【会見全文】ハリル反論「最悪の悪夢」「豪州戦勝利後に選手2名がガッカリしていた」2018.04.27 18:20 Fri

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▽9日に解任が発表されたヴァイッド・ハリルホジッチ前日本代表監督が、27日に日本記者クラブにて会見を行った。

ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督
「お集りの皆さま、お越しいただいてありがとうございます。4月7日以来、初めてお話しさせていただきます。日本で3年間仕事をさせていただきましたので、この地でお話しさせていただきたいと思いました」

「この日本という素晴らしい国、家族とともに大好きな日本の伝統、歴史、文化、習慣や色々な仕事のやり方を評価し、敬いながらやっている」

「そして、私自身がこの素晴らしい地に来たのは、物見遊山ではなく、日本サッカーに何かをもたらすことができるのではないかと思ったからです」

「私自身、この日本という素晴らしい地をこのような形で去ることになるとは思っていませんでした」

「そして、私自身が考えつく限り、最悪の悪夢です。こんなことは考えたことがない。この日本でしっかりとした形で仕事を終えたいと考えていた。4月7日以来、人生で一番辛い時期を過ごした。深く失望している。私の志といたしましては、日本という国で素晴らしい仕事をと考えていました」

「なんて残念なんだろうと思います。私はこの日本でワールドカップの準備のために仕事をしていて、そして我が代表チームをしっかりと予選通過させました」

「そしてまた、協会トップの方から1人のスタッフとして言い渡されたこととして、日本のサッカーを考えた時に欠けているものがあると思いました」

「私はサッカーという仕事を45年間してきました。ハイレベルでの45年間です。監督は儚いもので、私自身もナイーブ。私がモノを知らなかったのかもしれません。ですが、今回は違います。チームを成功させるためにやってきたことばかりだからです」

「今回の通告にはとても失望しています。私に対するリスペクトがなかったように思えました」

「私自身、この3年間日本代表チームのためにいろいろな仕事をさせていただきました。しっかりと誇りを持ってやってきたと思います。責任者として説明させていただきたい」

「最初の日に日本サッカー協会に訪れた際、オフィスの場所を聞きました。『オフィスはありません』と言われたので、『是非設えてください。アシスタントにもお願いします』とお願いしました」

「代表監督やアシスタントにオフィスを設えたのは、日本サッカーの歴史で初めてだったそうです」

「それから毎日出勤しました。メディカルスタッフも含めてです。そういったものは皆さんに馴染みがなかったようです。それからどういう割り振りでやるかということを役割分けしていきました。監督、メディカル、アシスタントとして何をやるかということです」

「それから毎日、視察などを繰り返し、選手個人のレポートを作成していきました。メディカルとしても、どこを故障しているのかなどを」

「そして毎週月曜日には、全員のスタッフとミーティングを持ちました。実際にテクニカルスタッフと選手50人ほどの報告書を作りました、GKについては5,6人ほどの報告書を作りました。メディカルレポートがあれば、すぐに連絡を取りました。スタッフとは色々と連絡を取っていたということです」

「そして、代表チームの合宿ですが、いつスケジューリングをするのか、どのような形でやるのか、50人ほどのスタッフで行いました。一人一人が自分の仕事をやっていました。そういった方々に『ありがとう』と申し上げたいです」

「ありとあらゆる合宿、遠征のセッティングはほぼ完璧だった。公式戦、親善試合の準備も、私の人生でここまで規律正しくやってくれたのは見たことない。感謝したい」

「そして選手の集中度や質の高さも本当に素晴らしく、ビッグでブラボーだと申し上げたい」

「3年前から私には誰との問題もありませんでした。特に選手とは。選手とはコンスタントに連絡を取り合っていました。海外組だろうと国内組だろうと。海外組と何度電話したことでしょう。国内組もです」

「それぞれのコーチが、誰とどう話すのか、何を伝えるのかということをきっちりとやりました」

「私が代表と合宿、公式戦をやっている時もオフィスを作り、選手と話し合いができる場を作ってきました。私のアシスタントも選手と話して準備ができるようにしました」

「ですから、GKコーチはGKと、ほかのアシスタントは誰々といった形です。そして私は違った形で連絡を取りました。この3年間、人前で誰か1人の選手を批判したことは1度もありません。悪いのは私、悪いのは私と。『批判するなら私を』と言ってきました」

「選手と一対一で話す時はまた少し違っていました。選手に何かを言うときは面と向かって言うようにしていました。選手によってはストレートな物言いに慣れていなかったかも知れません」

「私としては、選手やチームに対する思い入れはそれは強いものでした。ですが、皆さんご存知の通り、23人で編成していても全員が出られるわけではありません。ある選手は出ることができて、ある選手は出られない。それが嬉しかったり嬉しくなかったりするわけですが」

「オーストラリアからの歴史的勝利でW杯出場を決めた、あの試合の後ですら、2人の選手ががっかりとしていました。試合に出られなかったということで。それ以前に何年も試合に出ていたわけですが、そこでがっかりしたことを残念に思いました。物凄く練習をしたわけです」

「私は何か月も休みを取らずに仕事をしました。休みを取ることはできましたが、日本を成長させるためにここに来ましたので。私が頼まれたことは、ワールドカップを通過するということであって、それが終わったら色々とやりましょうと言っていました」

