「整理するのに数日かかった」引退を決断したアグエロ、キャリアやゴール、そして病気についても語る「サッカーとのつながりを継続する」
2021.12.15 22:50 Wed
33歳での現役引退を決断した、バルセロナのアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロが、キャリアへの想いを語った。15日、バルセロナは緊急会見を実施。アグエロが現役を引退することを発表した。
母国のインデペンディエンテでキャリアをスタートさせたアグエロは、すぐにアトレティコ・マドリーへと完全移籍。長らくプレーした後、マンチェスター・シティへと移籍した。
プレミアリーグでも圧倒的な得点力を見せ、強豪への仲間入りを果たして行ったクラブを支えると、今夏バルセロナへと移籍。ふくらはぎのケガで出遅れるも、10月のレアル・マドリーとの“エル・クラシコ”で初ゴールを記録。しかし、その後行われた10月30日のアラベス戦の試合中に心臓の異常を訴えて交代。検査の結果、不整脈を診断され、療養生活に入っていた。
しかし、医師の判断は現役引退という辛いもの。命に関わるだけにプレーの続行を止められたアグエロは引退を決断。15日に記者会見で、自らの口で引退を発表した。
「医者には、『プレーするのを辞めるのが一番良い』と言われた。10日前に決断した」
「何か希望はないかとできる限りのことをしたが、あまり希望はなかった」
「僕はキャリアをとても誇りに思っているし、とても幸せだった。5歳の時からボールに触れて、サッカーをすることを夢見ていた。夢は1部リーグでプレーすることだったけど、ヨーロッパにまでやって来れるとは思ってもみなかった」
「インデペンディエンテのおかげで、僕はそこで訓練を受けた。18歳の時、僕にかけてくれたアトレティコ、僕の気持ちを知ってくれているシティ、ベストを尽くし、とても良くしてくれたバルサの人々、連絡をくれたジョアン(・ラポルタ)にもとても感謝している」
「世界最高のクラブの1つに来ることは分かっていたし、とても良くしてもらった。そして、僕が一番愛しているのはアルゼンチン代表だ」
インデペンディエンテ、アトレティコ、シティ、バルサと4つのクラブでプレーしたアグエロ。数多くのタイトルを獲得してきたが、自身のキャリアには誇りを持っているという。
「僕は勝つために最善を尽くしたと思う。頭を高くあげ、とても幸せな気持ちで去りたいと思う。別の人生で何が僕を待っているか分からないけど、僕を愛し、僕の幸せを願ってくれる人たちがいる」
「そしてジャーナリストの方々にも感謝する。僕に良くしてくれた人、そうでなかった人。大丈夫だ。僕がプレーしたクラブの全てのファンに感謝し、僕が経験した美しいものを守る」
引退を決断したアグエロだったが、心臓の問題が発覚した時は苦しんでいたと告白。現在は問題ないものの、医者に引退を勧められた時の心境を赤裸々に語った。
「今は気分が良い。最初の2週間は大変だったけど、何もなかった。クリニックで最初のメディカルチェックを受けた時、医師は続けられない可能性が高いと言ってくれた。少し、気持ちに余裕が生まれたけど、簡単ではなかった」
「そして、彼らが決定的だと言った時、それを整理するのに数日かかった。でも、まだ希望があった。でも、寒くなってきたら、そうもいかなくなった。今は元気だけど、大変だった」
「僕は33歳の時に起きたことであり、それ以前にはなかった。でも、自分のキャリアを誇りに思う一方で、それが以前ではなく、今になって起こったことに感謝している」
輝かしいキャリアを築いた後での病気の発覚をポジティブに考えているアグエロ。これまでのキャリアではクラブのために、全てを捧げてきたと語った。
「より多くのものを獲得したいと常に思っていた。でも、獲得したタイトルはとても幸せなことだと思うし、これからもずっと自分の力を発揮していきた買った。ただ、自分のため、クラブのためにベストを尽くしたつもりだ」
「なぜなら、いつだって最終的には選手はチームの一員であり、僕がしてきたことは全てチームとクラブを助けるためだったからだ」
そのアグエロは、クラブレベルでは663試合に出場し379ゴール118アシスト。アルゼンチン代表では101試合で41ゴールを記録するなど、数多くのゴールを記録した。
ゴール数では、260ゴールを挙げたシティでは、クラブ史上圧倒的な差で1位に君臨。プレミアリーグでも外国人選手としての最多ゴール記録を樹立している。
