F・トーレス、アトレティコ退団の心境を明かす「ずっとここにいたかったが、望むようにはいかない」
2018.04.17 09:40 Tue
先にアトレティコ・マドリー退団を発表したFWフェルナンド・トーレスが、スペイン『カデナ・セール』の人気番組“エア・ラルゲーロ”とのインタビューに応じ、現在の心境を明かしている。
アトレティコの下部組織出身で、同クラブの絶対的アイドルとして扱われるエル・ニーニョ(F・トーレスの愛称、子供の意)の退団発表は、スペイン全土、ひいて世界中に衝撃を与えた。F・トーレスは退団発表後初となるインタビューで、なぜ心のクラブを去るのかを次のように説明している。
「ここに戻ってきて、一つだけ望んでいたことがあった。それは、ピッチ上から人々に別れを告げることだ。夏の真っ只中に、声明でもっていきなり別れることは望んでいなかった。時間と試合に余裕を持って、アトレティコの人々に別れを言いたかったんだよ」
「僕は適切なタイミングというものを探していた。人々の頭には、最後に目にしたイメージが残ってしまう。僕は試合に招集されていない選手というイメージを、彼らに与えなくなかった。思うに、皆にとって最良のタイミングを選べたんじゃないかな」
「ずっとここにいたかったけど、自分が望むようにいくわけじゃない。誠実でなければいけないし、最も良いタイミングを選べたと思う」
ディエゴ・シメオネ監督は、F・トーレスが今季限りで退団することを把握していたようだ。
「彼とは日々にわたって話をしている。自分の考えは分かっていたよ。あの日に発表することは知らなかったけどね。そのことを知っていたのは、ごくわずかな人だ。企業の広告イベントで発表したこと? 情報が漏れたり、クラブのイベントで行わうことをは望まなかった。個人的なことで、チームの集中が削がれることは望まなかった」
F・トーレスとシメオネ監督の間には確執も噂されたが、同選手は指揮官の存在によって退団を決断したことを否定。シメオネ監督にとって、ファンから神聖視される自身の扱いは難しいものであったとの見解を示している。
「僕たちはチームメートだった時期もあったし、彼にとっても難しい状況だった。アトレティコの人々は、ほかのビッグクラブと比べればまだ少ない集団だし、だからこそ一枚岩にならなくてはいけない。チョロ(シメオネ監督の愛称)と僕の間に対立など存在しない。何よりも重要なのは、アトレティであると言わなければならない」
「シメオネから出場機会を与えられなかった? そういうことではないんだ。僕が非難するのは、自分自身にほかならない。自分自身に怒りを感じれば、より良い練習ができる。どんな監督であっても、選手を傷付けようなんて考えていない。ルイス・アラゴネスは『出場できなければ自分に怒れ』と言ったんだ。シメオネに説明を求めたりはしなかった」
退団を決断するきっかけとしては、この冬の移籍市場でFWジエゴ・コスタが加入したことを挙げている。
「ここ数年はいつも控え選手としてスタートしたが、その都度、状況を逆転させてきた。誰も僕にプレゼントなどくれなかった。ただ今季に関して言えば、ジエゴ・コスタの加入で状況が変わってしまった。自分が、下降曲線にいることに気付いたんだよ」
「自分自身の感覚は悪くないし、むしろ昨季よりも良かった。だけど状況的に、出場機会は減っていく方向に向かっていた。僕の前には、世界最高のストライカーが2人存在しているんだよ。クラブにとって彼らは必要不可欠な存在だけど、僕は控え、控え、また控え……という状況を受け入れられなかった。僕はプレーして、結果を出すことを求めていた」
シメオネ監督は以前、FWアントワーヌ・グリーズマンについては慰留に動く意思を示しながら、F・トーレスの慰留にも努めるかとの問いには「ノー」と答えていた。
「中継で見ていたけど、あれは驚いた。プライベートでは真正面から話をしていたから。ただ、僕も34歳になったし、状況というものを理解できるようになった。あの質問は、存在しない対立を煽るものだった。おそらく、あの出来事によってスタジアムの人々はさらに団結することができた。アトレティコの人たちは、ああした質問を攻撃だと感じるからね」
「あの出来事のあと、シメオネと話をしたよ。自分の去就について、それまで彼とは話していなかった。僕がアトレティコに戻ったとき、元チームメートだった彼は上司となっていた。それが難しい状況であったことも確かだ」
一方でアトレティコが昨季まで使用したスタジアム、ビセンテ・カルデロンと、今季から使用するワンダ・メトロポリターノのどちらを好んでいるかとの問いには、こう返した。
