南米勢がヨーロッパ化?/六川亨の日本サッカー見聞録2018.10.18 18:10 Thu

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▽10月16日のキリンチャレンジ杯で日本はウルグアイを4-3で下した。前線の南野、中島、堂安らが躍動し、常に先手を奪う余裕の試合運びを見せた。3失点のうち2点目と3点目はいただけないが、ウルグアイのカウンターにもしっかりと対処し、森保監督の掲げる「全員攻撃、全員守備」での快勝だった。▽ドリブルで翻弄した中島のプレーを堪能したファンも多いだろうし、堂安のカットインからワンツーでのゴール、そして南野の神出鬼没な動きなど、これまで長らく代表を支えた本田、香川、岡崎らビッグ3の不在を補ってあまりある活躍だった。

▽ただ、ウルグアイには正直物足りなさを感じた。スアレスこそ来日しなかったが、カバニ(パリSG)、ゴディン(A・マドリー)らロシアW杯のメンバー7人がスタメン出場するなど、ほぼベストメンバーに近い。タバレス監督は長旅の疲れや時差ボケを敗因にすることなく、素直に「勝利にふさわしいチーム。明確なチームができあがっている」と敗戦を受け入れていた。

▽なぜ物足りなさを感じたのか。これまで日本は南米勢との対戦を苦手にしてきた。その理由の一因は「個の力」で強引に守備網を破られ失点してきたからだ。数的優位な状況にありながら、強引なドリブル突破や意表を突いたミドルシュートなど、想定外のプレーに苦しめられてきた。

▽しかし今回来日したウルグアイには、「個の力」で突破を試みる選手は皆無だった。ボールを持ちすぎることなく、ていねいにパスをつないで攻撃を組み立てるスタイルは、南米というよりヨーロッパのサッカーに近かった。

▽そして「こんな選手がいたの?」と、無名でも驚くようなプレーをする選手が、かつての南米勢にはいた。

▽時代は変わり、インターネットやYouTuberの普及などで情報網が発達し、もはやダイヤの原石のようなサプライズを起こす選手は世界的にいなくなった。久保建英のように小学生の頃から海外のビッグクラブのリサーチによって、才能豊かな若手選手が発掘される時代でもある。

▽と同時に、これは推測ではあるが、南米勢の主力選手のほとんどがヨーロッパのリーグでプレーすることで、代表チームのプレースタイルも次第にヨーロッパ化しているのではないだろうか。

▽かつて1970年のメキシコW杯でブラジルは3度目の優勝を達成した。しかし4年後の西ドイツW杯では2次リーグでクライフ率いるオランダに完敗した。そこで78年のアルゼンチンW杯でコウチーニョ監督は、フィジカル重視のサッカーをブラジルに採用。するとファンやサポーターから猛反発を食らった。個人技を重視した華麗なサッカーがブラジルのスタイルだからだ。

▽ブラジルは94年のアメリカW杯で34年ぶりに世界一になったが、ロマ-リオとべべ-トら2トップによるカウンター・スタイルに、ブラジル国民は82年スペインW杯でジーコらが見せたプレーこそセレソンだと懐かしんだ。

▽そんなブラジルがW杯で4大会連続して決勝進出を逃した。ロシアW杯ではベスト8で敗退している。メッシを擁するアルゼンチンもロシアW杯ではベスト16で敗退した。もしも南米が南米でなくなっているとしたら、それはそれで寂しいことでもある。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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中島翔哉の恩師が語るドリブラーが育たない理由/六川亨の日本サッカー見聞録

