レーティング:日本 1-3 カタール《AFCアジアカップ2019》2019.02.02 00:59 Sat

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日本代表は1日、AFCアジアカップ2019決勝でカタール代表戦と対戦し、1-3で敗戦した。この結果、日本は準優勝に終わった。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。

▽日本採点
※採点は10点満点。及第点は「5.5」、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし


GK
12 権田修一 5.0
1失点目は何とか触って欲しかった

DF
19 酒井宏樹 6.0
ビハインドを負った中、果敢な攻め上がりを続けた

16 冨安健洋 5.5
ややミスパスはあったが、ソリッドな守備をこの試合でも続けた

22 吉田麻也 4.5
1、2失点ともに寄せがやや甘かった。そして痛恨のPK献上

5 長友佑都 5.5
攻め上がりの回数を増やしたが、あと一歩精度が足りず

MF
21 堂安律 5.0
縦への仕掛けが切られていた

18 塩谷司 5.0
遠藤の代役も守備を締めきれず

(→伊東純也 -)

9 南野拓実 6.0
なかなかバイタルエリアでボールを受けられなかったが、今大会初ゴール

(→乾貴士 -)

7 柴崎岳 5.5
前半は塩谷とのバランスを欠いたが、後半はゲームを作り急所のパスを突いた

8 原口元気 5.0
インテンシティ高くプレーも攻撃のクオリティをやはり欠く

(→武藤嘉紀 5.5)
シュートシーンに絡んで攻勢を強めた

FW
15 大迫勇也 5.0
周囲と連係できず、自身もスペースを消されてシュートを打てなかった

監督
森保一 5.0
武藤投入で流れを好転させたが、前半の不出来が響いた

★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
アルモエズ・アリ(カタール)
スーダン出身の点取り屋が今大会大ブレイク。大会歴代最多の9ゴール目を見事なバイシクルシュートで決めてカタールを優勝に導いた。

日本 1-3 カタール
【日本】
南野拓実(後24)
【カタール】
アルモエズ・アリ(前12)
アブドゥラジズ・ハティム(前27)
アクラム・アフィフ(後38[PK])
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成22年/2010年 日本中が沸いた南アW杯

