コラム

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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラジル戦の後半とベルギー戦で指揮官が日本を褒めた理由とは

▽今週は先週に引き続き、日本代表の欧州遠征について気になったことを指摘したい。まずハリルホジッチ監督だ。これまでは、負けた試合や引き分けた試合はもちろんのこと、勝った試合であっても苦言を呈すことが多かった。 ▽ところがリールで行われたブラジル戦は、「純粋な気持ち、改善点もあるし、満足できる部分もあった。後半は1-0で、2点目、3点目のチャンスもあった。前半は残念だが、後半は満足できる部分もある試合だった」と、彼にしては珍しく褒めていた。 ▽後半のブラジルはマルセロやネイマール、ウィリアン、ジェズスといった主力を下げたため、ベストメンバーとは言い難い。それも当然で、3-0とリードしたら、W杯では次の試合に備えて体力の温存を図る。そうした“格落ち"のブラジルだからこそ、後半は日本も善戦したように見えたという報道にも、ベルギー戦の前日会見で改めて否定した。 ▽指揮官いわく、ブラジル戦の後半は「杉本、浅野の決定機もあった。それはブラジルが力を落としたからだという人もいるようだが、私は日本の後半を評価している。ブラジルの試合を何ゲームも見たが、日本のようなチャンスはアルゼンチンも作れなかった。日本を過小評価しているようだが、私には満足できるものがあった」そうだ。 ▽ここまで日本を褒めるのは、監督就任以来、初めてのことだ。そしてベルギー戦後も「ブラジルよりいい試合をした。ゲームをコントロールできたし、チャンスがありながら得点できないのは残念。いい結果を求めて戦ったので残念だった。このような結果でも、ロッカールームでは『君たちは大きなライオンを倒しそうになったのだよ』と話した」と選手を称えた。 ▽その真意はどこにあるのか。当初は、監督自身の自宅がある、いわばホームの試合で、ヒステリックな姿ではなく、寛大な姿勢を見せたかったのではないかと推測した。ブリュージュもリールからはクルマで1時間弱と、ほとんどホームと変わらない。アジアの弱小国をここまで善戦(と言えるかどうかは別にして)させたことを、アピールしたかったのかと邪推したものだ。 ▽そして、もう1つの理由もあるのではないかと考えてみた。それは、今回は選手のテストだったため、このメンバーなら「この程度が限界だろう」というものだ。今回の遠征では本田、岡崎、香川の3人はコンディションに問題があるとして招集が見送られた。これまで所属チームで出場機会を失っていながら3人を招集することに、メディアから批判の声があがっていた。 ▽それなら「彼らを外したらどんなチームになるのか、どんなサッカーができるのか」を、ハリルホジッチ監督は証明したかったのではないだろうか。3人がいれば結果が変わったとまでは言えないものの、もう少し締まった試合になったような気がする。 ▽例えば右FWの浅野は決定機を外しても笑っていたし、久保もほとんど見せ場を作れなかった。杉本も惜しいヘディングシュートがあったものの、前線で機能していたとは言い難い。もしもタメを作れる本田がいたら、あるいはガムシャラに飛び込んでいく岡崎がいたら、もう少し攻撃の形ができていたのではと思ってしまう。原口も守備では健闘したし、乾も得意のドリブル突破を披露したが、香川なら違う選択肢で攻撃の幅を広げられたのではないだろうか。 ▽キャプテンの長谷部が万全のコンディションではないため、チームリーダーとしても本田の必要性を改めて感じた欧州遠征の2試合だった。 ▽これは余談だが、元日本代表で現在はテレビ解説者を務める川勝氏は、日本の不甲斐ない戦いぶりにベルギー戦は途中で見るのを止めたという。「決定機を外しながら浅野は笑っているし、久保もミスをすると照れ笑いをしていた。杉本は試合中、髪の毛が気になるのか何度も触っていた」と憤慨する。 ▽自身が読売クラブ時代、試合前のロッカーは殺気だっていたそうだ。白い歯を見せようものなら、「カリオカ(ラモス瑠偉)や哲二さん(柱谷)に殴られた。それだけ試合に集中していた」と振り返る。そんな川勝氏にとって、試合中にヘラヘラ笑っているのは許せないのだろう。 ▽杉本はかつての教え子でもあり、「サッカーをやめてしまえ」とまで言って厳しく指導した。そんな教え子には「髪の毛が気になってプレーに集中できないなら、剃るかワックスで固めてプレーに集中しろ」と指摘する。せっかくブラジルやベルギーという列強と対戦できる機会なのに、国内で行うテストマッチと同じモチベーションで臨んでいることが許せなかったようだ。 ▽それは、もしかしたらハリルホジッチ監督も同じなのではないだろうか。怒りを通り越して呆れている。「まだまだ日本の選手は子供だな」――それが、試合後に選手を褒めた一番の理由かもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.23 14:00 Thu
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【六川亨の日本サッカーの歩み】クラブ・ブルージュの思い出

▽11月14日、ベルギー戦の行われたブルージュは、運河に囲まれた古都。ここをホームにするクラブ・ブルージュは、今年で創立126年を迎える古豪クラブでもある。日本戦が行われたヤン・ブレイデル・スタジアムは1975年に建設されただけに、記者席だけでなく、一般の観客席もかなり狭い。大柄なベルギー人は、冬場というもともあり厚着をしているため、ビール片手に“押しくらまんじゅう”をしながら観戦しているようだった。 ▽その点、ブラジル戦の行われたリールのスタッド・ピエール・モーロワは、ハリルホジッチ監督も建設に一役買っただけに2012年創立と近代的なスタジアムだった。記者席はもちろん観客席もゆったりして、快適に観戦できる。地下1階には専用のミックスゾーンがあり、2階にあるワーキングルームには食事を提供するカウンターもある。ブラジル戦はJFA(日本サッカー協会)の主催だったため、野菜やチーズをふんだんに使ったお弁当や飲みもの、デザートなどがふんだんに振る舞われた。 ▽話をブルージュに戻そう。リーグ優勝14回、ベルギー・カップ優勝11回、スーパーカップ優勝14回と、アンデルレヒト、スタンダール・リエージュと並ぶベルギーを代表するクラブでもある。しかしながらアンデルレヒトが旧UEFAカップやカップウィナーズ・カップで優勝しているのに比べ、ブルージュは旧チャンピオンズ・カップ、旧UEFAカップとも準優勝止まりで、欧州でのタイトルを獲得できずにいる。唯一の国際的(?)なタイトルが、1981年に獲得した「キリンカップ」だった。 ▽森孝慈(故人)監督の初陣となった81年のキリンカップは、前年に6回目のリーグ優勝を果たしたブルージュ、イングランドのエバートン、イタリアのインテル・ミラノ、中国代表、天皇杯優勝の三菱、そして若返った森ジャパンの6チームで争われた(インテルの試合が西が丘で行われる時代でもあった)。ブルージュはベルギーから来日した初めてのチームで、DFエリック・ゲレツやMFヤン・クーレマンスなど代表選手を擁した好チームだった。彼らにFWシーフォやGKプファフが加わったベルギー代表は、1986年のメキシコW杯でベスト4という過去最高の成績を残すことになる。▽キリンカップは決勝でインテル・ミラノを2-0で下したブルージュが初優勝を果たした。大型MFのヤン・クーレマンスが、うれしそうに花瓶型の青色の七宝焼きの優勝トロフィーを抱いていたのが印象に残っている。伝統的な黒と青の縦縞のユニフォームだが、スタジアムに隣接されたオフィシャル・ファンショップをのぞいたところ、胸のスポンサーが「DAIKIN」だったのは意外な発見だった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.20 13:19 Mon
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【六川亨の日本サッカー見聞録】収穫多い欧州遠征もベルギー戦には不満が残る

▽ハリル・ジャパンの欧州遠征はブラジルに1-3、ベルギーに0-1と2連敗に終わった。FIFA(国際サッカー連盟)ランクでW杯の組み分けでは第1ポッドの両国だけに、当然の結果とも言える。と同時に、日本の弱点が改めて浮き彫りになった、貴重な2試合だった。 ▽まずブラジル戦。過去1勝もできていない相手に今回も1-3と完敗した。開始直後にネイマールにドリブル突破からウィリアンに決定的なシュートを許したように、日本は1対1の勝負で劣勢に立たされるとボールホルダーに複数の選手がアタックに行くため、フリーの選手を作りやすい。加えて現ブラジルは自陣からのボールカットでカウンターを狙うなど、かつての“サンバのリズム”は過去のものになり、「守」から「攻」への切り替えの速さが最大の武器になっている。そのことを実感させられたブラジル戦だった。 ▽日本はもともと個人技で突破を図る南米勢や、加えてフィジカルの強さがあるアフリカ勢を苦手にしてきた。この差を埋めるのは簡単なことではない。だからこそ、ハリルホジッチ監督はデュエルを日本に求め続けているのだろう。攻守において1対1で負けないベースがあることで、勝負はチーム戦術に移行できる。その前提がまだ日本には欠けているだけに、1対1のデュエルで日本は成長する必要がある。 ▽このため、ロシアW杯で南米勢と同居したら、勝点1を獲得することが最大の目標と言ってもいい。そのためには、なりふり構わず守備に徹し、隙があれば、今回対戦したブラジルや、J1リーグでは磐田のように、カウンター狙いで行くべきだろう。 ▽そしてベルギー戦である。過去2勝2分けと相性は良かった。それというのもベルギーはチームとして攻めてくるからだ。日本がプレスを掛ければ無理して個人で突破を図らない。欧州らしいパス・サッカーではあるが、スペインほどの緻密さはなく、ドイツやオランダのような強引さもない。 ▽今回は初黒星を喫したが、「1人が3~4人も突破してくるのは予想外だった」とハリルホジッチ監督が指摘したように、ナセル・シャドリのドリブルに後手に回ってルカクに決勝点を許した。これも想定外のプレーに対する対応力の未熟さかもしれない。 ▽残念だったのは、その後の試合運びだ。W杯を想定するなら、第1ポッドのベルギーと初戦で対戦し、引き分けられればグループリーグ突破の可能性は残される。それでも今回のようなゲーム展開なら、1-1のドロー狙いでリスクを冒して攻めるのか、あるいは2戦目以降の得失点差を考えて0-1のまま傷口を広げずに試合を締めるのか。その点が明確ではないように感じられた。 ▽今回の欧州遠征はテストマッチに過ぎない。だからこそ、第1ポッドであるベルギー相手に勝つチャンスがあるなら、攻撃の姿勢をもっと強めて欲しかった。ハリルホジッチ監督は杉本、乾、久保、森岡と攻撃的なカードを切ったものの、機能したとは言い難い。交代選手は奮闘したかもしれないが、DFラインの押し上げやパワープレーなど、チームとして波状攻撃を仕掛ける意欲は感じられなかった。 ▽この点については指揮官に問題があったのかもしれない。そのことは、来週のこのコラムで指摘したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.16 19:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラジル戦で秘策を使うのはまだ早い

▽日本代表は11月10日にフランスのリールでブラジル代表と対戦する。日本が初めてブラジルと対戦したのは1989年、横山ジャパンのブラジル遠征だった。当時は当然ながらテレビ中継などなく、0-1という結果が報道された程度だった。 ▽その後、日本はコンフェデ杯やW杯、テストマッチなどで10回対戦したものの、通算成績は2分け9敗と、一度も“サッカー王国”の牙城を崩せていない。唯一、公式戦での勝利は1986年アタランタ五輪のグループリーグでの勝利、いわゆる「アタランタの奇跡」の1回のみだ。 ▽その点はハリルホジッチ監督も織り込み済みで、ブラジルとベルギーの強さを認めた上で、「前回の2ゲームのようではダメで、より相手に近く、それぞれのゾーンで守備を受け持たないといけない。オフェンスでは相手の背中でフリーになること。ボールのあるなしにかかわらず、しっかりスプリントすること。1人でスペースを作り、使うこともあれば、誰かがスペースを作り使用する。しっかり阿吽の呼吸でやらないといけない」とブラジル戦でのテーマを語っていた。 ▽もしも来年のロシアW杯で日本がブラジルと同じグループになったら、参考になるのが昨夏のリオ五輪でのコロンビアの戦い方だ。日本はコロンビアとグループリーグで戦い、2-2のドローに終わった。グループBの首位は初戦で日本を5-4で破ったナイジェリア。コロンビアに2位で決勝トーナメントに進出し、準々決勝で地元ブラジルと対戦した。 ▽コロンビアにはハイメ・ロドリゲスという好選手がいたものの、彼らがブラジル戦で採用したのは8人で守備を固め、前線の中央と左に2人の選手を残すという徹底した堅守速攻だった。そしてブラジルの選手がボールを持ったら、ひたすら肉弾戦を挑んだ。それは、もはやサッカーと言えるプレーではなかった。 ▽そしてクリアは左サイドのハーフライン付近にいる味方FWに蹴り、あとは2人のコンビによるドリブル突破でブラジル・ゴールに迫るという、「運を天に任せる」ような場当たり的な攻撃だった。 ▽しかし、コロンビアは知っていたのだろう。ブラジルを倒すにはこれしか方法がないことを。それでも0-2で敗れた。そして状況は日本も同じだろう。ミラクルを起こすには何かを犠牲にしなければならない ▽ただし、それは11日のブラジル戦ではない。最後の手は来年のW杯に残しておいた方がいい。11日の試合では、攻守において日本のデュエルがどこまで通じるかを試すべきだし、直近の2試合(14年の親善試合と13年のコンフェデ杯)では、ほんの一瞬の隙、マークの甘さ、ゴール前での寄せの甘さを突かれて失点しているだけに、集中力が90分間続くか、駆け引きで後手を踏まないかがブラジル戦では試される。 8日の練習後、井手口は「個人の能力も凄いですけど、組織的なサッカーもしてくるので、こっちも組織で守れるようにしたい」と抱負を語れば、原口は「攻守にパーフェクトな試合をしないといけない。90分間、苦しみますからね。でも、苦しまないと勝ちにつながらない」と決意を口にした。 ▽“ブラジル”という名前に臆することなく、ネイマールやジェズス、ウィリアンらに果敢に挑んで欲しい。現時点で失うものは何もないし、得るものの方が大きいことを選手らも理解しているだけに、11日の試合が楽しみだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.09 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】日本代表ユニフォームのエンブレムと日の丸変遷史

