【試合後会見】欧州遠征2試合を振り返りハリルホジッチ「大きなライオンを倒すところまでいった」 2017.11.15 09:39 Wed

twitterfacebookhatenalinegplus
photo
Getty Images
▽インターネットでのスポーツ中継が広まり、サッカー観戦がより身近なものになってきた。試合を見に行けなくてもスマートフォンで簡単に観戦できる。まさにいつでもどこでもサッカーに触れられる時代となった。

▽そんなサッカー中継で欠かせないものの1つが実況ではないだろうか。言葉巧みに目の前で繰り広げられている白熱した試合を伝え、視聴者たちをその場にいるような雰囲気にしてくれる。そんな実況者たちはどんな思いを持って、それを伝えているのだろうか。

▽今回、20年以上もアナウンサーとして活躍し、ワールドカップ決勝でも実況としてその熱量を伝えてきたクラッキーこと倉敷保雄さんにインタビューを実施。第1回はいろいろな人との出会いやあらゆる経験、そして何よりも“他との差別化”を考えて突き進んできた倉敷さんの人物像に迫る。

◆少年期に抱いたラジオへの憧れ
――アナウンサーとして20年以上活躍されている倉敷さんですが、この仕事に興味を持った理由は何だったのでしょうか
「ラジオ局に対する憧れが子供の頃からとても強かったんです。良く言えば控えめな少年。違う言い方なら内向的な少年でした。そんな少年にとってラジオは身近な友達でラジオの中のパーソナリティに強いシンパシーを感じていました。今でもラジオの仕事に就きたい、いきなり仕事は変えられないでしょうが、原点回帰していつかはラジオに戻りたいと思っています」

「学生時代からラジオ放送が好きだったので、しゃべる仕事というよりは放送を作る仕事、制作チームに入りたいという漠然とした思いから、放送局に対する憧れがありました。ラジオ局の職種の中で一番身近に感じている職種は何かな? と考えた時にアナウンサーかな、と感じていました。薄く、ですけれど。これがそもそものスタートでしょうね」

◆スポーツ中継を志すもまさかの留年…さらに入社した福島では…
――幼少から興味を持っていたラジオですが、実際に人前で話す仕事に就くまでには苦労されたことも多いのではないでしょうか
「大学生の頃に大きな時代の変化がありました。フジテレビの黄金期でアナウンサーに対しての考え方、ニュアンス、イメージが大きく変わってきた時でした。それ以前の僕は『ニュース読みはアナウンサーの聖域だ』と思っていました。しかし、ニュースはタレントでも読める時代になり、80年代の時点で、もはやアナウンサーの聖域ではなくなっていました。専門職でありたいと思ってアナウンサー職を志望したのにどうしようか?と悩んでスポーツ中継に行き着くんです。これこそ専門職だろうと思いましたね。そこを目指そうとして方向転換したことですごく遠回りをするんです」

「僕は四年間で大学を卒業できませんでした。でも、もし普通に卒業して、専門学校の恩師の推薦で入社が決まりそうだったラジオ局に行っていたら……。そこはあるFM局でした。自分は音楽も好きなので、そこに入社していたら今とは違った道を歩いていたと思います。しかし、遠回り。追試を受けようとした科目の担当教授が海外に旅立ってしまい……そのまま試験は受けられず、留年となりました(笑)。学生課に出かけて事情を話しましたが『留年しかない、いうことでしょうか?』と尋ねたら、あっさり『そうです』と返されてしまい、『就職できるんですけど』と言っても、『お気の毒ですが…』、『あっそうですか』で、終わり(笑)。しかし、そのお陰でもう少し人生経験を積めたというか、多少ボコボコにされてまともな人間になってきたかなと思います」

「まず一年間、遠回りをするわけですが、当時の専門学校には自分よりもうまい人たちばかりがいました。スポーツの専門職になりたい人達と自分とはすでにこれほどまでに差がついているんだなと感じて勉強するようになりました」

