【総合評価】準優勝に終わったアジアカップ、日本代表23名の採点&評価は?2019.02.03 19:00 Sun

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AFCアジアカップ2019が1日に閉幕。カタール代表の初優勝で幕を下ろした。

2大会ぶりの王座奪還に向けて挑戦した日本代表は、グループステージから苦戦が続きながらも1点差ゲームで連勝。決勝トーナメントでもサウジアラビア代表、ベトナム代表、イラン代表と実力国を下し、決勝へと駒を進めたが、カタールの前にあと一歩のところで屈している。

今大会はケガ人が続出するなどのエクスキューズがあったものの、ロシア・ワールドカップ経験者と若手や新顔の融合チーム。結果は準優勝に終わったが、各選手の大会を通しての評価と採点は以下の通り。

▽日本採点
※採点は10点満点。及第点は「5.5」、「0.5」刻みで評価。

GK
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1.東口順昭/ガンバ大阪
採点:なし(出場0試合/先発0)

1stGKとしての活躍も期待された中、ケガのために出場機会なし。ベンチでチームを鼓舞するなど、控えGKとしての役割はこなした。再び正守護神争いに名乗り出るためにも、ガンバ大阪でのプレーが重要となる。

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12.権田修一/サガン鳥栖→ポルティモネンセ
採点:5.0(出場6試合/先発6)

大会7試合のうち6試合出場。4試合を無失点に抑えたが、自身初となるA代表の正守護神として出場した大会で細かなミスが目立つなど、不安定なパフォーマンスに。活躍の場を移すポルティモネンセで更なる成長が求められる。

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23.シュミット・ダニエル/ベガルタ仙台
採点:なし(出場1試合/先発1)

グループステージ3戦目のウズベキスタン代表戦に出場。前半にディフェンスラインのミスを突かれた攻撃で失点を許したが、終盤のミドルシュートは好セーブで勝利を呼び寄せた。代表歴の浅いシュミットにとっては、初の公式大会を経験できたことはプラスだろう。

DF
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2.三浦弦太/ガンバ大阪
採点:なし(出場1試合/先発1)

シュミット・ダニエルと同様に、ウズベキスタン戦のみに出場。試合では、相手のスピードに振り切られてしまうシーンもあったが、持ち前の身体能力を生かした対人守備の強さは見せていた。今後に向けては、経験を積むことが大切。

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3.室屋成/FC東京
採点:5.5(出場2試合/先発1)

3戦目のウズベキスタン戦に加え、準決勝のイラン代表戦に後半から途中出場を果たした。DF酒井宏樹(マルセイユ)というライバルがいる中で、出場した試合では持ち味を出せていた。攻撃の精度と連携面、そして経験値が今後の課題だろう。

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4.佐々木翔/サンフレッチェ広島
採点:なし(出場1試合/先発1)

ウズベキスタン戦では中央に絞る守備と、高さを生かした守備でまずまずのパフォーマンス。攻撃参加という点でも、及第点だった。DF長友佑都(ガラタサライ)がライバルとなるだけに、更なる成長がポジション奪取には必要となる。

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5.長友佑都/ガラタサライ
採点:6.0(出場6試合/先発6)

左サイドで6試合にフル出場した長友。これまで積み上げてきた経験値を生かし、日本代表には欠かせない左サイドバックであることを示した。ピッチ上でのバランスを取る動きや、中央に絞ってのディフェンスも好パフォーマンスを見せ、攻撃参加も労を惜しまなかった。

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16.冨安健洋/シント=トロイデン
採点:6.5(出場7試合/先発6)

初戦のトルクメニスタン代表戦こそボランチで起用され、不安定なパフォーマスを見せてしまったが、2戦目のオマーン代表戦から起用されたセンターバックでは出色のパフォーマンス。途中出場も含め、全7試合でピッチに立ち、20歳ながら落ち着いたプレーと、抜群の強さを誇る空中戦で各国のエースを無力化した。ラウンド16のサウジアラビア代表戦では嬉しい代表初ゴールも記録。

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19.酒井宏樹/マルセイユ
採点:6.0(出場6試合/先発6)