キャリアを通じて400ゴール以上を決めたアグエロ。自身のゴールを振り返った。
「インデペンディエンテでのとても美しいゴール、それは僕のキャリアの中で、ラシン・クラブに対してとても美しい瞬間だった。裸身に対しては何もないけど、17歳でそれは僕の中での最も美しい最初のゴールだった」
「そしてヨーロッパに来て、アトレティコでも幸せな瞬間があった。誰もが知っているように、シティではQPR戦のゴール、僕の最初のプレミアリーグタイトルであり、シティにとっても数年ぶりだった」
「そしてコパ・アメリカの最後の瞬間。僕はほとんどプレーしていなかったけど、選手たちと共に戦った。僕はとても幸せだった。そして最後のマドリー戦も、ラストゴールとしては悪くなかったんじゃないかな?」
奇跡の逆転を呼び込み、シティへとプレミアリーグ優勝のタイトルをもたらせたQPR戦の後半アディショナルタイムでのゴール、そしてキャリアのラストゴールはバルサでの唯一のゴールであり、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”で決めるという節目で記録したアグエロ。全ての物事には理由があり、今回の心臓の問題が発覚したことも理由があるとコメント。プロサッカー選手への想いを口にするとともに、今後の動きについても語った。
「これは今僕に起きたことだ。何かのために物事が起こり、僕がここでそのことを話しているからこそ、ポジティブだ。しかし、彼らが今この問題を今発見したことは、ポジティブなことだ」
「サッカー以外でも幸せであろうとすること。そして、サッカー選手なら恋しく思うと分かっている全ての瞬間を楽しむことだ。サッカー選手になることは簡単ではない。毎日のトレーニング、プレー、遠征。選手は高く評価されるべきだ。僕はサッカーとのつながりを継続する。もっと人生を楽しむことができるようになる」
「今は落ち着いて、しばらくは何もしないつもりだ。みんなが僕をどのように覚えて欲しいかは言えない。みんなが、僕に相応しいことを言ったり、好きな名前をつけたりすることを望んでいるよ」
類まれな得点感覚を持ち、記録に残る数多くのゴールを積み上げ、タイトルも獲得したアグエロ。望んでいた形でのキャリア終了ではなかったはずだが、第二の人生も幸せに過ごしてもらいたい。
プレミアリーグでも圧倒的な得点力を見せ、強豪への仲間入りを果たして行ったクラブを支えると、今夏バルセロナへと移籍。ふくらはぎのケガで出遅れるも、10月のレアル・マドリーとの“エル・クラシコ”で初ゴールを記録。しかし、その後行われた10月30日のアラベス戦の試合中に心臓の異常を訴えて交代。検査の結果、不整脈を診断され、療養生活に入っていた。
しかし、医師の判断は現役引退という辛いもの。命に関わるだけにプレーの続行を止められたアグエロは引退を決断。15日に記者会見で、自らの口で引退を発表した。
「この会見は、僕がプロサッカー選手を辞めることにしたことを知らせするものだ。これはとても辛い瞬間ですが、僕が下した決断には非常に満足しています。まず、1カ月前に抱えていた問題で、体調が良くないということです」
「医者には、『プレーするのを辞めるのが一番良い』と言われた。10日前に決断した」
「何か希望はないかとできる限りのことをしたが、あまり希望はなかった」
「僕はキャリアをとても誇りに思っているし、とても幸せだった。5歳の時からボールに触れて、サッカーをすることを夢見ていた。夢は1部リーグでプレーすることだったけど、ヨーロッパにまでやって来れるとは思ってもみなかった」
「インデペンディエンテのおかげで、僕はそこで訓練を受けた。18歳の時、僕にかけてくれたアトレティコ、僕の気持ちを知ってくれているシティ、ベストを尽くし、とても良くしてくれたバルサの人々、連絡をくれたジョアン(・ラポルタ)にもとても感謝している」
「世界最高のクラブの1つに来ることは分かっていたし、とても良くしてもらった。そして、僕が一番愛しているのはアルゼンチン代表だ」
インデペンディエンテ、アトレティコ、シティ、バルサと4つのクラブでプレーしたアグエロ。数多くのタイトルを獲得してきたが、自身のキャリアには誇りを持っているという。
「僕は勝つために最善を尽くしたと思う。頭を高くあげ、とても幸せな気持ちで去りたいと思う。別の人生で何が僕を待っているか分からないけど、僕を愛し、僕の幸せを願ってくれる人たちがいる」
