スタジアム基準の改定に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み2018.12.13 19:30 Thu

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▽12月12日、来月からUAEで開催されるアジアカップの日本代表23名が発表された。これまで招集されたメンバー主体で、ケガで小林悠と三竿健斗、鈴木優磨が外れたくらいで、これといったサプライズはなかった。新天地を模索している香川真司と、海外移籍が濃厚な昌子源は1月の移籍ウインドウと重なるため、森保一監督も招集に配慮したと推測される。

▽小さな驚きは浅野拓磨が復帰したくらいで、恐らく西野朗元日本代表監督が秘蔵っ子の宇佐美貴史をロシアW杯のメンバーに選んだように、森保監督にとっても浅野は自身が育成した選手だけに、可愛いのではないだろうか。

▽当日は午後4時40分から定例のJリーグ理事会の報告と、それに続いてJリーグのスタジアム基準の改定が報告された。これまでJリーグは93年の開幕以来、1万5千人収容のスタジアムが義務づけられていた。その後、J2の誕生により1万人収容でナイター設備を完備、さらにJ3の誕生では5千人収容でナイター設備は義務づけないという基準が設けられた。

▽しかしながら、これらの基準を満たすことができず、14年はJ2で5位の北九州がプレーオフに出場できず、17年はJ3優勝の秋田がJ2に昇格できなかった。さらに今年はJ2で4位の町田がプレーオフに出場できなかったのは記憶に新しいところ。

▽そこでJリーグは来年度から例外規定1として、「スタジアムの改修工事に着工しており3年以内に完成可能であれば、(昇格のための)上位ライセンスの取得を可能とする」という期間の短縮を蹴ってした。

▽さらに例外規定2として1)ホームタウンの中心市街地よりおおむね20分以内でのアクセスが可能なこと。2)すべての観客席が屋根で覆われていること。3)ビジネスラウンジやスカイボックス、高密度Wi-Fiを備えていること。4)フットボール専用スタジアムであることという、Jリーグが掲げる「理想のスタジアム」への改修もしくは新スタジアム建設が5年以内に可能であれば、当該するライセンスの取得が可能(例外規定1との併用も可能)とする新たな基準を設けた。

▽こうした改定に基づき、トレーニング施設の整備に関しても3年の猶予期間を設置し、「理想的なスタジアム推進のための補助金」を、1クラブあたり最大1千万円を拠出することも決めた。

▽先月末の当コーナーでも、Jリーグ創設当初に比べて「おらが町のクラブ」が増えている現状では、1万5千人というキャパシティを義務づけるのはそぐわないという原稿を書いた。ようやくJリーグも25年が経ち、ちょっとではあるが現実を認識しているようだ。組織というものは、大組織になればなるほどルールを作った人間がいなくなると、ルールそのものがアンタッチャブルな存在になり、誰も変更しようとしない傾向が強い。

▽Jリーグなら、初代の川淵チェアマンの影響力は絶大だったし、その後の歴代チェアマンも同じ路線を踏襲した。やっと現在の村井チェアマンになって、外国人枠の緩和とホームグロウン制度の導入で、ヨーロッパのリーグに近づけようとしている。そしてスタジアムの規制緩和である。これは歓迎すべき改定と言えるだろう。

▽会見に臨んだクラブライセンスマネジャーの青影氏は、もともとデロイト・トーマツ・コンサルティングで企業再生のコンサルタントを務めていて、地元である大分トリニータの経営危機に際し、手腕を発揮した人物である。

▽その青影氏に、実際にこの制度を利用するクラブがあるのかどうか質問したところ、「クラブ側も手を上げるかどうかで、これまで議論してきた。利用するクラブはいくつもあるだろう。来年の6月末(クラブライセンスの申請)に向けて、クラブと地元ステークホルダー(企業や行政)と協議することになる。何クラブか出るのではと思うので、我々も寄り添っていきたい」と理解を示した。

▽さらに来シーズンは八戸がJ3に昇格するなど、地方クラブの台頭が目立つ。果たしてJ1昇格には1万5千人収容のスタジアムが必要なのかを聞くと、「この議論では1万5千人を下げて欲しいというクラブもあった。まずは基準の緩和に取り組む。それだけでも緩和できる。実際、席について、J2は1万人の個席だったのを、個席は8戦席で2千人は立ち見席でもOKと緩和した」と基準を改定したことを明かした。

