コラム

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【六川亨の日本サッカー見聞録】カザンでの代表初練習を取材

▽6月14日、日本代表がベースキャンプ地となるルビン・カザンの練習場で初のトレーニングに臨んだ。この日はモスクワの日本人学校の生徒約20人と、ルビン・カザンのアカデミーの生徒約40人を招待して、記念撮影やサイン会を実施。これはFIFAが1日はファンと触れ合うことを義務づけていて、4年前のイトゥでも同様なセレモニーが行われた。 ▽この日の練習はクールダウンがメインの目的。それでもフィールドプレーヤーは3グループに分かれ、それぞれ負荷の異なるメニューを消化した。まずパラグアイ戦で負傷した岡崎慎司と昌子源はドクターに付き添われてランニング後、昌子は室内トレーニング場へ直行。 ▽広報によると「岡崎は両ふくらはぎに張りがあって大事をとった。昌子は右太ももに張りがあるため室内で別メニュー」で調整中とのこと。 ▽そしてパラグアイ戦に出場した香川真司、乾貴士、柴崎岳、武藤嘉紀、酒井高徳、山口蛍、植田直通の7人はランニングやウォーキングでクールダウンを行うと早めに引き上げた。残る12人(バックアップメンバーの浅野拓磨を含む)、吉田麻也、本田圭佑、長谷部誠、長友佑都、槙野智章、大迫勇也、宇佐美貴史、大島僚太、酒井宏樹、原口元気、遠藤航はランニングやウォーキング、ストレッチなどで疲労の回復に努め、リフティングやパス交換、9対3のボール回しなどで汗を流してこの日の練習を終えた。 ▽パラグアイ戦の行われたインスブルックは28度と気温が高かったが、カザンでは10度ほど気温が低い。このため昌子や乾、香川らは口を揃えて「寒い」を連発しつつ、「試合はそのほうがいい」(昌子)と低気温を歓迎していた。 ▽ただ、6日からカザン入りしているが、この日はこれまでで一番暖かい1日だった。好天に恵まれたが、そんな日は風が強くて冷たいのがカザンの気候だった。このまま夏日に向かっていくのか。そこで思い出すのが06年ドイツW杯の苦い記憶だ。 ▽これまでにも紹介したと思うが、改めてお伝えしよう。ジーコ・ジャパンはボンをベースキャンプしたが、異常気象で寒波が居座り、あまりの寒さに街中で冬着を探したものの、すでに夏着に切り替わっていたため購入できなかった。そんな寒さの中で行われたドイツ戦で、日本は最高のパフォーマンスを見せた。 ▽ところが初戦のオーストラリア戦では、いきなり夏日になり試合は消耗戦になる。そして日本はオーストラリアの執拗な空中戦で疲弊し、1-3の逆転負けを喫した。その苦い記憶があるだけに、5日後のコロンビア戦で天候がどうなるのか気になるところである。 ▽ちなみにカザンの天候が不順だと聞いていたのでフリースと薄手のダウンを持参したが、あまりの寒さにアパート近くにある巨大なスーパーマーケットのユニクロでヒートテックの下着を購入したほどだ。 ▽乾は寒さ対策として「風邪をひかないように気をつけたい」と話していた。果たして選手はどれだけ現地の気候に順応できるのか。ここらあたりも些細ではあるがW杯を勝ち抜くためには重要なポイントになるだろう。06年は中村俊輔が風邪に悩まされただけに、スタッフの準備も重要だ。 ▽ともあれ昨日はロシア対サウジアラビア戦でW杯が開幕した。日本が19日のコロンビア戦までどんな準備ができるのか、街中の様子も含めてお伝えしたいと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.15 15:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】西野ジャパンのキーワードは“対応力”

▽今週は先週に引き続き、日本代表23名の発表会見から西野ジャパンのサッカー像を推察してみた。 ▽ガーナ戦に限らず、テストマッチのスイス戦とパラグアイ戦も3-4-3の布陣で臨むことをガーナ戦後の記者会見で西野朗監督は明らかにした。W杯は初戦の結果次第でグループリーグ敗退の可能性が高まるだけに、当然と言えば当然だ。 ▽記者からは“マイアミの奇跡”を引き合いに出して「どんな奇跡を見せてくれるのか?」という質問にも、「23人の選手を選んで、これからどういうサッカーができるのか、楽しみながら考えたい。奇跡を起こせるかどうかだが、初戦のコロンビアに集中して、そこで小さな奇跡を起こしたい」と抱負を語った。 ▽ただ、コロンビア戦以外にも対策を練っていると思わせたのが次のコメントだ。「ポジティブなことはたくさん描けるが、それを選手に落とし込むのが難しい。そこで選手と同じ絵を描きたい。190㎝を超える選手が5人いたらどう対応するか。あるパターンを共有すればリスタートから得点できると思う」。 ▽「190㎝を超える選手が5人」に該当するチームはセネガルである。誰もセネガルのセの字も発言していないのに、西野監督はセネガル対策も進めていることを自ら認めたようなものだ。ガーナ戦は3-4-3でスタートしつつ、終盤は4-4-2にシフトした。セネガルは4-3-3のため、必然的に4-4-2で戦うことが予想される。そのテストも兼ねたガーナ戦だったようだ。選手にはコロンビア戦に集中するように伝えていることだろう。しかし指揮官である以上、3チームのスカウティングは必須である。 ▽このためハリル・ジャパンでは1人しかいなかったスカウティングを、各国に1人ずつ貼り付けさせ、さらに3人を統括する形で2002年の日韓W杯から14年のブラジルW杯までスカウティングと分析を担当した和田一郎氏をトップに置く4人体制を敷いた。 ▽そんな西野ジャパンのキーワードをあげるなら「対応力」ということになる。記者から「選手に最も求めるもののキーワードは?」と聞かれると、次のように答えた。 ▽「戦い方、戦術、戦略に関してはいろいろと対応していかないといけないと思っている。日本のサッカーには世界に通用する部分と通用しない部分がある。その対応力を選手には求めたい。昨日は違うポジションでプレーした選手もいる。その対応力が完成すれば戦える」と西野監督は期待を込めていた。 ▽西野監督が求める「対応力」だが、日本人選手にとって一番欠けている資質ではないだろうか。言われたことは忠実に実践できても、試合中に相手の意図やゲーム展開を読み、攻守で臨機応変に「対応」することがなかなかできない。果たしてそれを2週間程度の練習と2つのテストマッチで身につけることができるのか。やはり不安を抱かずにはいられないが、もう戻ることはできない西野ジャパンの船出でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.07 15:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】代表メンバー23名発表から見る西野監督の選考基準

▽5月31日、ロシアW杯に臨む23名の日本代表が発表された。4年前のブラジルW杯の大久保嘉人、8年前の南アW杯の矢野貴章のようなサプライズはない。強いてサプライズを上げるとすれば、2016年9月6日のアジア最終予選タイ戦以来出場の機会がなかった武藤嘉紀がロシア行きのチケットを取ったことだろう。 ▽ハリルホジッチ元監督からは、昨年11月と今年3月のフランス・ベルギー遠征でも海外組でありながら招集されなかった武藤。しかしブンデスリーガで結果を残したことで、滑り混みでのロシア行きとなった。西野監督も「武藤は得点率の高い選手、シュート数に比べ確率の高い選手。得点を追うなかでチャンスの数を増やしたいが、想定のなかでは(増やせる自信を)持てないので、武藤のような選手も必要になる」と選考理由を語った。 ▽その他では負傷で全体練習に参加できなかった乾貴士と、キャンプ前半は別メニューながらガーナ戦に出場した岡崎慎司は「6月19日のコロンビア戦に間に合う」(西野監督)との判断から23名のリスト入り。その一方で、W杯出場となる2017年8月31日のオーストラリア戦でゴールを決めた浅野拓磨と井手口陽介、そして三竿健斗の3人が最終メンバーから外れた。 ▽西野監督は、浅野と井手口に関してはW杯出場の功労者として感謝しながら、海外移籍したものの試合に出場する機会に恵まれず、コンディションがトップフォームではないこと。21日から始まった9日間のキャンプでもコンディションが上がらず、6月19日のコロンビア戦までにピークに戻すことは難しいと判断してメンバー外とした。 ▽それはそれでやむを得ないが、21日から始まったキャンプ前半はリカバリーの練習が多かった。試合に出ていない浅野と井手口はキャンプ初日から“追い込んだ”別メニューの練習を課すべきだったのではないかと、今さらながら思ってしまう。もちろん、そんなことは代表スタッフも承知済みかもしれない。ちなみに選考外となった3人のガーナ戦での背番号は浅野25、三竿26、井手口27とラスト3。彼らも選考外を薄々は感じていたかもしれない。 ▽いずれにせよ、浅野と井手口のリオ五輪組がメンバー外となり、同じ五輪組の久保裕也と中島翔哉も追加招集とはならなかった。蓋を開けてみれば、主力は2008年の北京五輪世代である吉田麻也、長友、本田圭、香川、岡崎に変わりはない。ここに2012年ロンドン五輪組の酒井宏樹と酒井高徳、宇佐美貴史、山口蛍が入った形で、日本代表の世代交代は遅遅として進んでいない。 ▽西野監督には選手選考の時間も、新たに選手を呼んでテストする場もなかったことを考えれば仕方のないことだろう。本大会で結果を残すことに割り切っての選手選考でもあったと感じざるにはいられなかった。改めて、このタイミングでの監督交代が良かったのかどうか、疑問はつきまとうが、その答えは6月19日のコロンビア戦で明らかになるだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.06.01 07:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】別メニュー乾の代役に中島を推薦

▽21日から始まった日本代表のキャンプだが、岡崎慎司が別メニューで調整中なのは月曜のコラムで紹介した。さらに乾も2日間は足首痛のためホテルで調整し、23日からピッチに姿を現したものの、岡崎と同様に別メニューでの調整となった。 ▽18日のメンバー発表の際に西野監督は、期待いていた今野泰幸が手術を受けるため、小林悠が当日の朝に全治2週間の負傷のため招集を断念したことを明かした。さらに2人のケガ人が別メニューと、船出から不運が続いている。 ▽会見ではポルティモネンセで29試合に出場して10ゴールを上げている中島翔哉に対し、「ポルトガルリーグで結果を出したが、ポリバレントではなかった」と招集外にした理由を語った。しかし、21日の囲み取材では改めて中島を収集しなかった理由を次のように説明した。 ▽「先日話したポリバレントとは複数のポジションをこなせることが本大会では必要だが、全員がポリバレントである必要はなく、スペシャリストもいる」として上で、「ポリバレントがないから外した訳ではなく、選択肢として入らなかっただけ。いろんな対応力、システムに対しての対応力も必要になる」からだそうだ。 ▽「選択肢として入らなかった」のは、中島が得意とする左MFには攻守に戦闘能力の高い原口元気がいて、ドリブラーの乾貴士が今回はチョイスされた。さらにF・デュッセルドルフでは右MFの宇佐美貴史も本来は左MFでのプレーを得意とする。日本代表で“最激戦区”のポジションと言ってもいい。 ▽中島も、ポルティモネンセではトップ下や2トップを務めるなど複数のポジションでプレーしたものの、日本代表で結果を残せるかどうか疑問のため招集外は仕方なかったかもしれない。 ▽しかし、乾のケガである。現状では30日のガーナ戦の出場はかなり厳しいだけに、すぐにでも中島を追加招集して“保険”をかけるべきではないだろうか。 ▽西野監督はG大阪時代の教え子である宇佐美について「ブンデスリーガ2部で優勝するということは、いろいろと厳しい競争をしていること。彼の魅力はフィニッシャーとしていろんなバリエーションを持っているのが特長ですので、ゲームを作るだけでなく、フィニッシュに絡んで欲しい。意外性のあるプレーに期待したい」と高く評価する。 ▽確かにG大阪でブレイクした時は意外性に富んだプレーからゴールを量産した。しかし日本代表では2017年が1試合、2018年も2試合の出場にとどまりノーゴールに終わっている。かつての輝きを日本代表では発揮できていないのが現状だ。それに対し中島は初出場となったマリ戦でゴールを決め、ウクライナ戦でもFKから惜しいシュートを放つなど結果を残した。 ▽西野監督はコンディション重視であることを再三口にする。それなら乾の代役に是非とも中島を呼んで欲しかった。果たして乾がNGの場合、どのような選択をするのか。指揮官の最終判断に注目したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.24 15:05 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】本田と西野監督のイベント出席で思い出される4年前のお祭り騒ぎ

