リリアン・テュラム
Lilian Thuramポジション | DF |
国籍 | フランス |
生年月日 | 1972年01月01日(53歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 185cm |
体重 | 78kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
リリアン・テュラムのニュース一覧
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世界一にもなれた稀代の創造主、ファン・セバスティアン・ベロン
これまでのサッカー界には、数多くのクリエイティブな選手が存在した。それは、サッカーのスタイルが大きく変化した現代にも存在しているが、当然のことながらそのプレースタイルも変化している。 一方で、自分のスタイルを崩さずに輝きを放ち続けようともがいた選手も多くいる。しかし、その多くが、サッカースタイルの波に敗れたり、リーグの特性、チームコンセプトの犠牲になっていった。 クリエイティブな選手としてパッと想像される中には、現在はレアル・マドリーで指揮を執るジネディーヌ・ジダンがいるだろう。ボールを持った時の立ち姿やドリブルで相手をかわす姿勢など、そのプレー自体がエレガントさに溢れており、現役ラストマッチとなった2006年ドイツ・ワールドカップ決勝での頭突きは世界が衝撃に包まれた。 そのジダンと肩を並べるクリエイティビティを持ち、自身のスタイルを貫き通したがために、意外なキャリアを歩むこととなったのが、元アルゼンチン代表MFファン・セバスティアン・ベロンだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆流浪の創造主 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ベロンがキャリアをスタートさせたのは、母国のエストゥディアンテス。クラブの歴史において偉大な人物であり、“ブルッハ(魔法使い)”の愛称で親しまれたファン・ラモン・ベロン氏を父に持つベロンは、同じ道を歩んだ。 プロキャリアスタートから1年半で名門のボカ・ジュニアーズに移籍。すると半年で海を渡り、21歳でサンプドリアへと加入した。 当時からベロンのプレースタイルは異次元と言って良いもの。誰もが想像つかないような創造性を備え、独自のルールでプレーをしていた様にさえ見えるほど。ただ、その創造性がズバ抜けていたことで、チームの中心選手でもあった。 1998年に加入したパルマでは、同胞のFWエルナン・クレスポとのコンビがフィーバー。2人のコンビネーションの破壊力は抜群で、“ミラクル・パルマ”と呼ばれるチームの中心を担った。 プロビンチャ(地方クラブ)に過ぎなかったパルマだが、このシーズンは若きジャンルイジ・ブッフォンを守護神に、ファビオ・カンナバーロ、リリアン・テュラム、ネストル・センシーニの3バックが構えた。ベロンはトップ下で攻撃をコントロール。チームはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)とコッパ・イタリアを制した。 強力なクレスポとのコンビは、1999年にそのままラツィオへと移籍。すると、ラツィオではスクデットとコッパ・イタリア優勝を成し遂げ、その創造性でチームを牽引した。 イタリアでの3クラブでは遺憾なく創造性を見せつけていたベロンは、2001年7月にマンチェスター・ユナイテッドへと加入。この移籍が1つの転機となった。 <div id="cws_ad">◆稀代の創造主 ベロンの魔法のようなプレーの数々<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2djQyV3dxayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201102_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆守れなかった自分のスタイル </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 当時のイングランド史上最高の移籍金2810万ポンド(当時のレートで約50億円)でユナイテッドへと加入したベロンは、異色の存在だったと言える。当時のメンバーでは、92年組と呼ばれるデイビッド・ベッカムやポール・スコールズ、ライアン・ギグスの他、ロイ・キーンやオーレ・グンナー・スールシャール、ルート・ファン・ニステルローイなどがいた。 超名門であってもベロンはその持ち前の感覚で、チームに違いをもたらす。2002-03シーズンにはプレミアリーグを制覇と結果も残した。 しかし、ベロンが異彩を放てた試合はセリエA時代と比べると大きく制限がされていた。その理由の1つは、ポジションの変更だ。 当時トップ下を置いていたセリエAとは違い、イングランドでは伝統的にフラットな[4-4-2]が採用。そのため、ベロンのポジションは1列下がったところに置かれた。 加えてプレミアリーグの激しいスタイルもベロンを困らせる。創造的なプレーに集中できなくなったベロンは、ユナイテッドでは自ら汗をかき、守備のタスクもこなす必要があったのだ。 チャンピオンズリーグというヨーロッパの舞台や、守備を重点的にプレーするフィル・ネビルとのコンビではその力を存分に発揮したベロンだが、リーグ戦では結果が出せず。ロマン・アブラモビッチ氏がオーナーとなったチェルシーに2003年8月へ移籍。しかし、チェルシーでも結果を残せず、インテルへと移籍し、イタリアで再びプレーした。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆旅の終わりは故郷へ、そして会長に </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> インテルでプレーした後、2006年7月にプロキャリアをスタートさせたエストゥディアンテスへと復帰。すでに終わった選手としてのレッテルを剥がし、完全復活を果たした。 2009年には父と同じように愛するクラブをコパ・リベルタドーレス優勝に導き、自身も2008、2009年と2年連続で南米最優秀選手に選出。ベロンには欧州からのオファーもあったが、エストゥディアンテスへの愛情を示して残留すると、2014年にスパイクを脱ぐ。その後2017年に一度現役復帰するも、引退後はクラブの会長職を務めている。 