アジア杯は1年延期を!/六川亨の日本サッカーの歩み
2022.05.18 14:00 Wed
来年の6月16日から7月16日にかけて、中国の10〜12都市で開催される予定だった2023アジアカップは、新型コロナウイルスの感染拡大で上海市をロックダウン(都市封鎖)するなど緊急事態が続いているため中国サッカー協会(CFA)は開催を断念。AFC(アジアサッカー連盟)も例外的な状況であるとして中国での開催中止を認め、新たな都市での開催が可能かどうか模索しているようだ。
本来なら東アジアでの開催のため、代替地としては日本か韓国しか候補地はない。しかし大会は前回UAE大会から24チームに増え、1ヶ月に及ぶ長丁場の大会となった。このため6〜7月に1ヶ月間もJリーグを中断することはかなりハードルが高い。チーム数が増えたことで開催地も限られてくるだろう。2015年に同大会を開催したオーストラリアは来年7〜8月に女子のW杯開催を控えているため2大会を引き受ける余裕はない。
となるとスタジアムや輸送、ホテルなどのインフラが整っている候補としては今年の11月にW杯を開催するカタールくらいしかない。ただし、中東での開催となると酷暑の夏を避け、前回のように1月開催となる。さすがにカタールもW杯とアジアカップを連続して開催するのは不可能に近いと思わざるを得ない。
そこで提案がある。アジアカップの開催を1年先送りにして2024年開催とするのだ。本来アジアカップはW杯の中間年、五輪やEURO(欧州選手権)の年に開催されてきた。日本はこれまでW杯が終了するたびに監督も代ってきた。契約は4年間だが、監督就任2年目のアジアカップは監督の力量をチェックする最適の大会だった。
例えばフィリップ・トルシエ監督は99年のコパ・アメリカで惨敗して解任の危機にあった。しかし2000年のレバノン大会で優勝し、名波浩と中村俊輔を擁した日本は“アジアカップ史上最強のチーム"と評された。2004年3月のW杯予選のシンガポール戦に苦戦したジーコ・ジャパンも、同年7月に中国で開催されたアジアカップではGK川口能活の奇跡的なPKストップなどで連覇を達成した。
アジアカップはこの大会から4年ごとに開催されるようになったが、2011年はカタールのため酷暑を避けた1月開催ということで、前年の南アW杯から半年後の大会となった(アルベルト・ザッケローニ監督はそれでも優勝)。続く15年はオーストラリアだったが、こちらは南半球初の大会ということで、冬の6〜7月を避け、夏となる1月に開催。そして前回UAE大会も1月の開催だった。
たった半年での大会に加え、日本の主力は海外組のため代表チームとして練習できる期間はほとんどない。このためW杯に出場した選手を中心に、ぶっつけ本番での大会となる。せめて2年あれば、監督がやりたいサッカーの骨格が見えてくるような気がする。
中国は高齢者のワクチン摂取率が低いそうだが、2年後の6〜7月なら新型コロナウイルスの脅威も現在よりは改善されているかもしれない。アジアカップを本来の姿に戻すためにも以前のような偶数年に開催することを提案したい。
【文・六川亨】
本来なら東アジアでの開催のため、代替地としては日本か韓国しか候補地はない。しかし大会は前回UAE大会から24チームに増え、1ヶ月に及ぶ長丁場の大会となった。このため6〜7月に1ヶ月間もJリーグを中断することはかなりハードルが高い。チーム数が増えたことで開催地も限られてくるだろう。2015年に同大会を開催したオーストラリアは来年7〜8月に女子のW杯開催を控えているため2大会を引き受ける余裕はない。
そこで提案がある。アジアカップの開催を1年先送りにして2024年開催とするのだ。本来アジアカップはW杯の中間年、五輪やEURO(欧州選手権)の年に開催されてきた。日本はこれまでW杯が終了するたびに監督も代ってきた。契約は4年間だが、監督就任2年目のアジアカップは監督の力量をチェックする最適の大会だった。
例えばフィリップ・トルシエ監督は99年のコパ・アメリカで惨敗して解任の危機にあった。しかし2000年のレバノン大会で優勝し、名波浩と中村俊輔を擁した日本は“アジアカップ史上最強のチーム"と評された。2004年3月のW杯予選のシンガポール戦に苦戦したジーコ・ジャパンも、同年7月に中国で開催されたアジアカップではGK川口能活の奇跡的なPKストップなどで連覇を達成した。
ところが2008年に東南アジア4カ国で開催予定だったアジアカップは、同年に北京五輪が控えているため1年前倒しして2007年開催となった。イヴィチャ・オシム監督は1年間の準備で大会に臨み、3位決定戦では韓国をスピードとスタミナで圧倒しながらも0-0からのPK戦で敗れてしまった。
アジアカップはこの大会から4年ごとに開催されるようになったが、2011年はカタールのため酷暑を避けた1月開催ということで、前年の南アW杯から半年後の大会となった(アルベルト・ザッケローニ監督はそれでも優勝)。続く15年はオーストラリアだったが、こちらは南半球初の大会ということで、冬の6〜7月を避け、夏となる1月に開催。そして前回UAE大会も1月の開催だった。
たった半年での大会に加え、日本の主力は海外組のため代表チームとして練習できる期間はほとんどない。このためW杯に出場した選手を中心に、ぶっつけ本番での大会となる。せめて2年あれば、監督がやりたいサッカーの骨格が見えてくるような気がする。
中国は高齢者のワクチン摂取率が低いそうだが、2年後の6〜7月なら新型コロナウイルスの脅威も現在よりは改善されているかもしれない。アジアカップを本来の姿に戻すためにも以前のような偶数年に開催することを提案したい。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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