コラム

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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jキックオフカンファレンスで気になったこと

▽毎年恒例となっている、Jリーグのキックオフカンファレンスを2月15日に取材した。これまでは選手と監督にクローズアップしてきたカンファレンスだが、今年は趣向を変えて、第1部はJリーグ選手の育成環境について人材交流の成果を紹介し、続けて東南アジア、とりわけタイの選手のJリーグ参入でマーケットが拡がったこと、そしてデジタル戦略としてスマホを活用した新たなビジネス展開など、どちらかというとスポンサー向けのプレゼンテーションという印象を受けた。 ▽選手の育成に関しては、Jリーグではその物差しが難しいと思う。育成するのは各クラブであり、成果としてJリーグのタイトル獲得に貢献したか=日本代表に選出されるような選手の育成が判断基準になるだろう。若年層に海外での試合を経験させたり、指導者の海外研修を実施したりしても、それがJリーグの育成プログラムによる評価に結びつくのか、判断は難しい。ここらあたりは永遠のジレンマではないだろうか。 ▽その一方で、分かり安いのがマーケットの拡大やスマホを活用したビジネス展開だ。昨シーズン、札幌はタイ代表のチャナティップを獲得した。そのことでタイのFBは332万人のリーチ数を記録した。札幌市の人口200万人を上回る数字をたたき出したことになる。その他にもJリーグの映像をニューストピックとして無料サイトに配信したところ、かなりのアクセスがあったと報告された。 ▽そしてスマホである。もはや日常生活に欠かせないツールになったスマホを活用すべく、Jリーグはデジタル部門を立ち上げた。そして各クラブのチケット購入者や通販購入者、eコマースなどを一元管理して、利用者に新たなサービス=勧誘サイトに誘導することも想定している。 ▽正直、凄いと思った。これまでJリーグのチェアマンはJクラブの経営者という暗黙の了解があり、初代の川淵氏以後、鹿島の鈴木氏、C大阪の鬼武氏、鹿島の大東氏が歴任していた。それに比べ村井氏はJクラブの社長経験はないものの、Jリーグそのものをリクルート社の経験を生かして改革しようとしている。 ▽その試みが吉と出るのかどうかはともかくとして、ちょっと心配なこともある。村井チェアマンが、これまでのチェアマン像と違い率先してデジタル部門や東南アジア戦略を展開してマーケットの拡大を推進している。そんなパイオニアである村井氏の後継者は誰が適任なのかということだ。 ▽組織図としては原博実・副理事ということになるだろう。誰からも愛される人柄の良さもあり、彼をサポートする態勢を構築して村井チェアマンは退くことは推察される。問題はその後で、JFA(日本サッカー協会)同様、Jリーグも幹部の若返りが遅れているのが気になったキックオフカンファレンスだった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.16 13:30 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】沖縄キャンプで感じたJクラブのアピール下手

▽昨日から沖縄・糸満市でFC東京のキャンプを取材している。今朝は9時30分の午前練習から取材をした。原稿だけでなく、素人ながら写真も撮っているが、そこで隣同士(2人しかなかった)となった一般紙のカメラマンが次の様にぼやいていた。 ▽「ジャージにも背番号を入れて欲しいですよね。いつも取材しているわけではないので、顔を見ても誰か分からないし、パソコンに取り入れても分からない。ゲーム形式の練習ではビブスを着るけど、それも統一されていないので……」 ▽聞くところによると、そのカメラマンは沖縄滞在中、プロ野球のキャンプをメインに取材しつつ、空いた時間はJリーグのチームの撮影にもかり出されているそうだ。そんな彼に対し「それくらい、事前取材で把握したら」と言うのは簡単だ。しかしながら新聞社のカメラマンの肩を持つわけではないが、逆の立場になったらプロ野球選手の顔などほとんど知らないだけに、つい同情してしまった。 ▽この話題は以前にも書いたものの、だいぶ昔なので改めて取り上げたい。長い歴史のあるプロ野球のキャンプは、チーム強化の場であると同時に地方のファンや地元から訪れるファンに対し「お披露目の場」でもある。アンダーウェアを着ても、基本的にユニホーム姿で、そこには名前と背番号が分かるようになっている。そして朝から晩まで練習にかり出されるのは、スター選手になればテレビのスポーツニュースのメイン担ったり、スポーツ紙の1面を飾ったりする。いわば、「持ちつ持たれつ」の関係ができているからだ。 ▽ところがJリーグは、残念ながらそこまでメディアとの関係を構築できていない。そのためには改善する点も多いと思うが、キャンプでのトレーニングウェアは年々シンプルかつスリムになったものの、依然として名前はおろか背番号さえ入っていない。これはもう、「負の伝統」と言っていいだろう。本来なら新シーズンを迎え、新加入した選手や移籍により背番号の変わった選手もいる。そこで地方の、わざわざ練習に足を運ぶファンに対し、名前と顔を覚えて貰う絶好の機会なのに、Jクラブはそのチャンスを逃してきたと思わざるを得ない。 ▽Jリーグは昨シーズンからダ・ゾーンとの契約を始め、これまでも動画サイトとの連携によるサービスを強化してきた。これも時代の流れであり、Jリーグそのものの価値を高めることを目標にしているのだろう。いわば「全体の利益」のための舵取りだ。 ▽一方で、Jクラブは「地に足を着けた」地道な活動も必要になる。そのために選手は出待ちしているファンにサインや記念撮影に応じている。それはそれで大事だが、その前にシーズン前のキャンプではトレーニングウェアに背番号と名前を着け、練習に訪れたファンにはA4用紙の一枚でもいいから選手の顔写真と背番号、簡単なプロフィールの入ったフリーペーパーを配布することはできないものだろうか。 ▽キャンプでの一期一会の触れあいから、次代の名選手が生まれるかもしれない。そんなチャンスを逃したらもったいないと感じる沖縄キャンプでの出来事だった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.08 20:40 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラインドサッカーが国際大会を開催する意義

▽大相撲のスキャンダルと理事選、さらには大谷翔平の渡米に隠れ、メディアではほとんど取り上げていないが、昨日、ブラインドサッカーの「ワールドグランプリ2018」の開催概要と組み合わせ抽選会がJFA(日本サッカー協会)ハウスで実施された。 ▽大会は3月21日から25日にかけて、品川区の天王洲公園で開催される。参加6チームが2グループに分かれてリーグ戦を実施し、各組の順位に応じて1~2位、3~4位、5~6位決定戦を行うというシステムだ。 ▽そして1月31日の抽選の結果、日本(世界ランク8位)は、トルコ(同5位)、イングランド(同16位)と同組になった。優勝候補の本命は、グループBで世界ランク2位のアルゼンチン(グループBにはロシアとコートジボワールが同居)。世界ランク1位のブラジル同様、個人技に優れた強豪だが、会見に臨んだキャプテンの川村は「どの国がきても強豪国であることには変わりないので、楽しみです。アルゼンチンとは決勝で対戦できるように、モチベーションも上がっています」と意気込みを述べていた。 ▽今大会は新たに味の素と全日空が大会スポンサーとなり、今後3年間は継続して支援するという。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定してから、まさに「追い風」が吹いてブラインドサッカーのスポンサーも急増した。それはそれで、歓迎したい事実である。 ▽障がい者サッカーには全盲のブラインドサッカーだけでなく、聾唖者や身体障害者、知的障害者など7団体があり、ブラインドサッカーのようにパラリンピックの種目に入っていないため注目度の低い競技もある。ただ、ようやく昨年、JFAは障がい者サッカーを1つの団体を認可してJFAハウス内に事務局を設けた。 ▽過去、障がい者サッカーと言っても、抱える障害の違いで各連盟はなかなか足並みが揃わなかった。そんな中でブラインドサッカーはパラリンピックの種目だけに、スポンサーの獲得に成功して事務所も移転するなど「日の目」を見ている。そんなブラインドサッカーに対し、やっかみの声がないのか松崎事務局長に聞いたところ、逆に「JFAが障がい者サッカーを統括してくれたおかげで、ブラインドサッカーが率先して他団体と交流できるようになった」と成果を教えてくれた。 ▽どんなカテゴリーであっても、日本国内で大会を開催することは素晴しいと思う。ブラインドサッカーが少なからず市民権を得たのも、日本でワールドカップとリオ五輪の最終予選を代々木公園で開催し、ブラインドサッカーのサポーターを獲得したからだとに他ならない。大会には小倉JFA名誉顧問や原専務理事(当時)が観戦に訪れていたこともJFAが支援する追い風になったと推察される。 ▽ただ、懸念もある。「ワールドグランプリ2018」をスポンサードする上記の2社は3年契約が示すように、東京五輪後はスポンサー離れする可能性が高いことだ。障がい者の支援は半永久的に必要だが、実現は難しいのも事実ではないだろうか。それはブラインドサッカーだけでなく、どの競技団体も痛感しているだろう。 ▽そうした現状を変えるためにサッカーファンができることとして、試合会場に足を運び、声援を送ることではないだろうか。感動は、あらゆるサッカーにあると思っている。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.02.01 18:40 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】田嶋会長続投で期待したいサッカー界からの人事

▽Jリーグは1月23日、村井チェアマンの3期目となる続投を決めた。第5代チェアマンとして、就任早々の2014年に明治安田生命とタイトルパートナー契約を結んだのを皮切りに、Jリーグ開幕前から親密な関係にあった博報堂との契約を電通に変えてスポンサー増に成功。さらに昨シーズンからは動画配信事業などを英国のパフォーム社と10年間で約2100億円の大型契約を締結し、Jリーグの財政基盤を築くと同時に優勝賞金の大幅増に貢献した。 ▽正式には3月の役員改選で正式決定されるが、続投はほぼ確実視されている。これまで歴代チェアマンは、初代の川淵氏を除きJクラブの社長経験者という暗黙のルールがあったが、それを破ったのも村井チェアマンだった。リクルート社で培った経営手腕と組織の再構築は高く評価していいだろう。2年前のJFA(日本サッカー協会)会長戦で敗れた原氏をすぐさまJリーグ副理事長に招聘し、JFAの理事に返り咲かした素早い状況判断も鮮やかだった。 ▽村井氏はまだ58歳。3期目を終えても60歳だけに、同氏の目指す全スタジアムの無料Wi-Fi化を実現するまで、チェアマンとして手腕を振るうかもしれない。Jリーグの理事会は、外部の有識者を招きながらもJクラブの社長も構成員となっている。このため、いつの日か村井チェアマンが退任しても、第6代のチェアマンはサッカー関係者に戻る可能性があるため心配する必要はないだろう。 ▽問題があるとすれば、来年で2期目を迎える田嶋JFA会長の後継者ではないだろうか。田嶋会長は前回の当選時、「(会長は)1期2年では何をやるにも中途半端」と漏らしていたものの、「それがルールなので従うしかない」とも言っていた。今回の会長戦では村井チェアマンの出馬も噂されたが、同氏が見送ったために会長選は行われず、田嶋会長の再選は確実視されている(来年3月の評議員会で正式決定)。 ▽では何が問題かというと、組織の長として“後継者"を育成しているかどうかという点だ。田嶋会長は、就任後の人事で岡田元日本代表監督を副会長に起用したものの、同氏は今期限りでの退任を表明した。残る副会長は村井チェアマンと全国評議員代表の赤須氏(71歳)、国立西洋美術館の館長の馬淵氏(71歳)で、JFA会長の後継者としては村井チェアマンしか該当者はいない。 ▽さらに実務を取り仕切る専務理事の岡島氏と、FIFA(国際サッカー連盟)からの要請により新設した事務総長の岩上氏は、いずれもサッカーとは門外漢である。岡島氏(64歳)は元農林水産省のエリート、岩上氏(66歳)は元電通の顧問で、ラグビーや柔道でスポーツとの関わりがあるものの、こちらもサッカーとは無縁の登用だ。それでも彼らを起用した成果がここ2年間であったのかというと、首を捻らざるを得ない。 ▽これまでJFAという組織は、専務理事が実務面を取り仕切り、その後に副会長を経て会長に指名されるという流れで来ていた。初めて会長選が実施されたのが前回2016年のことだが、年齢的にも実務面でも、2年後に岡島氏や岩上氏が会長選の候補者になるとは考えにくい。そうなると、田嶋会長のライバルは自ずと絞られてくる。 ▽自身の身を脅かす存在は早めに排除する――というのはチェアマンや会長時代に川淵氏が用いた手法だが、サッカー界の将来を考えれば許される行為ではないだろう。果たして再選の暁に、田嶋会長は専務理事と事務総長に誰を起用するのか。できればサッカー界からの人材登用を期待したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.25 18:52 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】木之本さん一周忌の集いで思うこと

▽私事で恐縮だが、昨日は昨年1月15日に逝去した木之本興三さんを「賑やかに語る集い」に参加した。雨の中、幕張のホテルには同氏の母校・千葉高校、東京教育大サッカー部の同級生を始め、JSL(日本サッカーリーグ)時代の後輩からJリーグ創設に関わった“戦友"など210人もの関係者が集って昔話に花を咲かした。 ▽発起人の挨拶では大学と古河の後輩であるJFA(日本サッカー協会)会長の田嶋氏が思い出を語り、小倉JFA最高顧問や大仁JFA名誉会長、木之本氏の後輩である永井良和さん、ラモス瑠偉さんなど往年の名選手も出席した。 ▽2016年12月に脳梗塞で倒れたラモスさんとは開会の前に早く着いたためお茶を飲んだが、脳梗塞の影響はほとんどなく、「また監督をしたいね」と現場復帰に意欲を見せていたのはうれしい出会いだった。 ▽木之本さんについては、いまさら多くを語る必要はないと思うが、簡単に紹介するとJリーグの創設に尽力した第一人者である。JSL時代に古河の選手として活躍を期待されながら、グッドパスチャー病という内蔵同士が争う病魔により腎臓を摘出し、腎臓透析は700回を以上に及びギネス記録となった。 ▽そんな病魔と闘いながら、日本サッカーはプロ化しないと韓国に遅れを取ると危機感を抱き、森健兒(元日本代表監督の森孝慈氏の実兄)JSL総務主事と日本サッカーのプロ化に奔走したのが1980年代後期のことだ。Jリーグ創設が目前に迫った頃、森総務主事は三菱重工の仕事の関係で名古屋に転勤する。そこでJリーグの創設を東京に転勤する川淵氏に託した。 ▽その後のJリーグの隆盛と衰退はご存じの通り。そして木之本さんは強化副団長として臨んだ2002年のW杯中に、末端神経の壊死する新たな病魔に襲われ両足を切断せざるを得なかった。それでも、いつも会うときは箴言を言われ、「日本サッカーのためになにをしたらいいのか」と真剣に問われた。それはラモス瑠偉氏も同じようで「いつも叱られていた」と言いつつ「優しい言葉も掛けられた」と故人を偲んだ。 ▽JFAは日本のサッカー界に貢献した人を協会の“殿堂に掲額"している。Jリーグの創設に尽力した木之本さんや森健兒さんは、その資格が十分にあると思う。しかしながら、殿堂入りするには、いまも川淵さんの了解を得ないと候補に選ばれないと聞いた。今回の「賑やかに語る集い」にも川淵さんは姿を見せなかったし、献花もなかった。 ▽ともにJリーグを創設した木之本さんに対し、川淵さんには川淵さんなりの思いがあるのだろう。それは当事者にしかわからないかもしれないが、すでに木之本さんは鬼籍に入られている。川淵さんが今後、何を語られるのか。日本サッカーにとって残すべき言葉だと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.18 20:00 Thu
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【六川亨の日本サッカーの歩み】日本サッカー・プロ化の契機となった岸記念体育館の移転と東京五輪との不思議な関係