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0422.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが行われた。特に浅田真央の演技には日本中が注目した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■国内外で揺れる情勢</span> 平成22年(2010年)にも多くの記憶に残る出来事が起きました。まずは2月にカナダで、バンクーバー・オリンピックが開幕します。日本選手団は思うような活躍が出来ず、金メダルの獲得は0となりました。女子フィギュアスケートでは、金メダルの期待がかかっていた浅田真央選手は素晴らしい演技を見せたものの、韓国のキム・ヨナ選手に及ばず、銀メダル。全力を出しても金メダルに届かなかった悔しさからか、表彰式の後に涙を流した浅田選手の姿に日本中が胸を打たれました。 政界では、鳩山内閣の下、公立高校の無償化などの改革が実施されます。しかし、その他の政策に関しては財源の確保が難航し、多くの公約を実行することが出来ずに信頼を大きく失う結果となりました。その結果、6月には鳩山内閣退陣し、菅直人内閣が発足しました。また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起きたのもこの年。領土問題が連日報道され、日中関係がもつれました。 世界では、オバマ大統領が進めていた、アメリカ軍のイラクからの撤退が8月に完了。中東情勢は依然として多くの課題を抱えていましたが、この撤退により2003年から続いていたイラク戦争が一旦終息した形となりました。 この他にも、日本航空の経営破綻やミャンマーでのアウンサンスーチーさんの解放等、多くの出来事が起こりました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042201.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年の南アフリカW杯。日本の躍進に国民が熱狂した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界中を驚かせた日本代表</span> 2010年、岡田JAPANは、初のアフリカでの開催となった南アフリカ・ワールドカップに挑みました。W杯前に行われた国内での親善試合では、セルビア相手に0-3の完敗。そしてライバル国韓国にも0-2で敗れる不安な展開に。さらに、直前ではイングランドとコートジボワールに連敗し、多くの不安を残したまま本戦に挑みました。 日本代表の初戦の相手はサミュエル・エトーらを擁する強豪カメルーン。アフリカ開催のW杯ということもあり、アフリカの雄との対戦に苦戦することが予想されました。しかし、前半39分、右サイドの松井からのクロスをゴール前で受けた本田圭佑が、落ち着いてゴールを決め先制。この本田のゴールが流れを一気に日本に引き寄せます。 アフリカの期待を一手に背負うカメルーンの猛攻にも耐え続け、前半の1点を守り抜いた日本が勝利します。大会前の低調なパフォーマンスから、国民の期待も低かった岡田JAPANでしたが、この1勝により大きな勇気と自信を得ました。また、この勝利は自国開催となった日韓W杯以来の勝ち星であり、ホーム以外でのW杯初勝利となっています。 勢いに乗った日本代表ですが、次の相手はヨーロッパの強豪国オランダ。優勝候補相手に善戦した日本でしたが、後半の53分にこの大会絶好調だったスナイデルの強烈な無回転ミドルをGK川島が弾ききれず、先制を許します。後半には闘莉王のフリックから岡崎がゴール前でチャンスを得ますが、シュートは枠外に。試合はそのまま0-1で終了し、日本の2戦目は敗北に終わりました。 一瞬の隙を逃さずチャンスを確実に決めてくる強豪国との差を感じつつも、オランダ相手に互角の勝負をしたことで日本代表はさらに自信を付けます。そして決勝トーナメント進出をかけた第3戦、デンマーク戦を迎えました。 実力が拮抗した試合になるかと思われたデンマーク戦でしたが、意外な展開となります。前半17分に、本田の豪快な無回転FKで日本が先制。このゴールはもはや日本サッカー史に残る伝説的なゴールとなっています。前半31分には名手遠藤も芸術的なFKを決め、前半を2-0で折り返します。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042202.jpg" alt="" width="100%"></div> 逃げ切りたい日本でしたが、81分にPKから1点差に詰め寄られますが、87分にエリア付近でボールを受けた本田が個人技でゴール前に抜け出すと、岡崎にラストパス。これを岡崎が落ち着いて流し込み、3-1と日本の勝利を決定づけます。このまま試合が終了し、スコアだけでなく内容でも素晴らしいパフォーマンスを見せた日本がデンマークを撃破し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■決勝トーナメント初勝利への挑戦</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042203.jpg" alt="" width="100%"></div> ベスト8をかけたパラグアイとの試合はPK戦までもつれる接戦となった。 下馬評では予選敗退濃厚と言われていた日本がグループステージを突破したことは、世界を驚かせると共に、日本を熱狂させました。そんな中、日本はベスト8をかけて南米の強豪パラグアイと対戦します。両者の実力は拮抗し、お互いに幾度となくチャンスを作ります。日本はミドルシュートを積極的に放ち、松井のシュートがクロスバーを叩く等、パラグアイゴールを脅かしますが、結局ゴールを決めることが出来ず。パラグアイも無得点に終わり、延長戦を含めた120分で決着が付かず、勝負はPK戦までもつれました。 両者全員成功で迎えた3巡目、日本の3人目だったDFの駒野がPKを外してしまい、そのまま日本はパラグアイに敗れました。初のベスト8が後一歩の所まで来ていただけに悔やまれる敗戦でしたが、世界の強豪たちを相手に堂々たる戦いを見せた日本代表に国民は大きな感動を覚えました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042204.jpg" alt="" width="100%"></div> PKを外した駒野友一選手を励ます松井大輔選手と阿部勇樹選手。 また、歴代の日本代表の中でも特に仲が良く、団結したチームであり、W杯からの帰国会見での和やかなムードは日本代表の好感度をさらに押し上げました。ちなみに、この会見では、チームの“いじられ役”だったDFの今野がチームの他のメンバーからの要望で、先輩DF闘莉王のモノマネを披露。このモノマネはチームの雰囲気の良さを表していました。 この2010年という年は、W杯南アフリカ大会の日本代表の活躍により、多くの日本人選手がヨーロッパの舞台に飛び立った年でもあります。この年に海外挑戦した代表的な選手を挙げると、イタリアのチェゼーナへ移籍した長友(後にインテルへ移籍)、ドイツの名門・シャルケに移籍した内田、そして同じくドイツのドルトムントへ移籍した(後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)香川など、現在も日本サッカー界を引っ張っているスター選手たちが名を連ねます。 2010年では届かなかったベスト8、そしてさらにその上を目指す挑戦に向け、選手1人1人が日本から世界へと活躍の場を移していったのでした。 2019.04.22 21:30 Mon
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成21年/2009年 課題を抱えつつも4度目の世界へ

