今日は何の日!8月17日は、ファン・ペルシがアーセナルから宿敵ユナイテッドへまさかの移籍!/2012年

2020.08.17 17:00 Mon
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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日8月17日の出来事を振り返ってみよう。今回ピックアップするのは、2012年8月17日。元オランダ代表FWのロビン・ファン・ペルシ氏が、アーセナルからマンチェスター・ユナイテッドへ完全移籍をした日だ。
◆アーセナルのキャプテン、ファン・ペルシが親善試合でも見事なゴール!


◆アーセナルを引っ張るエース、そしてキャプテン
名門フェイエノールトでプロデビューを果たしたファン・ペルシは、多くのビッグクラブからの関心を集める中、2004年にアーセナルへ加入。名将アーセン・ヴェゲル監督の下、着実に成長し、ストライカーとしての才能を開花させていった。

主力選手の流出が続き、徐々に成績が落ちてきていたアーセナルの中では、エースとして得点を量産し、キャプテンも務める精神的主柱にもなっていた。
◆多くのファンが落胆した“ライバル”への移籍
そんな絶対的存在になりつつあったファン・ペルシだが、トロフィーの獲得から遠ざかっていたクラブに不満を覚え始めると、2011-12シーズンにはアーセナルと新契約を締結しないことを発表。退団が決定的となっていた。

そしてシーズン終了後、マンチェスター・シティやユベントスなどへの移籍が有力視されていたものの、ファン・ペルシを獲得したのは、恩師ヴェンゲル監督の長年のライバルであるサー・アレックス・ファーガソン監督が率いるマンチェスター・ユナイテッドだった。

◆加入初シーズンから念願のプレミア制覇も…
このライバルであるマンチェスター・ユナイテッドへの移籍は、アーセナルファンから多くの批判を受けることとなったが、ファン・ペルシは新クラブ、ユナイテッドでも得点を量産し、リーグ得点王に輝く活躍を見せた。特にチームの優勝を決める試合でも決勝ゴールを決めるなど、クラブのプレミア制覇に多く貢献。自らの望みであったタイトルの獲得を加入初シーズンから果たして見せた。

新クラブで最高のスタートを切ったファン・ペルシであったが、このシーズンを最後に、ファーガソン監督が勇退。その後ファン・ペルシは、ケガもあり、デイビッド・モイーズ新監督の下ではあまり輝くことができずに、次のルイス・ファン・ハール監督の下では大幅に出場機会を減らし、2015年夏にトルコのフェネルバフチェへ移籍し、ユナイテッドを退団。2017年には古巣フェイエノールトへ復帰した後、2018-19シーズンをもって現役を引退している。
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今日は何の日!9月9日は、偉大な守護神ブッフォンの後継者、シュチェスニーがユベントスデビュー/2017年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月9日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2017年9月9日。ポーランド代表GKヴォイチェフ・シュチェスニーが、ユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆シュチェスニーのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJnSUNyT2dqWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若くして頭角を現したポーランドの逸材 母国の強豪レギア・ワルシャワユースで育ったシュチェスニーは、若くしてアーセナルに引き抜かれると、2010年にファーストチームに定着。好セーブを連発して、正GKの座を掴んだ。 しかし、安定感を欠くパフォーマンスが散見されるようになると、素行の問題なども重なり、アーセナルでは徐々に出場機会を減らした。しかし、2015年ローマへのレンタル移籍を機に、素晴らしい活躍を見せ始めると、GKアリソン・ベッカー(現リバプール)を抑えてレギュラーを勝ち取るなど、リーグ屈指のGKとしての評価を受けるように。そして2017年夏に、セリエAの絶対王者、ユベントスに加入した。 ◆偉大な守護神から後を任される存在に そして迎えた2017年9月9日、セリエA第3節で、長年ユベントスの絶対的守護神を務めてきたGKジャンルイジ・ブッフォンに代わって先発出場を果たし、同クラブでのデビューを飾った。 このシーズンはブッフォンとローテーションを組んで出場していたが、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)に退団した際には(2019年夏にユベントス復帰)、同選手が長年着用してきた背番号「1」を受け継いでいる。 イングランド時代の自分とは決別し、イタリアでワールドクラスの活躍を続けるシュチェスニーの今後の活躍に益々期待だ。 2020.09.09 17:00 Wed

今日は何の日!9月8日は、今ではチームの絶対的な守備の要となった、セルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの一員としてお披露目/2005年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月8日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2005年9月8日。スペイン代表DFセルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの選手としてお披露目された日だ。 <div id="cws_ad">◆マドリーの生ける伝説、セルヒオ・ラモスのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJOcU5tNGxJRSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆偉大な背番号を受け継いだ若きタレント セビージャの下部組織で育ち、2004年2月にファーストチームデビューを飾ったラモスは、翌シーズン18歳ながらシーズンを通して公式戦37試合に出場するなど、ブレイク。2005年夏に当時スペイン人の10代の選手としては史上最高額となる移籍金2700万ユーロ(現レートで約34億円)でレアル・マドリーに加入した。 そして2005年9月8日、正式にマドリーの選手としてお披露目され、クラブの偉大なDFであったDFフェルナンド・イエロ氏が最後に着けていた背番号「4」を受け継いでいる。 ◆クラブを代表する存在へ 加入初シーズンから安定した出場機会を得たラモスは、主力DFとしてメキメキと頭角を現し、20代後半からはセンターバックを主戦場とした。2015-16シーズンからは、ポルトへ移籍したGKイケル・カシージャス氏の退団に伴い、クラブキャプテンに就任している。 抜群のリーダーシップを発揮し、チームを最終ラインから統率するラモスは、DFとしてのラ・リーガ史上最多ゴール数記録保持者であるとともに、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグ(CL)、スペイン代表チームで最多退場数や警告数の記録も持っているなど、良い時も悪い時も存在感を示し続ける選手として知られている。 新シーズンでも、ラモスの益々の活躍に期待だ。 2020.09.08 17:00 Tue
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