▽J1は1万5千人収容というハードルはまだまだ高いが、Jリーグのさらなる検証と検討を期待したい。そして最後に「理想のスタジアム」だ。収益の確保のためにはキャパシティを増やし、ビジネスラウンジやスカイボックスの設置も必要だろう。それと同時に、冷暖房の完備や電気、ガス、上下水道、トイレを始め仮設住宅としての広大な駐車場など「ライフラインとしてのスタジアム」の存在意義も明示して欲しかったというのが正直な感想だ。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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全日本大学選抜の練習試合で感じた疑問点/六川亨の日本サッカー見聞録

昨日24日はルヴァン杯の取材前に、味の素フィールド西が丘で行われた全日本大学選抜対U-20全日本大学選抜候補の練習試合を取材した。今年7月3日からイタリア・ナポリで開催されるユニバーシアードの最終選考会を兼ねた試合には、日本代表の森保一監督を始め、影山雅永U-20日本代表監督、齋藤俊秀U-21日本代表コーチらJFA(日本サッカー協会)技術委員会のスタッフや、Jクラブの強化担当など多くの関係者が詰めかけた。 試合は1本目が大学選抜対関東の大学によるU-20大学選抜、2本目は大学選抜対地域所属の大学によるU-20大学選抜で行われ、大学選抜は1本目の試合開始早々に先制点を許したものの、その後は三笘薫(川崎U-18から筑波大学)、上田綺世(鹿島学園高校から法政大)、イサカ・ゼイン(桐光学園高から桐蔭横浜大学)の3連続ゴールで勝利を収めた。 試合を見て改めて感じたのは、上田はストライカーとしてゴール前で味方からのパスを引き出すポジショニングとシュートまでの体勢が秀逸なこと、三笘の落ち着きのあるドリブルと視野の広さは群を抜いていることだった。 さらに2本目から出場した旗手怜央(静岡学園高から順天堂大)はドリブラーの印象が強かったが、同業者いわく「チームメイトからは、怜央君はいつも僕のことを見てくれていると言うように、パサーとしての才能も開花しつつある」との言葉通り、ドリブルだけでなく俯瞰するように攻撃陣をリードしていた。 改めて、この3人は現在の大学サッカー界でも図抜けた存在であることを実感した。 そして彼らだけでない。地域所属の大学によるU-20大学選抜ではストライカーの根本凌(上田西から鹿屋体育大の2年生)は、フィジカルの強さ(183センチ、75キロ)を発揮して存在感を示していた。高校選手権で長野県初のベスト4進出に貢献した逸材だが、隣に座っていた景山監督は大学1年の頃から追跡しているようで、外国人選手を相手にしても引けを取らないフィジカルとメンタルの強さを評価していた。 その他にも将来が楽しみな逸材が揃っており、U-19全日本大学選抜は7月にスイス遠征、9月には韓国で開催されるアジア大学サッカートーナメントに参加する。 そこで疑問に感じたのは、せっかく大学サッカー界の逸材、将来のJリーガー予備軍が一堂に会したのに、この試合が一般のファンには非公開で行われたことだ。ただでさえ注目度が低く、身内や関係者しか観戦に来ない大学サッカーの魅力をアピールする絶好の機会だったと思うと残念でならない。 たぶん今年、ユニバーシアードが開催されることを知っているファンも少ないだろう。かつての関東大学リーグは西が丘が聖地だったが、現在は開催地が分散しているため観戦するのにも苦労する。だからこそ、大学サッカーの関係者はもっと情報を積極的に発信すべきではないだろうか。ここらあたり、JFAにも大学サッカーのバックアップをお願いしたいところだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.25 18:20 Thu
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初めて知ったジャッジの違い/六川亨の日本サッカー見聞録

