【2022年カタールへ期待の選手㉗】点取屋としての自分を突き詰め、2〜3年後にはトップレベルの舞台に這い上がる!/宮代大聖(レノファ山口/FW)
2019.08.06 13:30 Tue
中村敬斗(トゥベンテ)が3日の19-20シーズン・オランダリーグ開幕のPSV戦でいきなりゴールを挙げ、菅原由勢(AZ)も4日のフォルトゥナ・シッタード戦で衝撃的デビュー弾を奪うなど、5〜6月の2019年U-20ワールドカップ(ポーランド)に参戦した面々が輝きを増している。国内でもDF小林友希が出場機会を求めてヴィッセル神戸からFC町田ゼルビアへレンタル移籍。向上心をむき出しにする者が続々と出現しているのだ。
2017・18年J1王者の川崎フロンターレからJ2のレノファ山口FCへ赴いた宮代大聖もその1人。U-15日本代表の頃から久保建英(レアル・マドリー)や中村、菅原らとともに日の丸を背負ってきた万能型ストライカーは、つねに2000年生まれ世代のトップを走ってきた。2017年U-20ワールドカップ(インド)に挑んだ時の森山佳郎監督も、今回のU-20で指揮を執った影山雅永監督も宮代を重要視し、最前線の軸に据えてきた。ポーランドではその期待に応えるように、初戦・エクアドル戦(ビドゴシュチ)で後半から試合の流れをガラリと変え、第2戦・メキシコ戦(グディーニャ)では2ゴールをゲット。3-0の完勝の原動力となった。だが、そこでの負傷が響いて第3戦・イタリア戦(ビドゴシュチ)に出られず、強行出場したラウンド16・韓国戦(ルブリン)では不発に終わった。日本は0-1で苦杯を喫し、宿敵がファイナルまで勝ち上がったのだから、宮代の屈辱感はひとしおだったはず。ジュニア時代から過ごした川崎を出る決断を下したのも、その悔しさが大きかったに違いない。
「今までフロンターレでは麻生の練習場でしかトレーニングしなかったし、芝生の感覚も毎日変わらなかったけど、今は難しさを多少は感じます。ただ、僕は知らない人ばかりの環境に飛び込むのは苦手じゃない。そこは問題なくやれてます」と19歳のFWは自信をのぞかせる。
新天地では7月20日のアルビレックス新潟戦を皮切りに、27日の大宮アルディージャ戦、31日の横浜FC戦、8月4日の水戸ホーリーホック戦と4戦連続フル出場。J1でほぼ出番を得られなかった選手がJ2でいきなり連戦を強いられるのは心身両面で大きな負担だろうが、本人はやりがいを感じている。
霜田(正浩)監督からは前線で起点になることだったり、背後への抜け出し、クロスへの入りを求められています。山口に来てから何度かチャンスはありますけど、まだ結果が出ていない。欲を言えば自分が点を取りたいっていうのが一番にあるんで、試合に出られるようになったことに満足するんじゃなくて、どんどんゴールを狙っていこうと思っています」と宮代は語気を強める。
「フロンターレだったら、ボールにずっと関わって簡単にはたいてテンポを出すという感じですけど、山口はFWの最後の駆け引きだったり、ゴール前で何をするかっていうところに重点が置かれている。ストライカーとして成長できる環境だと思います。U-20ワールドカップでも決め切ることの重要性を痛感しましたし、そこはFWとして前々からの課題。やり続けるしかないと思います。
同世代の仲間のことも刺激を受けますし、悔しい思いもありますけど、焦らずにしっかりと上を目指して頑張るしかない。2〜3年後に自分が上に行ければいいと考えてます」
宮代が言うように、現時点でスーパーだったとしてとしても、21〜22歳での成功が約束されているわけではない。岡崎慎司(マラガ)や大迫勇也(ブレーメン)といった日本代表で数々の実績を残してきたストライカーたちも10代の頃は「可能性のある選手の1人」でしかなかった。大事なのはここからのキャリアをどう描いていくかである。
川崎で出場機会を得られなかった宮代が今、やるべきなのは、実戦経験を積み重ね、FWとして確かな実績を残していくこと。それに尽きる。これまでエリート人生を歩んできた19歳の若武者にとってJ2という舞台は不本意な部分もあるだろうが、山口を躍進させるような目覚ましい活躍を見せれば、彼自身の近未来も大きく変わる。そう信じて、自分に足りないものを手にする努力を地道に続けていくことが肝要だ。