▽先週末よりJの各チームは新体制の発表をしたり、必勝祈願をしたり、早いチームはキャンプインするなど、新シーズンに向けて動き出した。13日はFC東京の始動と新体制発表会を取材したが、そこで面白かったのが長谷川新監督のコメントだった。 ▽記者から「FC東京でもガンバのサッカーをするのか」という質問に対し、長谷川監督は「別にガンバのサッカーがこういうサッカーというのはない。自分には自分のサッカーがあるだけ」と話し、続けて「ガンバのサッカーは遠藤のサッカー」と断言したのだ。竹を割ったような性格の長谷川監督らしい発言だと感心してしまった。そして「東京には東京の良さがあるので、それを生かしたサッカーがしたい」と、しっかりフォローすることも忘れなかった。 ▽さて今回は、スポーツ紙の片隅に載っていた記事を紹介したい。13日に、JR原宿駅から徒歩5~6分のところにある岸記念体育館にメキシコ五輪の銅メダリストやサッカー関係者が集ったという記事があった。 ▽いまの読者は知らないだろうが、岸記念体育館といっても、室内で競技のできる体育館があるわけではない。地下1階、地上5階の普通のオフィスビルだ。ただしスポーツ関係者にとって、この体育館を知らない者はいない。何しろ日本体育協会やJOC(日本オリンピック委員会)を始め、日本のアマチュアスポーツのほとんどの連盟がこのビルに集結しているからだ。 ▽JFA(日本サッカー協会)も1964年から1994年までは、このビルの3階に、他団体と比べてかなりスペースの広いオフィスを構えていた(301号室)。専門誌の記者になってからというもの、森ジャパンの就任と退任、石井ジャパンの就任と退任、そして横山ジャパンの就任と退任を始め、80年代は多くの記者会見がこのビルで行われた。 ▽JSL(日本サッカーリーグ)の事務局も当時はJFA内の片隅ににあったため、日程の発表やベストイレブンなどもここで行われ、シーズン後の表彰式は地下1階にある講堂で、見守るファンもなくひっそりと執り行われた。 ▽1階にある売店では日の丸のピンバッジが1個150円くらいで売っていたので、86年メキシコW杯や88年西ドイツEURO、90年イタリアW杯の前には30個くらいまとめて購入した。現地で他国の記者と交換するためだ。当時から日本ではあまり人気のないピンバッジだったが、海外ではW杯に訪れるサポーターを含めピンバッジのコレクターがかなりいた。 ▽ただ、時代の移り変わりとともにピンバッジの価値も変わり90年代から2000年代にかけては「ドラえもん」や「ピカチュウ」のピンバッジを求められることも多くなり、テレビ局の知人に分けてもらって交換することも多々あった。そんな習慣も、2006年のドイツW杯以降、ぱったりと消えてなくなった。 ▽雑誌や新聞は時差の関係ですぐに原稿や写真を送らなくてもいい時代から、インターネットの普及により、各誌紙はデジタル版を展開することで、仕入れた情報は24時間際限なく送らなければならなくなった。かつてのような牧歌的な取材は過去のものとなった。 ▽話が脱線したので元に戻そう。1983年12月、JSL事務局は岸記念体育館を離れる。プロ化を推進するのに、アマチュアの総本山とも言える岸記念体育館にいては身動きが取れにくい。そう判断した森健兒JSL総務主事の大英断だった。森氏は自身の所属する三菱重工が神田小川町に借りているビルの2階と3階を、会社には無断でJSLに又貸ししたのだった。 ▽後に森氏は総務主事を川淵氏に譲るが、川淵総務主事を初めてインタビューしたのは岸記念体育館ではなく小川町のJSL事務局で、ハンス・オフト監督をインタビューしたのも同じビルの2階だった。ここから日本のサッカーはプロ化へと大きく舵をきった。もしもあのままJSL事務局が岸記念体育館にあったら、プロ化の波が加速したかどうか。それは誰もわからない問いかけだろう。 ▽JSLは93年にJリーグとして生まれ変わり、爆発的な人気を博した。時を同じくして日本代表は1992年のアジア杯に初優勝し、93年のアメリカW杯でも最終予選に進出して初出場に期待が膨らむなど追い風が吹いた。JFAが岸記念体育館にとどまる必要性もなくなったため、JR渋谷駅から徒歩5分のビルに引っ越した。そして2002年の日韓W杯の成功により、現在のJFAハウスを購入するに至った。 ▽JFAが渋谷に移転して以来、岸記念体育館に行くことはなくなった。そして来夏には新宿区に移転するという。2020年の東京五輪を控えて、その規模も拡大することだろう。1964年の東京五輪に現在地に移ってから55年、再び巡ってきた東京五輪での移転に感慨深いものを感じてならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.15 20:00 Mon
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【六川亨の日本サッカー見聞録】サッカーファミリーミーティングで感じた東京都会長の決意

▽JFA(日本サッカー協会)は1月12日、JFAハウスにて東京都を対象にした「サッカーファミリー タウンミーティング」を実施した。今回で41回目となる同会は、47都道府県を対象に行われていて、田嶋JFA会長によるVTRを使った基調講演や東京都リーグ関係者からの質疑に応答するというもの。 ▽冒頭では上野・東京都サッカー協会会長が挨拶に立ち、「東京都の選手・審判を含めた登録数12万人は全国1位だが、施設は十分と言えず、サッカー専用スタジアムが不足している。それが都でプロを目指すチームの壁になっている。また3年前より4種(U-12)の登録数が減ってきているのも深刻な問題」と現状を説明した。 ▽これについては新宿区リーグの関係者が「新宿は少子高齢化による人口減少で年々登録している」と窮状を訴えた。 ▽これに対し田嶋会長は、小学生のサッカー人口の減少について「かつて文科省は体育の授業にサッカーが必須科目に入っていた。しかし近年、指導要領の変更があり、サッカーではなく球技となったため、先生の自主判断に任されているのも減少の一員」と指摘。このためJFAとしては、幼稚園や小学生の低学年を対象にコーチを派遣して巡回指導することで、サッカーに触れる機会を増やすプランを披露した。 ▽さらに付け加えて、過去の例からサッカーの登録選手を増やすのに一番効果があるのは、「W杯で日本が勝つこと」と日本代表の活躍にも期待した。ちなみに日本がW杯出場を逃せば20億円の収入減で、これはJFAの年間予算の10パーセントに当たるそうだ。いかにW杯が、予選も含めてJFAの財政を支えているかが分かる。 ▽FIFA(国際サッカー連盟)がW杯での収入でアンダーカテゴリーのW杯や女子のW杯を支えているように、JFAもW杯での収入がアンダーカテゴリーのW杯と女子のW杯を支えていると言える。 ▽田嶋会長は、昨年はU-17日本代表とU-20日本代表がW杯に出場したことで、デュエルやパススピードが遅れていることを再確認したとVTRを使って報告した。世界基準での基礎技術の重要性を説きつつ、一番強化が遅れているのはなでしこジャパンとの認識を示した。確かに、かつては世界1になったものの、近年のFIFAランクは下降する一方だ。 ▽その一因として、第3種(中学生年代)の立ち後れを指摘した。サッカーをやりたくても女子サッカーのできる中学校が少ない。正月に行われた女子の高校選手権は民放がTV中継するなど、年々活況を呈している一方、中学でサッカーのできる環境は限られている。 ▽そこで田嶋会長は文科省に、国体での少年女子の創設を働きかけるプランを明らかにした。現在、男子は成年と少年の2部あるものの、女子は成年しかない。バスケットボールやハンドボールは成年と少年があるため、女子サッカーも少年(U-16)の部を創設することで、国体の開催県を中心に中学生年代の女子サッカーの活性化を図ろうという狙いだ。 ▽これは上手いやり方かもしれない。国体は、サッカー界においては注目度の低い大会ではあるが、開催県にとっては日本1を目指す一大イベントであり、選手の育成や獲得に数年前から準備する。女子サッカーで優勝できるならと強化に力を入れる県も出て来るだろう。JFAが強化の先頭に立つのはもちろんだが、日本は高校選手権を例に出すまでもなく、学校スポーツが強化・育成の一翼を担ってきたのは紛れもない事実だ。その相乗効果を期待してのプランでもあるだろう。 ▽最後に、閉会の挨拶に立った上野会長は、次の様に明言した。「2020年に東京五輪が開催されます。でも、五輪が東京に来ても新しいサッカー専用スタジアムはできない。これまでも公共団体に依頼してもダメだった。そこで全額を公共団体に頼るのではなく、都協会も応分の負担をし、皆さんの寄付を募り、借金をしてでも東京都にサッカー専用スタジアムを造りたい」と。 ▽その意気や、よしではないだろうか。と同時に、上野会長の冒頭の挨拶と閉会のスタジアムへの思いを聞き思い浮かべたのが、去年から噂になっている東京に新スタジアム建設の動きである。 ▽代々木公園の外れ、NHKの裏手にあるアンツーカーの陸上トラックと隣接する土のサッカー場を、3万人規模のサッカー専用スタジアムに転用する話だ。すでに小池都知事はゴーサインを出していて、関係者が「都知事在任中に決めたい」という話も聞いた。 ▽その話の実現性を、閉会後に旧知の知人に聞いたところ、「それはありえない。陸上トラックは“織田フィールド"と言って陸連(日本陸上競技連盟)の聖地。彼らがそこを手放すことはないし、東京五輪では陸上の競技の練習場になっている。スタジアム建設の話はJ1クラブの親会社が言っているだけではないでしょうか」との返事だった。 ▽正直、期待していただけに、ガッカリした。しかしながら、それが本当なら、上野会長はそれを承知で東京都に新スタジアム建設プランを宣言したのではないだろうか。その心意気は、やっぱり都民としては支持したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.13 14:30 Sat
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【六川亨の日本サッカー見聞録】高校選手権と高円宮杯決勝に見る試合展開の違い

▽明けまして、おめでとうございます。今日4日が仕事始めの方も多いでしょう。本年もよろしくお願いいたします。 ▽といったところで、第96回全国高校選手権はベスト8が出揃った。大会の印象については決勝戦後のコラムに譲るとして、選手権の1、2回戦を取材して感じたのが、昨年12月17日に開催された高円宮杯U-18決勝との違いだった。 ▽FC東京対神戸の試合は、前半に神戸が2点をリードした。ハーフタイムにFC東京の佐藤監督は「みんなの思いが強すぎて、体が動いていない」と指示し、「精神的に差し込まれてもったいなかった」と会見で振り返った。 ▽そこでFC東京は、ハーフタイムに2人の選手が交代したものの、後半も前半と同じようにパスをつなぐポゼッション・サッカーを貫き同点に追いつくと、延長戦で神戸を振り切り初の日本1に輝いた。最後まで自分たちの、FC東京のサッカーで優勝したことは見事だった。 ▽ただ、観戦していて正直なところ歯がゆさも感じた。2点のビハインドで迎えた後半なのだから、なぜもっと攻撃の圧力を強めないのか、積極的に攻撃を仕掛けないのか。前半と同じような試合展開にもどかしさを感じた。プレミアリーグとはいえ決勝戦は一発勝負。トーナメントの戦い方をしていいはずなのに、リーグ戦のような戦い方は、攻撃の変化に乏しい日本代表やJリーグの試合を見ているようだった。 ▽それに比べ、高校選手権では3回戦の明秀日立対大阪桐蔭戦で、リードを許した明秀日立の萬場監督は、後半10分に3人同時に選手交代を敢行。システムも4バックから3バックに変えて攻撃的なサッカーから後半21分に1-1の同点に追いつくと、再び4バックに戻し、PK戦で初のベスト8進出を果たした。 ▽高校サッカーは、プレミアやプリンスのリーグ戦以外、インターハイと選手権の予選、本大会はいずれも一発勝負。そういう戦い方に監督も選手も慣れているとも言える。劣勢に立たされたチームは必死に反撃する。だからこそ、見ている観客に感動を与えられるのではないだろうか。 ▽昨年末に取材した田嶋JFA(日本サッカー協会)会長も、自身が先頭に立って「切磋琢磨した試合をやろう」とプレミアリーグやプリンスリーグを立ち上げた。しかし近年は「慣れてくると1試合1試合、クオリティよりも最後のこの試合に勝ちさえすればいいというような試合展開になり、ファイトがない試合になる」と苦言を呈し、変革を口にしていた。 ▽どちらがいいのかという問題ではなく、育成とは何なのか、日本サッカー全体が取り組まなければいけない課題でもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.01.04 18:45 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】森保ジャパンが初の公式戦に出場。気になるのは…

