日本が2023年女子W杯ホスト国に正式立候補2019.04.12 19:55 Fri

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日本サッカー協会(JFA)は12日、国際サッカー連盟(FIFA)に対するFIFA女子ワールドカップ(W杯)2023の「招致登録書」提出を発表した。

FIFAは「意思表明書」提出期限の3月15日時点で、日本を含む9協会(アルゼンチン、オーストラリア、ボリビア、ブラジル、コロンビア、韓国※北朝鮮と共催の可能性、ニュージーランド、南アフリカ)の招致意思を表明を発表。そして、今回、11日付けで「招致登録書」を提出したことにより、正式な招致立候補に至った。

日本女子代表は1991年の第1回中国大会(前身の女子世界選手権、2003年からFIFA女子W杯に変更)から参加しており、2011年のドイツ大会で初優勝。前回の2015年カナダ大会は準決勝だった。なお、今年6月7日〜7月7日にかけて開催される第8回フランス大会への出場も決まっている。

◆招致活動に関するスケジュール
《2019年》
▽3/15
意思表明書」をFIFAに提出
▽3/18 FIFAが招致登録ならびに概要書類を意思表明国に送付
▽4/16まで
大会招致意思の再確認、招致登録書をFIFAに提出
▽4月18日
FIFAが招致及び開催に関する書類を招致登録国に送付
▽10月4日まで
招致及び開催に関する最終書類、開催合意書などをFIFAへ提出

《2020年》
▽3月
FIFA理事会において開催国決定
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【平成サッカー30年の軌跡】平成24年/2012年 巻き起こったロンドン旋風!

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0424.jpg" alt="" width="100%"></div> 2012年に竣工した東京スカイツリー。東京の新名所となった。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■オリンピックとスカイツリー竣工</span> 平成24年(2012年)、日本では明るい話題で1年がスタートしました。2月、今や東京の有名観光地の1つになっている東京スカイツリーが竣工しています。634mの高さを誇り、自立式鉄塔としては世界一、人口建造物ではドバイのブルジュ・ハリーファ(828m)に次ぐ世界で2番目に高いタワーとなっています。 8月に行われたロンドン・オリンピックでは、金メダル7個を含む史上最多38個のメダルを獲得し、大いに日本を盛り上げました。日本選手団の金メダリストの中には、大会3連覇となった「霊長類最強女子」こと吉田沙保里選手、2連覇となった体操男子の内村航平選手、そして大会後にプロ転向を発表し、話題になった村田諒太選手などが名を連ねました。また、女子バレーボールも銅メダルを獲得し、28年ぶりにメダル獲得を成し遂げました。 また、12月に行われた衆議院選挙では政権交代が起こっています。2009年以来民主党が与党となっていましたが、マニュフェストの不実行や迷走が続いた結果、信用を大きく落とし、わずか3年での政権交代となってしまいました。この結果自民党が与党に返り咲き、自民党総帥の安倍晋三氏が首相に。それから7年が経過した現在も首相を務める長期政権になっています。 その他、前年の2011年に北朝鮮の最高権力者・金正日氏が死去した事を受けて、後継者に指名されていた金正恩氏がこの年に朝鮮労働党第1書記に就任しています。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042401.jpg" alt="" width="100%"></div> ロンドン・オリンピック2012でU-23日本代表が4位入賞の大健闘。次世代の主役たちが世界の舞台で躍動した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■ロンドン五輪でヤング侍が躍動!</span> ロンドン・オリンピックでの日本選手団の活躍に国中が盛り上がりを見せていた頃、U-23サッカー日本代表もオリンピックで躍動します。 日本代表は予選グループDにスペイン、モロッコ、ホンジュラスとともに入ります。日本の初戦の相手となったスペインは、Aチームが同年にユーロ2012で連覇を達成。2010年の南アフリカ・ワールドカップ、2008年のユーロを合わせて国際大会3連覇中であり、U-23代表チームもダビド・デ・ヘア(現マンチェスター・ユナイテッド)、フアン・マタ(現マンチェスター・ユナイテッド)、イスコ(現レアル・マドリー)、ハビ・マルティネス(現バイエルン)らを擁するなど、そうそうたる顔ぶれであり、オリンピックでも優勝候補の1つと言われていました。 