ギグス、ウェールズ代表指揮官に就任へ
2018.01.15 09:33 Mon
                ▽マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドである元ウェールズ代表MFライアン・ギグス氏(44)が、同国代表指揮官に就任する見通しとなった。イギリス『BBC』や『スカイ・スポーツ』など複数メディアが伝えている。
▽ユナイテッドユース育ちのギグスは、1990-91シーズンにトップチームで出場して以降、2014年の引退まで同クラブ一筋のキャリアを貫いたレジェンド。歴代最多出場記録を保持するユナイテッドでは、デイビッド・モイーズ監督(現ウェストハム指揮官)とルイス・ファン・ハール氏の下でコーチを経験。選手兼コーチを務めていた2013-14シーズンには、モイーズ監督解任後に暫定監督も務めた。また、ウェールズ代表としては64試合12得点の記録を残した。
▽一方、ロシア・ワールドカップの出場権を逃したウェールズ代表では、昨年11月に約6年にわたってチームの指揮を執っていたクリス・コールマン監督が退任していた。ウェールズサッカー協会は、現地時間15日の午後に新監督を任命するとのことだ。
                    
                                            
                                        
                                        
                                        
                                        
                    
                    
                                            ▽ユナイテッドユース育ちのギグスは、1990-91シーズンにトップチームで出場して以降、2014年の引退まで同クラブ一筋のキャリアを貫いたレジェンド。歴代最多出場記録を保持するユナイテッドでは、デイビッド・モイーズ監督(現ウェストハム指揮官)とルイス・ファン・ハール氏の下でコーチを経験。選手兼コーチを務めていた2013-14シーズンには、モイーズ監督解任後に暫定監督も務めた。また、ウェールズ代表としては64試合12得点の記録を残した。
▽一方、ロシア・ワールドカップの出場権を逃したウェールズ代表では、昨年11月に約6年にわたってチームの指揮を執っていたクリス・コールマン監督が退任していた。ウェールズサッカー協会は、現地時間15日の午後に新監督を任命するとのことだ。
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チャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16の組み合わせ抽選会が14日に行われた。 バルセロナvsパリ・サンジェルマンというビッグマッチに注目が集まっているが、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド擁するユベントスは、日本代表FW中島翔哉も所属するポルトとの対戦が決定。 <div id="cws_ad">◆【ベストゴール集】ユベントス100試合出場のC・ロナウドが決めたここまでのベストゴール(ポルト戦のスーパーゴールは記事下部)<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ2NXR1dUdmeiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> このカードが決まったことを受け、CLの公式ツイッター(@ChampionsLeague)はC・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドに在籍していた時にポルトと対戦した試合で決めたゴールの動画を公開。懐かしのスーパーゴールに多くの反響が集まった。 C・ロナウドがスーパーゴールを決めた試合は、2009年の4月15日に行われたポルトvsユナイテッドのCL準々決勝2ndレグ。ホームで行われた1stレグを2-2で終え、ポルトにアウェイゴールを2点奪われた不利な状態でこの一戦を迎えたユナイテッドだったが、C・ロナウドが試合開始早々にやってみせる。 6分、ゴールから約37メートルの位置でアンデルソンからパスを受けたC・ロナウドは、相手のマークが甘いとみるや、シュート体勢に入る。そして、そのまま迷いなく右足を振り抜くと、ボールは一直線にゴールへ。弾丸ライナー、レーザービームのように真っ直ぐにゴールネットへと向かったボールは、ゴール左隅へ突き刺さる。卓越したキック力、見事なシュート精度、常人離れした思い切りの良さが、見るもの全てを唖然とさせるゴールを生んだ。 この試合では、C・ロナウドはゴール以外でも大活躍。後方からのロングボールをダイレクトヒールで正確にチームメイトにパスしたり、得意のドリブルで相手DFのファウルを誘発したり…。結局、最後までスコアは変わらなかったものの、ユナイテッドは2戦合計3-2として、準決勝進出を果たしていた。 さらに、この得点はただスーパーゴールと評価されるにとどまらず。2009年末には、この年からFIFAが創設した、年間を通じて最も優れたゴールに贈られる賞「プスカシュ賞」が贈られるなど、CL史上最高のゴールとも言われるほど、素晴らしい評価を得ている。C・ロナウド本人も「どうやって決めたかわからない」と語るほどのゴール。奇跡としか言えない見事なゴールだった。 ラウンド16の日程は、1stレグは2月16日・17日および23日・24日、2ndレグは3月9日・10日および16日・17日とかなり先の予定だが、決勝トーナメントでもスーパーゴールが生まれるのか。