▽1月9日から中国で開催される、AFC U-23選手権(中国)に臨む日本代表のメンバー23名が26日に発表された。昨年、監督に就任した森保一氏にとっては、タイで開催されたM150杯(準優勝)に続く大会であり、初の公式大会となる。 ▽このAFC U-23選手権は、今年で3回目を迎える歴史の浅い大会でもある。前回の2016年大会はカタールで開催され、リオ五輪の予選も兼ねていた。日本は決勝で韓国を逆転で下し、初優勝を果たすと同時にリオ五輪の出場権も獲得。中島翔哉が大会最優秀選手に選ばれた(前々回の2013年は準々決勝でイラクに0-1で敗れベスト8)。 ▽今大会は純粋にAFC U-23選手権として開催され、何かの予選を兼ねているわけではない。日本は2020年の東京五輪を見据え、21歳以下の選手で臨む。森保監督はメンバー発表の際に、「どんな大会でも1試合1試合、勝利にこだわっていく。成果にこだわって頂点を目指していく」と決意を語ったものの、他国に比べ2歳のハンデは否めないだろう。 ▽そんなU-21日本を率いる森保監督が選出したのは、GKが3名、DFが5名、MFが12名、そしてFWが3名という構成だ。DF陣は原輝綺(新潟)や古賀太陽(柏)らCBタイプが多く、SBの初瀬亮(G大阪)がMFで選出されていることからも、広島で戦い慣れた3-4-2-1(守備時は5-4-1)を採用する可能性が高い。 ▽それは「今後も、タイでも伝えたが、複数のポジションをやってもらう。このメンバーで最大6試合やる。五輪も18名の選手で(決勝まで)6試合となると、ケガ人や疲労のコンディションでチームとして機能不全にならないよう、チーム力を落とさないで戦えるよう、複数のポジションをやってもらいたい」という発言からも見て取れるように、本大会を視野に入れてのチーム作りでもある。 ▽そしてFWの3人は、スピードを武器にする前田大然(水戸)、空中戦に強い小松蓮(産業能率大)と田川亨介(鳥栖)といった具合に、「スペシャルなものを磨いて欲しい」(森保監督)選手を招集した。 ▽その一方で、Jリーグで主力としてプレーした山中雄太(柏)、冨安健洋(福岡)や、U-17W杯とU-20W杯に出場し、J3とJ1でもプレーした久保建英は疲労を考慮して今大会のメンバーから外した。彼らに加え、いずれはリハビリ中の小川航基(磐田)や堂安律(フローニンゲン)も、タイミングを見て招集されることだろう。 ▽そんな森保ジャパンで、気になるのはOA枠だ。まだずいぶん先の話ではあるが、どこかのタイミングで森保監督に質問したいとも思っている。それというのも、前回のリオ五輪でのOA枠3人(興梠、塩谷、藤春)は大会直前に決まったため、チームとしてコンビネーションを高める時間が限られていたからだ。 ▽噂によると手倉森監督は長友ら海外組を招集したかったらしい。しかし大会は8月3日に始まり、決勝まで勝ち進むと20日まで選手は拘束される。このため海外組はキャンプと重なり招集はまず不可能だ。さらにハリルホジッチ監督は、ロシアW杯の最終予選が9月1日に始まるため、20日までブラジルに滞在し、そこから帰国したら時差調整が困難になると判断。代表の主力クラス(国内組のため候補は少ないが)を招集しないよう手倉森監督に求めたそうだ。 ▽20年の東京五輪は7月24日から8月9日までの開催が予定されている。サッカー競技のスタートはもう少し早まるかもしれないが、堂安や、海外移籍の噂のある井手口(G大阪)と久保建英(FC東京)ら海外組を呼ぶなら、いまからクラブと交渉する必要がある。もちろんOA枠は、チーム作りの過程で補強ポイントが出て来るだろうか、すぐに決められるものではないだろう。 ▽しかしOA枠を使うのかどうかを含めて、早めに準備しておくに越したことはない。それがどのポジションになるのか。U-20日本代表をベースに考えると、やはり日本はGKと両SBに不安を抱えているように感じられる。それはフル代表でも手薄なポジションでもある。まだ3年あるので、新たなタレントの出現を期待したいところではあるものの、やはり不安を感じずにはいられない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.28 20:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】韓国戦の敗北は技術委員会にも責任がある

▽先週末に終わった東アジアE-1選手権の最終戦で、日本は韓国に1-4と歴史的な敗北を喫した。ホームでの4失点は63年ぶりの屈辱でもあった。試合後は、田嶋JFA(日本サッカー協会)会長が「ひと言、情けない。がむしゃらになって取り返しにいく、代表としての誇りを持っているのか」と疑問を呈すれば、セルジオ越後氏はハリルホジッチ監督の解任を要求した。 ▽彼ら以外にも、日本代表のOBからはかなり辛口の意見が飛び出した。確かに11月のヨーロッパ遠征あたりから、ハリルホジッチ監督はこれまでのように選手を批判するのではなく、庇うようなコメントが増えたのも事実だ。この点の真意はわからない。 ▽しかしながら国内組で望んだ東アジアE-1選手権は、韓国に屈辱的な敗戦をしたものの、北朝鮮と中国に勝つなど、“あのメンバー”にしたら健闘したと思う。 ▽そして日韓戦である。ともに国内組とはいえ、日本はJリーグ選抜としたら、韓国はKリーグとJリーグ、さらにCリーグの精鋭チームと言える。日本で代表のレギュラーは井手口くらいで、23人のメンバーに残りそうなのは東口と今野あたりだろう。それに対し韓国はCB張賢秀(チャン・ヒョンス)、右SB金珍洙(キム・ジンス)、右MF李在城(イ・ジェソン)はバリバリのレギュラーで、彼ら以外にも多くの選手が代表経経験は豊かだった。 ▽加えて、試合後の会見で韓国人記者の質問から、申台龍(シン・テヨン)監督は今大会で優勝しないと更迭されることが分かった。さらに、日本の天敵でもある長身FW金信旭(キム・シヌク)は、代表に残れるかどうか最終テストの場でもあったそうだ。彼は2ゴールと結果を残したが、2点をアシストしたのは金珍洙(キム・ジンス)と李在城(イ・ジェソン)と、全北現代のチームメイトでもあった。 ▽国内組の見極めの大会とはいえ、日本と韓国では抱えている事情がかなり異なっていた。ハリルホジッチ監督からすれば、国内組の発掘は吉田とコンビを組むCB(槙野を除く)と、長谷部の相棒であるボランチの見極めの場でしかなかったのではないか。しかし山口は負傷で、井手口も韓国がロングボールを多用したため、見せ場はほとんどなかった。収穫と言えば、フィードに難のある植田が右SBで使えそうなことくらいしかなかった。 ▽今野が必死にゲームを組み立てようと奮闘する姿は気の毒にも見えた。国内組の選手の発掘の場であることは理解できる。しかし、勝たなければいけない大会でもあった。そこで疑問に思うのは、ゲームを作れる清武や大島が負傷離脱したのに、代わりの選手を入れなかったことだ。川崎FとG大阪の選手を中心に招集したのであれば、なぜ中村憲を追加招集しなかったのか。 ▽ハリルホジッチ監督にすれば、中村憲は年齢的に不要な選手かもしれない。しかし優勝を狙うのであれば、登録枠も余裕があるのだから、試合を作れる選手を呼んで欲しかった。それをハリルホジッチ監督に要求するのは技術委員会であり技術委員長の仕事でもある。負けたことでハリルホジッチ監督を非難するのは簡単だ。しかし、今大会の敗北は、西野技術委員長を始めとする技術委員会にも責任があると思っている。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.21 18:20 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】Jの秋春制移行は凍結されたが、十分な議論が尽くされたのか

▽12月9日から始まった東アジアE-1選手権も、男子は明後日が最終日。日本は12日の中国戦を2-1で勝利して2連勝を飾り、首位に立っている。最終戦の相手である韓国は1勝1分けのため、日本は勝てばもちろん引き分けでも2大会ぶり2度目の優勝が決まる。この東アジアE-1選手権については来週のコラムに譲るとして、今週は12日に行われたJリーグの理事会で、秋春制へのシーズン移行を実施しないことを正式に決めたことを取り上げたい。 ▽もともとJリーグのシーズン移行は、2000年代後半に実施するプランは古くからあった。しかし歴代のチェアマンは誰も手をつけることなく現行の方式で大会を重ねてきた。秋春制への移行を強く訴えたのはJFA(日本サッカー協会)の田嶋会長で、一昨年の会長選挙の公約の1つでもあった。 ▽しかしながら現実には降雪地域のチームの練習や試合をどうするか、年度がまたがることによる試合会場確保の難しさ、親会社の決算期とのズレ、高校や大学生らの卒業後のブランクなど問題点は多々あった。 ▽田嶋会長は降雪地域の冬季の試合は温暖な地域でアウェイゲームを組むことで解消できるし、公共施設の場合のスタジアム確保も、現在行われているプロバスケットボールのBリーグがクリアしているので、そちらを参考にしてはどうかと提案した。 ▽むしろ田嶋会長は、そうした現場での問題以前に、ヨーロッパとシーズンを合わせることで、W杯など国際大会で国内のリーグ戦を中断せずにすむこと、W杯やアジアカップの予選をFIFA国際Aマッチデーのカレンダーに合わせやすいこと、選手や監督の行き来にタイムラグが生じないことなど、どちらかというと日本代表の活動がストレスなく行えることを主眼に置いていた。JFAの会長だけに、当然と言えば当然だ。 ▽そして移行は12月にW杯が開催される2022年をテスト的なシーズンとし、2023年からの実施を訴えた。というのも2023年は6月に中国でアジアカップが開催される可能性が高いからだ。さらにFIFAは、コンフェデレーションズカップを2021年で終了し、代わりにクラブW杯を4年に1回、24チームによる大会へ衣替えするプランを持っている。 ▽各大陸王者6チームに開催国と招待国の8チームでは、試合数も限られ、収益にも限界がある。それならクラブW杯を拡大して24チームにした方が、入場料収入もテレビ放映権も倍増が見込めるからだ。 ▽それに対してJリーグ側は、先にあげた現実的にクリアしなければならない問題に加え、豪雪地域の設備投資には500億円もかかるという試算を出した。これらの費用をどこが負担するのかという、ものすごく高いハードルもある。こうした事情を踏まえ、実行委員の8割の反対により、Jリーグは秋春制へのシーズン移行を却下した。村井チェアマンは「サッカーの出来る期間が(中断期間が2回あり)1か月ほど短くなる。全体の強化や、ファンとの関係性を考えても大事なこと」などと見送りの理由を説明した。 ▽過去、JSL(日本サッカーリーグ)は、秋春制を採用していた時期があった。1985年から最後のリーグ戦となった90―91シーズンの6年間だ。きっかけは85年に日本がメキシコW杯のアジア予選を勝ち抜き、最終予選に進出したことだった。翌86-87年は6月にメキシコW杯があり(日本に関係はないが)、9月にはソウルでアジア大会があった。そこでJSLは日本代表の強化のため自ら秋春制を採用した。 ▽87-88年は日本がソウル五輪の最終予選に勝ち進んだため、リーグ戦は10月17日に開幕と、当時はリーグ側が代表強化のためにスケジュールを変更した。その理由としては、これまで“夢”でしかなかったW杯が現実的になり、五輪出場の可能性も高まったため、代表優先の機運が生まれたこと。当時のJSLで一番北にあったのは茨城県の住友金属で、雪の影響はさほど受けなかったこと。決算も親会社任せのアマチュアだったため融通が利いたことなどが考えられる。加えてプロ化への動きが本格化したことも――JSLは発展的解消の運命にあった――日程を変更しやすかった一因かもしれない。 ▽ともあれ、Jリーグの春秋制継続は正式に決まった。田嶋会長も、「あくまで提案であって、Jリーグの決定を尊重する」と常々言っていた。そして秋春制へのシーズン移行は当分の間、凍結される。何か大きな問題でも生じない限り、再燃することはないだろう。 ▽ただ、果たして十分に議論を尽くしての決定かどうかには、かすかな疑問が残る。それは、決定を下した実行委員(つまりは代表取締役社長)のうち何人が本気でクラブの将来を考えたのかということだ。 ▽例えば札幌の野々村芳和氏や湘南の水谷尚人氏のように、背水の陣でクラブ運営に携わっている方々がいる。その一方で、親会社からの出向で、数年後には親会社に戻るか子会社へ転出する実行委員もいるだろう。彼らの間には、クラブに対する温度差は必然的に生じているはずだ。その温度差を踏まえての今回の決定かどうかに疑問を感じざるをえなのいだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.14 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】古豪復活を予感させる北朝鮮のパスサッカー