しかし、試合が始まると互角以上の試合を日本が展開します。そして前半34分、コーナーキックから大津祐樹(現横浜F・マリノス)が合わせて日本が先制。スペインはその後退場者を出し、日本が終始試合を優勢に進め、そのまま1-0で勝利します。 その後の予選では、モロッコに永井謙佑(現FC東京)のゴールで勝利。ホンジュラスには0-0で引き分けますが、予選を首位で通過し、ベスト8に輝いた2000年のシドニー・オリンピック以来初の決勝トーナメント進出を決めます。 準々決勝ではエジプト相手に3-0で完勝し、準決勝に進出。1964年のメキシコ大会ぶりのメダル獲得の機運が大いに高まりますが、準決勝の相手は北米の強豪・メキシコでした。前半12分、大津祐樹のゴールで日本が先制します。勝てば銀メダル以上が確定となる為、期待が大きく膨らみますが、そこからメキシコに3点を返され、1-3での準決勝敗退となってしまいました。 銅メダルをかけて韓国との3位決定戦に臨んだ日本でしたが、結果は2-0と惨敗。しかし、1964年以来最もメダルに近づいた大会となっており、これは胸を張って良い結果だと言えるでしょう。 また、この時の主力となったオーバーエイジ枠の吉田麻也(現サウサンプトン)や酒井宏樹(現マルセイユ)、そして清武弘嗣(現セレッソ大阪)らはその後のA代表でも大きく活躍しました。 2019.04.24 19:00 Wed
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成23年/2011年 未曾有の災害にサッカー界は…

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0423.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年3月11日、東北を未曾有の大震災が襲った。現在は復興が進んでいるが大きな傷跡を残した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■日本中が悲しみと不安に包まれた日</span> 平成23年(2011年)、日本を未曾有の大災害が襲いました。東日本大震災です。3月11日に起こったこの地震は最大震度7、マグニチュード9.0という日本における最大の震災で、約1万8500人もの尊い命が失われました。 さらに大きな影響を及ぼしたのが、地震の影響により発生した、東京電力福島第一原発での事故です。これにより放射能漏れが発生し、東日本全体が大きな不安に包まれまれました。また原発の運転停止に伴い関東での電力危機が発生。電力不足を防ぐために関東で定期停電が行われました。この災害は電力が有限の資源であるという事実、そして原子力発電所の危うさについて国として考えさせられる出来事になりました。 また、世界に目を向けると、世界的大企業、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が病気の為、56歳の若さでこの世を去ったのもこの年です。ITやソフトウェア業界に大きな影響を与えた彼の死は世界中に衝撃を与えました。また、スティーブ・ジョブズ氏の死後、伝記が出版され世界中でベストセラーになりました。 さらに、2001年のアメリカ同時多発テロの主導者とされる、オサマ・ビンラディン容疑者が、パキスタンで米軍によって殺害されたのも平成23年の出来事です。 その他には、日本で地上アナログ放送が終了とデジタル放送への完全移行や、中国が日本のGDP(国民総生産)を抜いて世界2位になったことが発表されました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042301.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年のアジアカップで日本が2大会ぶりの優勝。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び伝説となったザックJAPANのアジアカップ</span> 2011年、日本代表は前年のワールドカップでの成功を受け、”自分たちのサッカー”の確立を図っていました。これを受けて、イタリア・セリエAのACミランなどでの監督経験を持つイタリア人のアルベルト・ザッケローニを代表監督として招へいします。 この年、新体制発足以降初めての国際大会であるアジアカップに臨みました。新体制になってからまだ日が浅いせいか、大会序盤はなかなか調子が上がらず、苦しい戦いを強いられます。