今年2回目となるレフェリーブリーフィングが4月18日に開催されたので、そこで話題にのぼった面白い実例を紹介しよう。第1節から先週末までのJ1~J3とルヴァン杯の240試合中、48試合に関してJクラブから意見交換を求められたそうだ。そこで問題提起された64シーンでディスカッションした結果、14試合の15シーンで間違った判定があったことを審判委員会は認めた。 それを踏まえて今回はハンド、オフサイド、ペナルティーエリアインシデント(危機的状況)、反スポーツ行為、負傷者の5項目について、映像で振り返りながらブリーフィングが行われた。 何かと物議を醸した4月6日の第6節、松本対神戸戦では2つのシーンが取り上げられた。神戸の選手がペナルティーエリア右でこぼれ球を拾い、リフティングしたボールが松本の中美の手に当たったシーンで、神戸の選手はハンドとしてPKを主張した。 レフェリーはプレーを続行したが、ブリーフィングでも上川氏は「よけることはできないし、手も肩より上に上がっていない」との理由から、「レフェリーの考えを受け入れる」と判断して正当性を認めた。ただし、「ハンドのジャッジでも受け入れられる難しい判断」との見解も併せて示した。 この試合では「ペナルティーエリアインシデント」も発生した。神戸は右CKからウェリントンがヘッドでゴールを決めた。しかしレフェリーはウェリントンがシュートを決める前に笛を吹いている。そこでVTRで確認すると、ゴール前にいた神戸の大﨑はボールが蹴られた瞬間、松本の飯田と橋内の2人の選手のユニホームを引っ張って動けないようにすることでウェリントンをフリーにしていたことが判明した。 上川氏いわく「蹴られる前にボールの方向を見ていないので、普通レフェリーは何かやるなと思う」とレフェリーの視点から解説。ただし、イエローカードにつながるファウルではないとも説明した。 反スポーツ行為では珍しい例が3件報告されたので紹介しよう。まずJ2第5節の千葉対京都戦でのことだ。千葉が左CKを蹴ろうとしたとき、ファーサイドのポスト際で水分補給をした千葉の田坂は、そのままゴール裏を走ってピッチの左サイドに移動し、ショートコーナーのボールを受けた。 水分補給の際は少しだけピッチから出ることは許されているものの、それ以外でレフェリーの許可なくピッチを離れればイエローカードである。過去にも九州の高校サッカーで実例が報告されたそうで、上川氏も「なかなかレフェリーは気付かない」頭脳プレーだそうだ。 第3節の千葉対山口戦では、山口の田中がシュートを決めるとベンチへと走り、自身のスマホを取り出して自撮りをした。かつてバロテッリが動画で自撮りしインスタにアップしたのを真似たわけだが、監督やコーチは通信機器をベンチに持ち込むことは許されても、選手が「あらゆる形式の電子もしくは通信機器を身につける、もしくは用いることは認められない」という競技規則から、反スポーツ行為として当然ながらイエローカードの対象となる。 そして同じくJ2の第4節、山形対大宮戦で山形のジェフェルソンが20分にゴール後、左コーナーポストを引き抜きライフル射撃のポーズをとった。これに対しレフェリーはイエローカードを出したが、クラブは昨シーズンも前所属先である水戸で同じ行為をしたのにイエローカードは出なかったため質問状が届いたという。 それに対し上川氏は「レフェリーの判断だが、リスペクトに欠けるものなので、フィールドに設置された物を動かすまたは使うの過度であり、JFA(日本サッカー協会)としてイエローカードとなる」との判断を示した。 今回、ハンドに関するジャッジについては割愛したが、ハンドを含めた新ルールが6月1日から採用される。その前に5月にポーランドで開催されるU―20W杯で新ルールが初めて採用されるため、小川審判委員長は今週始めに千葉で実施されたキャンプで新ルールの説明会を開催した。 その際に実例として紹介したプレーに、選手たちは初めて知ったというプレーもあったので、最後にそれを紹介しよう。 