J1昇格プレーオフの山形の躍進/六川亨の日本サッカーの歩み
2019.12.03 18:20 Tue
今シーズンのJリーグも週末のJ1リーグ、J3リーグの最終節を残すのみとなった。優勝争いは首位の横浜FMと2位のFC東京の直接対決に絞られ、残留争いはJ1参入プレーオフに回る16位を巡る争いとなった。
そんなJ1参入プレーオフの1回戦が1日に行われ、J2の6位山形が3位の大宮を2-0で下して徳島との2回戦に進出した。試合は大宮の高木琢也が「いい順位で臨んだが、悔しい敗戦です。いくつか原因はあるが、セカンドボールを取れず、インテンシティも低い。残念な敗戦です」と振り返ったように、ドローでも2回戦に進める大宮が攻守に後手に回り完敗した。
山形は、ボランチに入った元日本代表の本田拓也が効いていた。絶妙なポジショニングで味方からのパスを引き出し、ノッキングを起こしがちな攻撃にスムーズな流れをもたらした。難しいパスを出すのではなく、シンプルにサイドに展開しながら、時にはタテパスで大宮ゴールを脅かす。
最終ラインに落ちることも多く、彼へプレスが甘かったことも大宮の敗因だった気がしてならない。
ただ、山形は勝たないと2回戦に進めない。このため後半28分の左CKからのトリックプレーは鮮やかだった。ショートコーナーを大きく戻し、ハイクロスと見せながらスルーパスで左サイドを坂元逹裕が突破。坂元の速くて低いクロスがイッペイ・シノヅカのOGを誘って先制した。
ただ山形は、後半37分に試合を決定づける2点目を奪った。「ボールをもらって顔を上げたら山田の動き出しが見えたのでクロスを上げた」と柳貴博が振り返ったように、右サイドの柳のクロスをファーサイドで山田拓巳がヘッドで折り返すと、フリーで走り込んだ交代出場の山岸祐也が豪快なボレーで決めた。
この時、記者席では「また山岸かよ」と、ちょっとした驚きがあった。
というのも前回山形がJ1に昇格した2014年は、GK山岸範宏(現JFAアカデミーコーチ)の劇的ゴールでJ1参入プレーオフの決勝に進出したからだ。
当時のJ1参入プレーオフは、J2リーグの首位(湘南)と2位(松本)は自動的にJ1へ昇格。3位から6位までの4チームでJ1昇格が争われ、現在のようにJ1の16位とのプレーオフはなかった。3位は千葉、4位は磐田、5位は北九州だったがJ1クラブライセンスを持たないため、6位の山形がJ1参入プレーオフに出場した。
このため、まず準決勝で山形と磐田が激突。試合は1-1のままアディショナルタイムに突入したが、そこで右CKから攻撃参加したGK山岸がヘッドで決勝点を決め磐田を2-1で振り切ったのだった。
当時のJリーグでGKのゴールは7回目だったが、ヘディングでのゴールは初めての快挙。GK山岸はJ1参入プレーオフ決勝でもスーパーセーブで千葉を完封して1-0の勝利に貢献し、山形は4年ぶりにJ1復帰へ貢献した。
トーナメント戦での試合終盤、GKがCKの際に攻撃参加するケースは多々ある。その際に「GKがフリーになることが多い」と言ったのはFC東京のGK林彰洋だ。その理由を林は「あらかじめ試合前にセットプレーの際は誰が誰をマークするかチームとして決められています。GKが攻撃参加したら、自分がマークすべき選手をフリーにしてもGKをマークするか迷いますし、ほとんどの場合、試合前に決められた選手をマークすることが多いです」と明かした。
ただ、「攻撃参加しても、GKはヘディングの練習はほとんどしていないので、ゴールを決めるのは難しいでしょう」とも語った。その意味でもGK山岸のゴールはJリーグ史に残る“快挙"と言える。
ちなみに2014年のJ1リーグは開幕第2節の浦和vs鳥栖戦で、浦和のサポーターが人種差別を想起させる横断幕で、その後Jリーグは無観客試合とする制裁処分を課す事件も起きた。
そして天皇杯では山形が初の決勝戦に進出した。決勝ではG大阪に1-3で敗れたものの、改修が決まっていた旧国立競技場を離れた最初のファイナリストになった。果たして山形の快進撃が今後も続くのか、2014年の再現を期待するファンも多いことだろう。