キャリアを通してセリエAやプレミアリーグのタイトルも勝ち取ってきたベロンだが、キャリアで最も印象的な瞬間について、2009年のコパ・リベルタドーレス優勝だと語っており、いかにその瞬間がベロンにとって大きなものだったかが分かる。世界一にもなれた創造主は、母国で新たな才能を生み出すことに力を割いている。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>魔法のようなプレーとテクニックで往年のセリエAファンを魅了したベロンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />ベロンとともにアルゼンチン代表として1998年のフランスW杯で日本代表と戦った、FWガブリエル・バティストゥータとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“小さな魔法使い”の姿を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.11.04 18:05 Wed2
兄弟揃って今夏ビッグクラブへ? フランス代表初招集の21歳ケフラン・テュラムにユベントスら関心
ニースのフランス代表MFケフラン・テュラム=ウリアン(21)に今夏ビッグクラブ移籍のチャンスがあるようだ。イギリス『90min』が伝えている。 ケフラン・テュラムは1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)優勝メンバーであるリリアン・テュラム氏の息子であり、今夏のビッグクラブ移籍が確実視されるボルシアMGのフランス代表FWマルクス・テュラム(25)の弟だ。 クラブキャリアでは父親の古巣でもあるモナコの下部組織で育ち、プロデビュー後の2019年7月にニースへ移籍。セントラルハーフを本職にしており、今季は公式戦39試合2得点8アシストを記録している。 また、現在はユーロ2024予選第1節のオランダ代表戦、第2節のアイルランド代表戦に臨むフランス代表に初招集されており、24日に行われるオランダ代表戦に向けた前日会見に、兄のマルクスとともに登場したことが話題となった。 その一方、兄同様に自身も今夏ビッグクラブ移籍のチャンスがある模様。マンチェスター・ユナイテッドやリバプール、インテル、パリ・サンジェルマン(PSG)、さらには父親がキャリアの全盛期を過ごしたユベントスからも関心を寄せられているという。 本人もこのことを認識しているようで、兄とともに臨んだ会見では「耳に入ってるよ」とコメントしている。 世界的なスター選手の血を受け継いだ子どもが必ずしも同じ道で成功を収めるわけではないが、テュラム一家は父親のリリアン氏がユベントスやバルセロナなどで活躍し、息子2人はビッグクラブに移籍する可能性があるだけでなく、揃ってフランス代表に選出されている。リリアン氏はさぞかし誇らしいだろう。 2023.03.23 15:45 Thu3
テュラム弟にインテル関心…今夏リバプールにお断り? 父と兄を追いかけてセリエA希望か
インテルがニースのフランス代表MFケフラン・テュラム=ウリアン(22)に関心を寄せているようだ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 父リリアン・テュラム氏、兄マルクス・テュラム(インテル)に続き、今年3月にフランス代表デビューを果たした“弟”ケフラン・テュラム。現役時代の父はセンターバック、兄はストライカー、自身はセントラルハーフを本職とする。 若き日の父も所属したモナコでプロ入りすると、2019-20シーズンから現所属のニースへ。代表デビューに前後して移籍市場での注目度が高まるようになり、父が選手キャリアの全盛期を過ごしたユベントスから継続的な関心があるとも報じられている。 インテルとしてはケフラン・テュラムの192cmの体躯を生かしたフィジカル、そして大柄ながらも広い視野と創造性を備えた攻撃性能に注目。インテルは中盤の選手層が充実しているため、来夏の新戦力としてリストアップしているという。 ケフラン・テュラム本人もセリエA行きを望んでいるようで、フランス国内では今夏にリバプールからの打診を拒否したとの見立てが根強いとのこと。父を追ってユベントスへ行くか、兄を追ってインテルへ行くか、この点についてはまだ判断材料が足りないようだ。 ただ、フランス代表の今後10年を担うことも可能であろう22歳。ニースが安売りするとは考えにくく、獲得には最低でも2500万~3000万ユーロ(約39億5000万~47億4000万円)が必要とのことだ。 2023.10.07 17:03 Sat4
インテルがマルクス・テュラム加入を公式発表! 宿敵ミランらとの争奪戦制す
インテルは1日、ボルシアMGを退団したフランス代表FWマルクス・テュラム(25)の加入を発表した。 なお、契約期間に関しては2028年6月30日までの5年となる見込みで、年俸は600万ユーロ(約9億4000万円)程度になる模様だ。 フランス代表のレジェンドであるリリアン・テュラム氏を父に持つテュラムは、202-23シーズンのボルシアMGで公式戦32試合に出場して16ゴール7アシストを記録。192cmの大柄な体躯ながらも、センターフォワードだけでなく左右のウイングでもプレー可能なユーティリティー性も魅力のアタッカーだ。 今夏の移籍市場ではパリ・サンジェルマンやRBライプツィヒら国内外のクラブが関心を示す中、一時は宿敵ミラン行きが有力と見られていたが、土壇場で交渉をまとめ上げて争奪戦を制した。 なお、テュラムはかつて父が活躍したパルマで生まれ育っており、新シーズンは自身の生まれたイタリアでのさらなる活躍を目指すことになる。 2023.07.01 18:38 Sat5
45歳の元イタリア代表GKブッフォンが現役引退を発表、28年のプロ生活に幕「振り返ってみればあっという間だった」
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移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2008年7月1日 | バルセロナ | 引退 | - |
2006年7月20日 | ユベントス | バルセロナ | 完全移籍 |
2001年7月1日 | AC Parma | ユベントス | 完全移籍 |
1996年7月1日 | モナコ | AC Parma | 完全移籍 |
1990年7月1日 | モナコ | 完全移籍 |