アレクサンドル・フレブ Alexander HLEB
ポジション | MF |
国籍 | ベラルーシ |
生年月日 | 1981年05月01日(43歳) |
利き足 | |
身長 | 185cm |
体重 | 74kg |
ニュース | クラブ |
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生粋のゴールハンター、アンリがバルセロナで見せたワンタッチゴール3つ【ハットトリック・ヒーローズ】
サッカーにおいて、1試合で3得点以上を決めることを表す「ハットトリック」。元々はクリケットで打者を三者連続アウトにすることをそう呼んでいた。(クリケットにおいて打者を連続でアウトにすることは相当難易度が高い) サッカー選手にとって、「ハットトリック」は実力を証明する功績でもあるが、そう簡単にはお目にかかれない。この企画『HAT-TRICK HEROES』では記憶に残る「ハットトリック」を紹介していく。 今回は、元フランス代表FWティエリ・アンリ氏がバルセロナで決めたハットトリックだ。 <div id="cws_ad">◆アンリがバルセロナで見せた華麗なハットトリック<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIzUmlVeXAzQSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> アーセナルでレジェンドとしてのステータスを築いたアンリ氏は、2007年夏にバルセロナに加入。チャンピオンズリーグ(CL)を果たすなど、多くのタイトルを勝ち取った。 ゴール前での冷静かつ正確無比な動きでバルセロナでも活しっかりと活躍したアンリ氏だが、2008年12月6日に行われたラ・リーガ第14節のバレンシア戦では、華麗なハットトリックを決めている。 まずは0-0の19分、MFヤヤ・トゥーレのロングボールに反応し、裏に抜け出したアンリは、飛び出してきたGKの頭上を超えるループシュートを沈め、先制ゴールを挙げる。 続いて27分、MFアレクサンドル・フレブのパスをボックス内で受けると、右足でダイレクトシュート。ゴール右へ正確なシュートを流し込み、前半だけで2ゴールを決めた。 最後は3-0とリードを広げて迎えた80分、ボックス内に侵入し、右サイド深部をえぐったFWボージャン・クルキッチのパスをゴール前で受けると、冷静にシュートをゴール左に決め、ハットトリックを決めてみせた。 全てワンタッチゴールで3点を奪い、ストライカーらしいハットトリックを奪ったアンリ。試合はそのまま4-0でバルセロナが完勝した。 2020.11.25 22:00 Wed引退フレブがバルサ在籍時に後悔したことを明かす
元ベラルーシ代表MFアレクサンドル・フレブが、2008年から2012年まで在籍したバルセロナで後悔したことを明かしている。スペイン『マルカ』が伝えている。 豊かな創造性と沈着冷静なプレーで見る者を魅了してきたフレブ。今月13日に引退を発表するまで数多くのクラブを渡り歩いてきた。 その中でバルセロナ移籍について言及。2008年にキャリア絶頂を極めたアーセナルから鳴り物入りで加入したが全く結果を残せず、3年半の在籍中に3度もレンタル移籍。後に自身で「バルセロナ移籍は間違いだった」と語っている。 だが、その原因は自分にあるとフレブは言う。「馬鹿を装ってしまった」と当時を振り返っている。 「とても素晴らしいチームだった。だけど僕がスペイン語の勉強を怠ってしまったんだ。後悔しているよ」 不運だったのが加入1年目のリーグ戦第2節でケガをしてしまったこと。その後の4試合を欠場する中で、開幕未勝利だったチームは連勝街道に乗り始め、復帰した頃には居場所はなかったという。なお、そのシーズンはジョゼップ・グアルディオラ監督の1年目の年。今や世界最高の指揮官となった男の伝説の始まりだった。 「グアルディオラは素晴らしい監督だよ。彼は1年目で成功を欲していた。11人が最高のレベルでプレーをしていれば、もはやメンバーを変えることはないだろう?」 そのシーズン、初のトップチーム就任にもかかわらずグアルディオラ監督はチームをチャンピオンズリーグ優勝に導いた。その決勝となったマンチェスター・ユナイテッド戦が、自身の去就に大きく影響したとフレブは明かした。 「あの試合、グアルディオラは僕をチームから外したんだ。それはもう壊滅的な気持ちだったよ。まるで後ろからナイフで刺されたようだった。それから彼とは一切会話をしていない。僕に足りない部分があったことは理解しているけど、信じられないほどの痛みだった」 だが、全体としてはバルセロナでの経験は素晴らしい思い出となったようで、リオネル・メッシやアンドレス・イニエスタ、チャビ・エルナンデスらと共にプレー出来たことは誇りであると話した。 「彼らとの練習は忘れられない。チャビなんてほとんどミスしないんだ。信じられるかい?」 2020.03.25 22:20 Wedフレブがアーセナル時代を懐古「ヴェンゲルは僕に翼をくれた」
