中村憲剛が愛したスパイク「モレリア」、ミズノアンバサダー就任でスパイクへの熱い思いを語る「人生を変えたいと思った」
2021.03.22 18:40 Mon
ミズノは22日、昨シーズンまで川崎フロンターレでプレーし、現役を引退した中村憲剛氏とブランドアンバサダー契約を締結したことを発表した。
この契約により、中村氏にはこれからもサッカー品に関する改良や開発に対するアドバイスをもらうと共に、“感謝、感激、感動”をテーマに、社会とミズノをつなぐ様々な活動で協力するとのことだ。
中村は22日に、ブランドアンバサダー契約を結ぶにあたり就任オンラインイベントを開催。その中で改めて現役生活やスパイクについて語った。
まずは川崎フロンターレ一筋で18年間プレーした現役生活について「2003年に入った時はJ2で、そこまでお客さんが入っていないクラブでした。そこから地域密着を含めて、川崎のみなさんとともに歩んで、J1に上がって、昇格2年目の2006年に2位になって、僕自身すぐに優勝できると思いましたが、2017年までかかりました」とコメント。「悔しい思いをたくさんしましたが、その分優勝した時は嬉しくて、これ以上の喜びはなかったです」と語った。
また、「そこからタイトルを獲って、40歳が近くなって、引退してもいいかなと。後輩も育って、クラブも大きくなっていって」と語り、改めて引退を決断した理由を語った。
また、引退後に想像していたことについて「現役の時にボールを蹴りたくなるかなと引退したら思っていたんですが、全然なくて、それだけしっかりやり切ったんだなと。今いただいているお仕事含めて、毎日充実しています」と語り、ボールを蹴ることへの未練が全然ないと意外な事実を明かした。
さらにシーズン開幕をしてからも寂しさはなかったとのこと。「引退してスタートするまではオフシーズンをいつも通り共有していた感じでしたが、スタートしても寂しくなくて、みんなやっているなという感じです。さっぱりしていて自分に驚きました」と自分でも未練がなさすぎで驚いたとのこと。「今まではフロンターレでやっていたので他のチームのことも見ましたが、対戦相手の直近の試合を見ていたので、それよりはより多くの試合を見ているなという感じです。全体的には見ていなかったので」と語り、今まで以上に多くの試合を観ていると語った。
その中村だが、ミズノのスパイクである「モレリア」を17年間履き続けていた。その「モレリア」との出会いについては「小学生の頃から履いていましたが、他のメーカーも含めて履いていました。ただ、2002年の時にブラジル代表のリバウドがモレリアウェーブを履いていて、リバウドが好きで履いて、良いイメージがありました」と大学の時に履き始めたと語った。
また、「フロンターレに入った時は別のメーカーを履いていましたが、2年目にクラブに話をして、「モレリアを履きたい」と言って、レギュラーになってミズノさんに声をかけてもらってという感じです」と、プロキャリアで「モレリア」を履き続けることとになった理由を明かした。
その「モレリア」の良さについては「フィットがすごくて、ミズノさんはどの靴を履いてもフィットする。他のメーカーも履いていただけに、より感じました」とコメント。「靴擦れも一回もしなかったです。当時は学生だったので、上から目線でしたね笑。ただ、それが後々履きたいと思う大きな理由でした」と明かした。
中村が「モレリア」に求めたのは「軽さと素足感覚」とし、「モレリアは自分が理想としているスパイク像だった」とコメント。また、プレーにも大きく影響したと言い「プレーにはかなり影響したと思います。僕は走るよりも技術に特化した人間なので、素足感覚で、思ったところにボールが止まるとか、そこは良かったです」と語り、「スパイクの柔らかさもあって、いろいろな動きもあります。軽さもですね。足も速くないので、かなり重要視していた」とこだわりを語った。
また、現役時代に使用していたスパイクに関しては「スパイクはちゃんと棚に保管しています。現役ラストのスパイクは置いてあります」とコメント。「履いたまんまでそのあと手入れしていないので、その時の感覚が残っています」と思わぬ秘話を明かした。さらに、「元旦の決勝戦終わった後に、チームのホペイロから「そのまま手入れしないで置いておきました」というメッセージをもらいました」と語り、「とても感謝しています」とスタッフへの感謝を口にした。
また、アンバサダーの活動としては、様々なことをしたいと言い、一番は「モレリア」の工場見学をしたいとのこと。「現役の時もすごくあったんですが、叶わないこともありました。現在はフリーなので、ミズノさんにいきたいというのも伝えています」と語り、自身が愛して止まなかった「モレリア2」の製造過程を見たいと願望を語った。
そのほかにも、「普通にお店の格好させてもらって、レジ打ちとかしたいと思います」と店舗に立つことや、ミズノカップへの顔出しや、母校である東久留米総合高校をはじめとしたミズノのユニフォームを着用する高校への訪問もしたいと語った。
その中村氏は「モレリア」の熱いエピソードを最後に語り、スパイクで人生を変えたいと思い、履くことにしたと明かした。
「「モレリア2」で人生を変えたいと思いました。ここからグッとあがっていきたいと」
「1年目はあまりレギュラーとは言えない選手だったので、「モレリア2」を履くことで言い訳できない形にして、これだけ良いスパイク履いて活躍しないといけないと言い聞かせていました。そこから試合に出て、上がっていけました」
「自分の足に合ったスパイクが「モレリア2」で、直感でしたが、キャリアがそれを証明しています。スパイクに出会うということは選手にとってすごく大事。自分の経験をもとに、良さを伝えていけることもあると思います。1人1人のスパイクの出会い位に自分も携われればと思います」