右サイドバックのレギュラーとして6試合でプレーした酒井。守備面では冷静な対応と、カバーリングを見せ、高さを生かした空中戦でも競り負けなかった。一方で、攻撃参加も果敢に行い、タイミングの良い上がりを見せた。

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20.槙野智章/浦和レッズ
採点:5.0(出場2試合/先発2)

初戦のトルクメニスタン戦と3戦目のウズベキスタン戦に出場。いずれの試合も高いパフォーマンスだったとは言えず、対応のまずさが目立ってしまった。現代表に招集されていない昌子源(トゥールーズ)や成長著しい冨安などライバルも多く、浦和レッズでのパフォーマンスが今後を左右するだろう。

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22.吉田麻也/サウサンプトン
採点:5.5(出場6試合/先発6)

パフォーマンスとしては悪くなかったが、決勝戦での対応の悪さが目立ち、VARによるハンドを大会中に2度取られた悪印象が強い。GK権田との連携の悪さやミスも見られたが、冨安という若い新たな相棒とともにディフェンスラインを統率。6点以上を取るためには、“キャプテン”としての活躍が必要だったか。

MF
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6.遠藤航/シント=トロイデン
採点:6.5(出場5試合/先発4)

大会当初は体調不良もあり初戦を欠場。2戦目にボランチとして出場すると、持ち前の守備力の高さと、攻守両面でのトランジションの早さが出ていた。カバーリング能力も高く、日本代表の中盤の守備の要として活躍。惜しむらくはケガで決勝を欠場したことか。

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7.柴崎岳/ヘタフェ
採点:5.5(出場6試合/先発6)

クラブでの出場機会がなかったことが影響し、ゲーム感とコンディション面に不安を抱えて臨んだ今大会。初戦、2戦目と低調なパフォーマンスに終わったが、試合をこなすごとにコンディションを上げるスタイルは変わらず、決勝トーナメントでは攻撃のキーマンとして活躍した。セットプレーからのアシスト、機を見た鋭い縦パスなど、日本のチャンス演出は柴崎がスイッチを切り替えていた。

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8.原口元気/ハノーファー
採点:6.0(出場7試合/先発6)

冨安とともに全7試合に出場した原口。今大会にはMF中島翔哉(ポルティモネンセ)の控えになることが予想されていたが、ケガで不参加となったために左サイドの1番手に。中島とは異なる持ち味で、自身の存在価値を示した。持ち前の走力とガッツで広範囲にわたる守備で貢献。ゴールも2つと数字でも結果を残した。

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9.南野拓実/ザルツブルク
採点:5.5(出場6試合/先発6)

大会を通じて1得点という事を考えると寂しさの残る結果と言わざるを得ない。しかし、準決勝のイラン戦では3ゴールに絡み、そのほかの試合でもゴールに絡むシーンは見られた。大迫以外の選手と組んだ際のパフォーマンスを上げることが今後の課題だろう。

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10.乾貴士/ベティス→アラベス
採点:5.0(出場3試合/先発1)

ケガで辞退した中島に代わって追加招集された乾だったが、先発が1試合と寂しい結果に終わった。攻撃にアクセントをつける役割が期待されたが、途中投入された場面でも流れを変えることに苦労。ゲームビジョンとボールコントロールは高いものを持っているだけに、移籍先のアラベスでコンディションを上げ、今後の活躍に期待したい。

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14.伊東純也/柏レイソル
採点:5.5(出場5試合/先発1)

途中出場がメインとなった今大会。途中出場した試合では、持ち味であるスピードでの突破を見せ、相手守備陣の脅威となるシーンが多く見られた。欲を言えば、縦へのドリブル突破を目指すだけでなく、カットインからのシュートという柏レイソルで見せるプレーが見たかったところ。大会終了後にベルギー・ヘンクへの移籍が決定し、更なる成長に期待が懸かる。

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17.青山敏弘/サンフレッチェ広島
採点:なし(出場1試合/先発1)