中島翔哉のポルト移籍は今週月曜のコラムでも触れた。彼には新天地で活躍して欲しいところだが、中島のポルト移籍に驚いている人がいる。J2富山時代に監督として指導し、FC東京でもコーチ・監督として練習後のシュート練習に付き合った安間貴義氏だ。 開口一番、「CL(チャンピオンズリーグ)でも上位に勝ち進める可能性のあるチームですよ」と驚きつつ、「本音を言えばポルトではなくベンフィカに行って欲しかった」と残念がった。 安間氏は今年で50歳を迎える。サッカーファンとしては“オールド”の部類に入るだろう。その年代のサッカー関係者からすれば、ポルトは“新興チーム”であり、やはりポルトガルといえば“黒豹”のニックネームで親しまれ、1966年イングランドW杯で得点王となったエウゼビオ擁するベンフィカ・リスボンの方が親しみやすいからだ。 そんな安間氏が中島や、FC東京U-23監督時代に指導した久保建英の凄さについて、次のように説明してくれた。 「普通、ドリブラーに対しての守備は、顔が上を向いている状態、いわゆるヘッドアップしているときは周囲の状況を把握しているためアタックに行くなと言います。そしてボールを見ているとき、ヘッドダウンしているときは視野も狭いためアタックしろと言います。しかしショウヤやタケフサら天性のドリブラーは、ヘッドダウンしていても周囲にいる敵の気配を敏感に感じられるので対処できるのです」 だからこそ、正対するマーカーだけでなくサイドからアタックに来たDFなど3人の敵に囲まれても切り抜けることができるという。 そして日本人指導者の問題点も指摘した。中島のような“相手を剥がせる”ドリブラーは、日本代表では1980年代に活躍した金田喜稔氏や木村和司(元々は右ウイングだった)以降、なかなかいなかった。 一時期は静岡学園や野洲高校がドリブルにこだわる指導で名選手を輩出し、乾貴士がロシアW杯で活躍したのは記憶に新しいところだろう。 安間氏いわく、「ドリブラーを養成するには、指導者がドリブラーとしての経験がないと、なかなか教えられません」と断言する。 そこで現役時代にドリブラーではなかった指導者は、「早くパスをつなぐことを奨励する傾向が強い」(安間氏)そうだ。 ここらあたり、つい最近まで“個で勝負”するのではなく、“組織で勝負”する日本サッカーの弊害かもしれない。そして、それに輪を掛けたのがバルセロナのポジションセッション・スタイルではないだろうか。 バルサの「チキタカ」がもてはやされた時代もあったが、それでもメッシはドリブル突破で状況を打開したし、高速ドリブルのベイルもレアルの大きな武器だ。 中島の活躍により“ドリブラー”の重要性にスポットライトが浴び、第2第3の中島を育成しようとする指導者が現れるのかどうか。今度機会があったら関塚隆技術委員長に育成について聞いてみたいと思う。 2019.07.11 18:00 Thu
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天皇杯2回戦でのジャイキリに思うこと/六川亨の日本サッカー見聞録

昨日3日は天皇杯の2回戦29試合が行われ、J1リーグの4チーム(名古屋、札幌、湘南、松本)が姿を消した。なかでも衝撃的だったのは、名古屋が鹿屋体育大に0-3で完敗したことだ。 名古屋だけでなく、FC東京は桐蔭横浜大に、川崎Fは明治大に1-0の辛勝スタートで、浦和と横浜FMもそれぞれ流通経済大と立命館大に2-1と苦戦を強いられた。 昨日はFC東京対桐蔭横浜大の試合を取材したが、改めて大学勢のレベルアップを痛感した。過去にも大学勢や高校勢がジャイアントキリングを演じたことはあるが、それは堅守速攻での快挙だった。 しかし昨日の桐蔭横浜大は、安武監督が試合後に「私たちは大学生で、相手はJ1で、誰が出てくるのかわからなかったので、普段通り我々のサッカーをしよう。選手も個人個人がこの試合で評価されたかったので、自分たちのサッカーをした」と説明したように、4-4-2の布陣からボールポゼッションによる“普段通り”のサッカーで互角に渡りあった。 もちろんFC東京はリーグ戦から10人を入れ替えるターンオーバーを採用したし、名古屋も外国籍選手はマテウスひとりで、リーグ戦から大幅にメンバーを入れ替えたため本来のチーム力ではなかった面は否めない。 にもかかわらず苦戦を余儀なくされたのは、大学サッカーのレベルアップに他ならないと言っていい。桐蔭横浜大で言えば、創部は1998年と歴史は浅いものの、初代監督は風間八宏氏が務め、FC東京戦にも出場した4年生のMFイサカゼインは来シーズンの川崎F入団が内定しているし、過去にもJリーガーを輩出している。 対戦相手だったFC東京のCB渡辺とFW矢島はいずれも中央大出身で、FC東京の下部組織で育ったものの、ユースやトップに昇格できず、高校サッカーや大学サッカーで頭角を現し、プロ契約にこぎつけた。 近年の高校選手権では東京や埼玉のチームがなかなか上位に勝ち進めないが、優秀な選手はJクラブの下部組織を選択し、そこで揉まれてもトップに昇格できなければ大学に進学してプロを目指す。いわば大学サッカーは違った意味でプロ予備軍となっている精鋭揃い。このためJクラブのセカンドチームでは苦戦を余儀なくされても当然と言える。 ただ、「日本最古のカップ戦」とうたう天皇杯が、それもプロリーグのトップチームが“ベストメンバー”を出さずにアマチュアに敗れていいのかという疑問も残る。 Jクラブとしては、最優先すべきはリーグ戦での優勝争いであり残留争いというのが本音なのも理解できる。大学勢にしてもトップ選手はイタリア・ナポリで開催中のユニバーシアードに参加しているため2回戦はベストメンバーとは言えないチームもあった。 お互いに“それぞれの事情”を抱えての天皇杯2回戦だったが、選手が疲弊しないよう、J1クラブの出場は4回戦からにするとか、年間の試合数を減らしてクオリティーの高い試合になるよう再検討してはいかがだろうか。 このままでは天皇杯へのJ1クラブのモチベーションは下がる一方だろう。ルヴァン杯も含めて大会の見直しが必要だと感じた昨日の取材だった。 <hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.07.04 16:30 Thu
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なでしこジャパン高倉監督の目標は東京五輪でメダル獲得のはず/六川亨の日本サッカー見聞録