▽日本サッカー協会(JFA)は11月1日、JFブランドの再構築のため、ビジュアル・アイデンティティーを刷新した。具体的には、2016年3月にデザインを刷新したJFAのロゴとシンボルに続き、日本代表のエンブレムとロゴ、審判ワッペンなども刷新。そしてサッカー、フットサル、ビーチサッカー、アンダーカテゴリーの大会なども統一されたロゴと大会名を採用した。 ▽さらに全国9地域と47都道府県の協会のマークとシンボルである八咫烏(やたがらす)も統一された。例外は天皇杯と皇后杯、高円宮杯の3大会で、こちらは「浸透度が高い」(岩上事務総長)ということで、従来のデザインを継続して使用する。 ▽会見にはゲストとして、日本代表とフットサル、ビーチサッカーと3つの代表ユニフォームを着たラモス瑠偉さんや、アジア人初のFIFA最優秀選手賞に選ばれた澤穂希さんも登壇。ラモスさんは日本国籍を取得して日本代表になると、ユニフォームに日の丸を入れるよう都並敏史さんらと提案。その結果、胸にはエンブレム、左袖に日の丸が入るようになった。 ▽ラモスさんは当時を振り返りつつ、日本代表のユニフォームについて「このユニフォームは誰でも着られるわけではない。日本代表をワールドカップに連れて行けなかったのは残念。ワールドカップでベスト4という岡田さんの約束を実現したい。私のできなかったことをやって欲しい。いつかワールドカップで優勝、少なくともベスト4を目指し、誇りと自覚を持って欲しい」と思いを熱く語った。 ▽この日本代表のユニフォームだが、『日本サッカー75年史』で振り返ると、1953年の西ドイツ(当時は東西ドイツに分かれていた)遠征の写真でも左胸に日の丸が着いている。その後の1964年の東京五輪、1968年のメキシコ五輪でもサイズの変更はあっても左胸には日の丸が着いていた。 ▽それがJFAのエンブレム(八咫烏)に変わったのが、1988年に監督に就任した横山謙三氏の時代だった。ユニフォームの色も、それまでは白か青が基調だったのを、横山監督は世界各国が国旗のカラーをユニフォームに採用していることから、日の丸の『赤』か『白』を採り入れ、ユニフォームだけでなくパンツやストッキングも赤か白で統一した。 ▽これは余談だが、赤のユニフォームは長続きしなかった。というのも、アンダーカテゴリーの大会で、アウェーで韓国と対戦したとき、日本はオール赤、韓国は第2ユニフォームの青を着用した。そしてこの試合を視察したJFA幹部が、「日本も強くなったね。一方的に攻め立てている」と感想を漏らしたそうだ。 ▽そこで代表スタッフが小声で、「攻めている青が韓国で、押されている赤が日本です」と訂正した。これ以来、日本は再び『青』を基調にしたユニフォームを着用するようになった。 ▽話をエンブレムに戻すと、オフト・ジャパンで臨んだ1992年のアジアカップから、選手の意見を採り入れ、左胸にはエンブレム、左袖に日の丸を着け、見事初優勝を飾った。このスタイルは続くファルカン・ジャパン、加茂ジャパンでも踏襲されたが、1996年のアトランタ五輪では日の丸が右袖に移っている。 ▽それは98年のフランスW杯や00年のアジアカップ、02年の日韓W杯でも変わらない。ところが06年のドイツW杯では再び左胸のエンブレムだけとなり、日の丸は消えてしまう。どのような事情があったのか、その経緯と推移は分からないが、10年の南アW杯では現行のような左胸にエンブレムで、その上に日の丸というスタイルに落ち着いた。 ▽新ユニフォームのお披露目は11月6日に行われる予定で、10日のブラジル戦が新ユニフォームのデビュー戦となる。どんな『青色』を採用するのかも楽しみだが、個人的には同じ『青』を基調にするフランスのような、“お洒落な"ユニフォームにして欲しいと願わずにはいられない。※画像は旧エンブレムです 【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.02 12:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】クラブライセンス制度により選手を放出しなければならない理由とは

▽今シーズンの開幕前、GK林彰洋、MF高萩洋次郎、FW大久保嘉人と永井謙佑ら大型補強を敢行し、シーズン序盤には昨シーズンの得点王ピーター・ウタカまで獲得したFC東京は優勝争いのダークホースと見られていた。しかし、大幅に入れ替わった攻撃陣はなかなか機能せず、得点力不足に泣かされた。 ▽加えて守備の中心選手である森重真人が7月2日のC大阪戦で全治6ヶ月の重傷を負いチームを離脱。フロントは急きょ韓国代表のキャプテンである張賢秀(チャン・ヒョンス)を補強した。しかし8月から9月にかけてのリーグ戦とルヴァン杯で5連敗を喫すると、クラブは篠田善之監督の退任を決断。後任監督にはコーチの安間貴義氏が昇格し、残り9試合で暫定的に指揮を執ることになった。 ▽2015年にコーチに就任して2年目で、「まさか自分が監督を任されるとは思ってもいなかった」と驚く安間監督。監督のオファーに「イエスと言うほかなかった」と選択肢がなかったことを明かした。安間監督は過去に甲府や富山といったJ2チームで監督を務めた経験がある。しかし、「元日本代表や韓国代表らそうそうたるメンバーがいる」ことで、練習初日で「私のアイデアが認められなければ選手にはそっぽを向かれてしまう」と危機感を抱いた。 ▽幸いにも「一日目でうまくいった」ことで、監督としての初戦である9月16日の仙台戦は1-0の勝利を収めて連敗をストップした。 ▽安間監督といえば、甲府や富山時代は攻撃的なパスサッカーで評価を高めた指導者だ。チリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に触発されて攻撃的な3-3-3-1を採用するなど、その指導は「安間塾」と言われ、FC東京でも全体練習後は若手を集めて密集地帯でのパス&ムーブに加え、広いエリアで強いパスでDFを剥がす指導を続けていた。 ▽FC東京の監督に就任してまず取り組んだのは、「相手にリードを許しても諦めずに最後まで戦うこと」と、年齢や過去の実績にとらわれず「競争意識を植え付ける」ことだった。それは2010年から2014年まで、5シーズンに渡って指揮した富山時代と変わらない姿勢でもある。 ▽そのことを指摘すると、意外な答えが返ってきた。富山時代は「選手がいなくなるので、やりくりに苦労しました。その点、FC東京はその心配がないのでまだ助かります」と言うのだ。 ▽それというもの、例えば東京Vで出番がなく2014年にFC東京へ移籍したFW中島翔哉をレンタルで獲得したものの、富山での活躍からシーズン中にレンタルバックを余儀なくされた。同じくFC東京から同年6月に加わったMFソ・ヨンドクは7月に蔚山現代へ移籍し、GK廣永遼太郎はシーズン後に広島へ完全移籍した。 ▽FC東京の3選手をレンタルできたのは、FC東京の立石敬之GMがS級ライセンス受講の同期生だったからだが、シーズン中の移籍はチームにとって痛手だったことは間違いない。彼ら以外にも、MF白崎凌平(中学時代までFC東京U-15から山梨学院大学付属高時代は高校選手権で活躍)は2014年シーズン後、レンタル終了で清水に戻り、中国人選手初となるゴールを決めたDF高准翼は福岡に移籍した。 ▽シーズン中やシーズン後に主力選手を放出しなければならなかった富山。その原因は2012年から導入されたクラブライセンス制度にあった。 ▽「3シーズン連続して赤字ですと、クラブライセンスを剥奪されます。クラブを存続させるためには、主力選手を放出しなければならなかった」と安間監督。その結果、富山は2014年にJ3降格が決まり、安間監督も退任を余儀なくされた。そして富山はJ3で3シーズン目を迎え、現在4位でJ2再昇格を狙える位置にいる。 ▽例年、この時期は来季に向けて契約更改の始まるタイミングでもある。海外移籍や優勝を狙えるクラブへの移籍、さらには好条件のクラブを視野に入れて交渉に臨む選手もいるし、代理人の思惑も絡む契約交渉でもある。そうした中で、ライセンスを確保するため戦力ダウンを覚悟の上で主力選手を放出しなければならないクラブもあることを安間監督は教えてくれた。 ▽地域により、あるいは母体企業の有無により温度差があるかもしれないが、これもJリーグの抱えている実態だろう。チームが主力選手を放出しなければならない理由は様々だということを知った。とりわけ体力のないクラブにとっては切実な問題だろう。だからこそ、J2 やJ3 で奮闘しているクラブにはエールを送りたい。彼らが支えるからこそJ1の反映もあると思うからだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.27 07:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ACL準決勝第2戦は今季ベストゲーム。決勝の相手は日本と因縁深いアル・ヒラル

▽視察したハリルホジッチ監督が「スーパーな試合」と驚いた昨夜のACL準決勝第2戦、浦和対上海上港の試合は、間違いなく今シーズンのベストマッチだった。堀監督に代わり、システムも4-1-4-1に変更した浦和。しかしリーグ戦では7試合連続失点中と、お世辞にも結果が出ているとは言い切れない。 ▽しかしながらACLになると、ホームではグループリーグから6試合全勝と圧倒的な強さを発揮してきた。しかも1次リーグでFCソウルに5-2、ウエスタン・シドニーに6-1と大勝すると、決勝トーナメント1回戦の済州戦ではアウェーを0-2で落としながら、ホームは延長戦で3-0と逆転勝ち。さらに川崎Fとの準々決勝も第1戦は1-3と敗れながら、ホームでは4-1とひっくり返す離れ業をやってのけた。 ▽準決勝の上海戦は、アウェーで1-1のドロー。上海はご存じのようにフッキ、オスカル、エウケソンと元ブラジル代表を前線に揃え、破壊力はアジアでも1、2位を争う強敵だ。その反面、自国選手で固めた守備陣に脆さがある。このため第2戦は、浦和が守備を固めて0-0のドロー狙いに行くか、激しい打ち合いを演じるのではないかと予想した。 ▽しかし浦和は自陣に引いて守備を固めるのではなく、前線からのプレスとミドルサードでの複数選手による囲い込みなど、インテンシティの高いサッカー、ハリルホジッチ監督の言う「デュエル」で上海に勝負を挑んだ。決勝点は柏木のCKからラファエル・シルバが頭で押し込んだものだが、このシーン以外にも槙野のヘッドがクロスバーを直撃するなど、カウンターから上海ゴールを脅かし、決定機の数でも上海を上回った。 ▽上海の決定機はフッキのミドルによる一撃くらい。これはGK西川が好反応を見せ、直後のこぼれ球にも身体を張ってゴールを死守した。決勝戦の相手はサウジアラビアの名門アル・ヒラル。13度のリーグ優勝を果たしているが、ACL(01―02年まではアジアクラブ選手権)では何かと日本勢と縁が深いクラブだ。 ▽日本勢が初めてアジアの頂点に立ったのは、古河(現ジェフ千葉)が天皇杯を棄権して参加した1986年のことだった。大会はリーグ戦で行われ、準優勝がアル・ヒラルだった。そして翌1987年、読売クラブ(現東京V)が日本勢として連覇を果たしたが、決勝戦を棄権して準優勝に終わったのもアル・ヒラルだった。決勝はホーム&アウェーで行われる予定だったが、サウジアラビアの大学の試験と日程が重なるため、第1戦を前にアル・ヒラルは棄権した。 ▽そんな彼らが2度目のアジア王者に輝いたのが99―00年のこと。前年のアジア王者である磐田をホームに迎え、ゴールデンゴールから3-2で磐田の連覇を阻んだ。ACLになってからは、14年に決勝まで進んだものの、アウェーの第1戦はウエスタン・シドニーの1チャンスに失点して0-1と敗退。ホームでは怒濤の猛攻を見せたもののゴールをこじ開けられず0-0で準優勝に甘んじた。ACL最大の番狂わせでもあった。 ▽アル・ヒラルとの決勝戦は第1戦が11月18日、第2戦が1週間後の25日となっていて、浦和は初戦がアウェーで、第2戦をホームで戦える。ミラクル・レッズの再現なるか。決勝戦は昨夜の4万4千357人ではなく、満員にして選手をサポーターしたいものだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.20 09:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】U-17W杯で日本はフランスに完敗。見たい試合を探す苦労を痛感