ケガで途中離脱をしてしまった青山。大会前からコンディション面には不安を抱えていた中で、出場したウズベキスタン戦では悪くないパフォーマンスを見せていた。パス出しの部分では違いを出せており、森保監督のサッカーを熟知しているものの、年齢を考えてもより高いパフォーマンスが求められるだろう。

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18.塩谷司/アル・アイン
採点:5.5(出場5試合/先発3)

ケガで辞退したMF守田英正(川崎フロンターレ)の代役として招集。自身がプレーするUAEでの開催ということもあり、多くの面での貢献が期待された。初出場となったウズベキスタン戦では、豪快なミドルシュートを決めて勝利に貢献。その後は、守備固めとして終盤の投入を3試合連続で経験。決勝では、ケガの遠藤の代わりにボランチで出場。ボランチという新境地を開拓し、代表への活路を見出す可能性は高い。

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21.堂安律/フローニンヘン
採点:5.0(出場6試合/先発6)

チーム最多タイの6試合で先発出場を果たした堂安。初戦のトルクメニスタン戦で決めたゴールは鮮やかであり、ベトナム戦でPKを獲得した仕掛けも良さが出ていたが、試合の大半では期待以上のプレーは出なかった。特に、サウジアラビア、イラン、カタールと強豪国との対戦では、左足を警戒されて切られた結果、持ち味である積極的な仕掛けやシュートが減少。課題を突きつけられる格好となった。

FW
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11.北川航也/清水エスパルス
採点:5.0(出場4試合/先発2)

A代表としての経験も浅い中、初の公式大会は苦い思い出となっただろう。周囲との連携に苦しんだ序盤戦では、黒子としての役割を果たし、前線からの守備などで見えざる貢献。しかし、ウズベキスタン戦などで見られた決定機逸は、今後の大きな課題だろう。決めるべきところで決められないと、代表への声も掛からなくなる。

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13.武藤嘉紀/ニューカッスル
採点:5.0(出場4試合/先発3)

ニューカッスルでの出場機会も限られている中で、期待されて召集を受けた武藤。ウズベキスタン戦では、3年3カ月ぶりの代表ゴールも記録したが、全体的に噛み合わなかった印象だ。裏への抜け出しが生きる場面もあったが、チームとしての狙いにアジャストする必要もあるだろう。

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15.大迫勇也/ブレーメン
採点:6.5(出場4試合/先発3)

日本代表の攻撃の軸であることが証明された今大会。ケガによる離脱で、その存在の大きさを痛感させられた。出場した試合では、攻撃がスムーズに回ることが多く、乗じて守備も安定感を増していた。自身も4ゴールを記録し、エースである事を証明。代役探しが加速する中、自身もパフォーマンスを保ってもらいたい。

監督
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森保一
採点:5.0

優勝という目標を果たせなかったという点で評価は下げざるを得ないが、大会を通じてチームを前進させたこと、そして決勝まで全勝で勝ち上がってきたことは評価すべきだろう。ここからの課題はチームの成熟度を上げるとともに、相手に合わせて、試合状況に合わせて切るためのカードを用意すること。3月と6月の親善試合、そしてコパ・アメリカに向け、Jリーガーを含め、戦力の発掘とチームの成熟の両軸で歩み続けることが求められる。
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成23年/2011年 未曾有の災害にサッカー界は…