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0421.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本で政権交代が実現。鳩山由紀夫内閣が発足した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■政権交代に揺れた1年</span> 平成21年(2009年)、日本では大きな変革が起こりました。衆院選で野党第一党の民主党が圧勝し、自由民主党からの政権交代が起こります。「友愛政治」を掲げた鳩山由紀夫内閣は、様々な改革を行おうと公言しましたが、その代表的なものが、国家予算の見直しとして実施された事業仕分けです。担当大臣となった蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか」発言が話題になるなど、後に多くの批判を呼びましたが、急速に進む改革に当時の国民は大いに期待しました。 スポーツ界では、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の第二回大会が行われ、日本が第一回大会に続き、連覇を達成しました。決勝でのライバル・韓国戦ではイチローが決勝打を放つなど、多くの名場面を生みました。また、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜選手が、ワールドシリーズで大活躍しチームのシーズン優勝に貢献。日本人初のワールドシリーズMVPに輝いたのもこの年の出来事です。 また、NHK大河ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続の幼少期を演じた事がきっかけで子役の加藤清史郎くんがブレイク。同時期に、トヨタ自動車のCMにも「こども店長」として出演し、大ブームになりました。 その他には、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが急死したことは、世界中で驚きと悲しみを持って報じられました。また、彼の死を受けて、同年に行われる予定だったワールドツアーのリハーサル映像を基に作成されたドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開。世界中で大ヒットを記録しました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042101.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本代表は4大会連続4回目のW杯本大会出場を決めた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界へ</span> 2009年、翌年に控えた南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選が行われます。日本は、2005年からアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたオーストラリアと同じ予選グループ入りました。 ドイツ・ワールドカップでの雪辱に期待がかかりましたが、2度の対戦では1分1敗と雪辱を果たせず。それでもオーストラリアに続くグループ2位を死守し、4大会連続4度目のワールドカップ出場を決めました。また、岡田JAPANはアジア予選からカタールやウズベキスタンといった“格下”と言われるチーム相手に勝ちきれずに勝ち点をこぼす事も多く、長年の課題である決定力不足を解決することができていませんでした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■Jリーグではマイルストーンを達成</span> この年、Jリーグでは、ある記録が誕生します。それは、リーグの公式戦の通算入場者数1億人突破です。開幕から16年目のシーズンとなったJリーグは2009年に、この記録を迎えました。「オリジナル10」の中から消滅するクラブが出る等、決して全クラブが順風満帆なクラブ運営を出来ていた訳ではありませんでしたが、地域に根差した、地元に愛されるクラブという理念が着実に培われてきたからこそ達成された大きなマイルストーンとなりました。 また、この年には鹿島アントラーズがJ1リーグを優勝。これにより、鹿島アントラーズはJリーグ発足以来、史上初のリーグ3連覇を達成します。この前人未踏の記録は鹿島の常勝軍団としての地位をより強固なものにしました。 この他、1999年から発足した、J2の参加チームが18チームまで増え、J1の参加チーム数と並びました。このことを受けて、2004年に開始されていたJ1・J2入れ替え戦が廃止され、自動入れ替えのシステムをとっていました。ちなみにこのJ1・J2入れ替え戦ですが、2018年シーズンより10年ぶりに復活し、多くの注目を集めました。また、Jリーグの控えメンバーによって構成されていたJサテライトリーグもこの年に廃止されています。 2019.04.21 19:00 Sun
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成20年/2008年 未来の主役たちの初陣!

