「U-21 Jリーグを意義あるものにするかは選手自身にある」FC東京・高宇洋が若手に伝えたい大切なこと|ユース教授・安藤隆人の「育成ノート」

FC東京の中盤を支える高宇洋には、プロ1年目にU-23でJ3を戦い続けた過去がある。トップとの差に打ちのめされながらも、その環境で自らの武器と生き残る道を見つけた。今、J1で決勝ゴールを決めるまでになった高が、U-21 Jリーグを戦う若者たちへ伝えたいこととは――。

⬇️J.League Fantasy Cardを遊ぶならこちら

超WORLDサッカー! 「U-21 Jリーグを意義あるものにするかは選手自身にある」FC東京・高宇洋が若手に伝えたい大切なこと|ユース教授・安藤隆人の「育成ノート」
目次

「あ、このままじゃ俺、すぐにクビになるわ」プロの壁に打ちのめされた18歳

8月21日、MUFGスタジアム(国立競技場)で行われたJ1リーグ第3節・FC東京vsジェフユナイテッド千葉の一戦。スコアレスで迎えた72分、均衡を破ったのはFC東京のボランチ高宇洋だった。

ゴール前のこぼれ球に反応すると、ペナルティーエリア内から迷うことなく右足を一閃。ハーフバウンドの難しいボールを叩きつけるような形で放った右足ボレーは、ワンバウンドしてゴール左隅に突き刺さった。

ゴールを確認すると、ゴール裏に陣取るサポーターの前に一直線。チームメイトにもみくちゃに祝福された彼の今季初ゴールは、チームを今季初勝利に導く決勝弾となった。

今やFC東京の中盤を支える欠かせない存在となった高。豊富な運動量でピッチを駆け回り、鋭い予測と出足の鋭いプレスでボールを奪い、正確なパスで攻撃につなげる。「ボランチとして攻守においてチーム全体をつなげるという意識を持ってやっています」と語るそのプレースタイルの土台は、プロキャリアのスタート地点で築かれた。

名門・市立船橋高では1年生の時から出番を掴み、正確な足元のテクニックと多彩なアイデアを駆使したパスを武器に、チームの絶対的な存在となっていった。3年時には10番としてインターハイ優勝を経験して2017年にガンバ大阪へ加入。当時、彼は自らの攻撃力に大きな自信を持ってプロの門を叩いた。

しかし、その先で待っていたのは強烈な現実だった。当時のG大阪のボランチには遠藤保仁、今野泰幸ら日本トップレベルの錚々たる選手がいた。難しいプレーを簡単そうにハイレベルでこなす姿を間近で見て、自信をへし折られた。

「あ、このままじゃ俺、すぐにクビになるわ」

プロの壁に弾かれた高にとって大きな意味を持ったのが、当時J3リーグに参戦していたG大阪U-23だった。

「高卒でいきなりJ1の強豪チームに入って、トップとの力の差を目の当たりにして、なかなかトップで試合経験が積めない中で、U-23としてJ3リーグに出場できたことは本当に大きかった。あの環境を与えられたことによって、自分の武器であったり、自分がこのプロの世界で生き残っていく道を見つけたりすることができた」


U-23で見つけた生き残る道。徹底的に磨かれた「ボールを奪う力」

超WORLDサッカー! 「U-21 Jリーグを意義あるものにするかは選手自身にある」FC東京・高宇洋が若手に伝えたい大切なこと|ユース教授・安藤隆人の「育成ノート」

プロ1年目、トップでの出番は訪れなかったが、U-23の一員としてJ3リーグで28試合、2,239分間プレーし続けたことで試合勘は鈍らなかったし、何よりじっくりと自分の武器を磨いたり、プロの世界にアジャストしたりする時間ができた。

2年目になってもスタートの主戦場はU-23だったが、2017年シーズン途中からG大阪U-23を率いた宮本恒靖(現・日本サッカー協会会長)、U-23チームのヘッドコーチだった山口智(現・U-19日本代表監督)の言葉に耳を傾け、言われたことをガムシャラに練習から表現し続けた。

かつて日本代表の不動のDFリーダーだった宮本U-23監督、サイズはないがG大阪の頭脳派CBとして黄金期を支えた山口U-23ヘッドコーチから1年をかけて守備を徹底的に叩き込まれ、それに対して真摯に取り組んだことで、ボールを奪う力やプレスの質は彼の大きな武器となっていった。