コパ・アメリカの日本はグループリーグで敗退し、なでしこジャパンも決勝トーナメント1回戦でオランダに終了間際に与えたPKからの失点で1-2と敗れ、3大会連続の決勝戦進出はならなかった。 U-20W杯ポーランド、トゥーロン国際大会と6月は代表マッチが目白押しで、いずれもテレビ放送(コパ・アメリカはDAZN)で楽しめたが、もう少しなでしこジャパンの試合を見たかったと思う読者も多いのではないだろか。 決勝点となるPKを与えたキャプテンの熊谷は、8年前のアメリカとの決勝戦でPK戦の5人目のキッカーとして登場し、初優勝を決めた選手だけに、不思議な縁を感じる。 そして一部報道では高倉麻子監督の手腕を問う記事も目にした。確かに代表メンバー発表の際は、なでしこリーグ3年連続得点王の田中美南(日テレべーレーザ)を外した理由が今ひとつ明確ではなかったり、永里優季(シカゴ・レッドスターズ)と川澄奈穂子(スカイブルー)ら海外組を外したりしたのもその一因だろう。 高倉ジャパンにとっては若返りもテーマだっただけに、2人のベテランを外したのは理解できないでもない。その代わり、自身が率いてW杯で優勝したU-17やU-20から多くの選手を引き上げて若返りを敢行した。このため高倉監督を始めW杯を初めて経験する選手も多かったし、それなりの経験を積んだことだろう。 しかしながら現時点での監督交代は“百害あって一利なし”だ。そもそも女子サッカーは、男子と違いW杯よりも五輪を重視する。レジェンドの澤穂希を始め歴代の選手は「W杯より日本では注目度の高い五輪でメダルを取ることで女子サッカーの認知度を高めよう」と努力してきたからだ。 このため今回のW杯は、来年の東京五輪への強化の一環であり、得られた教訓は女子サッカー大国アメリカとドイツだけでなく、ヨーロッパ勢の急速なレベルアップだ。なでしこジャパンが簡単に勝てる相手は年を追うごとに少なくなっている。 そして、監督を代えようにも候補者がいないのも女子サッカーのネックになっている。前任者の佐々木則夫監督はW杯優勝1回、準優勝1回に加えロンドン五輪では銀メダルを獲得した名将である。しかし07年からリオ五輪出場を逃した16年まで10年間の長きにわたって監督を務めた。 主力選手が固定されたため若返りを指摘する声もあり、実際に佐々木監督もヤングなでしこの選手を招集して起用したものの、ベテラン選手を脅かすことはできずに世代交代は進まなかった。 技術委員会内部では、15年のカナダW杯後に佐々木監督には勇退してもらい、高倉氏を監督に推す声もあった。しかしリオ五輪まで1年しか準備期間がないこと、監督が代わっても主力選手の顔ぶれは変わらないだろうこと、そしてもう1点、決定的な不安要素があった。 ある関係者は言った。「高倉はなでしこジャパンの切り札です。もしも初舞台となるリオ五輪の出場権を逃すようなことがあれば監督交代となる。高倉には傷をつけたくないんです」というのが監督交代を見送った最大の理由だった。 そしてこの不安は的中した。2月から3月の寒い時期に日本で開催したアジア最終予選ではオーストラリアに1-3と完敗し、中国にも敗れ2勝1分け2敗の3位にとどまり3大会連続して出場していた五輪の出場権を逃した。 話を高倉監督に戻すと、現時点で高倉監督に代わる有力な候補者はいない。これは、なでしこジャパンの構造的な欠陥でもある。歴代の監督は黎明期の1986年に就任した鈴木良平氏、1996年に就任した鈴木保氏(元日産監督)、宮内聡(元日本代表)以降はJFA(日本サッカー協会)の技術委員が監督を務めてきた。 2002年~2004年にかけては元マカオ男子代表監督の上田栄治氏、2004年から2007年にかけては元アルビレックス新潟・シンガポールの監督だった大橋浩司氏、そして07年からは大橋監督のコーチだった佐々木氏が監督に就任した。 男子の日本代表監督は、98年フランスW杯の岡田武史監督以降、外国人監督を招聘してきた。昨夏のロシアW杯では大会直前に西野朗氏がヴァイッド・ハリルホジッチに代わって2010年の南アW杯以来となる日本人監督でチームをベスト16に導いた。 西野氏が代表監督に抜擢されたのはG大阪時代にJ1リーグを始め数々のタイトルを獲得した実績があるからだ。そして西野氏の後任に代表監督に就任した森保一監督も広島の黄金時代を築いた手腕を高く評価されたからだろう。 ところが女子の場合は、なでしこリーグでいくら結果・実績を残しても、代表監督の候補に上がることすらない。過去にはそれに不満を抱き、海外での指導者に転身した監督もいた。 なでしこジャパンの監督になるための明確な基準がJFAにはないことによる悲劇でもある。ポスト高倉は現コーチの大部由美が有力候補と思われるが、監督候補にはなでしこリーグの監督も含め、明確な基準を示して欲しいと願わずにはいられない。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.06.27 21:30 Thu
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レアル移籍で久保は東京五輪に出場できない?/六川亨の日本サッカー見聞録