▽個人的な感想ではあるが、これだけ日本のサッカーはあらゆるカテゴリーで活躍しているのだから、W杯という世界大会は公共放送であるNHKに、BSでもいいからライブ中継して欲しいということだ。 ▽今シーズンからダ・ゾーンに加入し、ルヴァン杯などを視聴するためスカパー! とも契約した。さらにACLを見るには日テレとの契約視聴が必要だ。そして昨日のインドで開催中のU-17W杯は、フジテレビのオンデマンドと契約しないと見られない。これほどストレスのかかる環境は、利用者にとって負担になるのではないだろうか。 ▽こうしたジレンマを解消すべく、U-17W杯の日本対フランス戦は、仕事仲間がネットで調べ、ライブ中継しているサッカー居酒屋を探し出し、昨夜は西武池袋線の中村橋にあるお店で同業者や旧知のサッカー解説者である川勝良一氏や代理人のI氏らとともに観戦した。いつもは現場にいることが多いものの、こうしてテレビ観戦すると、今回と同じ環境にありながら、現地に赴き、あるいはスポーツバーで声援を送るファン・サポーターの熱意を改めて感じる貴重な経験をできた。 ▽ただ、試合は日本の完敗だった。期待の久保建英は相手のハードマークに持ち味を消され、平川怜もゲームを作ることができなかった。給水時間があったため、かなり高温多湿の劣悪な試合環境だったことは推測される。 ▽フランスとは2015年の国際大会で勝っていたものの、今回は体のぶつけ合い、ハリルホジッチ監督の言うデュエルで圧倒された。「これほどまで体をぶつけてくるのか」という激しさ。元々、身体能力で凌駕しているフランスが本気で挑んで来る。それだけ日本のスキルを消すにはデュエルで勝負するのが効果的と判断したのだろう。 ▽それは今回のU-17W杯だけでなく、なでしこジャパンが現在は劣勢を余儀なくされていることにもつながる。日本のスキルを消すにはフィジカルで勝負する――だからこそハリルホジッチ監督はデュエルや体脂肪率にこだわるのだろう。 ▽話をフランス戦に戻すと、欧州選手権の得点王であるグイリに2ゴールを奪われた。左サイドからの突破を得意にして、日本は開始直後から何度も決定機を作られた。一瞬にしてトップスピードにギアアップする瞬間的な速さに、日本のDF陣は対応できなかった。シュートの技術もアイデアが抱負で、決まらなかったもののアウトサイドで狙ったり、右足インフロントで巻くようなシュートで右上スミを狙ったりするなど、17歳以下とは思えないクレバーな選手だった。恐らく次代のフランス代表を担う逸材だろう。 ▽対する日本は、最終戦がニューカレドニアということもあり、グループ2位通過はほぼ確定だろう。山場となる決勝トーナメントの相手は、現在のところフランスと並んで優勝候補のイングランドが有力だ。そして、ここを突破できれば一気にファイナリスト進出も見えてくる。そのためにも、久保の強気のプレーに期待したい。 ▽それにしても、NHKが中継しないのは残念でならない。 【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.12 17:16 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】注目度の低いルヴァン杯。優勝チームにはACLの出場権を

▽昨日はルヴァン杯準決勝第1戦の2試合が行われ、仙台は川崎Fに3-2と先勝し、C大阪とG大阪は2-2で引き分けた。第2戦は3日後の8日に行われる。 ▽ところで、昨日準決勝が開催されたことを、Jリーグ関係者と両チームのファン・サポーターや関係者以外、どれだけ知っていただろうか。日本代表がキャンプ中で、U―17日本代表もインドでのW杯を控えているとはいえ、事前の告知もほとんどなく注目度も低い。それが決勝戦以外は盛り上がりに欠けるルヴァン杯とはいえ、寂しい限りだ。 ▽それでもC大阪対G大阪戦には21,800人、仙台対川崎F戦には8,382人の観衆が詰めかけたのだからさすがと言える。G大阪以外は初タイトルだけに、ファン・サポーターの期待の表れだろう。 ▽さて、これは今年に限った話ではなく、ルヴァン杯をグループリーグからいかに盛り上げるかは数年来の課題でもあった。リーグ戦により試合数を増やすことで入場料収入を確保したいという狙いは分かるが、照明設備を含めたスタジアムの使用料、警備員やアルバイトの確保、警察や救急車の手配など、それこそクラブスタッフは1日がかりの大イベントである。こうした諸々の経費を入場料収入から差し引いて黒字になっているのか、はなはだ疑問だ。 ▽だからこそ、J2にも門戸を開くことは躊躇われるのだろう。来シーズンからは、ACL出場の4(3)チームを引いたJ1の14チームに、前年のJ1リーグを16位と17位で終え降格した、J2の2チームを加えた16チームを4チームずつ4ブロックに分けて、ホーム&アウェーの予選リーグを行う。これなら今年のような7チームのリーグ戦(1回戦)で、ホーム開催かアウェー開催かで不公平感が出ることはなくなるだろう。 ▽とはいえ、リーグ戦で下位に低迷するチームはルヴァン杯で主力を温存せざるを得ないケースは避けられないだろう。まして来年はロシアW杯があり、Jリーグは2月17日に開幕と早められるものの、今年以上の過密日程は避けられない。 ▽大会のスリム化を図るなら、J1の14チームないしJ2の2チームを加えた16チームによるトーナメント戦しかないだろう。ACL出場の4チームは準決勝から加え、改めて抽選でドローを決め、準々決勝を2回行うというパターンだ。 ▽そして大会の価値を上げるのであれば、優勝チームはスルガ銀行チャンピオンシップという“借りてきたような“大会ではなく、ACLの出場権を与えるべきである。幸い近年の天皇杯はJ1クラブが優勝しているものの、ACLで優勝を狙うならJ1リーグの2チームとルヴァン杯優勝1チーム、そしてリーグ戦3位のチームがプレーオフ進出という現行の方式だ。スルガ銀行は天皇杯を特別協賛しているのだから、天皇杯優勝チームこそがスルガ銀行チャンピオンシップに出場するのがふさわしいのではないかと思うが、いかがだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.05 16:45 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】10月の代表メンバー発表は少しのサプライズ。国内組のサバイバルのスタート

▽来月6日のニュージーランド戦(豊田スタジアム)と10日のハイチ戦(日産スタジアム)の2試合に臨む日本代表のメンバーが発表された。ほぼ予想通りで、サプライズがあるとすれば左SBに車屋(川崎F)が初招集されたことと、ボランチに遠藤航(浦和)が復帰したことだろうか。 ▽わざわざ時差のある日本に、これまで実績があり、現在好調な岡崎(レスター)と、ケガをした長谷部(フランクフルト)、そして新天地を求めながら負傷し、なおかつ大地震に見舞われてコンディションに不安を抱える本田(パチューカ)を呼ばなかったのは当然だろう。 ▽現在の日本代表で選手層が薄いのはCBと両SBだ。森重(FC東京)は負傷で長期離脱し、丸山(FC東京)もチームの不振によりプレーに精彩を欠いている。やっと彼らの代わりに吉田(サウサンプトン)の相棒として昌子(鹿島)が台頭してきた。そのバックアッパーとして植田(鹿島)と三浦(G大阪)が呼ばれてきたが、今回の招集で植田が一歩リードしたかもしれない。 ▽そして車屋である。長友(インテル)の控えとして酒井高(ハンブルガーSV)がいるものの、ハリルホジッチ監督の求める純粋なレフティーではない。長友の後継者探しは急務であり、問題はそれを「誰にするか」だった。 ▽今回は車屋に白羽の矢が立ったが、練習でアピールして「チャンスをつかんで欲しい」というハリルホジッチ監督の期待に応えられるかどうか。まだスタートラインに立ったに過ぎないため、プレーはもちろんのこと、コミュニケーション能力や連日のミーティングに適応できるかどうかが注目される。 ▽遠藤航について指揮官は「ボランチにパワーをつけてもらいたいので遠藤を入れた」と説明した。彼は湘南時代から将来を嘱望された選手だ。しかし、浦和に移籍してからは、ボランチでもCBでも、運動量とスプリント回数の少なさが気になっていた。これは遠藤航個人の責任ではなく、ボールポゼッションで相手を凌駕する浦和のプレースタイルにも原因がある。 ▽個人的に、遠藤航の将来を考えるなら、阿部のポジションで起用し、同じ役割を担わせて欲しいと思っていた。果たしてハリルホジッチ監督の下で、「パワー」を発揮できるのかどうか、こちらも見物である。 ▽日本代表のテストマッチは10月に国内で行う2試合と11月に海外で行う2試合、そして12月に国内組で臨むEAFF E-1サッカー選手権(どうも馴染みがない。東アジア杯でいいのではないだろうか)、そして来年3月の国際マッチデーとなっている(もちろんW杯直前にも試合はあるはず)。 ▽そこから逆算して推測すると、11月上旬の海外遠征は、Jリーグは佳境を迎えるだけに国内組よりも海外組を優先することが濃厚だろう。今回はケガで招集を見送った柴崎(ヘタフェ)を筆頭に、森岡(メフェレン)や中島(ポルティモネンセ)らがコンスタントに活躍していれば招集される可能性もある。 ▽それだけに、10月の試合は国内組の攻撃陣にとって、アピールの重要性は増してくる。その筆頭が杉本(C大阪)ということになるだろう。大迫のバックアッパーとして存在感を残せるか。例えゴールという結果を出せなくても、国内組の最終選考の場となる12月の東アジア杯で再び「もう一度見たい」と指揮官に再招集を思わせるプレーをできるのか。 ▽攻撃陣は「狭き門」であるだけに、今回招集された武藤(マインツ)も含め、出番が与えられたらニュージーランドやハイチ相手にどんなプレーをするのか楽しみでもある。 ▽最後に、スポーツ紙の報道によると、2020年の東京五輪の監督は元広島の森保一氏でほぼ決まりだそうだ。早ければ10月の理事会で承認されるという。もしもそれが事実なら、すぐにでも日本代表のコーチ兼任にして、12月の東アジア杯のキャンプはA代表と五輪候補であるU-20日本代表の合同で実施してはいかがだろうか。 ▽東アジア杯をU-20日本代表で臨むことはハリルホジッチ監督も拒絶するだろう。その代わり、キャンプを合同で実施することで、小野や稲本が早い段階でA代表に引き上げられたような“トルシエ効果”も見込めるかもしれない。JFA(日本サッカー協会)には一考して欲しいプランだし、取材する記者はもちろん、ファンもワクワクする合宿になるはずだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.29 12:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】退場者を間違える誤審に改めて主審の苦労を痛感

▽今年から開催されているレフェリーブリーフィングの第5回目が9月21日に開催された。今回は冒頭に小川審判委員長から、この会を催す趣旨が改めて紹介された。それは次の3点である。 1)クラブと審判アセッサー間で意見交換。 2)クラブによるレフェリングに関するフィードバック。 3)メディア関係者へのレフェリング説明会 ▽と、いうものだ。なぜ改めて趣旨を説明したかというと、メディア関係者に、表現について配慮を求めるためだった。覚えている読者もいるかもしれないが、8月16日のJ2リーグ第28節の町田対名古屋戦で、PR(プロフェッショナルレフェリー)の家本政明主審が誤審をした。 ▽試合終了間際の89分、名古屋の青木がこぼれ球を拾いゴールへ突進し、GKと1対1になりかけた。すると町田DF深津と奥山が両側から挟むように体を寄せ、深津が足を引っ掛けて青木を倒した。走り寄った家本主審は即座にレッドカードを取り出しが、彼がカードを突きつけたのはプレーに関与していないMF平戸だった。 ▽審判委員会のヒアリングによると、家本主審は「誰がやったのか」と聞いたところ、町田の選手からは、「それは主審が決めて下さい」という返事だったそうだ。試合後、キャプテンでもある深津は「自分がやった」と告白したが、すでに試合は成立している。 ▽小川審判委員長は、「犯人捜しはしない」と審判委員会の基本的立場を述べつつ、メディアに要請したのは、「誤審」という表記についてだった。誤審であることは認めるものの、家本主審の子供が学校で嫌がらせを受け、泣きながら帰宅したことを明かした上で、メディアに配慮を求めたのだった。 ▽過去には08年4月6日のJ2第6節、甲府対C大阪戦で56分に西村雄一主審からレッドカードを提示されたDF池端が退場となったが、後日行われた規律委員会で“人違い”であったと判断され、本来退場処分を受けるべきだったGK桜井に退場処分が付け替えられたことがある。 ▽Jリーグではそれに続く2度目の誤審で、今後はルヴァン杯のように追加副審を置くか、VAR(ビデオアシスタントレフェリー)を導入しないと対応は難しいと審判4人制の限界を話していた。 ▽2日後の規律委員会では「警告、退場、出場停止処分」の懲罰の運用上、平戸には「退場処分及び出場停止処分を科さないこととする」とし、「本来退場処分を受けるべきであった深津選手に退場処分を付け替え、1試合の出場停止処分を科す」と訂正。ただし、サッカー競技規則第5条で主審の決定「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」ことから公式記録は変更されず、平戸の退場処分は残ったままだ。 ▽この試合で返す返すも残念なのは、深津が素直に自分の非を認めていれば、違った意味で注目を集めたかもしれないということだ。そして、この件を聞きながら、JSL(日本サッカーリーグ)時代のあるエピソードを思い出した。 ▽古河(現ジェフ千葉)のある選手が、特定の主審からよくイエローカードをもらった。自分では反則ではないと思っても警告されてしまう。あまりにも厳しいジャッジに、意を決し主審に理由を聞いてみた。すると主審は「背番号●はダーティーなプレーヤーだから気をつけろと先輩から聞いている」と答えたそうだ。 ▽確かに自分の背番号ではある。そこで念のために選手の名前を聞いたところ、それは自分の前に同じ背番号でプレーしていた先輩で、すでに引退していた。そのことを主審に伝えたところ、以後はイエローカードもめっきり減ったという。 ▽これは先入観の悪しき例で、今日のブリーフィングでも小川審判委員長は「先入観を持って笛を吹くことはない」と強調していた。ただ、先入観と予備知識の違いはどこにあるのかを判断するのは難しいところではないだろうか。 ▽かつてJリーグの審判技術向上のため招かれたレスリー・モットラム主審は、離日の際の会見で、「Aというチームは主審が背中を向けていたり、ボールがないところでの反則が巧妙なので気を遣った」と述懐していた。それがAというチームの伝統であり強さかもしれないが、今回の件も含め、改めて主審は「労多くして功少なし」と実感せずにはいられなかった。 2017.09.21 21:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】殿堂掲額式典で小倉最高顧問が明かしたジョホールバル秘話