▽12月9日に開幕した東アジアE-1選手権の男子サッカーで、日本は初戦の北朝鮮戦を1-0で下して白星発進をした。しかし試合内容は北朝鮮の猛攻に防戦一方。GK中村(柏)の再三にわたるファインセーブがなければ大敗してもおかしくない試合だった。 ▽日本は中村を始め、DF室屋(FC東京)やFW伊東(柏)、阿部(川崎F)ら4人が代表デビューを果たすなど、国内組の急造チーム。このためチームとしての完成度は低い。それは試合後のハリルホジッチ監督も認めていた。 ▽その一方で、北朝鮮は、かつてないほど洗練されたチームだったことも日本が苦戦した一因だ。2年前の大会では長身FWにロングボールを集めるスタイルに敗れたが、アンデルセン監督はていねいにパスをつなぐサッカーで北朝鮮を再生。プレスを受けても苦し紛れのクリアではなく、確実に味方につないでいた。 ▽FWキム・ユソンはスピードを生かした突破で何度も昌子(鹿島)と谷口(川崎F)のCBを脅かしたし、MFリ・ヨンジ(讃岐)はボランチとしてゲームを組み立てながら、2列目からの飛び出しで日本ゴールを脅かした。かつて川崎Fでプレーした東京朝鮮高校出身のアン・ビョンジュン(熊本)が「内容的にはよかったけど、勝ちにつながらなかったのは悔しい」と話したように、日本は井手口(G大阪)の一発に救われた試合でもあった。 ▽日本対北朝鮮戦の前には韓国対中国戦が行われた(2-2)が、4チームの初戦を見る限り、チームとしての完成度は北朝鮮が一番高いだろう。「平日は代表チームで練習し、週末は各クラブの試合がある」とアンデルセン監督が話したように、共産圏ならではの強化方法だ。 ▽そんな北朝鮮は、かつてはアジアの盟主だった時代もある。W杯の初出場こそ韓国(1954年)に譲ったものの、1966年のイングランドW杯ではアジア勢として初のベスト8に進出(当時は16か国で開催)。グループリーグではイタリアを1-0で破ってグループリーグ敗退に追い込んだ。ベスト8という記録は2002年の日韓W杯で韓国ばベスト4に進出するまで、長らくアジアの記録となっていた。 ▽当時の北朝鮮のスタイルは、ショートパスをつなぐ当時としてはモダンなサッカーだった。それは東京朝鮮高校にも受け継がれ、1960~1970年代のチーム最強を誇り、「幻の高校チャンピオン」と呼ばれていた。というのも当時は高校選手権やインターハイに出場することが認められていなかったからだ。 ▽これは余談だが、当時の主力選手で構成されたシニアチーム、高麗FCは東京都リーグでも抜群の強さを誇っていた。ショートパスをていねいにつないで崩してくるスタイルは伝統とも言える。そんな彼らのスタイルを「シニアのサッカーは蹴って走るのではなく、パスをつないで楽しく、強いチームを目指そう」とした。 ▽帝京高校や本郷高校のOBチームを始め、中央大学のOBチームで結成され、金田さんや菅又さん、早野さんらのいるチームは高麗FCと善戦したものの、なかなか彼らの牙城を崩すことはできない。その結果、たどりついた結論は「同じサッカースタイルでは勝てない」ということだった。 ▽高麗FCと戦うには、中盤を省略してロングボールでカウンターを狙う――いわゆるキック&ラッシュの古典的なスタイルだった。ここらあたり、ハリルホジッチ監督の思想と近いものがあるのかもしれない。初戦は不運な一発に沈んだものの、古豪復活を予感させる「レッド・デビル」だった。 ▽ちなみにサッカーダイジェスト時代、メキシコW杯1次予選(ホームは原博実のゴールで1-0の勝利)で北朝鮮に「レッド・デビル」とタイトルをつけたら、在日本朝鮮人総練合会(朝鮮総連)からクレームが来た。彼らいわく「我々を悪魔扱いするのか」と言われたので、マンチェスター・Uなどの強豪と同様に敬意を込めたニックネームであることを説明したら納得してくれた。 ▽代表チームの来日の際には、東京の北区にある東京朝鮮高校で親睦のサッカーと、試合後は校庭で焼き肉パーティーを催してくれた。核実験や弾道ミサイルの発射で国際的に緊張が高まっているものの、ハリルホジッチ監督が試合後「サッカーの世界で、友情や信頼、そして喜びといったものを伝えたい」と述べたように、政治的な話は抜きにして北朝鮮のサッカーを楽しみたいと思う。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.12 13:01 Tue
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【六川亨の日本サッカー見聞録】東アジア選手権にまつわるエピソード

▽いよいよ明日からEAFF E-1選手権が始まる。といってもE-1選手権と聞いてピンとこない読者も多いのではないだろうか。取材する方にしても馴染みがない。これは2002年の日韓W杯後、2003年に東アジアの競技力向上のため東アジアサッカー連盟を設立し、日本、韓国、中国に加えて予選を突破した4チームによる新設された大会だ。 ▽中東では湾岸諸国によるガルフカップが1970年にスタートし、クウェートが最多10回の優勝を誇っているものの、近年はカタールやUAEの台頭が目立つ。東南アジアでも1996年から予選を勝ち抜いた8チームによる大会が開催されている。最多優勝はタイの5回で、シンガポールがタイに次いで4回の優勝を果たしている。 ▽日本は韓国との定期戦を1972年から実施しているものの、それが東アジアの大会に広がなかったのは、中国や北朝鮮が閉鎖的な外交政策を取っていたことも否めない。日韓W杯では中国が初出場を果たしたこともあり、3ヶ国が持ち回りで開催することに合意した。 ▽スタート時点の大会名称は「東アジア選手権」だったが、2013年に韓国で行われた大会から「東アジアカップ」に名称が変更され、さらに今大会から「E-1選手権」と2度目の名称変更になった。 ▽前回の2015年に中国で行われた大会は、ハリルホジッチ監督にとって初めての大会だったものの、Jリーグが中断してすぐの大会だったため、準備不足により初の最下位に沈む。ハリルホジッチ監督自身、記憶から消したい大会だった。その前の2013年大会は、ザッケローニ監督が若手選手主体で臨み、初めて優勝を果たす。この大会で活躍した柿谷や山口、清武らがブラジルW杯のメンバー入りしたことは記憶に新しい。 ▽過去には2005年に韓国・太田で開催された大会で、初戦で北朝鮮に敗れたため、怒ったジーコ監督が第2戦の中国戦ではスタメン全員を入れ替えたこともあった。2010年に日本で開催された大会では、日本は初めて3位に沈み、当時の岡田監督は試合後の会見で犬飼会長に進退伺いを出すような発言で物議を醸したこともある。後に岡田監督自身、「あれは冗談だった」と否定したものの、取材した記者の誰もが「冗談ではなく本気だった」と感じたものだ。 ▽その他にも2013年大会の日韓戦の試合前には、韓国サポーターが「歴史を忘れた民族に未来はない」とハングル語の横断幕を掲げたり、試合開始直前には1909年に初代韓国統監だった伊藤博文元首相を暗殺してヒーローとされる安重根と、16世紀の文禄・慶長の役で豊臣軍を破った朝鮮水軍の将軍である李舜臣の巨大な肖像画を描いた幕をゴール裏に広げたりするなど、この大会は何かと因縁が多い。核とミサイル開発などの挑発を続ける北朝鮮との試合は、警備もかなり厳重になることが予想される。 ▽それはさておき、果たして海外組を押しのけてロシアW杯のメンバー入りする選手が出て来るのか。柏のスピードスター伊東や初の得点王を獲得した小林(川崎F)、ファイターの金崎(鹿島)ら前線には楽しみな選手が多い。公開された練習では昌子と植田の鹿島勢が1対1での強さを証明していただけに、韓国や中国相手にどこまでフィジカルの強さを発揮できるのか。こちらも見物と言える。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.12.07 18:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】国内組で選手層に不安を抱えるポジションとは

▽今週末はJリーグが熱い! まずJ1は、12月2日に首位の鹿島が磐田に引き分けるか負けて、2位の川崎Fが大宮に勝ったら、川崎Fの初優勝がきまる。そして15位の清水が神戸に引き分けるか敗れ、16位の甲府が仙台に勝ったら、清水のJ2降格と甲府のJ1残留が決まる。鹿島、清水とも引き分けた場合は川崎F、甲府と同勝点ながら、得失点差で後者がリードしているという痺れるようなシチュエーションだ。 ▽翌3日にはJ1昇格プレーオフで名古屋と福岡が激突する。こちらは年間勝点で名古屋が1点上回っているので、名古屋は勝てばもちろん引き分けでも昇格できる。さらに3日はJ3リーグの最終戦が行われ、首位の栃木は2位の沼津と直接対決。3位の秋田にも優勝の可能性があるものの、沼津と秋田はJ2昇格のライセンスを保持していないため、この2チームが1位と2位になったら、J2の22位・草津と21位・熊本は残留が決まる。栃木が優勝した場合のみ、草津がJ3へ降格となる状況だ。 ▽そして翌週からはE-1選手権に向けた代表キャンプがスタートする。ハリルホジッチ監督いわく「最終ストレートに入る前の最後のテスト」と語った大会のメンバーが11月29日に発表された。今回は国内組の選手で、5人が初招集となった。23人の顔ぶれを見た正直な感想は、「サイドバックがいないな」というものだった。 ▽今回招集されたサイドバックで、右SBの西(鹿島)は「攻撃面で面白い選手」、初瀬(G大阪)は「いいキックを持っていて、守備よりも攻撃で面白い選手」、左SBの車屋(川崎F)は「試合のたびに成長が感じられ、代表には左利きの選手があまりいない」、山本(鹿島)は「特徴は守備にあり、空中戦も強い」と指揮官は招集理由を述べたものの、いまひとつ説得力に欠ける。 ▽日本代表のSBは、長らく長友と酒井宏が務め、彼らのバックアッパーとして酒井高と槙野が選出されてきた。10月と11月のテストマッチでは、槙野はCB(センターバック)としても起用されるなどプレーの幅が拡がったのは歓迎すべき事態だ。しかしながら、SBの層の薄さは依然として解消されていない。 ▽それは元技術委員長の霜田氏も懸念を示していた。リオ五輪のチームに招集した右SBファン・ウェルメスケルケン際は代表レベルではないことがわかり、室屋(FC東京)に落ち着いた。左はOA枠の藤春(G大阪)が務めたように、1つ下の年代でもSBは日本のネックだった。霜田氏は「室屋あたりが代表に入ってきて欲しい」と話していたが、FC東京の不振が響いたのか、ハリルホジッチ監督からは一度も声がかかっていない。 ▽長身GKとCBの育成に加え。攻守にアップダウンできるSBの育成と発掘も日本代表の急務と言えるだろう。 ▽今回招集されたメンバーで、最終選考に残りそうなのは、GK東口(G大阪)、DF車屋、昌子(鹿島)、MF井手口(G大阪、倉田(G大阪)あたりの“常連組"で、今大会が“追試"となる清武(C大阪)、金崎(鹿島)、杉本(C大阪)は活躍次第といったところだろう。今野(G大阪)はアウェーのUAE戦での評価が高いだけに、ブラジルW杯の大久保(FC東京)のようなサプライズ選手があるかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.30 19:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラジル戦の後半とベルギー戦で指揮官が日本を褒めた理由とは

▽今週は先週に引き続き、日本代表の欧州遠征について気になったことを指摘したい。まずハリルホジッチ監督だ。これまでは、負けた試合や引き分けた試合はもちろんのこと、勝った試合であっても苦言を呈すことが多かった。 ▽ところがリールで行われたブラジル戦は、「純粋な気持ち、改善点もあるし、満足できる部分もあった。後半は1-0で、2点目、3点目のチャンスもあった。前半は残念だが、後半は満足できる部分もある試合だった」と、彼にしては珍しく褒めていた。 ▽後半のブラジルはマルセロやネイマール、ウィリアン、ジェズスといった主力を下げたため、ベストメンバーとは言い難い。それも当然で、3-0とリードしたら、W杯では次の試合に備えて体力の温存を図る。そうした“格落ち"のブラジルだからこそ、後半は日本も善戦したように見えたという報道にも、ベルギー戦の前日会見で改めて否定した。 ▽指揮官いわく、ブラジル戦の後半は「杉本、浅野の決定機もあった。それはブラジルが力を落としたからだという人もいるようだが、私は日本の後半を評価している。ブラジルの試合を何ゲームも見たが、日本のようなチャンスはアルゼンチンも作れなかった。日本を過小評価しているようだが、私には満足できるものがあった」そうだ。 ▽ここまで日本を褒めるのは、監督就任以来、初めてのことだ。そしてベルギー戦後も「ブラジルよりいい試合をした。ゲームをコントロールできたし、チャンスがありながら得点できないのは残念。いい結果を求めて戦ったので残念だった。このような結果でも、ロッカールームでは『君たちは大きなライオンを倒しそうになったのだよ』と話した」と選手を称えた。 ▽その真意はどこにあるのか。当初は、監督自身の自宅がある、いわばホームの試合で、ヒステリックな姿ではなく、寛大な姿勢を見せたかったのではないかと推測した。ブリュージュもリールからはクルマで1時間弱と、ほとんどホームと変わらない。アジアの弱小国をここまで善戦(と言えるかどうかは別にして)させたことを、アピールしたかったのかと邪推したものだ。 ▽そして、もう1つの理由もあるのではないかと考えてみた。それは、今回は選手のテストだったため、このメンバーなら「この程度が限界だろう」というものだ。今回の遠征では本田、岡崎、香川の3人はコンディションに問題があるとして招集が見送られた。これまで所属チームで出場機会を失っていながら3人を招集することに、メディアから批判の声があがっていた。 ▽それなら「彼らを外したらどんなチームになるのか、どんなサッカーができるのか」を、ハリルホジッチ監督は証明したかったのではないだろうか。3人がいれば結果が変わったとまでは言えないものの、もう少し締まった試合になったような気がする。 ▽例えば右FWの浅野は決定機を外しても笑っていたし、久保もほとんど見せ場を作れなかった。杉本も惜しいヘディングシュートがあったものの、前線で機能していたとは言い難い。もしもタメを作れる本田がいたら、あるいはガムシャラに飛び込んでいく岡崎がいたら、もう少し攻撃の形ができていたのではと思ってしまう。原口も守備では健闘したし、乾も得意のドリブル突破を披露したが、香川なら違う選択肢で攻撃の幅を広げられたのではないだろうか。 ▽キャプテンの長谷部が万全のコンディションではないため、チームリーダーとしても本田の必要性を改めて感じた欧州遠征の2試合だった。 ▽これは余談だが、元日本代表で現在はテレビ解説者を務める川勝氏は、日本の不甲斐ない戦いぶりにベルギー戦は途中で見るのを止めたという。「決定機を外しながら浅野は笑っているし、久保もミスをすると照れ笑いをしていた。杉本は試合中、髪の毛が気になるのか何度も触っていた」と憤慨する。 ▽自身が読売クラブ時代、試合前のロッカーは殺気だっていたそうだ。白い歯を見せようものなら、「カリオカ(ラモス瑠偉)や哲二さん(柱谷)に殴られた。それだけ試合に集中していた」と振り返る。そんな川勝氏にとって、試合中にヘラヘラ笑っているのは許せないのだろう。 ▽杉本はかつての教え子でもあり、「サッカーをやめてしまえ」とまで言って厳しく指導した。そんな教え子には「髪の毛が気になってプレーに集中できないなら、剃るかワックスで固めてプレーに集中しろ」と指摘する。せっかくブラジルやベルギーという列強と対戦できる機会なのに、国内で行うテストマッチと同じモチベーションで臨んでいることが許せなかったようだ。 ▽それは、もしかしたらハリルホジッチ監督も同じなのではないだろうか。怒りを通り越して呆れている。「まだまだ日本の選手は子供だな」――それが、試合後に選手を褒めた一番の理由かもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.23 14:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】収穫多い欧州遠征もベルギー戦には不満が残る