▽昨日16日は、都内の商業施設で高級時計ブランド「ウブロ」のイベントが開催され、第1部には本田圭佑、第2部には西野日本代表監督と元日本代表の前園真聖氏、女優で浦和DF槙野智章の夫人である高梨臨さんがトークショーを開催した。 ▽ウブロは2010年の南アW杯からFIFA(国際サッカー連盟)のオフィシャルタイムキーパーを務め、2015年には日本代表にオフィシャルウォッチを提供してきた。ハリルホジッチ元監督は、代表メンバーを発表する際に、立ち上がって紙を持ちつつ必ずスーツの袖を引いてウブロの腕時計が露出するよう配慮していたのは、今となっては懐かしい思い出だ。 ▽さてトークショーでは、本田がサッカーを始めたきっかけがペレだったことを明かした。「サッカーを始めたきっかけはペレ。物心つき始めた頃に、白黒のペレのW杯のビデオを父親に見せられた。どのプレーが凄いか子供なので分からなかったが、何か凄いことが感覚で分かった」そうだ。 ▽ペレがW杯に出たのは58年スウェーデン大会から70年メキシコ大会までの4度。このうちメキシコと66年イングランド大会はカラー化になっていたため、もしかしたらデビューしたスウェーデン大会のビデオかもしれない。よくも、そんな古いビデオを持っていたと感心してしまった。 ▽そして本田はロシアW杯について「本音で話すと、予選敗退が普通かもしれない。確率論ではそう。でも、それをOKとはできない。サッカーはチームスポーツ。100mを9秒台で走れなくてもサッカーでは勝つことはできる。(大会に)出る以上は優勝としか言えない。僕はこれまでも、出る以上は常に優勝としか言ってこなかった。可能性は1%以下かもしれないけど、可能性はある」と力説した上で、「日本はブランドに抵抗感がある。海外のことを美化しすぎる。試合前から名前負けしている。日本が優勝するためには、まず勝つことを信じる」と豊富な海外経験から持論を展開した。 ▽第2部に登場した西野監督は、18日にキリンチャレンジ杯に臨む28人のメンバー発表を控えているせいか、ちょっと歯切れが悪かった。「各国に欧州で活躍するスーパースターがいるが、弱点はある。しっかり選手に伝えれば日本らしいサッカーができる自信はある」と話しながらも、イベント中に本田とは会わなかったこと、欧州視察後は代表候補選手とは誰ともコンタクトしていないことを明言。代表選考について質問されると「デリケートな問題なので」と言葉を濁した。 ▽このイベントは日本代表のオフィシャルウォッチだからこそ実現できたイベントで、主催はあくまでJFA(日本サッカー協会)だ。本田自身はウブロと契約しているわけではなく、ゲストとしての参加だそうだ。そしてW杯が近づくにつれ、前回も様々なイベントがあったことが思い出される。 ▽ザッケローニ監督は就任会見で、「コマーシャルなどには出るつもりはない。十分すぎるギャランティーをもらっているため出る必要がない」と話していた。ところが2014年の3月頃だったと記憶している。西が丘で行われた練習前、オフィシャルスポンサーのキリンビバレッジが、おにぎり&日本代表公式飲料「キリン午後の紅茶おいしい無糖」と、サポーターの応援メッセージをのりに刻んだ「勝ちにぎり」の贈呈を行ったのだ。 ▽おにぎり公式飲料公式キャラクター・ごごのこーちゃんが出席し、ザッケローニ監督と香川が笑顔で受け取った。正直、ザッケローニ監督がおにぎりを片手に笑顔を振りまく姿に違和感を覚えた。さらに日本代表のサポーティングカンパニーであるファミリーマートは、同社 のテレビ CM に出演しているザッケローニ監督をモチーフにした応援スタンプを、「LINE」の公式アカウントで無料配信した。 ▽W杯で結果を残したのならともかく、これから大事な決戦に向かう前に「浮かれすぎていないか」と思わずにはいられなかった。キリンもファミマも代表のスポンサーだけに、JFAもオファーを断りきれなかったのだろうと想像したが、協会関係者に確認したところ、「ザッケローニの代理人が大手広告代理店に売り込んだため、協会としても把握していなかった」そうだ。 ▽さすがにW杯まで1ヶ月を切っているし、監督に就任したばかりの西野監督が滑稽なイベントに借り出されることはないだろう。JFAも前回の「お祭り騒ぎ」を教訓に、慎んだ行動を望みたい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.17 13:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ハリル解任にファンのリアクションを嘆く落語家の師匠

▽昨日は久しぶりに旧知のサッカー仲間と痛飲した。彼は1964年の東京五輪でサッカーを見て虜になり、高校時代はインターハイにも出場したが、現在の職業は落語家のお師匠さんという変わり種だ。その彼から、「なぜハリルホジッチ監督を解任したのか意見を聞きたい」とメールが届き、サッカー仲間による飲み会となった。 ▽彼いわく「W杯直前での監督交代と、後任には監督交代の責任を取るべき西野さんが就任したのは納得できない。田嶋会長が解任理由に挙げたコミュニケーション不足も抽象的で理解しにくい。いっそのこと、『ハリルではW杯で勝てない』と言ってくれた方がファンとしては納得しやすい」と苦言を呈していた。 ▽その疑問は正鵠を射ていると思う。ただ、すでに決まった人事であるので、いまさら振り返っても時間の無駄でもある。そこで師匠が口にしたのは、「サッカーファンの熱量が下がっているのではないか?」という疑問だった。 ▽それというのも、かつて森ジャパンは85年に行われたメキシコW杯ではアジア最終予選まで進出した。結果は韓国にホームでもアウェーでも敗れてW杯初出場はかなわなかった。しかし、それまで夢でしかなかったW杯を身近に感じさせた日本代表だった。 ▽続く石井監督も87年のソウル五輪アジア最終予選で中国に敗れて辞任した。その後を引き継いだのが横山監督だったが、ファンの期待が膨らんだ89年のイタリアW杯予選では、あろうことか1次予選で敗退。翌年のダイナスティカップやアジア大会でも不振は続いた。 ▽すると90年11月のコニカカップで「横山を解任せよ」という横断幕が国立競技場に掲げられ、91年の天皇杯決勝では「横山辞めろ」コールまで起こった。さらに、当時「日本サッカー狂会」の一員だった青年が「横山監督交代要求」の署名をサッカーファンから集め、原宿にあった岸記念体育館内のJFA(日本サッカー協会)に提出する事態まで発展した。それだけ多くのファンが、横山監督に対して不信感と危機感を抱いていた。 ▽さらに97年のフランスW杯アジア最終予選では、加茂監督の更迭後、岡田監督はアウェーのウズベキスタン戦を1-1で引き分けたものの、ホームのUAE戦でも勝ちきれずに1-1のドローに終わる。この結果、日本は自力によるW杯出場が消滅した。 ▽試合後の国立競技場では、正面ゲートにファンが殺到し、カズに向かって卵が投げつけられ、駐車してある高級車にレンガを投石されるなど騒然とした事態になった。怒ったカズはファンに詰め寄ろうとしたものの、サッカー専門誌のカズ番の記者が羽交い締めにして混乱を押しとどめた。選手と関係者は身の危険を感じ、2時間近くも国立競技場内にとどまることになった。 ▽当時のJFAは渋谷の246号線沿いのビル内にあったが、このビルにもJFAを批判するメッセージがスプレーで書かれていた。これらの行為はけして褒められたものではない。ただ、低迷する日本代表に対してファンは「横山辞めろ」コールをし、W杯初出場という悲願達成に危機感を抱いて暴走したのだと思う。 ▽そうしたファン・サポーターの“熱い気持ち”が、アギーレやハリルの解任に対し、何のアクションも起こさなかったことに師匠は疑問を抱いていた。それは、W杯出場が「当たり前」と思っていることと、「W杯では勝てない」ことを肌感覚でファン・サポーターは知っているからではないだろうか。それはそれで、寂しいことでもある。 ▽師匠は「3戦全敗でしょうけど、1勝か2引き分けでもしたら、西野監督を田嶋会長は讃えるんでしょうね」とつぶやいた。結論として一致したのは、ロシアW杯に臨むのは西野ジャパンではなく田嶋ジャパンであること。結果については田嶋会長が責任を負うべきだということで、飲み会はお開きとなった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.11 14:05 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】スタジアム改修による19年問題

▽昨日2日、スイスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)の理事会で、20年東京五輪のサッカー会場が承認されたと3日付けの新聞が伝えた。立候補した7会場についてFIFA(国際サッカー連盟)が芝の状態など技術的な要件を確認したことで、正式に承認されたとのことだった。 ▽7会場は、以下の通り。新国立競技場、札幌ドーム、宮城スタジアム、カシマスタジアム、埼玉スタジアム2002、東京スタジアム(味の素スタジアム)、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)。 ▽さてここで、「19年問題」があることを知っている読者はいるだろうか。東京都は昨年、19年のラグビーW杯や20年の東京五輪で使用する東京スタジアムの改修整備計画を明らかにした。それによると、18年度に改修工事に着工し、19年度の4~6月に完成を目指す。ラグビーW杯の開幕までに、昇降機の増設、車いす対応トイレの増設、和式トイレの洋式化、競技用照明のLED化、特別観覧席の更新、既存観客席の一部更新、受変電設備の一部更新、フリーWi-Fiの導入、インゴールの芝拡張、高さ17mのゴールポスト設置などを施工する予定だ。 ▽もしも6月まで工事がずれ込んだ場合、昨シーズンのJ1のカレンダーを参考にすると(今年はW杯のため過密&中断期間があるため)、東京スタジアムをホームとするFC東京は16試合もホームで開催できないことになる。さらに、9月にはラグビーW杯が控えていて、東京スタジアムは予選プール5試合と、準々決勝2試合に3位決定戦の計8試合が行われるため、9月20日から11月1日までの金曜から日曜までは使用できない。週末にサッカーの試合を入れられるのは10月26、27日だけである。 ▽Jリーグはホームスタジアムで80%以上の試合開催を定めているが、FC東京はこの問題をいかにしてクリアするのか、頭を痛めていることだろう。同じようなことは横浜国際総合競技場にも当てはまるが、FC東京の関係者は「マリノスには三ツ沢(ニッパツ三ツ沢球技場)がある」と羨む。 ▽FC東京U-23はJ3を味の素フィールド西が丘や夢の島競技場で開催しているものの、こちらはJ1規格ではない。駒沢競技場もあるが、病院と隣接しているためナイトゲームができない。6月までは駒沢で代替開催し、ラグビーW杯の期間中は平日開催にするか。いずれにせよ集客に影響が出るのは避けられないだろう。 ▽さらに問題はまだある。東京五輪の開催時、東京スタジアムではサッカーと7人制ラグビー、近代5種の各試合が開かれる。ラグビーW杯の終了後、五輪対応の追加工事として、車いす席から試合をより観戦しやくするための改修を別途行う計画があるからだ。こちらは部分改修になればスタジアムの使用に支障はないが、果たしてどのような結論に落ち着くのか。 ▽この問題は当該クラブだけで解決するのは難しいだけに、Jリーグや他チームの協力を仰ぎながら最善の方法を模索するべきだろう。来シーズンの日程作りは喫緊の問題でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.05.04 12:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】池田3兄弟の長男は日本人初のフィジコ

▽昨日25日はJ1リーグのFC東京対広島戦を取材した。首位の広島のサッカーに興味があったし、広島の城福浩監督と池田誠剛フィジカルコーチは、かつてFC東京在籍時に取材でお世話になったため、お礼をしたかったからだ。 ▽試合はディエゴオリヴェイラの2ゴール1アシストの活躍により、FC東京が3-1と快勝して広島に今シーズン初黒星をつけた。広島もパトリックを軸に後半は反撃に転じ、25分過ぎからはFC東京を圧倒したものの、1点を返すのが精一杯だった。試合前、池田フィジコが「核となる選手が少ない」と漏らしたように、選手の個の力の差が出た試合でもあった。 ▽さて池田フィジコである。日本人フィジコの第1号でもある彼は、浦和ルーテル学院から早稲田大に進学。卒業後は古河でプレーしたが、膝を壊してJリーグが開幕する前の91年に現役を引退した。その後はジェフユナイテッド市原(現・千葉)のトレーナーに就任。そんな彼の転機になったのが、94年のアメリカW杯だった。 ▽単身アメリカに渡り、ブラジル代表と直談判して帯同の許可をもらい、フィジカルコーチの仕事をつぶさに見た。この2ヶ月間のブラジル代表との研修で、彼の将来は大きく変わる。それまでJリーグのフィジコといえばブラジル人が占めていたが、日本人フィジコの誕生としてパイオニアになった。 ▽その後は岡田武史監督率いる横浜FMでリーグ連覇に貢献し、洪明甫監督の下ではU-23韓国代表のフィジコとして12年のロンドン五輪では銅メダル獲得。13年は1年間の期間限定だが、洪明甫監督の了解を得て、岡田監督が就任した中国Cリーグの杭州緑城のフィジコに就任。そして14年は韓国代表のフィジコとして洪明甫監督をサポートした。 ▽日本のライバルである韓国代表のフィジコを務める池田氏を敵視する意見もネットでは散見されたが、本人は意に介さない。そんなアジアの3カ国でフィジコを務めた池田氏は「日本は環境の良さが選手の自主性につながっている。韓国は強制的な指導のため自主性に欠けるが、辛い練習にも耐えられる。そして中国は個の発想が強く、チームのためにという価値観に乏しい」と分析する。3カ国で指導経験のある池田氏ならではの国民性の違いだ。 ▽16年は早稲田大サッカー部の同期である城福監督に誘われFC東京のフィジコに就任したものの、城福監督が不振の責任を問われて解任されると池田氏もチームを去る。当時はACLと並行してのリーグ戦だったため、「過密日程ではフィジカルを上げるよりコンディションの維持に務めた。(ACL敗退で)これからフィジカルの強化に取り組める」と話した矢先の解任だった。 ▽古巣に今シーズン初黒星を喫したものの、まだ首位は変わらない。池田フィジコの本領が発揮されるのは夏場と予想しているので、W杯後のリーグ再開が楽しみだ。 ▽ちなみに池田フィジコの次男である直人氏は、武南高校で全国制覇を達成し、早稲田大を経て全日空(横浜Fの前身)でプレー。現在は同社の社員として働いている。そして三男の伸康氏は帝京高校で高校総体ベスト4、兄と同じく早稲田大を経て93年に浦和に入団。現在はトップチームのコーチを務めている。浦和で「池田三兄弟」と言えば、オールドファンならすぐに思い出すはずだ(その前には西野三兄弟も話題になったが、長男の朗氏“現・日本代表監督”ほど次男と三男は活躍できなかった)。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.26 20:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】強化委員に復帰した原氏の理由と会長選