「僕にとってビセンテ・カルデロンは、人生の大切な一部だ。メトロポリターノ(アトレティコがカルデロンの前に使用していたスタジアム)からカルデロンに移転したときにも、カルデロンを愛情で満たすのに時間がかかったと聞いた。それは今回の移転についても言えることだと思う。別れたって、思い出には残るんだよ」
「新しいメトロポリターノもセンチメントで満たして、カルデロンに似たスタジアムにしなくてはならない。例えば、一つのスタンドが歌い始めたら、皆で声を出さないとね」
また、アトレティコが今季から使用する新エンブレムについても意見を述べている。
「僕は寒気がした。まるで、自分たちからエンブレムが取り上げられたような感覚だった。おそらく、情報が足りていなかったんだよ」
「状況的にはカルデロンからワンダへの移転と変わらなかったが、スタジアムについては長いプロセスが存在した。エンブレムはそうじゃない。人々が不満を示すのは、僕にとって大歓迎だ。アトレティコは反逆を信条とする存在なんだから。クラブは人生を捧げるファンたちとしっかりと情報を交換しなければならない。対立を生むような決定は許されない」
F・トーレスはキャリア最高の瞬間として、2015年冬のアトレティコ復帰セレモニーで、4万5000人ものファンがカルデロンに集結したこと挙げた。
「最高の瞬間は、ここに戻ってきた日に決まっている。まるで、家族が待っていたようだった。損なわれることが決してない愛情には、EURO決勝で決めたゴールであっても敵わない。あの日、彼らがカルデロンに行く理由が、どこにあったって言うんだ?」
再びアトレティコと別れる日は刻一刻と迫っているが、F・トーレス本人も実感が湧いていない様子だ。
「受け入れてはいるよ。退団すると言って後戻りできなくなり、これで良いんだと考えるときこそが、最悪な時間だ。もう決まってしまったことだけど、残りの時間を楽しむべきか、最後の日を考えるべきかは分からない……。でも今、アトレティコは3日毎に試合を戦っていて、その忙しさによって楽にはなれる。別れの日が近づくにつ連れて、難しくはなっていくだろうけどね。時間が過ぎるのが、もっともっと遅くなればいい。今、僕が自分の家にいるんだということを、強く感じている」
「ヨーロッパリーグ優勝? できればいいと思う。でも、自分の最高の思い出になるかはわからない。1996年にリーガとコパのドブレテ(二冠)を達成したとき、僕はネプトゥーノ広場(アトレティコの優勝祝賀会場)でチームの優勝を祝っていたんだよ……」
提供:goal.com
アトレティコの下部組織出身で、同クラブの絶対的アイドルとして扱われるエル・ニーニョ(F・トーレスの愛称、子供の意)の退団発表は、スペイン全土、ひいて世界中に衝撃を与えた。F・トーレスは退団発表後初となるインタビューで、なぜ心のクラブを去るのかを次のように説明している。
「ここに戻ってきて、一つだけ望んでいたことがあった。それは、ピッチ上から人々に別れを告げることだ。夏の真っ只中に、声明でもっていきなり別れることは望んでいなかった。時間と試合に余裕を持って、アトレティコの人々に別れを言いたかったんだよ」
「僕は適切なタイミングというものを探していた。人々の頭には、最後に目にしたイメージが残ってしまう。僕は試合に招集されていない選手というイメージを、彼らに与えなくなかった。思うに、皆にとって最良のタイミングを選べたんじゃないかな」
「ずっとここにいたかったけど、自分が望むようにいくわけじゃない。誠実でなければいけないし、最も良いタイミングを選べたと思う」
ディエゴ・シメオネ監督は、F・トーレスが今季限りで退団することを把握していたようだ。
「彼とは日々にわたって話をしている。自分の考えは分かっていたよ。あの日に発表することは知らなかったけどね。そのことを知っていたのは、ごくわずかな人だ。企業の広告イベントで発表したこと? 情報が漏れたり、クラブのイベントで行わうことをは望まなかった。個人的なことで、チームの集中が削がれることは望まなかった」
F・トーレスとシメオネ監督の間には確執も噂されたが、同選手は指揮官の存在によって退団を決断したことを否定。シメオネ監督にとって、ファンから神聖視される自身の扱いは難しいものであったとの見解を示している。
「僕たちはチームメートだった時期もあったし、彼にとっても難しい状況だった。アトレティコの人々は、ほかのビッグクラブと比べればまだ少ない集団だし、だからこそ一枚岩にならなくてはいけない。チョロ(シメオネ監督の愛称)と僕の間に対立など存在しない。何よりも重要なのは、アトレティであると言わなければならない」