「アプローチとしては、東都大学や六大学野球で野球中継の練習をしようと神宮球場に通いました。これはスポーツアナを目指す者にとってはとてもオーソドックスな練習法です。僕はその年の東都大学の試合は全試合を口に出して実況練習しました。一日2試合、火曜日と水曜日です。400円の一番安いチケットを買って、ネット裏の2階席に行き、小型のテープレーコーダーを持って一試合すべてをしゃべる。自分で聞いていて、ダメなところをチェックする。それから恩師に聞いてもらい、『ここがダメだ』とお小言を貰って、次の週にまたそれを繰り返す。“継続は力なり”ではないですが、自分の中で、人より余計に努力してきたと思えることが、試験の時に自分を支えてくれるものになりました。絶対に野球中継をするぞ、と意気込んでいたんです」

「翌年、ようやく(大学)卒業とアナウンサー試験の合格を手にすることができて、福島のラジオ局に行きました。ところが、入社した局には野球中継がなかった(笑)『神様はたくさんの試練を与えるな』と思いましたね」



◆スポーツから大きく離れるも培われた他と違うことをやる姿勢
(C)CWS Brains,LTD.
――福島ではスポーツ中継ではなくどのようなことをやられていましたか
「スポーツ中継は競馬だけでした。でも視力が悪かったこともあって、中継を楽しむまでには成長できませんでした。年間に数週間しか開催期間はありませんでしたしね。そして代わりに音楽番組の制作にはまっていったんです。入社して半年もすると、このラジオ局は自主制作番組が多かったので君も番組を作って良いよと。これは楽しかった。どんどんのめり込んで、代わりにスポーツ中継からは大きく離れた時代でした」

「入社時からとても生意気な新人と評価されていまして(笑)。当時は確かに機会があれば一刻も早く東京に戻って仕事をしたいと思っていましたし、それを上司にも知られていました。『あいつはどうせすぐにやめる』という雰囲気の中でとても可愛がられました(笑)。音楽はとても好きだし、得意なジャンルだったので、入社してすぐに番組を担当させてもらえたのはいいんですけど、『いくらでもやりたいよな』という先輩たちの好意でどんどん仕事が増えて……勤務時間を過ぎてもなかなか家に帰れないほどの量の番組をもらっていました。いや、すごく勉強になりました。感謝、感謝です」

「で、生意気な新人はさらに先輩を怒らせます。レコード会社のディレクターに会いに東京へ出掛けたんです。もともと休みの日には東京の演劇や舞台を観に上京していました。常に文化を吸収し続けないと良いアナウンサーになれないと思っていたからです。東京へ出掛けた折には主に洋楽のアーチストを抱えているレコード会社の担当ディレクターに名刺を渡しに、就職活動のように会社を回りました。名刺を手に『音楽番組を担当しています』と話すと、『直接、プロモーションのための宣材やレコードを送りましょうか。担当番組のタイトルも入れたアーチストの肉声メッセージも必要ですか?』という仕事の話になり『ぜひお願いします』と。それを重ねていくうちに、僕の机には東京から直々に届くノベルティなどの宣材やレコードが先輩たちのそれの何倍も届くようになっちゃったんですね」すると『おまえは何をやっているんだ』とまた怒られる。こっちは怒られると思っていないので、『何がですか』と言い返すと『先輩は誰もそんなことやっていないだろう』『え? なんでやらないんですか』とまた火に油を注いで……。でも、福島では楽しい思い出ばっかりです。確かに生意気な新人だったけど、結局、すくすくと育てて頂きました。福島はいい人ばかりだったんです。」

◆まだまだ多難なスポーツ中継への道
――福島で音楽番組制作を行われた後はどのように進まれたのですか
「ものを作る楽しさを満喫していましたが、スポーツからは遠く離れた状況です。やがて趣味だった音楽にも番組作りに自身のマンネリを感じて来て……しばらく何か別なことをやりたいなと思っていた時に、母が病気になりました。僕は『死んでしまうならせめて最後は一緒にいよう』といきなり会社を辞める事にしました。ボーナスももらわずに慌ただしく辞めて、仕事もなかったので半年間プー太郎です」