特に予選第2戦のシリア戦では、GKの川島永嗣(現ストラスブール)が退場になるなど、厳しい試合展開になりましたが、それでも2-1で勝ち切ります。結果、苦しみながらも2勝1分で日本はグループを首位で突破しました。 大会ホスト国であるカタール相手の準々決勝では、後半に吉田麻也(現サウサンプトン)が退場してしまい、数的不利の状況で1点リードされるという厳しい状況に再び陥っています。しかし驚異の粘りを見せた日本が3-2で勝利し、準決勝へと駒を進めました。 宿敵・韓国代表を迎えた準決勝はPK戦までもつれこむ激闘となります。両チーム前半1点ずつ決めますが、その後は決め手を欠き1-1のまま延長戦に突入。迎えた延長前半、日本がPKを獲得し勝ち越しますが、延長後半の120分、まさかの失点を許し同点追いつかれてしまいます。 PK戦では、日本代表の守護神・川島永嗣が、2004年アジアカップのヨルダン戦での川口能活を彷彿とさせる大活躍を見せます超人的セーブを連発し、PK戦で韓国に1本もゴールを許さず、日本の勝利に貢献しました。 決勝を前に、日本代表はエースの香川真司が負傷離脱するというアクシデントにも見舞われます。さらに決勝の相手はオーストラリア。日本にとって高さを武器にするオーストラリアは苦手な相手であり、ドイツW杯でも痛い敗戦を喫していた相手でした。エースの離脱、そして相性の悪い相手との決勝でしたが、日本代表選手の頭には優勝の2文字しかありませんでした。 決勝の試合は両者の実力が拮抗した接戦となります。両チームが果敢に攻め合う展開になりますが、お互いチャンスをものに出来ず前後半の90分が終了。準決勝の韓国戦でも120分を戦っていた日本にとっては、2試合連続での延長戦へ突入となりました。ここでFWの前田遼一に代わってここまで思うような活躍が出来ていなかった李忠成が途中交代で投入され、後にヒーローとなるのです。 延長後半、ついにその時が訪れます。左サイドの長友佑都からのクロスをフリーで待ち受けた李忠成が、得意の左足でダイレクトボレー。ボールは美しい起動を描きゴールの左上に吸い込まれました。日本はこの1点を試合終了まで守り抜き、アジアカップ連覇を達成したのでした。2010年のW杯同様、チーム一丸となって厳しい戦いを次々にものにしていった日本代表の姿に日本中が熱狂し、大きく盛り上がった大会となりました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042302.jpg" alt="" width="100%"></div> 伝説のボレーシュート。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■復興支援試合で見せた“魂のカズダンス”</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0423kazu.jpg" alt="" width="100%"></div> 震災を受けて日本サッカー協会は復興支援チャリティーマッチを開催。自粛ムードの中でカズが見せた“魂のカズダンス”は日本全体を盛り上げた。 2011年3月11日に発生した東日本大震災。スポーツ界ではプロ野球全試合が中止になるなど、様々なイベントが延期や中止となり、日本中は自粛ムードに包まれていました。そんな中発表されたのが、日本代表とJリーグ選抜による復興支援チャリティーマッチの開催でした。 震災からわずか18日後のチャリティーマッチ開催に、「まだ早い」「中止にすべき」という意見も少なくありませんでした。しかしサッカーを通じて何かを伝えたいと選手、協会が一丸となり開催が決定されました。日本代表には本田圭佑、長友佑都ら海外組12名も参加。そしてJリーグ選抜のそうそうたる顔ぶれの中には唯一J2からの招待となったキングカズこと、三浦知良も名を連ねました。 試合では日本代表が2ゴールでリードして迎えた後半37分、サポーターが待ち望んだ瞬間がついに訪れます。キングカズがゴールを決めたのです。Jリーグをずっと引っ張ってきたこの男のゴール、そしてトレードマークであるカズダンスに日本中が心を震わせました。この試合は、東北の被災地にテレビを通して伝えられ、約1億6000万円の義援金が集まりました。 日本が一体となって東北を支援する、という大きな流れを作るきっかけの1つになれたこのイベントは非常に重要なものとなりました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■なでしこジャパンが偉業達成!</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042303.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年の女子W杯で、なでしこジャパンがアジア勢初となる優勝という偉業を達成した。 