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0420.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年、いわゆる「リーマン・ショック」が起き、日本でも経済的に大きな被害を被った。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■悲劇と混乱の1年</span> 平成が始まってから20年目に入った節目の年は、日本を含めた世界各国で多くの混乱が生じた1年でした。 アメリカの大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻した、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれる出来事が起きたのがこの年です。日本の株も大暴落する等、様々な影響を及ぼしました。 さらに日本では前年の安倍晋三氏に続き、後任の福田康夫首相も任期1年を待たずに辞任。辞任会見では、「突然の辞任は無責任ではないか」という質問をした記者に対して「あなたとは違うんです」と怒りを露にし、注目を浴びました。 また、「天才バカボン」の生みの親であり、日本ギャグマンガ界の巨匠である、赤塚不二夫氏が死去したのもこの年です。赤塚さんの葬儀では、赤塚さんと親交があったタレントのタモリさんが弔辞を読み、「私もあなたの数多くの作品の一つです」というセリフを残しました。また、タモリさんが読んでいた弔辞のメモが、実は白紙だったということも話題になりました。 この年の夏には北京オリンピックが中国で開幕してます。四川大地震やチベットでの暴動などもあり、開催への影響が心配されましたが、北京オリンピックは予定通り行われました。日本は多くの金メダルを獲得しましたが、中でも男子競泳平泳ぎ100mで、世界新でオリンピック連覇を果たした北島康介選手の「なんも言えねぇ」という言葉はアテネオリンピックの際の「チョー気持ちい!」と同様に話題になりました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042001.jpg" alt="" width="100%"></div> アメリカ大統領選では、オバマ氏が「Change(変革)」をスローガンに勝利し、アメリカ初の黒人大統領となった。 そんな中、11月に行われたアメリカ大統領選挙では大統領選が行われ、民主党のバラク・オバマ氏が黒人初のアメリカ大統領になることが決まったのでした。混乱が多かった1年の中で、オバマ氏の当選は多くの人に勇気を与えました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042002.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年に行われた北京オリンピックでは、サッカー男子でメッシ、アグエロ擁するアルゼンチンが金メダルに輝いた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■未来の主役たちが初の表舞台へ</span> 前述の通り、2008年は北京オリンピックが行われ、男子サッカーが出場しています。次世代のスターが誕生に期待がかかりましたが、結果はまさかの3戦全敗。しかし、この時のオリンピックメンバーを見てみると、長友佑都、吉田麻也、本田圭佑、香川真司ら、その後の日本サッカーを牽引していく選手が多くいました。北京オリンピックでの悔しい経験が彼らが後に世界の場で活躍する糧になっていたのかも知れません。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042003.jpg" alt="" width="100%"></div> 前年の浦和レッズに続き、今度はガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグを制覇。日本勢がアジアで躍動した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■アジアで躍動するJクラブ</span> この年、前年の浦和レッズに続き、またしてもJクラブがアジアの舞台で躍動します。2007年の天皇杯優勝チームガンバ大阪が2008年シーズンのAFCチャンピオンズリーグで優勝し、浦和レッズに続き、日本勢のアジア連覇を達成します。そしてアジア王者として出場したFIFAクラブW杯でも前年の浦和レッズに続き3位に食い込みます。特に、準決勝では、クリスティアーノ・ロナウドら擁する欧州王者であるマンチェスター・ユナイテッド相手に3-5の打ち合いを演じた末に敗退しますが、Jリーグのクラブが“あの”マンチェスター・ユナイテッド相手に3点と取る姿は多くのサッカーファンに強く印象を残しました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042004.jpg" alt="" width="100%"></div> この年に行われた東アジア選手権では、翌年の偉業の布石となる全勝優勝を果たした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界王者への道を歩み始めたなでしこジャパン</span> この時期に、男子の日本代表に負けずに、力を付けてきたのがサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」です。それまでは、結果が出ずに苦しい時期が続きましたが、この年の2月に行われた東アジア選手権では、中国、韓国、北朝鮮に全勝して、優勝。主要な国際大会として初めてのタイトルを獲得します。続く北京オリンピックでも、開催国中国を準々決勝で破る等、快進撃を見せます。惜しくもメダルには届かない4位となりますが、それでも史上最高順位に付ける偉業を達成しています。この後世界を席巻するなでしこジャパンが頭角を現し始めていました。 2019.04.20 19:00 Sat
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成19年/2007年 志半ばで途切れた理想