「ただ、母はすぐに回復して、結局なんだよと(笑)。やがて文化放送の報道部が記者を探していると聞き、面接を経て、採用してもらえる事になりました。それから二年間、首都東京の報道記者としてまったく知らない道の世界を経験しました。現在スポーツの実況者で国会、警視庁、裁判所の記者クラブに入って事件現場や法廷での取材経験があるのは僕ぐらいかもしれませんね」

「わずか2年間ですが、とても勉強になりました。日本の報道の中心部の仕組みがどういうものかがよくわかりました。記者クラブの良し悪しもまたよくわかりました(笑)。今の仕事に役立っているのは、記事に関してここまでは取材していて、ここからは取材していないな、と文脈と行間からわかるようになったことです。海外の記事でも同様にこれは取材して書いている、してないというのがわかります。放送で使用するならここまでは割り引かないでコメントして良くて、ここはぼかそうと区別します。ぼかすにしても自分なりのぼかし方をしようと考えます。文化放送時代に覚えたことは今の仕事への汎用性が高くて、地方と東京、日本と海外の違いについて考えるアプローチを学んだ時間でした。みんな優秀で親切で大人が多いのが文化放送報道部だったんです。」

「別の伝手でNHKの仕事もしました。ニュース&スポーツ番組のいわゆる影読み。番組で使うVTR部分で顔出しなしで原稿読みやナレーションを入れるものなのですが、最初に『一回ミスすると二度と呼ばれないからね』なんてプレッシャーをかけられました。で、たまたま間違えなかったので(笑)その仕事は10年以上続けさせてもらえました。日本の報道機関で一番大きなNHKの報道&スポーツの現場を10年にわたって見させてもらえたことも原稿づくりやVTR編集を考える際に、かけがえのない経験になりました。」

「ただ、報道も自分には向いていないと悩み始めるんです(笑)。文化放送では2年間の報道を経て半年間だけスポーツ部に行かせてもらいました。記者ではなくタレントとして『ライオンズナイター』の仕事を手伝ったんです。たが、半年間の契約でその後は延長してもらえないとわかっていました。それでもスポーツの現場に行きたいという思いが再び高まっていたんですね。Jリーグの誕生も近づいていましたからスポーツの制作現場に飛び込むならこのチャンスだと思い、パートタイムでNHKの仕事を手伝いながらも基本はスポーツ中継の勉強に明け暮れるプー太郎になりました」

▽学生時代の留年、福島での音楽番組の作成、国会、警視庁、裁判所での取材経験など、ここまで全くサッカーと関りがない倉敷さんですが、どのようにしてサッカーの実況者となっていくのだろうか? 後編では倉敷さんの転機となった1992年の話、2002年の日韓ワールドカップでの充実感、そしてアナウンサーから離れた倉敷さんに迫る。

◆倉敷保雄さん『スポナビライブ』出演情報
▽11月29日(水)
25:54〜
[LIVE]ストーク・シティ vs. リバプール
解説:ベン・メイブリー 実況:倉敷保雄

コメント

関連ニュース

thumb

最新FIFAランキング!ベルギーがフランスと並び同率一位に!UEFAネーションズリーグの影響は?

