デポルティボ、ウディネーゼからブラジル人MFギジェルメを買い取りOP付きのレンタルで獲得

2016.07.17 06:05 Sun
Getty Images
▽デポルティボは16日、ウディネーゼに所属するブラジル人MFギジェルメ・ドス・サントス・トーレス(25)をレンタル移籍で獲得した。買い取りオプションが付随している。

▽母国のポルトゥゲーザでプロデビューしたギジェルメは、2012年にブラジルの強豪コリンチャンスを経て2014年にウディネーゼに加入。加入初年度には、リーグ戦37試合に出場するなど、主力として活躍。しかし、昨シーズンは公式戦7試合の出場に留まっていた。
▽なお、ギジェルメは月曜にメディカルチェックを受け、書類手続きが完了次第、正式発表となるようだ。
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3部降格のデポルティボがフエンラブラダの降格を要求、度重なるプロトコル違反を主張

セグンダB(スペイン3部)への降格が決まっていた日本代表MF柴崎岳が所属するデポルティボ・ラ・コルーニャだが、最終節の相手であったフエンラブラダの3部降格を要請したようだ。 デポルティボは、7月20日のセグンダ・ディビシオン(スペイン2部)の最終節で残留を懸けてフエンラブラダと対戦。自力での残留はなく、他会場の結果に委ねることとなっていた。 しかし、フエンラブラダの選手に新型コロナウイルス(COVID-19)の陽性反応が確認されたため、1試合のみ延期に。試合が行われない中、対象チームが勝利したため、最終節を戦うことなく3部への降格が決定していた。 3部降格となったデポルティボだが、この状況に憤慨。1試合のみ延期にした判断や、フエンラブラダの状況に対して不満を述べ、降格を回避する動きを見せていた。 そんな中、11日にスペインサッカー連盟(RFEF)に対し書面を送付。フエンラブラダがプロトコル違反を犯しているという新たな証拠を提出。フエンラブラダとラ・リーガが、最初の報告を遅らせ、通知していなかったと主張した。 プロトコル違反が重ねて見られたと主張するデポルティボは、フエンラブラダの降格を要求していた。 なお、8日に行われた試合では、後半アディショナルタイムの劇的ゴールで、デポルティボが2-1でフエンラブラダを下していた。これにより、フエンラブラダ昇格プレーオフ進出を逃している。 2020.08.13 11:40 Thu

