【特集】日本へ帰化したイゴール「来日当時はカルチャーショックばかりだった」
2016.02.22 17:30 Mon
▽Fリーグのペスカドーラ町田に所属するGKイゴールが、1月22日に法務省から日本国への帰化を承認された。“Fリーグ最強守護神”はどんな思いや夢を抱いて日本人になることを決意したのか――。
▽そこで今回、イゴール選手にインタビューを実施。第1回は、フットサルを始めたきっかけや来日した当時の印象について語ってもらった。
――日本国への帰化、おめでとうございます
「ありがとうございます」
──はじめに、イゴール選手はいつからフットサルをプレーされていますか
「6歳の頃からフットサルを始めました。13歳ぐらいの頃に1度、サッカーにチャレンジしてみました。ただ、幼い頃からフットサルをやってきたこともあり、サッカーとのボールの違い、動きのタイミングやポジショニングの違いを感じました。それでサッカーは向いていないなと。そこからはフットサルを継続してプレーしています」
「フットサルでは常にリーグ戦でプレーしてきました。協会が主宰する大会に登録していましたし、公式戦のフットサルをプレーしてきました。遊びではなく、選手としてプレーしています」
──サッカーではなくフットサルに興味を持った理由は
「大きな理由は、父がフットサルのゴレイロ(GK)だったことです。小さい頃から父の背中を見てきて、なんの躊躇もなくフットサルの世界に入りました。最初に所属したチームは、トップチームに父がいて、その監督が下のカテゴリーも指導していました。その監督に、ゴレイロとして資質があると言われたのがきっかけです」
──ブラジルでプレーされていて、2009年に来日されましたが、日本でのプレーを選択した理由は
「2008年にブラジルリーグでプレーしていた時に、当時シュライカー大阪の監督をしていたアドリアーノ監督が視察に来ていました。そこで日本のチームでプレーしてみないかと誘われました」
「フットサルだけでなくサッカーもそうですが、ブラジルの子供たちはプレーヤーとして成功して、海外でプレーしたいという夢を持っています。自分も、まさか日本でプレーするとは考えていなかったですが、他の国の文化に興味を持っていました」
──来日された当時の日本の印象は
「カルチャーショックばかりでした(笑)言葉もそうですが、挨拶の仕方、左側通行、交通が発達していて電車が多い、家では靴を脱ぐ。そういう全てのことがカルチャーショックでした」
「最初は大阪で暮していて、関西の人たちは良く喋りかけてくれます。今は東京にいて、こっちの人たちは落ち着いていると感じます。関西も関東も好きですが、どちらかといえば落ち着いている関東が良いですね。私自身も落ち着いた性格なので合っています」
▽そこで今回、イゴール選手にインタビューを実施。第1回は、フットサルを始めたきっかけや来日した当時の印象について語ってもらった。
――日本国への帰化、おめでとうございます
「ありがとうございます」
「6歳の頃からフットサルを始めました。13歳ぐらいの頃に1度、サッカーにチャレンジしてみました。ただ、幼い頃からフットサルをやってきたこともあり、サッカーとのボールの違い、動きのタイミングやポジショニングの違いを感じました。それでサッカーは向いていないなと。そこからはフットサルを継続してプレーしています」
「フットサルでは常にリーグ戦でプレーしてきました。協会が主宰する大会に登録していましたし、公式戦のフットサルをプレーしてきました。遊びではなく、選手としてプレーしています」
──サッカーではなくフットサルに興味を持った理由は
「大きな理由は、父がフットサルのゴレイロ(GK)だったことです。小さい頃から父の背中を見てきて、なんの躊躇もなくフットサルの世界に入りました。最初に所属したチームは、トップチームに父がいて、その監督が下のカテゴリーも指導していました。その監督に、ゴレイロとして資質があると言われたのがきっかけです」
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──ブラジルでプレーされていて、2009年に来日されましたが、日本でのプレーを選択した理由は
「2008年にブラジルリーグでプレーしていた時に、当時シュライカー大阪の監督をしていたアドリアーノ監督が視察に来ていました。そこで日本のチームでプレーしてみないかと誘われました」
「当時のブラジルは日本のフットサルに関する情報は少なかったです。日本のフットサルがどんどんプロリーグに向けて動いているということは知っていました。また、私自身も海外で挑戦する魅力を感じていました。条件面でも良い提示をしてくれたので、これから成長していく日本のフットサルの中で、自分も一緒に成長したいと思いました」
「フットサルだけでなくサッカーもそうですが、ブラジルの子供たちはプレーヤーとして成功して、海外でプレーしたいという夢を持っています。自分も、まさか日本でプレーするとは考えていなかったですが、他の国の文化に興味を持っていました」
──来日された当時の日本の印象は
「カルチャーショックばかりでした(笑)言葉もそうですが、挨拶の仕方、左側通行、交通が発達していて電車が多い、家では靴を脱ぐ。そういう全てのことがカルチャーショックでした」
「最初は大阪で暮していて、関西の人たちは良く喋りかけてくれます。今は東京にいて、こっちの人たちは落ち着いていると感じます。関西も関東も好きですが、どちらかといえば落ち着いている関東が良いですね。私自身も落ち着いた性格なので合っています」
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