▽ハリル・ジャパンの欧州遠征はブラジルに1-3、ベルギーに0-1と2連敗に終わった。FIFA(国際サッカー連盟)ランクでW杯の組み分けでは第1ポッドの両国だけに、当然の結果とも言える。と同時に、日本の弱点が改めて浮き彫りになった、貴重な2試合だった。 ▽まずブラジル戦。過去1勝もできていない相手に今回も1-3と完敗した。開始直後にネイマールにドリブル突破からウィリアンに決定的なシュートを許したように、日本は1対1の勝負で劣勢に立たされるとボールホルダーに複数の選手がアタックに行くため、フリーの選手を作りやすい。加えて現ブラジルは自陣からのボールカットでカウンターを狙うなど、かつての“サンバのリズム”は過去のものになり、「守」から「攻」への切り替えの速さが最大の武器になっている。そのことを実感させられたブラジル戦だった。 ▽日本はもともと個人技で突破を図る南米勢や、加えてフィジカルの強さがあるアフリカ勢を苦手にしてきた。この差を埋めるのは簡単なことではない。だからこそ、ハリルホジッチ監督はデュエルを日本に求め続けているのだろう。攻守において1対1で負けないベースがあることで、勝負はチーム戦術に移行できる。その前提がまだ日本には欠けているだけに、1対1のデュエルで日本は成長する必要がある。 ▽このため、ロシアW杯で南米勢と同居したら、勝点1を獲得することが最大の目標と言ってもいい。そのためには、なりふり構わず守備に徹し、隙があれば、今回対戦したブラジルや、J1リーグでは磐田のように、カウンター狙いで行くべきだろう。 ▽そしてベルギー戦である。過去2勝2分けと相性は良かった。それというのもベルギーはチームとして攻めてくるからだ。日本がプレスを掛ければ無理して個人で突破を図らない。欧州らしいパス・サッカーではあるが、スペインほどの緻密さはなく、ドイツやオランダのような強引さもない。 ▽今回は初黒星を喫したが、「1人が3~4人も突破してくるのは予想外だった」とハリルホジッチ監督が指摘したように、ナセル・シャドリのドリブルに後手に回ってルカクに決勝点を許した。これも想定外のプレーに対する対応力の未熟さかもしれない。 ▽残念だったのは、その後の試合運びだ。W杯を想定するなら、第1ポッドのベルギーと初戦で対戦し、引き分けられればグループリーグ突破の可能性は残される。それでも今回のようなゲーム展開なら、1-1のドロー狙いでリスクを冒して攻めるのか、あるいは2戦目以降の得失点差を考えて0-1のまま傷口を広げずに試合を締めるのか。その点が明確ではないように感じられた。 ▽今回の欧州遠征はテストマッチに過ぎない。だからこそ、第1ポッドであるベルギー相手に勝つチャンスがあるなら、攻撃の姿勢をもっと強めて欲しかった。ハリルホジッチ監督は杉本、乾、久保、森岡と攻撃的なカードを切ったものの、機能したとは言い難い。交代選手は奮闘したかもしれないが、DFラインの押し上げやパワープレーなど、チームとして波状攻撃を仕掛ける意欲は感じられなかった。 ▽この点については指揮官に問題があったのかもしれない。そのことは、来週のこのコラムで指摘したい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.16 19:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ブラジル戦で秘策を使うのはまだ早い

▽日本代表は11月10日にフランスのリールでブラジル代表と対戦する。日本が初めてブラジルと対戦したのは1989年、横山ジャパンのブラジル遠征だった。当時は当然ながらテレビ中継などなく、0-1という結果が報道された程度だった。 ▽その後、日本はコンフェデ杯やW杯、テストマッチなどで10回対戦したものの、通算成績は2分け9敗と、一度も“サッカー王国”の牙城を崩せていない。唯一、公式戦での勝利は1986年アタランタ五輪のグループリーグでの勝利、いわゆる「アタランタの奇跡」の1回のみだ。 ▽その点はハリルホジッチ監督も織り込み済みで、ブラジルとベルギーの強さを認めた上で、「前回の2ゲームのようではダメで、より相手に近く、それぞれのゾーンで守備を受け持たないといけない。オフェンスでは相手の背中でフリーになること。ボールのあるなしにかかわらず、しっかりスプリントすること。1人でスペースを作り、使うこともあれば、誰かがスペースを作り使用する。しっかり阿吽の呼吸でやらないといけない」とブラジル戦でのテーマを語っていた。 ▽もしも来年のロシアW杯で日本がブラジルと同じグループになったら、参考になるのが昨夏のリオ五輪でのコロンビアの戦い方だ。日本はコロンビアとグループリーグで戦い、2-2のドローに終わった。グループBの首位は初戦で日本を5-4で破ったナイジェリア。コロンビアに2位で決勝トーナメントに進出し、準々決勝で地元ブラジルと対戦した。 ▽コロンビアにはハイメ・ロドリゲスという好選手がいたものの、彼らがブラジル戦で採用したのは8人で守備を固め、前線の中央と左に2人の選手を残すという徹底した堅守速攻だった。そしてブラジルの選手がボールを持ったら、ひたすら肉弾戦を挑んだ。それは、もはやサッカーと言えるプレーではなかった。 ▽そしてクリアは左サイドのハーフライン付近にいる味方FWに蹴り、あとは2人のコンビによるドリブル突破でブラジル・ゴールに迫るという、「運を天に任せる」ような場当たり的な攻撃だった。 ▽しかし、コロンビアは知っていたのだろう。ブラジルを倒すにはこれしか方法がないことを。それでも0-2で敗れた。そして状況は日本も同じだろう。ミラクルを起こすには何かを犠牲にしなければならない ▽ただし、それは11日のブラジル戦ではない。最後の手は来年のW杯に残しておいた方がいい。11日の試合では、攻守において日本のデュエルがどこまで通じるかを試すべきだし、直近の2試合(14年の親善試合と13年のコンフェデ杯)では、ほんの一瞬の隙、マークの甘さ、ゴール前での寄せの甘さを突かれて失点しているだけに、集中力が90分間続くか、駆け引きで後手を踏まないかがブラジル戦では試される。 8日の練習後、井手口は「個人の能力も凄いですけど、組織的なサッカーもしてくるので、こっちも組織で守れるようにしたい」と抱負を語れば、原口は「攻守にパーフェクトな試合をしないといけない。90分間、苦しみますからね。でも、苦しまないと勝ちにつながらない」と決意を口にした。 ▽“ブラジル”という名前に臆することなく、ネイマールやジェズス、ウィリアンらに果敢に挑んで欲しい。現時点で失うものは何もないし、得るものの方が大きいことを選手らも理解しているだけに、11日の試合が楽しみだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.09 18:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】日本代表ユニフォームのエンブレムと日の丸変遷史

▽日本サッカー協会(JFA)は11月1日、JFブランドの再構築のため、ビジュアル・アイデンティティーを刷新した。具体的には、2016年3月にデザインを刷新したJFAのロゴとシンボルに続き、日本代表のエンブレムとロゴ、審判ワッペンなども刷新。そしてサッカー、フットサル、ビーチサッカー、アンダーカテゴリーの大会なども統一されたロゴと大会名を採用した。 ▽さらに全国9地域と47都道府県の協会のマークとシンボルである八咫烏(やたがらす)も統一された。例外は天皇杯と皇后杯、高円宮杯の3大会で、こちらは「浸透度が高い」(岩上事務総長)ということで、従来のデザインを継続して使用する。 ▽会見にはゲストとして、日本代表とフットサル、ビーチサッカーと3つの代表ユニフォームを着たラモス瑠偉さんや、アジア人初のFIFA最優秀選手賞に選ばれた澤穂希さんも登壇。ラモスさんは日本国籍を取得して日本代表になると、ユニフォームに日の丸を入れるよう都並敏史さんらと提案。その結果、胸にはエンブレム、左袖に日の丸が入るようになった。 ▽ラモスさんは当時を振り返りつつ、日本代表のユニフォームについて「このユニフォームは誰でも着られるわけではない。日本代表をワールドカップに連れて行けなかったのは残念。ワールドカップでベスト4という岡田さんの約束を実現したい。私のできなかったことをやって欲しい。いつかワールドカップで優勝、少なくともベスト4を目指し、誇りと自覚を持って欲しい」と思いを熱く語った。 ▽この日本代表のユニフォームだが、『日本サッカー75年史』で振り返ると、1953年の西ドイツ(当時は東西ドイツに分かれていた)遠征の写真でも左胸に日の丸が着いている。その後の1964年の東京五輪、1968年のメキシコ五輪でもサイズの変更はあっても左胸には日の丸が着いていた。 ▽それがJFAのエンブレム(八咫烏)に変わったのが、1988年に監督に就任した横山謙三氏の時代だった。ユニフォームの色も、それまでは白か青が基調だったのを、横山監督は世界各国が国旗のカラーをユニフォームに採用していることから、日の丸の『赤』か『白』を採り入れ、ユニフォームだけでなくパンツやストッキングも赤か白で統一した。 ▽これは余談だが、赤のユニフォームは長続きしなかった。というのも、アンダーカテゴリーの大会で、アウェーで韓国と対戦したとき、日本はオール赤、韓国は第2ユニフォームの青を着用した。そしてこの試合を視察したJFA幹部が、「日本も強くなったね。一方的に攻め立てている」と感想を漏らしたそうだ。 ▽そこで代表スタッフが小声で、「攻めている青が韓国で、押されている赤が日本です」と訂正した。これ以来、日本は再び『青』を基調にしたユニフォームを着用するようになった。 ▽話をエンブレムに戻すと、オフト・ジャパンで臨んだ1992年のアジアカップから、選手の意見を採り入れ、左胸にはエンブレム、左袖に日の丸を着け、見事初優勝を飾った。このスタイルは続くファルカン・ジャパン、加茂ジャパンでも踏襲されたが、1996年のアトランタ五輪では日の丸が右袖に移っている。 ▽それは98年のフランスW杯や00年のアジアカップ、02年の日韓W杯でも変わらない。ところが06年のドイツW杯では再び左胸のエンブレムだけとなり、日の丸は消えてしまう。どのような事情があったのか、その経緯と推移は分からないが、10年の南アW杯では現行のような左胸にエンブレムで、その上に日の丸というスタイルに落ち着いた。 ▽新ユニフォームのお披露目は11月6日に行われる予定で、10日のブラジル戦が新ユニフォームのデビュー戦となる。どんな『青色』を採用するのかも楽しみだが、個人的には同じ『青』を基調にするフランスのような、“お洒落な"ユニフォームにして欲しいと願わずにはいられない。※画像は旧エンブレムです 【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.11.02 12:30 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】クラブライセンス制度により選手を放出しなければならない理由とは

▽今シーズンの開幕前、GK林彰洋、MF高萩洋次郎、FW大久保嘉人と永井謙佑ら大型補強を敢行し、シーズン序盤には昨シーズンの得点王ピーター・ウタカまで獲得したFC東京は優勝争いのダークホースと見られていた。しかし、大幅に入れ替わった攻撃陣はなかなか機能せず、得点力不足に泣かされた。 ▽加えて守備の中心選手である森重真人が7月2日のC大阪戦で全治6ヶ月の重傷を負いチームを離脱。フロントは急きょ韓国代表のキャプテンである張賢秀(チャン・ヒョンス)を補強した。しかし8月から9月にかけてのリーグ戦とルヴァン杯で5連敗を喫すると、クラブは篠田善之監督の退任を決断。後任監督にはコーチの安間貴義氏が昇格し、残り9試合で暫定的に指揮を執ることになった。 ▽2015年にコーチに就任して2年目で、「まさか自分が監督を任されるとは思ってもいなかった」と驚く安間監督。監督のオファーに「イエスと言うほかなかった」と選択肢がなかったことを明かした。安間監督は過去に甲府や富山といったJ2チームで監督を務めた経験がある。しかし、「元日本代表や韓国代表らそうそうたるメンバーがいる」ことで、練習初日で「私のアイデアが認められなければ選手にはそっぽを向かれてしまう」と危機感を抱いた。 ▽幸いにも「一日目でうまくいった」ことで、監督としての初戦である9月16日の仙台戦は1-0の勝利を収めて連敗をストップした。 ▽安間監督といえば、甲府や富山時代は攻撃的なパスサッカーで評価を高めた指導者だ。チリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に触発されて攻撃的な3-3-3-1を採用するなど、その指導は「安間塾」と言われ、FC東京でも全体練習後は若手を集めて密集地帯でのパス&ムーブに加え、広いエリアで強いパスでDFを剥がす指導を続けていた。 ▽FC東京の監督に就任してまず取り組んだのは、「相手にリードを許しても諦めずに最後まで戦うこと」と、年齢や過去の実績にとらわれず「競争意識を植え付ける」ことだった。それは2010年から2014年まで、5シーズンに渡って指揮した富山時代と変わらない姿勢でもある。 ▽そのことを指摘すると、意外な答えが返ってきた。富山時代は「選手がいなくなるので、やりくりに苦労しました。その点、FC東京はその心配がないのでまだ助かります」と言うのだ。 ▽それというもの、例えば東京Vで出番がなく2014年にFC東京へ移籍したFW中島翔哉をレンタルで獲得したものの、富山での活躍からシーズン中にレンタルバックを余儀なくされた。同じくFC東京から同年6月に加わったMFソ・ヨンドクは7月に蔚山現代へ移籍し、GK廣永遼太郎はシーズン後に広島へ完全移籍した。 ▽FC東京の3選手をレンタルできたのは、FC東京の立石敬之GMがS級ライセンス受講の同期生だったからだが、シーズン中の移籍はチームにとって痛手だったことは間違いない。彼ら以外にも、MF白崎凌平(中学時代までFC東京U-15から山梨学院大学付属高時代は高校選手権で活躍)は2014年シーズン後、レンタル終了で清水に戻り、中国人選手初となるゴールを決めたDF高准翼は福岡に移籍した。 ▽シーズン中やシーズン後に主力選手を放出しなければならなかった富山。その原因は2012年から導入されたクラブライセンス制度にあった。 ▽「3シーズン連続して赤字ですと、クラブライセンスを剥奪されます。クラブを存続させるためには、主力選手を放出しなければならなかった」と安間監督。その結果、富山は2014年にJ3降格が決まり、安間監督も退任を余儀なくされた。そして富山はJ3で3シーズン目を迎え、現在4位でJ2再昇格を狙える位置にいる。 ▽例年、この時期は来季に向けて契約更改の始まるタイミングでもある。海外移籍や優勝を狙えるクラブへの移籍、さらには好条件のクラブを視野に入れて交渉に臨む選手もいるし、代理人の思惑も絡む契約交渉でもある。そうした中で、ライセンスを確保するため戦力ダウンを覚悟の上で主力選手を放出しなければならないクラブもあることを安間監督は教えてくれた。 ▽地域により、あるいは母体企業の有無により温度差があるかもしれないが、これもJリーグの抱えている実態だろう。チームが主力選手を放出しなければならない理由は様々だということを知った。とりわけ体力のないクラブにとっては切実な問題だろう。だからこそ、J2 やJ3 で奮闘しているクラブにはエールを送りたい。彼らが支えるからこそJ1の反映もあると思うからだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.27 07:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ACL準決勝第2戦は今季ベストゲーム。決勝の相手は日本と因縁深いアル・ヒラル

