「怒鳴られまくった」新潟FW鄭大世、リスペクトする中村憲剛の引退に「心の裏には常に中村憲剛がいます」
2020.11.01 18:53 Sun
アルビレックス新潟の元北朝鮮代表FW鄭大世が、川崎フロンターレの元日本代表MF中村憲剛(40)の引退にコメントした。中村は、1日に今シーズン限りで現役引退を発表。緊急会見をオンライン上で実施し、多くのファン・サポーターがその言葉を受け取っていた。
鄭大世は、新潟の一員として14時キックオフの明治安田生命J2リーグ第30節の東京ヴェルディ戦に先発出場。引退会見をリアルタイムでは聞けなかったものの、試合では0-1で迎えた36分に同点ゴールを記録。チームは2-2の引き分けに終わっていた。
2003年に中央大学から川崎Fへ入団した中村から遅れること3年、鄭大世は2006年に朝鮮大学校から川崎Fへ入団。2010年にボーフムへと移籍するまで、4年半をチームメイトとして過ごし、多くのことを中村から学んだという。
試合後のメディア対応で鄭大世は、中村の引退についてコメント。川崎Fの発表で引退を予感したと言い、これまで自身の支えとなった中村へ感謝のコメントを送った。
「僕のキャリアは中村憲剛さんに怒鳴られ続けて1年目から始まりました。その記憶はずっと忘れなくて、今も下手くそだけど、あの時はもっと下手で、シュート以外、ゴールを取るっていう能力以外は、足元収まらないし、チームの助けになる能力がなかったです」
「すぐボールを失うし、練習中から怒鳴られまくって、それがあったからとは言わないですが、そこから始まったキャリアで、キャリアの事あるごとに憲剛さんに話していたし、憲剛さんに相談してスッキリするし、次の試合結果出るし。今日もまさにそうで、昨日のゴールを見て」
「前のハットトリックの時も、憲剛さんのDAZNの映像を見てゴールを決められて。いつも僕のキャリアのそばには、やべっちFCもそうでしたが、中村憲剛という存在は常にそばにいました。心の拠り所じゃないけど、本当に苦しい時は憲剛さんにいつもLINEしているし。内田篤人もそういう存在だったんですけど。2人が今年引退してしまうという事で」
「見事なキャリアでした。圧巻のキャリアだったと思います。憲剛さんをずっと目標にしてやっていたけど、足下も見えなかったし、最後の終わらせ方も脱帽だし、これを真似できる人はそうそういないと思います」
「終わった後のロッカールームでも、「いやまだできるでしょ」って全員が口を揃えていう事、惜しまれながらの引退という決断できる状態にある中村憲剛という人間が素直に羨ましいです」
「自分がやっぱり泥水啜ってでも現役でやりたい、どっかのチームにこだわるというより自分を選手として評価してくれるところでやりたいという思うのは、やっぱり自分がずっといたチームがなくて、ワンクラブマンじゃないから」
「でも、色々なところに行っている自分としては、1つのチームでああやってレジェンド、ミスターフロンターレって、そのクラブが苦しい時も嬉しい時も全てを経験して、優勝までさせて、今はJリーグ史上最強のチームと言っても過言じゃないぐらいの川崎フロンターレで引退して」
「川崎フロンターレ=中村憲剛という風になっているので、そこで引退を決断できることの素晴らしさは脱帽です。圧巻です」
「自分にはそれができないけど、僕がずっと憲剛さんに言っていたのは、「憲剛さんより先には引退しません」とずっと言っていたので、その目標は達成できました」
「これからもツイッターのヘッダー写真は中村憲剛の最初の優勝から変える気もないし、自分のキャリアに凄まじい影響を与えた選手だったので、自分が成長したと思えた心の裏には中村憲剛さんの一言だったり、そういう言葉を添えられた時に、憲剛さんがああいうこと言っていたなと常に自分の先導者というか、宣教師だったと思います」
「自分の活躍をこれからも見てもらいたいし、カテゴリは1つ下がっちゃいましたけど、こんな素晴らしいクラブでできているし、今日もJ2なのにこんなに多くのサポーターと一緒にできているので、今は幸せだし、久々に今日は点を決めて、スタメンで出て点を決めて、チームの主力で出られることの幸せを憲剛さんにも「テセ頑張っているな」と思って欲しいし。自分の心の裏には常に中村憲剛がいます。本当にお疲れ様でしたと言いたいです」