▽J1リーグは3月31日の第5節から、ルヴァン杯も含め週2試合の過密日程が5月20日まで続く。いわゆる魔の“15連戦”だ。それというのも6月6日の天皇杯2回戦はイレギュラーとして、リーグ戦は7月中旬まで中断期間に入る。なぜならロシアW杯が開催されるからだ。 ▽といったところで、昨日のルヴァン杯第4節は各グループで意外な結果となった。Aグループでは最下位の新潟が2位の仙台に3-1と快勝。Bグループでも最下位の札幌が初勝利をあげれば、Cグループでは今シーズンの公式戦で無敗を誇る広島を名古屋が下し、ルヴァン杯初勝利を奪った。 ▽すべての試合をチェックしたわけではないが、取材したFC東京対横浜M戦では、長谷川監督は4日前のJ1リーグからスタメンを10人入れ替えてきた。対するポステコグルー監督もリーグ戦から9人を入れ替えるターンオーバー制を採用。どの監督も過密日程に頭を悩ませながら選手のやり繰りをしているのかもしれない。 ▽こうした過密日程を受け入れたのは、すべてロシアW杯で日本代表が好結果を残して欲しいからに他ならないだろう。そのW杯を2ヶ月前に控えて監督が代わったことは周知の事実。西野監督が誕生し、新たに元五輪監督の関塚氏が技術委員長に就任した。そして前技術委員長だった原氏がJFA技術委員会の下部組織である強化委員に就任した。 ▽個人的には、原氏も関塚氏も早稲田大学サッカー部で西野氏の後輩だけに、2人して先輩をバックアップするものだと思った。そしてロシアで結果が出なければ、3人揃って責任を問われてJFAを去らねばならないかと危惧したものだ。早稲田閥の一掃である。 ▽ところがそれは、原氏に関しては杞憂にすぎないことがわかった。というのも、FC東京対横浜M戦を視察に訪れた原氏に確認したからである。今回、原氏がJFAの強化委員になったのは、「Jリーグと協会の日程調整のため」だそうだ。確かに原氏はJリーグの技術委員長時代、リーグとカップ戦、そして天皇杯がそれぞれバラバラに日程を組んでいたため、その調整役に乗り出したことがある。 ▽今回で言えば、鹿島GMの鈴木氏、元東京Vなどで監督を務めた松永氏がJリーグからJFAの技術委員に名を連ねている。しかし鈴木氏は鹿島の代表であり、松永氏は育成部門の担当者のため、Jリーグを代表してJFAと日程の調整役を果たす人材はいなかった。遅きに失した感はあるものの、ロシアW杯後になる9月のアジア大会(森保ジャパン)など東京五輪も含めて、JリーグとJFAの日程調整で原氏が強化委員に入ったことは一歩前進と言えるだろう。 ▽そんな原氏に、「FIFAは会長選挙の実施を義務づけているが、今回、田嶋会長は対立候補がいないため無風で続投が決まったのはおかしいのでは」と質問した。すると原氏は「僕は前回、せっかく選挙があるのだから立候補したけど、会長になりたかったわけではないです。でも、今回も立候補したら、『やっぱり原は会長になりたいんだな』と見られてしまう。それは本意ではなかったので」と立候補しなかった理由を教えてくれた。 ▽権力闘争や出世には無頓着な原氏。だからこそ、JFAの会長にふさわしいと思うのは私だけだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.19 16:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】西野監督の性格

▽4月15日のスポーツ紙の写真を見て驚いた。日本代表の監督に就任した西野朗氏が、長居でのC大阪対FC東京戦を視察した。スタジアムに入る際だったのだろうが、背景に愛車のベンツ・ゲレンデバーゲンが映っていたからだ。 ▽話は2011年に遡る。G大阪の監督を辞めた西野さんに、当時創っていた柏レイソルのDVD付ムックの解説をお願いした。1999年にナビスコ杯で初優勝した試合を振り返りながら、当時の出来事を振り返ってもらった。 ▽取材後、収録スタジオの近くにあるコインパーキングまで西野さんを見送ると、そこには愛車のゲレンデバーゲンが止まっていた。その愛車を見ながら、西野さんはこんなエピソードを教えてくれた。 ▽「これは2001年7月に、娘の誕生日に納車されたんですよ。そして、これに乗って柏に言ったところ、久米(柏GM)から『西野、悪いが監督を辞めてくれ』と言われたんです」と当時の真相を教えてくれた。 ▽01年の第1ステージは6位と、それほど悪い成績ではなかっただけに、西野監督にとっても予想外の解任だったのだろう。その後はG大阪の監督として数々のタイトルを獲得したが、大阪でも愛車に乗り続けたそうだ。G大阪の監督を辞めて自宅のある埼玉に戻った際は、奥さんから「大きいし古いから、もう廃車にしたら」と言われたそうだ。 ▽それでも現在も乗り続けているあたり、よほど愛着があるのだろう。柏で解任された悔しさと、G大阪での成功など、様々な思い出が詰まっているだけに、手放せないのかもしれない。 ▽ちょっと前置きが長くなってしまったが、果たして西野監督はロシアW杯でどのように戦うのか予想してみたい。まず、準備時間はほとんどないに等しい。監督に就任したものの、5月のキャンプまでJリーグは連戦のため、海外組を含めて視察によりコンディションをチェックするだけだ。ただ、就任会見で招集選手のラージグループはハリルホジッチ元監督と変わらないと言ったように、メンバーに大きなサプライズはないと予想される。 ▽西野監督は、一言で表現するなら「勝負師」だ。96年のアトランタ五輪第2戦のナイジェリア戦で、守備的なスタイルを批判し攻撃的に行きたいと訴えた中田英寿を、第3戦のハンガリー戦でスタメンから外した決断は有名だ。 ▽ハリルホジッチ元監督の縦に速いサッカーが機能しないため、3月のベルギー遠征では選手から監督に対し不満が漏れた。それが解任につながったものの、ハリルホジッチ元監督と西野監督には共通する部分も多い。自身の信念に揺るぎがないだけに、異を唱える選手はためらわずに外すだろう。 ▽一見するとダンディーで柔和な印象を受けるが、それは表面だけで、かなり頑固でもある。そんな西野監督だが、W杯までは時間がない。となると、できることは限られる。ザック・ジャパンのメンバーを軸にすればボールポゼッションはできる。川島、吉田、長谷部、本田、長友、岡崎を軸にしたメンバーだ(ケガが治れば香川と清武も入るだろう)。 ▽そして戦術だが、これもハリルホジッチ元監督と共通する部分は多い。「自分たちのサッカー」ではなく、対戦相手を分析して「負けない試合」をするからだ。柏時代は3-5-2と当時流行のシステムを採用し、ホン・ミョンボやユ・サンチョルら韓国代表を起用し、G大阪時代は遠藤保仁を軸にマグノ・アウベスやルーカスというストライカーを擁して攻撃的なサッカーを展開した。 ▽しかし、そうしたサッカーをする上で欠かせない選手が明神智和であり今野泰幸といった守備のオールラウンダーだった。現在の代表チームなら、長谷部は欠かせないピースであり、ケガが治れば今野の復帰も十分にありえる。さらに監督就任後、C大阪対FC東京戦を視察したのは山口蛍と橋本拳人をチェックしたのかもしれない。 ▽指揮官としてW杯の3試合を分析し、どのような選手を選択するのか。ラージグループは決まっているだけに、あとは各試合に応じたチョイスになる。ただ、いずれにせよ西野監督の性格からすれば、(繊細な)テクニシャンではなく戦闘能力の高い選手を優先的に選ぶだろう。 ▽柏の監督時代、西野監督と同じタイプの天才的MF大野敏隆や、期待のFW北嶋秀朗をサブチームに降格したこともある。人気のあるルーキーといえども特別待遇はしなかった。結果を出さなければ情け容赦しない。それだけドライに勝負にこだわることを、代表候補の選手たちは肝に銘じた方がいい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.18 12:30 Wed
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【六川亨の日本サッカー見聞録】西野会見に思うこと

▽契約解除となったハリルホジッチ前監督に代わりSAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)の新監督に就任した西野朗氏の会見が4月12日に都内のJFAハウスで17時から行われた。 ▽西野監督とは、彼が浦和西高校3年で高校選手権に出てプレーしていた当時から注目していた(当時の小生はまだ2歳年下の高校1年生だった)。高校選手のアイドル第1号であり、早稲田大学に進学しても試合会場の西が丘には大勢の女性ファンが詰めかけ、黄色い声援を送っていた。 ▽当時のサッカーマガジンは、海外のスター選手が表紙を飾っていたが、ある号で早稲田大学の大隈講堂をバックにした西野氏が表紙に起用されたのには正直驚いたものだ。「プリンス」とか「貴公子」と言われ、その端正なマスクで多くの女性ファンを魅了。その後は日立サッカー部で攻撃的なMFとして活躍した。 ▽その頃から選手と記者という関係になり、JSL(日本サッカーリーグ)の試合会場はもちろんのこと、確か当時は東京都西部にあった練習グラウンドで取材した記憶がある。練習グラウンドが現在の柏に移ったのはJリーグ創設の機運があり、西野氏が現役を引退して日立のコーチになった80年代末だった。 ▽その後はU-20日本代表の監督やアトランタ五輪の監督を歴任し、1997年に柏レイソルのコーチに復帰。当時はニカノール監督の下で1年間修行し、1998年から監督を務めたが、専門誌時代は柏担当だったこともあり、必然的に西野監督を取材する機会は増えた。 ▽当時から西野監督は饒舌なタイプではなかった。どの記者の質問にもストレートに答えを返す。質問をはぐらかそうとか、記者におもねるようなことは一切しない。ちょっと的外れな質問には不機嫌な顔をのぞかせるのも腹芸のできない証拠。それでも言葉少なに答えるのは彼の誠実さの裏返しといってもいいかもしれない。 ▽といったところで昔話が長くなってしまったが、12日の会見も西野監督らしいストレートな会見だった。ハリルホジッチ監督の解任理由として田嶋幸三・JFA会長は「コミュニケーション不足」を挙げていたが、そのことについては「ハリルホジッチ監督は高い基準で求めていた。やらなければいけないプレーがあり、やりたいプレーでギャップもあった。それはチームの中でやっていくことだが、成果が出ないことでギャップを埋められなかった。選手が要求に応えられていないと感じた」と3月のベルギー遠征での溝の存在を認めた。 ▽まあ、あのメンバーで、あの選手起用では仕方ないのではないか。その点で、ハリルホジッチ監督を責めることはできないと思う。ただ、契約解除は決まり、西野監督がロシアに向けてチームを率いることになった。その経緯について聞かれても正直に語ったことに注目したい。西野さんらしい木訥(ぼくとつ)さを感じたからだ。 ▽「先月の末に会長から(監督就任を)打診されました。正直、ハリルホジッチ監督を支えたい、サポートしたい気持ちでいっぱいでしたが、チーム状況のギャップの中で、自分の中ではこれから2ヶ月でどう劇的に変えていくか考えていた。(打診に)戸惑いはもちろんあった。技術委員長として精一杯やっていたし、(サポートが)足りないとも思ったし、監督と一緒(に辞任)と思ったので、(監督)要請には戸惑いを持った。最後はやるしかないと引き受けました」と胸中を語った。 ▽西野さんの強みの1つとして、「鈍感力」が挙げられると思う。普通ならこの状況でかなりのプレッシャーを感じてもいいとはずだ。しかし西野さんには、そうした常人の常識が当てはまらない。それは、「後先の結果を考慮するよりも現在できることをやるだけ」という開き直りではないかとも思ってしまう。 ▽それが吉と出るかどうかはわからないが、来週の月曜コラムではどんな戦略でロシアW杯に臨むかを展望したい。 2018.04.12 23:15 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】パススピードの違いと正確性の認識