現在ブラジルで開催中のコパ・アメリカだが、テレビ中継しているのはインターネットのDAZNだけ。放映権を取得する時点で選手を招集するのに強制力がなく、海外組はオフシーズン、国内組はJ1リーグの真っ最中ということもあり、東京五輪候補が主力になるだろうとの予測のもと、NHKを始め民放各社は手を上げなかった。 フタを開けてみれば、U-20W杯に出ると思われていた久保建英と安部裕葵が呼ばれ、なおかつ久保はレアル・マドリーに移籍が決まったため、がぜん注目度が急上昇。放映権を見送ったNHKを始め民放各社は地団駄を踏んでいるかもしれない。 本来、日本代表の試合は広く日本国民に見てもらうため、無料での視聴がJFA(日本サッカー協会)の務めだろう。その義務を怠ったそしりは免れないが、DAZNが手を上げなければ試合そのものを視聴できなかった可能性もあっただけに、今回は致し方ないといったところか。 といったところで本題に入ろう。チリ戦では新聞各紙をはじめネットでも久保のプレーを賞賛する記事が多かった。試合は0-4の完敗だっただけに、ポジティブな要素が久保しかなかったのは頷ける。ただし、チリ戦後の記事を読んで気になったこともある。 「久保を東京五輪の中心選手に」といった論調だ。 久保のレアル移籍に関し、所属元のFC東京の大金直樹社長は「6月4日で契約は切れているため、移籍交渉にはまったく関与していません」と明言していた。久保サイドとレアルが直接交渉したことになる。 そこでブラジル在住で、古くからサッカーダイジェストに寄稿していたフリージャーナリストの沢田啓明氏が興味深い記事を書いた。スペインのマルカ紙はレアルと密接な関係があり、同紙の記者が練習場に来たので直撃したところ、次のようなことが判明した。 「バルセロナは年俸がBチームの選手として上限の3050万円で、最初の2年間はBチーム」に対し、「レアルは手取りで年俸約1億5千万円、税金を含めると総額2億4千万円の5年契約を提示し、Bチームでプレーするのは1年間」というものだ。 今夏、7月中旬にバルセロナとチェルシーが来日し、神戸や川崎Fなどとフレンドリーマッチを行う。同様にレアルはアメリカツアーを実施し、久保のレアル合流はこのアメリカツアーが有力視されている。 そこで来夏の東京五輪である。サッカー競技は開会式の2日前の7月22日に開幕戦を迎え、8月8日が決勝戦となっている。今年に当てはめるならレアルのアメリカツアー(7月21日から27日にかけてバイエルン・ミュンヘン、アーセナル、アトレチコ・マドリーと対戦)とモロに被っているのだ。 バルセロナなら2年間はBチームのため、久保の東京五輪出場を認めたかもしれないが、レアルなら、来年の7月はトップチームに昇格し、ポジション争いをしなければならない重要な時期だ。 そこで東京五輪に出場することをレアルが許すかどうか。また久保自身がトップチームに昇格しながらチームから離脱するかどうかは、はなはだ疑問だ。 田嶋幸三JFA会長は「東京五輪は男女とも金メダルを狙う」と公言しているものの、久保の移籍に関して関塚隆技術委員長がレアルと東京五輪の出場に向けて交渉したとは考えにくい。これが、もしもFC東京が移籍交渉に絡んでいれば、その可能性はほんの数パーセントだがあったかもしれない。 また久保自身がレアルに対して東京五輪への出場を移籍条件に含めたかというと、その可能性はゼロだろう。今年2月の沖縄キャンプを取材した際に、久保にU-20ポーランドW杯の抱負を聞いたところ、「まだ選ばれていないのでお答えできません」という返事だった。 仮定の質問には答えない。なぜなら選ばれなかったら恥をかく――それが久保流のプライドでもあるからだ。 このため久保を中心とした五輪のチーム作りはリスクを伴う。それは3年前のリオ五輪で久保裕也を招集できなかった前例からも明らかで、同じことは海外組の堂安律や冨安健洋にも当てはまる。 最強チームを作りたくても作れない状況に陥りかねないのが東京五輪の男子チームと言える。関塚技術委員長がどうネゴシエイトするのか、責任は重大である。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.06.21 12:00 Fri
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久保のレアル移籍報道/六川亨の日本サッカー見聞録

