JFA田嶋幸三会長が新型コロナについて語る/六川亨の日本サッカー見聞録
2020.04.10 13:05 Fri
安部首相は4月8日、7都府県に「緊急事態宣言」を発令した。にもかかわらず感染者の増加に歯止めがかからない。プロ野球とJリーグに続き、バスケットのBリーグ大阪や全日本柔道連盟、大相撲からも感染者が確認された。
いずれも氏名はプライバシー保護のため公表されていないが、新型コロナウイルスに感染したことを公表し、無事2回の陰性が確認されて退院したのが田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長だ。今月8日、webでインタビューしたので、その模様を簡単に紹介したい。
田嶋会長が体調の異変に気付いたのは3月14日、東京に雪が降った日といえば思い出す人も多いのではないだろうか。当時すでにJFAは在宅勤務を採用していたものの、田嶋会長は3月8日に海外から帰国後、14日は理事会があったため出社した。
2月に海外で様々な会議に出席していた当時の心境としては「イギリスのチャールズ皇太子、ジョンソン首相も罹患してしまうように、集団的な感染、みんな罹っているぞ、罹ったほうがいいぞ」というものだったという。
しかし14日、自宅に戻ると寒気がした。食事後はすぐに休んだものの、ネットをチェックしていたら、2月の国際会議で同席したスイスのサッカー協会会長が感染したというニュースを目にした。「まてよ、一緒だったよな。握手はしていないよな」と思いつつ、週末のため医療機関は休みだったので、自室から出ないようにして、ドクターでもある夫人は田嶋会長が触れたところを消毒して回った。
「私が行った病院は感染症に指定された病院だったため、しっかりとした防護服を着て対応して下さいました」そうだ。
入院しての治療は点滴と投薬、採血と採尿、そして便の検査だった。薬が効かず、人工呼吸器やエクモ(人工心肺装置)を使っても効果がないと、「あとは田嶋さんの免疫でやるしかないですよ」と言われ、その説明を聞いた時には正直「えっ」と思ったという。
入院中にタレントの志村けんさんが亡くなったことにもショックを受けた。「志村さんが亡くなったということを聞いた時にはものすごいショックでした。同じ病気であることと、こんなにも早く命を奪うのかって思うくらい、本当に悲しい思いを通り越した、表現できない気持ちになりましたね、その日は」と落ち込んだ。
幸いにも治療は順調に進み、2度のPCR検査で陰性が確認された4月2日、田嶋会長は無事に退院した。そして入院中に感じたのは「医療崩壊を絶対にさせてはいけない」ということだった。
「病室に来るドクター、ナース、医療スタッフは防護マスクにしても、目を覆うゴーグル、それから手袋、ビニールでできたエプロン、それらを毎回捨てていくわけです。それで自分を守っているわけで、医療崩壊の一番の原因は、医療関係者が感染してしまうということではないですか。それをやはり防いでいかないといけないと思いました」と最前線で戦う医療従事者を気遣う。
感染者への偏見や風評被害もこれから起こるかもしれない。田嶋会長は「僕らはワールドカップ予選で皆さんから応援してもらっています。力をもらっています。いま見えない敵と戦っている医療関係者や保健所の人たちを誰も応援しないのはおかしいと思います。是非とも応援するようなムーブメントをメディアからも発信して欲しい」とお願いする。
そしてサッカー協会の会長として、子供たちの登録料の免除や失職する可能性のある監督とコーチのサポート、Jリーグ、なでしこリーグ、JFLなど「様々なところの財務状況は調査しています。その調査をした上で、我々は何がサポートできるのか。それはもう我々ができることは全て、なるべく早いタイミングでやっていきたい。いまこそ、この難局にサッカー界は一致団結して臨まないといけないと思っています」と力説していた。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
いずれも氏名はプライバシー保護のため公表されていないが、新型コロナウイルスに感染したことを公表し、無事2回の陰性が確認されて退院したのが田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長だ。今月8日、webでインタビューしたので、その模様を簡単に紹介したい。
2月に海外で様々な会議に出席していた当時の心境としては「イギリスのチャールズ皇太子、ジョンソン首相も罹患してしまうように、集団的な感染、みんな罹っているぞ、罹ったほうがいいぞ」というものだったという。
しかし14日、自宅に戻ると寒気がした。食事後はすぐに休んだものの、ネットをチェックしていたら、2月の国際会議で同席したスイスのサッカー協会会長が感染したというニュースを目にした。「まてよ、一緒だったよな。握手はしていないよな」と思いつつ、週末のため医療機関は休みだったので、自室から出ないようにして、ドクターでもある夫人は田嶋会長が触れたところを消毒して回った。
熱は37度6分くらいだった。月曜日に病院へ行こうとしたものの、夫人は保健所に相談することを勧めた。そして保健所で、海外で濃厚接触の可能性があることを告げると、すぐに病院へ行くよう指示された。ドクターが聴診器を当てたとたんに「肺に異変がある」と言われ、レントゲンを撮ったら肺炎であることが判明。すぐにPCR検査をして陽性だったため、そのまま入院となった。
「私が行った病院は感染症に指定された病院だったため、しっかりとした防護服を着て対応して下さいました」そうだ。
入院しての治療は点滴と投薬、採血と採尿、そして便の検査だった。薬が効かず、人工呼吸器やエクモ(人工心肺装置)を使っても効果がないと、「あとは田嶋さんの免疫でやるしかないですよ」と言われ、その説明を聞いた時には正直「えっ」と思ったという。
入院中にタレントの志村けんさんが亡くなったことにもショックを受けた。「志村さんが亡くなったということを聞いた時にはものすごいショックでした。同じ病気であることと、こんなにも早く命を奪うのかって思うくらい、本当に悲しい思いを通り越した、表現できない気持ちになりましたね、その日は」と落ち込んだ。
幸いにも治療は順調に進み、2度のPCR検査で陰性が確認された4月2日、田嶋会長は無事に退院した。そして入院中に感じたのは「医療崩壊を絶対にさせてはいけない」ということだった。
「病室に来るドクター、ナース、医療スタッフは防護マスクにしても、目を覆うゴーグル、それから手袋、ビニールでできたエプロン、それらを毎回捨てていくわけです。それで自分を守っているわけで、医療崩壊の一番の原因は、医療関係者が感染してしまうということではないですか。それをやはり防いでいかないといけないと思いました」と最前線で戦う医療従事者を気遣う。
感染者への偏見や風評被害もこれから起こるかもしれない。田嶋会長は「僕らはワールドカップ予選で皆さんから応援してもらっています。力をもらっています。いま見えない敵と戦っている医療関係者や保健所の人たちを誰も応援しないのはおかしいと思います。是非とも応援するようなムーブメントをメディアからも発信して欲しい」とお願いする。
そしてサッカー協会の会長として、子供たちの登録料の免除や失職する可能性のある監督とコーチのサポート、Jリーグ、なでしこリーグ、JFLなど「様々なところの財務状況は調査しています。その調査をした上で、我々は何がサポートできるのか。それはもう我々ができることは全て、なるべく早いタイミングでやっていきたい。いまこそ、この難局にサッカー界は一致団結して臨まないといけないと思っています」と力説していた。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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