▽先月の日本代表のベルギー遠征2試合、マリ戦とウクライナ戦はメディアでもう顧みられることもなく、過去に追いやられた格好だ。そんな中、毎日新聞は「ハリルジャパンの現在地」というコラムを3回に渡って連載した。その最終回で、浦和DF槙野智章の「未来の日本サッカーを考えた時、引いて守って我慢するサッカーは成長につながらない」というコメントを引用しながら、次のように結んでいた。 ▽「10年の時のように歴史の針を戻すようなサッカーをするのか。たとえ失敗に終わっても得点を狙うことに徹するのか。3年間かけて築いてきたハリルジャパンの現在地が世界と遠いからこそ、どちらの決断にも痛みは伴う」 ▽ここで記者が指摘した「3年間かけて築いてきたハリルジャパン」のサッカーとは、改めて指摘するまでもなく「ジャイアントキリング」を起こすサッカーである。ウクライナ戦後、ハリルホジッチ監督は日本人の特長を把握した上で、「ボールを持ったらスピード、瞬発力を生かした攻めが必要」と話し、「自分たちに何ができるのか、しっかり認識しないといけない。幻想を抱いては罠にはまってしまう」と警鐘を鳴らしていた。 ▽その点、4年前は「自分たちのサッカー」が通じず、「自分たちに何ができるのか、しっかり認識」した長友佑都や本田圭介らはハリルホジッチ監督の理解者と言えるだろう。一方で、ブラジルW杯を経験していない槙野はいまだに「幻想を抱いて」いるとしか言い様がない。こうしたチーム内の温度差がベルギー遠征では不協和音として表面化したのかもしれない。そして、これが本大会前に明らかになったことは不幸中の幸いと言える。 ▽さて、ウクライナ戦である。先週のコラムではヨーロッパ勢との対戦は日本にとってハマりやすいと書いたが、日本と決定的な違いも感じた。昨年のベルギー戦もそうだったが、パススピードに明らかな差があるのだ。そして「正確性」でも大きな差があった。 ▽日本のパスは一見すると味方につながっている。しかし、受け手が次のプレーに移りやすいパスかというと答えは「ノー」だ。30センチにも満たないかもしれないが、ちょっと前に出せばいいのに足下に出したり、プレスを受けているのでワンタッチで落とせるようなパスを出せばいいのに、受け手が苦しくなるようなパスを出したりしている。 ▽1つ1つのパスのズレは時間にすれば1〜2秒かもしれない。しかし、パスはつながるものの、タイムロスが積み重なると攻撃はどんどん遅くなる。その結果、一見するとパスはつながっているようで、相手に守る時間と次のプレーを読む余裕を与えてしまう。 ▽マイボールにして時間を稼ぎ、味方選手の体力温存のためのポゼッションなら問題はない。しかし点を取るためのポゼッションでのタイムロスは致命傷にもなりかねない。これを解消するにはワンタッチパスでの攻撃を増やしていくしかないが、パススピードの遅さを自覚し、正確なパスとは何かという認識を改める必要がある。戦術以前の問題であり、これはJリーグだけでなく、日本サッカーを根本から変えなければならない大作業と言ってもいい。 ▽これも高めなければならない「個の力」の1つかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.04.05 19:15 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ベルギーでの2試合で見えたこと part.1

▽ヨーロッパ初となるキリンチャレンジ杯2018がベルギーのリエージュで開催され、日本は23日にマリと、27日にウクライナと対戦して1分け1敗の成績に終わった。ハリルホジッチ監督があらかじめ「多くの選手を見たい」と宣言していたように、2試合で22名の選手を起用。出場機会のなかったのはGK東口順昭とケガ明けの森重真人、負傷中の遠藤航、そして車屋紳太郎の4人だけだった。 ▽指揮官が代表23名の選定に着手するのは5月のキャンプからと明言していたので、現時点で誰が当確とか、当落線上と推測するのはあまり意味を持たないだろう。ただ、試合を見れば川島永嗣、槙野智章、長友佑都、長谷部誠、本田圭介、原口元気、大迫勇也といった実績のある選手は、ケガでもしない限り招集は確実だろう。 ▽この話題は別の機会に譲るとして、2試合を取材して改めて感じたことがある。まず日本は、やはり「ヨーロッパ勢との試合は相性がいい」ということだ。というのもセオリー通りに攻撃を組み立ててくるからだ。ウクライナは長身FWベセディンのポストプレーから左サイドに展開し、ドリブラーのコノプリャンカが仕掛けたり、素早いサイドチェンジから右サイドのMFマリノフスキーやDFブトコが攻撃参加したりしてワイドな攻めを展開した。 ▽試合を見ていて思ったのは、「バイタルエリアからドリブルで仕掛けられたら嫌だな」ということだった。というのも前半なかば、ベセディンが前を向き、槙野智章と1対1になりながら、彼はバックパスでサイドへ展開する攻撃を選択した。 ▽これが南米やアフリカのチームなら、間違いなくドリブルで勝負してくる。実際、マリ戦ではFWムッサ・ジェポネが槙野と長友の間をドリブルで割って入ろうとした。ペナルティーエリア内に侵入を許せばPKを与える危険もある。「組織」で攻撃してくるヨーロッパ勢に対し、「個」で勝負してくる南米やアフリカ勢。どちらが日本にとって厄介か、いまさら説明する必要もないだろう。 ▽実際、過去のW杯で日本がヨーロッパ勢に負けたのは10年南ア大会のオランダしかない。98年のクロアチアと02年のロシア、06年のクロアチア、14年のギリシャはいずれもドローで、02年のベルギーと10年のデンマークには勝っている。このためロシアでは、第3戦のポーランド戦に、グループリーグ突破の可能性を残して臨みたいものだ。 ▽W杯本大会に向け、いかにしてコロンビアとセネガル対策を講じるか。ハリルホジッチ監督の手腕が見物でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.28 18:30 Wed
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【六川亨の日本サッカー見聞録】会見で見せたハリルの余裕の理由とは

▽ブリュッセル国際空港からIC(特急電車)を乗り継ぐこと3回。約1時間30分で試合会場のリエージュ・パレス駅に着いたのが21日午後4時30分のこと。駅から徒歩で予約したアパート探しに30分ほど費やしたが(グーグルマップに住所を入れても検索不可のため、番地を頼りに通りを1軒1軒探索)、無事にアパートにたどり着くことができた。 ▽22日は試合会場であるスタッド・モーリス・デュフランで13時よりハリルホジッチ監督が公式会見を開いた。マリ代表のマガッスバ監督が「主力8人がケガをしている」と話したのに対し、ハリルホジッチ監督も「4~5人ほどケガで来られなかった。今いる選手で戦うしかないので、チャンスをつかんで欲しい」と期待しつつ、マリ戦については「これまで出ていない選手にトライしたい。特に後半はそうなるだろう」と多くの選手を起用することを示唆した。 ▽今回の会見を取材していて、特に印象に残ったが、ハリルホジッチ監督に余裕を感じたことだった。ケガ人が多く、特に右SBは「航(遠藤)に宏樹(酒井)がケガで、高徳(酒井)も問題を抱えている(遠藤は別メニュー)。そういうこともあって何人かにトライしないといけない。ベストメンバーが揃っていない」と話しながらも、その口ぶりからはさほど深刻な問題ではないという印象を受けた。 ▽これまでの指揮官は、ケガで望んだ選手を呼べない際の会見では、どちらかというと試合結果について事前に“エクスキューズ”している印象を与えがちだった。それがスポーツ紙の反感を招き、ハリルホジッチ監督は批判されることで両者の関係は険悪なものになった。ところが今回は、スポーツ紙の記者から会見後に批判的な私語を聞くことはなかった。 ▽こうした両者の関係の変化は、おそらく3月の2試合で連敗しても、ハリルホジッチ監督はロシアW杯までの続投が決まったからではないだろうか。そのため指揮官には余裕ができ、スポーツ紙も批判しても意味がないためスタンスを変えたと推測できる。 ▽監督である以上、結果について責任を負う必要がある。しかし、いつまでも目の前の試合結果に進退を問われてはチーム作りに支障があるのも確かだろう。どの時点で監督の進退を見極めるのか。アジア杯はW杯の翌年開催に変更されたため早すぎる。個人的にはロシアW杯の出場権を獲得した時点で、ハリルホジッチ監督の続投を90パーセントくらい決めてもよかったのではないかと思っている。 ▽続投が決まったせいなのか、ハリルホジッチ監督は「5月(30日のガーナ戦)までに、いろいろな情報を持っておきたい」と、3月の2試合でW杯メンバーを絞り込まない方針も明らかにした。 ▽1998年のフランス大会と2002年の日韓大会では最終メンバー発表の際に2名のサッカープラズがあった(98年は三浦カズと北澤、02年は中山と秋田)。しかし、それ以後はほぼW杯メンバーは予測できた(例外は前回ブラジル大会の大久保くらい)。5月までメンバーを絞らないハリル流が、選手のモチベーションにどのような影響を及ぼすのか。 ▽ちなみに22日のミックスゾーンでキャプテンの長谷部は、ハリル流のメンバー選考について、「今まで(のW杯)はチーム作りが見えていたけど、今はまだまだ。本大会のメンバー(選考)は5月のキャンプに入ってからだと思う」と予測しつつ、「実際にやったことはないけど、ヨーロッパのクラブでは30人くらい呼んでいるので、『まだわからない』という選手もいる。ヨーロッパではよくあることなので、それぞれ監督のやり方だと思うし、メンバー発表からチームは固まっていくと思う」と感想を述べていた。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.23 13:30 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ベルギー遠征メンバーから見える興味深い5点

▽3月19日からベルギーへ遠征する日本代表26名が15日に発表された。ハリルホジッチ監督は現地でのケガ人を想定して23名ではなく26名を招集したが、興味深いのは次の5点だろう。 ▽まずDF陣はケガから復帰した森重(FC東京)が久々に呼ばれたものの、「すぐには使わない。どんな状況であるかや、励ますために呼んだ」と明言した。今回はケガで吉田(サウサンプトン)が招集外のため、CB候補は槙野(浦和)、昌子、植田(ともに鹿島)だが、昨年12月のE-1選手権を見る限り、鹿島の2人には不安が残る。 ▽そこで本大会を見据えて森重の状態をチェックしたいということだろう。逆に言うと、昌子や植田を超えるCBはいないということの裏返しでもある。それはそのまま、日本代表のウィークポイントにつながるだけに気になるところだ。 ▽次は左SBについて、長友(ガラタサライ)のバックアッパーとして車屋(川崎F)と宇賀神(浦和)の競争と話していた。いつもなら酒井高(ハンブルガー)の名前が挙がるところだが、今回は彼を外した理由について言及しなかった。これも裏読みすれば、左右の両SBができるだけに、コンディションさえ整えば23人のメンバー入りは確実と想定していいのかもしれない。 ▽そしてMFでは、ボランチの長谷部(フランクフルト)に「本大会までケガをしないで欲しい。代表では絶対的な中盤の選手で、グラウンド内外で絶対的な存在」と全幅に信頼を寄せつつ、「彼に代わる存在で今野(G大阪)を考えていたが、ケガをしてしまった」と自ら今野に言及したことだ。アウェーのUAE戦ではオマル・アブドゥルラフマンを封じたプレーが印象に残っているのかもしれない。彼もまた、コンディションさえ整えば23人のリストの有力候補と言っていいだろう。 ▽最後の2点は、半年ぶりに招集された本田(パチューカ)と初招集の中島(ポルティモネンセ)だ。今回の招集リストで国際Aマッチ2桁得点は36点の本田ただ1人。彼以外に2桁得点をあげているのは、ケガで招集を見送られた香川(ドルトムント)と、「リストには入っている」(ハリルホジッチ監督)という岡崎(レスター)の3人だけ。この3人で100ゴール以上決めてきただけに、ザック・ジャパンもハリル・ジャパンもいかに3人の得点力に依存してきたかが一目瞭然だ。 ▽だからこそ、ハリルホジッチ監督は彼らの後継者探しを急務と感じているのだろう。そこで今回初招集された中島だ。ハリルホジッチ監督も「ドリブラーで、俊敏で爆発的な力を持っている。1対1で抜ける日本人選手は数少ない」と高く評価した。左サイドからのカットインで、ニアを射貫く強シュートと、ファーの右上スミを狙ったコントロールシュートは何度も練習したため体に染みついている。2年前のリオ五輪でブラジルのファンを沸かせたドリブル突破は健在だ。 ▽その中島が招集されたことで今回メンバー外となったのが乾(エイバル)である。ハリル・ジャパンの左アウトサイドは最激戦区で、今回は宇佐美(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)も呼ばれている。所属クラブでは原口が左で、宇佐美が右でプレーしているものの、宇佐美が得意とするのは左サイドからのカットインである。 ▽原口は中央でも、ボランチでもプレーできるためロシア行きは当確として、それでも左MFの候補は乾、宇佐美、中島と競争は激しい(ケガが治れば齋藤/川崎Fも候補になるかもしれない)。まずはベルギーでの2試合で中島と宇佐美のどちらが結果を残すか。 ▽ハリルホジッチ監督に23人のW杯メンバー発表の日時について質問したところ、「5月30日のガーナ戦が終わった翌31日に23人名を発表する予定でいる」と答えてくれた。3月のベルギー遠征後、5月下旬にトレーニングキャンプを予定しており、30日のガーナ戦が最終選考の場となる。 ▽残された時間は少ないだけに、ベルギーでの練習でマリ戦とウクライナ戦に出場できることを指揮官に証明できるか。それがボーダーライン上の選手が代表に生き残るためのカギになる。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.15 20:59 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】レフェリングカンファレンス

