【引退会見⑤】「他のチームでやる選択肢は全くなかった」小笠原満男は引退後も鹿島への恩返しを強調
2018.12.28 18:14 Fri
▽28日、2018シーズン限りで現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)の引退会見が行われた。
▽1998年に大船渡高校から鹿島に入団した小笠原は、1年目にJリーグデビューを果たすと、2年目、3年目と出場機会を増やしその後はレギュラーとしてプレーした。
▽引退会見には、多くの報道陣が駆けつけ、小笠原は長年プレーした本拠地の県立カシマサッカースタジアムで、自身のキャリア、そして今後の思いを語った。
◆MF小笠原満男(鹿島アントラーズ)
──長いキャリアでモチベーションをキープできた要因とは
「自分がここまでやってこれたモチベーションは同期であり、曽ヶ端、本山に負けたくないという思いでやっていました。本当に彼らとサッカーができて良かったなと思います」
──21年間プロ生活を過ごして来て大切にしていることは
「あまり深く考えてなかったです。でも、最後自分がなかなか試合に出られなくなって、ベンチからも外れることが多くなった時に感じたのは、中田浩二が見せてきた姿であり、柳沢さんが見せて来てくれた姿であり、本田さんが見せて来た姿であり、自分も最後まで、悔しさもあるけどやり通すべきだと信じてやって来ました」
「最後のシーズン中田浩二もなかなか出場機会がなかったですが、練習を1日も休むことなく最後の最後までやっていたのを見ていたので、自分もそれをすべきだと思って、最後まで自分を押し殺して、チームのためにやるというのは、最後の最後まで心掛けたことです」
──選手には舞台を変えて続ける方もいましたが、クラブへの思いが強かったのか
「色々な考え方があると思います。他のチームに行ってやるというのも1つの選択肢だと思います」
「ただ、自分は本当にアントラーズが好きだし、好きだからこそ辞めるという決断ができました。自分はこのチームで終えたいと思いました。他のチームでやるというよりかは、このチームで違った形で恩返しして、違う立場でチームのためにという思いがありました。他のチームでやる選択肢は全くなかったです」
──これまでに引退を決断する、身を引くという考えになったことはあるのか
「ピッチに立って勝ちたいという思いがあったので、それが続いたこともあったのでそれが原因です。ヒザのケガとかではなく、たまに痛い時はありますが、それが原因ではないことは確かです」
「実際に練習もしていましたし、いつでも試合に出る準備はできていたので、その上で自分が出番を失ったので自分の実力不足だと思います」
「そういった立ち位置になったので、自分は理解しなくてはいけないと思いました。ピッチに立って勝ちたいという思い、そしてそれが叶わなくなったことが最大の理由の1つです」
──リーベル・プレート戦では何か特別な思いがありましたか
「特にはなかったです。最後勝ちたかったですし、なんとか点を取って終わりたかったなという思いです。自分のことだけを考えれば、最後にクラブ・ワールドカップで優勝して、ハッピーエンドで終わりたかったんですが、悔しさを残したまま終わるのも自分らしいかなと思います」
──21年間の現役生活で一番誇れるものは
「自分自身、誇れるものではなくて、自分がやって来たことというのは、医大のOBたちを真似して来ただけです。良い時も悪い時もどういった立ち振る舞いをするかを先輩たちから学んで来ました。それをやって来た自分を誇ることではないと思いますし、OBたちが素晴らしかったと思います」
──17個のタイトルを獲得して来ましたが、その要因は
「あまり過去を振り返ったり数字を語るのは好きじゃないですが、タイトルは1人の力で獲れるものではないですし、みんなで獲ったものです。自分が獲ったとは全く思っていないですし、それ以上に失ったタイトルが何十個もあるので悔しさがすごくありますが、それだけのタイトルを獲れたのはジーコが植えつけた勝負にこだわるということ、勝負から逆算して試合を組み立てるし、考えながらプレーすべきです」
「これからアントラーズが強くなっていくためには、そこをもっとできれば勝っていけると思います。クラブ・ワールドカップでも準決勝、3位決定戦と負けました。レベルの差がある相手でしたが、自分はレベルの差があってもやりようによっては勝つ方法があると思うので、それをピッチで表現できればこのクラブはもっと強くなっていくと思うので、そういったものを伝えていきたいなと思います」