▽視察したハリルホジッチ監督が「スーパーな試合」と驚いた昨夜のACL準決勝第2戦、浦和対上海上港の試合は、間違いなく今シーズンのベストマッチだった。堀監督に代わり、システムも4-1-4-1に変更した浦和。しかしリーグ戦では7試合連続失点中と、お世辞にも結果が出ているとは言い切れない。 ▽しかしながらACLになると、ホームではグループリーグから6試合全勝と圧倒的な強さを発揮してきた。しかも1次リーグでFCソウルに5-2、ウエスタン・シドニーに6-1と大勝すると、決勝トーナメント1回戦の済州戦ではアウェーを0-2で落としながら、ホームは延長戦で3-0と逆転勝ち。さらに川崎Fとの準々決勝も第1戦は1-3と敗れながら、ホームでは4-1とひっくり返す離れ業をやってのけた。 ▽準決勝の上海戦は、アウェーで1-1のドロー。上海はご存じのようにフッキ、オスカル、エウケソンと元ブラジル代表を前線に揃え、破壊力はアジアでも1、2位を争う強敵だ。その反面、自国選手で固めた守備陣に脆さがある。このため第2戦は、浦和が守備を固めて0-0のドロー狙いに行くか、激しい打ち合いを演じるのではないかと予想した。 ▽しかし浦和は自陣に引いて守備を固めるのではなく、前線からのプレスとミドルサードでの複数選手による囲い込みなど、インテンシティの高いサッカー、ハリルホジッチ監督の言う「デュエル」で上海に勝負を挑んだ。決勝点は柏木のCKからラファエル・シルバが頭で押し込んだものだが、このシーン以外にも槙野のヘッドがクロスバーを直撃するなど、カウンターから上海ゴールを脅かし、決定機の数でも上海を上回った。 ▽上海の決定機はフッキのミドルによる一撃くらい。これはGK西川が好反応を見せ、直後のこぼれ球にも身体を張ってゴールを死守した。決勝戦の相手はサウジアラビアの名門アル・ヒラル。13度のリーグ優勝を果たしているが、ACL(01―02年まではアジアクラブ選手権)では何かと日本勢と縁が深いクラブだ。 ▽日本勢が初めてアジアの頂点に立ったのは、古河(現ジェフ千葉)が天皇杯を棄権して参加した1986年のことだった。大会はリーグ戦で行われ、準優勝がアル・ヒラルだった。そして翌1987年、読売クラブ(現東京V)が日本勢として連覇を果たしたが、決勝戦を棄権して準優勝に終わったのもアル・ヒラルだった。決勝はホーム&アウェーで行われる予定だったが、サウジアラビアの大学の試験と日程が重なるため、第1戦を前にアル・ヒラルは棄権した。 ▽そんな彼らが2度目のアジア王者に輝いたのが99―00年のこと。前年のアジア王者である磐田をホームに迎え、ゴールデンゴールから3-2で磐田の連覇を阻んだ。ACLになってからは、14年に決勝まで進んだものの、アウェーの第1戦はウエスタン・シドニーの1チャンスに失点して0-1と敗退。ホームでは怒濤の猛攻を見せたもののゴールをこじ開けられず0-0で準優勝に甘んじた。ACL最大の番狂わせでもあった。 ▽アル・ヒラルとの決勝戦は第1戦が11月18日、第2戦が1週間後の25日となっていて、浦和は初戦がアウェーで、第2戦をホームで戦える。ミラクル・レッズの再現なるか。決勝戦は昨夜の4万4千357人ではなく、満員にして選手をサポーターしたいものだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.20 09:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】U-17W杯で日本はフランスに完敗。見たい試合を探す苦労を痛感

▽個人的な感想ではあるが、これだけ日本のサッカーはあらゆるカテゴリーで活躍しているのだから、W杯という世界大会は公共放送であるNHKに、BSでもいいからライブ中継して欲しいということだ。 ▽今シーズンからダ・ゾーンに加入し、ルヴァン杯などを視聴するためスカパー! とも契約した。さらにACLを見るには日テレとの契約視聴が必要だ。そして昨日のインドで開催中のU-17W杯は、フジテレビのオンデマンドと契約しないと見られない。これほどストレスのかかる環境は、利用者にとって負担になるのではないだろうか。 ▽こうしたジレンマを解消すべく、U-17W杯の日本対フランス戦は、仕事仲間がネットで調べ、ライブ中継しているサッカー居酒屋を探し出し、昨夜は西武池袋線の中村橋にあるお店で同業者や旧知のサッカー解説者である川勝良一氏や代理人のI氏らとともに観戦した。いつもは現場にいることが多いものの、こうしてテレビ観戦すると、今回と同じ環境にありながら、現地に赴き、あるいはスポーツバーで声援を送るファン・サポーターの熱意を改めて感じる貴重な経験をできた。 ▽ただ、試合は日本の完敗だった。期待の久保建英は相手のハードマークに持ち味を消され、平川怜もゲームを作ることができなかった。給水時間があったため、かなり高温多湿の劣悪な試合環境だったことは推測される。 ▽フランスとは2015年の国際大会で勝っていたものの、今回は体のぶつけ合い、ハリルホジッチ監督の言うデュエルで圧倒された。「これほどまで体をぶつけてくるのか」という激しさ。元々、身体能力で凌駕しているフランスが本気で挑んで来る。それだけ日本のスキルを消すにはデュエルで勝負するのが効果的と判断したのだろう。 ▽それは今回のU-17W杯だけでなく、なでしこジャパンが現在は劣勢を余儀なくされていることにもつながる。日本のスキルを消すにはフィジカルで勝負する――だからこそハリルホジッチ監督はデュエルや体脂肪率にこだわるのだろう。 ▽話をフランス戦に戻すと、欧州選手権の得点王であるグイリに2ゴールを奪われた。左サイドからの突破を得意にして、日本は開始直後から何度も決定機を作られた。一瞬にしてトップスピードにギアアップする瞬間的な速さに、日本のDF陣は対応できなかった。シュートの技術もアイデアが抱負で、決まらなかったもののアウトサイドで狙ったり、右足インフロントで巻くようなシュートで右上スミを狙ったりするなど、17歳以下とは思えないクレバーな選手だった。恐らく次代のフランス代表を担う逸材だろう。 ▽対する日本は、最終戦がニューカレドニアということもあり、グループ2位通過はほぼ確定だろう。山場となる決勝トーナメントの相手は、現在のところフランスと並んで優勝候補のイングランドが有力だ。そして、ここを突破できれば一気にファイナリスト進出も見えてくる。そのためにも、久保の強気のプレーに期待したい。 ▽それにしても、NHKが中継しないのは残念でならない。 【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.12 17:16 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】注目度の低いルヴァン杯。優勝チームにはACLの出場権を

▽昨日はルヴァン杯準決勝第1戦の2試合が行われ、仙台は川崎Fに3-2と先勝し、C大阪とG大阪は2-2で引き分けた。第2戦は3日後の8日に行われる。 ▽ところで、昨日準決勝が開催されたことを、Jリーグ関係者と両チームのファン・サポーターや関係者以外、どれだけ知っていただろうか。日本代表がキャンプ中で、U―17日本代表もインドでのW杯を控えているとはいえ、事前の告知もほとんどなく注目度も低い。それが決勝戦以外は盛り上がりに欠けるルヴァン杯とはいえ、寂しい限りだ。 ▽それでもC大阪対G大阪戦には21,800人、仙台対川崎F戦には8,382人の観衆が詰めかけたのだからさすがと言える。G大阪以外は初タイトルだけに、ファン・サポーターの期待の表れだろう。 ▽さて、これは今年に限った話ではなく、ルヴァン杯をグループリーグからいかに盛り上げるかは数年来の課題でもあった。リーグ戦により試合数を増やすことで入場料収入を確保したいという狙いは分かるが、照明設備を含めたスタジアムの使用料、警備員やアルバイトの確保、警察や救急車の手配など、それこそクラブスタッフは1日がかりの大イベントである。こうした諸々の経費を入場料収入から差し引いて黒字になっているのか、はなはだ疑問だ。 ▽だからこそ、J2にも門戸を開くことは躊躇われるのだろう。来シーズンからは、ACL出場の4(3)チームを引いたJ1の14チームに、前年のJ1リーグを16位と17位で終え降格した、J2の2チームを加えた16チームを4チームずつ4ブロックに分けて、ホーム&アウェーの予選リーグを行う。これなら今年のような7チームのリーグ戦(1回戦)で、ホーム開催かアウェー開催かで不公平感が出ることはなくなるだろう。 ▽とはいえ、リーグ戦で下位に低迷するチームはルヴァン杯で主力を温存せざるを得ないケースは避けられないだろう。まして来年はロシアW杯があり、Jリーグは2月17日に開幕と早められるものの、今年以上の過密日程は避けられない。 ▽大会のスリム化を図るなら、J1の14チームないしJ2の2チームを加えた16チームによるトーナメント戦しかないだろう。ACL出場の4チームは準決勝から加え、改めて抽選でドローを決め、準々決勝を2回行うというパターンだ。 ▽そして大会の価値を上げるのであれば、優勝チームはスルガ銀行チャンピオンシップという“借りてきたような“大会ではなく、ACLの出場権を与えるべきである。幸い近年の天皇杯はJ1クラブが優勝しているものの、ACLで優勝を狙うならJ1リーグの2チームとルヴァン杯優勝1チーム、そしてリーグ戦3位のチームがプレーオフ進出という現行の方式だ。スルガ銀行は天皇杯を特別協賛しているのだから、天皇杯優勝チームこそがスルガ銀行チャンピオンシップに出場するのがふさわしいのではないかと思うが、いかがだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.10.05 16:45 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】10月の代表メンバー発表は少しのサプライズ。国内組のサバイバルのスタート

▽来月6日のニュージーランド戦(豊田スタジアム)と10日のハイチ戦(日産スタジアム)の2試合に臨む日本代表のメンバーが発表された。ほぼ予想通りで、サプライズがあるとすれば左SBに車屋(川崎F)が初招集されたことと、ボランチに遠藤航(浦和)が復帰したことだろうか。 ▽わざわざ時差のある日本に、これまで実績があり、現在好調な岡崎(レスター)と、ケガをした長谷部(フランクフルト)、そして新天地を求めながら負傷し、なおかつ大地震に見舞われてコンディションに不安を抱える本田(パチューカ)を呼ばなかったのは当然だろう。 ▽現在の日本代表で選手層が薄いのはCBと両SBだ。森重(FC東京)は負傷で長期離脱し、丸山(FC東京)もチームの不振によりプレーに精彩を欠いている。やっと彼らの代わりに吉田(サウサンプトン)の相棒として昌子(鹿島)が台頭してきた。そのバックアッパーとして植田(鹿島)と三浦(G大阪)が呼ばれてきたが、今回の招集で植田が一歩リードしたかもしれない。 ▽そして車屋である。長友(インテル)の控えとして酒井高(ハンブルガーSV)がいるものの、ハリルホジッチ監督の求める純粋なレフティーではない。長友の後継者探しは急務であり、問題はそれを「誰にするか」だった。 ▽今回は車屋に白羽の矢が立ったが、練習でアピールして「チャンスをつかんで欲しい」というハリルホジッチ監督の期待に応えられるかどうか。まだスタートラインに立ったに過ぎないため、プレーはもちろんのこと、コミュニケーション能力や連日のミーティングに適応できるかどうかが注目される。 ▽遠藤航について指揮官は「ボランチにパワーをつけてもらいたいので遠藤を入れた」と説明した。彼は湘南時代から将来を嘱望された選手だ。しかし、浦和に移籍してからは、ボランチでもCBでも、運動量とスプリント回数の少なさが気になっていた。これは遠藤航個人の責任ではなく、ボールポゼッションで相手を凌駕する浦和のプレースタイルにも原因がある。 ▽個人的に、遠藤航の将来を考えるなら、阿部のポジションで起用し、同じ役割を担わせて欲しいと思っていた。果たしてハリルホジッチ監督の下で、「パワー」を発揮できるのかどうか、こちらも見物である。 ▽日本代表のテストマッチは10月に国内で行う2試合と11月に海外で行う2試合、そして12月に国内組で臨むEAFF E-1サッカー選手権(どうも馴染みがない。東アジア杯でいいのではないだろうか)、そして来年3月の国際マッチデーとなっている(もちろんW杯直前にも試合はあるはず)。 ▽そこから逆算して推測すると、11月上旬の海外遠征は、Jリーグは佳境を迎えるだけに国内組よりも海外組を優先することが濃厚だろう。今回はケガで招集を見送った柴崎(ヘタフェ)を筆頭に、森岡(メフェレン)や中島(ポルティモネンセ)らがコンスタントに活躍していれば招集される可能性もある。 ▽それだけに、10月の試合は国内組の攻撃陣にとって、アピールの重要性は増してくる。その筆頭が杉本(C大阪)ということになるだろう。大迫のバックアッパーとして存在感を残せるか。例えゴールという結果を出せなくても、国内組の最終選考の場となる12月の東アジア杯で再び「もう一度見たい」と指揮官に再招集を思わせるプレーをできるのか。 ▽攻撃陣は「狭き門」であるだけに、今回招集された武藤(マインツ)も含め、出番が与えられたらニュージーランドやハイチ相手にどんなプレーをするのか楽しみでもある。 ▽最後に、スポーツ紙の報道によると、2020年の東京五輪の監督は元広島の森保一氏でほぼ決まりだそうだ。早ければ10月の理事会で承認されるという。もしもそれが事実なら、すぐにでも日本代表のコーチ兼任にして、12月の東アジア杯のキャンプはA代表と五輪候補であるU-20日本代表の合同で実施してはいかがだろうか。 ▽東アジア杯をU-20日本代表で臨むことはハリルホジッチ監督も拒絶するだろう。その代わり、キャンプを合同で実施することで、小野や稲本が早い段階でA代表に引き上げられたような“トルシエ効果”も見込めるかもしれない。JFA(日本サッカー協会)には一考して欲しいプランだし、取材する記者はもちろん、ファンもワクワクする合宿になるはずだ。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.29 12:00 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】退場者を間違える誤審に改めて主審の苦労を痛感

