落選のワグナーが独代表引退 「今のコーチングスタッフのやり方に合わない」

2018.05.19 10:30 Sat
Getty Images
▽バイエルンに所属するドイツ代表FWサンドロ・ワグナー(30)が代表引退を表明した。『FOX Sports』が伝えている。

▽ワグナーは今年1月、ホッフェンハイムからバイエルンに移籍。ブンデスリーガ出場14試合で8得点をマークしたが、ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督に届かず、ロシア・ワールドカップに向けたメンバーから落選した。
▽自身初の大舞台に向けた挑戦を終えたワグナー。ドイツ『Bild』に対して心境を吐露し、代表キャリアに終止符を打つ考えを明かした。

「僕はここでドイツ代表を引退する」

「今のコーチングスタッフのやり方に合わないみたいだ」
「僕は常にオープン、正直、そして、直接物を言う性格なんだ」
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伝説の試合74年W杯決勝で残念だったこと/六川亨の日本サッカー見聞録

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