元ベラルーシ代表MFアレクサンドル・フレブ氏が、アーセナル時代を回想し、恩師アーセン・ヴェンゲル監督への思いを語った。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 現役時代は創造性と冷静沈着なプレーでファンを魅了したフレブ。その能力はMFセスク・ファブレガスも舌を巻いており、セスクと同僚だったアーセナルでは公式戦131試合に出場した。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; "><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJraXpqdklDWiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> 2005年から2008年にかけてプレーした後、バルセロナや古巣のシュツットガルト、BATEボリソフなど多くのクラブを渡り歩き、今月13日に母国のイスロチ・ミンスク・ラヨンで引退を発表した。 引退から間もなく、自身のドキュメンタリーに出演したフレブはアーセナル時代を回想。シュツットガルトからアーセナルに移籍するきっかけとなった恩師ヴェンゲル監督に大きな敬意を持っているようだ。 「僕にとってヴェンゲルはアーセナルであり、アーセナルはヴェンゲルだった。だからヴェンゲルのいないアーセナルを想像するのは難しい」 「ヴェンゲルが僕とサインした時、彼が僕に望んでいたことは出来るだけ早く順応し、試合でファンを喜ばせることだった。彼からはたくさんのサポートを受け取ったよ」 「一度ケガをした時があった。2カ月ぐらいピッチに立てず、なかなか調子を取り戻せなかった。ドイツに戻ろうかとも考えたよ」 「すると監督がいくつか言葉をかけてくれた。それが僕にとって大きな衝撃だったんだ。まるで翼を得たかの様だった。感情や熱意、期待に応えたいという気持ちに圧倒されたよ」 「僕たちのプレーは美しかった。タイトルを取れなかったことは残念だけど、この上なく楽しい時間だった」 「チーム内の関係は素晴らしく、毎朝起きるのが楽しみでしょうがなかった。本当に上手くいっていたからね」 「パートナーと顔を合わせる時間、練習中に仲間たちといる時間、全てがかけがえのないものだった。一生忘れることはないだろう」 2020.03.23 06:00 Mon“ベラルーシの英雄”アレクサンドル・フレブが現役引退! アーセナルやバルサ、シュツットガルトでプレー
ベラルーシ代表MFアレクサンドル・フレブ(38)が13日に現役引退を発表した。同選手がベラルーシ『Tribuna.com』で明かした。 昨夏から母国のイスロチ・ミンスク・ラヨンに在籍していたフレブだが、新シーズンの開幕が間近に迫った中、現役引退を決断したことを明かした。 「引退について長い時間考えたし、周囲からのアドバイスも求めていた。だけど、最終的には今シーズン(2019シーズン)でもう十分だという結論に至ったんだ」 「もちろん、今でもフットボールを愛しているし、ピッチの中でプレーしたいという願望も持っているけどね…」 「今年で39歳になるし、1人の父親として家族や子供たちにより注意を払わなければならないことを理解している。だから、夏までは家族のことだけに気を遣いたいと思っているよ」 「それから改めて今後についての考えを明かしたいと思っているよ。ただ、個人的には今後もフットボールの世界に留まりたいと思っている。ベラルーシ国内でフットボールの人気はあまり高くないし、宣伝や発展に協力したいと考えているんだ」 母国のディナモ・ミンスクのリザーブチームでプロデビューを飾ったフレブは、BATEボリソフを経てシュツットガルトに加入。同クラブでは当時指揮官を務めていたフェリックス・マガト監督の下、大きな躍進を遂げたチームの中心選手として台頭した。 その後、アーセナルでも主力として活躍した攻撃的MFは、2008年にバルセロナへステップアップを図るも、同クラブでは思うような活躍を見せられず、以降は古巣シュツットガルトやバーミンガム、ヴォルフスブルクとレンタル先を渡り歩き、2011年にロシアのクリリヤ・ソヴェトフに完全移籍。 キャリア晩年はトルコや古巣のBATEボリソフでプレーした後、2019年夏には故郷ミンスクにあるイスロチに加入。昨シーズンの後半戦ではリーグ戦13試合2アシストの数字を残していた。 また、2001年6月のウェールズ代表戦でデビューを飾ったベラルーシ代表では歴代2位となる通算81試合に出場し、7ゴールを挙げていた。 2020.03.14 15:00 Sat38歳フレブ、イスロチ・ミンスクで現役続行!