▽国際サッカー連盟(FIFA)は20日、最新のFIFAランキングを発表した。 ▽ロシア・ワールドカップ以降、2度目の更新となった今回。今年から新設されたUEFAネーションズリーグの影響はあまり見られなかったものの、上位では前回2位のベルギーがフランスと同率1位に。ドイツは順位を3つ上げて12位となった。 ▽最も大きな変化となったのがウクライナ。UEFAネーションズリーグでチェコとスロバキア相手に2連勝を収め、順位を6つ上げることに成功。29位となった。 ▽なお、日本は前回の55位から1つ上げて54位となった。 ◆9月のFIFAランキング50位(カッコ内は前月の順位) 1.フランス(1) 1.ベルギー(2) 3.ブラジル(3) 4.クロアチア(4) 5.ウルグアイ(5) 6.イングランド(6) 7.ポルトガル(7) 8.スイス(8) 9.スペイン(9) 10.デンマーク(9) 11.アルゼンチン(11) 12.チリ(12) 12.ドイツ(15) 14.コロンビア(14) 15.スウェーデン(13) 15.メキシコ(16) 17.オランダ(17) 18.ポーランド(18) 19.ウェールズ(19) 20.イタリア(21) 21.ペルー(20) 22.アメリカ(25) 23.チュニジア(24) 24.オーストリア(23) 25.セネガル(24) 26.スロバキア(26) 27.ルーマニア(28) 28.北アイルランド(27) 29.ウクライナ(35) 30.アイルランド(29) 31.パラグアイ(30) 32.ベネズエラ(31) 33.イラン(32) 34.ボスニア・ヘルツェゴビナ(39) 35.セルビア(36) 36.アイスランド(32) 37.コスタリカ(32) 38.トルコ(38) 39.スコットランド(40) 40.コンゴ(37) 41.モンテネグロ(41) 42.ギリシャ(42) 43.オーストラリア(43) 44.ブルガリア(47) 45.モロッコ(46) 46.ロシア(49) 47.チェコ(44) 48.ナイジェリア(49) 50.カメルーン(47) : 54.日本(55) 55.韓国(57) ◆アジア内トップ10(カッコ内は総合順位) 1.イラン(33) 2.オーストラリア(43) 3.日本(54) 4.韓国(55) 5.サウジアラビア(71) 6.シリア(74) 7.中国(76) 8.UAE(77) 8.レバノン(77) 10.オマーン(85) 2018.09.20 18:01 Thu
twitterfacebook
thumb

【六川亨の日本サッカー見聞録】気配りのできる森保監督

▽森保ジャパンは9月11日のコスタリカ戦を3-0の快勝で飾る好スタートを切った。右サイドからは堂安と室屋、南野らの組織的な仕掛けで崩し、左サイドは中島が得意のドリブルからカットインやタテに抜け出し、相手が警戒すればキープから味方を使うなど独壇場の活躍を見せた。 ▽元日本代表の西野監督は、ロシアW杯で左サイドのジョーカーにG大阪時代の教え子だった宇佐美を選んだが、昨シーズンの活躍からして中島が上回っていただけに、W杯で中島のドリブルを見られなかったのは残念だった。ただ、ポルティモネンセで1シーズンを過ごしても、サッカーを「楽しむ」ことが一番という姿勢に変わりはないのも中島らしい。 ▽できれば、もう少し骨のある相手と試合をやりたかったが、それは10月の2試合に期待するとしよう。さて、試合の翌日、森保監督は市内のホテルからC大阪のクラブハウスへと向かった。代表の紅白戦で杉本が右足薬指を傷めて離脱したことを、強化担当者に会って直接謝罪するためだった。 ▽その後は松本のクラブハウスを訪ね、アジア大会の準決勝UAE戦で右足首のじん帯損傷により全治5~6週間の重傷を負った前田のことを反町監督に詫びた。律儀な性格の森保監督らしい行動と言える。 ▽それというのも広島での監督経験から、代表に選手を送り出しながら、ケガをして戻って来たときのチームの痛手というものを実際に経験しているからだろう。このエピソードを聞いて思い出した話がある。 ▽1996年アトランタ五輪後の出来事だった。西野監督はブラジルを1-0で倒す“マイアミの奇跡”や、ハンガリーを3-2で振り切るなど2勝しながらも決勝トーナメントへ進めなかった。大会後、当時の技術委員長だった大仁氏は、技術委員会の総括として西野監督は「守備的だった」と批判した。 ▽これに激怒したのが、当時柏レイソルのGMを務めていた久米氏(その後は清水や名古屋で活躍)だ。「結果を残せなければメディアから批判されるのは仕方ないが、これでは協会が西野の顔に泥を塗ったようなもの。長期間に渡り西野を貸したのだから、技術委員長ならせめて柏のクラブハウスに来て、レイソルの社長にお礼の一言があってもいいのではないか」というのが久米氏の言い分だった。 ▽大仁氏にしても悪気はなかったと思う。ただ、当時はそこまで気が回らなかったのだろう。Jリーグができて3年目、代表チームを取り巻く環境も現在とは雲泥の差があったし、チームはすでに解散していたからだ。 ▽もちろん今回のように、気配りのできる森保監督ならそんな心配は無用だろう。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2018.09.13 20:40 Thu
twitterfacebook
thumb

