“キング”ペレ氏のブラジル代表ラストマッチのユニフォームがオークションに出品、価格は最高480万円か
2023.01.24 20:20 Tue
2022年12月29日に惜しまれながらも他界した“サッカーの王様”と称されるペレ氏(享年82歳)のプレミアムなユニフォームがオークションに出されることとなった。ペレ氏は、15歳の若さでサントスでプロデビュー。17歳のときにはスウェーデンで開催された1958年ワールドカップ(W杯)でブラジル代表の優勝に貢献した。
さらに、1962年のチリW杯、1970年のメキシコW杯でもセレソンを優勝に導き、男子選手として唯一のW杯3度の優勝を達成。また、サントスとニューヨーク・コスモス、ブラジル代表での21年間のキャリアを通じて、1363試合に出場し、1281ゴールという世界記録を打ち立てた。
卓越したアスリート能力、テクニック、独創性を併せ持ったメガクラックは、その親しみやすい素晴らしい人柄を含め、今日のサッカー界の礎を築いた文字通りのレジェンドだった。
今回ペレ氏のユニフォームが出品されるのは「ハンソンズ・オークション」とのこと。ペレ氏のブラジル代表ラストマッチに用意された10番のユニフォームであり、1971年7月18日にリオ・デ・ジャネイロで行われたユーゴスラビア代表との試合のものだという。
デ・シルバ氏は、1960年代後半から1994年までブラジル代表のスタッフとして従事しており、その後、ユニフォームはイングランドのシュロップシャーでレストランのオーナーを務める人物の手に渡ったという。
今回オークションに出品した人物は、コメントしている。
「2020年に個人のコレクターから購入した。今では、おそらくブラジルの故郷に戻り、より大きな舞台に立つに値すると思っている」
「ペレの最後のブラジル代表のユニフォームであると同時に、デ・シルバ氏のブラジルサッカーへの貢献と、ペレとの友情を称えるものでもある」
「彼らは強い関係を築いていたに違いない。そうでなければ、ペレ氏が彼にこれほど重要なシャツを贈ったとは思えない」
「彼はヘッドマッサージ師として、1970年代に名を馳せたチームから、1980年代のジーコやソクラテスに至るまで、膨大な数のブラジルサッカー界のレジェンドの世話をし、優勝した1994年のアメリカW杯ではまだ若い18歳のロナウドの世話もしていた」
なお、落札価格は2〜3万ポンド(約320〜480万円)と見られている。
卓越したアスリート能力、テクニック、独創性を併せ持ったメガクラックは、その親しみやすい素晴らしい人柄を含め、今日のサッカー界の礎を築いた文字通りのレジェンドだった。
今回ペレ氏のユニフォームが出品されるのは「ハンソンズ・オークション」とのこと。ペレ氏のブラジル代表ラストマッチに用意された10番のユニフォームであり、1971年7月18日にリオ・デ・ジャネイロで行われたユーゴスラビア代表との試合のものだという。
当時、長袖と半袖のユニフォームが作られたが、ペレ氏は半袖を着用。長袖は当時チームのマッサージ師を勤めていた、アビリオ・ホセ・デ・シルバ氏に贈られていたという。
デ・シルバ氏は、1960年代後半から1994年までブラジル代表のスタッフとして従事しており、その後、ユニフォームはイングランドのシュロップシャーでレストランのオーナーを務める人物の手に渡ったという。
今回オークションに出品した人物は、コメントしている。
「2020年に個人のコレクターから購入した。今では、おそらくブラジルの故郷に戻り、より大きな舞台に立つに値すると思っている」
「ペレの最後のブラジル代表のユニフォームであると同時に、デ・シルバ氏のブラジルサッカーへの貢献と、ペレとの友情を称えるものでもある」
「彼らは強い関係を築いていたに違いない。そうでなければ、ペレ氏が彼にこれほど重要なシャツを贈ったとは思えない」
「彼はヘッドマッサージ師として、1970年代に名を馳せたチームから、1980年代のジーコやソクラテスに至るまで、膨大な数のブラジルサッカー界のレジェンドの世話をし、優勝した1994年のアメリカW杯ではまだ若い18歳のロナウドの世話もしていた」
なお、落札価格は2〜3万ポンド(約320〜480万円)と見られている。
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