▽今週は先週に引き続き、2月22日に行われたレフェリングカンファレンスから、今シーズンのJリーグの傾向を紹介したい。 ▽昨シーズンのJリーグでは、J1とJ2で反スポーツ行為は減少したとの報告があった。選手同士が対立するシーンは減った一方で、ラフプレーによる警告が増えたそうだ。その原因として小川審判委員長は「ハリルホジッチ監督がデュエルを求めた結果かもしれない」と推測し、ボールへのタックルについて、「激しさだけではなく安全にも配慮して欲しい」とJクラブの全選手に説明した。 ▽これはJリーグに限ったことではないが、ボールにアタックしていれば正当なタックルと思いがちだが、過剰な力でボール保持者にタックルすると反則になる。選手の安全性を配慮してのジャッジと言える。 ▽そしてハンドの概念についても再度説明があった。手に当たればすべてがハンドの反則ではなく、意図的に手を使わず偶然当たった場合はプレー続行となる。昨夜のアルガルベ杯の5~6位の順位決定戦、カナダ戦の1点目は相手のクロスが中島の手に当たり、一瞬プレーを止めてボールを見失ったため相手のシュートを許した。往々にして攻撃側はつい手を上げて「ハンド」をアピールしがちだが、こちらも故意でない場合は反則とはならない。 ▽意外だったのは、カンファレンス後の懇親会で小川審判委員長から聞いた話だ。FIFAはホールディングとシミュレーションについて厳しい罰則を設けていて、U―17W杯から女子も含め、この2つの反則については1プレーにつき3千ドル(約33万円)のペナルティーを科しているという。 ▽反則を犯した選手が支払うのか、それともチームが支払うのかは小川審判委員長も知らなかったものの、おそらく選手が支払ったという話しは聞いたことがないので、たぶん各国ともサッカー協会が支払っているのだろう。そのことを選手が知っているのかどうか、今月下旬のベルギー遠征を取材した際に、選手に聞いてみようと思っている。 ▽ホールディングなら槙野あたり、シミュレーションなら……興梠しか思いつかないが、2人とも国内組だ。もしかしたら海外組はペナルティーのことを知っているのだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.08 21:57 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】VARの問題点

▽昨シーズンからスタートしたレフェリングカンファレンス。今年の第1回目は2月22日にメディア向けのブリーフィングが行われた。記者に対して、いつものようにテスト形式で昨シーズンに問題のあったジャッジを検証しつつ今シーズンの傾向を解説した。 ▽ただ、今シーズンの傾向に対し、ジャッジに特段の変更点は報告されなかった。一番の変更点はビデオ判定の導入=VARだが、こちらはFIFAの決定待ち。小川委員長は「おそらくロシアW杯で採用されるだろうが、運営に関しては待つしかない」とし、経費面での負担と人材育成の難しさに顔をしかめていた。 ▽改めて説明すると、VARは「ゴールが決まったかどうか」、「PKに値するプレーがあったかどうか」、「退場(レッドカード)に値するプレーだったか」、「警告、退場を主審が提示した選手に誤りがなかったどうか」の4つのプレーに限定され、最終決断は主審がビデオを見てジャッジする。 ▽そこで問題になると小川審判委員長が話したのは、どのシーンが検証するか判断するVARの担当者の眼力だ。昨年11月、日本代表の海外遠征で、ブラジル戦では吉田のファウルからPKと判定されて日本は失点した。 ▽小川審判委員長は、「仕事として関わっていると、何かを見つけなければいけないという心理に陥る危険がある」と危惧していた。実際、その通りだろう。新しいシステムの担当者としては、「成果を出す」ためにはプレーの検証を主審に報告するのが仕事になる。しかしながら、そのためにプレーは数分間中断されることになる。そのタイムラグは取材している我々だけでなく、ファン・サポーターも興ざめすることは間違いない。90分間の試合中にVARで何度も中断されたら、選手たちの闘志も下がる懸念がある。 ▽様々な問題をはらむ可能性のあるVARシステム。果たしてロシアW杯ではどのような運営と結果になるのか。こちらは大会後の検証に委ねるしかないが、個人的にはかつてフランツ・ベッケンバウアーが、1966年イングランドW杯決勝(イングランド対西ドイツ)でジェフ・ハーストのシュートが決まっていたかどうかや、1986年メキシコW杯(アルゼンチン対イングランド)のディエゴ・マラドーナの「神の手ゴール」を例に出し、「誤審があったからこそ論議を呼び、長く記憶に残る」というコメントを支持したい。 ▽話が横道にそれてしまったが、昨シーズンを振り返って、審判委員会は全クラブの選手に対して2~3の要望を出した。こちらは来週のコラムで紹介させていただきたい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.03.02 13:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】大杉漣さん逝去

▽私的なことで申し訳ないが、今日は21日に、心不全で急逝した大杉漣さんについて書かせていただきたい。大杉さんといえば、北野武監督の映画やNHKの連続ドラマなど、強面のヤクザから小心なサラリーマンなど幅広い演技で定評のある名脇役だった。 ▽そんな大杉さんと出会ったのは1970年代末。当時通っていた新宿ゴールデン街の飲み屋だった。そこは映画関係者や舞台役者などが集まる店で、はす向かいに「ノーサイド」という店があり、作家の野坂昭如さんが草ラグビーチームを結成したので、「それならサッカー好きが多いので、草サッカーチームを作ろう」ということになった。 ▽チーム名はお店で売っていたサントリーウィスキーの「ホワイト」から、「ホワイトドランカーズ」に決定。大杉さんは不動のセンターフォワードだった。特に長身にもかかわらず、しなやかな動きからのポストプレーは絶妙で、足下にスッとボールを収める。そのプレーは「エレガント」と言わずにはいられないほど鮮やかだった。 ▽出会った頃は、転形劇場の舞台俳優だったものの、むしろ日活ロマンポルノでの活躍で注目(?)を浴びていた。男優として「帝王」と呼ばれ、芸名である漣(れん)は、当時流行していたコンドームの漣(さざなみ)から取ったと教えられた。 ▽大学卒業後、ホワイトドランカーズも解散し、一時は疎遠になったものの、ソナチネなど映画で活躍していた大杉さんに、02年日韓W杯の際に久しぶりに連絡してインタビューを申し込んだところ、二つ返事で了解してくれた。 ▽そんな大杉さんと共通点がもう1つある。当時、海外のサッカーを知るにはテレビ東京が放映していた「ダイヤモンドサッカー」しかなかった。岡野俊一郎氏の解説で、金子勝彦氏がアナウンサーを務めた名番組だ。そのテレビのエンディングで視聴者プレゼントがあり、取り替え式のスパイクか5号級の皮革サッカーボール、安田のテルスターが各5名にプレゼントされる。 ▽サッカーのスパイクも、革製のサッカーボールも当時住んでいた町にはどこも売っていない。そこで葉書を書いて応募したところ、サッカーボールが当たって番組の当選者に名前が載った。そのことを大杉さんと飲みながら話したら、彼も徳島在住時代にサンテレビから応募してサッカーボールが当たってうれしかったと教えてくれた。 ▽押しも押されもしない俳優にもかかわらず、いつも、誰に対しても腰の低い、優しい目をした大杉さん。まだ66歳、俳優としてはこれから脂の乗りきる時期でもあるだけに、突然の訃報に正直戸惑っている。いまはただ、ご冥福を祈るしかない。漣さん「安らかにお休みください」【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.22 13:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jキックオフカンファレンスで気になったこと

▽毎年恒例となっている、Jリーグのキックオフカンファレンスを2月15日に取材した。これまでは選手と監督にクローズアップしてきたカンファレンスだが、今年は趣向を変えて、第1部はJリーグ選手の育成環境について人材交流の成果を紹介し、続けて東南アジア、とりわけタイの選手のJリーグ参入でマーケットが拡がったこと、そしてデジタル戦略としてスマホを活用した新たなビジネス展開など、どちらかというとスポンサー向けのプレゼンテーションという印象を受けた。 ▽選手の育成に関しては、Jリーグではその物差しが難しいと思う。育成するのは各クラブであり、成果としてJリーグのタイトル獲得に貢献したか=日本代表に選出されるような選手の育成が判断基準になるだろう。若年層に海外での試合を経験させたり、指導者の海外研修を実施したりしても、それがJリーグの育成プログラムによる評価に結びつくのか、判断は難しい。ここらあたりは永遠のジレンマではないだろうか。 ▽その一方で、分かり安いのがマーケットの拡大やスマホを活用したビジネス展開だ。昨シーズン、札幌はタイ代表のチャナティップを獲得した。そのことでタイのFBは332万人のリーチ数を記録した。札幌市の人口200万人を上回る数字をたたき出したことになる。その他にもJリーグの映像をニューストピックとして無料サイトに配信したところ、かなりのアクセスがあったと報告された。 ▽そしてスマホである。もはや日常生活に欠かせないツールになったスマホを活用すべく、Jリーグはデジタル部門を立ち上げた。そして各クラブのチケット購入者や通販購入者、eコマースなどを一元管理して、利用者に新たなサービス=勧誘サイトに誘導することも想定している。 ▽正直、凄いと思った。これまでJリーグのチェアマンはJクラブの経営者という暗黙の了解があり、初代の川淵氏以後、鹿島の鈴木氏、C大阪の鬼武氏、鹿島の大東氏が歴任していた。それに比べ村井氏はJクラブの社長経験はないものの、Jリーグそのものをリクルート社の経験を生かして改革しようとしている。 ▽その試みが吉と出るのかどうかはともかくとして、ちょっと心配なこともある。村井チェアマンが、これまでのチェアマン像と違い率先してデジタル部門や東南アジア戦略を展開してマーケットの拡大を推進している。そんなパイオニアである村井氏の後継者は誰が適任なのかということだ。 ▽組織図としては原博実・副理事ということになるだろう。誰からも愛される人柄の良さもあり、彼をサポートする態勢を構築して村井チェアマンは退くことは推察される。問題はその後で、JFA(日本サッカー協会)同様、Jリーグも幹部の若返りが遅れているのが気になったキックオフカンファレンスだった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.16 13:30 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】沖縄キャンプで感じたJクラブのアピール下手

▽昨日から沖縄・糸満市でFC東京のキャンプを取材している。今朝は9時30分の午前練習から取材をした。原稿だけでなく、素人ながら写真も撮っているが、そこで隣同士(2人しかなかった)となった一般紙のカメラマンが次の様にぼやいていた。 ▽「ジャージにも背番号を入れて欲しいですよね。いつも取材しているわけではないので、顔を見ても誰か分からないし、パソコンに取り入れても分からない。ゲーム形式の練習ではビブスを着るけど、それも統一されていないので……」 ▽聞くところによると、そのカメラマンは沖縄滞在中、プロ野球のキャンプをメインに取材しつつ、空いた時間はJリーグのチームの撮影にもかり出されているそうだ。そんな彼に対し「それくらい、事前取材で把握したら」と言うのは簡単だ。しかしながら新聞社のカメラマンの肩を持つわけではないが、逆の立場になったらプロ野球選手の顔などほとんど知らないだけに、つい同情してしまった。 ▽この話題は以前にも書いたものの、だいぶ昔なので改めて取り上げたい。長い歴史のあるプロ野球のキャンプは、チーム強化の場であると同時に地方のファンや地元から訪れるファンに対し「お披露目の場」でもある。アンダーウェアを着ても、基本的にユニホーム姿で、そこには名前と背番号が分かるようになっている。そして朝から晩まで練習にかり出されるのは、スター選手になればテレビのスポーツニュースのメイン担ったり、スポーツ紙の1面を飾ったりする。いわば、「持ちつ持たれつ」の関係ができているからだ。 ▽ところがJリーグは、残念ながらそこまでメディアとの関係を構築できていない。そのためには改善する点も多いと思うが、キャンプでのトレーニングウェアは年々シンプルかつスリムになったものの、依然として名前はおろか背番号さえ入っていない。これはもう、「負の伝統」と言っていいだろう。本来なら新シーズンを迎え、新加入した選手や移籍により背番号の変わった選手もいる。そこで地方の、わざわざ練習に足を運ぶファンに対し、名前と顔を覚えて貰う絶好の機会なのに、Jクラブはそのチャンスを逃してきたと思わざるを得ない。 ▽Jリーグは昨シーズンからダ・ゾーンとの契約を始め、これまでも動画サイトとの連携によるサービスを強化してきた。これも時代の流れであり、Jリーグそのものの価値を高めることを目標にしているのだろう。いわば「全体の利益」のための舵取りだ。 ▽一方で、Jクラブは「地に足を着けた」地道な活動も必要になる。そのために選手は出待ちしているファンにサインや記念撮影に応じている。それはそれで大事だが、その前にシーズン前のキャンプではトレーニングウェアに背番号と名前を着け、練習に訪れたファンにはA4用紙の一枚でもいいから選手の顔写真と背番号、簡単なプロフィールの入ったフリーペーパーを配布することはできないものだろうか。 ▽キャンプでの一期一会の触れあいから、次代の名選手が生まれるかもしれない。そんなチャンスを逃したらもったいないと感じる沖縄キャンプでの出来事だった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.08 20:40 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラインドサッカーが国際大会を開催する意義