▽毎年9月10日はJFA(日本サッカー協会)の創立記念日だ。今年で96周年となったが、同日は日本サッカー殿堂掲額式典の行われる日でもある。第14回となる今年は、特別選考としてJSL(日本サッカーリーグ)で日産自動車に数々のタイトルをもたらして黄金時代を築き、Jリーグでは横浜フリューゲルスで天皇杯を制し、その後は日本代表の監督を務めた加茂周氏が選出された。加茂さんについては、また別の機会でエピソードを紹介したいと思う。 ▽そしてもう一人はカメラマンの今井恭司氏である。サッカーカメラマンの草分け的存在で、70年代から日本代表や日本ユース代表の試合を取材にアジアはもちろん、ヨーロッパまで足を伸ばして貴重な写真の数々をサッカーマガジン誌に発表してきた。 ▽懐かしいVTRを交えての掲額式典は1時間ほどで終わり、その後はラウンジに移動しての歓談となった。今井さんとは、日本代表の取材に行くと、シュート練習の際はゴール裏で球拾いをした思い出話に花が咲いた。当時の代表チームは監督とコーチ、マッサーと協会事務員に、スポーツメーカーから派遣された5人くらいしかスタッフはいなかったからだ。 ▽いまと比べると隔世の感があるが、当時の方が選手との距離も近かったのは言うまでもない。そんな昔話で当時を振り返っていると、自然にロシアW杯杯アジア最終予選のオーストラリア戦の話しになった。すると小倉純二JFA最高顧問が、97年のフランスW杯アジア最終予選での隠れたエピソードを教えてくれた。 ▽当時を知らない読者がいるかもしれないので簡単に紹介しよう。W杯予選は5カ国2グループに分かれ、ホーム・アンド・アウェーのリーグ戦で、各組1位がストレートイン。2位同士が第3代表決定戦に回り、勝てば本大会に出場し、敗れたチームはオーストラリアとのプレーオフに最後のチャンスを賭けることになる。 ▽B組の日本は残り2試合で3位だったが、11月1日のアウェー韓国戦に勝ち、勝点を10に伸ばした。そして翌日、2位のUAEがウズベキスタンと0-0のドローに終わったため、勝点は9にとどまる。この結果、日本は再び2位に浮上し、地力での出場権獲得の可能性が復活した。 ▽このため、FIFA(国際サッカー連盟)は、JFAに対して、「第3代表決定戦の希望地はどこか」と聞いてきたそうだ。そこで小倉専務理事(当時)は、「中東(A組はサウジとイランに可能性があった)と極東にとって中間距離のマレーシアでの開催を希望する」と答えた。 ▽そしてすぐさまマレーシア協会に連絡を取り、スタジアムの確保を依頼したところ、第3代表決定戦の行われる11月16日は「カップ戦のため、クアラルンプールのスタジアムはどこも予定が入って満杯だ。すでに負けているジョホールバルなら空いている」との返事だった。小倉専務理事にとって「初めて聞いた都市名で、どこにあるのかも知らなかった」ものの、二つ返事でジョホールバルを押さえてもらうよう依頼した。 ▽一方のA組は、1試合を残しイランが勝点12の1位、サウジが同11で続いていた。サウジが第3代表決定戦で希望したのは、自国と橋でつながっている隣国のバーレーンだった。ところがイランは、同じ中東に位置しながら、アラブ圏ではない。他の国々がアラビア語なのに対し、ペルシャ語と独自の言語と文化を持っている。宗教も、同じイスラム教でもサウジはスンニ派が多数を占め、イランはシーア派とこちらも相違がある。 ▽そうした事情から、イランはバーレーンでの開催に難色を示し、マレーシア開催を支持した。もしかしたら1位抜けする予定だったかもしれないし、第3代表決定戦に回っても日本なら勝てると思ったのかもしれない。 ▽11月7日、FIFAは第3代表決定戦をマレーシアで開催することを決定。その翌日、日本はホームでカザフスタンに5-1で大勝し、ジョホールバル行きを決めた。そしてA組では、11月7日にイランがカタールに0-2で敗れ、勝点は12でストップ。5日後の試合でサウジがカタールに1-0で勝ったため、勝点を14に伸ばしてフランス行きを決めた。 ▽決戦の地であるジョホールバルは、首都クアラルンプールから331キロ離れ、クルマで移動すると3時間28分かかる。むしろシンガポールからは23・3キロで、国境越えがあるとはいえクルマで42分と近距離だ。「それを知らずにイランはクアラルンプール経由で移動したので、その点も日本にとってアドバンテージになったかもしれない」と小倉最高顧問。 ▽岡野のVゴールで日本はW杯初出場を果たした。そしてオーストラリアとのプレーオフに回ったイランも78年以来となる2度目のW杯出場を決めたのだった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.14 16:20 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ハリルジャパンのストロングポイントは格上チームとの対戦で発揮

▽ロシアW杯アジア最終予選、日本は敵地ジェッダでサウジアラビアに0-1で敗れて全日程を終えた。高温多湿な環境と、すでに予選突破を決めていたこと、大迫を外して岡崎や本田などコンディションに不安を抱えていた選手を起用したことなど、敗因は様々だろう。 ▽この結果、サウジは同勝点ながら得失点差でオーストラリアを上回り、W杯出場を決めた。そして3位となったオーストラリアは、グループAで得失点差からウズベキスタンをかわしたシリアとのプレーオフに回ることになった。 ▽サウジは06年ドイツ大会以来のW杯出場だが、06年のオーストラリアはオセアニア枠での出場で、その後オーストラリアがアジア枠に入ったことで、サウジは日韓とオーストラリアに弾き出される形でW杯の出場権を逃してきた。彼らにしてみれば、やっとリベンジを果たせたというところだろう。 ▽さて日本である。サウジ戦は警戒していたジョーカーのF・ムワラドに決勝点を奪われた。彼のスピードについていけないなど、敗因は前述したように多々あるだろう。前半の昌子のヘッドや山口のミドルが決まっていれば、違った結果になったかもしれない。そこから見えてくるハリルホジッチ監督のサッカーの弱点が気になるところだ。 ▽今回のアジア最終予選でベストマッチはアウェイのUAE戦とホームのオーストラリア戦だと思う。前者は、UAEのストロングポイントであるオマル・アブドゥルラフマンを原口、今野、長友とフィジカルの強い左サイドのトライアングルで封じた。試合途中からオマルは窮屈な右サイドから左サイドにプレーエリアを変えたものの、そこでも酒井宏と久保が攻撃参加することでオマルの攻撃力を半減した。 ▽オーストラリア戦ではパスサッカーに対し、山口と井手口という守備能力に長けた2人を高い位置に置くことでオーストラリアのWボランチに圧力をかけつつ、3バックのサイドのスペースを浅野と乾のスピードと個人技で崩しにかかった。 ▽対戦相手のストロングポイントやウィークポイントが明白な時に、ハリルホジッチ監督は明快な戦略でそれらを攻めて結果を出した。しかしながら、アウェイのサウジ戦やイラク戦など、体力的なハンデもあるが、攻守にこれといった特徴のないチームには苦戦を強いられた。例外は、明らかに格下のタイ戦くらいだろう。 ▽このことからも、ハリルホジッチ監督の真骨頂は「ジャイアントキリング」にあることは疑う余地がないし、彼を招ヘいした前技術委員長の霜田氏の狙い通りと言える。その一方で、チーム戦術ではなく個人技で攻めてくる同等の相手には苦戦を強いられたのも事実である。 ▽ロシアW杯では日本より格上のチームとの対戦が予想されるだけに、こうした不安は杞憂に終わるだろうが、過去対戦で苦手とする南米勢やアフリカ勢との苦手意識をどう払拭するか。10月の親善試合はニュージーランドとハイチが相手とあって、日本の現在地を確認できる相手とは思えない。11月に予定されている海外遠征が、ハリルジャパンの最終章の始まりと言えるのかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.07 16:42 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】W杯予選で脅威を感じたポゼッションサッカーの未来

▽日本代表が昨夜、オーストラリアからW杯予選で初勝利を奪い、6大会連続のW杯出場を決めた。埼玉スタジアムで試合を取材していたため、渋谷のスクランブル交差点などでサポーターが喜びを爆発させたのを深夜のテレビや今朝の新聞で知り、改めて“日本代表(サッカーではなく)”の影響力の大きさを知った。 ▽試合はハリルホジッチ監督のプラン通り、俊足の浅野を起用して3BKの左サイドを狙った攻撃と、オーストラリアのポゼッションサッカーによるビルドアップを封じるため井手口と山口の起用がズバリ的中。浅野と井手口というリオ五輪代表だった若い2のゴールでオーストラリアを撃破した。 ▽オーストラリアは昨年10月の対戦時も、ポステゴグルー監督はハイクロスによる攻撃からポゼッションサッカーにスタイルを変えていることを強調した。そのためハリルホジッチ監督はリトリートしてパスコースを消しつつ、インターセプトからのカウンターを狙い、原口が先制点を奪った。 ▽そしてホームでの試合は、デュエルとインテンシティで勝負できる選手を起用し、さらにカウンター狙いを徹底。ミドルサードからボールを奪いに行くアグレッシブな姿勢を貫いた。恐らく今後もハリルホジッチ監督が日本代表の指揮を執るなら、W杯で目指すのは、かつてボルシア・ドルトムント時代にユルゲン・クロップ監督が採用した「ゲーゲンプレス」ということになるだろう。 ▽といったところで、昨夜の試合で感服したのは、オーストラリアが徹底してポゼッションサッカーにこだわったことだ。それまでのオーストラリアは4-2-3-1や4-4-2からのポゼッションサッカーだったが、コンフェデ杯では3-4-3にシステムを変更し、より攻撃的なサッカーを目指している。 ▽これは余談だが、試合後のポステゴグルー監督は「ピッチ中央がスリッピーで、中央のエリアを支配することができなかった」と振り返った。昨日はピッチ全体を機械で散水した後に、さらにセンターサークル付近を中心に、ボンベを背負った係員が入念に散水していた。これもオーストラリアのビルドアップを想定して、よりスリッピーにすることでパスサッカーを封じにかかるハリルホジッチ監督の作戦だったのだろう。 ▽そうした障害がありながらも、オーストラリアは自分たちのスタイルを貫徹した。日本のゴール前に攻め込んでも簡単にクロスは上げず、ポジションチェンジしながらワンツーによるリターンパスで突破を図った。迂闊に対応するとPKを取られるリスクもある攻撃だ。 ▽そしてリードを許した後半は、サイドからのクロスで日本ゴールを脅かしたものの、クロスは日本が弱点とする空中戦ではなく、低くて速いクロスが多かった。それはエースのユリッチやケーヒルが交代出場しても変わらなかった。 ▽試合後に空中戦に強い2人を投入しながら「パワープレーではなくポゼッションサッカーにこだわった理由」を質問されると、ポステゴグルー監督は「そういうサッカー(ポゼッション)をしたいからだ。このフィロソフィー(哲学)で結果を出したい」と胸を張って答えていた。 ▽ポステゴグルー監督が言うとおり、ポゼッションサッカーにこだわるのはわかる。おそらく1点差なら、終盤はパワープレーに出たかもしれない。しかし2点差だったためポゼッションサッカーを貫いたのだろう。 ▽日本にとっては、ドイツW杯でパワープレーの連続から3DFが体力を消耗してケーヒルにゴールを許した苦い経験がある。にもかかわらず、ここ数年のオーストラリアは、ポステコグルー監督はポゼッションサッカーに強いこだわりを見せ、大一番の日本戦でもその姿勢は変えなかった。 ▽オーストラリアは、オセアニアやアジアではフィジカル勝負で圧倒できる。しかしW杯でヨーロッパや南米、アフリカ勢と対戦したら、アジアではアドバンテージであるフィジカルは通用しない。そのためのポゼッションサッカーだが、ポステゴグルー監督の目指すところは、まだ“道半ば”といったところだろう。 ▽そういった意味では、ザッケローニ元監督でポゼッションサッカーにより一つの形を作り、ハリルホジッチ監督でショートカウンターのスタイルを目指している日本は、オーストラリアより半歩先を歩いているかもしれない。 ▽しかし今回、ポステコグルー監督が勝敗にかかわらずポゼッションサッカーを追求したことで、彼らがW杯に出場できるかどうかは別にして不安も感じた。このままポゼッションサッカーを追求して、日本と同レベルに達したら、空中戦やフィジカルでのアドバンテージがあるだけに、アジアで最強のチームになる可能性があるからだ。 ▽レーハーゲルからポステゴグルーと自国リーグで結果を出した監督に指揮官を代え、独自のスタイルを構築しつつあるオーストラリア。今後もアジアでは韓国やイランと並び日本のライバルとなることは間違いないだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.02 10:00 Sat
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【六川亨の日本サッカー見聞録】代表メンバー発表で見られた指揮官の悩み