▽今年から開催されているレフェリーブリーフィングの第5回目が9月21日に開催された。今回は冒頭に小川審判委員長から、この会を催す趣旨が改めて紹介された。それは次の3点である。 1)クラブと審判アセッサー間で意見交換。 2)クラブによるレフェリングに関するフィードバック。 3)メディア関係者へのレフェリング説明会 ▽と、いうものだ。なぜ改めて趣旨を説明したかというと、メディア関係者に、表現について配慮を求めるためだった。覚えている読者もいるかもしれないが、8月16日のJ2リーグ第28節の町田対名古屋戦で、PR(プロフェッショナルレフェリー)の家本政明主審が誤審をした。 ▽試合終了間際の89分、名古屋の青木がこぼれ球を拾いゴールへ突進し、GKと1対1になりかけた。すると町田DF深津と奥山が両側から挟むように体を寄せ、深津が足を引っ掛けて青木を倒した。走り寄った家本主審は即座にレッドカードを取り出しが、彼がカードを突きつけたのはプレーに関与していないMF平戸だった。 ▽審判委員会のヒアリングによると、家本主審は「誰がやったのか」と聞いたところ、町田の選手からは、「それは主審が決めて下さい」という返事だったそうだ。試合後、キャプテンでもある深津は「自分がやった」と告白したが、すでに試合は成立している。 ▽小川審判委員長は、「犯人捜しはしない」と審判委員会の基本的立場を述べつつ、メディアに要請したのは、「誤審」という表記についてだった。誤審であることは認めるものの、家本主審の子供が学校で嫌がらせを受け、泣きながら帰宅したことを明かした上で、メディアに配慮を求めたのだった。 ▽過去には08年4月6日のJ2第6節、甲府対C大阪戦で56分に西村雄一主審からレッドカードを提示されたDF池端が退場となったが、後日行われた規律委員会で“人違い”であったと判断され、本来退場処分を受けるべきだったGK桜井に退場処分が付け替えられたことがある。 ▽Jリーグではそれに続く2度目の誤審で、今後はルヴァン杯のように追加副審を置くか、VAR(ビデオアシスタントレフェリー)を導入しないと対応は難しいと審判4人制の限界を話していた。 ▽2日後の規律委員会では「警告、退場、出場停止処分」の懲罰の運用上、平戸には「退場処分及び出場停止処分を科さないこととする」とし、「本来退場処分を受けるべきであった深津選手に退場処分を付け替え、1試合の出場停止処分を科す」と訂正。ただし、サッカー競技規則第5条で主審の決定「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」ことから公式記録は変更されず、平戸の退場処分は残ったままだ。 ▽この試合で返す返すも残念なのは、深津が素直に自分の非を認めていれば、違った意味で注目を集めたかもしれないということだ。そして、この件を聞きながら、JSL(日本サッカーリーグ)時代のあるエピソードを思い出した。 ▽古河(現ジェフ千葉)のある選手が、特定の主審からよくイエローカードをもらった。自分では反則ではないと思っても警告されてしまう。あまりにも厳しいジャッジに、意を決し主審に理由を聞いてみた。すると主審は「背番号●はダーティーなプレーヤーだから気をつけろと先輩から聞いている」と答えたそうだ。 ▽確かに自分の背番号ではある。そこで念のために選手の名前を聞いたところ、それは自分の前に同じ背番号でプレーしていた先輩で、すでに引退していた。そのことを主審に伝えたところ、以後はイエローカードもめっきり減ったという。 ▽これは先入観の悪しき例で、今日のブリーフィングでも小川審判委員長は「先入観を持って笛を吹くことはない」と強調していた。ただ、先入観と予備知識の違いはどこにあるのかを判断するのは難しいところではないだろうか。 ▽かつてJリーグの審判技術向上のため招かれたレスリー・モットラム主審は、離日の際の会見で、「Aというチームは主審が背中を向けていたり、ボールがないところでの反則が巧妙なので気を遣った」と述懐していた。それがAというチームの伝統であり強さかもしれないが、今回の件も含め、改めて主審は「労多くして功少なし」と実感せずにはいられなかった。 2017.09.21 21:00 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】殿堂掲額式典で小倉最高顧問が明かしたジョホールバル秘話

▽毎年9月10日はJFA(日本サッカー協会)の創立記念日だ。今年で96周年となったが、同日は日本サッカー殿堂掲額式典の行われる日でもある。第14回となる今年は、特別選考としてJSL(日本サッカーリーグ)で日産自動車に数々のタイトルをもたらして黄金時代を築き、Jリーグでは横浜フリューゲルスで天皇杯を制し、その後は日本代表の監督を務めた加茂周氏が選出された。加茂さんについては、また別の機会でエピソードを紹介したいと思う。 ▽そしてもう一人はカメラマンの今井恭司氏である。サッカーカメラマンの草分け的存在で、70年代から日本代表や日本ユース代表の試合を取材にアジアはもちろん、ヨーロッパまで足を伸ばして貴重な写真の数々をサッカーマガジン誌に発表してきた。 ▽懐かしいVTRを交えての掲額式典は1時間ほどで終わり、その後はラウンジに移動しての歓談となった。今井さんとは、日本代表の取材に行くと、シュート練習の際はゴール裏で球拾いをした思い出話に花が咲いた。当時の代表チームは監督とコーチ、マッサーと協会事務員に、スポーツメーカーから派遣された5人くらいしかスタッフはいなかったからだ。 ▽いまと比べると隔世の感があるが、当時の方が選手との距離も近かったのは言うまでもない。そんな昔話で当時を振り返っていると、自然にロシアW杯杯アジア最終予選のオーストラリア戦の話しになった。すると小倉純二JFA最高顧問が、97年のフランスW杯アジア最終予選での隠れたエピソードを教えてくれた。 ▽当時を知らない読者がいるかもしれないので簡単に紹介しよう。W杯予選は5カ国2グループに分かれ、ホーム・アンド・アウェーのリーグ戦で、各組1位がストレートイン。2位同士が第3代表決定戦に回り、勝てば本大会に出場し、敗れたチームはオーストラリアとのプレーオフに最後のチャンスを賭けることになる。 ▽B組の日本は残り2試合で3位だったが、11月1日のアウェー韓国戦に勝ち、勝点を10に伸ばした。そして翌日、2位のUAEがウズベキスタンと0-0のドローに終わったため、勝点は9にとどまる。この結果、日本は再び2位に浮上し、地力での出場権獲得の可能性が復活した。 ▽このため、FIFA(国際サッカー連盟)は、JFAに対して、「第3代表決定戦の希望地はどこか」と聞いてきたそうだ。そこで小倉専務理事(当時)は、「中東(A組はサウジとイランに可能性があった)と極東にとって中間距離のマレーシアでの開催を希望する」と答えた。 ▽そしてすぐさまマレーシア協会に連絡を取り、スタジアムの確保を依頼したところ、第3代表決定戦の行われる11月16日は「カップ戦のため、クアラルンプールのスタジアムはどこも予定が入って満杯だ。すでに負けているジョホールバルなら空いている」との返事だった。小倉専務理事にとって「初めて聞いた都市名で、どこにあるのかも知らなかった」ものの、二つ返事でジョホールバルを押さえてもらうよう依頼した。 ▽一方のA組は、1試合を残しイランが勝点12の1位、サウジが同11で続いていた。サウジが第3代表決定戦で希望したのは、自国と橋でつながっている隣国のバーレーンだった。ところがイランは、同じ中東に位置しながら、アラブ圏ではない。他の国々がアラビア語なのに対し、ペルシャ語と独自の言語と文化を持っている。宗教も、同じイスラム教でもサウジはスンニ派が多数を占め、イランはシーア派とこちらも相違がある。 ▽そうした事情から、イランはバーレーンでの開催に難色を示し、マレーシア開催を支持した。もしかしたら1位抜けする予定だったかもしれないし、第3代表決定戦に回っても日本なら勝てると思ったのかもしれない。 ▽11月7日、FIFAは第3代表決定戦をマレーシアで開催することを決定。その翌日、日本はホームでカザフスタンに5-1で大勝し、ジョホールバル行きを決めた。そしてA組では、11月7日にイランがカタールに0-2で敗れ、勝点は12でストップ。5日後の試合でサウジがカタールに1-0で勝ったため、勝点を14に伸ばしてフランス行きを決めた。 ▽決戦の地であるジョホールバルは、首都クアラルンプールから331キロ離れ、クルマで移動すると3時間28分かかる。むしろシンガポールからは23・3キロで、国境越えがあるとはいえクルマで42分と近距離だ。「それを知らずにイランはクアラルンプール経由で移動したので、その点も日本にとってアドバンテージになったかもしれない」と小倉最高顧問。 ▽岡野のVゴールで日本はW杯初出場を果たした。そしてオーストラリアとのプレーオフに回ったイランも78年以来となる2度目のW杯出場を決めたのだった。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.14 16:20 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】ハリルジャパンのストロングポイントは格上チームとの対戦で発揮

▽ロシアW杯アジア最終予選、日本は敵地ジェッダでサウジアラビアに0-1で敗れて全日程を終えた。高温多湿な環境と、すでに予選突破を決めていたこと、大迫を外して岡崎や本田などコンディションに不安を抱えていた選手を起用したことなど、敗因は様々だろう。 ▽この結果、サウジは同勝点ながら得失点差でオーストラリアを上回り、W杯出場を決めた。そして3位となったオーストラリアは、グループAで得失点差からウズベキスタンをかわしたシリアとのプレーオフに回ることになった。 ▽サウジは06年ドイツ大会以来のW杯出場だが、06年のオーストラリアはオセアニア枠での出場で、その後オーストラリアがアジア枠に入ったことで、サウジは日韓とオーストラリアに弾き出される形でW杯の出場権を逃してきた。彼らにしてみれば、やっとリベンジを果たせたというところだろう。 ▽さて日本である。サウジ戦は警戒していたジョーカーのF・ムワラドに決勝点を奪われた。彼のスピードについていけないなど、敗因は前述したように多々あるだろう。前半の昌子のヘッドや山口のミドルが決まっていれば、違った結果になったかもしれない。そこから見えてくるハリルホジッチ監督のサッカーの弱点が気になるところだ。 ▽今回のアジア最終予選でベストマッチはアウェイのUAE戦とホームのオーストラリア戦だと思う。前者は、UAEのストロングポイントであるオマル・アブドゥルラフマンを原口、今野、長友とフィジカルの強い左サイドのトライアングルで封じた。試合途中からオマルは窮屈な右サイドから左サイドにプレーエリアを変えたものの、そこでも酒井宏と久保が攻撃参加することでオマルの攻撃力を半減した。 ▽オーストラリア戦ではパスサッカーに対し、山口と井手口という守備能力に長けた2人を高い位置に置くことでオーストラリアのWボランチに圧力をかけつつ、3バックのサイドのスペースを浅野と乾のスピードと個人技で崩しにかかった。 ▽対戦相手のストロングポイントやウィークポイントが明白な時に、ハリルホジッチ監督は明快な戦略でそれらを攻めて結果を出した。しかしながら、アウェイのサウジ戦やイラク戦など、体力的なハンデもあるが、攻守にこれといった特徴のないチームには苦戦を強いられた。例外は、明らかに格下のタイ戦くらいだろう。 ▽このことからも、ハリルホジッチ監督の真骨頂は「ジャイアントキリング」にあることは疑う余地がないし、彼を招ヘいした前技術委員長の霜田氏の狙い通りと言える。その一方で、チーム戦術ではなく個人技で攻めてくる同等の相手には苦戦を強いられたのも事実である。 ▽ロシアW杯では日本より格上のチームとの対戦が予想されるだけに、こうした不安は杞憂に終わるだろうが、過去対戦で苦手とする南米勢やアフリカ勢との苦手意識をどう払拭するか。10月の親善試合はニュージーランドとハイチが相手とあって、日本の現在地を確認できる相手とは思えない。11月に予定されている海外遠征が、ハリルジャパンの最終章の始まりと言えるのかもしれない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.07 16:42 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】W杯予選で脅威を感じたポゼッションサッカーの未来