第1問は、AというチームとBというチームが対戦。Aチームの選手が反則を受け、レフェリーは笛を吹きBチームの選手にイエローカードを出そうとしたが、Aチームが素早くリスタートして攻撃した。その後プレーは止まったので、レフェリーはあらためてBチームの選手にイエローカードを出せるのかどうか。 第2問は、Aチームの選手が反則を受け、レフェリーは笛をいてBチームの選手にイエローカードを出そうとしたが、Aチームのアドバンテージを取り、笛は吹かずにプレーオンとした。その後プレーは止まったので、レフェリーはあらためてBチームの選手にイエローカードを出せるのかどうか。 答えは、第1問ではレフェリーが笛を吹いてから次のプレーに移っているため「イエローカードは出せない」が正解で、第2問は笛を吹いていないため、「プレーが止まってから遡ってイエローカードを出せる」が正解だ。 試合中は、反則を受けたチームの選手から「なんでイエローカードが出ないのだ」とクレームが来るそうだが、笛を吹く吹かないでジャッジも変わってくる。正直、初めて知った違いだった。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.18 19:00 Thu
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VAR導入の裏側/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは2019シーズンの一部の試合で、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の導入を決定していたが、4月11日、メディアを対象に改めてVARへの理解を深めると同時に、一般のファン・サポーターへの告知のための講習会を開いた。 導入される試合はルヴァン杯プライムステージ(準々決勝、準決勝、決勝)の全13試合と、J1参入プレーオフ1試合(決定戦)の4試合だ。このVARだが、実施するためには様々なハードルがある。 まず「FIFA(国際サッカー連盟)およびIFAB(国際サッカー評議会)より通達のある、VAR導入に際し大会主催者が順守すべきImplementation Assistance and Approval Program(実施支援および承認プログラム)に基づき、担当審判員のトレーニング、開催スタジアムでの事前テスト、FIFA立ち会いの検査等の各種要件を充足したうえで、FIFAおよびIFABからの事前認可取得が必要となる」とされている。 FIFAとしては各国にVARを導入して欲しいが、試合結果に直結するだけに、万全を期して運用して欲しいということだろう。今回は元プレミアリーグのレフェリーで、イングランドサッカー協会審判委員長でありIFABのメンバーでもあるディビッド氏が来日し、講習会で説明した。 まずVARが適用されるのは、次の4つのケースに限られる。1)得点か得点ではないか。2)PKかPKでないか。3)退場(累積ではなくレッドカードでの退場)。4)人間違い(主審が、反則を行ったチームの別の競技者に対して警告したり退場を命じたりした場合)。 これらの反則があり、VAR(のスタッフ、またはその他の審判員)が「レビュー(VTRで確認すること)」を勧める。あるいは重大な出来事が「見過ごされてしまった」と主審が不安に思った時にVARを利用することができる。 その際に主審はイヤホンまたはヘッドセットにはっきりと指を当てながら、もう一方の手または腕を伸ばすシグナルを送って選手や監督に伝える必要がある(これを「チェック」と言う)。続いて主審は両手でテレビモニターの形(四角)を見せる(TVシグナル)ことで、「レビュー」することを示さなければならない。そして映像で確認したら、改めて「TVシグナル」を示した上で、その直後に最終判定を下すという手順になっている。 こうして書くと簡単そうなVARと思うだろう。しかしデモンストレーションを見たら、いかに大変な作業かが実感された。