【日本代表コラム】順調な船出、過酷なサバイバルレースが始まる

▽4年周期のタームを終え、新たなスタートを切った日本代表。コスタリカ代表と相見えた森保一監督率いる新生日本代表は、初陣でしっかりと結果を残した。 ▽ロシア・ワールドカップに選ばれたメンバーは4名。そのうちレギュラーとしてプレーした選手はゼロ。日本代表初招集となったメンバーは6名と、フレッシュな顔ぶれとなった。 ▽選手招集の段階から、新たな色を出した森保監督。コスタリカ戦では、サンフレッチェ広島や東京オリンピック代表チームで見せる[3-4-2-1]と得意とするシステムを封印し、選手に合わせた[4-2-3-1(4-4-2)]を採用した。 ◆初キャップ4名、初ゴール2名<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20180913_19_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽今回初めて日本代表に招集され、東京オリンピック世代のエースとしても期待されるMF堂安律(フローニンヘン)が先発でA代表初キャップを記録。また、広島時代にヴァンフォーレ甲府から引き抜き、重宝したDF佐々木翔(サンフレッチェ広島)を左サイドバックとして起用した。 ▽日本代表デビュー戦となった両選手だったが、堂安は得意の攻撃参加に加え、前線からの守備も実行。得意ではないものの、しっかりと相手を追い、ボール奪取の手助けをしていた。佐々木は、得意のセットプレーから、先制ゴールにつながるオウンゴールを誘発。その後も空中戦の強さを見せ、守備面でも左サイドを封印。数回判断ミスからピンチを迎えたが、周囲のカバーもあり無失点に貢献した。 ▽さらに、追加招集となったMF天野純(横浜F・マリノス)、MF守田英正(川崎フロンターレ)を途中起用。Jリーグでしっかりと結果を残している選手たちを手元に呼ぶだけでなく、試合でも起用した。天野は2トップの一角に入り、CKからは好クロスを供給。守田は出場時間が短かったが、ポジショニングの良さやタイミングの良いスルーパスなど持ち味を発揮した。クラブで務めるポジションとは違うものの、互いに良さを発揮できたこと。代表初キャップの4名は及第点の活躍だった。 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20180913_19_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽また、2点目を決めたMF南野拓実(ザルツブルク)、ダメ押しの3点目を決めたMF伊東純也(柏レイソル)は、どちらも代表初ゴール。南野はボックス内でパスを冷静に流し込み、伊東は右サイドの仕掛けからカットインして左足で決めた。どちらも得意とする形。特に伊東のゴールは柏でも見せる形であり、チームとして個を生かして結果を残せたことは大きい。 ◆すでに始まったサバイバル<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20180913_19_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽前述のメンバー以外にも、中盤で起用されて攻守にわたって躍動したMF遠藤航(シント=トロイデン)や、左サイドから攻撃の形を作ったMF中島翔哉(ポルティモネンセ)、森保監督のサッカーを体現できるMF青山敏弘(サンフレッチェ広島)らが躍動。新たなチーム作りのスタートを感じさせる1試合となった。 ▽変化を感じたのは、選手たちの意識。特に、縦を意識した攻撃が目立ち、個人技での打開、パスの選択肢の優先度の高さを感じた。また、選手の特徴を合わせるという意味でも、1トップ気味に入ったFW小林悠(川崎フロンターレ)は、Jリーグ屈指の点取り屋である一方で、クラブでも見せるチャンスメイク能力を発揮。ターゲットとなって体を張るシーンもありながら、少し下がって受けてスルーパスを通すシーンも見られた。前半の南野の惜しいシュートや、後半の堂安の決定機にも小林が絡んでいる。 ▽ロシアでの日本代表の戦いに影響を受けない選手はいるはずもなく、4年後のカタールは自分がという意気込みを強く感じる。年齢に関わらず、W杯出場を目指すことは多くの現役選手の目標であり、今回新たに日本代表の一員になった選手は、より一層その気持が強くなったはずだ。 ▽10月にはW杯の主力組も招集する可能性を示唆していた森保監督。来年1月にはアジアカップが待っており、チームの構築と世代間の融合という2つのテーマを持って年内の4試合を戦うこととなる。これまでのレギュラー組もこの試合を受けて刺激を受けないはずはなく、より一層日本代表のポジション争いが激化するに違いない。 ◆チームが求めるもの<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20180913_19_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽コスタリカ戦の日本代表は、攻撃面で違いを生み出すことを主軸に置いていた。前述のとおり、縦への意識は強く、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が意識付けしてきたことを踏襲している。さらに、ニアゾーンを多く使うシーンが見られた。これまでの日本代表で多く見られたシーンは、サイドを崩してもクロスが通らないもの。中央に飛び込んでも、相手DFにクリアされてしまうシーンだ。 ▽高さに分がない日本としては、単純なクロスで世界を相手に戦うことはかなり難しく、深さをとってマイナスに折り返すクロスや、アーリークロスなどがチャンスを作っていた。コスタリカ戦でも、サイドで持ち上がるシーンがありながら、クロスが単調に終わる場面も多く、効果的な攻撃とは言い難い。 ▽しかし、中島や南野、堂安を始めとした新戦力は、ニアのゾーンに飛び込む事が多く、効果的なパスを供給することができていた。相手の背後、さらにニアを使うことで、中央の選手やファーの選手も生きてくる。新たな攻撃の形をしっかりと作り上げ、バリエーションを増やすことがより高みに向かうためには必要なこと。森保監督がこの先どうやって作り上げていくかには注目だ。 ▽ポジションにとらわれず、しっかりと相手に合わせて対応していくことも必要だと就任時に語っている森保監督。東京オリンピック代表チームや過去の広島を見ても、選手が状況と相手に合わせ、ポジションにとらわれずにプレーしていた。日本代表に必要なのは対応力。そのために選手自身はクラブで力をつけることが求められる。約1カ月後に行われるパナマ代表戦とウルグアイ代表戦に向けてはどの様な選手を呼ぶのか。Jリーグをはじめ、各選手のクラブでのプレーが楽しみだ。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》 2018.09.13 19:00 Thu
twitterfacebook
thumb