2003年に中央大学から川崎Fへ入団した中村から遅れること3年、鄭大世は2006年に朝鮮大学校から川崎Fへ入団。2010年にボーフムへと移籍するまで、4年半をチームメイトとして過ごし、多くのことを中村から学んだという。
試合後のメディア対応で鄭大世は、中村の引退についてコメント。川崎Fの発表で引退を予感したと言い、これまで自身の支えとなった中村へ感謝のコメントを送った。
「3時から会見って出ていたので、そうかなと思っていました。ウォーミングアップの時に、憲剛さんに「まさか。お疲れ様でした」って言ったら、「えって」なって。(試合が)終わったらLINEが来てました」
「僕のキャリアは中村憲剛さんに怒鳴られ続けて1年目から始まりました。その記憶はずっと忘れなくて、今も下手くそだけど、あの時はもっと下手で、シュート以外、ゴールを取るっていう能力以外は、足元収まらないし、チームの助けになる能力がなかったです」
「すぐボールを失うし、練習中から怒鳴られまくって、それがあったからとは言わないですが、そこから始まったキャリアで、キャリアの事あるごとに憲剛さんに話していたし、憲剛さんに相談してスッキリするし、次の試合結果出るし。今日もまさにそうで、昨日のゴールを見て」
「前のハットトリックの時も、憲剛さんのDAZNの映像を見てゴールを決められて。いつも僕のキャリアのそばには、やべっちFCもそうでしたが、中村憲剛という存在は常にそばにいました。心の拠り所じゃないけど、本当に苦しい時は憲剛さんにいつもLINEしているし。内田篤人もそういう存在だったんですけど。2人が今年引退してしまうという事で」
「見事なキャリアでした。圧巻のキャリアだったと思います。憲剛さんをずっと目標にしてやっていたけど、足下も見えなかったし、最後の終わらせ方も脱帽だし、これを真似できる人はそうそういないと思います」
「終わった後のロッカールームでも、「いやまだできるでしょ」って全員が口を揃えていう事、惜しまれながらの引退という決断できる状態にある中村憲剛という人間が素直に羨ましいです」
「自分がやっぱり泥水啜ってでも現役でやりたい、どっかのチームにこだわるというより自分を選手として評価してくれるところでやりたいという思うのは、やっぱり自分がずっといたチームがなくて、ワンクラブマンじゃないから」
「でも、色々なところに行っている自分としては、1つのチームでああやってレジェンド、ミスターフロンターレって、そのクラブが苦しい時も嬉しい時も全てを経験して、優勝までさせて、今はJリーグ史上最強のチームと言っても過言じゃないぐらいの川崎フロンターレで引退して」
「川崎フロンターレ=中村憲剛という風になっているので、そこで引退を決断できることの素晴らしさは脱帽です。圧巻です」
「自分にはそれができないけど、僕がずっと憲剛さんに言っていたのは、「憲剛さんより先には引退しません」とずっと言っていたので、その目標は達成できました」
「これからもツイッターのヘッダー写真は中村憲剛の最初の優勝から変える気もないし、自分のキャリアに凄まじい影響を与えた選手だったので、自分が成長したと思えた心の裏には中村憲剛さんの一言だったり、そういう言葉を添えられた時に、憲剛さんがああいうこと言っていたなと常に自分の先導者というか、宣教師だったと思います」
「自分の活躍をこれからも見てもらいたいし、カテゴリは1つ下がっちゃいましたけど、こんな素晴らしいクラブでできているし、今日もJ2なのにこんなに多くのサポーターと一緒にできているので、今は幸せだし、久々に今日は点を決めて、スタメンで出て点を決めて、チームの主力で出られることの幸せを憲剛さんにも「テセ頑張っているな」と思って欲しいし。自分の心の裏には常に中村憲剛がいます。本当にお疲れ様でしたと言いたいです」
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