スタッフは3人で、VARを中央に、左隣はアシスタントレフェリーのAVAR、右隣はリプレーオペレーター(RO)が座る。VARとAVARはレフェリーかレフェリー経験者に限られ、ROはVARの求めに応じて必要な場面を再現したり、ピッチサイドにいる主審に映像を送ったりするため映像のプロが務める。 そしてAチームがボールを保持して攻撃を開始したら、VARは「APP(Attacking Possession Phase)スタート」とスタッフに告げ、Aチームがボールを失ったら「APP終了」と告げつつ、対戦相手のBチームが攻撃に移ったら、再び「APPスタート」と言って画面に見入る。のんびり観戦している暇などないのだ。 VARの席には上下2つのモニターがあり、上はライブ映像、下は4分割に違う角度から撮影された映像で3秒遅れとなっていて、AVARはアシスタントの名の通りオフサイドか否かをチェックする。 さて、このVARだが、冒頭にも書いたように対象となるのは4つのプレーだ。4)の人間違いは見ているファン・サポーターにもわかりやすいだろうし、試合結果に直接影響しない。1)と2)も場所が限定されるため観戦者はゴールか否か、PKか否かはわかりやすいだろう。 問題は、3)の退場かどうかだ。Aチームが得点したとしよう。しかし、その前にオフサイドがあった場合、ゴールは取り消される(1の得点か否かが適用される)。同様に反則がありながら主審が見逃し、Aチームが得点しても、反則がイエローならゴールは認められるが、レッドの場合は取り消される。そうなると反則のあった地点でのFKで試合は再開されるが、果たして観戦しているファン・サポーターは「なぜ応援しているチームの得点が取り消されたのか」理解できるかどうかだ。 この点をJリーグの関係者に聞いたところ、「将来的には何らかの方法が必要になるかもしれませんね」という答えだった。昨年3月にも来日したディビッド氏は反則映像をスタジアムの電光掲示板で再現することに「どちらかのチームに不利になる判定をスタジアムにいるすべての人たちが、サッカー競技規則のもとVARの判定を支持するかどうかという懸念点が残る」として明言を避け、今後の検討課題にしていた。それだけVARはデリケートな問題をはらんでいるようだ。 今回の講習会でディビッド氏は「最小限の介入で最大限の効果」と従来のFIFAのVAR採用の効果を語り、次のようなケースも指摘した。初めてVARが導入された昨夏のロシアW杯グループリーグ、フランス対オーストラリア戦で、フランスはVARのおかげでPKを獲得し2-1の勝利を収めた。もしもPKによる得点がなければ「フランス対オーストラリアはドローに終わり、(得失点差で2位の)フランスは決勝トーナメント1回戦でクロアチアと対戦したので、VARがなければ優勝もなかったかもしれない」と。 他にもロシアW杯ではVARにより「レッドカードや激しいファウルが減少した。選手もVARで見られていることを知ったからだ。コッリーナ(イタリア人の元主審)も『セリエAでは暴言とシミュレーションが減少した』と言っていた。VARは大きなミスを正すだけでなく、フットボールをクリーンにする」と訴えた。 それらは紛れもない事実であるし、ロシアW杯や今年1月のアジアカップでは日本も恩恵を受け、そしてハンデになったことも経験した。真実を追究することとロマンを求めること(誤審があるからこそ人々の記憶に残る)――この矛盾する両面をどう折り合っていくのか。VARの導入には問題が山積だと思う。そこで今後は審判だけでなく、元と現を含めて選手や監督からの意見も聞いてみたいと思ったVARである。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.11 21:00 Thu
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毎日新聞の川淵さんのコラムへの届かない返信/六川亨の日本サッカー見聞録