「そしてジャーナリストの方々にも感謝する。僕に良くしてくれた人、そうでなかった人。大丈夫だ。僕がプレーしたクラブの全てのファンに感謝し、僕が経験した美しいものを守る」
引退を決断したアグエロだったが、心臓の問題が発覚した時は苦しんでいたと告白。現在は問題ないものの、医者に引退を勧められた時の心境を赤裸々に語った。
「今は気分が良い。最初の2週間は大変だったけど、何もなかった。クリニックで最初のメディカルチェックを受けた時、医師は続けられない可能性が高いと言ってくれた。少し、気持ちに余裕が生まれたけど、簡単ではなかった」
「そして、彼らが決定的だと言った時、それを整理するのに数日かかった。でも、まだ希望があった。でも、寒くなってきたら、そうもいかなくなった。今は元気だけど、大変だった」
「僕は33歳の時に起きたことであり、それ以前にはなかった。でも、自分のキャリアを誇りに思う一方で、それが以前ではなく、今になって起こったことに感謝している」
輝かしいキャリアを築いた後での病気の発覚をポジティブに考えているアグエロ。これまでのキャリアではクラブのために、全てを捧げてきたと語った。
「より多くのものを獲得したいと常に思っていた。でも、獲得したタイトルはとても幸せなことだと思うし、これからもずっと自分の力を発揮していきた買った。ただ、自分のため、クラブのためにベストを尽くしたつもりだ」
「なぜなら、いつだって最終的には選手はチームの一員であり、僕がしてきたことは全てチームとクラブを助けるためだったからだ」
そのアグエロは、クラブレベルでは663試合に出場し379ゴール118アシスト。アルゼンチン代表では101試合で41ゴールを記録するなど、数多くのゴールを記録した。
ゴール数では、260ゴールを挙げたシティでは、クラブ史上圧倒的な差で1位に君臨。プレミアリーグでも外国人選手としての最多ゴール記録を樹立している。
キャリアを通じて400ゴール以上を決めたアグエロ。自身のゴールを振り返った。
「インデペンディエンテでのとても美しいゴール、それは僕のキャリアの中で、ラシン・クラブに対してとても美しい瞬間だった。裸身に対しては何もないけど、17歳でそれは僕の中での最も美しい最初のゴールだった」
「そしてヨーロッパに来て、アトレティコでも幸せな瞬間があった。誰もが知っているように、シティではQPR戦のゴール、僕の最初のプレミアリーグタイトルであり、シティにとっても数年ぶりだった」
「そしてコパ・アメリカの最後の瞬間。僕はほとんどプレーしていなかったけど、選手たちと共に戦った。僕はとても幸せだった。そして最後のマドリー戦も、ラストゴールとしては悪くなかったんじゃないかな?」
奇跡の逆転を呼び込み、シティへとプレミアリーグ優勝のタイトルをもたらせたQPR戦の後半アディショナルタイムでのゴール、そしてキャリアのラストゴールはバルサでの唯一のゴールであり、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”で決めるという節目で記録したアグエロ。全ての物事には理由があり、今回の心臓の問題が発覚したことも理由があるとコメント。プロサッカー選手への想いを口にするとともに、今後の動きについても語った。
「これは今僕に起きたことだ。何かのために物事が起こり、僕がここでそのことを話しているからこそ、ポジティブだ。しかし、彼らが今この問題を今発見したことは、ポジティブなことだ」
「サッカー以外でも幸せであろうとすること。そして、サッカー選手なら恋しく思うと分かっている全ての瞬間を楽しむことだ。サッカー選手になることは簡単ではない。毎日のトレーニング、プレー、遠征。選手は高く評価されるべきだ。僕はサッカーとのつながりを継続する。もっと人生を楽しむことができるようになる」
「今は落ち着いて、しばらくは何もしないつもりだ。みんなが僕をどのように覚えて欲しいかは言えない。みんなが、僕に相応しいことを言ったり、好きな名前をつけたりすることを望んでいるよ」
類まれな得点感覚を持ち、記録に残る数多くのゴールを積み上げ、タイトルも獲得したアグエロ。望んでいた形でのキャリア終了ではなかったはずだが、第二の人生も幸せに過ごしてもらいたい。
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