父が監督になった17歳。前橋育英MF松下歩夢が苦しみの春を乗り越え掴んだ自信と「お父さんと一緒に日本一になる」という目標

父親が監督、息子が選手。高校最後の一年で突然訪れた特殊な環境に、前橋育英MF松下歩夢は戸惑った。一時期は自信を無くしかけていたが、Bチームで1から自分を見つめ直し、這い上がった17歳が、今は「お父さんと一緒に日本一になる」という目標を見据えている。

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苦しみの春。自信を失い、居場所を失いかけた

真夏の強烈な日差しが照りつけるピッチで、前橋育英のMF松下歩夢の表情が変わっていた。

8月6日から10日にかけて石川県で行われた和倉ユースサッカー大会。日本一の規模を誇る高校年代のフェスティバルにおいて、前橋育英は優勝の栄冠を手にした。

GKからのビルドアップ、ショートパスとミドル、ロングパスを巧みに使い分け、3人目、4人目の動きが関わる連続攻撃で次々と相手ゴールに襲いかかる。決勝トーナメント1回戦でインターハイベスト4の大津を2-0で下し、準決勝では同じプレミアリーグEASTに所属する川崎フロンターレU-18を2-1、決勝では日大藤沢を相手に10人になりながら逆転し、2-1の勝利を掴み取った。

破壊力抜群の攻撃を見せる中で、松下はボランチの位置からボールを巧みに引き出し、左右に散らしたり、鋭い縦パスを差し込んだりと、攻撃のスイッチを入れ続けた。守備面でも鋭い予測でセカンドボールを回収し、DFラインと連動したプレスバックでボールを奪って即座に攻撃に繋げるなど、まさに攻守の要に相応しい活躍を見せた。

そこには春先の自信なさげな表情は一切なかった。明らかに逞しさを増したその表情について本人に直接聞くと、笑顔を見せながらこう答えた。

「自分的にもコンディションはいいし、自信もついてきたので、そう見えたのだと思います」

松下にとって高校最後の学年を迎えた今年は、決して順調なスタートではなかった。新人戦の時期にインフルエンザに罹り、治ってからは修学旅行も重なって十分なトレーニングを積めなかった。さらに修学旅行後には肉離れを起こし、周りの選手たちが3月のフェスティバルで結果を残していく中、自分だけが取り残されていくような感覚に襲われた。

「居場所がどんどんなくなっていく感覚があって、かなり焦りもありました。肉離れから復帰をしてからも『自分のプレーは本当にいいのか』と半信半疑になってしまったんです」

父が監督に。突然変わった「父と息子」「監督と選手」

さらに、もう一つ大きな環境の変化があった。それは父である松下裕樹が前橋育英の監督に就任したことだった。入学した時から父は同校のコーチで、父がいることも理解した上でJFAアカデミー福島U-15 EASTから前橋育英の門を叩いた。しかし、1、2年時の歩夢は主にセカンドチーム、父はトップチームのコーチを担当しており、直接指導を受ける機会は多くなかった。

それが3年生になってトップチームで一緒になり、さらにこの8月から父が監督になった。

「今年から初めて意識するようになったというか、感覚が一気に変わりました」

父と息子。それと同時に、監督と一選手。しかも前橋育英をゼロから築き上げ、長年にわたって率いてきた名将・山田耕介前監督(現・ザスパ群馬GM)の後を父が継ぐ。高校最後の一年で突然訪れたこの状況を、17歳の高校生がすぐに整理できるはずもなかった。

「2年生の時はそこまで直接見てもらうこともなかったので、そんなに気にすることはなかった。でも、今年から直接プレーを見てもらって指導してもらう形になって、感覚が一気に変わりました。それに山田監督は前橋育英を0から作り上げてきた人で、その偉大な人から、しかも自分が3年生になってお父さんが監督になるということは、予想もしていなかったので、びっくりしたというか戸惑いました。その感覚の変化を表現するのは正直、まだ難しいんです」

最高学年を迎えて絶対にレギュラーを掴みたいという思いと、環境が変わったことへの1人の人間としての戸惑い。怪我で出遅れたことも影響し、コンディションがなかなか上がらない状態のまま、プレミアリーグEAST開幕からベンチスタート。第2節のベガルタ仙台ユース戦に途中出場して以降は、ベンチ外が続く状況に陥った。