一昨日、4月3日の毎日新聞の夕刊に、「私だけの東京 2020に語り継ぐ」という連載企画に、JFA(日本サッカー協会)元会長、Jリーグ初代チェアマンで、現在は日本トップリーグ連携機構会長や東京五輪の組織委員会の評議員を務める川淵三郎氏が登場した。 64年の東京五輪では選手としてアルゼンチン戦でゴールを決め、勝利の立役者となった。残念ながら準々決勝のチェコスロバキア戦で敗れたが、そこでコーチのデットマール・クラマー氏の残した言葉が印象的だったと振り返っている。 クラマー氏の「アルゼンチン戦に勝った時は、喜びを分かち合おうとたくさんの『友達』ができただろう。でも今日、君たちのところに来る友達は少ないだろうが、彼らこそが本当の友達だよ」という言葉は、「人生に大きな影響を与え、後になって重みが増すことになります」と紹介した。 その重みとは、06年ドイツW杯で敗退すると、JFAの会長だったために自身が批判の的となり、「ああ、こういう時にそばにいてくれる人が、本当の友達だと痛感しましたね」というものだった。 正直、幾つになっても「我田引水」は変わらないと思った。サッカー専門誌時代から川淵氏には批判的な原稿を書いてきた。それは02年にJFAの会長になることでJリーグのチェアマンを譲る際に、後継者として鹿島の社長だった鈴木昌氏を指名した。それ自体は悪いことではない。 しかし、その陰では02年にこれまで川淵氏を支えてきた森健兒氏に辞任を迫る。森氏はJリーグの前身となるスペシャル・リーグ構想を打ち出し、JSL(日本サッカーリーグ)の読売クラブ、日産、全日空にはプロ選手が存在することを実行委員会に認めさせ、Jリーグ創設に向けて礎を築いた。 残念ながら社業でも重要なポストを担っていたことで、森氏はJSL総務主事の重職とJリーグ創設を川淵氏に託してその身を引いた。そして93年、Jリーグの開幕を前に33年間勤務した三菱重工を辞め、Jリーグの専務理事に専念することになる。ところが川淵チェアマンは、当時勤務していた古河産業を辞めていなかった。 「Jリーグの成功に半信半疑だったのではないでしょうか」というのが森氏の推測だ。そして辞任を迫られた際は「いくら欲しいんだ」と川淵チェアマンに言われたため、「一銭も入りません」と答えて袂を分かっている。 さらに翌03年には森氏と並んでJリーグの創設者とも言える木之本興三氏を解任した。「木之本、辞めてくれ」との言葉に、木之本氏は理由を尋ねたが、その後は一切無言だったという。 Jリーグを創設した“仲間”であるはずの2人を切ったのは、自分自身がJリーグの創設者となりたいのではないか。そこで邪魔者を除外する。さらに06年にはJFA副会長の野村尊敬氏を2階級降格の平理事にし、それまで暗黙の了解事項だった会長職2期4年を覆し、6年間務めた。野村氏は次期会長の有力候補だったため、ここでも邪魔者を除外したと思われて当然だろう。 そうした“独裁者”のような人事を批判したものの、川淵氏はドイツW杯後に「独裁者と呼ばれてもかまわない」というタイトルの本を出した。 話を06年のドイツW杯に戻そう。当時も川淵氏を批判した。というのもジーコ・ジャパンで惨敗した記者会見で、川淵氏は「オシムと言っちゃった」と日本代表の監督人事を漏らした。そのことで会見はジーコ・ジャパンからオシム・ジャパンに移った。意図しての人事漏洩だったのか詳細は分からない。 しかし問題は、そもそも代表監督は技術委員会の精査・具申を受け、当時はJFAの幹部会で議論し、理事会の承認を経て決定されるものだった。その手続きを経ずに次期監督の名前を出すことは、ルールから逸脱しているし、ここでも“独裁者”として君臨している証明ではないかと批判した。 92年のことだ。当時はJFAの強化部長だった川淵氏は、初の外国人監督となるハンス・オフトを招聘し、アメリカW杯まであと1歩に迫るまで強化に成功した。それは画期的なことだと評価している。 しかし95年に加藤久・技術委員長らがまとめた「加茂監督ではフランスW杯の出場は難しい」。そこでネルシーニョ(元東京Vで現在は柏監督)を推すというレポートに対し、年俸の改ざんをある強化委員に指示し、長沼健JFA会長に「これでは高すぎて協会として払えない」と“加茂続投”のシナリオを描いた。 加茂氏は志半ばでバトンを岡田武史監督に託し、見事W杯出場を果たした。しかし、その後も代表監督人事は「ジーコに聞いてみたら」と言ったり、「オシムと言っちゃった」と言ったりしたように、技術委員会の頭越しに代表の監督人事に介入した。 そのこと自体が問題であるのに、分かっていないので問題を提起したつもりだったのが、それは届いていなかった。三流雑誌の三流記者の提言だけに、仕方のないことかもしれない。 そして今回の新聞記事である。人は誰でも人生を美化したくなるだろう。サッカーに対する情熱は“熱血漢”と言ってもいいほど高い。それでも思うのは限りなく高い上昇志向だ。Jリーグだけでなく、Bリーグでも辣腕を発揮して東京五輪へ参加の道を開くなど功績は数多い。それだけに、引き際は潔いものにして欲しいと願わずにはいられない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.04.05 13:00 Fri
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代表選手の背番号からみるプライオリティー/六川亨の日本サッカー見聞録