男子サッカーがアジアカップ連覇に沸いていた2011年、女子サッカー日本代表、通称「なでしこジャパン」も快挙を達成していました。6月にドイツで開催されたFIFA女子W杯での優勝です。これはFIFA主催の世界大会で優勝したのは、男女・年代別を通じて初の偉業で、アジア勢全体としても初優勝となりました。 決勝戦のアメリカ戦は日本時間の午前3時35分からの放送だったにも関わらず最高瞬間視聴率27.7%を記録する等、これまでにない程の盛り上がりを見せ、なでしこジャパンフィーバーを生みました。また、この快挙は世界でも大きく取り上げられ、各国メディアは華麗なパスサッカーを展開するなでしこジャパンを「女子サッカーのバルセロナ」と称賛しました。 2019.04.23 19:00 Tue
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成22年/2010年 日本中が沸いた南アW杯

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0422.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが行われた。特に浅田真央の演技には日本中が注目した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■国内外で揺れる情勢</span> 平成22年(2010年)にも多くの記憶に残る出来事が起きました。まずは2月にカナダで、バンクーバー・オリンピックが開幕します。日本選手団は思うような活躍が出来ず、金メダルの獲得は0となりました。女子フィギュアスケートでは、金メダルの期待がかかっていた浅田真央選手は素晴らしい演技を見せたものの、韓国のキム・ヨナ選手に及ばず、銀メダル。全力を出しても金メダルに届かなかった悔しさからか、表彰式の後に涙を流した浅田選手の姿に日本中が胸を打たれました。 政界では、鳩山内閣の下、公立高校の無償化などの改革が実施されます。しかし、その他の政策に関しては財源の確保が難航し、多くの公約を実行することが出来ずに信頼を大きく失う結果となりました。その結果、6月には鳩山内閣退陣し、菅直人内閣が発足しました。また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起きたのもこの年。領土問題が連日報道され、日中関係がもつれました。 世界では、オバマ大統領が進めていた、アメリカ軍のイラクからの撤退が8月に完了。中東情勢は依然として多くの課題を抱えていましたが、この撤退により2003年から続いていたイラク戦争が一旦終息した形となりました。 この他にも、日本航空の経営破綻やミャンマーでのアウンサンスーチーさんの解放等、多くの出来事が起こりました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042201.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年の南アフリカW杯。日本の躍進に国民が熱狂した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界中を驚かせた日本代表</span> 2010年、岡田JAPANは、初のアフリカでの開催となった南アフリカ・ワールドカップに挑みました。W杯前に行われた国内での親善試合では、セルビア相手に0-3の完敗。そしてライバル国韓国にも0-2で敗れる不安な展開に。さらに、直前ではイングランドとコートジボワールに連敗し、多くの不安を残したまま本戦に挑みました。 日本代表の初戦の相手はサミュエル・エトーらを擁する強豪カメルーン。アフリカ開催のW杯ということもあり、アフリカの雄との対戦に苦戦することが予想されました。しかし、前半39分、右サイドの松井からのクロスをゴール前で受けた本田圭佑が、落ち着いてゴールを決め先制。この本田のゴールが流れを一気に日本に引き寄せます。 アフリカの期待を一手に背負うカメルーンの猛攻にも耐え続け、前半の1点を守り抜いた日本が勝利します。大会前の低調なパフォーマンスから、国民の期待も低かった岡田JAPANでしたが、この1勝により大きな勇気と自信を得ました。また、この勝利は自国開催となった日韓W杯以来の勝ち星であり、ホーム以外でのW杯初勝利となっています。 勢いに乗った日本代表ですが、次の相手はヨーロッパの強豪国オランダ。優勝候補相手に善戦した日本でしたが、後半の53分にこの大会絶好調だったスナイデルの強烈な無回転ミドルをGK川島が弾ききれず、先制を許します。後半には闘莉王のフリックから岡崎がゴール前でチャンスを得ますが、シュートは枠外に。