「鹿島以外でやる選択肢はない」現役引退の内田篤人、決断の理由は「隣に立つのは失礼だと思った」
2020.08.24 16:03 Mon
24日、現役ラストマッチから一夜明け、元日本代表DF内田篤人(32)がオンラインでの引退会見を行った。
内田は、20日に8月一杯で現役を引退することを発表。3日後の23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節でガンバ大阪戦では、右サイドバックで先発したDF広瀬陸斗が負傷したことを受け、16分でピッチに緊急投入。試合終了までプレーした。
引退試合から一夜明け、引退会見に臨んだ内田。引退を決断したタイミングについてコメント。12日に行われたYBCルヴァンカップの清水エスパルス戦後に、自ら申し出たことを明かした。
「昨シーズン終わった時に、もう契約をしてもらえないかなと少し思っていた部分があって、その中でももう1年チャンスをもらえたという印象でした」
「強化部の満さん(鈴木満常務強化部長)に話をしに行ったのは、ルヴァンカップの試合の後そのまま話をしに行きました」
チームへ報告したのは清水戦だったが、決断は1つ前のサガン鳥栖とのリーグ戦だったことも明かした。
「エスパルス戦でどうこうというよりは、その前の試合(サガン鳥栖戦)にベンチに入れてもらった時、残り10分、20分のプレーを真横で見た時、この時間帯でこの強度に耐えられる体はないなという感じでした」
「(清水戦も)前半はほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半は持たない。危ないところがわかっているのにそこのスペースに行けなかったり、自分が行かなきゃ行けない問いにスピードをを持っていけなかったり。そういったシーンが自分の中で数多くありました」
「あの最後の試合が自分の中で辞めなきゃダメだと後押しになったかもしれません」
シャルケに移籍後、ドイツでも活躍を続けた内田。しかし、2015年に手術した右ヒザの状態が良くなく、その後のキャリアは難しいものとなった。
鹿島を去る決断をした中で、ヒザのケガによるパフォーマンス低下も理由に挙げた内田。チームへの想いについては、所属するのに相応しくないと感じていたことを改めて語った。
「先輩たちがグラウンドでやるべきことをやっているのを見てきました。(小笠原)満男さんとか柳さん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、中田浩二さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいました」
「鹿島の選手らしい振る舞い、立ち姿は自分の中で感じるものがあって、それが僕にはできていないなと。練習中なんかもケガをしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中、例えば(永木)亮太とか小泉慶とか、土居くんとかが練習100%でやっている中で、隣に立つのは失礼だと思いました。鹿島の選手としてケジメをつけないといけないなと思いました」
また、鹿島以外でのプレーについては「カテゴリを下げてとか、環境を変えるために移籍するとい選択肢もあったと思いますけど、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせてもらいたいと思いました」とコメントした。
内田は、20日に8月一杯で現役を引退することを発表。3日後の23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節でガンバ大阪戦では、右サイドバックで先発したDF広瀬陸斗が負傷したことを受け、16分でピッチに緊急投入。試合終了までプレーした。
「昨シーズン終わった時に、もう契約をしてもらえないかなと少し思っていた部分があって、その中でももう1年チャンスをもらえたという印象でした」
「強化部の満さん(鈴木満常務強化部長)に話をしに行ったのは、ルヴァンカップの試合の後そのまま話をしに行きました」
「自分がチームの助けになっていないというのと、このまま契約を解除して引退させて欲しいと、試合後そのまま言いに行きました」
チームへ報告したのは清水戦だったが、決断は1つ前のサガン鳥栖とのリーグ戦だったことも明かした。
「エスパルス戦でどうこうというよりは、その前の試合(サガン鳥栖戦)にベンチに入れてもらった時、残り10分、20分のプレーを真横で見た時、この時間帯でこの強度に耐えられる体はないなという感じでした」
「(清水戦も)前半はほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半は持たない。危ないところがわかっているのにそこのスペースに行けなかったり、自分が行かなきゃ行けない問いにスピードをを持っていけなかったり。そういったシーンが自分の中で数多くありました」
「あの最後の試合が自分の中で辞めなきゃダメだと後押しになったかもしれません」
シャルケに移籍後、ドイツでも活躍を続けた内田。しかし、2015年に手術した右ヒザの状態が良くなく、その後のキャリアは難しいものとなった。
鹿島を去る決断をした中で、ヒザのケガによるパフォーマンス低下も理由に挙げた内田。チームへの想いについては、所属するのに相応しくないと感じていたことを改めて語った。
「先輩たちがグラウンドでやるべきことをやっているのを見てきました。(小笠原)満男さんとか柳さん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、中田浩二さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいました」
「鹿島の選手らしい振る舞い、立ち姿は自分の中で感じるものがあって、それが僕にはできていないなと。練習中なんかもケガをしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中、例えば(永木)亮太とか小泉慶とか、土居くんとかが練習100%でやっている中で、隣に立つのは失礼だと思いました。鹿島の選手としてケジメをつけないといけないなと思いました」
また、鹿島以外でのプレーについては「カテゴリを下げてとか、環境を変えるために移籍するとい選択肢もあったと思いますけど、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせてもらいたいと思いました」とコメントした。
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