ベベットに思う栄枯盛衰/六川亨の日本サッカー見聞録

J1リーグは22日に第6節を終了。仙台に0-2とリードされながら、小林悠の2ゴールなどで3-2と逆転した川崎Fが首位(勝点16)を守った。同じく無敗の名古屋が勝点2差で2位につけているのは正直意外ではあるが、今シーズンのJ1リーグは早くも川崎Fが優勝争いの主役になりつつあるようだ。 といったところで政府は22日、大規模イベントの人数制限緩和を1ヶ月延長することを決めた。Go To初日の22日に全国の新規感染者が過去最多の795人が確認されたのだから、当然の措置だろう。23日には都内の感染者が、こちらも過去最多の366人を記録した。 そしてJリーグは政府の指針より一足早く20日に規制緩和を8月10日まで延長することを決めた。チケットの販売には逆算して2週間の準備期間が必要なこと、「国民感情が非常に慎重になってきている」(村井満チェアマン)などが延長した理由で、プロ野球も23日の臨時実行委員会で政府の方針に従う可能性が高い。 相変わらず決断の早い村井チェアマンとJリーグに比べ、後手を踏む政府ではあるが、その背景を考えれば仕方のないことだろう。何度も繰り返すが、この100年に1度という非常事態に村井チェアマンがいたことの巡り合わせに感謝せずにはいられない。 さて海外に目を向けると、各国ともリーグ優勝や降格チームが決まってきた。久保建英の新チームがどこになるか、しばらくは日本に限らずメディアの注目を集めるに違いない。久保と同様にFC東京から海外に挑戦した中島翔哉は、ポルトガルの名門ポルトに残留するのかどうか気になるところだし、柴崎岳のデポルティボ・ラ・コルーニャは40年ぶりに3部へと降格してしまった。 デポルティボと言えば、1990年代は(当時はラ・コルーニャと日本では呼ばれていた)バルセロナと優勝争いを演じた強豪だった。とはいえ、大西洋に面した港町の存在を知ったのは、ラ・コルーニャが1部に昇格して優勝争いを演じたことと、チームの中心選手がアメリカW杯でブラジルを24年ぶりの優勝に導いたベベットがいたからだった。 92ー93シーズンにラ・コルーニャへ移籍したベベットは、1年目で37試合29ゴールの活躍から得点王に輝いた。翌シーズンは首位を快走し、優勝まであと1歩と迫りながら、最終戦でのドロー(対バレンシア戦)でバルサに逆転優勝を許してしまった。 96年に母国のフラメンゴへ復帰したが、スペインでの4シーズンで131試合86ゴールはストライカーとして非凡な才能の持ち主であることを証明したと言える。優勝したアメリカW杯では、ゴール後のパフォーマンス「ゆりかごダンス」が有名になり、それは今でも他の選手に受け継がれている。そのパフォーマンスだが、ベベットの息子はマテウスと名付けられた。元ドイツ代表の名選手の名前から取ったのは言うまでもない(今シーズンから東京Vに加入したGKマテウスは別人)。 96年アトランタ五輪では初戦で日本に敗れたものの、その後は順当に勝ち進んで銅メダルを獲得した。そんなベベットがジーコの誘いに応じて鹿島に加入したのが2000年のこと。大きな注目を集めたが、すでに36歳とピークは過ぎており、さらにブラジル人選手特有のシーズン序盤は太り気味だったことも災いし、8試合1ゴールで鹿島を退団した。 その翌年に鹿島入りしたのが柴崎でもあった。 鹿島と言えば、totoでは“鉄板"でもあった。そんな鹿島が、今シーズンは再開後のリーグでも不振から抜け出せないでいる。第5節の横浜FM戦で今シーズン初勝利をマークしたが、22日の第6節では湘南に初勝利をプレゼントして17位に沈んでいる。横浜FM戦では勝利の立役者となった上田綺世が2ゴールを奪ったものの、湘南戦で右足首を負傷して全治1ヶ月の診断が下された。 40年ぶりに3部リーグへ降格したラ・コルーニャと違い、今シーズンの鹿島は降格の危機を免れている。とはいえ洋の東西を問わず、「栄枯盛衰」は世の習いであることを実感したコロナ禍でのリーグ戦である。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.07.24 17:40 Fri

対戦相手が新型コロナ感染で最終節延期、柴崎岳のデポルティボが40年ぶりの3部降格《セグンダ・ディビシオン》

20日、セグンダ・ディビシオン(スペイン2部)の最終節が行われた。 日本代表MF柴崎岳が所属するデポルティボ・ラ・コルーニャはホームでフエンラブラダと対戦する予定だった。 しかし、フエンラブラダに新型コロナウイルス(COVID-19)の陽性反応者が12名出たとのことで急遽延期に。試合開始45分前に延期が決定し、デポルティボは試合を行うことができなかった。 一方で、残留を争うアルバセテがアウェイで首位のカディス相手に、終了間際のPKで勝利。勝ち点を52に伸ばして残留が確定した。また、ルーゴもホームでミランデスに2-1と勝利。同じく勝ち点を52に伸ばし、残留を決めていた。 また、残留ラインのポンフェラディーナはアウェイでレアル・サラゴサに2-1で敗戦。デポルティボとの勝ち点差は3となったが、直接対決の成績でポンフェラディーナが上回っており、デポルティボは最終節で勝利しても降格圏の19位が最高順位となるため、セグンダB(スペイン3部)への降格が決定した。 なお、デポルティボが3部に降格するのは1979-80シーズン以来、クラブ史上3度目の出来事となる。 2020.07.21 09:25 Tue

【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.14“イルレタのスーペル・デポル(1)”クラブ史上初のリーガ制覇/デポルティボ[1999-2000]