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0423.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年3月11日、東北を未曾有の大震災が襲った。現在は復興が進んでいるが大きな傷跡を残した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■日本中が悲しみと不安に包まれた日</span> 平成23年(2011年)、日本を未曾有の大災害が襲いました。東日本大震災です。3月11日に起こったこの地震は最大震度7、マグニチュード9.0という日本における最大の震災で、約1万8500人もの尊い命が失われました。 さらに大きな影響を及ぼしたのが、地震の影響により発生した、東京電力福島第一原発での事故です。これにより放射能漏れが発生し、東日本全体が大きな不安に包まれまれました。また原発の運転停止に伴い関東での電力危機が発生。電力不足を防ぐために関東で定期停電が行われました。この災害は電力が有限の資源であるという事実、そして原子力発電所の危うさについて国として考えさせられる出来事になりました。 また、世界に目を向けると、世界的大企業、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が病気の為、56歳の若さでこの世を去ったのもこの年です。ITやソフトウェア業界に大きな影響を与えた彼の死は世界中に衝撃を与えました。また、スティーブ・ジョブズ氏の死後、伝記が出版され世界中でベストセラーになりました。 さらに、2001年のアメリカ同時多発テロの主導者とされる、オサマ・ビンラディン容疑者が、パキスタンで米軍によって殺害されたのも平成23年の出来事です。 その他には、日本で地上アナログ放送が終了とデジタル放送への完全移行や、中国が日本のGDP(国民総生産)を抜いて世界2位になったことが発表されました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042301.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年のアジアカップで日本が2大会ぶりの優勝。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び伝説となったザックJAPANのアジアカップ</span> 2011年、日本代表は前年のワールドカップでの成功を受け、”自分たちのサッカー”の確立を図っていました。これを受けて、イタリア・セリエAのACミランなどでの監督経験を持つイタリア人のアルベルト・ザッケローニを代表監督として招へいします。 この年、新体制発足以降初めての国際大会であるアジアカップに臨みました。新体制になってからまだ日が浅いせいか、大会序盤はなかなか調子が上がらず、苦しい戦いを強いられます。特に予選第2戦のシリア戦では、GKの川島永嗣(現ストラスブール)が退場になるなど、厳しい試合展開になりましたが、それでも2-1で勝ち切ります。結果、苦しみながらも2勝1分で日本はグループを首位で突破しました。 大会ホスト国であるカタール相手の準々決勝では、後半に吉田麻也(現サウサンプトン)が退場してしまい、数的不利の状況で1点リードされるという厳しい状況に再び陥っています。しかし驚異の粘りを見せた日本が3-2で勝利し、準決勝へと駒を進めました。 宿敵・韓国代表を迎えた準決勝はPK戦までもつれこむ激闘となります。両チーム前半1点ずつ決めますが、その後は決め手を欠き1-1のまま延長戦に突入。迎えた延長前半、日本がPKを獲得し勝ち越しますが、延長後半の120分、まさかの失点を許し同点追いつかれてしまいます。 PK戦では、日本代表の守護神・川島永嗣が、2004年アジアカップのヨルダン戦での川口能活を彷彿とさせる大活躍を見せます超人的セーブを連発し、PK戦で韓国に1本もゴールを許さず、日本の勝利に貢献しました。 決勝を前に、日本代表はエースの香川真司が負傷離脱するというアクシデントにも見舞われます。さらに決勝の相手はオーストラリア。日本にとって高さを武器にするオーストラリアは苦手な相手であり、ドイツW杯でも痛い敗戦を喫していた相手でした。エースの離脱、そして相性の悪い相手との決勝でしたが、日本代表選手の頭には優勝の2文字しかありませんでした。 