【アンケート結果】若きサムライ躍動の森保ジャパン初陣、南野&中島に同率最高点!

▽超WS有料版で実施していた11日のキリンチャレンジカップ、コスタリカ代表戦における日本代表の採点アンケート結果を発表します。 ▽先日の北海道地震で今月7日に予定されていたチリ代表戦が中止となり、ロシア・ワールドカップ(W杯)後、森保一監督体制初の試合となったコスタリカ代表戦。新生サムライブルーは、初招集のMF堂安とDF佐々木をデビューさせたほか、MF南野やMF中島といったフレッシュな若手を多く起用しました。試合の立ち上がりから少ないタッチ数を意識したスピーディーな攻めを繰り出す日本は、中島の右CKに佐々木が頭で合わせ、オウンゴールを誘発。先制して試合を折り返すと、後半の立ち上がりに守勢を強いられたのも何のその。すぐさまペースを引き戻し、66分には中島、遠藤と繋ぎ南野が左足で代表初ゴールを記録しました。さらに、試合終了間際の93分には途中出場の伊東が右サイドから個人技でゴールをこじ開け3点目。見事、初陣を3-0の完勝で飾りました。 ▽若武者の躍動したこの勝利に対して、ユーザーの皆様からは冷静な評価を頂きました。最高点は、試合を通してチャンスメイクを繰り返していたMF中島、代表初弾のMF南野が同率で【6.9】。また、中島の得点をアシストし、試合終盤に相手のシュート際に頭から飛び込みゴールを死守した遠藤には、次点の【6.2】が与えられています。逆に、途中出場のMF天野、FW浅野は【5.2】と厳しい点数になりました。とはいえ、皆様からは若い選手の躍動に期待する声が多く寄せられており、今後に希望を持たせられる試合になったようです。 ◆コスタリカ戦のユーザー採点結果 GK 東口順昭 5.6 DF 室屋成 5.9 → 守田英正 - 三浦弦太 5.5 槙野智章 5.4 佐々木翔 5.8 → 車屋紳太郎 - MF 堂安律 6.1 → 伊東純也 - 青山敏弘 5.9 → 三竿健斗 - 南野拓実 6.9 遠藤航 6.2 中島翔哉 6.9 → 天野純 5.2 FW 小林悠 5.7 → 浅野拓磨 5.2 監督 森保一 6.0 ◆皆様の声(一部) ・若手の活躍もあり良かった。10月、11月の親善試合はロシアW杯の世代との融合、切磋琢磨してやって欲しい。 ・中島がキレッキレ! 素晴らしい! ・伊藤達哉も使って欲しかった。 ・もっと早く交代して欲しかった。 ・最高の出だしになったのでは。ドリブルでの仕掛けが多く観ていて楽しかった。 ・森保監督の采配と若い選手の躍動でこれからが楽しみです。 2018.09.12 17:00 Wed
twitterfacebook
thumb