▽ロシアW杯アジア最終予選のオーストラリア戦(8月31日)と、サウジアラビア戦(9月5日)に臨む日本代表の27人が8月24日に発表された。ハリルホジッチ監督が「さまざまな困難な状況があり、いままでで一番リストを作るのが難しかった。いくつか心配な点があり、リスクを冒したくないため、手元に呼んで何人かの選手の状態や可能性を確認したい」と語ったように、戸惑いを隠せない代表発表となった。 ▽というのも、これまでハリルホジッチ監督は、レギュラー候補の順に選手の氏名を読み上げてきた。昨日を例にあげれば、まずGKのスタメンは川島(FCメス)で決まりだろう。SB(サイドバック)も右は酒井宏(マルセイル)、左は長友(インテル)で、2人のバックアップは酒井高(ハンブルガーSV)が一番手で、その控えが槙野(浦和)となる。 ▽CB(センターバック)は吉田(サウサンプトン)と昌子(鹿島)がスタメンで、植田(鹿島)と三浦(G大阪)バックアップとなり、どちらか1人は最終的にメンバーから外れる可能性が高いのではないだろうか。 ▽ボランチは長谷部(フランクフルト)と山口(C大阪)のコンビは不動。長谷部については「コンディションもトップレベルに戻ってきている。プレーしすぎるくらいなので、少し休ませたい」と言うほど、信頼を置いている。 ▽問題はここからで、トップ下の選手を発表する時に、まず小林祐希(ヘーレンフェーン)と柴崎(ヘタフェ)の名前を上げ、香川(ドルトムント)は3番目だったことだ。小林祐に関しては「レギュラーとして出続けている。性格も強い。プレッシャーにも順応できる」と高く評価した。そして香川は「心配があったがコンディションを取り戻しているところ。徐々に良くなっているので手元で見たい」と起用に含みを持たせた。 ▽同じことは右FWにも当てはまり、ハリルホジッチ監督は浅野(シュツットガルト)、久保(ヘント)、本田(パチューカ)と、これまでスタメンだった久保や本田ではなく、浅野を一番手にあげた。その理由として久保には「試合に出続けているが、得点をあげて欲しい」と注文し、本田には「香川と同じ状況。リーグ戦でゴールを決めたが、手元でチェックしてからどういう役割か考えたい」と起用に明言を避けた。 ▽左FWも、これまでスタメンだった原口は3番手で、「ポジションとコンディションを取り戻すのに苦労している」と語り、乾(エイバル)を一番手にあげ、武藤嘉紀(マインツ)を2番手にあげた。 ▽CFは好調な岡崎から杉本、大迫の順。これは大迫がケガから復帰したばかりなのと、岡崎が開幕から2試合連続ゴールを決めているだけに、順当なチョイスでもあるだろう。 ▽で、ハリルホジッチ監督にとって悩ましいのがトップ下と左右のFWということになる。ハリルホジッチ監督は常々「コンディションの良い選手を使う」と明言してきた。過去にはホームのUAE戦で大島(川崎F)をスタメンに抜擢し、アウェイのオーストラリア戦では丸山(FC東京)をスタメンで起用しようとした(これはスタッフの忠告により断念)。 ▽W杯出場のかかる大一番で、トップ下を2試合しか出場経験のない小林祐に任せるのか。あるいは手元に置いてコンディションの確認状況により香川を使うのか。同じことは右FWにも当てはまり、浅野がスタメンを飾るのか。コンディション重視とはいえ、コンビネーションという問題もあるだけに、その判断は難しい。 ▽とはいえ、これは矛盾するかもしれないが、いつまでもベテラン起用の“安全策"ばかりでは、チームの若返りは図れない。問題はどこで“思い切った"選手起用をするか。普通に考えれば、W杯出場を決めたならサウジアラビア戦は消化試合になるだけに、ここでの起用がリスクも低い。しかし、オーストラリア戦という勝負のかかる痺れるような試合になればなるほど、それは選手をとって経験値を高める可能性も高くなる。ここらあたりも悩ましいところだろう。 ▽果たしてハリルホジッチ監督はギャンブルに出るのか、それとも安全策を採るのかどうか。これまでの選手起用と言動を考慮すると、前者を選択する可能性の方が高い気がしてならない。いずれにせよ、海外組の選手が合流する来週月曜以降の練習がカギを握っている。冒頭15分以外は非公開のため、選手のコンディションをチェックできないのは残念でならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.25 13:05 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】永井氏引退試合に超豪華メンバー集結。小学生時代の永井少年の悩みとは…

▽8月14日の月曜日、味の素フィールド西が丘で、元東京Vの永井秀樹さん(46歳)の引退試合が盛大に行われた。永井さんは「ヴェルディレジェンズ」と「Jレジェンズ」の一員として両チームでプレー。試合は30分ハーフだったが、往年の名選手に加え現役のカズ(三浦知良)もまたぎフェイントを披露するなど、スタンドのファンを多いに沸かせた。 ▽まず何が凄いかというと、メンバーが超豪華だ。ヴェルディレジェンズはカズの他に脳梗塞から復帰したラモス瑠偉氏が、カズと息のあったパス交換を何度も演じた。かつて等々力での浦和戦では、リフティングで相手をかわしてゴールを決めたこともあった。実況を務めたDJジャンボとゲストの金子達仁氏も当時のことを鮮明に覚えていて、チーム名こそ出さなかったがその話題に触れると、スタンドのファンも敏感に反応していた。 ▽彼ら以外にも北澤豪氏、前園真聖氏、武田修宏氏、三浦淳寛氏ら錚々たるメンバーが集結。一方のJレジェンズも中田浩二氏、山口素弘氏、澤登正朗氏、鈴木啓太氏、故・松田直樹氏の長男など、超豪華メンバーだった。 ▽試合は山口氏がフランスW杯予選の韓国戦を思わせるループのパスからPKを獲得したJレジェンズが永井氏のゴールで先制する。しかしヴェルディレジェンズも藤吉信次氏のボレーのこぼれを武田氏がダイビングヘッドで押し込んで同点に。さらにJレジェンズは澤登氏がFKを直接決めて逆転したが、後半はヴェルディレジェンズに入った永井氏が連続ゴールを決めて逆転に成功し、3-2の勝利を収めた。 ▽試合後の永井氏は、「正直、もう何も言うことはありません。これほどのメンバーに集まっていただいたこと、本当に幸せだと思います。最高に幸せなサッカー人生でした」と2600人ほどのファンに最後の挨拶をした。 ▽今回のJレジェンズは、国士舘大学時代のライバルや、V川崎、清水、横浜F、横浜FMなど永井氏が在籍したチームの選手が集結した。スタンドには横浜Fの永井のユニフォームを着たファンがいたのには驚かされた。永井氏の足跡を改めて振り返ると、V川崎ではJリーグ連覇に貢献し、清水ではナビスコ杯優勝、横浜Fでは消滅前の天皇杯に優勝、そして横浜FMでも2000年に第1ステージ優勝と、数々のタイトルを所属チームにもたらした。 ▽そんな永井氏にも、大分県の明野西JFCでサッカーに夢中になった小学生時代に悩みがあった。身長がなかなか伸びないのだ。そこで創刊されたばかりのサッカーダイジェストという月刊誌で、当時技術委員だった藤田一郎氏が、読者の質問に答えるコーナーがあったため、自身の悩みを投稿した。 ▽それに対して藤田氏は「サッカーは身長ではなく、技術を磨くことの方が大事ですよ」と永井少年の質問に誌面で答えた。 ▽それが励みになったのかどうかわからないが、永井少年は大分市立明野中学で全国大会優勝を果たし、国見高校に進学しても全国制覇を達成して、今日まで長きにわたり現役としてプレーし続けた。今後は指導者として第2のサッカー人生は歩んでいるが、きっと選手の悩みを理解できる指導者になることだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.17 20:39 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】殿堂掲額の特別表彰は意外な大先輩

▽今年もまた、日本サッカーの殿堂に掲額する功労者の選考があり、特別選考で2名の方が選出された。一人は元日本代表の監督である加茂周さん、もう一人はカメラマンの今井恭司さんだ。 ▽投票選考では、藤和不動産やフジタ工業などで活躍したFW渡辺三男さん、藤枝東高や早稲田大と名門コースを歩み、釜本二世と期待された日立のFW碓氷博行さん、古河や日本代表でキャプテンを務め、現在は東京国際大学サッカー部監督のMF前田秀樹さん、三菱と日本代表でゴールを死守したGK田口光久さん、読売クラブやヴェルディ川崎でプレーし、引退後はJFAの強化委員長も務めたDF加藤久さん、そして「ドーハの悲劇」でW杯出場を逃したMFラモス瑠偉さんの6人が候補者に選ばれた。 ▽しかしながら150人の投票の結果、75%以上の得票を得た候補者がいなかったために、投票部門の掲額者は見送られることになった。トップの加藤久さんは111票を集めて74%の得票だったものの、あと1%足りなかったのは残念なところ。しかし、得票率10%以上の候補者は次回以降3回まで候補者名簿に残るため、加藤久さんとラモス瑠偉さん、碓氷博行さん、前田秀樹さんは来年以降も掲額される可能性がある。 ▽その一方で、今回は10%に届かなかった田口光久さんと渡辺三男さんは、投票選考の対象外となり、今後は特別選考で選ばれない限り掲額される可能性はなくなった。なんとも厳しいルールでもある。 ▽加茂周さんの特別選考は、ちょっと意外だった。というのも、日産自動車の黄金時代を築き、日本人指導者として初のプロ監督になるなど、長きに渡って日本サッカーを牽引してきた功労者でもあるからだ。もっと早くに殿堂入りしてもおかしくないと思ったからだ。これまでの掲額者は、どちらかというと選手としての実績が評価の対象だったため、見落とされていたのかもしれない。 ▽もう一人の今井恭司さんも意外だった。カメラマンが掲額されるのは初めてのこと。これまでメディア関係者では新聞記者の大谷四郎さん、賀川浩さん、牛木素吉郎さん、共同通信者の奈良原武士さん、アナウンサーの金子勝彦さんの5人しかいなかった。 ▽記者なら署名原稿を書くこともあるので氏名が認知されやすいかもしれないが、カメラマンになると、作品と名前がなかなか一致せず、認知度も低いだろう。そうした対象者にもスポットライトを当てた今回の特別選考は、掲額対象者の枠を拡大する意味でも意義深いものがあると思う。 ▽今後は、例えば漫画家の故・望月三起也さん(ワイルド7などの作者で熱烈な三菱&浦和ファン)や、高橋陽一さん(言わずと知れたキャプテン翼の作者。まだ57歳のため資格はない)らも、サッカーの知名度アップに貢献しただけに、候補者にしてはいかがだろうか。 ▽サッカーは、選手が主役だ。しかし、選手だけでプロリーグは成り立たないし、それは日本代表の隆盛にも当てはまるだろう。日本サッカーの発展・熟成に貢献した功労者は数多い。少年団を創設して地域のコミュニティ発展に寄与した指導者、中学・高校サッカーで代表選手を輩出した名監督、医療や審判など裏方で尽力している方々など、例を挙げればきりがない。 ▽殿堂掲額は「ステイタス」ではなく、「感謝」を捧げる場であって欲しい。そのためには、得票率10%以上という「足切り」はなくし、候補者枠を広げるべきではないだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.10 18:15 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】FC東京のレジェンドが今季限りでの引退を表明

▽昨日8月2日、FC東京のレジェンドである“ナオ”こと石川直宏(36歳)が、今シーズン限りでの引退を発表した。たび重なるケガにもかかわらず、不死鳥のように復活してきた石川だったが、「必ずピッチに戻り、ピッチで貢献する。ファン、サポーターに喜ぶ姿を見せたかったが決断した」と語り、引退の直接の理由は「自分が皆さんの活力になるプレーをできるかというと、クエスチョンマークがついた。プレーを続けるべきではないと判断した」からだった。 ▽昨夜は第41回クラブユースの決勝戦があり、FC東京U-18は浦和U-18と対戦した(2-0で勝利)。引退会見と重なったが、その理由は石川が8月2日に会見を開きたかったからだった。2年前の8月2日、FC東京はドイツ遠征に行き、2日のフランクフルト戦で石川は前左十字靭帯を断裂。そこから長いリハビリ生活に突入したため、「こういう思いで一歩踏み出したかった」のと、この日は妻である麻依子さんの誕生日でもあったからだ。 ▽石川は神奈川県出身で、2000年に横浜F・マリノスのユースから横浜FMのトップチームに昇格したが、リーグ戦の出場は2試合にとどまり、翌2001年も13試合しか出場機会がなかった。転機となったのは2001年にアルゼンチンで開催されたワールドユース(現U-20W杯)だった。この試合を観戦していた原博実氏が石川のスピードに注目。原氏は2002年にFC東京の監督に就任すると、石川に移籍を打診。同年に期限付き移籍でFC東京に加入し、19試合で4ゴールを上げた。 ▽2003年にFC東京に完全移籍したが、後押しをしてくれたのが故・松田直樹氏だった。松田氏は「横浜FMでは時間がかかるけど、いまのプレーを続けていたらFC東京の顔になれる。チームの象徴として戦うことができる」と言われたことで完全移籍を決断したと明かした。 ▽奇しくも8月2日は、松本山雅に在籍中の松田氏が、午前中の練習中に心肺停止で倒れた日でもあった(2011年。その2日後に死亡)。 ▽印象に残るゴールを聞かれた際は、「次の50ゴール目です。300試合出(現在J1で289試合に出場し、49ゴール)を目指していたけど、それは難しそう。5分だけ完璧に動ければ、ピッチで奪い取って次の50ゴール目」と、試合出場と節目の50ゴールに意欲を燃やしていた。 ▽どんな状況でも記者の質問にはていねいに答えてきたし、その誠実な人柄はファン、サポーターもよく知るところだろう。彼に代わる選手が出てこないことも憂慮していた石川。J1リーグのホーム最終戦は12月2日のG大阪戦。元チームメイトの今野とのマッチアップがあるかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.04 12:30 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ドイツ人選手9人目のポドルスキと1FCケルンの関係