決勝の試合は両者の実力が拮抗した接戦となります。両チームが果敢に攻め合う展開になりますが、お互いチャンスをものに出来ず前後半の90分が終了。準決勝の韓国戦でも120分を戦っていた日本にとっては、2試合連続での延長戦へ突入となりました。ここでFWの前田遼一に代わってここまで思うような活躍が出来ていなかった李忠成が途中交代で投入され、後にヒーローとなるのです。 延長後半、ついにその時が訪れます。左サイドの長友佑都からのクロスをフリーで待ち受けた李忠成が、得意の左足でダイレクトボレー。ボールは美しい起動を描きゴールの左上に吸い込まれました。日本はこの1点を試合終了まで守り抜き、アジアカップ連覇を達成したのでした。2010年のW杯同様、チーム一丸となって厳しい戦いを次々にものにしていった日本代表の姿に日本中が熱狂し、大きく盛り上がった大会となりました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042302.jpg" alt="" width="100%"></div> 伝説のボレーシュート。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■復興支援試合で見せた“魂のカズダンス”</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0423kazu.jpg" alt="" width="100%"></div> 震災を受けて日本サッカー協会は復興支援チャリティーマッチを開催。自粛ムードの中でカズが見せた“魂のカズダンス”は日本全体を盛り上げた。 2011年3月11日に発生した東日本大震災。スポーツ界ではプロ野球全試合が中止になるなど、様々なイベントが延期や中止となり、日本中は自粛ムードに包まれていました。そんな中発表されたのが、日本代表とJリーグ選抜による復興支援チャリティーマッチの開催でした。 震災からわずか18日後のチャリティーマッチ開催に、「まだ早い」「中止にすべき」という意見も少なくありませんでした。しかしサッカーを通じて何かを伝えたいと選手、協会が一丸となり開催が決定されました。日本代表には本田圭佑、長友佑都ら海外組12名も参加。そしてJリーグ選抜のそうそうたる顔ぶれの中には唯一J2からの招待となったキングカズこと、三浦知良も名を連ねました。 試合では日本代表が2ゴールでリードして迎えた後半37分、サポーターが待ち望んだ瞬間がついに訪れます。キングカズがゴールを決めたのです。Jリーグをずっと引っ張ってきたこの男のゴール、そしてトレードマークであるカズダンスに日本中が心を震わせました。この試合は、東北の被災地にテレビを通して伝えられ、約1億6000万円の義援金が集まりました。 日本が一体となって東北を支援する、という大きな流れを作るきっかけの1つになれたこのイベントは非常に重要なものとなりました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■なでしこジャパンが偉業達成!</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042303.jpg" alt="" width="100%"></div> 2011年の女子W杯で、なでしこジャパンがアジア勢初となる優勝という偉業を達成した。 男子サッカーがアジアカップ連覇に沸いていた2011年、女子サッカー日本代表、通称「なでしこジャパン」も快挙を達成していました。6月にドイツで開催されたFIFA女子W杯での優勝です。これはFIFA主催の世界大会で優勝したのは、男女・年代別を通じて初の偉業で、アジア勢全体としても初優勝となりました。 決勝戦のアメリカ戦は日本時間の午前3時35分からの放送だったにも関わらず最高瞬間視聴率27.7%を記録する等、これまでにない程の盛り上がりを見せ、なでしこジャパンフィーバーを生みました。また、この快挙は世界でも大きく取り上げられ、各国メディアは華麗なパスサッカーを展開するなでしこジャパンを「女子サッカーのバルセロナ」と称賛しました。 2019.04.23 19:00 Tue
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成22年/2010年 日本中が沸いた南アW杯