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0419.jpg" alt="" width="100%"></div> 2007年、米アップル社から「iPhone」が発売。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■信頼を落とした政界と食品業界</span> 平成19年(2007年)は、政界と食品業界が大きく荒れた1年となりました。政界では、前年から安倍晋三首相が日本の舵取りを担っていましたが、閣僚の度重なる不祥事に伴い、支持率が急降下。7月の参議院選挙でも大敗や、首相本人の体調不良を原因に突然の辞意を表明しました。後任には福田康夫氏が選ばれますが、この後も短命な政権が続き、政治不信が高まっていくきっかけとなります。 また、地方では「そのまんま東」の名前でタレントとして活躍していた、東国原英夫氏が地元の宮崎県知事選に出馬し、当選。選挙活動中に口にした「宮崎をどげんかせんといかん(どうにかしないといけない)」というフレーズは注目を集め、流行語大賞にも選ばれました。 一方、食品業界にも不祥事が発覚します。「不二家」、「赤福」、「船場吉兆」で、産地偽装や賞味期限切れの食品を使っていた、食品偽装問題が相次ぎ業界そのものの信頼を大きく落としました。特に、老舗料亭の「船場吉兆」は、謝罪会見の際に「頭が真っ白になった…」と質問への回答を耳打ちする女将の姿がカメラに収められ、「ささやき女将」として大きな話題を呼びました。 さらに、この年は、新潟県中越沖地震が起こった年でもあります。被災地の新潟県にあった、柏崎刈羽原発が地震の影響を受けて自動停止。一時は火災が発生し、原子力発電所の危うさについて再認識させられるきっかけの一つとなりました。 その他には、テノール歌手の秋川雅史さんの「千の風になって」が大ヒットし、一世を風靡しました。また、アップル社から「iPhone」が発売。その後のスマートフォンブームの火付け役となります。独特のコメント表示機能で人気を博した、動画共有サイト「ニコニコ動画」のサービスが開始されたのもこの年でした。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041901.jpg" alt="" width="100%"></div> オシム氏が掲げた“自分で考えるサッカー”は大きな期待を集めたが、思わぬ形で幕を閉じた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■オシムが掲げた哲学</span> ドイツW杯での惨敗から1年。日本代表は新たな方向へと動き出しました。徹底的な組織サッカーを掲げたトルシエ、自分で考えるサッカーを掲げたジーコを経て、新たに日本代表監督となったイヴィチャ・オシム監督が掲げたのは「考えて走るサッカー」でした。この「考えて走るサッカー」とは、日本人の特徴である豊富な運動量を活かし、チーム全体で戦術的な目的を持って動き回るというサッカーのことです。日本人に足りないものを無理に伸ばすのではなく、日本人が得意としているものを伸ばすという考え方は、多くの人にとって斬新であり、期待の持てる考え方でした。 7月に行われたアジアカップでは、準決勝でサウジアラビアに2-3で敗れ、大会3連覇とはなりませんでしたが、それでもオシム新監督の下で、日本人の強みを生かしたサッカーがようやく形になりつつあるとの手応えを感じさせる大会でした。そんな矢先、日本中に衝撃が走ります。11月、オシム監督が急性脳梗塞で倒れたとの一報が入ったのです。その後大事には至らなかったものの、オシム監督の現場復帰は非常に難しく、翌12月、日本サッカー協会は、98年のフランスW杯で日本代表を率いた岡田武史氏の日本代表監督復帰を発表しました。オシム監督が掲げた、日本人の強みを活かした「考えて走るサッカー」は思わぬ出来事によって幻となってしまったのでした。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041902.jpg" alt="" width="100%"></div> 力を付ける代表とともにJクラブのレベルもアップしていた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■アジアで躍動するJクラブ</span> 日本代表が世界との差を縮める為の試行錯誤を重ねていた頃、Jリーグでもまた、クラブたちが着実に実力を伸ばしていました。2007年、その結果が目に見えるものとなって現れます。前年である2006年シーズンのJリーグ王者としてAFC チャンピオンズリーグに出場していた浦和レッズが、日本勢として初の優勝に輝いたのです。また、グループステージから一度も負ける事無く優勝した、大会史上初のチームになったのです。アジアを制した浦和レッズはJクラブとしては初めてFIFAクラブW杯に出場。そして堂々の3位に輝きました。ちなみにこの3位という成績もアジア勢として初の好成績でした。 2019.04.19 20:15 Fri
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成18年/2006年 黄金世代を襲ったドイツの悪夢