▽昨日行われたルヴァンカップのプレーオフ第2戦は、いずれもリーグ戦で上位にいるC大阪とFC東京が順当に札幌と広島を下してノックアウトステージ進出を決めた。興味深かったのはFC東京対広島戦で、FC東京は3-1-4-2の新システム、対する広島は新監督を迎え、ペトロヴィッチ監督や森保監督が11年採用してきた3-4-3から4-2-3-1に変更したこと。 ▽今シーズンのJ1リーグで3バックを採用している広島や浦和は苦戦を強いられているだけに、FC東京の新システムがどれだけ機能するか注目したが、サッカーはシステムでプレーするのではないことを改めて痛感した。 ▽ウイングバックの室屋と小川、インサイドハーフの橋本とユ・インスはボールを失うと前線から果敢な守備でボールを奪い返し、ショートカウンターを仕掛けた。守備では何回もスプリントして広島が得意とするカウンターを阻止。4人とも若くて運動量が豊富だからできたプレーだが、4-2-3-1のサイドバックやサイドハーフだと、プレーのスタート位置が低くなるため、より運動量が要求される。 ▽そう思うと、篠田監督の新システム採用と選手起用はうまくマッチングしたと言える。 ▽さて今週末からはJ1リーグが再開される。いよいよ神戸のルーカス・ポドルスキがデビューするかもしれないと思うと、ワクワクしてならない。 ▽神戸といえば、オールドファンは元トルコ代表のイルハンを思い出すことだろう。2002年の日韓W杯で3位に貢献したイケメン選手だが、膝の負傷から3試合に出場しただけで、無断で帰国。移籍金5億、年俸3億とも言われた巨額の投資は水に捨てたようなものだった。 ▽神戸にはそんな苦い経験があるものの、ポドルスキは確実に戦力アップにつながると期待している。なぜかというと、Jリーグにやってきたドイツ人選手はいずれもそれなりに結果を残しているからだ。生真面目な国民性と言ってもいいだろう。 ▽ドイツ人選手はポドルスキで9人目だが、第1号のFWピエール・リトバルスキーはJリーグ元年の93年にジェフ市原(現ジェフ千葉)のエースとしてチームを牽引し、多くのファンを魅了した。チームメイトのFWフランク・オルデネビッツは94年に得点王を獲得。同時期に浦和に加入したMFウーベ・ラーンとMFミヒャエル・ルンメニゲも元ドイツ代表だったが、チームが最下位争いをしていたため、献身的なプレーはあまり評価されなかった。 ▽しかし、その後浦和に加入したMFウーベ・バインはパサーとして福田正博の得点王獲得に貢献。DFギド・ブッフバルトは魂のこもった守備でチームを鼓舞し、浦和躍進のきっかけとなり、後年は監督として浦和に栄光をもたらした。 ▽彼らの後に続いたのが横浜FCに加入した(2003年)FWディルク・レーマンと、C大阪でプレーした(2014~15年)ブラジル生まれでドイツ代表のFWカカウだ。残念ながらレーマンは晩年での移籍のため12試合で1ゴールと結果を残せなかった。 ▽しかし、ポドルスキはまだ32歳と現役バリバリ。コンディションさえ整えば、“違い”を見せてくれることだろう。神戸は彼と同時にFWハーフナー・マイクを獲得し、さらに鹿島FW金崎夢生もターゲットにしているという噂もある。親会社の楽天はバルセロナの胸スポンサーになり、Jリーグのeコマースのスポンサーにもなった。いよいよサッカーに本腰を入れてきたような印象を受けるだけに、今後の展開に期待したい。 ▽これは余談だが、来日したドイツ人選手のうちリトバルスキー、ラーン、オルデネビッツ、バイン、レーマンの5人はいずれも1FCケルンに在籍経験があり、ポドルスキもケルンで頭角を現した。ケルンと言えば、日本人プロ第1号の奥寺康彦氏がデビューを飾ったチームでもある。何かしら日本とケルンは縁があるのかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.27 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】第4回レフェリーブリーフィング「誤審を認めることで不信感の払拭に期待」

▽昨日19日は、毎月恒例のレフェリーブリーフィングが行われた。これは直近1か月のJ1~J3の試合で、疑問のあったジャッジについて試合後に両チームのGMなどと意見交換し、後日VTRで確認してジャッジの正当性を検証するという試みだ。 ▽結果はチーム関係者(監督やコーチを含む)と選手に伝えた後、メディアにも実際のシーンを再現しながら上川・JFA審判委員会副委員長が解説する。今回は6月1日から7月19日までの全166試合で意見交換し、そのうち36シーンでレフェリーの判断ミスがあったことが報告された。 ▽「フィジカルチャレンジ」の場合なら、6月25日の磐田対FC東京戦で、後半15分にFC東京のピーター・ウタカが両足タックルでクロスを上げようとしている選手の足下に飛び込んだ。ゲームではイエローだったものの、「両足の裏を見せ、体が宙に浮いている状態でのタックルは勢いをコントロールできない危険なプレー」と上川氏は指摘し、レッドが妥当だったと解説した。 ▽同じように、7月5日の川崎F対浦和戦では、後半41分にエドゥアルドが李忠成の左膝にタックルを見舞った。このプレーもイエローだったが、エドゥアルドのタックルは足の裏を見せ、ボールではなく左膝へ、さらに「足が伸びきった危険な状態」(上川氏)でのタックルだったため、これもレッドが妥当だとの判断を示した。幸い大事には至らなかったものの、一歩間違えれば選手生命の危機につながりかねない危険なプレーだ。今後はこうしたVTRによる検証が、危険なプレーを未然に防ぐ抑止力になってほしい。 ▽「ペナルティーエリア内のインシデント(危険発生の可能性=PKかどうか)では、気の毒な例も報告された。7月8日のJ2リーグ、千葉対讃岐戦でのことだ。アウェーの讃岐が3-2のリードで迎えた後半35分、千葉が右サイドから攻め込みクロスを上げた。これがペナルティーボックス外(ぎりぎりでボックス外)にいた讃岐の選手の右手に当たり、主審は千葉にPKを与えた。 ▽しかしVTRで確認すると、「意図的に手をつかったわけではない」ものの、「ボールが手に当たったことで、その反動で手が横に開いたため、主審は故意に手を使ったと誤審した」と上川氏は説明。さらにPKというジャッジについても、「主審の位置が遠いため、正確な判断ができなかったかもしれないし、副審の位置からも選手が重なって見にくかったようです」と説明した。 ▽讃岐にとっては、3-2とリードしていたものの、PKで同点に追いつかれると、その3分後にも決勝点を許して3-4と逆転負けを喫した。「PKさえなければ」と悔やまれるシーンだっただろう。 ▽誤審を認めても、結果が覆るわけではない。しかし、誤審をうやむやにしていては、審判への不信は募るばかりだ。そして再び同じ主審でのゲームとなったら、「またあの主審か」と選手も先入観を持ってプレーする可能性がある。それは両者にとってマイナス材料だけに、誤審を認めることで両者の誤解が解け、気持ちよくプレーできることを期待したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.20 12:45 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】久保建英がトップチームの練習に合流。期待されるJ1デビュー

▽7月12日の天皇杯の3回戦は、筑波大学の快進撃が続いている。2回戦の仙台に続き、3回戦では福岡にも完勝した。その12日は、天皇杯の2回戦で長野にPK負けを喫したFC東京の取材で小平グラウンドを訪れた。 ▽午前中にもかかわらず、うだるような暑さの中で、8対8のゲームを3グループで繰り返していた。昨日は新外国人選手の張賢秀(チャン・ヒョンス)と、リッピ・ヴェローゾの加入が正式発表されるからだ(発表は午後5時以降)。チャン・ヒョンスは韓国代表DFで、3年半前にもFC東京に在籍した。大学卒業後、初めてプロのキャリアをスタートさせたのがFC東京だった。 ▽リッピは20歳のブラジル人で、かつてFC東京やG大阪で活躍したルーカスの紹介で、6月から練習生としてプレーしていたが、晴れてプロ契約を結ぶことができた。縦はハーフコートで、横幅を狭めたピッチで、チャン・ヒョンスは3DFのCBでプレー。キャプテンの森重が足首の負傷で離脱しているだけに、彼の加入はチームにとっても心強いことだろう。 ▽そんなチャン・ヒョンスと同じ白いビブスを着て、中盤で俊敏に動いている選手がいる。いったい誰だろうと確認したら、久保健英だった。トップチームの選手に混じっても、当たり負けせず、プレースピードも遜色はない。チームメイトの足を引っ張るどころか、互角にプレーするあたり、並の16歳ではないことが伺い知れる。 ▽そしてゲーム中は、彼独特の、ボールが欲しい時に手の平を上に向け、指を内側に「来い」という合図を味方に送る。無駄に動かず、ほんの一瞬の間にポジションを変えることでフリーになる巧さは相変わらずだ。 ▽篠田監督は「久しぶりにトップチームに入ってきても、いいプレーを見せた」と褒めつつ、「ボールを失う回数が目立ったので、一緒に練習すれば馴染んで行くだろう」と、今後もトップチームで練習させることを示唆していた。 ▽このままトップチームで練習すれば、もしかしたら今シーズン中にJ1デビューがあるかもしれない。11人対11人の紅白戦ではどのポジションに入るのかも楽しみだ。久保のプレーを見たいファンは、小平での練習見学をお勧めする。ただし、まだ握手やサイン、記念撮影といったファンサービスには対応していない。 ▽練習後の久保は、クラブハウス2階の食堂で、一人アクエリアスのペットボトルを飲みながら、スマホに夢中になっていた。そんな姿を見ると、やはり普通の高校生なんだなと実感させられる。同僚の記者によると、先輩の石川直宏から「身長は何センチ伸びた」と聞かれると、「171センチですが、まだまだ伸びます」と答えていたそうだ。 ▽あらゆる意味で久保の成長を心待ちにしているサッカーファンは多いのではないだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.13 20:52 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】コンフェデ杯やはり最後に勝つのはドイツだった

▽ロシアで開催されたコンフェデ杯は、世界王者のドイツが南米チャンピオンのチリを1-0で下して初優勝を飾った。結果こそ順当だが、ドイツは平均年齢24歳と“代表Bチーム"の布陣。リーグ戦が終わったばかりの開催とあって、主力抜きでの快挙だった。 ▽ドイツといえば、96年のEUROで優勝した際に、開催国の解説者を務めたガリー・リネカーが「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」と名言を残した。それだけ強さの際立つ国でもあった。 ▽古くは66年イングランドW杯で準優勝すると、70年メキシコW杯は3位。74年に自国で開催したW杯で2度目の優勝を遂げる。78年アルゼンチン大会でベスト8に終わると、フォクツ監督は批判にさらされた。それでも82年スペインW杯と86年メキシコW杯は準優勝。そして90年イタリアW杯では3度目の優勝を果たす。 ▽94年アメリカW杯と98年フランスW杯は、いずれもベスト8で敗退。さらに00年のEUROはグループリーグで敗退すると、サッカー大国の威信をかけて「自国選手の育成プログラム」を立ち上げ、長期的な強化に取り組んだ。 ▽とはいえ、2年後の日韓W杯で準優勝すると、06年の自国開催となったW杯でも3位となりクローゼが得点王を獲得。10年南アW杯も3位でトーマス・ミュラーが得点王と、それなりに安定した成績を残している。 ▽それでもドイツにとって、W杯やEUROでベスト8や3位では満足のできる成績ではなかったのだろう。日本だけでなく、ブラジル以外の国からすれば羨ましくなるほど高い目標設置だ。そして14年ブラジルW杯では王国を粉砕して4度目の世界王者に輝く。コンフェデ杯優勝はW杯連覇への“足慣らし"といったところだろうか。 ▽さて、そのコンフェデ杯だが、今大会を最後に大会方式の見直しが検討されている。夏の開催だと今回のドイツのように、“2軍"チームを送り込んでくる可能性が広まるのと、次回のW杯はカタール開催のため、コンフェデ杯もW杯同様に11月~12月開催になることが予想されているからだ。 ▽国内リーグの日程を2年連続して秋春から、春秋開催に変更することへの抵抗感。それにともなうCLやELの日程調整など、ヨーロッパの国々からすれば大きな負担になる。一番手っ取り早い解決策は、最近もFIFAの内部調査で招致に疑惑のあったカタール開催を取りやめ、招致に手を上げた日本やアメリカで開催すること。 ▽しかし、それも早く決めないと代替国の準備は間に合わない。さらに現在のカタールは、政治的・宗教的な対立からサウジアラビアを始めUAEなど中東5カ国から国交を断絶され、人的にも物資的にも交流が滞っていると聞く。まだ22年のW杯まで5年の猶予があるものの、果たして間に合うのか。最近のFIFAは民主的になったものの、以前のような強力なリーダーシップを発揮できていない印象があるだけに、こちらも気になるところだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.07.06 13:08 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】障がい者サッカーの日本代表ユニが完成。第一陣は電動車椅子の日本代表が着用