「そしてグループを首位で通過。私たちのグループは大変なグループでした。『当然じゃないか』と仰る方も居るかと思いますがそれは違います」

「歴史的な勝利もありました。オーストラリアに初めて勝ったことです」

「『ハリル、若い選手を起用するじゃないか』という皆さんのパニックぶり。そして、勝ちました。皆さんが不安に思っていた選手たちが、抜きん出たパフォーマンスを披露していました」

「こんな若い選手で、と思っていた方々は納得できないようでした。そして、UAEとのアウェイ戦にも初めて勝ちました。ブルガリアにも7-2で勝ちました。ヨーロッパのチームにそれほどの差を付けることは今までありませんでした。本当に成功してきた3年間です」

「それでも皆さん満足できない。私自身は満足していました。本当に難しい仕事でこれだけできたと」

「やはりチーム、チームを率いる人物にとってもパフォーマンスとしては厳しいものがあった。あの選手に代わる人物がいないかと考えましたので、競争を取り入れました。ベテランを尻を叩いてこれまで以上のパフォーマンスを発揮できるように。そういったことに納得できなかった人もいたようですが」

「そしてワールドカップ。私が就任したのはワールドカップのためです。海外遠征を2回行いました。世界最高峰のチームとの試合を2回もセットしました。まずは去年11月、そして今年3月の海外遠征。私の中では、代表チームのワールドカップに向けての調整だと思っていましたので、中盤とフォワードの解決策を探していました」

「ワールドカップ本番で出せるものを求めていました。今まで以上に選手が幅広いことをできるように。ですから、結果のことは頭の中にありませんでした。対ブラジル戦、彼らは世界トップのチームで、良い結果を出せるとは思いませんでしたので、あくまで経験を積ませたかった」

「ですから、ブラジル、ベルギー、ウクライナとの試合の結果は満足のいくものではありませんでした。しかし、多くのものを引き出すことができました。ブラジル戦では後半に2回ゴールシーンがありました。ここ数年間の色々な試合を見てください。ブラジルに2ゴールを決められたチームがありましたか。特に前半の20分は酷い状態でした。ハーフタイムにロッカーでハイレベルな相手にどうするべきか語り、試合後には大いに褒めました」

「そしてベルギー戦は完璧な試合でした。もしかしたら勝てた試合です。そして、私といたしましては、代表チームが組織力を持って支配できていたことに満足していました。サッカーという意味でベルギー遠征はあまりよくなかったかもしれませんが、色々なデータを引き出すことができました」

「それも、本当だったらレギュラーの7、8人が入っていない状況です。以前のようにパフォーマンスが良くない選手がいるな、というのも頭にありました。なので、どうするか」

「11月の合宿時には18人の選手を呼んで、2回目には選手22人にGK2人。選手たちを試していました。中島を覚えていますよね。皆さんには心配だったかもしれませんが、非常に良かった」

「つまり、ワールドカップのための調整にあって、何をすべきかはしっかりと分かっていた。選手についても色々な情報をゲットしていました。そして次に来るのが、一番大事な23名の選考です」

「そこで、こういった問題が始まりました。いろいろな情報が私の耳には入ってきていましたが、自分の仕事だけに集中していました。その時にやるべきプレーをやっていなかったという人もいました」

「ですが、合宿をして1か月の時間をかけてなぜこんなにも問題が出るのか。なぜ会長や西野さんは『ハリル、問題あるぞ』と1度も言ってくれなかったのか。本当に1度として。誰も言ってくれなかった」

「西野さんは私に何か言おうとしていた。マリ戦のあと、私はパリでフランスvsコロンビアを見ました。そのあと午前4時、5時という遅い時間にベルギーのリエージュに戻りました」

「そこでお話が来ました。1人の選手があまり良い状態じゃないと。私は、『分かっています、後で解決できます』と応えました。それから問題が起こりました。会長が沢山の選手と連絡を取って、私とともに居たジャッキーやシリル、GKコーチ。何が起こったのかはコーチにも説明がなかった」

「私にとっても、ビックリとしたことであり、コーチにとってもビックリしたことです。4月7日のことです。会長からパリへのお呼びがかかり、ホテルに出向きました。『コンニチハ』と言って、ソファーに腰かけてから、『お別れすることになりました』と言われました」

「ジョークだと思いました。1分後、会長になぜか尋ねました。コミュニケーション不足だと。『どの選手か』と聞くと、『全般的に』と。そして、5分後にホテルを出ました。私は動転して何が起こっているか分かりませんでした」

「コーチに電話をしました。1人はイングランドで、もう1人はドイツに居て『もう終わったから帰りなよ』と言いました。コーチたちの反応はご想像ください」

「ありとあらゆるこの3年間やってきたことに対して、リスペクトがないのではないでしょうか。コーチ仲間も同じ思いです。韓国戦の後にも解任を考えたと聞きました。それなら私でも少しは理解できます。ワールドカップ以前に日韓戦がいかに重要か分かっているからです。1回、そういった経験はしています。24回試合に負けて解任ということがありました。それは会長ではなく、大統領がそういう決定を下したと」

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