ベラルーシのイスロチ・ミンスク・ラヨンは9日、ベラルーシ代表MFアレクサンドル・フレブ(38)の加入を発表した。 シュツットガルトやアーセナルで活躍し、バルセロナでもプレーした経歴を持つ攻撃的MFのフレブは、2018年に4度目の復帰となるBATEボリソフで現役を続行。昨季はヨーロッパリーグ6試合に出場していたが、契約満了により退団となっていた。 2019.08.10 04:30 Satアーセナルやバルサでプレーした元ベラルーシ代表MFフレブが古巣・BATEボリソフに加入
▽BATEボリソフは22日、かつてアーセナルやバルセロナでもプレーした元ベラルーシ代表MFアレクサンドル・フレブ(36)の加入を発表した。 ▽フレブはBATEの下部組織で育ち、1999年にトップチームへ昇格。2000年7月にシュツットガルトへと移籍すると、頭角を現し、2005年7月にアーセナルへと移籍した。 ▽アーセナルでも主軸としてプレーすると、2008年7月にバルセロナへと移籍。2009年7月にレンタル移籍で古巣のシュツットガルトへと加入すると、その後はバーミンガム、ヴォルフスブルクへとレンタル移籍を繰り返し、2012年2月にロシアのサマラへとフリーで移籍した。 ▽2012年7月にBATEボリソフへと復帰。その後はトルコへと渡り、コンヤシュポル、ゲンチレルビルリイ、さらにBATEボリソフ、サマラと古巣を渡り歩き、2017年7月からフリーとなっていた。 2018.03.24 00:00 Sat移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2020年3月13日 | イスロチ | 引退 | - |
2019年8月8日 | BATEボリソフ | イスロチ | 完全移籍 |
2018年3月22日 | 無所属 | BATEボリソフ | 完全移籍 |
2017年7月1日 | クリリヤ・ソヴェトフ | 無所属 | - |
2017年2月15日 | BATEボリソフ | クリリヤ・ソヴェトフ | 完全移籍 |
2016年7月22日 | ゲンチレルビルリイ | BATEボリソフ | 完全移籍 |
2016年1月8日 | BATEボリソフ | ゲンチレルビルリイ | 完全移籍 |
2015年8月7日 | ゲンチレルビルリイ | BATEボリソフ | 完全移籍 |
2015年2月2日 | コンヤシュポル | ゲンチレルビルリイ | 完全移籍 |
2014年1月3日 | BATEボリソフ | コンヤシュポル | 完全移籍 |
2012年7月26日 | クリリヤ・ソヴェトフ | BATEボリソフ | 完全移籍 |
2012年2月17日 | バルセロナ | クリリヤ・ソヴェトフ | 完全移籍 |
2011年12月31日 | ヴォルフスブルク | バルセロナ | レンタル移籍終了 |
2011年8月31日 | バルセロナ | ヴォルフスブルク | レンタル移籍 |
2011年6月30日 | バーミンガム | バルセロナ | レンタル移籍終了 |
2010年8月31日 | バルセロナ | バーミンガム | レンタル移籍 |
2010年6月30日 | シュツットガルト | バルセロナ | レンタル移籍終了 |
2009年7月30日 | バルセロナ | シュツットガルト | レンタル移籍 |
2008年7月16日 | アーセナル | バルセロナ | 完全移籍 |
2005年7月12日 | シュツットガルト | アーセナル | 完全移籍 |
2000年7月1日 | BATEボリソフ | シュツットガルト | 完全移籍 |
1999年1月1日 | Dinamo Minsk II | BATEボリソフ | 完全移籍 |
1998年1月1日 | Dinamo Minsk II | 完全移籍 |