【THIS IS MY CLUB】片野坂監督との“二人三脚”で歩む榎徹社長、大分トリニータが描く未来
2020.07.03 18:30 Fri
◆J3優勝、J2昇格は「正直一番嬉しかった」
──2016年に大分トリニータの社長に就任されました。チームはJ3に降格した年でしたが、当時の心境はいかがでしたか
「皆さんから「非常に大変だな」、「火中の栗を拾った」といった同情の声をいただいたんですが、私自身は「J3からであれば、あとは上がるしかないだろう」、J3からJ2には1年でなんとか上がりたいなと思っていました。思ったほどの悲壮感はなく、むしろワクワクしていたというのが当時の心境です。やらなくてはいけないということはありましたが、それは上がるしかない状況だったという思いが強いです。むしろ、今の方が厳しいのかなと思っています」
──地元である大分県のクラブに対しての想いというのは当時はいかがでしたか
「クラブというか、元々トリニータのファンだったんです。1994年にクラブはできましたが、発足時からではないですが、それに近い時期からずっと見ていまして、シーズンチケットも購入していましたし、当時は気楽な立場でヤジも飛ばしていました」
「そういったこともありましたし、元々県職員でしたので、地域のためにというそういった思考回路はありました。スポーツを通じて地域を元気にするというのは凄い事なのではないかと思っていました」
──そういった中で、J3を戦うことに加え、クラブは再建中の身でした。難しさもあったかと思います
「一番厳しい時は、前の青野(浩志)社長が方向性を作ってやってくれていましたので、ある意味それに乗っかるということはありました。私がなんとかしたというよりも、前からいるクラブの社員、前の社長たちがしっかりやってくれていて、私は途中から引き継いだという形でした」
「経営的には当然苦しい部分もありました。お金は少なかったです。でも、それでもJ3であれば当時でも一番大きなクラブでした。J2に行くと下から数えた方が早いクラブでしたが、新しい社員、昔からいる社員が力を合わせて、会社の規模も大きくしていったことで乗り切れたと思います」
──就任1年目でチームはJ3優勝、J2復帰を果たしました。目標であった1年での昇格が決定した時のお気持ちはいかがでしたか
「正直、あの時が一番嬉しかったですね。片野坂監督ともよく話しているんですが、J3で優勝してJ2に上がった瞬間は、本当に嬉しくて涙が出ました。なんとか上がれたという。嬉しかったというか、ホッとしたという感じですね。当時の選手も頑張ってくれてありがたい結果だったと思っています」
──2016年に大分トリニータの社長に就任されました。チームはJ3に降格した年でしたが、当時の心境はいかがでしたか
「皆さんから「非常に大変だな」、「火中の栗を拾った」といった同情の声をいただいたんですが、私自身は「J3からであれば、あとは上がるしかないだろう」、J3からJ2には1年でなんとか上がりたいなと思っていました。思ったほどの悲壮感はなく、むしろワクワクしていたというのが当時の心境です。やらなくてはいけないということはありましたが、それは上がるしかない状況だったという思いが強いです。むしろ、今の方が厳しいのかなと思っています」
──地元である大分県のクラブに対しての想いというのは当時はいかがでしたか
「クラブというか、元々トリニータのファンだったんです。1994年にクラブはできましたが、発足時からではないですが、それに近い時期からずっと見ていまして、シーズンチケットも購入していましたし、当時は気楽な立場でヤジも飛ばしていました」
「そういったこともありましたし、元々県職員でしたので、地域のためにというそういった思考回路はありました。スポーツを通じて地域を元気にするというのは凄い事なのではないかと思っていました」
──そういった中で、J3を戦うことに加え、クラブは再建中の身でした。難しさもあったかと思います
「一番厳しい時は、前の青野(浩志)社長が方向性を作ってやってくれていましたので、ある意味それに乗っかるということはありました。私がなんとかしたというよりも、前からいるクラブの社員、前の社長たちがしっかりやってくれていて、私は途中から引き継いだという形でした」
「経営的には当然苦しい部分もありました。お金は少なかったです。でも、それでもJ3であれば当時でも一番大きなクラブでした。J2に行くと下から数えた方が早いクラブでしたが、新しい社員、昔からいる社員が力を合わせて、会社の規模も大きくしていったことで乗り切れたと思います」
──就任1年目でチームはJ3優勝、J2復帰を果たしました。目標であった1年での昇格が決定した時のお気持ちはいかがでしたか
「正直、あの時が一番嬉しかったですね。片野坂監督ともよく話しているんですが、J3で優勝してJ2に上がった瞬間は、本当に嬉しくて涙が出ました。なんとか上がれたという。嬉しかったというか、ホッとしたという感じですね。当時の選手も頑張ってくれてありがたい結果だったと思っています」
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