▽日本代表が昨夜、オーストラリアからW杯予選で初勝利を奪い、6大会連続のW杯出場を決めた。埼玉スタジアムで試合を取材していたため、渋谷のスクランブル交差点などでサポーターが喜びを爆発させたのを深夜のテレビや今朝の新聞で知り、改めて“日本代表(サッカーではなく)”の影響力の大きさを知った。 ▽試合はハリルホジッチ監督のプラン通り、俊足の浅野を起用して3BKの左サイドを狙った攻撃と、オーストラリアのポゼッションサッカーによるビルドアップを封じるため井手口と山口の起用がズバリ的中。浅野と井手口というリオ五輪代表だった若い2のゴールでオーストラリアを撃破した。 ▽オーストラリアは昨年10月の対戦時も、ポステゴグルー監督はハイクロスによる攻撃からポゼッションサッカーにスタイルを変えていることを強調した。そのためハリルホジッチ監督はリトリートしてパスコースを消しつつ、インターセプトからのカウンターを狙い、原口が先制点を奪った。 ▽そしてホームでの試合は、デュエルとインテンシティで勝負できる選手を起用し、さらにカウンター狙いを徹底。ミドルサードからボールを奪いに行くアグレッシブな姿勢を貫いた。恐らく今後もハリルホジッチ監督が日本代表の指揮を執るなら、W杯で目指すのは、かつてボルシア・ドルトムント時代にユルゲン・クロップ監督が採用した「ゲーゲンプレス」ということになるだろう。 ▽といったところで、昨夜の試合で感服したのは、オーストラリアが徹底してポゼッションサッカーにこだわったことだ。それまでのオーストラリアは4-2-3-1や4-4-2からのポゼッションサッカーだったが、コンフェデ杯では3-4-3にシステムを変更し、より攻撃的なサッカーを目指している。 ▽これは余談だが、試合後のポステゴグルー監督は「ピッチ中央がスリッピーで、中央のエリアを支配することができなかった」と振り返った。昨日はピッチ全体を機械で散水した後に、さらにセンターサークル付近を中心に、ボンベを背負った係員が入念に散水していた。これもオーストラリアのビルドアップを想定して、よりスリッピーにすることでパスサッカーを封じにかかるハリルホジッチ監督の作戦だったのだろう。 ▽そうした障害がありながらも、オーストラリアは自分たちのスタイルを貫徹した。日本のゴール前に攻め込んでも簡単にクロスは上げず、ポジションチェンジしながらワンツーによるリターンパスで突破を図った。迂闊に対応するとPKを取られるリスクもある攻撃だ。 ▽そしてリードを許した後半は、サイドからのクロスで日本ゴールを脅かしたものの、クロスは日本が弱点とする空中戦ではなく、低くて速いクロスが多かった。それはエースのユリッチやケーヒルが交代出場しても変わらなかった。 ▽試合後に空中戦に強い2人を投入しながら「パワープレーではなくポゼッションサッカーにこだわった理由」を質問されると、ポステゴグルー監督は「そういうサッカー(ポゼッション)をしたいからだ。このフィロソフィー(哲学)で結果を出したい」と胸を張って答えていた。 ▽ポステゴグルー監督が言うとおり、ポゼッションサッカーにこだわるのはわかる。おそらく1点差なら、終盤はパワープレーに出たかもしれない。しかし2点差だったためポゼッションサッカーを貫いたのだろう。 ▽日本にとっては、ドイツW杯でパワープレーの連続から3DFが体力を消耗してケーヒルにゴールを許した苦い経験がある。にもかかわらず、ここ数年のオーストラリアは、ポステコグルー監督はポゼッションサッカーに強いこだわりを見せ、大一番の日本戦でもその姿勢は変えなかった。 ▽オーストラリアは、オセアニアやアジアではフィジカル勝負で圧倒できる。しかしW杯でヨーロッパや南米、アフリカ勢と対戦したら、アジアではアドバンテージであるフィジカルは通用しない。そのためのポゼッションサッカーだが、ポステゴグルー監督の目指すところは、まだ“道半ば”といったところだろう。 ▽そういった意味では、ザッケローニ元監督でポゼッションサッカーにより一つの形を作り、ハリルホジッチ監督でショートカウンターのスタイルを目指している日本は、オーストラリアより半歩先を歩いているかもしれない。 ▽しかし今回、ポステコグルー監督が勝敗にかかわらずポゼッションサッカーを追求したことで、彼らがW杯に出場できるかどうかは別にして不安も感じた。このままポゼッションサッカーを追求して、日本と同レベルに達したら、空中戦やフィジカルでのアドバンテージがあるだけに、アジアで最強のチームになる可能性があるからだ。 ▽レーハーゲルからポステゴグルーと自国リーグで結果を出した監督に指揮官を代え、独自のスタイルを構築しつつあるオーストラリア。今後もアジアでは韓国やイランと並び日本のライバルとなることは間違いないだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.09.02 10:00 Sat
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【六川亨の日本サッカー見聞録】代表メンバー発表で見られた指揮官の悩み

▽ロシアW杯アジア最終予選のオーストラリア戦(8月31日)と、サウジアラビア戦(9月5日)に臨む日本代表の27人が8月24日に発表された。ハリルホジッチ監督が「さまざまな困難な状況があり、いままでで一番リストを作るのが難しかった。いくつか心配な点があり、リスクを冒したくないため、手元に呼んで何人かの選手の状態や可能性を確認したい」と語ったように、戸惑いを隠せない代表発表となった。 ▽というのも、これまでハリルホジッチ監督は、レギュラー候補の順に選手の氏名を読み上げてきた。昨日を例にあげれば、まずGKのスタメンは川島(FCメス)で決まりだろう。SB(サイドバック)も右は酒井宏(マルセイル)、左は長友(インテル)で、2人のバックアップは酒井高(ハンブルガーSV)が一番手で、その控えが槙野(浦和)となる。 ▽CB(センターバック)は吉田(サウサンプトン)と昌子(鹿島)がスタメンで、植田(鹿島)と三浦(G大阪)バックアップとなり、どちらか1人は最終的にメンバーから外れる可能性が高いのではないだろうか。 ▽ボランチは長谷部(フランクフルト)と山口(C大阪)のコンビは不動。長谷部については「コンディションもトップレベルに戻ってきている。プレーしすぎるくらいなので、少し休ませたい」と言うほど、信頼を置いている。 ▽問題はここからで、トップ下の選手を発表する時に、まず小林祐希(ヘーレンフェーン)と柴崎(ヘタフェ)の名前を上げ、香川(ドルトムント)は3番目だったことだ。小林祐に関しては「レギュラーとして出続けている。性格も強い。プレッシャーにも順応できる」と高く評価した。そして香川は「心配があったがコンディションを取り戻しているところ。徐々に良くなっているので手元で見たい」と起用に含みを持たせた。 ▽同じことは右FWにも当てはまり、ハリルホジッチ監督は浅野(シュツットガルト)、久保(ヘント)、本田(パチューカ)と、これまでスタメンだった久保や本田ではなく、浅野を一番手にあげた。その理由として久保には「試合に出続けているが、得点をあげて欲しい」と注文し、本田には「香川と同じ状況。リーグ戦でゴールを決めたが、手元でチェックしてからどういう役割か考えたい」と起用に明言を避けた。 ▽左FWも、これまでスタメンだった原口は3番手で、「ポジションとコンディションを取り戻すのに苦労している」と語り、乾(エイバル)を一番手にあげ、武藤嘉紀(マインツ)を2番手にあげた。 ▽CFは好調な岡崎から杉本、大迫の順。これは大迫がケガから復帰したばかりなのと、岡崎が開幕から2試合連続ゴールを決めているだけに、順当なチョイスでもあるだろう。 ▽で、ハリルホジッチ監督にとって悩ましいのがトップ下と左右のFWということになる。ハリルホジッチ監督は常々「コンディションの良い選手を使う」と明言してきた。過去にはホームのUAE戦で大島(川崎F)をスタメンに抜擢し、アウェイのオーストラリア戦では丸山(FC東京)をスタメンで起用しようとした(これはスタッフの忠告により断念)。 ▽W杯出場のかかる大一番で、トップ下を2試合しか出場経験のない小林祐に任せるのか。あるいは手元に置いてコンディションの確認状況により香川を使うのか。同じことは右FWにも当てはまり、浅野がスタメンを飾るのか。コンディション重視とはいえ、コンビネーションという問題もあるだけに、その判断は難しい。 ▽とはいえ、これは矛盾するかもしれないが、いつまでもベテラン起用の“安全策"ばかりでは、チームの若返りは図れない。問題はどこで“思い切った"選手起用をするか。普通に考えれば、W杯出場を決めたならサウジアラビア戦は消化試合になるだけに、ここでの起用がリスクも低い。しかし、オーストラリア戦という勝負のかかる痺れるような試合になればなるほど、それは選手をとって経験値を高める可能性も高くなる。ここらあたりも悩ましいところだろう。 ▽果たしてハリルホジッチ監督はギャンブルに出るのか、それとも安全策を採るのかどうか。これまでの選手起用と言動を考慮すると、前者を選択する可能性の方が高い気がしてならない。いずれにせよ、海外組の選手が合流する来週月曜以降の練習がカギを握っている。冒頭15分以外は非公開のため、選手のコンディションをチェックできないのは残念でならない。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.25 13:05 Fri
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【六川亨の日本サッカー見聞録】永井氏引退試合に超豪華メンバー集結。小学生時代の永井少年の悩みとは…

▽8月14日の月曜日、味の素フィールド西が丘で、元東京Vの永井秀樹さん(46歳)の引退試合が盛大に行われた。永井さんは「ヴェルディレジェンズ」と「Jレジェンズ」の一員として両チームでプレー。試合は30分ハーフだったが、往年の名選手に加え現役のカズ(三浦知良)もまたぎフェイントを披露するなど、スタンドのファンを多いに沸かせた。 ▽まず何が凄いかというと、メンバーが超豪華だ。ヴェルディレジェンズはカズの他に脳梗塞から復帰したラモス瑠偉氏が、カズと息のあったパス交換を何度も演じた。かつて等々力での浦和戦では、リフティングで相手をかわしてゴールを決めたこともあった。実況を務めたDJジャンボとゲストの金子達仁氏も当時のことを鮮明に覚えていて、チーム名こそ出さなかったがその話題に触れると、スタンドのファンも敏感に反応していた。 ▽彼ら以外にも北澤豪氏、前園真聖氏、武田修宏氏、三浦淳寛氏ら錚々たるメンバーが集結。一方のJレジェンズも中田浩二氏、山口素弘氏、澤登正朗氏、鈴木啓太氏、故・松田直樹氏の長男など、超豪華メンバーだった。 ▽試合は山口氏がフランスW杯予選の韓国戦を思わせるループのパスからPKを獲得したJレジェンズが永井氏のゴールで先制する。しかしヴェルディレジェンズも藤吉信次氏のボレーのこぼれを武田氏がダイビングヘッドで押し込んで同点に。さらにJレジェンズは澤登氏がFKを直接決めて逆転したが、後半はヴェルディレジェンズに入った永井氏が連続ゴールを決めて逆転に成功し、3-2の勝利を収めた。 ▽試合後の永井氏は、「正直、もう何も言うことはありません。これほどのメンバーに集まっていただいたこと、本当に幸せだと思います。最高に幸せなサッカー人生でした」と2600人ほどのファンに最後の挨拶をした。 ▽今回のJレジェンズは、国士舘大学時代のライバルや、V川崎、清水、横浜F、横浜FMなど永井氏が在籍したチームの選手が集結した。スタンドには横浜Fの永井のユニフォームを着たファンがいたのには驚かされた。永井氏の足跡を改めて振り返ると、V川崎ではJリーグ連覇に貢献し、清水ではナビスコ杯優勝、横浜Fでは消滅前の天皇杯に優勝、そして横浜FMでも2000年に第1ステージ優勝と、数々のタイトルを所属チームにもたらした。 ▽そんな永井氏にも、大分県の明野西JFCでサッカーに夢中になった小学生時代に悩みがあった。身長がなかなか伸びないのだ。そこで創刊されたばかりのサッカーダイジェストという月刊誌で、当時技術委員だった藤田一郎氏が、読者の質問に答えるコーナーがあったため、自身の悩みを投稿した。 ▽それに対して藤田氏は「サッカーは身長ではなく、技術を磨くことの方が大事ですよ」と永井少年の質問に誌面で答えた。 ▽それが励みになったのかどうかわからないが、永井少年は大分市立明野中学で全国大会優勝を果たし、国見高校に進学しても全国制覇を達成して、今日まで長きにわたり現役としてプレーし続けた。今後は指導者として第2のサッカー人生は歩んでいるが、きっと選手の悩みを理解できる指導者になることだろう。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.17 20:39 Thu
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【六川亨の日本サッカー見聞録】殿堂掲額の特別表彰は意外な大先輩

▽今年もまた、日本サッカーの殿堂に掲額する功労者の選考があり、特別選考で2名の方が選出された。一人は元日本代表の監督である加茂周さん、もう一人はカメラマンの今井恭司さんだ。 ▽投票選考では、藤和不動産やフジタ工業などで活躍したFW渡辺三男さん、藤枝東高や早稲田大と名門コースを歩み、釜本二世と期待された日立のFW碓氷博行さん、古河や日本代表でキャプテンを務め、現在は東京国際大学サッカー部監督のMF前田秀樹さん、三菱と日本代表でゴールを死守したGK田口光久さん、読売クラブやヴェルディ川崎でプレーし、引退後はJFAの強化委員長も務めたDF加藤久さん、そして「ドーハの悲劇」でW杯出場を逃したMFラモス瑠偉さんの6人が候補者に選ばれた。 ▽しかしながら150人の投票の結果、75%以上の得票を得た候補者がいなかったために、投票部門の掲額者は見送られることになった。トップの加藤久さんは111票を集めて74%の得票だったものの、あと1%足りなかったのは残念なところ。しかし、得票率10%以上の候補者は次回以降3回まで候補者名簿に残るため、加藤久さんとラモス瑠偉さん、碓氷博行さん、前田秀樹さんは来年以降も掲額される可能性がある。 ▽その一方で、今回は10%に届かなかった田口光久さんと渡辺三男さんは、投票選考の対象外となり、今後は特別選考で選ばれない限り掲額される可能性はなくなった。なんとも厳しいルールでもある。 ▽加茂周さんの特別選考は、ちょっと意外だった。というのも、日産自動車の黄金時代を築き、日本人指導者として初のプロ監督になるなど、長きに渡って日本サッカーを牽引してきた功労者でもあるからだ。もっと早くに殿堂入りしてもおかしくないと思ったからだ。これまでの掲額者は、どちらかというと選手としての実績が評価の対象だったため、見落とされていたのかもしれない。 ▽もう一人の今井恭司さんも意外だった。カメラマンが掲額されるのは初めてのこと。これまでメディア関係者では新聞記者の大谷四郎さん、賀川浩さん、牛木素吉郎さん、共同通信者の奈良原武士さん、アナウンサーの金子勝彦さんの5人しかいなかった。 ▽記者なら署名原稿を書くこともあるので氏名が認知されやすいかもしれないが、カメラマンになると、作品と名前がなかなか一致せず、認知度も低いだろう。そうした対象者にもスポットライトを当てた今回の特別選考は、掲額対象者の枠を拡大する意味でも意義深いものがあると思う。 ▽今後は、例えば漫画家の故・望月三起也さん(ワイルド7などの作者で熱烈な三菱&浦和ファン)や、高橋陽一さん(言わずと知れたキャプテン翼の作者。まだ57歳のため資格はない)らも、サッカーの知名度アップに貢献しただけに、候補者にしてはいかがだろうか。 ▽サッカーは、選手が主役だ。しかし、選手だけでプロリーグは成り立たないし、それは日本代表の隆盛にも当てはまるだろう。日本サッカーの発展・熟成に貢献した功労者は数多い。少年団を創設して地域のコミュニティ発展に寄与した指導者、中学・高校サッカーで代表選手を輩出した名監督、医療や審判など裏方で尽力している方々など、例を挙げればきりがない。 ▽殿堂掲額は「ステイタス」ではなく、「感謝」を捧げる場であって欲しい。そのためには、得票率10%以上という「足切り」はなくし、候補者枠を広げるべきではないだろうか。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2017.08.10 18:15 Thu
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