コロンビア戦を2日後に控えた3月20日、JFA(日本サッカー協会)は日本代表選手23人の背番号を発表した。これまで2011年から長らく「10番」を背負った香川真司だが、9月にスタートした森保ジャパンでは招集されなかったため中島翔哉に譲り、中島が負傷辞退した1月のアジアカップでは乾貴士が背負った。 そんな森保ジャパンに香川が初招集され、中島も復帰したことで注目の集まった「背番号10」だが、すんなり香川に落ち着き、中島は「8」、乾は「14」に決まった。 中島自身も19日の練習後は「前から言っていますけど、そこまでずっと番号にはこだわっていないと。こだわっていないですし、やっぱり試合でいいプレーをすることがサッカー選手としても、日本代表の選手としても大事だと思うし、あんまり気にしてないというか、番号はただ番号というだけで、やっぱりいいプレーをしていくことが大事だと思います」と語り、香川も「番号でプレーするわけじゃない。もちろん10番は自分にとって誇りだけど、誰が決めるか分からないし、僕にもどうなるか分からないので。皆さん、楽しみに」と余裕のコメントを残した。 日本代表の背番号を決めるのは、「(日本協会に)任せています。私は関与していません」と森保監督が述べたように、JFAの仕事である。そこで今回の背番号だが、それなりの“配慮”があったようだ。 GKの3人は「1」と「12」、「23」が定番で、アジアカップで権田修一のつけていた「12」はすんなり再招集の中村航輔に落ち着いた。そして、これまで森保ジャパンに招集されてきた佐々木翔(4番)、三浦弦太(2番)、冨安健洋(16番)、柴崎岳(7番)、南野拓実(9番)、堂安律(21番)は慣れ親しんだ番号に変わりはない。 彼ら以外となると、やはり主力に近い選手が“若い番号”を与えられた印象が強い。復帰組の昌子源は、それまで室屋成が付けていた3番になり、室屋成は長らく長友佑都が背負ってきた5番を継承した。遠藤航の「6番」は同じく復帰組の山口蛍、原口元気が付けていた「8番」は中島、「11番」はロシアW杯で背負っていた復帰組の宇佐美貴史に戻り、それなりに過去の実績を忖度した選択のように感じられる。 その中で目を引いたのが23番以降の数字を背負った小林祐希の「25番」だ。JFAは国際大会の際に50~60人の選手を背番号とともにあらかじめ登録する。本来なら「22」はキャプテンでもある吉田麻也、「19」は酒井宏樹の定番だが、今回は前者を西大伍が、後者は安西幸輝が付けることになった。 それは裏返せば、彼ら2人が事前に登録されていないことにもつながるのではないだろうか。同じことは槙野智章の「20」を畠中慎之輔、大迫勇也の「15」を橋本拳人と初招集の2人が継承したことにもつながる。 それだけ「25」の小林は代表選手としてプライオリティーの高い選手(主力組は別として)と判断してもいいだろう。 そんな何気ない背番号だが、気になるのが長らくキャプテンとして日本代表を牽引してきた長谷部誠の「17」の不在だ。森保ジャパンがスタートした時は守田英正、アジアカップでは青山敏弘が継承した。今回、守田は合宿初日こそチームに合流したものの、負傷で辞退した。すでに守田で登録していたため使えなかった番号かもしれないが、そのことからも森保監督とJFAは守田に期待を抱いている表われではないだろうか。 最後に、9月に発足した森保ジャパンはコスタリカ、パナマ、ウルグアイ、ベネズエラ、キルギスとキリンチャレンジ杯で戦い、1月のアジアカップに臨んだ。そして今回は何かと因縁のあるケイロス監督率いるコロンビア、ベネズエラと対戦する。あらためて言うまでもなく南米と北中米の国々との対戦が多い。 それはヨーロッパが昨年9月からネイションズリーグを創設したため、招集が難しくなったことが影響している。そして、それは今後も続く可能性が高い。となると、今後のキリンチャレンジ杯も目玉となる招待国はウルグアイやコロンビアといった南米勢に限られるだろう。 そうしたパイプをつなぎ止めるためにも、今年6月にブラジルで開催されるコパ・アメリカには参加せざるを得ない理由があるのかもしれない。ペルーが開催を返上したU-17W杯もブラジルでの開催が決定した。なんだか南米に絡め取られていくような日本と感じられてならないのは私一人だけだろうか。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.03.21 13:25 Thu
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