1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.14</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1999-2000シーズン/デポルティボ 〜イルレタのスーペル・デポル(1)〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1999-2000deportivo.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ハビエル・イルレタ(51) 獲得タイトル:リーガエスパニョーラ 攻撃力7:★★★★★★★☆☆☆ 守備力7:★★★★★★★☆☆☆ タレント7:★★★★★★★☆☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層6:★★★★★★☆☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">クラブ史上初のリーガ制覇</div> 3部に降格するなど低迷した70年、80年代の暗黒時代を経験したデポルティボは、1988年に現会長であるレンドイロが就任して以降、黄金期を迎える。1993-94シーズン、優勝したバルセロナと同勝ち点の2位でフィニッシュすると、翌年もレアル・マドリーの後塵を拝すものの、2位の座を確保。クラブ史上初のリーガ制覇も近いと感じさせる強さを誇った。 悲願が達成されたのは、1999-2000シーズンだった。1998年に指揮官に就任したスペイン屈指の戦術家であるイルレタは、着実にチーム力を上げていく。このシーズンは、開幕から第5節までで2勝2分1敗と波に乗り切れなかったが、第10節でバルセロナを下して以降に勢いが増し、そこから7連勝を達成する。最終的には、2位のバルセロナとバレンシアに勝ち点5差をつけて群雄割拠のリーガを制覇。悲願であるクラブ史上初のリーガエスパニョーラ戴冠を果たした。 この時代のデポルティボは、とりわけ本拠地リアソールでの強さが際立っていた。このシーズンもホームで行われたリーグ戦19試合で、16勝1分2敗という素晴らしい記録を残している。リアソールでの抜群の強さが、悲願のリーグ制覇に大きく影響したことは間違いない。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">サイドアタックとジャウミーニャのアイデア</div> イルレタのデポルティボは、当時はまだそれほど普及してなかった4-2-3-1という布陣を、より一般的にしたと言っていいだろう。サイドバックのマヌエル・パブロとロメロは一対一の守備に強く、惜しみないアップダウンを可能とする運動量を兼ね備える。統率力のあるナイベトと、当時37歳のベテラン・ドナトがコンビを形成するセンターラインは、スピード不足を補ってあまりあるポジショニングセンスを武器に、大崩れすることはほとんどなかった。 中盤の底には、強靭なフィジカルを誇るマウロ・シルバが君臨。バイタルエリアを締める役割を担った。相棒のコンセイソンはバックラインと前線とを繋ぐリンクマン。サイドアタッカーには明確な特徴があり、右のビクトルはスピードを活かした直線的なドリブル、逆サイドのフランは左足の高精度クロスでチャンスを演出した。 縦に早いサイドアタックが売りのチームに、トップ下のジャウミーニャがアクセントを付ける。そして、決定力抜群のオランダ人ストライカー、マカーイが相手を翻弄。カウンター時にはサイドに流れてボールを受けてアシスト役も担ったマカーイは、このシーズンのリーグ戦で22ゴールを奪取し、リーガ制覇に多大な貢献を果たした。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFジャウミーニャ(29)</span> 1997年にデポルティボに加入したジャウミーニャは、このシーズンまでの3シーズンで87試合に出場し、26ゴールを記録。1999-2000シーズンは、10ゴールを挙げる活躍で優勝に貢献した。ジャウミーニャの持ち味は何と言っても、遊び心があるファンタジックなプレー。公式戦でヒールリフトを成功させた選手としても知られているとおり、足元のテクニックは非凡。その足から繰り出されるトリッキーなスルーパスは、多くの人々を魅了した。ちなみに、1994年には3カ月だけ清水でプレーしたキャリアがある。 2019.04.10 12:00 Wed

レガネス、今夏デポルティボに加入したウルグアイ代表FWロランを買取OP付きのレンタルで獲得

▽レガネスは26日、デポルティボからウルグアイ代表FWディエゴ・ロラン(25)を買い取りオプション付きのレンタル移籍で獲得したことを発表した。背番号は4を着用する。 ▽ストライカーのロランは母国のデフェンソールから2013年2月にボルドーへ移籍。2017年8月にマラガへレンタル移籍し、2017-18シーズンはリーガエスパニョーラ26試合に出場して5ゴール1アシストを記録した。 ▽2014年11月にデビューしたウルグアイ代表ではこれまで25試合に出場して4ゴールを記録しているが、ロシア・ワールドカップのメンバーには選出されていなかった。 ▽なお、17日にボルドーからリーガエスパニョーラ2部に降格したデポルティボに完全移籍したロランだが、再びレンタルでチームを変えることになった。 2018.07.27 00:58 Fri
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