【日本サッカー見聞録】大勝の中で特筆すべき岡崎と原口~アフガニスタン戦レビュー~
2016.03.25 07:30 Fri
▽アフガニスタンを迎えてのロシアW杯アジア2次予選が3月24日に埼玉スタジアムで行われ、日本は岡崎や金崎のゴールなどで5-0と圧勝し、最終予選進出に王手をかけた。アウェイの試合では開始10分に香川が先制点を奪いゴールラッシュの口火を切ったが、この日のサムライ・ブルーは43分まで沈黙したまま。初戦のシンガポール戦を思い出したファンも多いだろうし、それはハリルホジッチ監督も同じだった。
▽この試合でハリルホジッチ監督は長谷部の1ボランチに中盤は右から原口、清武、柏木を並べ、岡崎と金崎の2トップという4-1-3-2の新布陣を採用し、「新しいオーガニゼーション」(ハリルホジッチ監督)にトライした。
▽結果は中央突破から岡崎と清武が2ゴールを奪い、酒井宏のサイド攻撃から相手OGを誘発。さらにセットプレーで吉田が、最後は交代出場のハーフナー・マイクによるパワープレーから金崎が得点するなど、様々なパターンから5得点。ないのはロングやミドルの長距離砲だけだったから、指揮官も試合後はご満悦だった。
▽この試合で特筆すべきは2点ある。まず1点は岡崎の先制点だ。清武の縦パスを受けると反転しながら寄せてきたDFの股間を抜く技ありのプレーでフリーとなって決めた。確か先週のクリスタル・パレス戦だったと思うが、岡崎は似たようなターンから惜しいシュートを放っている。29歳になっても“進化”の止まらないストライカーがどこまで成長するのか、日本にとっては頼もしい存在でもある。
▽そしてもう一人、“成長”を感じたのが本田の定位置に入った右MFの原口だ。ヘルタ・ベルリンでプレーの幅を広げ、この日は身体を張った守備でも貢献しつつ、酒井宏の攻撃参加を引き出すなど“黒子”に徹していた。
▽ゴールという目に見える結果を出さなくとも選手は評価されることを、原口はドイツでプレーすることで知ったのかもしれない。ここらあたりが、ドイツで結果を残せなかった宇佐美との違いかもしれない。
▽最後に、今日は悲しいかな“あの”ヨハン・クライフが68歳でこの世を去った。愛煙家であったためだろうか、死因は肺がんだったという。バルセロナの監督時代、心臓の手術をしたあとは禁煙し、ベンチでチュッパチャプスを口に加えていたものだ。それほどフィジカルに恵まれていたわけではないが、爆発的なスピードを武器に、現代サッカーに例えるならボランチとしてDFラインまで下がって攻撃を組み立てつつ、フィニッシュに顔を出していた。
▽オランダの生んだ“巨星”については、また別の機会に書きたいと思う。そしてハリルホジッチ監督はクライフ氏の逝去について次のように今日の会見で語っていたことを紹介して終わりにしたい。
「クライフ氏は歴史上、素晴らしい選手だ。彼とプレーしたことがあるが、それは世界選抜対バルセロナで、カンプ・ノウでの世界選抜で同じチームだった。クライフ氏は素晴らしいプレーヤーで、創造者であり偉大なものをもたらした天才です。深く深く、家族にお悔やみ申し上げます」
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽この試合でハリルホジッチ監督は長谷部の1ボランチに中盤は右から原口、清武、柏木を並べ、岡崎と金崎の2トップという4-1-3-2の新布陣を採用し、「新しいオーガニゼーション」(ハリルホジッチ監督)にトライした。
▽この試合で特筆すべきは2点ある。まず1点は岡崎の先制点だ。清武の縦パスを受けると反転しながら寄せてきたDFの股間を抜く技ありのプレーでフリーとなって決めた。確か先週のクリスタル・パレス戦だったと思うが、岡崎は似たようなターンから惜しいシュートを放っている。29歳になっても“進化”の止まらないストライカーがどこまで成長するのか、日本にとっては頼もしい存在でもある。
▽そしてもう一人、“成長”を感じたのが本田の定位置に入った右MFの原口だ。ヘルタ・ベルリンでプレーの幅を広げ、この日は身体を張った守備でも貢献しつつ、酒井宏の攻撃参加を引き出すなど“黒子”に徹していた。
▽かつての原口なら、清武のゴールに刺激を受けて自分もアピールしようと、足元にボールを要求してドリブル突破からフィニッシュを狙っていたに違いない。しかし後半の日本が清武、柏木、長友による左サイドからの攻撃が活性化すると、原口は右サイドで引き気味のポジション取りから攻守のバランサーとなっていた。
▽ゴールという目に見える結果を出さなくとも選手は評価されることを、原口はドイツでプレーすることで知ったのかもしれない。ここらあたりが、ドイツで結果を残せなかった宇佐美との違いかもしれない。
▽最後に、今日は悲しいかな“あの”ヨハン・クライフが68歳でこの世を去った。愛煙家であったためだろうか、死因は肺がんだったという。バルセロナの監督時代、心臓の手術をしたあとは禁煙し、ベンチでチュッパチャプスを口に加えていたものだ。それほどフィジカルに恵まれていたわけではないが、爆発的なスピードを武器に、現代サッカーに例えるならボランチとしてDFラインまで下がって攻撃を組み立てつつ、フィニッシュに顔を出していた。
▽オランダの生んだ“巨星”については、また別の機会に書きたいと思う。そしてハリルホジッチ監督はクライフ氏の逝去について次のように今日の会見で語っていたことを紹介して終わりにしたい。
「クライフ氏は歴史上、素晴らしい選手だ。彼とプレーしたことがあるが、それは世界選抜対バルセロナで、カンプ・ノウでの世界選抜で同じチームだった。クライフ氏は素晴らしいプレーヤーで、創造者であり偉大なものをもたらした天才です。深く深く、家族にお悔やみ申し上げます」
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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