今日は何の日!9月9日は、偉大な守護神ブッフォンの後継者、シュチェスニーがユベントスデビュー/2017年

2020.09.09 17:00 Wed
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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月9日の出来事を振り返ってみよう。今回ピックアップするのは、2017年9月9日。ポーランド代表GKヴォイチェフ・シュチェスニーが、ユベントスデビューを飾った日だ。
◆シュチェスニーのユベントスでのキャリアハイライト

◆若くして頭角を現したポーランドの逸材
母国の強豪レギア・ワルシャワユースで育ったシュチェスニーは、若くしてアーセナルに引き抜かれると、2010年にファーストチームに定着。好セーブを連発して、正GKの座を掴んだ。

しかし、安定感を欠くパフォーマンスが散見されるようになると、素行の問題なども重なり、アーセナルでは徐々に出場機会を減らした。しかし、2015年ローマへのレンタル移籍を機に、素晴らしい活躍を見せ始めると、GKアリソン・ベッカー(現リバプール)を抑えてレギュラーを勝ち取るなど、リーグ屈指のGKとしての評価を受けるように。そして2017年夏に、セリエAの絶対王者、ユベントスに加入した。

◆偉大な守護神から後を任される存在に
そして迎えた2017年9月9日、セリエA第3節で、長年ユベントスの絶対的守護神を務めてきたGKジャンルイジ・ブッフォンに代わって先発出場を果たし、同クラブでのデビューを飾った。
このシーズンはブッフォンとローテーションを組んで出場していたが、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)に退団した際には(2019年夏にユベントス復帰)、同選手が長年着用してきた背番号「1」を受け継いでいる。

イングランド時代の自分とは決別し、イタリアでワールドクラスの活躍を続けるシュチェスニーの今後の活躍に益々期待だ。
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今日は何の日!9月12日は、イタリア最高峰のファンタジスタ、デル・ピエロがユベントスデビュー/1993年

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今日は何の日!9月10日は、アーセナルの希望の光、アルテタがアーセナルデビューを飾る/2011年

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今日は何の日!9月8日は、今ではチームの絶対的な守備の要となった、セルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの一員としてお披露目/2005年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月8日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2005年9月8日。スペイン代表DFセルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの選手としてお披露目された日だ。 <div id="cws_ad">◆マドリーの生ける伝説、セルヒオ・ラモスのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJOcU5tNGxJRSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆偉大な背番号を受け継いだ若きタレント セビージャの下部組織で育ち、2004年2月にファーストチームデビューを飾ったラモスは、翌シーズン18歳ながらシーズンを通して公式戦37試合に出場するなど、ブレイク。2005年夏に当時スペイン人の10代の選手としては史上最高額となる移籍金2700万ユーロ(現レートで約34億円)でレアル・マドリーに加入した。 そして2005年9月8日、正式にマドリーの選手としてお披露目され、クラブの偉大なDFであったDFフェルナンド・イエロ氏が最後に着けていた背番号「4」を受け継いでいる。 ◆クラブを代表する存在へ 加入初シーズンから安定した出場機会を得たラモスは、主力DFとしてメキメキと頭角を現し、20代後半からはセンターバックを主戦場とした。2015-16シーズンからは、ポルトへ移籍したGKイケル・カシージャス氏の退団に伴い、クラブキャプテンに就任している。 抜群のリーダーシップを発揮し、チームを最終ラインから統率するラモスは、DFとしてのラ・リーガ史上最多ゴール数記録保持者であるとともに、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグ(CL)、スペイン代表チームで最多退場数や警告数の記録も持っているなど、良い時も悪い時も存在感を示し続ける選手として知られている。 新シーズンでも、ラモスの益々の活躍に期待だ。 2020.09.08 17:00 Tue

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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月7日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1979年9月7日。元アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナ氏を擁したU-20アルゼンチン代表が、日本で開催されたワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で優勝した日だ。 <div id="cws_ad">◆全盛期のマラドーナがナポリで見せたスーパーゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJreTVDM3hJVSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆日本に降り立った天才マラドーナ 1979年、ワールドユース選手権が日本で開催され、各国の有望な若手選手たちが日本に集結する中、一際注目を集める選手がいた。それが、U-20アルゼンチン代表としてこの大会に参加した、マラドーナだった。 わずか14歳でプロクラブのファーストチームに昇格し、大会が行われる1979年には既に国内リーグの得点王に輝いていたマラドーナは、この大会でも周囲の期待を上回る活躍を見せる。 キャプテンとしてチームを率いたマラドーナは、決勝までの5試合中4試合で5ゴールを挙げ、チームを決勝に導く。そして9月7日に行われた、ソビエト連邦との決勝戦でも得点を挙げ、6試合6得点の大活躍で母国の優勝の原動力に。大会MVPに選出されている。 圧倒的な攻撃力で世界のライバルを次々と倒していったこのユース代表チームについて、自身も後に「文句なしに自分のキャリアの中で一番素晴らしいチームだった」と振り返っている。 ◆日本人サポーターもマラドーナに熱狂 一方開催国として初出場を果たした日本は、「世界での1勝」を目指して戦ったが、2分1敗で無念のグループステージ敗退している。 開催国日本が早々に大会から姿を消したものの、マラドーナの活躍を一目見ようと、大会の熱は冷めず、旧国立競技場で行われた決勝戦には、約5万2000人の観衆が訪れた。 2020.09.07 17:00 Mon
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