試合はそのまま0-1で終了し、日本の2戦目は敗北に終わりました。 一瞬の隙を逃さずチャンスを確実に決めてくる強豪国との差を感じつつも、オランダ相手に互角の勝負をしたことで日本代表はさらに自信を付けます。そして決勝トーナメント進出をかけた第3戦、デンマーク戦を迎えました。 実力が拮抗した試合になるかと思われたデンマーク戦でしたが、意外な展開となります。前半17分に、本田の豪快な無回転FKで日本が先制。このゴールはもはや日本サッカー史に残る伝説的なゴールとなっています。前半31分には名手遠藤も芸術的なFKを決め、前半を2-0で折り返します。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042202.jpg" alt="" width="100%"></div> 逃げ切りたい日本でしたが、81分にPKから1点差に詰め寄られますが、87分にエリア付近でボールを受けた本田が個人技でゴール前に抜け出すと、岡崎にラストパス。これを岡崎が落ち着いて流し込み、3-1と日本の勝利を決定づけます。このまま試合が終了し、スコアだけでなく内容でも素晴らしいパフォーマンスを見せた日本がデンマークを撃破し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■決勝トーナメント初勝利への挑戦</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042203.jpg" alt="" width="100%"></div> ベスト8をかけたパラグアイとの試合はPK戦までもつれる接戦となった。 下馬評では予選敗退濃厚と言われていた日本がグループステージを突破したことは、世界を驚かせると共に、日本を熱狂させました。そんな中、日本はベスト8をかけて南米の強豪パラグアイと対戦します。両者の実力は拮抗し、お互いに幾度となくチャンスを作ります。日本はミドルシュートを積極的に放ち、松井のシュートがクロスバーを叩く等、パラグアイゴールを脅かしますが、結局ゴールを決めることが出来ず。パラグアイも無得点に終わり、延長戦を含めた120分で決着が付かず、勝負はPK戦までもつれました。 両者全員成功で迎えた3巡目、日本の3人目だったDFの駒野がPKを外してしまい、そのまま日本はパラグアイに敗れました。初のベスト8が後一歩の所まで来ていただけに悔やまれる敗戦でしたが、世界の強豪たちを相手に堂々たる戦いを見せた日本代表に国民は大きな感動を覚えました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042204.jpg" alt="" width="100%"></div> PKを外した駒野友一選手を励ます松井大輔選手と阿部勇樹選手。 また、歴代の日本代表の中でも特に仲が良く、団結したチームであり、W杯からの帰国会見での和やかなムードは日本代表の好感度をさらに押し上げました。ちなみに、この会見では、チームの“いじられ役”だったDFの今野がチームの他のメンバーからの要望で、先輩DF闘莉王のモノマネを披露。このモノマネはチームの雰囲気の良さを表していました。 この2010年という年は、W杯南アフリカ大会の日本代表の活躍により、多くの日本人選手がヨーロッパの舞台に飛び立った年でもあります。この年に海外挑戦した代表的な選手を挙げると、イタリアのチェゼーナへ移籍した長友(後にインテルへ移籍)、ドイツの名門・シャルケに移籍した内田、そして同じくドイツのドルトムントへ移籍した(後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)香川など、現在も日本サッカー界を引っ張っているスター選手たちが名を連ねます。 2010年では届かなかったベスト8、そしてさらにその上を目指す挑戦に向け、選手1人1人が日本から世界へと活躍の場を移していったのでした。 2019.04.22 21:30 Mon
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成21年/2009年 課題を抱えつつも4度目の世界へ