2018年7月28日のJ1第18節・鹿島アントラーズ戦でJ1リーグ初スタメンを果たすと、そこからはU-23とトップの往復生活を送り、2019年もシーズン前半は往復生活を続け、同年8月にJ2のレノファ山口へ育成型期限付き移籍。山口で不動の存在となって、2021年にJ2のアルビレックス新潟へ完全移籍。そこでも不動の攻守の要となり、2023年にチームと共にJ1に復帰し、2024年からFC東京に完全移籍をして、ここでもチームの中軸を担い続けている。

「1年目でJ3でコンスタントに試合に出て、2年目以降はトップでチャレンジをして、U-23でもう一度自分を見つめ直す往復生活をして、プレー的にもメンタル的にも僕のプロサッカー選手としての土台を築くことができました。特に今の僕の武器であるボールを奪う力や、全力で戦う姿勢を持ち続けることが磨かれて、本当に自分の原点になっています」


「ずっとそこにいたら絶対に良くない」U-21 Jリーグに求める覚悟

その経験があるからこそ、高は新たに始まるU-21 Jリーグに大きな可能性を感じていると同時に、これからそこに立つ若者たちへ伝えたいことがある。

「ずっとそこにいたら絶対に良くないですし、上に行くためのステップアップのリーグだと思うので、本当にがむしゃらに自分を出し続けながら、常に上を目指す戦いをしてほしいです。練習試合と違っていい緊張感の中でできると思うので、その環境に甘えるのではなく、目の色を変えて必死にやってほしいと思います。このリーグを意味あるものにするかしないかは、選手自身にあると思っています」

高自身がそうだった。U-23は自分の居場所ではなく、『トップへ這い上がるためにもう後がない場所』だった。そこで目の前の一試合、一日の練習に食らいついた。その積み重ねが、現在の高宇洋を作った。

G大阪から山口、新潟を経てFC東京とプロの世界を10年も歩き続け、今やJ1の舞台でチームの中心を担うまでになった。だからこそ、あの日々を振り返る高の言葉には重みがある。


「通るべき道」だった。10年後、国立で決勝ゴールを突き刺すまで

「もしかすると他の同世代の選手と比べたら遠回りなのかもしれないですけど、自分の中では本当に『通るべき道』だったのかなと思います。U-23という機会を与えてくれたJリーグとクラブ、決してモチベーションを落とさずに上だけを見続けたあの頃の自分にも本当に感謝しています」

かつてU-23で必死にボールを追い、自らの生きる道を探していた高が、今、国立競技場のピッチでJ1の決勝ゴールを突き刺している。

その姿こそ、新たな舞台に立つ若者たちに向けた何より大切なメッセージなのかもしれない。

若い選手にとって大事なのは、与えられた場所ではない。その場所で何を感じ、何を掴み、次へどうつなげるかだ。これからU-21 Jリーグを戦う若者たちにも、高のようにそれぞれの『通るべき道』が生まれるだろう。それこそがU-21 Jリーグをスタートさせる意義でもある。

取材・文=安藤隆人

大学卒業後、地元の第一地方銀行に就職するも、フリーサッカージャーナリストとして週末だけ活動。2005年7月に5年半勤めていた銀行を辞め、単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は40を超える。本の著作・共同制作は14作。最新作は『ドーハの歓喜 2022 世界への挑戦、その先の景色』と早川史哉の半生を描いた『ともに歩き出す』(徳間書店)。NumberWebで11年連載などの執筆活動以外にも講演・講師活動を小学校、中学校、高校、大学、企業と年10回ほど幅広く行っている。元・名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター(2022年10月〜2026年4月)、現・國學院大學体育連合会蹴球部コーチも兼務する。W杯も2大会連続取材。

ユース教授・安藤隆人の「育成ノート」

author avatar
超ワールドサッカー編集部
海外リーグ、Jリーグを中心に日本代表、なでしこなど、幅広いファン層が訪問するサッカー情報サイト「超WORLDサッカー!」。 記事数はサッカーメディアで圧倒的トップで移籍情報は、国内ではJ1からJ3まで、海外では欧州5大リーグにとどまらずフリークが求めるリーグやチームまで網羅。 ピッチ外の出来事も豊富に取り揃え、24時間365日、最新のサッカー情報を配信中。
目次