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0418.jpg" alt="" width="100%"></div> 2006年、王監督率いる侍ジャパンが第一回WBCで世界一に輝いた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■スポーツとスキャンダルに沸いた1年</span> 平成18年(2006年)は冬季オリンピック、FIFAW杯、そして野球の世界一を決める大会、ワールドベースボールクラシック(WBC)の第一回大会が開催された年であり、スポーツ界が大いに盛り上がりました。 まず2月にトリノオリンピックが開幕。日本人選手のメダル獲得が中々かなわない中で、最後の最後に女子フィギュアスケートで荒川静香選手が見事金メダルを獲得。優勝を決めた演技で見せた「イナバウアー」は日本中を魅了し、大ブームになりました。 3月には 第一回ワールドベースポールクラシック(WBC)が開催。王監督率いる侍JAPANが初代王者となるべく世界に挑みました。大会途中では日韓戦での屈辱的連敗やアメリカ戦でのタッチアップをめぐっての誤審騒動等、様々な壁にぶつかりながらもチーム一丸となって前進を続けます。準決勝では2度敗れていた韓国を撃破して、決勝に進出。決勝でもキューバを破り、初代WBC王者となりました。 同じ野球界では、甲子園で早稲田実業の斎藤佑樹と駒大苫小牧の田中将大が白熱する投手戦を演じます。延長戦再試合の上、早稲田実業が夏の甲子園初優勝を果たし、「ハンカチ王子」フィーバーに日本中が沸きました。 また、この年に「ホリエモン」の愛称で知られ、プロ野球チームやフジテレビの買収騒動等で一時は「時代の寵児」と呼ばれた堀江貴文元ライブドア社長が粉飾決算の疑いで逮捕。また「村上ファンド」代表の村上世彰氏がインサイダー取引の疑いで逮捕される等、金融業界でのスキャンダルが目立った1年でもありました。 現在に繋がる話題で言うと、日本の現職の総理大臣である、安倍晋三氏の第一次内閣が小泉首相の後に誕生したのもこの年であり、戦後生まれ初の首相として話題になりました。 また、現代を象徴するものの一つである「SNS」こと、ソーシャルネットワークサービスのTwitterとFacebookがサービスを開始したのもこの年です。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041801.jpg" alt="" width="100%"></div> 黄金世代への期待はたった8分間で重圧へと変貌した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■全ての歯車が狂った“悪夢の8分間”</span> 平成18年の夏、中田英寿や中村俊輔等、黄金世代が成熟期を迎えたジーコJAPANの3度目のW杯挑戦がドイツで始まりました。前回大会にベスト16に進出した日本は、国民の大きな期待を背負い、初戦の相手は、オーストラリアに挑みます。 前半に中村俊輔のクロスがそのままゴールに入り、あっさりと先制します。ラッキーな形で試合の主導権を握った日本でしたが、40度を超える猛暑の中、オーストラリアの攻撃に耐えきれず、後半39分に同点に追いつかれます。集中が切れてしまったのか、そこからさらに2失点を許し、まさかの逆転負け。初戦での勝利を目前で逃してしまったことはチームの雰囲気を大きく変えてしまう結果となります。 初戦で負けてしまった日本は、絶対に勝ちが欲しい第2戦でクロアチアと対戦します。前半に川口が見せたPKストップは日本に勢いを与えますが、柳沢が決定機を逸してしまうなど、結局点を取ることが出来ず、0-0の引き分けに終わってしまいました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041802.jpg" alt="" width="100%"></div> 黄金世代と言われたタレント集団はブラジルの前に散った。ここから日本は“自分たちのサッカー”を探し始める。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界との差を知ったドイツ、そして…</span> 1戦目、2戦目と勝ちない日本にとって、グループステージ突破の条件は最低でも2点差以上での勝利が必要となります。しかし第3戦の相手は全大会王者のブラジルでした。 前半、玉田のゴールで日本が先制。日本国内を含め世界を驚かせました。しかし、これが王国ブラジルにスイッチを入れてしまったのか、前半ロスタイムに追いつかれると、後半にはさらに3失点。結局1-4で”本気”のブラジルに惨敗し、日本の敗退が決まってしまします。ブラジル戦後、ピッチの真ん中に倒れ込む中田英寿の姿は多くのサッカーファンの記憶に残っているのではないでしょうか。 黄金世代として国民から大きな期待を受けて望んだW杯でしたが、終わってみれば1度も勝てず、再び世界との力の差を見せつけられる結果となってしまいました。4年前の結果から上手くステップアップ出来なかった日本サッカー。次なる一手として代表監督に白羽の矢が立ったのは、ジェフ市原を率いてチームを躍進させた、イビチャ・オシム氏でした。そしてオシムによる“考えて走るサッカー”を目指すべく、新たなチーム作りが始まったのでした。 2019.04.18 22:30 Thu
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