▽大相撲のスキャンダルと理事選、さらには大谷翔平の渡米に隠れ、メディアではほとんど取り上げていないが、昨日、ブラインドサッカーの「ワールドグランプリ2018」の開催概要と組み合わせ抽選会がJFA(日本サッカー協会)ハウスで実施された。 ▽大会は3月21日から25日にかけて、品川区の天王洲公園で開催される。参加6チームが2グループに分かれてリーグ戦を実施し、各組の順位に応じて1~2位、3~4位、5~6位決定戦を行うというシステムだ。 ▽そして1月31日の抽選の結果、日本(世界ランク8位)は、トルコ(同5位)、イングランド(同16位)と同組になった。優勝候補の本命は、グループBで世界ランク2位のアルゼンチン(グループBにはロシアとコートジボワールが同居)。世界ランク1位のブラジル同様、個人技に優れた強豪だが、会見に臨んだキャプテンの川村は「どの国がきても強豪国であることには変わりないので、楽しみです。アルゼンチンとは決勝で対戦できるように、モチベーションも上がっています」と意気込みを述べていた。 ▽今大会は新たに味の素と全日空が大会スポンサーとなり、今後3年間は継続して支援するという。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定してから、まさに「追い風」が吹いてブラインドサッカーのスポンサーも急増した。それはそれで、歓迎したい事実である。 ▽障がい者サッカーには全盲のブラインドサッカーだけでなく、聾唖者や身体障害者、知的障害者など7団体があり、ブラインドサッカーのようにパラリンピックの種目に入っていないため注目度の低い競技もある。ただ、ようやく昨年、JFAは障がい者サッカーを1つの団体を認可してJFAハウス内に事務局を設けた。 ▽過去、障がい者サッカーと言っても、抱える障害の違いで各連盟はなかなか足並みが揃わなかった。そんな中でブラインドサッカーはパラリンピックの種目だけに、スポンサーの獲得に成功して事務所も移転するなど「日の目」を見ている。そんなブラインドサッカーに対し、やっかみの声がないのか松崎事務局長に聞いたところ、逆に「JFAが障がい者サッカーを統括してくれたおかげで、ブラインドサッカーが率先して他団体と交流できるようになった」と成果を教えてくれた。 ▽どんなカテゴリーであっても、日本国内で大会を開催することは素晴しいと思う。ブラインドサッカーが少なからず市民権を得たのも、日本でワールドカップとリオ五輪の最終予選を代々木公園で開催し、ブラインドサッカーのサポーターを獲得したからだとに他ならない。大会には小倉JFA名誉顧問や原専務理事(当時)が観戦に訪れていたこともJFAが支援する追い風になったと推察される。 ▽ただ、懸念もある。「ワールドグランプリ2018」をスポンサードする上記の2社は3年契約が示すように、東京五輪後はスポンサー離れする可能性が高いことだ。障がい者の支援は半永久的に必要だが、実現は難しいのも事実ではないだろうか。それはブラインドサッカーだけでなく、どの競技団体も痛感しているだろう。 ▽そうした現状を変えるためにサッカーファンができることとして、試合会場に足を運び、声援を送ることではないだろうか。感動は、あらゆるサッカーにあると思っている。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.01 18:40 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】田嶋会長続投で期待したいサッカー界からの人事

▽Jリーグは1月23日、村井チェアマンの3期目となる続投を決めた。第5代チェアマンとして、就任早々の2014年に明治安田生命とタイトルパートナー契約を結んだのを皮切りに、Jリーグ開幕前から親密な関係にあった博報堂との契約を電通に変えてスポンサー増に成功。さらに昨シーズンからは動画配信事業などを英国のパフォーム社と10年間で約2100億円の大型契約を締結し、Jリーグの財政基盤を築くと同時に優勝賞金の大幅増に貢献した。 ▽正式には3月の役員改選で正式決定されるが、続投はほぼ確実視されている。これまで歴代チェアマンは、初代の川淵氏を除きJクラブの社長経験者という暗黙のルールがあったが、それを破ったのも村井チェアマンだった。リクルート社で培った経営手腕と組織の再構築は高く評価していいだろう。2年前のJFA(日本サッカー協会)会長戦で敗れた原氏をすぐさまJリーグ副理事長に招聘し、JFAの理事に返り咲かした素早い状況判断も鮮やかだった。 ▽村井氏はまだ58歳。3期目を終えても60歳だけに、同氏の目指す全スタジアムの無料Wi-Fi化を実現するまで、チェアマンとして手腕を振るうかもしれない。Jリーグの理事会は、外部の有識者を招きながらもJクラブの社長も構成員となっている。このため、いつの日か村井チェアマンが退任しても、第6代のチェアマンはサッカー関係者に戻る可能性があるため心配する必要はないだろう。 ▽問題があるとすれば、来年で2期目を迎える田嶋JFA会長の後継者ではないだろうか。田嶋会長は前回の当選時、「(会長は)1期2年では何をやるにも中途半端」と漏らしていたものの、「それがルールなので従うしかない」とも言っていた。今回の会長戦では村井チェアマンの出馬も噂されたが、同氏が見送ったために会長選は行われず、田嶋会長の再選は確実視されている(来年3月の評議員会で正式決定)。 ▽では何が問題かというと、組織の長として“後継者"を育成しているかどうかという点だ。田嶋会長は、就任後の人事で岡田元日本代表監督を副会長に起用したものの、同氏は今期限りでの退任を表明した。残る副会長は村井チェアマンと全国評議員代表の赤須氏(71歳)、国立西洋美術館の館長の馬淵氏(71歳)で、JFA会長の後継者としては村井チェアマンしか該当者はいない。 ▽さらに実務を取り仕切る専務理事の岡島氏と、FIFA(国際サッカー連盟)からの要請により新設した事務総長の岩上氏は、いずれもサッカーとは門外漢である。岡島氏(64歳)は元農林水産省のエリート、岩上氏(66歳)は元電通の顧問で、ラグビーや柔道でスポーツとの関わりがあるものの、こちらもサッカーとは無縁の登用だ。それでも彼らを起用した成果がここ2年間であったのかというと、首を捻らざるを得ない。 ▽これまでJFAという組織は、専務理事が実務面を取り仕切り、その後に副会長を経て会長に指名されるという流れで来ていた。初めて会長選が実施されたのが前回2016年のことだが、年齢的にも実務面でも、2年後に岡島氏や岩上氏が会長選の候補者になるとは考えにくい。そうなると、田嶋会長のライバルは自ずと絞られてくる。 ▽自身の身を脅かす存在は早めに排除する――というのはチェアマンや会長時代に川淵氏が用いた手法だが、サッカー界の将来を考えれば許される行為ではないだろう。果たして再選の暁に、田嶋会長は専務理事と事務総長に誰を起用するのか。できればサッカー界からの人材登用を期待したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.25 18:52 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】木之本さん一周忌の集いで思うこと

▽私事で恐縮だが、昨日は昨年1月15日に逝去した木之本興三さんを「賑やかに語る集い」に参加した。雨の中、幕張のホテルには同氏の母校・千葉高校、東京教育大サッカー部の同級生を始め、JSL(日本サッカーリーグ)時代の後輩からJリーグ創設に関わった“戦友"など210人もの関係者が集って昔話に花を咲かした。 ▽発起人の挨拶では大学と古河の後輩であるJFA(日本サッカー協会)会長の田嶋氏が思い出を語り、小倉JFA最高顧問や大仁JFA名誉会長、木之本氏の後輩である永井良和さん、ラモス瑠偉さんなど往年の名選手も出席した。 ▽2016年12月に脳梗塞で倒れたラモスさんとは開会の前に早く着いたためお茶を飲んだが、脳梗塞の影響はほとんどなく、「また監督をしたいね」と現場復帰に意欲を見せていたのはうれしい出会いだった。 ▽木之本さんについては、いまさら多くを語る必要はないと思うが、簡単に紹介するとJリーグの創設に尽力した第一人者である。JSL時代に古河の選手として活躍を期待されながら、グッドパスチャー病という内蔵同士が争う病魔により腎臓を摘出し、腎臓透析は700回を以上に及びギネス記録となった。 ▽そんな病魔と闘いながら、日本サッカーはプロ化しないと韓国に遅れを取ると危機感を抱き、森健兒(元日本代表監督の森孝慈氏の実兄)JSL総務主事と日本サッカーのプロ化に奔走したのが1980年代後期のことだ。Jリーグ創設が目前に迫った頃、森総務主事は三菱重工の仕事の関係で名古屋に転勤する。そこでJリーグの創設を東京に転勤する川淵氏に託した。 ▽その後のJリーグの隆盛と衰退はご存じの通り。そして木之本さんは強化副団長として臨んだ2002年のW杯中に、末端神経の壊死する新たな病魔に襲われ両足を切断せざるを得なかった。それでも、いつも会うときは箴言を言われ、「日本サッカーのためになにをしたらいいのか」と真剣に問われた。それはラモス瑠偉氏も同じようで「いつも叱られていた」と言いつつ「優しい言葉も掛けられた」と故人を偲んだ。 ▽JFAは日本のサッカー界に貢献した人を協会の“殿堂に掲額"している。Jリーグの創設に尽力した木之本さんや森健兒さんは、その資格が十分にあると思う。しかしながら、殿堂入りするには、いまも川淵さんの了解を得ないと候補に選ばれないと聞いた。今回の「賑やかに語る集い」にも川淵さんは姿を見せなかったし、献花もなかった。 ▽ともにJリーグを創設した木之本さんに対し、川淵さんには川淵さんなりの思いがあるのだろう。それは当事者にしかわからないかもしれないが、すでに木之本さんは鬼籍に入られている。川淵さんが今後、何を語られるのか。日本サッカーにとって残すべき言葉だと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.18 20:00 Thu
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【六川亨の日本サッカーの歩み】日本サッカー・プロ化の契機となった岸記念体育館の移転と東京五輪との不思議な関係

▽先週末よりJの各チームは新体制の発表をしたり、必勝祈願をしたり、早いチームはキャンプインするなど、新シーズンに向けて動き出した。13日はFC東京の始動と新体制発表会を取材したが、そこで面白かったのが長谷川新監督のコメントだった。 ▽記者から「FC東京でもガンバのサッカーをするのか」という質問に対し、長谷川監督は「別にガンバのサッカーがこういうサッカーというのはない。自分には自分のサッカーがあるだけ」と話し、続けて「ガンバのサッカーは遠藤のサッカー」と断言したのだ。竹を割ったような性格の長谷川監督らしい発言だと感心してしまった。そして「東京には東京の良さがあるので、それを生かしたサッカーがしたい」と、しっかりフォローすることも忘れなかった。 ▽さて今回は、スポーツ紙の片隅に載っていた記事を紹介したい。13日に、JR原宿駅から徒歩5~6分のところにある岸記念体育館にメキシコ五輪の銅メダリストやサッカー関係者が集ったという記事があった。 ▽いまの読者は知らないだろうが、岸記念体育館といっても、室内で競技のできる体育館があるわけではない。地下1階、地上5階の普通のオフィスビルだ。ただしスポーツ関係者にとって、この体育館を知らない者はいない。何しろ日本体育協会やJOC(日本オリンピック委員会)を始め、日本のアマチュアスポーツのほとんどの連盟がこのビルに集結しているからだ。 ▽JFA(日本サッカー協会)も1964年から1994年までは、このビルの3階に、他団体と比べてかなりスペースの広いオフィスを構えていた(301号室)。専門誌の記者になってからというもの、森ジャパンの就任と退任、石井ジャパンの就任と退任、そして横山ジャパンの就任と退任を始め、80年代は多くの記者会見がこのビルで行われた。 ▽JSL(日本サッカーリーグ)の事務局も当時はJFA内の片隅ににあったため、日程の発表やベストイレブンなどもここで行われ、シーズン後の表彰式は地下1階にある講堂で、見守るファンもなくひっそりと執り行われた。 ▽1階にある売店では日の丸のピンバッジが1個150円くらいで売っていたので、86年メキシコW杯や88年西ドイツEURO、90年イタリアW杯の前には30個くらいまとめて購入した。現地で他国の記者と交換するためだ。当時から日本ではあまり人気のないピンバッジだったが、海外ではW杯に訪れるサポーターを含めピンバッジのコレクターがかなりいた。 ▽ただ、時代の移り変わりとともにピンバッジの価値も変わり90年代から2000年代にかけては「ドラえもん」や「ピカチュウ」のピンバッジを求められることも多くなり、テレビ局の知人に分けてもらって交換することも多々あった。そんな習慣も、2006年のドイツW杯以降、ぱったりと消えてなくなった。 ▽雑誌や新聞は時差の関係ですぐに原稿や写真を送らなくてもいい時代から、インターネットの普及により、各誌紙はデジタル版を展開することで、仕入れた情報は24時間際限なく送らなければならなくなった。かつてのような牧歌的な取材は過去のものとなった。 ▽話が脱線したので元に戻そう。1983年12月、JSL事務局は岸記念体育館を離れる。プロ化を推進するのに、アマチュアの総本山とも言える岸記念体育館にいては身動きが取れにくい。そう判断した森健兒JSL総務主事の大英断だった。森氏は自身の所属する三菱重工が神田小川町に借りているビルの2階と3階を、会社には無断でJSLに又貸ししたのだった。 ▽後に森氏は総務主事を川淵氏に譲るが、川淵総務主事を初めてインタビューしたのは岸記念体育館ではなく小川町のJSL事務局で、ハンス・オフト監督をインタビューしたのも同じビルの2階だった。ここから日本のサッカーはプロ化へと大きく舵をきった。もしもあのままJSL事務局が岸記念体育館にあったら、プロ化の波が加速したかどうか。それは誰もわからない問いかけだろう。 ▽JSLは93年にJリーグとして生まれ変わり、爆発的な人気を博した。時を同じくして日本代表は1992年のアジア杯に初優勝し、93年のアメリカW杯でも最終予選に進出して初出場に期待が膨らむなど追い風が吹いた。JFAが岸記念体育館にとどまる必要性もなくなったため、JR渋谷駅から徒歩5分のビルに引っ越した。そして2002年の日韓W杯の成功により、現在のJFAハウスを購入するに至った。 ▽JFAが渋谷に移転して以来、岸記念体育館に行くことはなくなった。そして来夏には新宿区に移転するという。2020年の東京五輪を控えて、その規模も拡大することだろう。1964年の東京五輪に現在地に移ってから55年、再び巡ってきた東京五輪での移転に感慨深いものを感じてならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.15 20:00 Mon
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【六川亨の日本サッカー見聞録】サッカーファミリーミーティングで感じた東京都会長の決意