この契約により、中村氏にはこれからもサッカー品に関する改良や開発に対するアドバイスをもらうと共に、“感謝、感激、感動”をテーマに、社会とミズノをつなぐ様々な活動で協力するとのことだ。
まずは川崎フロンターレ一筋で18年間プレーした現役生活について「2003年に入った時はJ2で、そこまでお客さんが入っていないクラブでした。そこから地域密着を含めて、川崎のみなさんとともに歩んで、J1に上がって、昇格2年目の2006年に2位になって、僕自身すぐに優勝できると思いましたが、2017年までかかりました」とコメント。「悔しい思いをたくさんしましたが、その分優勝した時は嬉しくて、これ以上の喜びはなかったです」と語った。
また、「そこからタイトルを獲って、40歳が近くなって、引退してもいいかなと。後輩も育って、クラブも大きくなっていって」と語り、改めて引退を決断した理由を語った。
その中村は「18年間はチームも自分も右肩上がりでした」とコメント。それでも、「やりきった感覚しかないです。後悔や未練は全然なくて、新しいステージに向かって走り出しています」と、新たなことへ挑戦していくと語った。
また、引退後に想像していたことについて「現役の時にボールを蹴りたくなるかなと引退したら思っていたんですが、全然なくて、それだけしっかりやり切ったんだなと。今いただいているお仕事含めて、毎日充実しています」と語り、ボールを蹴ることへの未練が全然ないと意外な事実を明かした。
さらにシーズン開幕をしてからも寂しさはなかったとのこと。「引退してスタートするまではオフシーズンをいつも通り共有していた感じでしたが、スタートしても寂しくなくて、みんなやっているなという感じです。さっぱりしていて自分に驚きました」と自分でも未練がなさすぎで驚いたとのこと。「今まではフロンターレでやっていたので他のチームのことも見ましたが、対戦相手の直近の試合を見ていたので、それよりはより多くの試合を見ているなという感じです。全体的には見ていなかったので」と語り、今まで以上に多くの試合を観ていると語った。
その中村だが、ミズノのスパイクである「モレリア」を17年間履き続けていた。その「モレリア」との出会いについては「小学生の頃から履いていましたが、他のメーカーも含めて履いていました。ただ、2002年の時にブラジル代表のリバウドがモレリアウェーブを履いていて、リバウドが好きで履いて、良いイメージがありました」と大学の時に履き始めたと語った。
また、「フロンターレに入った時は別のメーカーを履いていましたが、2年目にクラブに話をして、「モレリアを履きたい」と言って、レギュラーになってミズノさんに声をかけてもらってという感じです」と、プロキャリアで「モレリア」を履き続けることとになった理由を明かした。
その「モレリア」の良さについては「フィットがすごくて、ミズノさんはどの靴を履いてもフィットする。他のメーカーも履いていただけに、より感じました」とコメント。「靴擦れも一回もしなかったです。当時は学生だったので、上から目線でしたね笑。ただ、それが後々履きたいと思う大きな理由でした」と明かした。
中村が「モレリア」に求めたのは「軽さと素足感覚」とし、「モレリアは自分が理想としているスパイク像だった」とコメント。また、プレーにも大きく影響したと言い「プレーにはかなり影響したと思います。僕は走るよりも技術に特化した人間なので、素足感覚で、思ったところにボールが止まるとか、そこは良かったです」と語り、「スパイクの柔らかさもあって、いろいろな動きもあります。軽さもですね。足も速くないので、かなり重要視していた」とこだわりを語った。
また、現役時代に使用していたスパイクに関しては「スパイクはちゃんと棚に保管しています。現役ラストのスパイクは置いてあります」とコメント。「履いたまんまでそのあと手入れしていないので、その時の感覚が残っています」と思わぬ秘話を明かした。さらに、「元旦の決勝戦終わった後に、チームのホペイロから「そのまま手入れしないで置いておきました」というメッセージをもらいました」と語り、「とても感謝しています」とスタッフへの感謝を口にした。
また、アンバサダーの活動としては、様々なことをしたいと言い、一番は「モレリア」の工場見学をしたいとのこと。「現役の時もすごくあったんですが、叶わないこともありました。現在はフリーなので、ミズノさんにいきたいというのも伝えています」と語り、自身が愛して止まなかった「モレリア2」の製造過程を見たいと願望を語った。
そのほかにも、「普通にお店の格好させてもらって、レジ打ちとかしたいと思います」と店舗に立つことや、ミズノカップへの顔出しや、母校である東久留米総合高校をはじめとしたミズノのユニフォームを着用する高校への訪問もしたいと語った。
その中村氏は「モレリア」の熱いエピソードを最後に語り、スパイクで人生を変えたいと思い、履くことにしたと明かした。
「「モレリア2」で人生を変えたいと思いました。ここからグッとあがっていきたいと」
「1年目はあまりレギュラーとは言えない選手だったので、「モレリア2」を履くことで言い訳できない形にして、これだけ良いスパイク履いて活躍しないといけないと言い聞かせていました。そこから試合に出て、上がっていけました」
「自分の足に合ったスパイクが「モレリア2」で、直感でしたが、キャリアがそれを証明しています。スパイクに出会うということは選手にとってすごく大事。自分の経験をもとに、良さを伝えていけることもあると思います。1人1人のスパイクの出会い位に自分も携われればと思います」
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