今から楽しみで仕方がない。 <div id="cws_ad">◆C・ロナウドのスーパーミドル<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">Ronaldo against Porto = <a href="https://twitter.com/hashtag/UCLdraw?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#UCLdraw</a> | <a href="https://twitter.com/juventusfcen?ref_src=twsrc%5Etfw">@juventusfcen</a> <a href="https://t.co/HJ4PysyDuK">pic.twitter.com/HJ4PysyDuK</a></p>— UEFA Champions League (@ChampionsLeague) <a href="https://twitter.com/ChampionsLeague/status/1338450358822195200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 14, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2020.12.15 21:12 Tue3
    「ついに叶ったんだ」…デ・リフトが念願のユナイテッド移籍で決意 「次なる歴史の一翼に」
マンチェスター・ユナイテッドの新センターバックが加入後のインタビューでクラブ史に名を刻む活躍を誓った。 この夏はセンターバックのポジション強化が最優先事項だったユナイテッド。フランスの若き才能、レニー・ヨロに続いて、射止めたのがバイエルンの人員整理で売却候補に浮上していたマタイス・デ・リフトだった。 関心が明るみとなってから早々に個人合意の報も飛び出した後、クラブ間で綱引きが続いたが、基本金4500万ユーロ+アドオン500万ユーロの総額5000万ユーロ(約81億7000万円)で決着。13日に移籍が正式決定した。 この移籍を決意した理由は何だったのか。アヤックス時代に師事したエリク・テン・ハグ監督と再会できるのが1つの魅力だったことだろうが、プロジェクト面に共感したのもあったようだ。 「このプロジェクトを本当に気に入っている。どこかに行って、自分が新しいプロジェクトの一部であり、何かしら新しいものの一部であるを感じられるのはいつだって良いこととだ」 「僕だけじゃなく、この夏にやってくる選手たちもマンチェスター・ユナイテッドの次なる歴史の素晴らしいピースとなり、クラブが本来いるべき場所、つまりトップに戻せたらと思う」 「その上、アメージングなクラブだし、世界でも指折りのビッグクラブ。素晴らしい歴史に多くの素晴らしい選手、素晴らしいDFがいる」 「本当にワクワクするよ。実のところ、長いこと待っていた! 休暇中もずっと契約成立のメッセージを待っていたし、ついにそれが叶ったんだ。だから、スタートを切るのが楽しみだ」 また、クリスティアーノ・ロナウドをはじめ、同胞のエドウィン・ファン・デル・サールらを挙げながら、クラブの歴史を振り返りつつ、自身にとっても挑戦となるこの移籍に高揚した。 「イングランドで、世界有数のビッグクラブで、世界最大のリーグで、こういう可能性があるのは素晴らしい挑戦になる。僕にとって、新しい挑戦が原動力だし、チャレンジが好きなんだ」 「このチャンスをもらって、このレベルでプレーし、トロフィーに貢献できるなんて素晴らしいことだ。マンチェスター・ユナイテッドの次なる歴史の一翼を担えたらと思う」 アヤックスを出てから、ユベントス、バイエルンを渡り歩き、このたびからユナイテッドに舞台を移したデ・リフト。アヤックスから移籍後はやや伸び悩みの印象もあるキャリアだが、ユナイテッドで地位を築き、それも払拭したいところだ。 <span class="paragraph-title">【動画】デ・リフトが同じく新加入のマズラウィとともにユナイテッドのトレーニングに合流</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="WW5O8pkXprQ";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.08.16 14:05 Fri4
    シティ加入のハーランド、マンチェスターにあるポグバ邸を新たな住まいに?
今夏にマンチェスター・シティへ移籍したノルウェー代表FWアーリング・ハーランドだが、現在は家探しに奔走中のようだ。イギリス『サン』が伝えている。 5月にドルトムントからの加入が発表されたハーランド。シティが契約解除金満額となる7500万ユーロ(約105億円)を支払う形で移籍が実現した。 世界屈指の点取り屋がどこまでプレミアリーグで通用するのか注目が高まる中、その前にハーランドがクリアしなければのが住まい探しだ。 潤沢な資産を持つサッカー選手。よりどりみどりだろうが、ハーランドに紹介されているのは、マンチェスター・ユナイテッドのフランス代表MFポール・ポグバの豪邸だ。 ポグバと言えば、今季限りでユナイテッドを退団し、ユベントス復帰が決定的な状況。今後、イングランドに復帰する可能性も低いことから、マンチェスターにある自宅がフリーになるという。 かつてポグバが300万ポンドで購入したその家は、サウナやジム、プールは当たり前のように完備されているが、一番の見どころは『P.P.アリーナ』の名づけられた屋内サッカー場だ。LED照明や電子スコアボードで装飾されており、センターサークルには、ポグバのロゴの絵が描かれているようだ。 ある情報筋によれば、その豪邸を売却したい考えのポグバだが、賃貸物件として貸すこともやぶさかではない模様。ハーランドは月額3万ポンドで借りることができるようだ。 2022.06.25 16:30 Sat5
    