▽1998年に大船渡高校から鹿島に入団した小笠原は、1年目にJリーグデビューを果たすと、2年目、3年目と出場機会を増やしその後はレギュラーとしてプレーした。
◆MF小笠原満男(鹿島アントラーズ)
──長いキャリアでモチベーションをキープできた要因とは
「自分がここまでやってこれたモチベーションは同期であり、曽ヶ端、本山に負けたくないという思いでやっていました。本当に彼らとサッカーができて良かったなと思います」
「色々な競争をして来ましたが、ライバルは必要だったので、自分にとって彼らの存在が大きなモチベーションでした」
──21年間プロ生活を過ごして来て大切にしていることは
「あまり深く考えてなかったです。でも、最後自分がなかなか試合に出られなくなって、ベンチからも外れることが多くなった時に感じたのは、中田浩二が見せてきた姿であり、柳沢さんが見せて来てくれた姿であり、本田さんが見せて来た姿であり、自分も最後まで、悔しさもあるけどやり通すべきだと信じてやって来ました」
「最後のシーズン中田浩二もなかなか出場機会がなかったですが、練習を1日も休むことなく最後の最後までやっていたのを見ていたので、自分もそれをすべきだと思って、最後まで自分を押し殺して、チームのためにやるというのは、最後の最後まで心掛けたことです」
──選手には舞台を変えて続ける方もいましたが、クラブへの思いが強かったのか
「色々な考え方があると思います。他のチームに行ってやるというのも1つの選択肢だと思います」
「ただ、自分は本当にアントラーズが好きだし、好きだからこそ辞めるという決断ができました。自分はこのチームで終えたいと思いました。他のチームでやるというよりかは、このチームで違った形で恩返しして、違う立場でチームのためにという思いがありました。他のチームでやる選択肢は全くなかったです」
──これまでに引退を決断する、身を引くという考えになったことはあるのか
「ピッチに立って勝ちたいという思いがあったので、それが続いたこともあったのでそれが原因です。ヒザのケガとかではなく、たまに痛い時はありますが、それが原因ではないことは確かです」
「実際に練習もしていましたし、いつでも試合に出る準備はできていたので、その上で自分が出番を失ったので自分の実力不足だと思います」
「そういった立ち位置になったので、自分は理解しなくてはいけないと思いました。ピッチに立って勝ちたいという思い、そしてそれが叶わなくなったことが最大の理由の1つです」
──リーベル・プレート戦では何か特別な思いがありましたか
「特にはなかったです。最後勝ちたかったですし、なんとか点を取って終わりたかったなという思いです。自分のことだけを考えれば、最後にクラブ・ワールドカップで優勝して、ハッピーエンドで終わりたかったんですが、悔しさを残したまま終わるのも自分らしいかなと思います」
──21年間の現役生活で一番誇れるものは
「自分自身、誇れるものではなくて、自分がやって来たことというのは、医大のOBたちを真似して来ただけです。良い時も悪い時もどういった立ち振る舞いをするかを先輩たちから学んで来ました。それをやって来た自分を誇ることではないと思いますし、OBたちが素晴らしかったと思います」
──17個のタイトルを獲得して来ましたが、その要因は
「あまり過去を振り返ったり数字を語るのは好きじゃないですが、タイトルは1人の力で獲れるものではないですし、みんなで獲ったものです。自分が獲ったとは全く思っていないですし、それ以上に失ったタイトルが何十個もあるので悔しさがすごくありますが、それだけのタイトルを獲れたのはジーコが植えつけた勝負にこだわるということ、勝負から逆算して試合を組み立てるし、考えながらプレーすべきです」
「これからアントラーズが強くなっていくためには、そこをもっとできれば勝っていけると思います。クラブ・ワールドカップでも準決勝、3位決定戦と負けました。レベルの差がある相手でしたが、自分はレベルの差があってもやりようによっては勝つ方法があると思うので、それをピッチで表現できればこのクラブはもっと強くなっていくと思うので、そういったものを伝えていきたいなと思います」
|
関連ニュース