【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
そんなJ1参入プレーオフの1回戦が1日に行われ、J2の6位山形が3位の大宮を2-0で下して徳島との2回戦に進出した。試合は大宮の高木琢也が「いい順位で臨んだが、悔しい敗戦です。いくつか原因はあるが、セカンドボールを取れず、インテンシティも低い。残念な敗戦です」と振り返ったように、ドローでも2回戦に進める大宮が攻守に後手に回り完敗した。
最終ラインに落ちることも多く、彼へプレスが甘かったことも大宮の敗因だった気がしてならない。
ただ、山形は勝たないと2回戦に進めない。このため後半28分の左CKからのトリックプレーは鮮やかだった。ショートコーナーを大きく戻し、ハイクロスと見せながらスルーパスで左サイドを坂元逹裕が突破。坂元の速くて低いクロスがイッペイ・シノヅカのOGを誘って先制した。
このゴール、最初は主審が認めたものの、副審がフラッグを上げていたため一時はオフサイドかと思われた。しかし主審は追加副審と協議した結果、ゴールと認めた。VTRで確認すると、GK笠原昂史の側に山形の選手がいて、彼がオフサイドポジションにいたように見えるし、GKを幻惑したようにも見える。VARがあったとしても、微妙な判定だった。
ただ山形は、後半37分に試合を決定づける2点目を奪った。「ボールをもらって顔を上げたら山田の動き出しが見えたのでクロスを上げた」と柳貴博が振り返ったように、右サイドの柳のクロスをファーサイドで山田拓巳がヘッドで折り返すと、フリーで走り込んだ交代出場の山岸祐也が豪快なボレーで決めた。
この時、記者席では「また山岸かよ」と、ちょっとした驚きがあった。
というのも前回山形がJ1に昇格した2014年は、GK山岸範宏(現JFAアカデミーコーチ)の劇的ゴールでJ1参入プレーオフの決勝に進出したからだ。
当時のJ1参入プレーオフは、J2リーグの首位(湘南)と2位(松本)は自動的にJ1へ昇格。3位から6位までの4チームでJ1昇格が争われ、現在のようにJ1の16位とのプレーオフはなかった。3位は千葉、4位は磐田、5位は北九州だったがJ1クラブライセンスを持たないため、6位の山形がJ1参入プレーオフに出場した。
このため、まず準決勝で山形と磐田が激突。試合は1-1のままアディショナルタイムに突入したが、そこで右CKから攻撃参加したGK山岸がヘッドで決勝点を決め磐田を2-1で振り切ったのだった。
当時のJリーグでGKのゴールは7回目だったが、ヘディングでのゴールは初めての快挙。GK山岸はJ1参入プレーオフ決勝でもスーパーセーブで千葉を完封して1-0の勝利に貢献し、山形は4年ぶりにJ1復帰へ貢献した。
トーナメント戦での試合終盤、GKがCKの際に攻撃参加するケースは多々ある。その際に「GKがフリーになることが多い」と言ったのはFC東京のGK林彰洋だ。その理由を林は「あらかじめ試合前にセットプレーの際は誰が誰をマークするかチームとして決められています。GKが攻撃参加したら、自分がマークすべき選手をフリーにしてもGKをマークするか迷いますし、ほとんどの場合、試合前に決められた選手をマークすることが多いです」と明かした。
ただ、「攻撃参加しても、GKはヘディングの練習はほとんどしていないので、ゴールを決めるのは難しいでしょう」とも語った。その意味でもGK山岸のゴールはJリーグ史に残る“快挙"と言える。
ちなみに2014年のJ1リーグは開幕第2節の浦和vs鳥栖戦で、浦和のサポーターが人種差別を想起させる横断幕で、その後Jリーグは無観客試合とする制裁処分を課す事件も起きた。
そして天皇杯では山形が初の決勝戦に進出した。決勝ではG大阪に1-3で敗れたものの、改修が決まっていた旧国立競技場を離れた最初のファイナリストになった。果たして山形の快進撃が今後も続くのか、2014年の再現を期待するファンも多いことだろう。
【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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