苦しい時間を過ごす中、松下はAチームからBチームに落とされた。

「プレミアでメンバー外になった4月の終わりくらいにお父さんと1対1で話しました。その時に『もっと自分に自信を持った方がいい。ただ、一度Bチームに落ちて、もう1回やり直した方がいい』と言われました」

この言葉は厳しく聞こえるが、松下はそこに温かみを感じたという。

「お父さんは自分のことを思ってくれながら、いろいろ話をしてくれた。お父さんの言うとおりで、簡単に諦めたり、下を向いたりせず、絶対にここで自分が変わることができれば、チャンスはいつか来ると思ったので、もう上を向いてやるだけだと思いました」

Bチームで取り戻した感覚。這い上がって掴んだ自信

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前向きになった彼は、トップチームがプレミアEASTを戦う中、Bチームが出場する関東大会の予選である県総体に出場。「櫻井勉コーチが僕をボランチとして使ってくれた」と、チームの軸としてプレーする中で、パスのタイミングや質、ポジショニング、ボールコントロールなど、失いかけていた感覚を徐々に取り戻していった。

松下がゲームメーカーとして君臨したチームは県総体を制し、関東大会では決勝で武南に1-3と敗れたが、準優勝という結果を掴んだ。

自信と本来の自分を取り戻した松下は、関東大会後にトップチームに引き上げられ、前期終盤の横浜FCユース戦で初スタメンを飾ると、続く前期最終戦の帝京長岡戦でもスタメンフル出場。インターハイでは1回戦でスタメン出場し、2回戦の滝川第二戦(1-3の敗戦)はベンチで70分間を過ごした。

後期は絶対に確固たる地位を築く。その覚悟を胸に、松下は和倉ユースに臨んでいた。

「インターハイで負けてからの和倉ユースなので、チームとしてもう一度見つめ直して、結果にこだわりながらもチームの成長を大切にしていく。僕個人としてはトップチームの中心になるべく、自分の課題であるプレー強度の部分だったり、アジリティの部分だったりを試合を通して成長させながら、特徴であるキックだったり、ゲームメイクのところでもっと違いを見せるようにやっていきたい」

「お父さんと一緒に日本一になる」――特殊な環境を力に変えて

明確な目的を持って戦った和倉ユース。前述したとおり、彼は攻守の要としてピッチ中央に君臨し続け、チームを優勝に導いた。その自信に満ちた表情とともに、父が監督であるという特殊な状況への向き合い方も変わっていった。

「もう高校生活も残すところ半年を切っています。今はお父さんが監督というこのシチュエーションに『逆に面白いな』と思えるようになりました。だからこそ、もっと自信を持ってプレーして試合に出たいし、『お父さんと一緒に日本一になる』という気持ちが芽生えています」

思うようにプレーできず、自信を失い、居場所さえなくなっていくように感じた春があった。ピッチでの父との関わりが増え、言葉にできない感情に揺れた時間もあった。だが、Bチームに落ちたことで足元を見つめ直し、そこから一歩ずつ這い上がった。そして今では、この特別な巡り合わせを「面白い」と言えるようになった。

長いようで短い高校最後の夏。父と息子として過ごす最後の高校サッカー。そして、監督と一選手として挑む、たった一度のシーズン。松下歩夢の目指す場所は、もうはっきりしている。

取材・文=安藤隆人

大学卒業後、地元の第一地方銀行に就職するも、フリーサッカージャーナリストとして週末だけ活動。2005年7月に5年半勤めていた銀行を辞め、単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は40を超える。本の著作・共同制作は14作。最新作は『ドーハの歓喜 2022 世界への挑戦、その先の景色』と早川史哉の半生を描いた『ともに歩き出す』(徳間書店)。NumberWebで11年連載などの執筆活動以外にも講演・講師活動を小学校、中学校、高校、大学、企業と年10回ほど幅広く行っている。元・名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター(2022年10月〜2026年4月)、現・國學院大學体育連合会蹴球部コーチも兼務する。W杯も2大会連続取材。

ユース教授・安藤隆人の「育成ノート」

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超ワールドサッカー編集部
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