突如姉妹クラブであるマンチェスター・シティでプレーすることに。そのニュースに目を疑った方も多かっただろう。「あのランパードが敵になるのか?」全チェルシーファンが同じことを思ったに違いない。▽そして、その日はやってくる。2014年9月21日、エティハド・スタジアムで行われたマンチェスター・シティvsチェルシーの一戦。チェルシーが1点をリードして迎えた78分、ランパードはDFアレクサンダル・コラロフに代わって途中出場を果たした。しかも、同点弾というプレゼント付きで。
▽日本ではこれを「恩返し弾」と言うが、どこが恩返しだろうか。「やってくれる…」、まさかランパードにこんな感情を向けることになるとは思っていなかっただろう。
▽そんなこともありながら、その後ニューヨーク・シティで1年プレーしたランパードは2017年2月に自身のフェイスブックで引退を発表。チェルシーでともにキャプテンとしてチームを支えたDFジョン・テリーは「君が居なくなって寂しくなる。一緒にプレーできたことは本当に名誉なことだった。君との思い出は一生忘れない」とコメント。ほかにもディディエ・ドログバやミヒャエル・バラックなどかつての仲間や盟友たちから多くの激励の言葉が寄せられた。
◆ランパード監督誕生
Getty Images
▽引退後は指導者に転身することを明らかにしていたランパード。その機会は意外にも早くやってきた。5月31日、イングランド2部のチャンピオンシップに所属するダービー・カウンティがランパード監督就任を発表。IQ150以上のインテリがついにトップクラブを率いることになった。▽監督就任に際しランパードは「これは監督として初めての仕事だ。だが、これまで素晴らしい監督を近くで見てきた。自分の力に自信を持っている」と豪語。その言葉通り、ランパード率いるダービーは昨季プレミア昇格プレーオフ決勝まで進んだ勢いそのままに、ここまで8勝4分け5敗で6位に位置。首位のシェフィールド・ユナイテッドとは勝ち点差5としている。
▽しかし、好調さはこれだけにはとどまらなかった。ダービーは9月26日にEFLカップ3回戦でマンチェスター・ユナイテッドと対戦。率いるのはかつてチェルシーで師弟関係にあったモウリーニョ監督だ。
▽試合前に「勝てるかどうかは正直かなり難しいところだ。だが我々はファンに恥ずかしくない試合をしなければならない」と控えめなコメントを残していたが、始まってみれば、ユナイテッドに引けを取らない勇ましい姿を見せた。ダービーは相手のシュート数を上回る試合内容で、見事にPK戦の末に勝利。試合後、ランパード監督は「隣に立てただけでとても光栄」と謙虚な姿勢を貫いた。
▽“ランパード率いる”ダービーがユナイテッドを下したことに、チェルシーファンは驚くとともに誇らしげだったことだろう。だが、彼らををさらに驚かせたのはこの後のことだった。4回戦の組み合わせ抽選の結果、ダービーはチェルシーと対戦することが決定。舞台はスタンフォード・ブリッジ。期待していたような、していなかったようなことが現実になった。
◆2度目の凱旋と未来への期待
Getty Images
▽「私にとって特別な機会となる。とても興奮しているし、スタジアムの4万人の“友達”に会えることを楽しみにしている」と語るように、ランパード監督自身も特別な感情を抱いていた。▽迎えた試合当日、世間がハロウィンで盛り上がる中、その男はチェルシーという“家”にやってきたのだ。スタンドのファンやサポーターに拍手で迎えられ、ランパードもそれに応える。チェルシーのスタッフと握手をし、マウリツィオ・サッリ監督と挨拶を交わした。
▽固唾を呑んで見守られる中始まった試合は、ダービーが2度のオウンゴールで得点を与えてしまうなど、チェルシーが3-2で勝利。しかし、勇猛果敢にチェルシーに挑んだダービーは内容では劣っていなかった。
▽内容の充実度は試合後のコメントからも見て取れた。「チェルシーは3点決めたけど我々は4点だったかな? それは冗談だがチームを誇りに思うよ」とランパード監督が語るように、チェルシーは敗れていたもおかしくなかった。それほど、ダービーは監督の戦術を理解し規律を守ったうえで格上と互角以上に戦ったのだ。
「これはランパードがチェルシーを率いるのはそう遠くない」
▽こんなことを感じざるを得ないほど、ランパード監督の指示や戦術は的確だった。
▽そして、今月11日、ダービーはチャンピオンシップ第17節でアストン・ビラと対戦。アストン・ビラは先日現役引退を発表したジョン・テリーがアシスタントコーチを務めており、チェルシーやイングランド代表でともにした盟友が敵として向かい合ったのは、2001年3月7日のウェストハムvsチェルシー以来のことだった。
▽当時はランパードとジョン・テリーはそれぞれウェストハムとチェルシーでプレーしていたが、今回は全く違う立場で激突。試合はアストン・ビラが3-0で勝利したのだが、この2人がピッチの外でライバルになるなんて誰が想像しただろうか。
▽もしかすると、ブルーズを愛した2人のレジェンドがスタンフォード・ブリッジで再び共闘する姿が見られるかもしれない。そんな夢物語を今は胸にしまっておきたい。
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