「シメオネから出場機会を与えられなかった? そういうことではないんだ。僕が非難するのは、自分自身にほかならない。自分自身に怒りを感じれば、より良い練習ができる。どんな監督であっても、選手を傷付けようなんて考えていない。ルイス・アラゴネスは『出場できなければ自分に怒れ』と言ったんだ。シメオネに説明を求めたりはしなかった」
退団を決断するきっかけとしては、この冬の移籍市場でFWジエゴ・コスタが加入したことを挙げている。
「ここ数年はいつも控え選手としてスタートしたが、その都度、状況を逆転させてきた。誰も僕にプレゼントなどくれなかった。ただ今季に関して言えば、ジエゴ・コスタの加入で状況が変わってしまった。自分が、下降曲線にいることに気付いたんだよ」
「自分自身の感覚は悪くないし、むしろ昨季よりも良かった。だけど状況的に、出場機会は減っていく方向に向かっていた。僕の前には、世界最高のストライカーが2人存在しているんだよ。クラブにとって彼らは必要不可欠な存在だけど、僕は控え、控え、また控え……という状況を受け入れられなかった。僕はプレーして、結果を出すことを求めていた」
シメオネ監督は以前、FWアントワーヌ・グリーズマンについては慰留に動く意思を示しながら、F・トーレスの慰留にも努めるかとの問いには「ノー」と答えていた。
「中継で見ていたけど、あれは驚いた。プライベートでは真正面から話をしていたから。ただ、僕も34歳になったし、状況というものを理解できるようになった。あの質問は、存在しない対立を煽るものだった。おそらく、あの出来事によってスタジアムの人々はさらに団結することができた。アトレティコの人たちは、ああした質問を攻撃だと感じるからね」
「あの出来事のあと、シメオネと話をしたよ。自分の去就について、それまで彼とは話していなかった。僕がアトレティコに戻ったとき、元チームメートだった彼は上司となっていた。それが難しい状況であったことも確かだ」
一方でアトレティコが昨季まで使用したスタジアム、ビセンテ・カルデロンと、今季から使用するワンダ・メトロポリターノのどちらを好んでいるかとの問いには、こう返した。
「僕にとってビセンテ・カルデロンは、人生の大切な一部だ。メトロポリターノ(アトレティコがカルデロンの前に使用していたスタジアム)からカルデロンに移転したときにも、カルデロンを愛情で満たすのに時間がかかったと聞いた。それは今回の移転についても言えることだと思う。別れたって、思い出には残るんだよ」
「新しいメトロポリターノもセンチメントで満たして、カルデロンに似たスタジアムにしなくてはならない。例えば、一つのスタンドが歌い始めたら、皆で声を出さないとね」
また、アトレティコが今季から使用する新エンブレムについても意見を述べている。
「僕は寒気がした。まるで、自分たちからエンブレムが取り上げられたような感覚だった。おそらく、情報が足りていなかったんだよ」
「状況的にはカルデロンからワンダへの移転と変わらなかったが、スタジアムについては長いプロセスが存在した。エンブレムはそうじゃない。人々が不満を示すのは、僕にとって大歓迎だ。アトレティコは反逆を信条とする存在なんだから。クラブは人生を捧げるファンたちとしっかりと情報を交換しなければならない。対立を生むような決定は許されない」
F・トーレスはキャリア最高の瞬間として、2015年冬のアトレティコ復帰セレモニーで、4万5000人ものファンがカルデロンに集結したこと挙げた。
「最高の瞬間は、ここに戻ってきた日に決まっている。まるで、家族が待っていたようだった。損なわれることが決してない愛情には、EURO決勝で決めたゴールであっても敵わない。あの日、彼らがカルデロンに行く理由が、どこにあったって言うんだ?」
再びアトレティコと別れる日は刻一刻と迫っているが、F・トーレス本人も実感が湧いていない様子だ。
「受け入れてはいるよ。退団すると言って後戻りできなくなり、これで良いんだと考えるときこそが、最悪な時間だ。もう決まってしまったことだけど、残りの時間を楽しむべきか、最後の日を考えるべきかは分からない……。でも今、アトレティコは3日毎に試合を戦っていて、その忙しさによって楽にはなれる。別れの日が近づくにつ連れて、難しくはなっていくだろうけどね。時間が過ぎるのが、もっともっと遅くなればいい。今、僕が自分の家にいるんだということを、強く感じている」
「ヨーロッパリーグ優勝? できればいいと思う。でも、自分の最高の思い出になるかはわからない。1996年にリーガとコパのドブレテ(二冠)を達成したとき、僕はネプトゥーノ広場(アトレティコの優勝祝賀会場)でチームの優勝を祝っていたんだよ……」
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