田嶋幸三氏のまたぎフェイントの思い出/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.04.15 15:20 Wed
先週の木曜コラムでは、田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長のショートインタビューを紹介させていただいた。現在62歳の田嶋会長だが、現役時代を知らない読者も多いことだろう。彼は1976年、浦和南高校の3年生の時に、エースストライカーとして全国高校サッカー選手権(第54回)で優勝した(決勝は静岡工に2-1の勝利)経験を持つ、将来を嘱望された選手でもあった。
当時の高校選手権は大阪で開催されたため(翌年から首都圏に会場が変わり、水沼貴史らを擁した浦和南が決勝で静岡学園を5-4で下して連覇を達成)、同い年の私はテレビで観戦するしかなかったが、衝撃だったのは「またぎフェイント」でゴールを量産したことだった。恐らく日本で初めて「またぎフェイント」を世に知らしめた選手ではないだろうか(本人にそのことを言うと本気で照れていた)。
ペナルティエリア内でゴールを背にしてボールをキープすると、左足で外側から内側にまたいで右に回り込むと見せ、左足のアウトサイドで左にボールを押し出し、素早く反転して右足でシュート--というのが得意のパターンだった。カズ(三浦知良)は内側から外側への「またぎフェイント」を得意としているが、田嶋氏はその逆だった。
そんな「またぎフェイント」だが、このプレーを世界に知らしめたのは1970年のメキシコW杯で優勝したブラジルのリベリーノ(清水などで監督を経験)だったのではないだろうか。「左足の魔術師」と呼ばれたレフティーで、ドリブルしながら田嶋氏と同様に外側から内側にまたぎ、右へ抜くと見せて左足のアウトサイドで左へと抜いていく。
そのフェイントのスピードと、キレのある動きは真似したくても不可能で、サッカー部の先輩からは「曲芸みたいなプレーはするな!」と怒られたものだ。
その越後氏のフェイントとは、ドリブルしながらDFとの間合いを計りつつ、右足のアウトサイドで右方向にボールを押し出し、DFがつられたら素早く右足のインサイドで切り返して左へ抜いていくというものだった。一瞬の右足首のスナップを効かせたフェイントでもあり、越後氏は「ボールが伸びたように見えて、すぐに縮まるから“ゴムのフェイント"と名付けた」と言っていた。
日本では、読売クラブ時代のジョージ与那城氏(元日本代表)が得意とするフェイントで、多くの選手が幻惑されたものだ。そして海外では、ロナウジーニョやウィリアンなどブラジルの選手が得意とするフェイントであり、今では「エラシコ」の名前で定着していると言えば、そのプレーをすぐに思い出す読者も多いだろう。
メッシやC・ロナウドは「エラシコ」と「またぎ」を織り交ぜたフェイントで対戦相手を幻惑する。そんな彼らの芸術的なプレーを、安心して見られる日が一日でも早く訪れることを願わずにはいられない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
当時の高校選手権は大阪で開催されたため(翌年から首都圏に会場が変わり、水沼貴史らを擁した浦和南が決勝で静岡学園を5-4で下して連覇を達成)、同い年の私はテレビで観戦するしかなかったが、衝撃だったのは「またぎフェイント」でゴールを量産したことだった。恐らく日本で初めて「またぎフェイント」を世に知らしめた選手ではないだろうか(本人にそのことを言うと本気で照れていた)。
そんな「またぎフェイント」だが、このプレーを世界に知らしめたのは1970年のメキシコW杯で優勝したブラジルのリベリーノ(清水などで監督を経験)だったのではないだろうか。「左足の魔術師」と呼ばれたレフティーで、ドリブルしながら田嶋氏と同様に外側から内側にまたぎ、右へ抜くと見せて左足のアウトサイドで左へと抜いていく。
そのフェイントのスピードと、キレのある動きは真似したくても不可能で、サッカー部の先輩からは「曲芸みたいなプレーはするな!」と怒られたものだ。
そのリベリーノとコリンチャンス時代にチームメイトだったのがセルジを越後氏である。越後氏は「リベリーノからまたぎフェイントを教えてもらったので、僕も得意とするフェイントを教えたんだ」と同氏が現役引退後、サッカー教室で全国を回っていた頃に聞いたことがある。
その越後氏のフェイントとは、ドリブルしながらDFとの間合いを計りつつ、右足のアウトサイドで右方向にボールを押し出し、DFがつられたら素早く右足のインサイドで切り返して左へ抜いていくというものだった。一瞬の右足首のスナップを効かせたフェイントでもあり、越後氏は「ボールが伸びたように見えて、すぐに縮まるから“ゴムのフェイント"と名付けた」と言っていた。
日本では、読売クラブ時代のジョージ与那城氏(元日本代表)が得意とするフェイントで、多くの選手が幻惑されたものだ。そして海外では、ロナウジーニョやウィリアンなどブラジルの選手が得意とするフェイントであり、今では「エラシコ」の名前で定着していると言えば、そのプレーをすぐに思い出す読者も多いだろう。
メッシやC・ロナウドは「エラシコ」と「またぎ」を織り交ぜたフェイントで対戦相手を幻惑する。そんな彼らの芸術的なプレーを、安心して見られる日が一日でも早く訪れることを願わずにはいられない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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