【試合後会見】森保監督「サポートして頂いた全ての皆様に感謝」

▽日本代表は11日、パナソニック スタジアム吹田でキリンチャレンジカップ2018のコスタリカ代表戦に臨み、3-0で勝利した。試合後の森保一監督の会見全文は以下の通り。 ◆森保一監督 「まずは試合ができたこと、この試合に駆け付けて下さったスポンサーの皆様、運営に関わって頂いた全ての皆様、そしてスタジアムにお越し頂いたサポーターの皆様、全国で日本代表を応援してくださった皆様に感謝したいです」 「試合は選手たちが日本全国で自然災害によって辛い想いをされている方々に、自分たちが走って粘り強く戦う姿を見せて励ましのエールを送る。被災地で復旧復興に尽力されている皆様にエールを送っていこうと、選手たちが胸に刻んでプレーを見せてくれて、結果をもって我々を支援して下さっている皆様に勝利をお届けできて良かったと思います」 「チームとしても札幌で被災した中、選手、スタッフは準備するのはそう簡単ではなかったと思うが、与えられた環境の中で最善の準備をしてくれたことが結果につながったと思います。残念ながら札幌では試合ができなかったが、感謝の気持ちを持って試合に臨むことができたと思います。札幌で我々は被災したが、幸いなことに被災したホテルは自家発電があり、電気も使える状態だった。食事も震災があった日には摂れなかったが、その後は全て普通通りに生活でき、食事も摂らせて頂いた。札幌の皆さんが、ホテルの従業員の皆さんが辛い想いをしている中、我々に対して手厚くサポートして頂いたことを経験できたのは、試合ができなかったのは本当に残念だったが、人として、我々が多くの人に支えられて幸せにサッカーができていることを感じさせてもらえたことが、今日の試合に生きたと思いますし、今後のサッカー人生にも生きたと思います」 「練習場でも被災された方々がサポートして下さった。大阪でも台風21号に被災した方々がサポートして下さった。当初はJグリーン堺で練習を行う予定だったが、台風の影響でその施設が使えなくなった。急遽ガンバ大阪さんのグラウンドを使わせて頂いた。たくさんの方々のサポートがあって我々が今日の試合をできたことを感謝したいと思います。長くなりましたが、今回試合をするに当たり、これまでサポートして頂いた全ての皆様に感謝の気持ちを申し上げたいと思います」 ――準備期間がなくて戦術を練る機会は難しかったと思うが、とりわけ攻撃面では個人が持ち味を出していたと思うが評価は 「チームとして練習できる時間が限られていたのでコンセプトは選手たちに伝えたが、それを具現化するのは簡単ではないと思うが、選手たちがコミュニケーションを取ってくれて、チームとしてやろうとしていることを発揮してくれたと思います。その中で選手それぞれが持っている特長をチームの戦いの中で出して欲しいところだったが、選手たちは積極的にプレーして発揮してくれたと思います」 ――広島時代の[3-6-1]やロシア・ワールドカップでの[4-2-3-1]ではなく[4-4-2]を採用した理由と手応えについて 「理由は色んな形に対応して欲しいという思い。選手たちに対応力を持って欲しいということで今日のシステムにした。ただ、サッカーをやる上で原理原則は攻撃、守備で変わらない。選手たちもそこは理解して、今日プレーしてくれたと思います。ロシアW杯ではコーチの一人として大会に参加したが、西野監督とオープンに話をさせて頂いたことを、この先につなげていきたいと思いながら今日やらせて頂きました」 ――交代が後半23分からだったが 「時間は別として流れの中で何が起こるのかわからないので、私自身臨機応変に対応しようと試合を見ていました。