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0422.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが行われた。特に浅田真央の演技には日本中が注目した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■国内外で揺れる情勢</span> 平成22年(2010年)にも多くの記憶に残る出来事が起きました。まずは2月にカナダで、バンクーバー・オリンピックが開幕します。日本選手団は思うような活躍が出来ず、金メダルの獲得は0となりました。女子フィギュアスケートでは、金メダルの期待がかかっていた浅田真央選手は素晴らしい演技を見せたものの、韓国のキム・ヨナ選手に及ばず、銀メダル。全力を出しても金メダルに届かなかった悔しさからか、表彰式の後に涙を流した浅田選手の姿に日本中が胸を打たれました。 政界では、鳩山内閣の下、公立高校の無償化などの改革が実施されます。しかし、その他の政策に関しては財源の確保が難航し、多くの公約を実行することが出来ずに信頼を大きく失う結果となりました。その結果、6月には鳩山内閣退陣し、菅直人内閣が発足しました。また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起きたのもこの年。領土問題が連日報道され、日中関係がもつれました。 世界では、オバマ大統領が進めていた、アメリカ軍のイラクからの撤退が8月に完了。中東情勢は依然として多くの課題を抱えていましたが、この撤退により2003年から続いていたイラク戦争が一旦終息した形となりました。 この他にも、日本航空の経営破綻やミャンマーでのアウンサンスーチーさんの解放等、多くの出来事が起こりました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042201.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年の南アフリカW杯。日本の躍進に国民が熱狂した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界中を驚かせた日本代表</span> 2010年、岡田JAPANは、初のアフリカでの開催となった南アフリカ・ワールドカップに挑みました。W杯前に行われた国内での親善試合では、セルビア相手に0-3の完敗。そしてライバル国韓国にも0-2で敗れる不安な展開に。さらに、直前ではイングランドとコートジボワールに連敗し、多くの不安を残したまま本戦に挑みました。 日本代表の初戦の相手はサミュエル・エトーらを擁する強豪カメルーン。アフリカ開催のW杯ということもあり、アフリカの雄との対戦に苦戦することが予想されました。しかし、前半39分、右サイドの松井からのクロスをゴール前で受けた本田圭佑が、落ち着いてゴールを決め先制。この本田のゴールが流れを一気に日本に引き寄せます。 アフリカの期待を一手に背負うカメルーンの猛攻にも耐え続け、前半の1点を守り抜いた日本が勝利します。大会前の低調なパフォーマンスから、国民の期待も低かった岡田JAPANでしたが、この1勝により大きな勇気と自信を得ました。また、この勝利は自国開催となった日韓W杯以来の勝ち星であり、ホーム以外でのW杯初勝利となっています。 勢いに乗った日本代表ですが、次の相手はヨーロッパの強豪国オランダ。優勝候補相手に善戦した日本でしたが、後半の53分にこの大会絶好調だったスナイデルの強烈な無回転ミドルをGK川島が弾ききれず、先制を許します。後半には闘莉王のフリックから岡崎がゴール前でチャンスを得ますが、シュートは枠外に。試合はそのまま0-1で終了し、日本の2戦目は敗北に終わりました。 一瞬の隙を逃さずチャンスを確実に決めてくる強豪国との差を感じつつも、オランダ相手に互角の勝負をしたことで日本代表はさらに自信を付けます。そして決勝トーナメント進出をかけた第3戦、デンマーク戦を迎えました。 実力が拮抗した試合になるかと思われたデンマーク戦でしたが、意外な展開となります。前半17分に、本田の豪快な無回転FKで日本が先制。このゴールはもはや日本サッカー史に残る伝説的なゴールとなっています。前半31分には名手遠藤も芸術的なFKを決め、前半を2-0で折り返します。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042202.jpg" alt="" width="100%"></div> 逃げ切りたい日本でしたが、81分にPKから1点差に詰め寄られますが、87分にエリア付近でボールを受けた本田が個人技でゴール前に抜け出すと、岡崎にラストパス。これを岡崎が落ち着いて流し込み、3-1と日本の勝利を決定づけます。このまま試合が終了し、スコアだけでなく内容でも素晴らしいパフォーマンスを見せた日本がデンマークを撃破し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■決勝トーナメント初勝利への挑戦</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042203.jpg" alt="" width="100%"></div> ベスト8をかけたパラグアイとの試合はPK戦までもつれる接戦となった。 下馬評では予選敗退濃厚と言われていた日本がグループステージを突破したことは、世界を驚かせると共に、日本を熱狂させました。そんな中、日本はベスト8をかけて南米の強豪パラグアイと対戦します。両者の実力は拮抗し、お互いに幾度となくチャンスを作ります。日本はミドルシュートを積極的に放ち、松井のシュートがクロスバーを叩く等、パラグアイゴールを脅かしますが、結局ゴールを決めることが出来ず。パラグアイも無得点に終わり、延長戦を含めた120分で決着が付かず、勝負はPK戦までもつれました。 両者全員成功で迎えた3巡目、日本の3人目だったDFの駒野がPKを外してしまい、そのまま日本はパラグアイに敗れました。初のベスト8が後一歩の所まで来ていただけに悔やまれる敗戦でしたが、世界の強豪たちを相手に堂々たる戦いを見せた日本代表に国民は大きな感動を覚えました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042204.jpg" alt="" width="100%"></div> PKを外した駒野友一選手を励ます松井大輔選手と阿部勇樹選手。 また、歴代の日本代表の中でも特に仲が良く、団結したチームであり、W杯からの帰国会見での和やかなムードは日本代表の好感度をさらに押し上げました。ちなみに、この会見では、チームの“いじられ役”だったDFの今野がチームの他のメンバーからの要望で、先輩DF闘莉王のモノマネを披露。このモノマネはチームの雰囲気の良さを表していました。 この2010年という年は、W杯南アフリカ大会の日本代表の活躍により、多くの日本人選手がヨーロッパの舞台に飛び立った年でもあります。この年に海外挑戦した代表的な選手を挙げると、イタリアのチェゼーナへ移籍した長友(後にインテルへ移籍)、ドイツの名門・シャルケに移籍した内田、そして同じくドイツのドルトムントへ移籍した(後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)香川など、現在も日本サッカー界を引っ張っているスター選手たちが名を連ねます。 2010年では届かなかったベスト8、そしてさらにその上を目指す挑戦に向け、選手1人1人が日本から世界へと活躍の場を移していったのでした。 2019.04.22 21:30 Mon
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成21年/2009年 課題を抱えつつも4度目の世界へ