▽障がい者サッカーの日本代表統一ユニフォームの発表会が6月29日にJFAハウス1階のヴァーチャルスタジアムで開催された。これまで障がい者サッカーは独自路線を歩んできたが、昨年4月に7つの障がい者サッカー競技団体が「日本障がい者サッカー連盟(JIFF)」を設立し、JFA(日本サッカー協会)の加盟団体となった。北澤豪JIFF会長によると「新年度はパートナー企業8社で資金面をサポートしてくれた」そうだ。 ▽各団体はそれぞれ日本代表として国際大会に参加してきたものの、ある1つの願いがあった。それは「SAMURAI BLUEと同じユニフォームでワールドカップやパラリンピックに出たい」というものだった。 ▽今回、日本代表の統一ユニフォームが発表されるということで、彼らの願いが実現するのか期待したものの、残念ながら希望は叶わなかった。その理由を出席した田嶋JFA会長は「選手はSAMURAI BLUEのユニフォームを着たいとの希望があったが、実現できなかった。それは今まで協賛してきた企業の歴史があるため」と話し、「それでも半歩進んだ」と将来に含みを持たせた。 ▽新しいユニフォームは、フィードプレーヤーがオールブルーとオールホワイトの2種類で、GKはオールグリーンとオールイエローの2種類。いずれもアディダス製で、2021年の3月までサプライヤーとしてサポートすることが決まっている。 ▽では、なぜSAMURAI BLUEのユニフォームを着ることができないか、田嶋会長の言葉をもう少し詳しく説明すると、日本代表にはオフィシャルサプライヤーとしてアディダス ジャパンが、オフィシャルパートナーとしてキリン3社がある。さらにサポーティングカンパニーとしてセゾンカード、トヨタ、日本航空、みずほフィナンシャルグループ、KDDI(au)など8社がつき、オフィシャルタイムキーパーとしてタグホイヤーがある。 ▽ところが、冒頭で北澤会長が述べたように、JIFFにもavexや城南信用金庫、東京海上日動、三菱商事、日本マクドナルドなど8社のスポンサーがいる。さらに各連盟にも、例えば一番スポンサーの多いブラインドサッカーには、アクサ生命保険、全日空、SMBC日興證券、味の素、参天製薬など12社のスポンサーがついている。 ▽「簡単に言えばスポンサーバッティングです」と言うのはJIFFの松田専務理事だ。各スポンサーとの契約にもよるが、SAMURAI BLUEを広告に使えるのは日本代表をスポンサードしている企業に限られる。このため、おいそれと「障がい者サッカーもSAMURAI BLUEと同じユニフォームを着ていいですよ」とは言えないのだ。 ▽前出の松田専務理事によると「JFAで関連部署が集まり、ユニフォームについて話し合いをしたが、そんなに簡単なものではなかった。7団体と議論して、時間はかかるが、だからといって待ち続けることはできない。統一しようと去年の8月にまとまり、アディダスと相談・交渉し、今年3月に合意した。条件面を交渉し、7団体13チーム全体のユニフォームを作る。このことで7団体は1つになって世界と戦える」ことになった。 ▽来月には電動車椅子サッカーの第3回W杯がアメリカで開催される。なんとか完成が間に合って、29日のお披露目となった。日の丸の下には各競技団体のロゴマークが入る。SAMURAI BLUEの八咫烏(やたがらす)の使用に関しても、アディダスとは細かい契約事項があり、現在も契約期間中のため使うことができない。 ▽最後に、障がい者サッカーにはどんな競技があるのか簡単に説明しておこう。 ・アンプティサッカー(足や手に切断障がいのある人が行う7人制サッカー。義足・義手を外しロフトストランドクラッチで体を支えながらプレー)。 ・CPサッカー(脳の損傷によって運動障がいがある人が行うサッカー)。 ・ソーシャルフットボール(精神障がいのある人が行うフットサル、サッカー)。 ・知的障がい者サッカー(知的障がいのある人が行う11人制のサッカー)。 ・電動車椅子サッカー(自立歩行のできない障がいを持った人が行うサッカー)。 ・ブラインドサッカー(視覚障がいのある人が行う5人制のサッカーで、GKは健常者が務め、音の出るボールとコーチの声を頼りにプレー。唯一パラリンピックの正式種目)。 ・ろう者サッカー(聴覚障がいのある人が行うサッカー。審判は笛ではなくフラッグなどを使用し、視覚情報を頼りにプレーする)。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.06.29 18:14 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jと提携を結ぶラ・リーガの狙いは…テバス会長が日帰り来日

▽Jリーグは6月22日、スペインプロサッカーリーグ(ラ・リーガ)との戦略的連携協定の締結のため、村井チェアマンと来日中のラ・リーガのテバス会長が調印式を行った。Jリーグはこれまでタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、イラン、マレーシア、カタール、オーストラリアと協定を締結しているが、ヨーロッパとは初めてで、11リーグ目の締結となる。 ▽村井チェアマンによると、「世界22のリーグのチェアマン会議で(テバス会長と)知り合った。会議では一番活発な意見を述べていた。テバス会長がリーガの放映権の一括管理を進めた」と紹介し、今後は「オンザピッチではトップチーム間の交流と若手選手の育成、オフザピッチではインテグリティ(差別の撤廃や八百長の撲滅など)とクラブマネジメントを学びたい」とし、7月にはセビージャが来日してC大阪と鹿島と対戦。さらにJ3のクラブがラ・リーガの小さなクラブの運営を視察に訪れることになっている。 ▽一方、今朝来日し、夜には帰国の途につくテバス会長も「Jリーグだけでなく日本から学ぶことになると思う。Jリーグはダ・ゾーンと契約したことに注目している。スペインにとってもそのコラボレーションの将来に注目している。テレビだけでなくインターネットで見られるのは窓を開けたように大きな可能性を秘めている」と、今年スタートしたパフォーム社との契約に興味を示していた。 ▽具体的な活動は今後の話し合いになるが、ラ・リーガはすでに先月、日本に駐在員を配置。日本のマーケットにおいてラ・リーガの認知度を上げるなど、日本におけるラ・リーガのすべての活動をコーディネートする予定でいる。 ▽そんなラ・リーガの狙いを、テバス会長は次のようにストレートに語った。 「イングランドのプレミアリーグのような立場に立ちたい。スポーツ界では(スペインは)世界1だと思うし、(レアルやバルサのような)クラブも世界1だが、産業としてのサッカーはまだプレミアリーグ及ばないと思っている」 ▽タイのタクシン前首相が一時期マンチェスター・シティのオーナーだったように、東南アジアの多くの国々でイングランドのプレミアリーグ人気は高い。当然、ユニフォームを始めとするグッズ類の販売など、アジアのマーケットを拡大するためにも日本と提携を結んだのだろう。彼らが日本を通じて見ているのは、もしかしたら約14億人の人口を誇る中国かもしれない。 ▽なお、Jリーグは17シーズンよりパートナーシップ協定を提携する国の選手は日本人選手と同じ扱いにしているが、戦略的連携協定対象国のオーストラリアとスペインは、これには含まれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.06.22 22:34 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】豪州は恐れる相手ではないが日程に問題あり

▽日本人は、というよりサッカーファンは、ペシミスト(悲観主義者)が多いような気がする。ロシアW杯アジア最終予選でイラクと引き分けたことで、本大会に行くためにはホームのオーストラリア戦かアウェーのサウジアラビアでの勝利が必要になった。 ▽2チームとも楽な相手ではない。しかしながら現在のオーストラリアは、ボールポゼッションを高めたパスサッカーを展開してくる。「オレたちも以前のキック・アンド・ラッシュではなく、バルセロナのようなサッカーができるんだぜ」といった感じでボールを回して来る。そんな相手に昨年10月のアウェーでは、意図的にオーストラリアにパスを回させながら、ショートカウンターから先制した。 ▽残念ながらPKから追いつかれたものの、日本にとってはフィジカルを前面に出したキック・アンド・ラッシュの方が怖い。日本の失点パターンのほとんどは、ロングボールやドリブル突破からのカウンターが多いだけに、オーストラリアがパスサッカーをやってくれれば勝機も広がるというもの。 ▽そんなに恐れる相手ではないと思う。 ▽ただし、気になるのは日程だ。オーストラリア戦は8月31日だが、UAE対サウジ戦は8月29日、そしてサウジ対日本戦は9月5日。サウジは中6日で、なおかつ移動距離も短く時差もない。それに対し日本は中4日で時差や長距離移動を強いられる。 ▽JFA(日本サッカー協会)としては日程の変更も視野に入れているそうだが、FIFA(国際サッカー連盟)の設定した、選手を拘束できるインターナショナルウインドーは8月28日から9月5日まで。サウジと同じように8月29日にオーストラリア戦を迎えるとしたら、海外組は招集翌日に本番だし、国内組もJ1リーグが26日にあるため、中2日の強行軍となる。 ▽理想的なのは、海外組の招集を早めてもらうよう各クラブと交渉し、J1リーグの日程は変更した上での29日開催だ。そのための交渉やネゴシエートを誰がするのかというと、西野技術委員長になるのだろうが、リオ五輪で久保や南野の招集に尽力した霜田元NTDの辞任は痛いと言わざるを得ない。 ▽さらに9月5日のサウジ戦にも懸念材料はある。サウジは初戦のタイ戦を首都リアドのキング・ファハド国際スタジアムで開催したが、その後の3試合をジェッダのキング・アブドゥラ・スポーツシティで開催している。もしもジェッダで日本戦が行われるとなると、オシム・ジャパン時代の06年のアジアカップ予選以来(0-1)だが、問題は開催日時だ。 ▽というのもイスラム教徒にとって最大の儀式である聖地メッカへの大巡礼である「ハッジ」が、今年は8月30日夕方から9月4日に掛けて開催される。昨年は世界から200万人が訪れたそうだが、ジェッダはメッカへの玄関口となっているため、かなりの混乱が予想される。 ▽サウジ戦がロシアW杯への大一番となったら、多くのサポーターが観戦を希望するかもしれないが、試しに8月31日から9月5日までジェッダのホテルをチェックしたら、すでに多くのホテルが予約で埋まっていた。そして一番安いアパートメントホテルで6泊したら、約7百20万円という値段。1泊100万円以上の出費を覚悟しなければならない。これは、かなりハードルの高い試合と言わざるを得ない。開催都市がリアドになることを祈るしかないだろう。 【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.06.15 23:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】後半の戦いに可能性の広がったハリル・ジャパン

▽シリア戦にスカッと快勝して国外・国内組のコンディションを上げて、万全の体勢でイラク戦に臨む。そんな思惑を吹き飛ばすシリアの素晴らしい戦いぶりだった。ロシアW杯2次予選で日本は3-0、5-0と快勝したものの、それは2年前の話。当時、ゴールを決めた本田と岡崎もいまは三十路を超えた。日本が衰えたと言うよりも、シリアの実力が上がったと見るべきだろう。 ▽ハリルホジッチ監督は、度重なる視察と要望にもかかわらず、イラク戦の行われるイランのピッチはデコボコの状態と判断し、試合では「ロングボールによる空中戦とこぼれ球を拾う」ことを攻撃の課題に挙げ、守備ではイラクが「ドリブル突破で攻めてくる」と予想し、「ボールを奪える選手、戦いの好きな選手を選んだ」と記者会見で話していた。 ▽そして仮想イラクと選んだシリアは(Aグループ4位で13日にマレーシアで中国戦がある)、前線の3選手(4-3-3)だけでなく、両サイドバックもボールを持ったら強引なまでのドリブル突破を仕掛けてくる、もってこいの相手だった。 ▽特にボールを奪ってからのドリブル突破によるカウンターは迫力満点。前半30分まではシリアのハイペースな攻守に後手に回り、日本はボールを持っても落ち着いてさばくことができず、バタバタした印象しか残らなかった。 ▽ボールを奪いに行ってもデュエルとスピードで負けてドリブル突破を阻止できない。前半16分に左SBアルアジャンがカットインで簡単に酒井宏と吉田をかわしてシュートまで持って行ったシーンには頭を抱えたほどだ。 ▽救いは、やはりアジアレベルなのかシュートの精度を欠いたこと。しかしW杯アジア最終予選7試合で3失点という堅守は健在で、前半は日本にチャンスらしいチャンスを作らせなかった。というのも、日本は前半7分に香川が接触プレーで左肩を負傷し、倉田と交代していたこともあったからだ。 ▽ハリルホジッチ監督は、時として大胆な起用をする。最終予選の初戦で大島をスタメンで起用したり、オーストラリア戦では丸山を左MFで投入したりした。シリア戦でもCBに代表歴2試合の昌子を起用。他に呼んだCBは初招集の三浦しかいないため昌子のスタメンは十分に予想されたが、負傷の香川に代わって倉田という交代策も意外だった。 ▽もしかして指揮官は、特定のプレーメーカーを置かず、どこからでも攻められ、守れるチーム作りを目指しているのかと期待したものの、そう簡単にはいかなかった。日本は前線で大迫が巧みなボールキープから孤軍奮闘し、原口も果敢にドリブル突破からシュートを狙ったものの決定機を作るまでにはいたらない。 ▽日本が攻勢に出られたのは後半開始から久保に代え本田を、そして山口に代え井手口を投入してからだった。本田は、最初は右ワイドな攻撃的なポジションで、今野が浅野と交代してからは右インサイドハーフでプレーしたが、持ち前のキープ力、空中戦など体幹の強さ、そして広い視野は相変わらず健在で、サイドチェンジで乾の持ち味を引き出していた。 ▽そして代表デビューの井手口と、原口と交代で久々の代表復帰となった乾は、この試合における一番の収穫と言っていい。井手口は中盤の底でタメを作ったり、緩急の変化に富んだパスで攻撃にリズムを生み出したりした。 ▽そして乾は、原口のカットインとは対照的に、スペースがないように見えてもタテへの突破でシリアの脅威となっていた。右足首にケガを抱え、出場が危ぶまれた乾がここまでやれたのも意外だったし、活躍を見てしまうと、当然この試合はイラクも視察しているだろうから、秘密兵器として隠しておきたかったという気持ちもある。 ▽ただ、逆にイラクは原口なのか乾なのか、スタメン予想に悩むかもしれない。香川の離脱は痛いものの、井手口の活躍により、井手口をアンカーに置き、今野と山口をその前に配置する守備重視の逆三角形の中盤、もしくは今野と山口のダブルボランチで、その前に井手口を置く三角形の中盤など可能性は広がった。 ▽あとは、テロ事件の起きたイランで無事に試合が開催されることを祈るばかりだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.06.08 22:32 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】レフェリーブリーフィングで教えられたこと