交代時間については考えていたこともありますし、そうでない部分もありました。試合の流れの中で選手を少しでも多く試したいという思いと、その中で日本代表の勝利にこだわって、両方の部分を考えて選手起用をしました」 ――広島時代とは違って守備がアグレッシブに感じたが 「預かっている選手が違うので、広島時代との違いはあると思います。それぞれの特長をどう生かしていくのかという違いはあると思います。勝利するためにチームの力をどうやったら最大限出せるかとこれまでも考えてきましたし、これからも考えていきたいです」 ――アンダー世代とフル代表の選手たちのリアクションについて 「アジア大会ではU-21の東京オリンピック世代の選手たち共に7試合マックスでできて1試合ごとに選手たちが逞しく成長していく姿を感じさせてもらいながら大会を戦うことができました。優勝はできなかったが、選手たちが今持っている最大限の力を決勝の韓国戦で出してくれたと思います。まだまだ伸びしろある選手たちと共に戦えたと思います。東京オリンピック世代の選手たちはみんな金メダルを取りたいと言っていたが、それには真夏の暑い中で6試合冷静に戦わなければならない。アジア大会では7試合タフな日程の中で戦えたことは良い経験になったと思います。最後の韓国戦の強度をオリンピックではスタートから6試合やり続けなければならない。もっともっとレベルアップしなければならいと思わされる素晴らしい経験ができた大会になりました」 「そこからA代表の方に来て感じたのは選手たちのクオリティーがやはり高いということ。それぞれのクラブでポジションを掴んで、キャリアを積んでいっている選手たちのレベルの高さを感じさせてもらいました。A代表の監督をやることで、そのレベルの基準を私自身が持ってオリンピック世代に提示できると思いました。A代表の選手たちは技術、戦術理解度の高さを持っているのは当然だが、戦う姿勢といったメンタル面も、下の世代には伝えていきたいです」 ――日本代表初采配の気持ちは 「特別に思った部分もありましたし、そうでない部分もありました。サポーターに素晴らしい雰囲気を作って頂き、チームを応援してくれる方々にも環境を作って頂いた。多くのメディアの皆さんにも注目して頂き、特別な経験をさせて頂いた。逆に特別でないと思っていることは私自身の気持ちの面です。サンフレッチェ広島で監督をさせて頂いていた中で一戦一戦大事に、勝利を目指して戦っていこうという部分は全く変わっていないです」 ――敢えて課題を挙げるとすれば 「攻撃陣はもっと多く得点を取れたと思います。守備の部分でも粘り強くやってくれたと思うが、相手にチャンスがなかったわけではないのでピンチを減らすことをやっていきたいと思います。全てを上げていかなければならない」 ――目立っていた中島や南野が代表に何をもたらしているか 「選手たちにはさらに多くの経験を積み上げてもらって、少しでも個として成長してもらいたい。挙げてもらった2人だけでなく、チーム全体としてアグレッシブに戦えていたと思います。攻撃の選手が攻撃をできるということは守備の選手が頑張っていたという面もある。選手たちに話したが、自分の良さを最大限出して欲しい、それと同時に自分の良さを出すためには周りを生かしていくことが大事だと伝え、選手たちは実践してくれたと思います」 2018.09.12 00:12 Wed
twitterfacebook


ACL

欧州移籍情報
hikari

アクセスランキング

@ultrasoccerjp

新着ニュース