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0421.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本で政権交代が実現。鳩山由紀夫内閣が発足した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■政権交代に揺れた1年</span> 平成21年(2009年)、日本では大きな変革が起こりました。衆院選で野党第一党の民主党が圧勝し、自由民主党からの政権交代が起こります。「友愛政治」を掲げた鳩山由紀夫内閣は、様々な改革を行おうと公言しましたが、その代表的なものが、国家予算の見直しとして実施された事業仕分けです。担当大臣となった蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか」発言が話題になるなど、後に多くの批判を呼びましたが、急速に進む改革に当時の国民は大いに期待しました。 スポーツ界では、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の第二回大会が行われ、日本が第一回大会に続き、連覇を達成しました。決勝でのライバル・韓国戦ではイチローが決勝打を放つなど、多くの名場面を生みました。また、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜選手が、ワールドシリーズで大活躍しチームのシーズン優勝に貢献。日本人初のワールドシリーズMVPに輝いたのもこの年の出来事です。 また、NHK大河ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続の幼少期を演じた事がきっかけで子役の加藤清史郎くんがブレイク。同時期に、トヨタ自動車のCMにも「こども店長」として出演し、大ブームになりました。 その他には、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが急死したことは、世界中で驚きと悲しみを持って報じられました。また、彼の死を受けて、同年に行われる予定だったワールドツアーのリハーサル映像を基に作成されたドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開。世界中で大ヒットを記録しました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042101.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本代表は4大会連続4回目のW杯本大会出場を決めた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界へ</span> 2009年、翌年に控えた南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選が行われます。日本は、2005年からアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたオーストラリアと同じ予選グループ入りました。 ドイツ・ワールドカップでの雪辱に期待がかかりましたが、2度の対戦では1分1敗と雪辱を果たせず。それでもオーストラリアに続くグループ2位を死守し、4大会連続4度目のワールドカップ出場を決めました。また、岡田JAPANはアジア予選からカタールやウズベキスタンといった“格下”と言われるチーム相手に勝ちきれずに勝ち点をこぼす事も多く、長年の課題である決定力不足を解決することができていませんでした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■Jリーグではマイルストーンを達成</span> この年、Jリーグでは、ある記録が誕生します。それは、リーグの公式戦の通算入場者数1億人突破です。開幕から16年目のシーズンとなったJリーグは2009年に、この記録を迎えました。「オリジナル10」の中から消滅するクラブが出る等、決して全クラブが順風満帆なクラブ運営を出来ていた訳ではありませんでしたが、地域に根差した、地元に愛されるクラブという理念が着実に培われてきたからこそ達成された大きなマイルストーンとなりました。 また、この年には鹿島アントラーズがJ1リーグを優勝。これにより、鹿島アントラーズはJリーグ発足以来、史上初のリーグ3連覇を達成します。この前人未踏の記録は鹿島の常勝軍団としての地位をより強固なものにしました。 この他、1999年から発足した、J2の参加チームが18チームまで増え、J1の参加チーム数と並びました。このことを受けて、2004年に開始されていたJ1・J2入れ替え戦が廃止され、自動入れ替えのシステムをとっていました。ちなみにこのJ1・J2入れ替え戦ですが、2018年シーズンより10年ぶりに復活し、多くの注目を集めました。また、Jリーグの控えメンバーによって構成されていたJサテライトリーグもこの年に廃止されています。 2019.04.21 19:00 Sun
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成20年/2008年 未来の主役たちの初陣!