▽毎月恒例のレフェリーブリーフィングが6月1日に開催された。なぜ今月はこんなに早いかというと、5月末から審判交流プログラムとしてポーランドから3人のレフェリーを招いていて、6月4日のキリンチャレンジカップのシリア戦で笛を吹いた後に帰国するため、彼らにレフェリーブリーフィングの様子を見てもらおうという意図からだった。 ▽冒頭に挨拶をした国際主審のダニエル・ステファスキ氏は、5月27日の広島対磐田戦で主審を務めたが、まずEスタのきれいな芝生の状態にビックリ。「ピッチがとても素晴らしい。最初に5メートルくらいのところでピッチを見て、人工芝かと思った。実際にピッチに入って見ても人工芝と思い、人工芝用のシューズに変えようと思ったほどだ」と驚いていた。 ▽日本のサッカーについては、「日本の選手は速くてテクニックが優れている。選手も真面目なため苦労はしなかった」と感想を語り、「松井(磐田)のような動きの速い選手がいると素早く動かないといけないし、予測も大事になる。ポーランドはロングボールが多いのでそこまで動く必要はない。このため集中力が必要になると感じた」と日本とポーランドとの違いを述べていた。 ▽さて、レフェリーブリーフィング恒例のジャッジのテストである。今回は5月末までの1ヶ月J1~J3とルヴァンカップの計81試合から102の事象が取り上げられた。そのうち審判アセッサーが主審のミスジャッジと判断したのが31件、判断確認が困難としたのが10件、審判委員会の見解でミスジャッジと判断したのが35件、判断確認が困難としたのが6件あった。 ▽ミスジャッジでは、横浜FM対甲府戦で、横浜FMのDFミロシュ・デゲネクが甲府のドゥドゥのユニフォームを引っ張って倒し、本来ならPKが与えられるのに、主審の位置からだと2人が重なっているため反則を確認できず、ノーファウルと判定。アシスタントレフェリーなら横から反則が見えていたはずなので、レフェリーにアピールするべきだったとの見解を上川審判アセッサーは述べていた。 ▽興味深いのは、例えば今シーズンの千葉は、自陣でのFKの際はクリアと同時に素早くラインを上げる傾向にある。そのため攻撃側がこぼれ球を再びシュートしたりクロスを入れたりした時はオフサイドになる傾向が高い。しかし、ある試合の映像では3人がオフサイドのように見えたが、スローで再生すると3人ともオンサイドだったことが判明した。ミスジャッジの原因は、千葉の押し上げが速いため、アシスタントレフェリーがそのスピードについて行けなかったからだ。ここらあたりも、予測が必要と上川氏は話していた。 ▽似たようなケースは個人にも当てはまり、5月20日の磐田対柏戦では磐田のGKカミンスキーが1対1の場面で飛び出して相手選手を倒したため、主審は笛を吹いてPKを宣告した。しかし実際はボールにアタックに行き、ドリブラーのボールを手ではじき返している。その後に接触して相手選手が倒れたため、正当なチャージだった。 ▽このシーンではアシスタントレフェリーがレフェリーにアピールしたため、2人で問題のプレーを確認し、主審はミスジャッジを認めてドロップボールで再開した。上川氏いわく、「彼は日本のGKと違って簡単に飛び出さず、ためてから動くことが多い。このため日本のGKなら反則になるプレーも、しっかりとボールにアタックできる」と、先見を持ったジャッジがカミンスキーには当てはまらないことを指摘していた。 ▽最後に、ボールを奪われそうになった選手が足裏で相手の足首を蹴ったシーンがあった。右足のアウトサイドのトラップで目の前の選手をかわしたものの、そのタッチが大きくなって他の選手に詰め寄られ、レッドカードの反則を犯した。そのプレーについて上川氏は「トラップが大きくなったら要注意。レフェリーは緊張して見る必要がある」と解説。なぜならトラップが大きくなれば、相手もボール奪取にアタックしてくる。そしてボール保持者は動きながらのプレーが多いため、必然的に勢いが出るからだ。今まで気づかなかった発想でもあった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.06.01 20:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】U-20で厳格化したGK6秒ルールが戦術に及ぼす影響

▽韓国で開催されているU―20W杯で、日本は5月24日にウルグアイと対戦。勝てばグループリーグ突破に大きく前進するところだったが、前半38分に先制点を許すと、アディショナルタイムにもカウンターから失点し、0-2で敗れた。負けたこともさることながら、痛いのは前半16分にエースFWの小川(磐田)が、相手のタックルをジャンプしてかわした後の着地の際に、左膝をロックするように降りたこと。小川は自力では歩けず、担架に乗っての退場となった。 ▽問題のシーンを見て、96年アトランタ五輪の合宿中に、FW小倉隆史が右足を傷めたことを思い出した。小倉は右膝後十字靭帯の断裂により五輪出場を断念。その後は復帰したものの、ベストのコンディションに戻ることはなく、代表に復帰することもできなかった。 ▽JFA(日本サッカー協会)からのリリースによると、小川は左膝前十字靭帯の断裂と左半月板の損傷で、今週末にチームを離れて帰国する。内山ジャパンにとって欠くことのできない選手だけに、彼の離脱は痛恨だ。そして小川自身にとっても今シーズンは、ルヴァンカップでハットトリックを決めるなど結果を出してアピールできる好機だっただけに、ケガによる長期離脱は悔やまれる。 ▽第3戦となるイタリア戦は181センチの長身FW田川(鳥栖)にスタメンの機会が回ってくるのか、それとも久保(FC東京U-18)が初スタメンを飾るのか、内山監督の采配が見物だ。勝てばもちろん、引き分けでもラウンド16に進めるチャンスはあるだけに、最後まで諦めずに戦って欲しい。 ▽さて今大会は試験的にビデオ判定が導入されているが、もう一つルールの変更(?)がある。それは時間稼ぎを防ぐため、GKの6秒ルールを厳格化するというものだ。GKはボールを保持してから6秒以内にリリースしないと、攻撃側に間接FKが与えられる。 ▽実際に現地で数試合を取材した印象では、「試合がスピーディーになったな」と感じた。GKがボールを保持してから、フィールドプレーヤーの動き出しが速くなったからで、当然GKも素早くフィードする。そして面白いのは、このルールの厳格化は攻撃にも変化をもたらした点だ。 ▽日本と韓国、それにイタリアとウルグアイは、GKがボールを保持すると、SBは素早く両サイドに開いてパスコースを作ったり、ボランチが降りてきたりしてレシーバーとなる。そのプレー自体は今までと変わらず、スピード感が増しただけだ。 ▽ところが南アやギニアといったアフリカ勢のGKは、ほとんどキックかロングスローによるカウンターを狙っていた。前線には1人か2人を残し、“個の力”を生かしたドリブル突破によるカウンターを徹底していた。 ▽特に顕著だったのが相手CKの時だ。サイドライン際に1人を残す。多くのチームのCBは長身選手が多いため、CKの時はゴール前に上がってくる。サイドに残っているFWをマークするのはSBの選手ということになるが、そうするとフィールド中央部分には広大なスペースができていた。 ▽そしてGKがボールをキャッチすると、素早くキックして前線に残っている選手を走らせるか、こぼれ球を自陣で拾った選手は迷うことなくドリブルで中央突破を試みる。ロングキックでは、ボールロストの危険もあり「一か八か」の選択になるが、“個の力”があるからこそ採用できる攻撃方法だ。ここらあたりがマイボールを大切にする日本や韓国、イタリアとの違いだろう。 ▽かつてFIFAは、1995年にエクアドルで開催されたU-17W杯とスウェーデンでの女子W杯でマルチボールシステムを試験採用した。7個のボールを用意し、ボールがピッチ外に出たらボールパーソン(ボールボーイとは言わない。女子が務めることもあるから)が投げ入れるというシステムだ。これはアクチュアル・プレーイングタイムの増加につながり、Jリーグも96年から採用している。 ▽このマルチボールシステムは時間短縮につながったものの、戦術的な変化をもたらしわ訳ではない。一方、GKの6秒ルールの厳格化は、すでに紹介したように戦術的変化をもたらす可能性を秘めている。果たして来年のロシア杯で本格採用されるのか。もしも採用されるなら、これまで以上にロシアW杯は俊足選手によるカウンターが重要な戦術になってくるかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.05.25 20:51 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】JリーグがタイでのTV放送を開始。成否を握るのは札幌加入のチャナティップか

▽Jリーグは昨18日、タイの大手衛星放送局TRUE VISIONSとJ1、J2、ルヴァンカップのテレビ放映を6月から開始することで合意に達し、バンコクで記者会見を開いた。過去にはJリーグ創設当初、ジーコやリネカー、リトバルスキーら外国人助っ人を補強したおかげで、ブラジルなどでテレビ放映されたこともあった。しかし長くは続かず、Jリーグの商品価値が落ちると海外でのテレビ放映は打ち切られた。 ▽欧州や南米でJリーグの放映権を売るのは至難の業。そこでJリーグはアジア戦略を推進し、これまでにも各クラブはタイやカンボジアなどのクラブとパートナーシップを締結し、サッカー教室などを開催してきた。ただし、それは限定された活動であり、市場を拡大するまでには至らなかった。 ▽転機となったのは今シーズンだ。J3の鹿児島が初めてタイ人選手(シティチョーク・パソ)を獲得。さらに札幌には今夏、タイ代表でもある人気選手のチャナティップ・ソングラシンのレンタル加入も決まっている。彼らがスタメンで活躍できるかどうかは分からないものの、かつてカズがイタリアへ渡り、その後は多くのJリーガーが参戦したことで、日本でも欧州リーグを見たいというファンが増えた。同様のケースを想定してのテレビ放映であり、タイで成功すれば、今後は東南アジア諸国に放映権を販売していくことだろう。 ▽アジア戦略を重視するJリーグにとっては画期的な1歩と言えるが、不安がないわけではない。まずタイは、イングランドのプレミアリーグが一番人気で、目の肥えたファンをJリーグが獲得できるかどうか。そしてチャナティップ・ソングラシンに続くタイ人選手のJリーグ参戦があるのかどうか未定だからだ。 ▽それというのもタイは、UAEなどの中東諸国と同様、国内リーグでかなり高額のサラリーを受け取っている。それと同額のサラリーを払ってまでJクラブが獲得に乗り出す可能性のあるタレントがいるのかどうか。現在、アルビレックス新潟シンガポールのチェアマンをつとめている是永氏は、「東南アジアのリーグでプレーしている選手は、まずタイのクラブに移籍することを目標にします。それはギャラが高額で、スター選手ともなれば衣食住も保証してくれるからです」と話していた。 ▽まずはチャナティップ・ソングラシンが札幌で活躍することが、今回のテレビ放映の成否を握っていると言っていいだろう。そして18日に行われた記者会見には、懐かしい名前もあった。現在、タイサッカー協会の技術委員長を務めているヴィタヤ・ラオハクル氏だ。 ▽同氏は1977-1978年の1シーズンをヤンマー(現C大阪)でプレーした、JSL(日本サッカーリーグ)史上初めてのアジア人の外国籍選手だった。その後は西ドイツのヘルタ・ベルリンへ移籍し、ヨーロッパのクラブでプレーする初めてのタイ人選手となった。晩年は松下電器(現G大阪)でヘッドコーチ兼選手として活躍し、1990年に引退後はタイ代表や鳥取(JFL)の監督などを務めたが、タイでの交通事故により鳥取の監督を辞任しなければならなかった。 ▽日本とタイの橋渡しのパイオニアとなったヴィタヤ氏が健在なことも、今回のテレビ放映権の締結と無関係ではないような気がしてならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.05.19 12:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】G大阪に200万円の制裁金。再発防止には勝点の剥奪を検討すべきか否か

▽Jリーグの村井チェアマンは、4月16日のC大阪対G大阪戦で、G大阪のサポーターによるナチス親衛隊の「SS」を想起させる不適切なフラッグ掲出について、裁定委員会に諮問し、G大阪に対して「けん責(始末書を取り、将来を戒める)」と「制裁金200万円」の制裁を課すことを決定した。 ▽5月11日にJFAハウスで行われた会見に、村井チェアマンはAFCとFIFA総会出席のためバーレーンに出張中のため、インターネットを使ったテレビ会議で参加。冒頭に、差別的な発言をした浦和の森脇や、ボールパーソンに乱暴な行為をした徳島の馬渡ら、ピッチ上で起こった行為に関しては規律委員会に権限があるため、チェアマンは介入できないことを説明。しかしピッチ外の行為に関してはチェアマンが介入する権限があるため、今回、裁定委員会に諮問し、上記の結果になったことを報告した。 ▽200万円の制裁金に関しては、2010年の仙台対浦和戦で、浦和のサポーターが仙台の外国籍選手に対して差別的な行為をしたことと、ペットボトルを投げつけて負傷者を出したことに対し、前者の行為に200万円、後者の行為に300万円の制裁金を課した。2014年の浦和対鳥栖戦では浦和のサポーターが差別的な横断幕を掲げ、チームも試合終了まで外さなかったとして、浦和には無観客試合1試合の制裁が課された。そして同年にはニッパツ三ツ沢で行われた横浜FM対川崎F戦で、横浜FMのサポーターが川崎Fの黒人選手にバナナを振った行為が人種差別に当たるとして500万円の制裁金が課された。 ▽以上のケースを踏まえ、浦和の差別的な行為がベンチマークとなり、今回G大阪には200万円の制裁金が課されたことを説明した。 ▽今回の件を受け、村井チェアマンは、「【1】予防と啓発努力をする。【2】管理体制とモニタリングをしっかりする。【3】危機管理とトラブル発生時に迅速な対応ができたか。【4】再発防止、の4点により今後、量刑は変わってくる」とし、G大阪はサポーターが「SS旗」を使用していることを2014年以前から知りながら「再発防止を徹底できなかった」ものの、「発生後の対応(サポーターの特定と解散、今後のあり方の協議など)には努力は見られた」と一定の評価を下した。 ▽これまでにもサポーターは同じような問題を何度も繰り返してきた。当該サポーターは永久追放となり、チームにはけん責処分や制裁金が課されるものの、なかなか後を絶たない。今回の「SS旗」事件はサポーターの通報やSNS等の拡散によって発覚したが、一番の監視役になるのは、そばにいるサポーター仲間ではないだろうか。 ▽制裁金はチームが支払うため、当事者であるサポーターに金銭的な負担はない。であるなら、かつて浦和に課した無観客試合や、これまで例はないものの勝点の剥奪の方がサポーターにとってはより深刻であり、サポーター同士が抑止力になる可能性が高い。 ▽この点を村井チェアマンに質問したところ、「1つ1つの事実に基づきながら判断するので、(勝点剥奪は)私の判断だけではできない。浦和は事後処理の対応が遅れたために、無観客試合という判断になった。各クラブが改善努力をすればいいと思うし、私の判断だけで量刑は決められないと思います」と話すにとどめた。実際に深刻な問題が起こらないと、軽々に発言できないからでもあるだろう。 ▽しかし、コトが起こってからでは遅いと思う。チェアマンという組織のトップが厳格な罰則の可能性を示唆するだけでも抑止力になると思うが、チェアマンがあまりに出しゃばると、それはそれで弊害があることを初代チェアマンの時に経験しているので、やはり難しい問題かもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.05.11 19:28 Thu
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