▽JFA(日本サッカー協会)は1月12日、JFAハウスにて東京都を対象にした「サッカーファミリー タウンミーティング」を実施した。今回で41回目となる同会は、47都道府県を対象に行われていて、田嶋JFA会長によるVTRを使った基調講演や東京都リーグ関係者からの質疑に応答するというもの。 ▽冒頭では上野・東京都サッカー協会会長が挨拶に立ち、「東京都の選手・審判を含めた登録数12万人は全国1位だが、施設は十分と言えず、サッカー専用スタジアムが不足している。それが都でプロを目指すチームの壁になっている。また3年前より4種(U-12)の登録数が減ってきているのも深刻な問題」と現状を説明した。 ▽これについては新宿区リーグの関係者が「新宿は少子高齢化による人口減少で年々登録している」と窮状を訴えた。 ▽これに対し田嶋会長は、小学生のサッカー人口の減少について「かつて文科省は体育の授業にサッカーが必須科目に入っていた。しかし近年、指導要領の変更があり、サッカーではなく球技となったため、先生の自主判断に任されているのも減少の一員」と指摘。このためJFAとしては、幼稚園や小学生の低学年を対象にコーチを派遣して巡回指導することで、サッカーに触れる機会を増やすプランを披露した。 ▽さらに付け加えて、過去の例からサッカーの登録選手を増やすのに一番効果があるのは、「W杯で日本が勝つこと」と日本代表の活躍にも期待した。ちなみに日本がW杯出場を逃せば20億円の収入減で、これはJFAの年間予算の10パーセントに当たるそうだ。いかにW杯が、予選も含めてJFAの財政を支えているかが分かる。 ▽FIFA(国際サッカー連盟)がW杯での収入でアンダーカテゴリーのW杯や女子のW杯を支えているように、JFAもW杯での収入がアンダーカテゴリーのW杯と女子のW杯を支えていると言える。 ▽田嶋会長は、昨年はU-17日本代表とU-20日本代表がW杯に出場したことで、デュエルやパススピードが遅れていることを再確認したとVTRを使って報告した。世界基準での基礎技術の重要性を説きつつ、一番強化が遅れているのはなでしこジャパンとの認識を示した。確かに、かつては世界1になったものの、近年のFIFAランクは下降する一方だ。 ▽その一因として、第3種(中学生年代)の立ち後れを指摘した。サッカーをやりたくても女子サッカーのできる中学校が少ない。正月に行われた女子の高校選手権は民放がTV中継するなど、年々活況を呈している一方、中学でサッカーのできる環境は限られている。 ▽そこで田嶋会長は文科省に、国体での少年女子の創設を働きかけるプランを明らかにした。現在、男子は成年と少年の2部あるものの、女子は成年しかない。バスケットボールやハンドボールは成年と少年があるため、女子サッカーも少年(U-16)の部を創設することで、国体の開催県を中心に中学生年代の女子サッカーの活性化を図ろうという狙いだ。 ▽これは上手いやり方かもしれない。国体は、サッカー界においては注目度の低い大会ではあるが、開催県にとっては日本1を目指す一大イベントであり、選手の育成や獲得に数年前から準備する。女子サッカーで優勝できるならと強化に力を入れる県も出て来るだろう。JFAが強化の先頭に立つのはもちろんだが、日本は高校選手権を例に出すまでもなく、学校スポーツが強化・育成の一翼を担ってきたのは紛れもない事実だ。その相乗効果を期待してのプランでもあるだろう。 ▽最後に、閉会の挨拶に立った上野会長は、次の様に明言した。「2020年に東京五輪が開催されます。でも、五輪が東京に来ても新しいサッカー専用スタジアムはできない。これまでも公共団体に依頼してもダメだった。そこで全額を公共団体に頼るのではなく、都協会も応分の負担をし、皆さんの寄付を募り、借金をしてでも東京都にサッカー専用スタジアムを造りたい」と。 ▽その意気や、よしではないだろうか。と同時に、上野会長の冒頭の挨拶と閉会のスタジアムへの思いを聞き思い浮かべたのが、去年から噂になっている東京に新スタジアム建設の動きである。 ▽代々木公園の外れ、NHKの裏手にあるアンツーカーの陸上トラックと隣接する土のサッカー場を、3万人規模のサッカー専用スタジアムに転用する話だ。すでに小池都知事はゴーサインを出していて、関係者が「都知事在任中に決めたい」という話も聞いた。 ▽その話の実現性を、閉会後に旧知の知人に聞いたところ、「それはありえない。陸上トラックは“織田フィールド"と言って陸連(日本陸上競技連盟)の聖地。彼らがそこを手放すことはないし、東京五輪では陸上の競技の練習場になっている。スタジアム建設の話はJ1クラブの親会社が言っているだけではないでしょうか」との返事だった。 ▽正直、期待していただけに、ガッカリした。しかしながら、それが本当なら、上野会長はそれを承知で東京都に新スタジアム建設プランを宣言したのではないだろうか。その心意気は、やっぱり都民としては支持したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.13 14:30 Sat
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【六川亨の日本サッカー見聞録】高校選手権と高円宮杯決勝に見る試合展開の違い

▽明けまして、おめでとうございます。今日4日が仕事始めの方も多いでしょう。本年もよろしくお願いいたします。 ▽といったところで、第96回全国高校選手権はベスト8が出揃った。大会の印象については決勝戦後のコラムに譲るとして、選手権の1、2回戦を取材して感じたのが、昨年12月17日に開催された高円宮杯U-18決勝との違いだった。 ▽FC東京対神戸の試合は、前半に神戸が2点をリードした。ハーフタイムにFC東京の佐藤監督は「みんなの思いが強すぎて、体が動いていない」と指示し、「精神的に差し込まれてもったいなかった」と会見で振り返った。 ▽そこでFC東京は、ハーフタイムに2人の選手が交代したものの、後半も前半と同じようにパスをつなぐポゼッション・サッカーを貫き同点に追いつくと、延長戦で神戸を振り切り初の日本1に輝いた。最後まで自分たちの、FC東京のサッカーで優勝したことは見事だった。 ▽ただ、観戦していて正直なところ歯がゆさも感じた。2点のビハインドで迎えた後半なのだから、なぜもっと攻撃の圧力を強めないのか、積極的に攻撃を仕掛けないのか。前半と同じような試合展開にもどかしさを感じた。プレミアリーグとはいえ決勝戦は一発勝負。トーナメントの戦い方をしていいはずなのに、リーグ戦のような戦い方は、攻撃の変化に乏しい日本代表やJリーグの試合を見ているようだった。 ▽それに比べ、高校選手権では3回戦の明秀日立対大阪桐蔭戦で、リードを許した明秀日立の萬場監督は、後半10分に3人同時に選手交代を敢行。システムも4バックから3バックに変えて攻撃的なサッカーから後半21分に1-1の同点に追いつくと、再び4バックに戻し、PK戦で初のベスト8進出を果たした。 ▽高校サッカーは、プレミアやプリンスのリーグ戦以外、インターハイと選手権の予選、本大会はいずれも一発勝負。そういう戦い方に監督も選手も慣れているとも言える。劣勢に立たされたチームは必死に反撃する。だからこそ、見ている観客に感動を与えられるのではないだろうか。 ▽昨年末に取材した田嶋JFA(日本サッカー協会)会長も、自身が先頭に立って「切磋琢磨した試合をやろう」とプレミアリーグやプリンスリーグを立ち上げた。しかし近年は「慣れてくると1試合1試合、クオリティよりも最後のこの試合に勝ちさえすればいいというような試合展開になり、ファイトがない試合になる」と苦言を呈し、変革を口にしていた。 ▽どちらがいいのかという問題ではなく、育成とは何なのか、日本サッカー全体が取り組まなければいけない課題でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.04 18:45 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】森保ジャパンが初の公式戦に出場。気になるのは…

▽1月9日から中国で開催される、AFC U-23選手権(中国)に臨む日本代表のメンバー23名が26日に発表された。昨年、監督に就任した森保一氏にとっては、タイで開催されたM150杯(準優勝)に続く大会であり、初の公式大会となる。 ▽このAFC U-23選手権は、今年で3回目を迎える歴史の浅い大会でもある。前回の2016年大会はカタールで開催され、リオ五輪の予選も兼ねていた。日本は決勝で韓国を逆転で下し、初優勝を果たすと同時にリオ五輪の出場権も獲得。中島翔哉が大会最優秀選手に選ばれた(前々回の2013年は準々決勝でイラクに0-1で敗れベスト8)。 ▽今大会は純粋にAFC U-23選手権として開催され、何かの予選を兼ねているわけではない。日本は2020年の東京五輪を見据え、21歳以下の選手で臨む。森保監督はメンバー発表の際に、「どんな大会でも1試合1試合、勝利にこだわっていく。成果にこだわって頂点を目指していく」と決意を語ったものの、他国に比べ2歳のハンデは否めないだろう。 ▽そんなU-21日本を率いる森保監督が選出したのは、GKが3名、DFが5名、MFが12名、そしてFWが3名という構成だ。DF陣は原輝綺(新潟)や古賀太陽(柏)らCBタイプが多く、SBの初瀬亮(G大阪)がMFで選出されていることからも、広島で戦い慣れた3-4-2-1(守備時は5-4-1)を採用する可能性が高い。 ▽それは「今後も、タイでも伝えたが、複数のポジションをやってもらう。このメンバーで最大6試合やる。五輪も18名の選手で(決勝まで)6試合となると、ケガ人や疲労のコンディションでチームとして機能不全にならないよう、チーム力を落とさないで戦えるよう、複数のポジションをやってもらいたい」という発言からも見て取れるように、本大会を視野に入れてのチーム作りでもある。 ▽そしてFWの3人は、スピードを武器にする前田大然(水戸)、空中戦に強い小松蓮(産業能率大)と田川亨介(鳥栖)といった具合に、「スペシャルなものを磨いて欲しい」(森保監督)選手を招集した。 ▽その一方で、Jリーグで主力としてプレーした山中雄太(柏)、冨安健洋(福岡)や、U-17W杯とU-20W杯に出場し、J3とJ1でもプレーした久保建英は疲労を考慮して今大会のメンバーから外した。彼らに加え、いずれはリハビリ中の小川航基(磐田)や堂安律(フローニンゲン)も、タイミングを見て招集されることだろう。 ▽そんな森保ジャパンで、気になるのはOA枠だ。まだずいぶん先の話ではあるが、どこかのタイミングで森保監督に質問したいとも思っている。それというのも、前回のリオ五輪でのOA枠3人(興梠、塩谷、藤春)は大会直前に決まったため、チームとしてコンビネーションを高める時間が限られていたからだ。 ▽噂によると手倉森監督は長友ら海外組を招集したかったらしい。しかし大会は8月3日に始まり、決勝まで勝ち進むと20日まで選手は拘束される。このため海外組はキャンプと重なり招集はまず不可能だ。さらにハリルホジッチ監督は、ロシアW杯の最終予選が9月1日に始まるため、20日までブラジルに滞在し、そこから帰国したら時差調整が困難になると判断。代表の主力クラス(国内組のため候補は少ないが)を招集しないよう手倉森監督に求めたそうだ。 ▽20年の東京五輪は7月24日から8月9日までの開催が予定されている。サッカー競技のスタートはもう少し早まるかもしれないが、堂安や、海外移籍の噂のある井手口(G大阪)と久保建英(FC東京)ら海外組を呼ぶなら、いまからクラブと交渉する必要がある。もちろんOA枠は、チーム作りの過程で補強ポイントが出て来るだろうか、すぐに決められるものではないだろう。 ▽しかしOA枠を使うのかどうかを含めて、早めに準備しておくに越したことはない。それがどのポジションになるのか。U-20日本代表をベースに考えると、やはり日本はGKと両SBに不安を抱えているように感じられる。それはフル代表でも手薄なポジションでもある。まだ3年あるので、新たなタレントの出現を期待したいところではあるものの、やはり不安を感じずにはいられない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.28 20:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】韓国戦の敗北は技術委員会にも責任がある