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0421.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本で政権交代が実現。鳩山由紀夫内閣が発足した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■政権交代に揺れた1年</span> 平成21年(2009年)、日本では大きな変革が起こりました。衆院選で野党第一党の民主党が圧勝し、自由民主党からの政権交代が起こります。「友愛政治」を掲げた鳩山由紀夫内閣は、様々な改革を行おうと公言しましたが、その代表的なものが、国家予算の見直しとして実施された事業仕分けです。担当大臣となった蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか」発言が話題になるなど、後に多くの批判を呼びましたが、急速に進む改革に当時の国民は大いに期待しました。 スポーツ界では、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の第二回大会が行われ、日本が第一回大会に続き、連覇を達成しました。決勝でのライバル・韓国戦ではイチローが決勝打を放つなど、多くの名場面を生みました。また、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜選手が、ワールドシリーズで大活躍しチームのシーズン優勝に貢献。日本人初のワールドシリーズMVPに輝いたのもこの年の出来事です。 また、NHK大河ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続の幼少期を演じた事がきっかけで子役の加藤清史郎くんがブレイク。同時期に、トヨタ自動車のCMにも「こども店長」として出演し、大ブームになりました。 その他には、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが急死したことは、世界中で驚きと悲しみを持って報じられました。また、彼の死を受けて、同年に行われる予定だったワールドツアーのリハーサル映像を基に作成されたドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開。世界中で大ヒットを記録しました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042101.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本代表は4大会連続4回目のW杯本大会出場を決めた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界へ</span> 2009年、翌年に控えた南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選が行われます。日本は、2005年からアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたオーストラリアと同じ予選グループ入りました。 ドイツ・ワールドカップでの雪辱に期待がかかりましたが、2度の対戦では1分1敗と雪辱を果たせず。それでもオーストラリアに続くグループ2位を死守し、4大会連続4度目のワールドカップ出場を決めました。また、岡田JAPANはアジア予選からカタールやウズベキスタンといった“格下”と言われるチーム相手に勝ちきれずに勝ち点をこぼす事も多く、長年の課題である決定力不足を解決することができていませんでした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■Jリーグではマイルストーンを達成</span> この年、Jリーグでは、ある記録が誕生します。それは、リーグの公式戦の通算入場者数1億人突破です。開幕から16年目のシーズンとなったJリーグは2009年に、この記録を迎えました。「オリジナル10」の中から消滅するクラブが出る等、決して全クラブが順風満帆なクラブ運営を出来ていた訳ではありませんでしたが、地域に根差した、地元に愛されるクラブという理念が着実に培われてきたからこそ達成された大きなマイルストーンとなりました。 また、この年には鹿島アントラーズがJ1リーグを優勝。これにより、鹿島アントラーズはJリーグ発足以来、史上初のリーグ3連覇を達成します。この前人未踏の記録は鹿島の常勝軍団としての地位をより強固なものにしました。 この他、1999年から発足した、J2の参加チームが18チームまで増え、J1の参加チーム数と並びました。このことを受けて、2004年に開始されていたJ1・J2入れ替え戦が廃止され、自動入れ替えのシステムをとっていました。ちなみにこのJ1・J2入れ替え戦ですが、2018年シーズンより10年ぶりに復活し、多くの注目を集めました。また、Jリーグの控えメンバーによって構成されていたJサテライトリーグもこの年に廃止されています。 2019.04.21 19:00 Sun
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