【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。
2017・18年J1王者の川崎フロンターレからJ2のレノファ山口FCへ赴いた宮代大聖もその1人。U-15日本代表の頃から久保建英(レアル・マドリー)や中村、菅原らとともに日の丸を背負ってきた万能型ストライカーは、つねに2000年生まれ世代のトップを走ってきた。2017年U-20ワールドカップ(インド)に挑んだ時の森山佳郎監督も、今回のU-20で指揮を執った影山雅永監督も宮代を重要視し、最前線の軸に据えてきた。ポーランドではその期待に応えるように、初戦・エクアドル戦(ビドゴシュチ)で後半から試合の流れをガラリと変え、第2戦・メキシコ戦(グディーニャ)では2ゴールをゲット。3-0の完勝の原動力となった。だが、そこでの負傷が響いて第3戦・イタリア戦(ビドゴシュチ)に出られず、強行出場したラウンド16・韓国戦(ルブリン)では不発に終わった。日本は0-1で苦杯を喫し、宿敵がファイナルまで勝ち上がったのだから、宮代の屈辱感はひとしおだったはず。ジュニア時代から過ごした川崎を出る決断を下したのも、その悔しさが大きかったに違いない。
新天地では7月20日のアルビレックス新潟戦を皮切りに、27日の大宮アルディージャ戦、31日の横浜FC戦、8月4日の水戸ホーリーホック戦と4戦連続フル出場。J1でほぼ出番を得られなかった選手がJ2でいきなり連戦を強いられるのは心身両面で大きな負担だろうが、本人はやりがいを感じている。
霜田(正浩)監督からは前線で起点になることだったり、背後への抜け出し、クロスへの入りを求められています。山口に来てから何度かチャンスはありますけど、まだ結果が出ていない。欲を言えば自分が点を取りたいっていうのが一番にあるんで、試合に出られるようになったことに満足するんじゃなくて、どんどんゴールを狙っていこうと思っています」と宮代は語気を強める。
川崎F仕込みの足元のテクニックや視野の広さ、パスセンスなど多彩な能力を持っている分、年代別代表を含めて「便利屋」として使われる傾向もあった彼だが、そろそろストライカーとして確固たるものを求められる時期に来ているのは間違いない。同い年のライバル・中村敬斗が一足先に海外移籍に踏み切り、公式戦でゴールを奪ったのを見れば「自分もやってやる」という気持ちにならないはずがない。以前の宮代はそういった闘争心を表に出すタイプではなかったが、2つの年代別世界大会を経て、泥臭く貪欲なFWに変貌しつつあるのは確かだ。そういう部分を研ぎ澄ませる意味で、山口への移籍というのは非常にいい選択だったのではないか。
「フロンターレだったら、ボールにずっと関わって簡単にはたいてテンポを出すという感じですけど、山口はFWの最後の駆け引きだったり、ゴール前で何をするかっていうところに重点が置かれている。ストライカーとして成長できる環境だと思います。U-20ワールドカップでも決め切ることの重要性を痛感しましたし、そこはFWとして前々からの課題。やり続けるしかないと思います。
同世代の仲間のことも刺激を受けますし、悔しい思いもありますけど、焦らずにしっかりと上を目指して頑張るしかない。2〜3年後に自分が上に行ければいいと考えてます」
宮代が言うように、現時点でスーパーだったとしてとしても、21〜22歳での成功が約束されているわけではない。岡崎慎司(マラガ)や大迫勇也(ブレーメン)といった日本代表で数々の実績を残してきたストライカーたちも10代の頃は「可能性のある選手の1人」でしかなかった。大事なのはここからのキャリアをどう描いていくかである。
川崎で出場機会を得られなかった宮代が今、やるべきなのは、実戦経験を積み重ね、FWとして確かな実績を残していくこと。それに尽きる。これまでエリート人生を歩んできた19歳の若武者にとってJ2という舞台は不本意な部分もあるだろうが、山口を躍進させるような目覚ましい活躍を見せれば、彼自身の近未来も大きく変わる。そう信じて、自分に足りないものを手にする努力を地道に続けていくことが肝要だ。
【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。
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