やっとと言うか、ようやく久保建英の海外移籍に進展が見られそうだ。今日の午前中、共同通信が、久保がレアル・マドリーと5年契約で年俸2億円超などの条件面で合意したと報じた。 かつて下部組織でプレーしたバルセロナは、当初から条件面で久保サイドとは開きがあり、獲得レースから身を引いていた。そこで急浮上したのがレアルでありパリSGだった。久保自身はかつて過ごした、言葉もわかるスペインへの移籍を希望していたそうだ。 しかしトップチームでのプレーを希望したため、バルセロナとは決別せざるを得なかった。それもそうだろう。いくら才能があっても、実績はゼロに近い。これが、もしもポーランドで開催中のU-20W杯に久保が出場し、優勝に導くなど大活躍すれば話は違ったかもしれない。 久保の出場を訴えながらも聞き入れられなかったU-20日本代表の影山雅永監督にすれば、グループリーグでイタリアから勝利を奪えず、グループリーグ2位で勝ち進んだ韓国にラウンド16で敗れ、その韓国が初の決勝戦に進出しただけに“慚愧”の思いだろう。 ただ、その他の報道によると当初は3部リーグにあたるレアルBチームからのスタートが濃厚だという。そこで結果を残し、1部中位クラブへのレンタル移籍でも実績を残せば、晴れて“白い巨人”の一員になれるかもしれない。 レアルへの移籍で、これから開幕するコパ・アメリカでも久保は多くの注目を集めるだろう。6月9日のキリンチャレンジ杯のエルサルバドル戦で代表デビューを飾り、華麗なステップでマーカーをかわしてシュートを放ったり、フリックで中島翔哉の決定機を演出したりするなど、デビュー戦とは思えないレベルの高いプレーを見せた。 そんな久保をエルサルバドルのカルロス・デロスコボス監督は「非常に興味深いと思う。若くして代表にデビューしたのは、とてもいい選手だからだ。18歳で代表チームにデビューしたのは、とても成熟した選手だからだと思う」と印象を語っていた。 エルサルバドル戦では、久保と同じ時間帯に中島も交代で投入された。ドリブラーとして、代表でも海外移籍でも実績のある中島だったが、より輝いて見えたのは久保の方だった。 その理由を富山の監督を務めていたときに中島を、FC東京U-23の監督時には中島と久保を指導した安間貴義FC東京コーチは「スタートポジションの違い」と説明する。 「翔哉(中島)は左サイドでワイドに開き、足下にパスを受けてからドリブル突破を始めます。建英(久保)は、右サイドはもちろん、トップ下でも左サイドでもプレーできます。そして足下だけでなく、スペースにパスを要求するときもあります。ボールの引き出し方が豊富なため、自然と味方からのパスが多くなり、翔哉より目立って見えたのでしょう。これで堂安君が刺激を受けたら面白くなりますね」 17日のチリ戦からスタートするコパ・アメリカに堂安律は選出されていないが、久保と中島がどんなプレーを見せるのか。そしてFC東京はいつ久保のレアル移籍を発表するのか。久保から目の離せない1週間になりそうだ。<hr>【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。 2019.06.14 18:00 Fri
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