浦和戦勝利で思い出した横浜FC昔話/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.09.29 11:00 Tue
9月23日のJ1リーグ第18節、アウェーで川崎Fと対戦した横浜FCは、敗れたものの2-3と大善戦だった。それまで浦和を3-0、広島を5-1と粉砕してきたのだから、横浜FC戦も大差の勝利を収めると予想された。
しかし結果は3-2の僅差で、一時は2-1と追い上げられる展開を強いられた。今シーズン初めて「キング・カズ」がスタメンに名を連ね、さらに中村俊、松井のベテランもそろい踏み。そんな横浜FCを鬼木監督は「ああいう選手たちがいると、それだけでプレッシャーになったと思う」と脅威に感じたことを素直に認めつつ、「そういう意味で、受けずにアグレッシブに行かないといけないと改めて思う」と反省した。
カズ(三浦知良)、中村俊輔、松井大輔――改めて一時代を築いた3選手のスタメン出場に、横浜FCのオールドファンは14年前の06年を思い出したのではないだろうか。
05年に横浜FCの監督に就任した足達氏は、シーズンを11位で終えた。迎えた06年、開幕戦で愛媛に0-1と敗れた横浜FCのフロントは、わずか1試合で足達監督を解任した。開幕戦後のスピード解任は今でもJリーグの最短記録である。
後任監督にはコーチだった高木氏(現大宮監督)が就任すると、高木監督はベテランを要所に配し、守備重視のサッカーで見事初のJ1昇格を果たした。その原動力となったのが、カズであり、彼と2トップを組んだ城彰二(キャプテンを務め、06年で現役を引退)であり、ボランチの山口素弘とCBの小村徳男だった。
この07年は、最終節でもドラマが待ち受けていた。5月26日、第13節のホーム大分戦に2-1で勝って以降は勝利から見放され、その後の20試合は3分け17敗という惨憺たる成績だった。このため8月28日に高木監督を解任し、ジュリオレアル新監督を迎えたが、前述したように一向に成績は上向かない。
10月20日の神戸戦にも0-3で敗れ、残り5試合でJ2降格が決まる。これは当時最速の降格決定だった。
そして最終戦の相手は優勝争いを演じている浦和だった。一時は独走態勢にあった浦和だが、第30節終了時点であと1勝すればリーグ連覇という状況で3試合連続のドローと足踏みをしていた。その間に鹿島に追い上げられ、勝点1差に詰められたものの、勝てば自力優勝が決まるという有利な状況に変わりはなかった。まして相手はJ2降格が決まってモチベーションの低下している横浜FCである。誰もが浦和の優勝は確実と思った。
ところが試合はカズのスルーパスから根占真伍(東京Vからレンタル移籍)が決勝点を奪って見せる。試合はこのまま終了し、清水を3-0で下した鹿島が6年ぶり5度目のリーグ制覇を達成。連覇を逃した浦和は、これ以降リーグタイトルから遠ざかっている。
歴史は繰り返すのか、川崎Fに2-3と善戦した3日後の9月26日、横浜FCはアウェーで浦和と対戦した。さすがに中2日ということでベテラン3人はベンチからも外れたが、仙台大卒のルーキー松尾が2ゴールを奪い、今シーズン6勝目をあげた。
彼だけでなく、DF袴田やボランチの安永、ユース出身FWの斉藤光毅らは初のJ1で試合を重ねるたびに自信を深めているように感じられる。今後もどのようなサプライズを起こすのか。超ベテランと若手を巧みに操る下平監督の手腕にも注目したい。もちろん期待したいのは、カズダンスと中村俊の直接FK、松井のアクロバティックなゴールであることは言うまでもない。
【文・六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
しかし結果は3-2の僅差で、一時は2-1と追い上げられる展開を強いられた。今シーズン初めて「キング・カズ」がスタメンに名を連ね、さらに中村俊、松井のベテランもそろい踏み。そんな横浜FCを鬼木監督は「ああいう選手たちがいると、それだけでプレッシャーになったと思う」と脅威に感じたことを素直に認めつつ、「そういう意味で、受けずにアグレッシブに行かないといけないと改めて思う」と反省した。
05年に横浜FCの監督に就任した足達氏は、シーズンを11位で終えた。迎えた06年、開幕戦で愛媛に0-1と敗れた横浜FCのフロントは、わずか1試合で足達監督を解任した。開幕戦後のスピード解任は今でもJリーグの最短記録である。
後任監督にはコーチだった高木氏(現大宮監督)が就任すると、高木監督はベテランを要所に配し、守備重視のサッカーで見事初のJ1昇格を果たした。その原動力となったのが、カズであり、彼と2トップを組んだ城彰二(キャプテンを務め、06年で現役を引退)であり、ボランチの山口素弘とCBの小村徳男だった。
そして07年、初めてのJ1リーグに挑むに当たり、フロントはさらなる補強に動いた。横浜Mから久保竜彦と奥大介(故人)の元日本代表FWを獲得したのだ。横浜FCは開幕戦となったアウェー浦和戦は1-2で敗れたが、久保が得意の左足で超ロングシュートを決めたのは今でも語り草になっている。
この07年は、最終節でもドラマが待ち受けていた。5月26日、第13節のホーム大分戦に2-1で勝って以降は勝利から見放され、その後の20試合は3分け17敗という惨憺たる成績だった。このため8月28日に高木監督を解任し、ジュリオレアル新監督を迎えたが、前述したように一向に成績は上向かない。
10月20日の神戸戦にも0-3で敗れ、残り5試合でJ2降格が決まる。これは当時最速の降格決定だった。
そして最終戦の相手は優勝争いを演じている浦和だった。一時は独走態勢にあった浦和だが、第30節終了時点であと1勝すればリーグ連覇という状況で3試合連続のドローと足踏みをしていた。その間に鹿島に追い上げられ、勝点1差に詰められたものの、勝てば自力優勝が決まるという有利な状況に変わりはなかった。まして相手はJ2降格が決まってモチベーションの低下している横浜FCである。誰もが浦和の優勝は確実と思った。
ところが試合はカズのスルーパスから根占真伍(東京Vからレンタル移籍)が決勝点を奪って見せる。試合はこのまま終了し、清水を3-0で下した鹿島が6年ぶり5度目のリーグ制覇を達成。連覇を逃した浦和は、これ以降リーグタイトルから遠ざかっている。
歴史は繰り返すのか、川崎Fに2-3と善戦した3日後の9月26日、横浜FCはアウェーで浦和と対戦した。さすがに中2日ということでベテラン3人はベンチからも外れたが、仙台大卒のルーキー松尾が2ゴールを奪い、今シーズン6勝目をあげた。
彼だけでなく、DF袴田やボランチの安永、ユース出身FWの斉藤光毅らは初のJ1で試合を重ねるたびに自信を深めているように感じられる。今後もどのようなサプライズを起こすのか。超ベテランと若手を巧みに操る下平監督の手腕にも注目したい。もちろん期待したいのは、カズダンスと中村俊の直接FK、松井のアクロバティックなゴールであることは言うまでもない。
【文・六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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