▽先週末に終わった東アジアE-1選手権の最終戦で、日本は韓国に1-4と歴史的な敗北を喫した。ホームでの4失点は63年ぶりの屈辱でもあった。試合後は、田嶋JFA(日本サッカー協会)会長が「ひと言、情けない。がむしゃらになって取り返しにいく、代表としての誇りを持っているのか」と疑問を呈すれば、セルジオ越後氏はハリルホジッチ監督の解任を要求した。 ▽彼ら以外にも、日本代表のOBからはかなり辛口の意見が飛び出した。確かに11月のヨーロッパ遠征あたりから、ハリルホジッチ監督はこれまでのように選手を批判するのではなく、庇うようなコメントが増えたのも事実だ。この点の真意はわからない。 ▽しかしながら国内組で望んだ東アジアE-1選手権は、韓国に屈辱的な敗戦をしたものの、北朝鮮と中国に勝つなど、“あのメンバー”にしたら健闘したと思う。 ▽そして日韓戦である。ともに国内組とはいえ、日本はJリーグ選抜としたら、韓国はKリーグとJリーグ、さらにCリーグの精鋭チームと言える。日本で代表のレギュラーは井手口くらいで、23人のメンバーに残りそうなのは東口と今野あたりだろう。それに対し韓国はCB張賢秀(チャン・ヒョンス)、右SB金珍洙(キム・ジンス)、右MF李在城(イ・ジェソン)はバリバリのレギュラーで、彼ら以外にも多くの選手が代表経経験は豊かだった。 ▽加えて、試合後の会見で韓国人記者の質問から、申台龍(シン・テヨン)監督は今大会で優勝しないと更迭されることが分かった。さらに、日本の天敵でもある長身FW金信旭(キム・シヌク)は、代表に残れるかどうか最終テストの場でもあったそうだ。彼は2ゴールと結果を残したが、2点をアシストしたのは金珍洙(キム・ジンス)と李在城(イ・ジェソン)と、全北現代のチームメイトでもあった。 ▽国内組の見極めの大会とはいえ、日本と韓国では抱えている事情がかなり異なっていた。ハリルホジッチ監督からすれば、国内組の発掘は吉田とコンビを組むCB(槙野を除く)と、長谷部の相棒であるボランチの見極めの場でしかなかったのではないか。しかし山口は負傷で、井手口も韓国がロングボールを多用したため、見せ場はほとんどなかった。収穫と言えば、フィードに難のある植田が右SBで使えそうなことくらいしかなかった。 ▽今野が必死にゲームを組み立てようと奮闘する姿は気の毒にも見えた。国内組の選手の発掘の場であることは理解できる。しかし、勝たなければいけない大会でもあった。そこで疑問に思うのは、ゲームを作れる清武や大島が負傷離脱したのに、代わりの選手を入れなかったことだ。川崎FとG大阪の選手を中心に招集したのであれば、なぜ中村憲を追加招集しなかったのか。 ▽ハリルホジッチ監督にすれば、中村憲は年齢的に不要な選手かもしれない。しかし優勝を狙うのであれば、登録枠も余裕があるのだから、試合を作れる選手を呼んで欲しかった。それをハリルホジッチ監督に要求するのは技術委員会であり技術委員長の仕事でもある。負けたことでハリルホジッチ監督を非難するのは簡単だ。しかし、今大会の敗北は、西野技術委員長を始めとする技術委員会にも責任があると思っている。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.21 18:20 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jの秋春制移行は凍結されたが、十分な議論が尽くされたのか

▽12月9日から始まった東アジアE-1選手権も、男子は明後日が最終日。日本は12日の中国戦を2-1で勝利して2連勝を飾り、首位に立っている。最終戦の相手である韓国は1勝1分けのため、日本は勝てばもちろん引き分けでも2大会ぶり2度目の優勝が決まる。この東アジアE-1選手権については来週のコラムに譲るとして、今週は12日に行われたJリーグの理事会で、秋春制へのシーズン移行を実施しないことを正式に決めたことを取り上げたい。 ▽もともとJリーグのシーズン移行は、2000年代後半に実施するプランは古くからあった。しかし歴代のチェアマンは誰も手をつけることなく現行の方式で大会を重ねてきた。秋春制への移行を強く訴えたのはJFA(日本サッカー協会)の田嶋会長で、一昨年の会長選挙の公約の1つでもあった。 ▽しかしながら現実には降雪地域のチームの練習や試合をどうするか、年度がまたがることによる試合会場確保の難しさ、親会社の決算期とのズレ、高校や大学生らの卒業後のブランクなど問題点は多々あった。 ▽田嶋会長は降雪地域の冬季の試合は温暖な地域でアウェイゲームを組むことで解消できるし、公共施設の場合のスタジアム確保も、現在行われているプロバスケットボールのBリーグがクリアしているので、そちらを参考にしてはどうかと提案した。 ▽むしろ田嶋会長は、そうした現場での問題以前に、ヨーロッパとシーズンを合わせることで、W杯など国際大会で国内のリーグ戦を中断せずにすむこと、W杯やアジアカップの予選をFIFA国際Aマッチデーのカレンダーに合わせやすいこと、選手や監督の行き来にタイムラグが生じないことなど、どちらかというと日本代表の活動がストレスなく行えることを主眼に置いていた。JFAの会長だけに、当然と言えば当然だ。 ▽そして移行は12月にW杯が開催される2022年をテスト的なシーズンとし、2023年からの実施を訴えた。というのも2023年は6月に中国でアジアカップが開催される可能性が高いからだ。さらにFIFAは、コンフェデレーションズカップを2021年で終了し、代わりにクラブW杯を4年に1回、24チームによる大会へ衣替えするプランを持っている。 ▽各大陸王者6チームに開催国と招待国の8チームでは、試合数も限られ、収益にも限界がある。それならクラブW杯を拡大して24チームにした方が、入場料収入もテレビ放映権も倍増が見込めるからだ。 ▽それに対してJリーグ側は、先にあげた現実的にクリアしなければならない問題に加え、豪雪地域の設備投資には500億円もかかるという試算を出した。これらの費用をどこが負担するのかという、ものすごく高いハードルもある。こうした事情を踏まえ、実行委員の8割の反対により、Jリーグは秋春制へのシーズン移行を却下した。村井チェアマンは「サッカーの出来る期間が(中断期間が2回あり)1か月ほど短くなる。全体の強化や、ファンとの関係性を考えても大事なこと」などと見送りの理由を説明した。 ▽過去、JSL(日本サッカーリーグ)は、秋春制を採用していた時期があった。1985年から最後のリーグ戦となった90―91シーズンの6年間だ。きっかけは85年に日本がメキシコW杯のアジア予選を勝ち抜き、最終予選に進出したことだった。翌86-87年は6月にメキシコW杯があり(日本に関係はないが)、9月にはソウルでアジア大会があった。そこでJSLは日本代表の強化のため自ら秋春制を採用した。 ▽87-88年は日本がソウル五輪の最終予選に勝ち進んだため、リーグ戦は10月17日に開幕と、当時はリーグ側が代表強化のためにスケジュールを変更した。その理由としては、これまで“夢”でしかなかったW杯が現実的になり、五輪出場の可能性も高まったため、代表優先の機運が生まれたこと。当時のJSLで一番北にあったのは茨城県の住友金属で、雪の影響はさほど受けなかったこと。決算も親会社任せのアマチュアだったため融通が利いたことなどが考えられる。加えてプロ化への動きが本格化したことも――JSLは発展的解消の運命にあった――日程を変更しやすかった一因かもしれない。 ▽ともあれ、Jリーグの春秋制継続は正式に決まった。田嶋会長も、「あくまで提案であって、Jリーグの決定を尊重する」と常々言っていた。そして秋春制へのシーズン移行は当分の間、凍結される。何か大きな問題でも生じない限り、再燃することはないだろう。 ▽ただ、果たして十分に議論を尽くしての決定かどうかには、かすかな疑問が残る。それは、決定を下した実行委員(つまりは代表取締役社長)のうち何人が本気でクラブの将来を考えたのかということだ。 ▽例えば札幌の野々村芳和氏や湘南の水谷尚人氏のように、背水の陣でクラブ運営に携わっている方々がいる。その一方で、親会社からの出向で、数年後には親会社に戻るか子会社へ転出する実行委員もいるだろう。彼らの間には、クラブに対する温度差は必然的に生じているはずだ。その温度差を踏まえての今回の決定かどうかに疑問を感じざるをえなのいだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.14 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】古豪復活を予感させる北朝鮮のパスサッカー

▽12月9日に開幕した東アジアE-1選手権の男子サッカーで、日本は初戦の北朝鮮戦を1-0で下して白星発進をした。しかし試合内容は北朝鮮の猛攻に防戦一方。GK中村(柏)の再三にわたるファインセーブがなければ大敗してもおかしくない試合だった。 ▽日本は中村を始め、DF室屋(FC東京)やFW伊東(柏)、阿部(川崎F)ら4人が代表デビューを果たすなど、国内組の急造チーム。このためチームとしての完成度は低い。それは試合後のハリルホジッチ監督も認めていた。 ▽その一方で、北朝鮮は、かつてないほど洗練されたチームだったことも日本が苦戦した一因だ。2年前の大会では長身FWにロングボールを集めるスタイルに敗れたが、アンデルセン監督はていねいにパスをつなぐサッカーで北朝鮮を再生。プレスを受けても苦し紛れのクリアではなく、確実に味方につないでいた。 ▽FWキム・ユソンはスピードを生かした突破で何度も昌子(鹿島)と谷口(川崎F)のCBを脅かしたし、MFリ・ヨンジ(讃岐)はボランチとしてゲームを組み立てながら、2列目からの飛び出しで日本ゴールを脅かした。かつて川崎Fでプレーした東京朝鮮高校出身のアン・ビョンジュン(熊本)が「内容的にはよかったけど、勝ちにつながらなかったのは悔しい」と話したように、日本は井手口(G大阪)の一発に救われた試合でもあった。 ▽日本対北朝鮮戦の前には韓国対中国戦が行われた(2-2)が、4チームの初戦を見る限り、チームとしての完成度は北朝鮮が一番高いだろう。「平日は代表チームで練習し、週末は各クラブの試合がある」とアンデルセン監督が話したように、共産圏ならではの強化方法だ。 ▽そんな北朝鮮は、かつてはアジアの盟主だった時代もある。W杯の初出場こそ韓国(1954年)に譲ったものの、1966年のイングランドW杯ではアジア勢として初のベスト8に進出(当時は16か国で開催)。グループリーグではイタリアを1-0で破ってグループリーグ敗退に追い込んだ。ベスト8という記録は2002年の日韓W杯で韓国ばベスト4に進出するまで、長らくアジアの記録となっていた。 ▽当時の北朝鮮のスタイルは、ショートパスをつなぐ当時としてはモダンなサッカーだった。それは東京朝鮮高校にも受け継がれ、1960~1970年代のチーム最強を誇り、「幻の高校チャンピオン」と呼ばれていた。というのも当時は高校選手権やインターハイに出場することが認められていなかったからだ。 ▽これは余談だが、当時の主力選手で構成されたシニアチーム、高麗FCは東京都リーグでも抜群の強さを誇っていた。ショートパスをていねいにつないで崩してくるスタイルは伝統とも言える。そんな彼らのスタイルを「シニアのサッカーは蹴って走るのではなく、パスをつないで楽しく、強いチームを目指そう」とした。 ▽帝京高校や本郷高校のOBチームを始め、中央大学のOBチームで結成され、金田さんや菅又さん、早野さんらのいるチームは高麗FCと善戦したものの、なかなか彼らの牙城を崩すことはできない。その結果、たどりついた結論は「同じサッカースタイルでは勝てない」ということだった。 ▽高麗FCと戦うには、中盤を省略してロングボールでカウンターを狙う――いわゆるキック&ラッシュの古典的なスタイルだった。ここらあたり、ハリルホジッチ監督の思想と近いものがあるのかもしれない。初戦は不運な一発に沈んだものの、古豪復活を予感させる「レッド・デビル」だった。 ▽ちなみにサッカーダイジェスト時代、メキシコW杯1次予選(ホームは原博実のゴールで1-0の勝利)で北朝鮮に「レッド・デビル」とタイトルをつけたら、在日本朝鮮人総練合会(朝鮮総連)からクレームが来た。彼らいわく「我々を悪魔扱いするのか」と言われたので、マンチェスター・Uなどの強豪と同様に敬意を込めたニックネームであることを説明したら納得してくれた。 ▽代表チームの来日の際には、東京の北区にある東京朝鮮高校で親睦のサッカーと、試合後は校庭で焼き肉パーティーを催してくれた。核実験や弾道ミサイルの発射で国際的に緊張が高まっているものの、ハリルホジッチ監督が試合後「サッカーの世界で、友情や信頼、そして喜びといったものを伝えたい」と述べたように、政治的な話は抜きにして北朝鮮のサッカーを楽しみたいと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.12 13:01 Tue
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