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0420.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年、いわゆる「リーマン・ショック」が起き、日本でも経済的に大きな被害を被った。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■悲劇と混乱の1年</span> 平成が始まってから20年目に入った節目の年は、日本を含めた世界各国で多くの混乱が生じた1年でした。 アメリカの大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻した、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれる出来事が起きたのがこの年です。日本の株も大暴落する等、様々な影響を及ぼしました。 さらに日本では前年の安倍晋三氏に続き、後任の福田康夫首相も任期1年を待たずに辞任。辞任会見では、「突然の辞任は無責任ではないか」という質問をした記者に対して「あなたとは違うんです」と怒りを露にし、注目を浴びました。 また、「天才バカボン」の生みの親であり、日本ギャグマンガ界の巨匠である、赤塚不二夫氏が死去したのもこの年です。赤塚さんの葬儀では、赤塚さんと親交があったタレントのタモリさんが弔辞を読み、「私もあなたの数多くの作品の一つです」というセリフを残しました。また、タモリさんが読んでいた弔辞のメモが、実は白紙だったということも話題になりました。 この年の夏には北京オリンピックが中国で開幕してます。四川大地震やチベットでの暴動などもあり、開催への影響が心配されましたが、北京オリンピックは予定通り行われました。日本は多くの金メダルを獲得しましたが、中でも男子競泳平泳ぎ100mで、世界新でオリンピック連覇を果たした北島康介選手の「なんも言えねぇ」という言葉はアテネオリンピックの際の「チョー気持ちい!」と同様に話題になりました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042001.jpg" alt="" width="100%"></div> アメリカ大統領選では、オバマ氏が「Change(変革)」をスローガンに勝利し、アメリカ初の黒人大統領となった。 そんな中、11月に行われたアメリカ大統領選挙では大統領選が行われ、民主党のバラク・オバマ氏が黒人初のアメリカ大統領になることが決まったのでした。混乱が多かった1年の中で、オバマ氏の当選は多くの人に勇気を与えました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042002.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年に行われた北京オリンピックでは、サッカー男子でメッシ、アグエロ擁するアルゼンチンが金メダルに輝いた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■未来の主役たちが初の表舞台へ</span> 前述の通り、2008年は北京オリンピックが行われ、男子サッカーが出場しています。次世代のスターが誕生に期待がかかりましたが、結果はまさかの3戦全敗。しかし、この時のオリンピックメンバーを見てみると、長友佑都、吉田麻也、本田圭佑、香川真司ら、その後の日本サッカーを牽引していく選手が多くいました。北京オリンピックでの悔しい経験が彼らが後に世界の場で活躍する糧になっていたのかも知れません。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042003.jpg" alt="" width="100%"></div> 前年の浦和レッズに続き、今度はガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグを制覇。日本勢がアジアで躍動した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■アジアで躍動するJクラブ</span> この年、前年の浦和レッズに続き、またしてもJクラブがアジアの舞台で躍動します。2007年の天皇杯優勝チームガンバ大阪が2008年シーズンのAFCチャンピオンズリーグで優勝し、浦和レッズに続き、日本勢のアジア連覇を達成します。そしてアジア王者として出場したFIFAクラブW杯でも前年の浦和レッズに続き3位に食い込みます。特に、準決勝では、クリスティアーノ・ロナウドら擁する欧州王者であるマンチェスター・ユナイテッド相手に3-5の打ち合いを演じた末に敗退しますが、Jリーグのクラブが“あの”マンチェスター・ユナイテッド相手に3点と取る姿は多くのサッカーファンに強く印象を残しました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042004.jpg" alt="" width="100%"></div> この年に行われた東アジア選手権では、翌年の偉業の布石となる全勝優勝を果たした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界王者への道を歩み始めたなでしこジャパン</span> この時期に、男子の日本代表に負けずに、力を付けてきたのがサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」です。それまでは、結果が出ずに苦しい時期が続きましたが、この年の2月に行われた東アジア選手権では、中国、韓国、北朝鮮に全勝して、優勝。主要な国際大会として初めてのタイトルを獲得します。続く北京オリンピックでも、開催国中国を準々決勝で破る等、快進撃を見せます。惜しくもメダルには届かない4位となりますが、それでも史上最高順位に付ける偉業を達成しています。この後世界を席巻するなでしこジャパンが頭角を現し始めていました。 2019.04.20 19:00 Sat
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